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2 事態は風雲急

 帰宅すると、父が待っていた。その顔には、尋常ではない悲愴感が漂っている。

「菜月、聞いたぞ! 勅命を賜ったと」

「はい。準備ができ次第、異動します。恐れ多くも私のために、北の砦行きの臨時便を出してくださるようなので」

 父は足を踏み鳴らし、大きな音を立てる。その拍子で、頭にかぶっている烏帽子が曲がった。

「いかん。いかんいかんいかん、いかん! わしは許さん。お前のような小娘が、北の砦に単身送り込まれるなんて、許さない! 島流し、いや砦流しか」

「ですが、帝の命は絶対です」

「今回ばかりは、お前にも選択権はあったはずだ。無理に、という仰せではなかったはずだぞ」

 息も上がりそうな怒涛の剣幕に、菜月は驚いた。帝直々の任務ならば、渋々でも許してくれると思っていた。だが、父は怒りに任せて菜月を叱る。

「でも、私にしかできない仕事。行きたい」

「そんなことはない! 都を襲う風異を切るだけのこと。剣が多少使えれば、誰でもいいはずだ。そしてあの地に送られた者は、しょせん使い捨て。いつか寒さに倒れ、凍え死ぬ」

「だからこそ、帝は私を選んでくださったの。蝦夷地生まれで、寒さに強い私を」

「まったく、帝も罪作りなことを。とにかく、お前は今夜、有里の宮さまと婚儀を挙げることになった。ゆえに、砦行きの話はなしだ。本日付けで近衛府を致仕し、宮さまを迎え、都でおとなしく生きるのだ」

「なんですって」

 宮。婚儀。致仕。すべて、初めて聞くことばかり。

 景気よく、父は手をたたいた。

「さあ女房たちよ、今宵の準備をしておくれ。姫を着替えさせ、部屋を飾り立てるのだ!」

「どういうこと」

「もう占いは済ませてある。幸い、今夜から三日は、吉日。方角の塞がりもない。宮さまは独身、二十歳。以前から文をくださっていた。今上帝の甥で血筋よく、眉目秀麗・頭脳明晰・明朗快活。菜月の母親の身分が低いことも承知の上での求婚。お前には過ぎた婿君かもしれない。うふふ、願ってもない良縁よ」

 菜月は混乱した。砦に行かせたくないから即結婚させるなど、聞いたことがない。強引にもほどがある。

「だからって、帝の命に背いていいとでも」

「無理難題を押しつけてきたのは帝のほうだ。今回の婚儀は前々から決まっていたものだと、わしが事後報告する」

「じ、事後報告って、そんな」

「観念して、父に腰の剣を渡しなさい。そんな物騒なもの、一介の家刀自には、もはや不要の長物」

「いやよ。いくら父上でも、これは母さまの形見。母さまが私に残してくれた品。それに、風異を切るのは大切な仕事」

「おい、皆で菜月を取り押さえろ」

 父の合図で、女房たちがいっせいに飛びかかり、菜月の身体の自由を奪った。いくら力自慢の菜月でも、十人同時にかかられては抵抗できなかった。めちゃくちゃに足掻きでもしたら、誰かを傷つけるおそれもある。

 いともたやすく、剣は父の手に堕ちた。

「今夜が楽しみだな、菜月よ」

 菜月の剣をたずさえて、父は高笑いしながら部屋を出て行った。味方は誰もいない。菜月は御簾の奥に引きずられ、支度をさせられる身となった。

 姫として、普通の生き方をしてほしい、そんな父の願いは理解できる。遠い蝦夷地に十年、置き去りにしてしまった後ろめたい気持ちもあるのだろう。

 けれど、今は世が荒れている。

 自分ひとりだけが、邸の奥深くでぬくぬくと暖を取っているなんてあってはならない。それにこのままでは、蓄えている食料も燃料も、いつか底をつくだろう。そのうち夷狄(いてき)が都に入り込み、真砂国をめちゃくちゃに壊してゆく。最悪の状況に陥る前に、なんとしてでも事態を改善させなければならない。とにかく風を払うか、変えるか、止めるか。原因を突き止め、対処する行動が必要だった。自分の剣はきっと役に立つ。だから。

「こうなったら、どうしても北の砦に早く行かなければ」

 父に反抗することになるけれど、菜月は邸を抜け出すことに決めた。婚儀のお相手の宮とかいう方が菜月の部屋に来てしまえば、菜月は逃げられない。だから、その前に。

 女房たちが菜月を監視している手前、おとなしく座ってもの思いにふけっているような素振りを演じた。急に婚儀を結ぶことになって戸惑っているだけだと思わせなければならない。

 広いゆえに、警備が手薄な邸の門はいくつかある。東北の門と、厩裏の門だ。けれど、ひとりぐらいは門番がいるはずだし、強行突破しても多数の追っ手から逃げ切れる自信はない。大騒ぎを起こしては、父の名に瑕がつく。壁をよじ登るほうがいいかもしれない。

 あとは、剣を取り返す必要がある。衣類や身の回りの品などはどうにでもなるけれど、あの剣の代わりはない。

 邸に宮が到着すれば、まずは父がもてなすだろう。菜月の部屋に来るのは、夜が更けてから。父の部屋に剣はある。それを、自分で捜しに行くか、誰かに持って来てもらうか。

 菜月は考えた。菜月が、砦に行くことを歓迎している人物を思い浮かべてみる。焦りが、心に動揺を募らせる。冷静さを失ってはならないのだが、残りの時間が少ない。部屋には、すでに明かりが灯っている。

 砦行き歓迎の筆頭は、砦行きを命じた帝。

 だが、帝は内裏を出られないし、菜月の身の上など、ごく些細なことに過ぎない。帝に助けは乞えない。

「ほかに、ほかに誰が」

 いろいろな顔を、頭の中に並べてみる。家族。邸の者。近衛府の同僚たち。

「あっ」

 気がついて、菜月は口もとを袖でおさえた。いた。適任者が。菜月がいなくなることを願った人物。砦行きを激励してくれた、激しく菜月嫌いの人物が。

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