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19 誘い誘われて

 菜月はそっと宿直室に行った。相変わらずの寒さだ。

 ひとり、リヒトは静かに風を観察している。

 部屋の戸が軋んだので、リヒトはすぐに菜月に気がついた。

「起きたのか、菜月」

「はい」

「ここはいいから、居間でなにか食って来い」

「たくさん食べてきました。あの、私が番を代わりますから、リヒトさんこそ居間の皆さんと合流してください」

「いい。別に、俺は好きでここにいる。宴席は苦手だ」

「盛り上がっていて楽しそうですよ」

「お前が起き出す前にやった最初の乾杯には、俺も参加した。それだけでじゅうぶんだ」

 そう言い終わると、リヒトは風異の観察に戻った。

「飲めないから、ですか」

「それもある。酒はくさくてかなわん」

「それも?」

「俺は堅苦しい性格だ。ああいう場は、賑やかなやつらに任せておけばいい。俺が出て行くと、すぐ小言になるからな。部屋を散らかすなとか、飲み過ぎると明日の任務に支障が出る、とかな。つまらないだろ」

 怒りを撒き散らしながら、自由気ままに飲んだくれている皆をがみがみと追い立てるリヒトの姿を想像し、菜月は吹き出した。絵になり過ぎてしまい、笑いでおなかがよじれて痛い。

「……お前も失礼な性格だな。そこまで笑うか」

「す、すみません。ちょっと想像しただけです。目くじらを立てて怒るリヒトさんの姿を」

「どうせ、俺はいつもいらいらしているさ」

「そんなつもりで言ったのではありません。気を悪くしてしまったら、許してください。この通りです」

 菜月は頭を下げた。いいと言われるまで、上げないつもりで。

「だから、お前は。謝り過ぎだって」

 リヒトは菜月の頭を持ち上げて前を向かせた。菜月の顔の前に、リヒトの顔があった。菜月のことを心配そうに覗き込んでいる。お互いの顔が近過ぎるのに、リヒトの表情に変化はない。菜月のことを無駄に意識していないしるしだ。

「堂々としていろ。へらへらするな。せっかくの腕前が泣くぞ。副隊長補佐、俺はお前を信頼している」

「はい。すみませ……じゃなかった、気をつけます」

「うん、それでよし」

 リヒトがやわらかい笑顔を見せた。黒い瞳が揺れている。ものごとに、細かくてうるさくて怒りっぽいけれど、とてもきれいな目をした人だと、菜月は感じた。

 じっと見られていることに気がついたのか、リヒトは急に菜月から少し身体を背けてしまった。失礼なことをしたかも、と菜月は戸惑った。だがそれは、菜月の杞憂だった。

「菜月の剣を見せてくれないか」

 リヒトは、剣を見たがった。もちろん、断る理由はない。カズヤに見せたこともある。菜月は鞘ごと腰から外し、リヒトに剣を渡したとき、少し手が触れ合ってしまい、胸がどきどきした。けれど、リヒトには変化なし。悔しい。

「剣の由来は? 祭用の剣なのか? 太刀ではないな。かといって、短刀ほど短くはないな」

 剣を手にしたリヒトはまず、外見をよく改めている。矢継ぎ早に質問されたが、ひとりごとのようなものだったらしい。返答に詰まる菜月を責めたりはしてこない。

「なるほど。さすが、大納言さまゆかりの品。手に入れたいと思っても、簡単に購える品ではなさそうだ。意匠も凝っていて、見事だな。梅の花か」

「はい。母が好きな花でした。香りが高くて、花も愛らしく可憐、枝ぶりも立派、そして実を食べても美味。観賞用にも実用用にもすぐれた木です」

「……貴族の姫君の口から、『食べても美味』などという率直なことばを聞くとは思わなかったが。うん、確かにそうだな。俺も、梅は好きだ。今は桜のほうが人気だが、いかんせん桜花は散り急ぎ過ぎる。楚々とした梅のほうが、風情を感じるのに」

「分かります」

「もっとも、どちらの花もしばらく見ていないな。春が、ひどく懐かしい」

 しばらく、リヒトは螺鈿細工の梅を眺めていたが、思い切ったように鯉口を切った。

「両刃」

 青と赤の刃があやしく光っていた。思わず吸い寄せられてしまうような、抵抗しがたい魅力がある。むしろ、魔力とでも呼ぶべきかもしれない。

「ちょっと下がってもらっていいか」

 そう言うと、リヒトは菜月の剣を振り回してみた。けれど、剣は菜月にしか反応しないらしく、剣は空を切るだけでなんの変化もない。

「だめだな、俺では。カズヤも、剣を手入れしたときになんとなく勘づいていたんだろう」

 リヒトは丁寧に剣をしまうと、菜月の手に戻した。そのとき、柄の中でカラカラと音がした。

「……ん?」

「あ、この音。風獣から出てきた宝玉を、柄の中に入れておいたんです。柄の中に、小物を仕込めるつくりになっているので、お守り代わりに」

 実は、リヒトからもらったことが嬉しかったなんて言い出せない。

「珠を大切にしてくれているのはいいが、動くたびに音が出たら敵に気配を悟られるぞ。どうしても剣に忍ばせておきたいなら、鞘にでも張りつけることだな」

「確かに、ご指摘の通りです……気をつけます」

「いや、理解できればそれでいい。新しいけれど、いい剣だ。菜月、次の定期便に文を乗せろ。大納言さまに、この剣の由来を尋ねるんだ」

「剣の、由来?」

「覚え書きなどが残っていれば、なおいい。この剣が複数存在すれば、そして使い手が増えれば、風異を撃退することも難しくない。菜月の剣は、常冬から真砂国を守れるかもしれない」

 そして、菜月の存在がこの国の至宝になる、とまでは言及しなかった。しかし将来的に、菜月の力と剣が外交の切り札になってゆくだろうことは、リヒトにはたやすく理解できた。

「そうですね、聞いてみます。さっそく書きます」

 菜月は笑顔で答えた。母の形見の剣は、菜月といつもともにあった。腰に差していることが当たり前で、指摘されるまで詳しく知ろうと考えたこともなかった。

 いい機会だ。北の砦は雪が深い。いくら父でも、この場所まで来て菜月を都に引き戻そうとはできないはずだ。文ぐらいなら、挨拶にもなる。思えば、家出は過激だった。北の砦で自分らしく頑張っていることを綴り、とりあえずの無事を知らせておきたい。

「なら、早いところあっちの部屋に戻れ。ここにいつまでもいたら、誤解されるぞ。カズヤに」

「カズヤさんに?」

 不可解なひとことに、菜月は首を傾げた。なぜ、今ここでカズヤの名前が出てくるのだろうか。

「あいつのことが好きなんだろ、菜月は」

 とんでもないことを、リヒトはあっさりと述べた。

「ま、まさか。それ、冗談ですか。ちっとも笑えません」

「違うのか? 出逢って日は浅いとはいえ、ずいぶんと親密そうじゃないか。ま、男女の出会いに、浅いも深いもない。カズヤは少々わがままだが、いいやつだ。これまで、家族に恵まれてこなかったから、大切にしてやってほしい。これは、兄貴分の俺からの願いだ」

「誤解です、リヒトさん! カズヤさんは歳が近いので、話はしやすいですけれど、好きとか恋とか、そんな仲では決してありません」

 意外だと言わんばかりの顔つきで、リヒトは驚いている。どうやらほんとうに思い込んでいたらしい。

「なんだ。俺の勘違い、早とちりか」

「そうですよリヒトさん! びっくりさせないでください。どちらかというと、リヒトさんのほうが私の理想に近いですよ。厳しいけど、ほんとうはとてもやさしいし、周囲への気配りも忘れませんし……あっ」

 失言だ。言い過ぎた。というか、自分でも突然、なにを言い出しているのか、動揺した。リヒトが、自分の理想? カズヤとの仲を誤解されたくないからといって、とんでもないことを口走った。これではまるで、恋の告白。

 口もとを手で覆いつつ、おそるおそるリヒトの顔を見上げる。もちろん、リヒトは含み笑いを浮かべて菜月をからかう万全の姿勢。

「理想? 俺が。嬉しいこと、告白してくれるね」

「や、あの、違います。いいえ、違わないですけれど、その、人として尊敬していますってことです。ああ別に、深い意味はなくて! リヒトさんの生き方や考え方に惹かれるというか……敬愛、ですかねえ。だめだ、説明になってない。今の、なし。忘れてください」

 しどろもどろで、菜月のことばは支離滅裂だった。手のひらや額に、うっすらと汗をかいている。嫌われたくないという気持ちを、ことばでどのように伝えたらいいか、思い浮かばない。

「つまり。カズヤよりは、俺に興味があると」

「そうです。もっと、リヒトさんのそばにいて、いろいろとご教授願いたいです」

 リヒトの発言に、菜月は必死になって頷いた。

「うーん。確信を持っていたんだが……となると、菜月。俺は、お前を誘ってもいいのか」

「さ、ささ、誘う? いったい、どこへですか」

 まさかの急展開に、菜月は後ずさった。リヒトに、誘われる? なにやらきわどい物言いではないか。

「それは明日のお楽しみだ。じゃ、今夜はここで。おやすみ、菜月。夜番は任せろ。顔が真っ赤だから、少し冷やしてから戻れ」

 これ以上食らいついても、リヒトは絶対に本心を明かさないだろう。菜月は未消化な気持ちのまま、宿直室を出る。

「おやすみなさい……」

「菜月のおかげで、夜空には雲ひとつない。なにごともない夜番になりそうだ。お前がいてくれて、よかった」

 お前がいてくれて、よかった。

 菜月は心の中で、リヒトのことばを反芻する。感謝されることは喜びだ。とても励みになる。胸が熱い。

「お役に立てたのなら、私もうれしいです」

 菜月は深く礼をして、戸を閉めた。口うるさくて辛口のリヒトが、菜月を褒めてくれた。恥ずかしいような、照れくさいような。今にも浮き足立ちそうになる心持ちで、菜月は駆けながら居間に戻った。そこで、唖然とする。

「でも、これはひどい」

 宴は終わった、というか、全員酔い潰れてひっくり返っていた。どの顔も満足げで、充実している。菜月はひとりひとりに丁寧に夜具をかけてやり、銚子など割れやすいものはそっと静かに片づけ、部屋の灯りを吹き消した。

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