18 戦いのあとで
今夜は宴だ、乾杯だと、藤原たちは大いに盛り上がった。本来ならば、新参の菜月が率先して準備に参加すべきところだが、身も心もくたくたで動けなかった。砦に戻ると、着替えるのももどかしく、戦装束のままで帳台の中にごろりと入って眠ってしまった。
夢も見ずに、一刻ほどして。
菜月は急に目が覚めた。大騒ぎしている歓声が聞こえたからだ。
「私、ずいぶん寝ちゃったみたい」
自分の体力のなさには、あきれてしまう。剣だけでは通用しない。もっと鍛えなければ。あわてて着替えて身繕いをし、菜月は居間に向かう。明るい部屋に、まぶしい笑顔が並んでいる。藤原、カズヤ、ガラナ、サハリク……。
リヒトがいない。どうしたのだろうか。
「あれ、お姫じゃん」
廊下に突っ立っている菜月を見つけ、カズヤが叫んだ。酔っているようで、顔が赤い。ふらふらと菜月のほうへ寄ってくる。
「とても、賑やかですね」
「菜月ちゃん、少し休めたかい。さあさあ、こちらへ。少しはいけるクチかね」
藤原も声をかけてくれた。ご機嫌である。
「申し訳ありません。戦いが終わったら、眠くて体が動きませんでした」
「そんなのいいって。みんな、分かってる。はい座った、座った」
菜月の背中を押し、カズヤは自分の隣の席に座らせた。ふたりの膝頭がぶつかっている。少し、いやかなり接近しているのだけれど、カズヤはそんなことまったくお構いなしで強引に肩に手を回し、杯を渡してくる。
「風異撃退の功労者。祝杯だよ。歓迎会を兼ねて」
「カズヤさん、せっかくですけど、私は飲めないんです。それに、カズヤさんはケガしたのにお酒なんて、傷口によくないと思います。ケガ、きちんと確認しましたか。どんな傷ですか」
「たいしたこと、なかったって。それに、楽しい席でいきなりつまらないこと言うなよ。形だけでいいんだから、口をつけて。砦では、酒は貴重なの。嗜好品の配給は、定期便だととても渋いんだ」
そう言いながらも夜番の間、べろんべろんに酔うまで飲んでいたのはどこの誰だったか。
「では、菜月ちゃんの活躍をねぎらう会のはじまりだぞー!」
「兼・歓迎会!」
「おつかれさんでしたーっ。そして、北の砦にようこそ、菜月姫!」
藤原のかけ声とともに、ガラナとサハリクが大声を張り上げて追随する。盛り上がれれば、とにかくなんでもよいらしく、わいわいがやがや騒ぎながら、酒を飲みまくっている。
「はい。お姫、乾杯」
カズヤの杯が菜月のそれと、カツン、と小さな音を立ててぶつかる。菜月は飲む真似だけ、してみた。カズヤは満足そうに菜月を見届けてから、自分の盃を口に運んだ。一気に呷ると、菜月の杯までさっと取り上げ、飲み干す。
「お姫の二杯目は白湯? 食事もしなよ。ま、肴系ばっかりだけど。干飯とかならあるし」
「ありがとうございます」
任務を終えてから、菜月はなにも食べていなかったので、とても空腹だった。歓声で目が覚めた、と思ったのはどうやら間違いだったらしい。おなかが空いて、起きたのだ。皆がめいめいに発する大きな声にかき消されてしまうが、菜月のおなかはしきりにぐるぐると鳴っている。
カズヤは、菜月の食事を皿の上に器用によそってくれる。見た目もうつくしい食事の完成だ。
「はいどうぞ、お姫」
「ありがとうございます。いただきますね」
菜月は夢中で食べた。日持ちがする乾物や保存食が中心だが、どれもおいしい。料理好きな藤原が、任務の合間にちょこちょこと作りためている品々だという。
「干し野菜のきんぴら。しみ豆腐の煮物。煎り豆。根菜とごまの和え物。梅干し風味の海苔。食べやすいよう、干飯には湯をかけようか」
「もう、だいじょうぶです。あとは、自分でやりますので」
「そんなこと言わないで。風異を撃退できたのは、お姫のおかげだよ、ねえ?」
完全に、カズヤは絡み酒だった。菜月の笑顔もだんだんひきつってゆく。
「最近、女の子とお付き合いしていないからさ。ま、砦勤務じゃ不可能だよね。もうこの際、お姫でもいいかな、なんて。ひと仕事終えて、食欲が満たされたら、次は……分かるよね。さ。俺の部屋、行こうか」
カズヤは菜月の箸を膳の上に置いてしまう。そして、がっちりと手をつなぐ。
「あーっ、カズヤが菜月ちゃんを口説いているぞ!」
「抜け駆け、反対!」
「手が早いったらありゃしないな、まったくカズヤは」
菜月とカズヤの手を切り離したのは、藤原だった。
「済まないねえ、カズヤが迷惑をかけてしまって。こいつは極度の甘えん坊なんだよ」
「藤原さん、俺の邪魔をするつもりですか」
「酒の勢いに任せて菜月ちゃんを襲うなんて、失礼だぞ。恋を訴えるなら正々堂々と、な」
「恋! 笑わせないでください。お姫風情に、そんな手続き不要、ていうか無駄ですってば。結婚前の女のくせに、男だらけの北の砦に嬉々として出張ってくるような子ですよ。当然、身体を張った任務になることも承知の上でしょ」
「北の砦の現状を、菜月ちゃんは知らなかったんだ。ほかの防衛線と同様、女子だけで守りを固めていると思ったからこそ、飛び込んできたんだろう。それに、いくら腕が強くても、中身は至って普通の女の子だ。いつ、いかなるときも、男は強く、やさしくあらねばならん!」
「さすが藤原さん! いよっ、師匠っ」
拍手、そして喝采。
「あの、リヒトさんが見当たらないんですが、いったいどちらへ」
菜月はおずおずと手を挙げて割り込んでみた。
「リヒトさん? そんな人、いたっけここに」
「あー。厠だよ、厠。しっかし、長いな」
カズヤとガラナがふざけているので、サハリクが制した。
「そんなわけないだろ! 夜番を買って出てくれたんだよ。あの人、飲めないから」
確かに、もうそんな時間だ。けれど、今夜は藤原の番のはずだが。
「リヒトはなあ、わたしに気遣ってくれたんだ。やっぱり隊長がいないと、宴がはじまらないし、盛り上がらないだろうって。わたしは実にいい部下に恵まれた! 菜月ちゃん、一緒に泣いてくれ!」
「おお、うう。藤原さん、俺、感動で涙が止まりません」
「藤原さーん」
「これで北の砦は、ますます強固な絆で結ばれますね!」
円陣を組んで泣く男たちの輪をすり抜け、菜月は居間を出た。仲がよくてうつくしいけれど、少々くどい。円の中に入ることは、遠慮したい。