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17 赤き刃と南風

 しかし。

「……えっ」

 激痛には、襲われなかった。身を切られるのかと恐怖した氷柱は、菜月が倒れ込んでしまう寸前に、カズヤが切り崩していた。

「カズヤさん、だいじょうぶですか!」

 氷の危機には遭わなくて済んだものの、カズヤがケガを負ってしまった。剣を手放し、左脚をおさえてその場にうずくまっている。

「なんともないよ、これぐらい全然……うっ」

 菜月の異変に気がついたカズヤは、急いで身を反転させて菜月を助けたが、足に過剰な負担をかけてしまったらしい。顔をしかめて痛みに耐えている。

「だ、だめです! 動かないで」

 立ち上がろうとするカズヤを菜月は制止した。

「こんなの、平気だ。それよりお姫さんに、ケガはなかった?」

「私は無事です。でも……」

 あれほど莫迦にされたのに、素早く助けてくれたことが意外だった。嬉しいけれど、自分のせいでカズヤをさらに傷つけてしまったのではないか。菜月は不安に包まれた。

「きみと俺は、後方組。お互いを助け合うのも、組の役目。藤原さんの命令は絶対。もしかして、また自分のせいで俺が、とかくだらないことを考えているんじゃないだろうね。きみって、ほんとまったく自意識過剰。ほら、こっちに立って。右側なら、お姫さんぐらい同じように守れるから」

「守ってもらおうだなんて、最初から思っていませんよ。第一、私はあなたとの勝負に勝ちました。自分の身の安全ぐらい、自分でなんとかします」

「でも、慣れない雪は苦手。でしょ?」

 ずばり言い当てられてしまい、菜月の身体はいっそう熱くなった。

「実戦で、体得します。カズヤさんこそ、遠慮せずに休んでいてくださいよ。同じ組の仲間じゃありませんか」

「いやいや。俺の見極めあってこその後方組。切るべき風異と、見逃しても影響がない風異。経験の浅いきみに違いが分かるかな? とっさの判断だよ」

「で、できます。やります!」

「うしろのふたり、なにを話している! 私語が多いぞ、任務に集中しろ」

 ふたりがやんややんやと騒いでいるので、リヒトが怒号を飛ばした。カズヤと菜月の会話の詳細までは聞き取れていないらしかった。

「リヒトさん! カズヤさんが足に……」

「雪で少し滑りそうになっただけです! 大事ありませんよ」

「いえ、それは嘘で……もごもごっ、ふが! カズヤふぁん、なにふるんれすかっ(するんですかっ)」

 カズヤは菜月の口を手でおさえるという、強硬手段に出た。暴挙だ。

「前列の人たちに知られたら、戦線離脱を命じられるよ。リヒトさんは厳しいから、きっと、きみもね。俺たちは同じ組でしょ」

「む……」

 なるほど、一理ある。今ここで撤退を命じられたら、北の砦に赴任した意味がない。耐えるべきだった。カズヤを無理させずに、リヒトにも気がつかれないようになんて、できるだろうか。でも、やるしかない。

「ほんとうにほんとうに、だいじょうぶですか、足?」

「うん。立ってはいられるから。俺、莫迦がつくほど、根が素直で正直だから」

 説得力はまるでないけれど、菜月は自分がカズヤの分までがんばればよいのだからと頷いた。

「よっし、商談成立。俺が指示するから、お姫さんはその通りに動いて」

「すぐに知られてしまいますよ、カズヤさんが動いていなければ」

「そろそろ、後方を見渡す余裕もなくなってくることだと思うよ。俺は適当に、声でも上げておくから。息の合うところを見せないと。もう同罪だよ、俺たち? 帝にいいところ見せたいんでしょ」

 帝を引き合いにだされると、菜月は反論できない。カズヤは菜月の弱点を性格に突いてきた。渋々頷いた菜月を確認し、カズヤは自分の袖を引き裂いて菜月の手のひらと剣をぎゅっと強く縛った。絶対に剣を手放さないよう、処置をしてくれたのだ。

「ほら来た! あの風異が都に届いたら大変なことになるぞ、お姫っ! 行け」

「い、行け……って」

 しかも、『お姫』呼ばわりとは。突っ込みたいところだけれど、風異が容赦なく襲って来る。菜月は滑るように剣を振るう。風異は菜月の目の前で勢いを失い、無に還ってゆく。

「俊敏で、なかなかいい動きだね。その調子で」

 カズヤの声と藤原の気合いだけが、砦の壁に反響する。菜月はカズヤに言わるがまま、身体を動かし続けた。頭で考えている場合ではない。強風は次々に北の砦を攻撃する。

「おい、そっちのお前ら。砦に引き上げろ」

 風異の合間を縫って、リヒトがふたりに宣告した。

 いくつかの風異を無事にやり過ごしたものの、カズヤと菜月の作戦はリヒトに筒抜けだった。

「あれ、もしかして分かっていました?」

「当たり前だ。足にケガをしたか。歩けるのか、カズヤ?」

「うーん。まあ、なんとか。多分。氷の塊に少し引っかかっただけですから」

「菜月。カズヤの肩を支えろ。砦に運び終わったら、傷の手当を」

「は、はい」

 できればもっと風異と対峙したい、菜月はそう願ったが、リヒトの指令は砦行きだった。

「やだなあ、リヒトさん。お姫には、誰かついていたほうがいいですって。俺がこのまま指示しますから、お姫のことは任せてください。そのために俺と組ませたんでしょ」

「負傷した今のお前では、なにかあったとき、とっさに菜月を助けられないだろうが。それに、ケガの具合も確認したほうがいい。雪風が吹いている屋外では、難しい」

「リヒトさんは心配性だから。これぐらいのケガ、どうってことありませんって」

「私をかばったときに、ケガをしてしまったんです。私のせいです。すみません」

「だから。お姫のせいじゃない。俺の単純な不注意」

 短気なリヒトは、しびれを切らしてしまった。ふたりを怒鳴り散らす。

「これは遊びではない! 俺たちのいっときの油断が、都にいっそうの異変を起こすことにつながる。都の苦しい暮らしを見ているだろう? これ以上の冬はたくさんだ。北の砦での任務なんか、ちっぽけな反抗かもしれない。けれど、やらないよりずっとましだ。少しでも多くの風異を切りつつ、断つ。心まで凍らせないために、俺は砦にいる」

 そうだった。ふざけている暇はない。口論している場合ではない。

「そうでした。ごめんなさい、リヒトさん」

 菜月はすぐに謝った。そしてカズヤの身体を支えようとした。砦にいったん退去するために。

「いや。お姫の剣は、使った方がいいと思うよ。前線の藤原さんとリヒトさんで挟めば、危険は減るだろうし。俺が姫さんの後ろで、姫さんの目になる。リヒトさんに怒られるまで、姫さんに指示を出し続けていたんだけど、かなり機敏に動いてくれたんだよね。お姫の剣を使わないなんて、もったいないよ。そうだほら、赤いほうを上に向けて、風を切ってごらん」

「赤いほう?」

「そう。いつもは使わないほうの刃を」

 なんとなく、青いほうが好み。それだけで菜月は赤い刃を使ってこなかった。剣の手入れをしていたときに剣の特徴を知ったらしいカズヤは、それを使えと言う。菜月は首を傾げた。

「違いなんて。単に、色だけじゃないかしら」

「お姫の持つ気と、剣に秘められた闘志。ふたつが混じると、なんだかおもしろそうだよ」

 カズヤの好奇心に付き合っている時間はないけれど、菜月はくるっと剣の刀身を翻してみた。赤いほうが上に来る。闘争心が前面に出過ぎるような気がして、赤はあまり菜月の好みではない。けれど、今はカズヤが過剰に期待している。なぜか目を輝かせて。リヒトも持ち場に戻り、黙認していた。

「さ、お姫。藤原さんとリヒトさんの間に、ずずっと割って入って。図々しいぐらいがいいよ」

 カズヤが菜月の背中、というか腰のあたり押す。際どい部分に触れられてしまった菜月は、きゃっと叫びそうになりながら、なんとかこらえて前線に出る。胸のどきどきは鳴り止まない。

 気持ちを静めるためにも、菜月は声を大にして叫ぶ。

「返す!」

 菜月は風異を大陸に返そうと、剣を払った。都の、大切な人たちの顔を思い浮かべて、渾身の力を込めて振るった。しかし。

 風異は返せなかった。

「え……っ」

 菜月の目の前で、風異は曲がった、というか、どろりと溶けたのだ。剣に触れたか触れないかの瞬間に、冷たい風は勢いを失い、霧散した。

「想像以上の威力だね。すごい」

 そうつぶやくカズヤも、傍観していたリヒトも、目を瞠った。

「なんなの、今のは」

 剣を使った菜月がもっとも驚き、動揺していた。赤の刃が、風異に絶大な威力を発揮するとは。

「手入れをしたときに、感じたんだよ。お姫の剣は、持ち主の気を享けて変化する性質の剣、だってことをね。青い刃はあくまで冷静。赤い刃は強く激しい熱を生む、と。都の冷たい風なら、青い剣でも効果あると思うけど、雪まじりの風には赤いほうが絶対効果ある。そう直感しただけさ、俺はね」

 剣の持ち主すら気がついていなかった秘密に近づいたカズヤに、菜月はとことん感心した。頷くことしかできない。自分だって、剣士という誇りを持っていたはずなのに、その自信は崩れ去った。

 信じられなくて、首を傾げながら剣を振り回す。

「うわっ」

 小さいけれども、剣からあたたかい風が生まれている。剣の風を受けたまわりの雪が、筋状に融けた。

「時期が来た、ということだよ。砦に来て、お姫の才が開花したんだ。俺に会えたことも、よかったのかも」

「カズヤさんに?」

「そうそう。助言したのは、俺だし。いいでしょ、リヒトさん。この子を見張る役、任せてくださいね。さっきはしくじったけど、二度同じことはしない」

「菜月、操れるのか? その剣を」

 赤い剣の力を、すべて自分のものにできるかどうか、分からない。けれど、やるしかない。誰でもできるというわけではない。自分にしか、できないのだ。

「やります、私」

「そうこなくっちゃ」

 ひゅーうっ。カズヤが口笛で歓迎した。

 菜月が風を溶かす。一撃一撃が、おもしろいように決まってゆく。手強い風獣だって、敵ではない。風異を消しながら、菜月は気がついた。剣を細かく動かせば、風を融かすことができる。大きく振れば、あたたかい風が菜月の頬を撫でる。ほんの一瞬だが、寒さがゆるむ。赤い刃は、空気を動かしていた。

「分かった。これ、南からの風……!」

 風をひとつひとつ叩いてゆくよりも、大気の流れに任せてしまったほうが仕事はラクだ。菜月の剣は、あたたかい空気を呼び寄せているようだった。

「驚いた! 菜月ちゃんの剣は、ただの北方製の剣ではないんだな」

「どうやら、そのようです」

 母の形見の剣は菜月の思いと同調し、嬉しい変化をもたらした。いつしか、菜月は最前線に出て風異と戦っていた。ときどきあらわれる風獣の腕も、足も、赤い風がすべて融かしてゆく。雪の塊である雪獣も。氷の塊である氷獣さえも、菜月の敵ではなかった。身を切るような冷たい風異は次第に弱まっている。皆も少しずつ余裕を感じ、笑顔もこぼれはじめている。

「……空に」

 雲が切れはじめた天には、星空が広がっていた。東の空の端にだけ、夕焼けが残っている。幻想的な時間だった。

「おお。星空か。久しぶりだなあ」

「あ、流れ星」

 降るような星の数。雲のない、晴れた夜空を見上げるのは、いつ以来だろう。

「きれい」

 剣を握り締めたまま、菜月は泣いていた。

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