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15 風異襲来警報

 カズヤだった。いつもの余裕たっぷりの厭味な顔ではない。緊迫した表情だった。

「砦に戻ってください。もうすぐ、大きな風異が来ます」

 突きつけられた事実に、背筋が凍りそうになる。大きな風異とはどんなものなのだろう。先日の風異だって、菜月にはきつかったのに。

「つい先ほど、北の浜辺へ偵察に行っていた部隊が帰ってきました。海が、ひどく荒れていると。北の風もすこぶる強いそうです」

 リヒトは緊迫した表情で頷いた。緊急事態のせいか、カズヤもいつものふざけた感じではない。

「戻るぞ。菜月、ついてこい。カズヤ、そのほかの報告は」

「藤原さんが、偵察隊に詳しい話を聞いているところです。砦に戻れば、聞けるかと。俺はリヒトさんたちを呼びに来たから、話を途中までしか聞けなくて。行きましょう」

 リヒトとカズヤは足早になった。当然、菜月は遅れてしまう。その様子に気がついたリヒトは、手を伸ばした。

「つかまれ。体重をかけていいぞ。カズヤは反対側の腕を引っ張ってやれ。少し急ぐ」

「ほら、じゃあこっちも」

 菜月はふたりになかば引きずられるようにして雪の中を進んだ。なにしろ、道がない。ざくざくと雪を踏みならして歩くしかないのだ。

 成人してからは、男性に触れることがなかった菜月である。両脇をしっかりがっちりつかまれてしまい、俯きながら歩いた。

「お姫さん、さっきから足もとの雪しか見ていない。前を見て。もうすぐ砦だよ。もしかして、この体勢が恥ずかしいとか」

 菜月の羞恥に感づいたらしいカズヤは、またからかう。リヒトが、諌める。

「放っておけ。指摘されたら、余計に委縮するだろうが」

「砦、見ています!」

「お、強がっちゃって」

 これだからカズヤは困る。人をからかって楽しむなんて、たちが悪い。しかも、非常時に。菜月は話題を変えた。

「……先ほど、『偵察隊』と言っていましたが、砦にはほかにも隊員がいるのですか」

「言わなかったっけ? もっと北のほうの浜に、小さな漁師小屋があるんだけど、そこを譲り受けて観測所にしたんだ。北の浜の任務は、海の観察。つまんないよ。一日中、流氷が浮いている寒い海と、にらめっこ」

「でも、海は見てみたいな」

 菜月はまだ見たことのない海に思いを馳せた。広くて、大きくて、どこまでも続いているという海。都に引き取られるとき、海を渡ったはずなのにまったく覚えていない。

「じゃあ、次の偵察隊にはお姫さんと俺で行こうか。藤原さんに伝えておくよ。寒くなって漁ができなくなったあと、近くの村もすっかりすたれてしまって、まわりには誰も住んでいないよ。とにかく寒いから、毎日しっかり肌を合わせてあたため合おうね」

「遠慮しておきます」

「あまりからかうな。こいつはまだ小娘だ」

「はーい。楽しみだね、お姫さん。うふふリヒトさん、俺ほんとうに大納言家の婿になっちゃうかも」

「聞いてないな、この」

 雪を払って砦の中に入ると、話し声が聞こえてきた。藤原と、偵察隊二名のものだろう。

「おお、リヒト。戻ったか。大変だ」

 藤原は立ち上がってリヒトを迎えた。浮かない困った顔をしている。藤原の正面に控えていた偵察隊のふたりも頭を下げる。どちらも若い男子だ。ひとりは筋肉質の作り込まれた身体つきをしている。もうひとりは、外見は優男ふうの長髪、しかし気は強そうな目の輝きを奥に秘めていた。それぞれ、ガラナ、サハリクと名乗った。菜月も、勅命を受けた新任の剣士だと自己紹介をする。菜月が女なのでふたりとも、とても驚いていたが今はそれどころではない。

 偵察隊から受けた報告をかいつまんで、藤原はリヒトたちに聞かせる。

「海の色が灰色になり、次々と高い波が立っている。経験から言って、あと半日で嵐が来るだろう。今から北の浜まで行って対策していては、間に合いそうにない。決戦は、北の砦前」

 全員が同意して頷く。

「こちらの戦力は、六人。俺とリヒト、ガラナ、サハリクは前に立て。カズヤと菜月ちゃんは後方の守りを固める」

 後方、と命じられてカズヤは烈火のごとく怒り、机を叩いた。

「冗談じゃありません。どうして俺が、この砦でいちばんの使い手の俺が、後方なんですか! お姫さんがいるからですか! 俺は絶対に、藤原さんの隣で戦いたいです」

 不平をまくし立てたカズヤは、目が血走っている。近藤以外の四人は、固唾を飲んで藤原の次なることばを待った。

「前線の、私たちが斃れたら、都に報告する者が必要だ。この役だけは、年若いふたりにお願いしたい」

 つまり、死を覚悟した戦いということになる。藤原はカズヤと菜月の命を惜しんでいる。

「藤原さんのために死ぬなら喜んで死ぬよ、俺。死なんて怖くないし。置き去りにされるほうが、よっぽどこたえるよ」

「カズヤ。この役はお前にしかできない。もしものときは報告書をしたため、菜月ちゃんを都まで送り届けるんだ。いいな」

 有無を言わせない強さだった。カズヤは反論をやめ、広間を出て行ってしまった。話は途中なのに。菜月が追いかけようとすると、リヒトが菜月の肩をおさえて止めた。カズヤの消えたほうを見つめるが、戻って来る気配はない。

「この寒波を破れたら、菜月ちゃんの歓迎会をしよう。もうすぐ定期便も来るだろうし」

 残った全員が賛成だと頷いた。

「藤原さん、いや隊長。詳細を教えてくれ」

 リヒトだけは、簡単な報告では納得がいかないようで、藤原に海の様子をあれこれ訊きはじめた。ガラナとサハリクも戦いの準備をはじめたので、いったん菜月も部屋に戻ることにした。

 その前に、カズヤのことが気にかかる。

 なかば、自分のせいでカズヤは待機を命じられたようなものだ。全滅するわけにはいかない、それは理解できるけれど、藤原の命令は残酷だった。

 戦いながら少しずつ、前線に近づけばいい。雪や氷に慣れていないだけで、剣の腕には覚えがある。足手まといにはならないよう、心してかかりたい。カズヤに、己の決意を伝えておきたい。菜月はカズヤを捜した。

 けれど、広間から消えたカズヤは自分の部屋にもいなかった。

 カズヤは宿直室で風を見ていた。御簾を全開にしているから、風で舞い上がった雪が容赦なく室内に入り込んでいる。とても寒い。

「カズヤさん、だいじょうぶですか。風が」

 腕で風をよけながら、菜月はカズヤの立っている場所まで進んだ。カズヤは菜月のことなどまるで見ない。端整な横顔がいやに冷たく映り、菜月の心には不安がよぎる。

「ごめんなさい。私のせいで、後方待機になってしまって……その」

 ことばがうまく出て来ない菜月の動揺を、カズヤは素早くとらえた。

「ふーん、なぐさめ? 心外だね。藤原さんの指示がまさか、お姫さんのせいだとか思っているわけか」

「え……」

 意外な反応に、菜月は戸惑った。カズヤのことだ、いつもの調子で罵倒されると思っていた。

「ずいぶんと、調子に乗っているというか、おめでたい性格で」

「私、がんばります。ふたりで協力して、風異を鎮めましょう。藤原さんも、きっと認めてくれるはずです」

「うぬぼれるのもいい加減にしろ。実力がないから、藤原さんは俺やきみではなく、リヒトさんを選んだ……それだけだ。俺に近づくな。これ以上、砦をかき乱すな!」

「待って、行かないで」

 菜月を突き飛ばし、カズヤは雪原の中に走って行った。菜月は茫然と、カズヤが消えた先を見つめていた。


 ……どれぐらい、その場にうずくまっていたのだろうか。

 長いようにも、短いようにも感じた。

「なにしているんだ菜月、こんなところで。身体が冷え切っているんじゃないか」

 リヒトだった。菜月の前の前に、すっとリヒトの腕が伸びてきた。たたかれるのかと思い、菜月はびくりと肩をすくめた。カズヤに素っ気なくされたことがあとを引いている。けれど、たたくのではなく、菜月をやさしくかかえ起こしたリヒトは、菜月の身体に触れて驚いた。

「やっぱり冷たいな。なにやっているんだ」

「すみません。私のせいで、傷つけてしまいました」

「謝るな。御簾が全部開いて……ああ。カズヤか」

 少しだけ頷いた。出て行ったのはカズヤだが、追いつめたのは菜月である。

「とにかく、火鉢に当たれ。この部屋の片づけは後回しだ。風異が近い」

「……はい」

 心ここにあらずで返事をする菜月に、リヒトは舌打ちをした。

「カズヤのことは、俺に任せろ。菜月の強さを敵対視しているんだ、やつは。子どもっぽい対抗心だ。今まであいつがいちばん年下で、なにをしても許されていたからな。いちいち構っていたらきりがない」

 リヒトは強引に、広間の火鉢のそばに菜月を座らせ、背中から大袿をかけた。菜月が落ち着いたことを見届けると、カズヤを追いかけた。

 砦の部隊全員がまとまらなければならないときに、どうして。菜月は、ときおりぱちぱちと音を立てて炭が砕けてゆく様子をじっと眺めていた。

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