14 翌朝の共犯者
翌朝。
皆に先んじて休んだせいか、菜月は夜明け前に目が覚めた。昨夜はひどく疲労を感じたのに、覚醒はさわやかだった。ひとつ大きな伸びをしてから、菜月は元気よく帳台を出た。
朝餉の支度でも手伝おうかと考え、厨に向かう。大納言家ではいっさい近づけなかった厨だが、蝦夷地では母の代わりにいろいろ作っていた。菜月は炊事仕事がけっこう好きだ。
「……ん?」
と、厨に至る途中。宿直室の戸が半分ほど、開いていた。冷風が吹き込んでいる。確か、昨夜の夜番はカズヤだったはず。菜月は戸から室内を覗き込んで見た。
「か……、カズヤさん」
カズヤは机の上に突っ伏して寝ていた。日誌と呼んでいる宿直帖が枕代わりだ。机の周りには、酒器がばらばらと散らかっている。
「カズヤさん、こんなところで寝ていたんですか、カズヤさんってば」
菜月はもう一度声をかけ、カズヤの肩を揺らす。起きる気配がなかったので、少し強めに揺さぶってみる。
「うー……、眠い。って、お姫さん?」
カズヤは無造作に腕を伸ばす。菜月の頬にぶつかった。菜月は動じなかった。むしろ、渋い顔を近づけてみる。
「なんですか、この惨状。夜、お酒を飲んでいたんですか。勤務中に」
「酒の一杯は、許されているんだよ。身体が温まるからね」
カズヤの手のひらは、菜月の頬を撫でる。指先の動きが無駄になまめかしい。
「リヒトさんは、飲んでいませんでしたよ」
「あの人は下戸だから」
「でもこれは、『一杯』って量ではありませんね」
「俺にとっては、この量が『一杯』なの。きみは俺より年下のくせに、つべこべうるさいよ、もう」
菜月はカズヤに頬をぎゅうっとつねられた。ただし、傷の部分は触らずに、よけてくれている。
「へも、はへがひたらろうするのれす(でも、風が来たらどうするのです)」
必死になって抗弁するも、ほとんどことばにならなかった。
「傑作。その顔」
さんざん笑ってから、カズヤは菜月の頬から手を放した。ようやく解放されて、ひと息つく。
「報告しますよ、藤原さんに」
「なにを? 酒のこと? それとも、頬を撫でたこと? 今、ちょっとどきどきしていたよね。俺が頬に触れたら、赤くなったもん。俺のことを意識しているくせに、リヒトさんにも擦り寄っているから、おもしろくない。だから飲んだ。いい? この酒量は、きみのせい。早く片づけて」
とんでもない理屈を披露してくれた。
「私のせい、ですか」
「うん。きみがいるとイライラするんだ。さあ早くしないと、皆が起きてしまう。朝餉の支度当番はちょうど俺だし、厨に運ぼう。証拠隠滅」
カズヤは盆に酒器を載せはじめた。
「なにをぼんやりしているの。手伝って」
言われて、条件反射で菜月も手近な盃を拾ってしまう。瓶子も。
「よしよし、なかなかいい子だね。おっと、こっちは中身がまだ入っている」
舌をぺろりと出し、なおも酒を飲もうとするカズヤを菜月は止める。
「カズヤさん、もう朝ですよ」
「……はいはい」
廊に誰もいないことを確認してから、菜月とカズヤは小走りで厨に行った。たくさんの酒器を持っている姿を誰かに見られたら、一大事である。
「共犯だね、これで。お姫さんも」
「冗談じゃありません。私はいつでも報告するつもりでいます」
「言いたければ言えばいいよ。俺を弾劾しても、いいことはない。砦は人手不足。俺を罰したくても、できない。俺を都に返してごらん? 北の砦は、たちまち機能しなくなるだろうね」
すごい自信だ。菜月は羨ましくなった。都ではそこそこの使い手だった菜月だが、砦の三人に比べたら修羅場の経験は足もとにも及ばない。
渋々、菜月は酒器を洗ってから、朝餉の支度に取りかかった。
朝餉を終わって。
「いやあ、今朝の食事はうまかった。カズヤの当番だから、正直あまり期待していなかったのだが、菜月ちゃんは料理がうまいな」
藤原は朝餉を絶賛した。
「おそれいります」
「ここには、旬のものも新鮮なものも用意がないのに、よく作った」
ふだんは辛口なリヒトも頷いてくれた。
強飯に、豆の煮もの。干し野菜のあんかけ炒め。わかめと凍り豆腐の汁もの。それほど手の込んだものは作っていない。地味だ。けれど褒められて、悪い気はしない。
「ねえ、その言い方だと、俺の料理はとんでもないってことになるよね。ひどくないですか」
「悔しかったら、菜月ちゃんに教えてもらえ。カズヤの料理は味が濃過ぎるからな」
「ちぇっ、藤原さんまでお姫さん贔屓か」
カズヤは不満そうに口をとがらせた。
「明日から、炊事当番を組み直そう。菜月、当番は輪番になっている。入ってくれ」
「はい、もちろんです」
またひとつ、認められた。カズヤは、なおも不満そうだけれど、家事を手伝うことで許してほしい。菜月が当番に入れば、皆の負担が少しは軽くなる。
「で、今日の見回りなんだが、菜月ちゃん。組みたい人はいるかい。指名してくれていいぞ」
「私が、ですか」
菜月は目の前の三人を見回した。
隊長の藤原。
副隊長のリヒト。
小隊長のカズヤ。
リヒトとは昨日組んだ。藤原を選ぶと、カズヤがうるさそうだ。かといって、カズヤは手が早い。ふたりきりになったら、なにをされるか分かったものではない。消去法で、答えはひとつしかない。
「……えーと、すみませんが今日もリヒトさんを」
「なに、今日も? ふーん、相当気に入ったのか。あやしいなあ」
「ち、違います。昨日、聞けなかった話の続きを聞きたくて」
「まあ、いいか。今度はわたしを選んでくれよ、菜月ちゃん」
藤原とカズヤは見回りの準備をするべく、各部屋に戻った。
「……膳を、片づけよう」
先に、リヒトが立ち上がった。
「は、はいっ」
リヒトは動きに無駄がなく、食事の後片づけはすぐに終了した。ふたりは南の方角へ、見回りに出た。昨日の風獣による新雪が、膝あたりまで積もっている。雪に足をとられて歩みが遅い菜月を気遣いながら、リヒトは進む。
「あの、リヒトさん。聞きたいことがあります」
「なんだ。話してみろ」
「カズヤさんのこと、です。なぜあれほどまでに、相手を挑発するような言動をしてくるんですか。剣はとても強くて頼りになるけれど、わがままだし、信じられません」
「まだ子どもなんだ、許せ。常冬の状態を破りたい気持ちは、誰よりも強いんだがなあ。あいつの両親は、この寒波で亡くなったんだ。カズヤは幼いころに親と別れて藤原さんのもとに弟子入りし、離れて暮らしていたから助かった。だが、姉や幼い弟妹たちとも生き別れになってしまった。やつは、自分が助かったことを悔いている。残っている妹ひとりが施薬院にいるらしい。カズヤは禄のほとんどを寄進しているようだ。藤原さんのところにいれば、余計な金はかからないからな。砦でも、金は不要だし」
「寄進。とてもよい心がけですね」
菜月はカズヤを見直した。身体目当ての、ただの軽い男ではないらしい。明日は、カズヤと組んで巡回してみようか。黙り込んだ菜月を見下ろしているリヒトは、意地悪をつけ加えた。
「カズヤは、あの通りの目を引く整った顔つきだし、都を歩けば女どもにちやほやされていたなあ。金なんて持っていなくても、女たちが競って奢ってくれていたな」
「競って、奢って」
前言撤回。無理無理、カズヤだけは無理。世界が違い過ぎる。
「お前はおもしろいな、菜月。貴族の姫君なのに、いろいろな表情をする。見ていて飽きないぞ」
「なにしろ、蝦夷地の生まれ育ちですから、今でも大納言家の娘だという認識はほとんどありません。きれいな装束も、暖かいお邸もやわらかくておいしい食事も、私には不似合いのような気がして。邸を一歩出れば、寒さに凍えている人々が多くいるというのに、私は父に手厚く保護されて。ですから、砦に派遣してくれるという帝のお話を伺い、即答でした」
「だが、お前の運のよさは誇るべきだろうな。己を責めずに、受け入れろ。できることは必ずある」
「リヒトさんって、いい方ですよね。やさしい。憧れます」
菜月が賛辞を口にすると、リヒトは雪を踏み誤って均衡を崩し、あやうく転びそうになった。
「な、なんなんだ急に。驚かすな」
「ごめんなさい。でも、心に思ったことを素直に述べてみただけです。初対面のときは、なんて無愛想な人なんだろうって思いましたが、リヒトさんはやさしいです、すごく。相楽の世話も、きめ細かいですし」
「褒め殺しか。俺は人間を相手にするよりも、馬のほうが得意なんだ。おだてても、なにも出ないぞ」
「分かっていますってば。見返りは期待していません。ただ、嬉しくて。なんでも話せる人ができて」
空は薄曇り。地には雪。菜月とリヒト以外には、誰もいない。静かだった。ふたりは向かい合っている。菜月は笑顔で。リヒトは照れている。
そのとき、砦の方向から人が走ってきた。
「リヒトさーん、お姫さん!」




