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10 現場は厳しく

 リヒトに連れられて到着したのは、窪地だった。三方を山に囲まれている。吹き溜まりとなって、風と雪が容赦なく落ちてくる。きつい。かなりの難所だった。

「ここは、砦の第二候補地だったんだが」

 街道から外れているという理由で、この地は要巡回地点に格下げされた。ただし、南の一方向だけはぽっかりと空いているので、窪地に集まった風がすべて南……都方向にすっぽりと抜けてしまうという。雪で胸壁を作ろうとしたが、作業は途中で止まっていた。人手が足りないからだ。風か雪、せめてどちらかだけでもやんでくれたら仕事がはかどるのに、菜月は祈るような気持ちになった。

 リヒトは剣を抜いた。よく使い込んである、長めの剣だ。菜月も剣を用意する。

「来る風来る風、すべてに対応していたらきりがない。より強いものを見極めて、潰すんだ。風の合間には、雪を固めて胸壁を高くすること」

「はい」

 指示された通り、菜月は強い風を中心に返していった。ときおり、複雑な動きを見せる風が菜月の剣を翻弄した。あやうく、剣を奪われそうになる。あわてて剣を握り直す。都ではこれほど執拗な追跡を必要とする風は吹かなかった。緊張はほどけない。

「表情、固いぞ菜月」

 前方を見据えたまま、リヒトが言い放った。

「私の顔を見もしないで、そんなことよく分かりますね。第三の目でも持っているんですか? それに、風異をやっつけるのに、顔の動きは関係ないと思います」

「息が上がっている。つらいなら、休憩しろ。昨日到着したばかりで、疲れが残っているんだ」

 気がつかないうちに、菜月は肩で息をしていた。寒さは気にならないけれど、風異の動きを読み切れないぶん、余計な神経をすり減らしていたらしい。

「だいじょうぶです。まだやれます!」

 菜月は手で雪の壁をぺたぺたと固めながら宣言した。

「はじめから無理するな」

「都を、帝を、お守りするためです。私は、やります」

「先帝の遺訓を覆し、帝が開国を指示すれば、風異なんてすぐに消えると思うがな。それを進言する度胸はないのか」

「いくらリヒトでも、帝の悪口は許しません」

「ふーん。帝のこと、好きなのか」

 リヒトのことばが、菜月の胸にぐさりと刺さった。

「ええ。好きです。敬愛しています」

「男としても、か」

「はい、大好きです。でも帝は、姉上の婿殿です。この気持ちは、絶対に隠さなくてはならない恋です。私は、女御も大好きです。今の関係を、距離を崩したくありません」

 剣を構えながら、菜月はまくし立てていた。正直に言っていて、なんだか、ほろろと泣けてくる。

「やっと、本性をあらわしたな。菜月」

 えっ、と思った菜月はリヒトの横顔を眺めた。その間にも風異が襲ってくるから、剣で返す。

「北の砦を好んで志願するやつなんかいない。ましてや女子が送り込まれてくるなんて、夢みたいな話だ。帝は、お前の本心に気がついていらしたのではないか。そばにいたいけれど、離れていたいという矛盾した思いに」

 帝が、気がついて、いた? まさか。承香殿では穏やかな笑みしか浮かべてこなかったのに。帝と義姉のうるわしい仲を、妹として見守ることしかしてこなかったのに。帝には、知られていた? そんな。

「俺は、帝にお会いしたことがない。すべて憶測だ。ただ、お前のつらそうな姿を見ていられなかったんじゃないかな。北の砦でなら、心機一転できると信じて」

 リヒトの剣さばきを見るのは初めてだった。カズヤのように力で押すでもない。菜月のように受け流すでもない、不思議な剣だった。剣がまるで生きもののように、絶え間なく脈動していた。リヒトの命じた通りに、忠実に正確に動く剣が風をさばいてゆく。計算された剣だった。

「俺の剣はつまらないだろ。遊びがないって、カズヤには言われた」

「いいえ、きれいです。とても正確で、緻密な剣ですね」

 風異を見ていれば、目測でだいたい分かる。力のさじ加減、剣を振る頃合い。リヒトの剣には無駄がない。これがカズヤあたりだと、見ている者を驚かせようとか、少し大げさに切ってやれとか、余計な雑念と欲が働いてしまう。その動きはとても派手だから見ていておもしろいのだけれど、任務に没頭していると言いがたい。剣の使い方には性格が出るものだ。

「剣は見せつけるためのものではない。生きるための、手段だ」

 歳も性別も、生まれた境遇も違うのに、リヒトは菜月と同じことを考えていた。嬉しい。都から離れた土地で、同志に出逢えるとは。菜月は涙ぐんでいた。

「か、風が沁みました。目に」

 あわてて菜月はあふれそうな涙をごまかす。まばたきを繰り返すうちに、涙は氷になって足もとの雪の上に落ちた。

「危ない、菜月っ」

 決して気を緩めたわけではないのに、雪塊を含んだ風が横から菜月を襲った。避けきれない。菜月は身構える暇もなく、息だけを止めた。風だけならば、当たってもどうってことはない。だが、岩のように硬い雪塊は怖ろしい。頭など、打ちどころが悪ければ死さえあり得る。

 雪塊と菜月の間に、リヒトの剣が滑り込んだ。リヒトは、剣で雪塊を粉々に叩き割った。細かく砕けた雪は、光を反射しながら四方八方に飛ぶ。まるで虹のように輝きを保ちながら。

「……きれい」

 菜月は見とれていた。害だとばかり考えていた風異が、こんなにうつくしいとは。

「見とれている場合じゃないぞ。ほら、次」

 リヒトの掛け声とともに、正気を取り戻した菜月は剣を構え直して風異と戦った。風はいくらでも生まれて来る。きりがない。けれど、風異がよほど強くない限り、手を抜くこともできる。それでも、リヒトの腕は休まなかった。微風でも、たくさん集まれば都を襲う烈風になる。そう言って、夢中で切り続けた。

 一刻ほど経ったころ、リヒトが腕を止めた。

「そろそろ、いったん戻るか。風が落ち着いてきた」

 雪は降っている。寒いはずなのに、菜月の身体はすっかり上気していた。

「まだできます」

 食い下がる菜月を、リヒトは否定する。

「いや。この風切り作業を、昼過ぎと夕刻にもやるんだ。場合によっては夜も。できたら、さらに高い胸壁も作りたい。風異は見えない敵のようなものだ。現場に立ったら休むことは許されないが、適度の休憩は入れないと。しかもお前は、今日が初めての任務」

「でも、まだ戦えます」

「上司の命には絶対従うこと。この寒さだ。体力低下の果てに、遭難でもしたらどうする」

 まだ、じゅうぶんできるのに。菜月の身体は寒さに強い。少しでも多くの風を撃退し、都を守りたい。なのに、リヒトは菜月をひどく気遣っている。不満をぶつけそうになったけれど、黙って黒い背中を追いかけた。

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