1-7
「誰よ、あの女……!? どこの泥棒サーベルタイガーじゃいッ!?」と人目を憚らず嘆くものだから、さすがに玲亜も美沙貴を宥めた。
「落ち着くなって! そりゃ私もビックリだけど、ここ駅の真ん前なんだしさ」
美沙貴はほんの少しだけ冷静になり、息を整えた。
最愛の弟が姉たちに一言も告げずに出掛けたので様子を見に行くという建前でバレないように尾行していたのだ。
一定の距離を保つことに細心の注意を払い、世田谷代田駅から新宿駅まで、小田急小田原線の電車の中でも息を殺していた。
「ふぅ……んん〜〜、拓弥が姉に黙って女と遊ぶとか世も末じゃんかっ!! 弟の人生はお姉ちゃんのものじゃないのっ!?」
「拓弥が聞いたら殴られそうなこと言ってる……」
「こほんっ、そもそも拓弥を尾行しようとしてたの玲亜ちゃんじゃん! その拓弥がデートとか、驚かないの?」
玲亜が拓弥のせいで顔や服が濡れてしまったのは今朝の出来事。玲亜はそれに仕返しをするつもりでいたが偶然拓弥が外出するところを見かけ、仕返しとして街中で驚かそうと思い跡をつけたのだ。
美沙貴は面白そうという理由で、同行したに過ぎない。
「そりゃ〜ね、ビックリしたよ!」
「でしょ!? しかも拓弥と一緒にいた女の子さ、めちゃくちゃ可愛かったよね……」
「うん、可愛い子だったね」
「……しかも、服の上からでもわかるくらい……おっぱいが大きかった……」
「美沙貴ちゃん、どこの見てんのさ……」
「なんだしッ、ぺちゃんこバカにしてんのかッ!? あのアマァーー!! あのデカいのでうちの可愛い拓弥を誘惑して受け子とかさせるんじゃ……!?」
「闇バイトじゃんそれ!? 拓弥も私たちもお金には困ってないでしょ」
「うーーむ……玲亜ちゃんさ、なんでさっきから冷静なの?」
美沙貴は我を忘れて動揺していたが、玲亜は心の乱れを落ち着かせていた。
玲亜は美沙貴よりも弟と一緒にいた少女の姿をよく見ていたのだ。
「美沙貴ちゃん、覚えてないの?」
「ふぇっ? 覚えてないって……」
まったく覚えている感じがないのは、美沙貴の間抜けな顔を見れば明らかだった。
「ほら、鼓ちゃんだよ! 近所に住んでる」
「鼓ちゃん……え、まさかあの拓弥と同い年の弓野鼓ちゃんっ!?」
美沙貴は周囲の視線などまったく意に介さず大きな声を上げた。
一応サングラスをかけているが立場的に一般人ではないため人が集まる場所で目立つと面倒なことになるかもしれない。
呆れながら「もうっ!」と不機嫌になる玲亜に美沙貴は、
「いやいやいやっ、弓野鼓ちゃんって、あんなに可愛くておっぱいデカかったっけっ!?」
と、目を大きくした。
「おっぱいしか見てないよね!? ま、たしかに大きかったけどさ」
「いやだって、あの子を最後に見たの、記憶が正しければ拓弥が小学生だったときだよ!」
「てことは鼓ちゃんも小学生だね、見たときは。私もそんなに会うわけじゃないけど、でも顔を見て鼓ちゃんだってわかったよ」
記憶が曖昧ではあるが、二人揃って弓野鼓という少女の成長ぶりに驚かされている。
二人の弟である拓弥と鼓は当然同い年であり、通っている学校も同じなので幼馴染という間柄。しかし年齢が上の美沙貴や玲亜は近所ということもあり知ってはいた。
美沙貴が先ほど見かけた少女を弓野鼓だと認識できなかったのは、顔よりも他の部位に意識が集中していたこともあるが、それほど深い関わりがないのが大きかった。
「一応さ、私たちも知ってる子じゃん。仲良さそうだけどあの子は拓弥にとっては幼馴染なわけだし、たぶん心配ないんじゃない?」
玲亜の小さな笑み、それには随分と余裕が孕んでいた。
しかし美沙貴は、眉を顰め難色を示す。
「そうかなぁ……。幼馴染ってさ、実際に恋愛だと有利だったりする?」
「それはわからないけど、仲良しって関係の枠を越える難しさはあるんじゃないの?」
「それか、それじゃ気にしないでいいのかな……」
玲亜の言葉にある程度の納得はできる。それでも美沙貴が顔を顰め続けるのには理由があった。
「……鼓ちゃん、私たちから見てもすごい可愛いよね。おっぱいデカいし」
「さっきから何回おっぱいって言うの……」
「わかった、とりあえずおっぱいは置いとくけど。あんなに可愛い子が彼氏いないってことあるかな」
「え、そう言われると……」
玲亜はおそらく大丈夫だろう、という程度の根拠で心を落ち着かせていた。しかし美沙貴の疑問には同感だった。
やや困った顔をしている玲亜に美沙貴は少し間を置いて、
「たとえば彼氏いるとするじゃん? 彼氏いるのに幼馴染とはいえ他の男子と二人で遊んだりすると思う?」
声色を少しだけ落として訊ねた。
二人とも弓野鼓という少女を知ってはいるが多くを語れるほど知らない。そのため僅かな時間で見た印象からでしか評価できない。
「うーん……、そういう感じには見えない、かな」
「でしょ! 可愛いからいてもおかしくはないと思うよ。でもいない場合、好きでもない男子に自分から声かけて一緒にどこか行くことある?」
「……ない、かな?」
考えているうちに玲亜の頬には薄らとした汗の線が浮かんでいたが、それは春の気配を忘れた暴れん坊の太陽のせいではない。
玲亜の呼吸の僅かな乱れ、美沙貴の目はそれを逃さない。
「玲亜ちゃん、どうする?」
その問いかけに玲亜は血の気の引いた顔を向ける。
「……神様、私たちの弟にチートヒロイン与えるつもりだ」
その言葉の意図を汲み取るのに、美沙貴は数秒も必要としなかった。
「玲亜ちゃん、私たちの手で終止符を打とう。昨今のチート系ブームに!」
「……うん!」
拓弥は自分の跡を追う二つの影に、まだ気が付かない。