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「……で、何やってんだよアンタは」
不機嫌になるのには、当然それだけの理由がある。
二度あることは三度ある、という諺は誰もが知っているだろう。二度起きたことは三度目があるから注意しろ、みたいな意味で通るだろう。
迂闊だった。五度目の可能性にもっと早く気付くべきだった。
「あはっ、あはははは〜〜」
誤魔化すように片目を閉じて頭を掻くこの女は、母親を除けば我が家で最年長だ。姉妹の長女、杏果姉さんが許しを乞おうと身を縮めている。
「いやあのね……ちゃうねん。気持ち良さそうなお布団があったらね、だからダイブしてただけだもんっ!」
気不味そうに言い訳を始めるが、部屋に戻って真っ先に見た光景が自分のベッドの上でうつ伏せになっている再燃チョの姉の姿だったのだから、弟的にはトラウマと表現して差し支えない。
あと俺たち全員東京生まれの東京育ち、下手な関西弁が火に油を注ぐ。
「自分の部屋の布団でやりゃいいだろ」
「だってぇぇ〜〜! そもそもね、拓弥の部屋の扉開いてたんだよ。閉めなかった方にも落ち度があると思います!」
「金庫が開いてたって理由で銀行泥棒を許す人間がいたら姉さんならどう思う?」
「……ごめんない」
ほう、素直に謝れるな。思ってたより良い子じゃないか。二十五歳の大人だけど。
「いや待って! あたしダイブしてただけだよ、別にエロ本とか見つけても盗まないし! こういうのが好きなんだぁ〜って感じでスマホで撮るくらいはするかもだけど」
「盗むより悪質だろっ!?」
断っておくと俺も家庭環境などを除けば普通の男子高校生だから、その手の物に興味がないと言えば嘘になる。
ただ仮に持っていてもこうして姉たちがちょっかいを出したりすることがあるので、たとえばベッドの下に置くとかはない。
「そもそも勝手に入るなや! 閉め忘れてたのは俺の落ち度だったけどよ」
「あたしはちゃんと用があってここに来たんだし! 渡したい物があったんだよね」
すると杏果姉さんは足元に置いてあった紙袋から「これあげる」と言いながら取り出した物を俺に渡してきた。
「……パン?」
「そうそう、パンパン」
一応ビニールの袋で包装されているが、その中に手のひらサイズの丸い形をしたパンが入っていた。
「随分と小っちゃいな、このパン。どこで買ったんだよ」
「違うよ、手作りよ! 手作り」
「……弟に食えと?」
「喜べよっ! 可愛い弟の分もちゃんと用意したんだからね!」
可愛こぶって頬を膨らませて不機嫌になる杏果姉さんだが、弟不在の中不法侵入するような輩から貰った物を疑いもせず口に放り込むなんて、このご時世自殺行為に等しい。
目を細めてビニール越しのパンのような物体を注意深く見てみると、外見は丸い形をしたパンだ。特別怪しい点はない。
「これは……普通のパン、だな」
なんの変哲もない、極々普通の小麦色をしている。おそらく誰が、どの角度から、どう見ても、これはパンだ。間違いない。
「そんなに怪しむことないじゃん」
「なんで作ったんだよ? 姉さんたち誰一人として料理とかしないのに」
「うぐっ、いちいち厳しいこと言うわね……。こほんっ、レギューで出てる番組の企画で作ろうってことになって作ったの!」
「ああ、そういう企画ね」
自分から作ったわけじゃないらしい。
その手の企画でもない限り、姉たちは包丁もフライパンも握らない。我が家では家事代行の人たちが用意してくれることが基本なので積極的に料理する必要がないのだが、それでも料理得意なのが一人もいない。むしろ本人たちそれをネタにしているふしすらある。
俺はたまにだが自炊する。気分転換も兼ねてだ。
「ささっ、遠慮しないで食べてみてよ」
「さっき朝食用のゼリー食ったんだけど」
「ゼリーなんてほぼ液体じゃん! 男の子なんだし食べれるでしょ?」
ちなみにゼリーは正確に言えば液体と個体の両方の性質を持つゲルと呼ばれるものらしいが、今そんな豆知識はまったく必要ない。
俺の腹の中には少し前に食べたゼリーが収まっているが、一個食べただけなので余裕はある。
「あーもう、食えばいいんだろ」
面倒臭さに負けてそう言うと杏果姉さんは「やったぁ〜!」と柔らかい声で無邪気に喜んだ。最年長だが、こういうとき子どもっぽい人だ。
「……じゃあ、いただきます」
ビニールの小袋から取り出したパンを目とほぼ同じ位置まで持ち上げて改めて見てみると、本当に普通のパンだった。
少し指に力を加えて押し込むと、弾力を感じる。見た目に関しては悪くない。
「ほらほら、早く食べてみてよ〜」
ワンチャンこのまま関心深い雰囲気を保ちながらパンを観察する人を演じていれば食べなくても良いのでは、とか思ったがさすがに無理そうなのでやめた。
口に持っていき、そして含む。
そして何度が噛んで舌の上で転がすと____、
「普通だな」
見た目はパンだけど実はお豆腐でした、みたいなサプライズはない。見た目の通り、パンの味だ。
「ちょっ、そんだけ〜!? もっと感想あるでしょ」
「……不味くはないぞ。雪山で遭難して何もないところにこれ出されても文句は言わないレベルだ」
「その状況だとだいたいの食べ物は文句言わないレベルだよっ!?」
ハッキリ言えば、特別美味いわけじゃない。このパンが人気店の看板商品で一日何個も売れるようなら世の人々の味覚が狂ったのか、それとも流行りもしない商品を推すメディアの印象操作に引っ掛かるほど頭が狂ったのか。
だが不味くもない。ぜんぜん食べれる。
「まあ小さいから小腹が空いたときにちょうどいいかもな」
「うーん、それはいちおう喜んでいいのかなぁ……」
褒めてやったのに怪訝な顔をする杏果姉さん、なんてわがままなやつなんだ。
小さいのもあって完食に時間はかからなかった。握っていたビニール袋をクシャッと丸めて捨てるためにゴミ箱を置いてあるところまで近付くと、
「パンは美味しかったってことでいいんだよね!」
と、杏果姉さんが突然叫び出した。
「なんだよ、突然」
「だってちゃんと食べてくれたじゃん、ということは美味しかったって理解して良いんだよね?」
随分と神妙な面持ちだ。ググッとこちらを食い入るように見ている。
「だから雪山遭難者にはゴールドだよ」
「もーうっ! そういうのじゃなくってっ!! 普通に美味しかったかどうかだよ? たとえば『普通』とか『不味くはない』はナシだかんね」
「普通だよ」
「即答かいっ!? ホント融通利かへんなこの子はっ!!」
ぷんすこぷんふこと顔を赤くしてらっしゃるが、本当に普通のパンなんだ。味といい見た目といい、普通だった。
ただ本人は美味しいと言ってもらいたいらしい。本当に面倒臭い。
「はぁ……そうだな、星 五かな」
「えっ、それって五段階評価で最高ってこと?」
「なに言ってんだ、十段階評価で星五だよ」
「口コミレビューって普通は五段階が多いよねっ!?」
繰り言が多い杏果姉さんだが、十段階あるうちの五番目なんだから決して悪くないと思う。誰も一とかニとまでは言っていない。
「伸びしろがあるってことなんだよ。だから喜べよ」
「はっきり美味しいって言ってもらいたかったんだよ、あたしはさ〜」
「なんでんなこと求めんだよ」
「あー実はね、家族に食べさせて美味しいって認められたら番組からご褒美が出るってことになってんだよ」
「そういうことかよ」
ご褒美欲しいから必死こいて食わせようとしたわけか。でも残念だったな、本当に美味しいなら素直にそう言っていた。最高の十に届かなくても、せめて八以上に達していればな。
「てか、俺以外にも食わせたのか?」
「うん、なんなら拓弥より先に食べてもらったし。昨日の夜だね」
「……反応は?」
「みんな口を揃えて『……美味しいよ』って笑ってくれたよ」
「その前例ある状態で俺に食わすな」
「だってだってぇぇ〜〜!! 拓弥ならワンチャン行けるかもって思ったんだよっ! あと普通に全員に食べてもらいたかったしね」
「なるほど、そんで全滅ってわけかよ」
最後の最後で俺に望みをかけたわけか。
胃には軽いが荷が重い。
心なしか杏果姉さんが俺に向けている瞳が、うるうると水気が増している気がする。
俺が悪いよか、これ。
「あぁぁーーーーっ!?」
突然、うるさい声が鼓膜を揺らした。
耳障りな方へ振り返ると、驚いた顔をした玲亜姉さんが俺に向かって指を伸ばして突っ立っていた。
「玲亜姉さん、一体なんだよ」
「なんだ玲亜ちゃんか、驚かせないでよね」
俺と杏果姉さん、二人揃って大声を出した玲亜姉さんの方を見ると、
「杏果ちゃんひどいっ! 勝手に拓弥の部屋を荒らすなんてっ!!」
と、玲亜姉さんは何故か勝手に部屋に不法侵入していた杏果姉さんを糾弾し始めた。俺じゃないくせに。
「俺の部屋だよ、ここ。玲亜姉さんが怒るのおかしいだろ……」
そう呆れ返る俺に続けて、
「そうだよ。ここは拓弥の部屋なんだし、つまり拓弥とあたしの部屋なんだからね!」
と、意味不明なことを重ねてきた杏果姉さんにさらに呆れてしまった。
「何言ってるのっ!? 拓弥が可哀想だよ、拓哉の部屋は拓弥と私の部屋だしっ!」
「いやいや、玲亜ちゃんこそおかしいよっ!? 拓弥の部屋だから玲亜ちゃんこそ部外者じゃん、玲亜ちゃんなんかエビフライのしっぽだかんねっ!」
俺の部屋で、俺の部屋なのに自分の部屋でもあるとか、俺の意思ガン無視のドッチボールを繰り広げるクソ姉二匹。
どうでもいいが杏果姉さんはしっぽ食べないタイプなんだ。俺もだ。
「二人して朝っぱらからうるせぇよッ!! 俺の部屋なんだから二人とも部外者だよ、ケンカすんのはいいけどせめて場所を移してくれないか?」
言うと、向かい合って火花を散らしてた二人はスルッとシンクロして俺の方を向いた。
ほぼ同時に言葉もなく阿吽の呼吸を見せつけるの、少しキモいと思ったが余計な一言は胸に留めておこう。
「拓弥っ! 拓弥はどっちと同棲生活送りたい?」
「うんうん、わたしor玲亜ちゃん、どっちと一緒にご飯食べたりお風呂入ったりして一生を終えたいの?」
「どっちもキショいから世間的に抹殺して独身でも悔いのない充実した人生になるように頑張るよ」
「「即答でキショいとか言うなっ!!」」
またシンクロした、姉妹だけあって仲の良いこと。
個人的にはキモいという言い方よりキショいの方が攻撃的で蔑んだ感じがあるのだが、身内相手に使うには強すぎたかもしれない。
次からはキモいという表現を用いよう。
「あのね拓弥、わたしも玲亜ちゃんもまあまあファンを抱えてるんだよっ!?」
「そうだよ! その人たちからすれば今の話ってすごい夢みたいな羨ましいものなんだよっ!?」
確かに、この人たちにはファンがいる。
二人だけじゃない、ここにはいない美沙貴と茉奈姉さん、明日夏姉さんにもファンが存在するのだ。
姉たち全員にいて俺にはいない。理由はシンプル、俺はあくまでも一般人だからだ。
「ならそのファンたちと同棲してやれよ。夢を叶えてやればいいだろ」
意識的に嫌味っぽく言ってやった。
するとまた二人揃って、
「「ファンと同棲とか絶対無理でしょっ!?」」
と、目を大きく開いてシンクロした。
この二人は似た者同士なんだな、色んな意味で……。