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1-4

 春の木漏れ日眩しく、一人で過ごすにはあまりにも広過ぎるリビンンルームでぽつりとゼリーを平らげて、手を合わせていた。

 時刻は九時をちょうど過ぎたところ。

 二度寝を妨げられたのが確か七時四十五分ごろ、もう一時間以上経過していた。

 楽しい時はあっという間と言うが、俺にとってはこの朝の一連の事は決して楽しいものではない。

 美沙貴を追っ払い、玲亜姉さんの顔面に水をぶっかけ、そして茉奈さんはどこかへと姿を消した。どうせその辺にいるとは思うが。

 冷蔵庫の中でよく冷やされたゼリーは喉越しが良く、つるんと喉を滑らかに通る。使用したのは使い捨てのスプーンであるため、わざわざ洗う必要はない。食べ終えた容器と共にゴミ箱へ捨てるのみ。


「……歯でも磨こう」


 再び洗面台へ向かう。幸い、人の気配はない。

 安全確認を終え、歯ブラシを取り出して適量の歯磨き粉を付けて水に濡らし、口の中へと放り込む。

 おそらくだが、玲亜姉さんなら今頃は自分の部屋に居るだろう。服が濡れてしまったせいで着替える必要があるのだし間違いなかろう。一応、後で謝るつもりなのだが、やっぱり謝るのやめようかな。

 歯を磨き終えると特にやる事がない。

 リビングへ戻り何気なしにテレビを点けたとしても、この時間帯は情報系の番組しかやっていないし正直つまらない。日本も平和な国とは呼べなくなっていて、まあまあ物騒なニュースが踊っている。

 そんなもの、いちいちチェックするのも気が重い。


「どれもこれも、似たような番組ばかりだな」


 案の定テレビを点けるが、やはりつまらない。

 普段、テレビを観ることがあまりない。

 偉そうなコメンテーターだの、ご意見番だのと大層な肩書きを持った血の気のない顔立ちが並んでいるだけで、その顔ぶれが違うということ以外どのチャンネルも似たようなものばかりだ。

 チャンネルを次々と替えてみるが、やはりこの時間帯の情報系バラエティーは差別化されていないように思える。

 どれもこれも似たようなものばかり、K-POPアイドルかよ。

 大して流行っていないものをいかにも流行っているかのように『今大人気の____』と胡散臭い謳い文句でナレーターや女子アナウンサーが大袈裟に紹介、それについてこれまた胡散臭そうな残りの人生少なめの司会者やコメンテーターがネチネチとケチをつけるだけ。

 昔のテレビを知らないが、YouTubeやSNSの方が身近なので、古い媒体は肌に合わないのかもしれない。

 情報の一方通行を消して、ふと窓に近付く。


「良い天気だな、今日は」


 朝から晴れ晴れとしている。

 家の中だから暖かいと感じるが、暑いといった表現の方が合いそうだ。

 カーテンを貫くお日様が本当に元気だ。


「外の空気でも、吸おうかな」


 外の空気を吸いたくなった。

 このままリビングで過ごしていても何も面白くない。散歩するほどの気分ではないが、春の優しい空気を身体からだいっぱいに感じてみたくなったのだ。



 ◇



 我が家には贅沢にも中庭がある。かなり大きい。

 ご丁寧に池まで存在している。俺が小さな頃は鯉が何匹か泳いでいたが、今はただの大きな水池である。

 春の優しいくも激しくも感じる日差しを受けて、両手を上げ背筋を伸ばす。


 ーー悪くない。


 それどころか、とても良い気分だ。

 朝の日差しを浴びながらこうするのも悪くない。おかしな姉たちにからかわれることもなく、自然の恵みを肌に受け身体をピンと伸ばすことがこれほどまでに気持ちの良いものだとは。


「ヤングボーーイ!!  グッモーーーーニン!!」

「うわっ!? 明日夏あすか姉さんか……!」


 忘れていた。俺にはまだ、姉がいたことを。

 気持ち良く背筋を伸ばす弟の背後から突き刺すのは、ハイテンションで弾みのある声。

 もちろん美沙貴のものでも玲亜さんのものでも、そして茉奈姉さんのものでもない。

 眩しい太陽の光と暖かさに似合う元気で明るく溌剌とした実に爽やかな声である。だが、俺にはこの爽やかなであるはずの声が、絡みづらくも聞こえるのだ。


「おっはよぉぉぉぉーーーー!! わざわざ中庭に出てくるなんて、ひょっとして踊りたくなったの?」

「おはよう、明日夏姉さん。悪いがそんな気分じゃねえし……。それと、相変わらずテンション高いな」


 明日夏あすか姉さんはクシャッとした笑みを浮かべて俺の肩をやや強く叩く。

 この人とポジティブに紹介するなら明るい、ネガティブな表現に変えるとウザい。顔を含めてウザい。

 朝っぱらから大きな声ではしゃいで、耳が痛くなりそうだ。一体どうすれば、朝早くからこんなにテンションMAXの状態でいられるのだろうか。

 我が家で最もアクティブであるこの人がこうして中庭で身体を動かしているのは、決して珍しいことではない、


「何言ってんのさ! こんなに晴れ晴れとして気持ちの良い朝なんだよ。テンション上げて行かなきゃ損しちゃうよ!!」

「いや、損はしないと思うけどな」


 早速、ついて行けない。ぶっちゃけ苦手だ。嫌いではないが。

 元気があることは大変結構なことであるが、この人の場合自重しないでエンジン全開なんだよな、


「朝からそんなにハイテンションで疲れないの?」

「うん、全然疲れないよ。だって楽しいじゃん」

「楽しいって、何がだよ」

「いや、楽しいでしょ。太陽見てるとそれだけでテンション上がるよね!! 野生の勘? 的な」


 勘どころか言動が野生化してる気がする。


「そんなんでテンション上がるんならいつ休まるんだよ。ハゲが近くにいたらひと時も休まらねえぞ」

「そう言いなさんな。拓弥も明日から高校生なんだしさ、シャキッとしないと!」 


 そう言いながら、明日夏姉さんはまた俺の肩を叩いてきた。女子らしい叩き方というより、おっさんみたいな強さを感じるのは何故だろう。

 中等部時代、こんなノリで生徒に接して人気を獲得しようとしたら体育教師がいたけど、生徒からあまり人気なかったなぁ……。別に恨んではいないが。


「何が明日夏姉さんの原動力になってるんだろうな。俺、明日夏姉さんが大人しくしてるところってあんまり見たことねえかも」


 言うと、わかりやすくむすっとした顔が距離を縮めてきた。


「むうっ、それは失礼な! 私だって素はこんなんだけど大人のレディーなんだぞ! セクシーな雰囲気だってやろうと思えばできるからね!」

「最も大人のレディーからかけ離れた奴が言う台詞だろ」


 さらに説得力をなくしているのは本人の格好である。長袖ジャージの下に厚めのTシャツ、身体を動かすには適した格好であるがそれを見て"セクシーな大人のレディー"と言うには無理がある。


「私は騒がしいんじゃなくて、元気娘なんだよ!! つまり明るくてベリーベリーキュートで、騒がしくしてるわけじゃないんだよ。おかわり!?」

「おわかり、だろ」

「むうっ、ノリが悪いなぁ……。そんなんじゃ女の子からモテないぞ! せっかくイケメンに生まれてきたのに」


 全く、余計なお世話だ。

 この人まで玲亜姉さんと同じようなことを言うのか。明らかに褒めているのがわかるのに、嬉しくもないし言葉が詰まるのは全国の姉を持つ弟あるあるだと俺は信じたい。


「ところで、朝から中庭で何してたのさ」

「朝の運動を兼ねてダンスの練習だよ。天気も良いしね」

「大変だよな。"姉さんたち"はダンスまでしないといけないんだよな……」


 悪意はない。ただ、憐れみに近しい感情が口に出ていた。


「あぁーー!  馬鹿にするなよなぁ!  ダンスって言ってもちゃんとしたダンスだもん。 いつもみたく悪ノリでやるようなふざけたダンスじゃないもん!」

「自覚あるんかい。自分が悪ノリしてることに」


 この人にはそういう自覚があるなら、他の姉たちはどうなのだろう。おそらくないな。そして、明日夏姉さんは自覚があってもそれを改善しようとしないタイプだと弟としは思う。


「まあ、頑張れや。俺は戻るから」


 足早にその場を離れる。もう少しだけ春の温もりを感じていたいが、まさか太陽よりギラついて危険な姉がいるのだし、弟という生き物が本能的に持つ生存本能がそうさせるのだろう。

姉と一緒にいることは、弟にとって何より過酷なのだ。


「せっかくだし私のダンス見学してってよ〜!」


 この女、俺を干物にする気か。

 春だけどこの天候で長く過ごすとまあ暑い、外の空気は吸ったからもう中に戻ろうと思う。


「気分じゃねえって言ったろ。姉さんもぶっ倒れないように気をつけろよ」


 それっぽいことを言い残し、足早にそこから離れる。


「照れちゃってさ。そんなんじゃ休み時間に好きな女子をダンスに誘って踊れないぞ」

「休み時間の短さを考えたら好きな相手をダンスに誘うの、非効率だろ」

「むっ、そうかな…? なんか高校生くらいの子だ学校で制服着て踊る動画よくあるよね? ああいうのってけっこう時間かかるんだね」

「ああ、多分姉さんが見た感じのは割と手間暇かけてるんじゃないか。教室で普通に踊り出すとか、他の誰かに教えてこっそり撮られてSNSに上げられたら、下手すりゃ人生詰むぞ」

「うわっ、拓弥って悲観的……」

「いや、引くなよ」

「でも、拓弥もよく自分で動画撮って投稿してるよね? 一緒じゃん!」

「姉さんは"よくイベントに来てグッズも買ってくれる普通のファン"と"何か報道があったら呪いのような怪文書を書き連ねる愚行を正義と信じてやまないオタク"を同列に見るか……」


 訊ねると、太陽のように明るかった明日夏姉さんの表情が一瞬だけ硬直した。

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