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「こんにちは、拓弥くん。ええっと、突然ごめんね……」
弓野は、少し緊張していた。
「弓野、いきなり来てどうしたんだ? てゆうか、弓野が俺の家に来るの、けっこう久々かも」
幼馴染だし学校でも同じクラス、ほぼ毎日顔を合わせているのに緊張している理由が今わかった。
弓野がこんなふうに我が家に来るのが、久々だったのだ。
事あるごとに、俺は彼女に対して長年の付き合い、つまり幼馴染という認識で接している。
俺と弓野は、今でも仲が良い、と思う。
が、記憶が正しければ彼女が我が家を訪れたのは、中等部時代、テスト前に勉強会を開こうと誰かが言い出して、その催しが我が家であり、それ以来彼女が訪れたことはないはずだ。
「あ、あのね、この間みんなでお花見に行ったでしょ。 そのときに撮った写真をプリントアウトしたから……」
弓野は小さなショルダーバックを肩から下ろしていた。その中に徐ろに手を入れて白色の紙製の包装を取り出しは「はい、これ」と俺の前に差し出した。
「もしかして、わざわざこれを渡すために?」
彼女は親切だ。心優しい性格をしている。姉たちとは大違いだ。
この間クラスのみんなで花見をしたときの記念写真をわざわざ届けてくれたのだ。
わざわざ手を煩わせてしまったのではないかと小さな罪悪感が芽生えたが、その芽は開花前で短な命を終えた。
「ううん。拓弥くんと私、お互いのお家が近いから。お散歩してて拓弥くんのお家の前を通ってちょうど良いかなって。それにね、一日でも早く渡してあげたいなって思って……えっと、迷惑じゃなかったかな?」
こちらを捉える大きな瞳の持ち主は、表裏性のない柔らかな笑みを浮かべているからだ。
「……いや、ありがとな」
礼を伝えると、彼女の表情が一変する。
感謝を伝えて気を悪くするはずがないが、俺の目をしっかりと捉えていたはずのまっすぐな強さと神秘的な潤みを潜めた大きな瞳は、何故かやや横を向き始めたのだ。
頬は朱いと表現するにはオーバーだが、まさに先日クラスの連中と訪れた花見スポットの桜の木からゆるりらと泳ぎ舞う花びらとよく似たうっすらとした色に染まっている。
「……お礼なんて別にいいよ。 ほら、用事があってね、それでその帰りに拓弥くんのお家の前を通ることになるから、だからその……ぜ、全然お礼なんて言わなくてもいいんだよ! 私が勝手に善かれと思ってしたことだから……」
この距離だ。
俺の目に疾患でもない限り、視認できることがすべてと言えよう。
それに、世田谷区内が夕陽に溶かされるのにはまだ時刻的に早すぎる。
はわはわと落ち着きのなさを露呈させる幼馴染からは、悪意の類のものはもちろん感じない。そもそも弓野はそういった人間ではないことは、旧知の仲でいる故によく知るところなのだ。
「……ええっと、それじゃ私はこれで失礼するね。写真も無事に渡せたし」
帰ろうとする慌ただしい姿をそのままにするのは、本能的に良くないと判断したのだろうか。
「ちょっ、待てよ弓野」
真っ白な太陽が活発な真昼、用を済ませたことで足早に自宅へと向かう彼女の行動原理はわからなくもない。
ならば、と俺は不意にこの時思ったのだ。
この暑い日差しに支配された中を歩いて写真をわざわざ届けてくれた親切や幼馴染を、このまま帰すのは如何なものかと。
徒歩数分程度のご近所同士ではあるが、暑い中をそのまま帰らせてしまうのは、悪い気がしてならない。
「え、何かな……拓弥くん」
親しき仲にも礼儀あり、だ。
弓野が俺にとって仲の良い幼馴染だからこそ、礼に欠くことをしてはダメだと自らを戒める。
幼馴染とて無碍に扱うことを俺は善としない。
「今日、外暑いだろう。どうせ近所同士だけど、せっかくだし少し涼んでいけよ。冷たいお茶くらいなら出せるし」
「……え、えぇぇぇぇっ!?」
弓野は、突如その場でやかんのように沸騰し始めた。
「いきなりどうしたんだよ? そんなに驚いて」
「ふぇっ!? あ、あの、その……ごめんなさい。いきなりでつい……」
「顔が少し赤い気がするけど、大丈夫か?」
外は本当に暑い。
まだ四月だ。それでも熱中症のリスクはある。
もっといえば、熱中症は冬でも起こり得るらしい。
見た感じ、そこまで重症に思えないが、心配してしまう。
「え、えっとね、いきなりで思わず驚いちゃったというか……」
「驚いた?」
「うん。だって、拓弥くんのお家にお邪魔になるのって、結構久々だと思うし」
なるほど、弓野もそう思っていたのか。
弓野だって年頃の女の子だし、幼馴染とは言え男が一人の家に入るのは抵抗があるというか、変に意識してしまうものだろう。
気遣いのつもりだったのだが、悪いことをしてしまったかも。
「ああ、もちろん迷惑じゃないならって話だよ。外暑いから、休憩でも」
「そんな! 迷惑だなんてこれっぽっちも思ってないよ! むしろすごく嬉しいよ! 拓哉くんの方から招き入れてもらえるだなんて!!」
「お、おう……。それなら良かったけど」
突然、元気になった。
と言うより、必死になっているように見えた。
弓野だが、幼馴染という間柄を無視しても顔立ちが本当に綺麗だ。
どちらかといえば女の子らしい童顔なのだが、時折見せる落ち着きのある綺麗な女性らしい表情と雰囲気を感じる。
そして、たまにだが、今みたく慌てた表情になることがある。
かと思えば頬が本来の白さを少しだけ取り戻し、表情は落ち着きを取り戻してきた。
「私の方こそお休みの日にお邪魔して、迷惑じゃないかな?」
頬にはまだ少し赤みが残っているのだが、気遣いの言葉は冷静なものだった。
幼馴染の誼だと思うが、俺のような男にも気を遣ってくれる優しい女の子だ。
「迷惑なんてことはねぇよ。俺の方から誘ったわけだし。弓野さえ良ければ、遠慮せず休憩でもしてくれよ」
告げた途端、嬉しそうに、でも少し恥ずかしそうに、そんな心情の現れか少しだけ目線を外した後、弓野は複雑にも思える表情で俺を真っ直ぐと見つめた。
「それじゃあ、お言葉に甘えて、少しだけ、お邪魔するね」