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【二〇XX年 四月二十九日 水曜】
東京都 世田谷区代田 稲本邸
今年の太陽は、随分と暴れん坊だ。
暑い。とにかく、暑い。
この暑さに悲鳴を上げているのは我々東京都民だけではない。日本列島全域、つまりほぼすべての日本人が汗を拭っている。
少なくとも関東全域は、季節外れの太陽によって夏日だ。
天気が良い、なんて耳障りの良い表現はこんな日には似合わない。
お天道様による暴力だ。
国民の代表である政治家、そのトップと言える総理大臣が自国民を苦しめる。なら、太陽も総理大臣のようなものだ。か弱き一般人たちが暑さで苦しむのを高みの見物でもしているのか。
四月も終わりを告げようとしている。
だが暴れん坊総理大臣は、梅雨すら吹き飛ばして夏を運んで来る。
「はぁ……太陽なんて凍り付けばいいのに……」
青い空で燃え続ける太陽に愚痴ったが、当然そんな言葉が届くはずもない。
まだギリギリ四月だ。
この春に何をしたか思い起こしてみると、春らしいことといえば弓野や槙坂たちと花見に行ったことだろう。
その日訪れたスポットだが、聞くに都内でもそれなりの花見スポットらしく、宙を舞い踊る桜の花びらを眺め、酒に呑まれる者、楽しげに弁当を口にする者、写真や動画を撮影して思い出を残す者などがいた。
各々《おのおの》が春というこの国の四季の暖かさを感じていた。
俺もその一人だった。
いつものメンバーに加え、この数週間あまりで仲をそれなりに深めたクラスメイトたちもいた。
思い出に写真や動画をいくつか撮影したが、各々のスマホだけではなく、カメラが趣味になりつつあるという弓野が持参したカメラで何枚か写真を撮ったはずだ。
今度、彼女と会ったら聞いてみよう。
ところで、今日は四月二十九日であるが、カレンダーにはこの日は休日を意味する赤字で表記がなされている。
今日は、【昭和の日】である。
昭和天皇の誕生日にこうして他の誰もいない……そう、あの忌々しき姉たちが一匹もいない快適空間に身を置き、昼前であっても堂々とリビングのソファーをベッド代わりにし、何事もないようにうたうたと緩やかなときの流れを満喫している。
姉の存在の有無に関係なく自分の部屋で過ごせば関係ないだろ、と言われるとそれまで。
だがそれは野暮だ。
姉たちがいない空間に、こうして小さな贅沢を求めることに癒しを感じわけだ。
疲れたときにベッドの上でぐうたらするのは実に気持ち良いが、それとは別の快感があるのだろう。
ソファーとは、人間の眠りにここまで適した家具だったのか。
大陸を最初に発見した人間、お前にはこんな身近な物に新たな発見をしたような些細な幸せがあったのだろうか。
大陸なんて随分とスケールのある物をわざわざ命懸けで探す必要なんてない。今の俺なら、その辺の石ころにさえ新たな癒しを見出せる。
が、やはり世の中は甘くない。
一つ残念なことを挙げれば、祝日である今日という日が水曜日であることだ。
次の祝日は土曜、それまでに通常の平日である木金をサンドイッチしている。
どうせ具材にするなら木金も赤字になるよう配置して頂きたかったが、そうワガママも言えない。
黒色の具材を食っちまえば、俺たち学生には嬉しい連休が訪れるのだ。
連休はどう過ごすか。
一応遊ぶ予定はあるが、それ以外はどうか。あとは適当にギターを弾くか、練習のために自由参加ということになっている部活には顔を出すつもりだ。
ちなみに姉たちは今日、奇跡的に全員仕事だ。まだ売れていない美沙貴も含めてだ。
邪魔者がいないというだけで、毎日のように使っているこのソファーですら、青空に浮かぶふんわり綿飴のようなクッションに思える。
それなりに前から我が家にあるので高級品と言えど使用感はあるが、決して珍しいソファーではない。使われている素材やそれを活かしたつくりなどが、"姉がいない"という最高の時と空間に花を添え、まさに極上の空間へと昇華させたのだ。
外は晴天、春らしくも暴れる太陽に汗水垂らす人たちの苦くなど知る余地すらなく脚を伸ばし、手を伸ばし、瞼を軽く瞑り、《癒し》を心身共に味わい尽くしている。
だから俺は今、水の上に、大きな大きな海の、それも波のない静かな海の上にソファーをボート代わりに浮いている、そんな気分なのだ。
繰り返すが自分の部屋ではなく、姉がいないというシチュエーションが贅沢さを演出するのだ。
ひんやりとひんやりと、心は確実に冷やされる。
命の鼓動を弱める、なんて物騒な話ではない。
堅苦しい表現を避けるのなら、ウザい姉がいないからいつもより落ち着くという話だ。
これでもう少し外が過ごしやすい天候なら、文句などなかったのだ。
気分が変な感じに沈んだところで時計を見ると、昼と呼ぶに相応しい時刻を長身と長針と短針が指し示してるではないか。
随分と、ぐうたらに過ごしていたらしい。
時の流れとは高校生にはわからないほど妙で、水の緩やかな流れをイメージしていたが、それは現実に目の前で時計が示す時刻によって打ち砕かれる。
振り返って、というよりも我に返って現実の空間の何気ない日常的なものを視認するだけで、ここはまったく別の場所へと変わるのだ。
一人で過ごす何もない平凡な日々は、俺にとっては珍しいとまでは言わないが、声優をしている姉の存在が影響して多いとは言えない。
腹もそこそこ減っている。
と言うより、外が暑いせいで涼しい室内でのんびりしていたから、物を食うための体力がそこそこある気がする。
今なら何でも食べてれる、そんな根拠のない自信が湧き出る液体のように溢れ返らんとしたとき、茉奈姉さんの顔を思い浮かべると嘘のように枯渇した。
こういうとき、姉は使えるのだ。
意外な新事実を前に内心喜んでるのだが、時間も時間なだけあって、空腹感はごまかせない。
今日はゆっくりとしていたい。
我が家で唯一の男ながらキッチンに立つ機会が最も多い俺だが、姉のいないこんな日ぐらいはゆっくりしていたいのだ。
◇ ◇ ◇
時刻だか、壁掛け時計の短針は『1』を過ぎていた。
食べる物のチョイスに困り一時間は経過したが、この一時間、あっけないというか、実に虚無な時間だった。
わかりやすく言えば、無駄にした。
おかしなことを考えると、身体は何故か動かなくなるというか、失せるのだ、やる気というものが。
心にエンジンはかからない。
俺の場合、燃料は何だと思うと、姉に対する対抗心とかストレスとか、あとはごく稀に、本当にごく稀に殺意とか、そういう類のものだらう。
なんて虚しいのだ、俺は。
何も作る気になれず、今からこの場を離れて近くのコンビニに行くつもりにもなれない。
というわけで、デリバリーを利用することにした。
ピザでもそばでもハンバーガーでも、アプリを使えば簡単に頼むことが可能だ。
何を食べようか迷った結果、ピサにした。
ピザを選んだ理由は特にない。
そういえば、『ピザはデブの食い物だよー!』と美沙貴が少し前にふざけながらに言っていたのを思い出した。
『チー牛』といい『ピザ』といい、何故現代人は自分たちより長い歴史がある美味しい食べ物の名前を侮蔑や嘲笑として用いるのか。
猛暑日で日傘を使うとそれを気取っていると笑う人間もいるけど、命を守るためのアイテムを使うのに笑う要素がどこにあるのだ。
チーズ牛丼といいピザといい、人間はそれを昔から美味しい美味しいと言って食べ続けていたはずだ。そもそもデブなんて何を食ってもデブだろ。
それを考慮すれば、美沙貴は人間としてなんと哀しいのか。
ピザやラーメンの残り汁を美味しそうに口にする茉奈姉さん、声優界の菩薩なのかもしれない。
とにかく、昼食はデリバリーのピザに決定したわけである。
そのピザなのだが、注文してから届くまで四十分近くかかるらしい。アプリの注文操作の画面のに赤字でそう記されていた。
ちなみに今回注文したピザ屋は全国にチェーン展開している有名店。三軒茶屋店での注文となった。
そう遠くないしな。世田谷は意外と広い。
そして時間的にそろそろ熱々のピザが届くはずなのだが、何かを待つ時間は長く感じるものである。
Mサイズの丸いパン一枚を待つ時間が、途方もないものに感じる。
本当に熱々なのかは別問題だが。あと具材も。
などと思い老けていたところに、インターホンの音が軽快に木霊したのだ。
「お、来たか」
一人で過ごすには余り過ぎるリビングに響き渡るインターホンのチャイム音、飢えた身体は自然とソファーからふわりと浮く。
インターホンだが、正確にはチャイムを押した人物の顔を認識するためのカメラが取り付けられているテレビドアホンだ。
確認のため、ドア脇に設置された親機のモニターを見る。
しかし、そこに映し出されたのは期待を別の意味で裏切る人物だった。
ピザ屋のデリバリーにしては華がありすぎるというか、女の子らしく、爽やかな格好をしている。
陽が射す下、明るく爽やかに映える白色の襟元にフリルがあしらわられた、女の子らしい柔らかな印象を与えるブラウス、フェイクレザーの茶色の細ベルト、その下はこれまた女の子らしい赤地に小さな花の模様をあしらったひらりと咲いたかのようなブルーム・スカートというコーデ。
透き通る白い手脚はまるで滑なめらかな雪原のようだ。
少女のような可憐さ、それとともに併せ持つ大人らしい落ち着きのある雰囲気、それでいて子どものようなあどけなさを感じる大きく澄んだ瞳は宝石のような輝きを奥底に孕んでいる……。
「……弓野!?」
他の誰でもない。
幼馴染であり、且つ俺が姉達以外で互いをよく知る仲と言える女子の姿が、モニター越しにこちらを見つめていたのだ。
訪れたのはピザ屋の店員ではなく、幼馴染の弓野鼓だったのだ。