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2-8

 特にやることがない人間にとって定番の行動第一位は、おそらく寝ることだろう。

 仕事もない、学校もない、誰かと遊んだり食事に行く予定もない、そんな状況で部屋にベッドがあれば人間からほぼ間違いなくその上にダイブする。

 うつ伏せになりふかふかのお布団と情熱的なキスを交わす、仰向けになって殺風景な天井と睨めっこをする、自然と睡魔が訪れていつの間にか夢の中……。

 俺も、夢の中にいたようだ。

 あの後部屋に戻り、やることもないので昼寝のつもりで瞼を閉じた。ただ昼寝にしては長いと気付いたのは、時刻を確認したつい先ほど。

 十七時半を少しだけ過ぎていて、もう夕方だ。

 窓ガラスから部屋に入り込むのは、明るいお日様ではない。昼間の芳ばしさは既になく、代わりにやってくるのは完熟したマンゴーのような色をした陽。

 天気が良いとこんな綺麗な景色を部屋の窓からでも堪能できる。絵の具では表現できないような完熟した色だ。

 今日から高校生になった、という事実を改めて思い返す。

 初日ということもあり、イマイチ実感出来てはいないが。

 春の夕方はまだ寒いが、今日は夕日のせいなのか、過ごしやすい。

 穏やかな精神状態でベッドと別れ、部屋から一歩出た途端、夕焼けに感じた感動が薄れてしまった。


「「さあ、パーティーが始まるよ!」」


 アニソンかアイドルの曲の歌詞みたいなことを揃って言いやがった。美沙貴と玲亜姉さんだ。


「……なんで俺の部屋の前で突っ立ってんだよ」


 玲亜姉さんはともかく、美沙貴の顔色がすっかり回復しているではないか。


「だって拓弥、勝手に入ると怒るじゃん。昼寝でもしてるのかなって思って、私たちも勝手に入るような非常識なことしないってば」


 美沙貴、かなり機嫌が良く見える。

 血色の欠いた肌はいつも通りで、笑顔にも不自然さがない。

 怪しい……これは怪しい。


「玲亜姉さん、何やんだよ? パーティーって」 


 終始裏を感じる美沙貴ではなく、玲亜姉さんに訊ねた。だがその玲亜姉さんも美沙貴と同じような表情なので、この二者択一にはあまり意味はない。

 それでも玲亜姉さんの方を選んだのは、この家での日常生活において信頼性が高いのはどちらか、マシなのはどちらか、これを考慮した結果だ。


「パーティーはパーティーだよ!」

「だから、何故パーティーだよ?」


 パーティーがわからないわけではない。

 何故、やるのかだ。

 そもそも俺の誕生日に姉たちが盛大に騒いだから、パーティー的なものはつい最近経験済みだ。


「決まってるでしょ! 拓弥の高校入学と美沙貴ちゃんの進学……とこれからの活躍を祈願してみんなで美味しいもの食べるんだよ」

「その二つ、せめて別々にしろよ」


 美沙貴の機嫌が良いのはそれが理由か。

 取って付けた感じが否めない。というより美沙貴の落ち込み具合を見て玲亜姉さんたちが励まそうとして、"美沙貴ちゃんを元気付けようの会"の方がメインになった可能性すらあるのでは。

 

「別にパーティーとかどうでもいいけど、俺のお祝いの方が取って付けた感じするな」

「なっ、失礼な! 私たちが極度のブラコンで拓弥が可愛くて可愛くてしょうがないって知ってるでしょ! ちゃんと拓弥がメイン、美沙貴ちゃんの方がついでだから安心してよね」


 なかなかなことを綺麗な声で言うもんだから、隣でそれを聞いた美沙貴が少し泣きそうになっている。


「そこまでハッキリ言うのっ!?」


 人間、落差が大きいと受けるショックも比例して大きくなるわけだ。

 だが本人は「ま、拓弥がメインなら私がおまけでもいいけどさ」と、あっさり立ち直った。

 何コイツ、立てる女なの?


「でね、話を戻すけど。実はもうみんな帰ってて下に揃ってるんだよね。拓弥も早いおいでよ。料理が冷める前に」

「全員帰ってたのか。つうか俺、起きたばかりで食欲そんなねぇぞ」

「大丈夫! 今回は拓弥が食べやすい物チョイスしてるから」

「食べやすい物……」





「それじゃみんな、準備はいい?」

「「「「おおぉぉーーーー!!!!」」」」


 明日夏姉さんは仕切りたがり、と言うよりこういう時に率先して仕切り役になる。

 他の姉たちは仲良く声を揃え、片手に持ったグラスを高く上げた。

 広いリビングに女が五人、男が一人____、


「ほらほら、拓弥もこれ持って」

「おう……」


 美沙貴に手渡されたグラスには既に飲み物が注がれていた。

 グラスと言っても数万円もするウイスキーグラスなどではなく、家庭用の一般的なもの。中身は突然ノンアルコール。

 ノンアルコールというより____、


「真っ赤っかだな」


 ガラス製のグラスを赤く染めるそれは液体だが、見た感じで粘性があることがわかる。なかなかの濃度だ。

 グラスの底まで真っ赤っか。ただ俺は普段この赤く染まった飲み物を好んで飲むので、綺麗に感じる。


「言ったでしょ? 拓弥が好むチョイスにしたって」


 と言いながら玲亜姉さんがグラスと同じように底まで真っ赤なボトルを抱えながら歩み寄って来た。

 大きさは、おそらく500ml。


「なんでこんな日にトマトジュースだよ」

「えぇー、不満? 拓弥好きじゃん、毎日飲んでるでしょ」


 確かにトマトジュースはほぼ毎日飲む。俺の好物の一つだ。

 だがトマトジュースなんてたとえば三大珍味と肩を並べるような代物じゃない。トリュフのような風味も、フォアグラのような脂肪も、キャビアのようなコクもない。

 と言うより、ほぼ毎日飲んでいるのなら、今日のような祝いの場でわざわざ選ぶことはないと思う。


「ふふーん、どうやらいつも飲んでるのと同じだろって感じの顔ね」

「違うのか?」

「違うわよ! 今私が持ってるコレ、よぉ〜く見てみなさい」


 玲亜姉さんの腕に抱えられてるボトル、よく見ると一般的なトマトジュースのパッケージとは異質だ。

 そもそも普通のトマトジュースならご丁寧にボトルに入れられていない。


「高いやつかよ、それ」


 すると、してやったりな顔が返ってきた。


「ピンポーン! この日のために用意した一本一万くらいの超高級濃厚トマトジュースだよ! さあ、召し上がれ」


 とか意気揚々と言われたが、見た感じ粘性はあるから濃厚なのはわかる。トマトジュース特有のドロッとした感じは、グラスを少し動かすと水面の鈍さが教えてくれる。

 俺が普段から口にするのはその辺のスーパーで簡単に手に入るような普通のトマトジュースだ。定期的に家事代行業者がストックを追加してくれる。


「この日のためって、買ったのか?」

「……可愛い弟のためだし」

「誰からもらった?」

「ちょ、お姉様を信じないよ!」


 会話の中で変な間があった。そして目が泳いでいた。わかりやすい。


「そもそもこの家でトマトジュース好んで飲むの、俺だけだろ」

「確かに。拓弥、よくこんなの美味しそうに飲むね」

「それを好きなのに本人の目の前で言うのやめてくれないか」


 いるよな、人が好きなもんにケチつけるようなヤツって。

 だから自分の好みを他人に教えるのが嫌になるときがある。雑にいじられるのも嫌だし。


「さあさあ、せっかく用意したんだし飲みなさいな!」

「……まあせっかくだし飲むけど」


 高級だろうがその辺の安物だろうが、用意してもらったのならタダだ。

 口にせず排水口にドボンだなんて勿体無いことはせず、グラスを持って勢い良く流し込む。

 ちなみにトマトジュースを飲むときにチビチビと口にするのではなく、冷蔵庫で冷えた状態のものをググッと飲むのが俺の好みだ。

 口の中にはドロドロとした感触が残る。

 確かに、濃厚だ。市販のそれとは濃さが違う。

 ただ、飲み干してから「ごめん、あまり好きじゃないかも」


 告げた途端、玲亜姉さんは血相を変えて「な、なんですってッ!?」


「そんなデカい声出すなよ」

「そりゃ声も出るよ! せっかく弟のために高価なもの用意したのにぃぃーー!!」

 

 誰かから貰ったものなのは明白なので、果たしてどの口で言うのだという呆れは胸のうちに秘めておこう。


「いや、高価なのわかるし、濃厚だし、不味いわけねぇよ。不味いわけじゃないけどさ……」

「けど……?」

「……やっぱり普段から飲み慣れたものの方が俺は好きだな」


 決して口に合わないわけではない。

 だが、これからの俺の口に合うか、正直微妙だった。

 濃厚だが、好みとは違うのだ。


「あははっ、だから普通のやつでもいいんじゃないのって言ったじゃん」


 杏果きょうか姉さんがフグのように顔を膨らませる玲亜姉さんの肩にポンッと手を置いた。


「……杏果姉さんは知ってたのか? このトマトジュースのことを」

「うん。だってこれ番組の企画で当たったやつだし」

「ああ、そういうことかよ」


 人気声優ともなると、何かの企画で何かを貰える機会がある。

 玲亜姉さんも若手だがまあまあ売れっ子らしいので、レギュラー出演している番組がある、らしい。


「ラジオか何かで当てたんだろ」


 本人の方を見え訊ねると、軽く首を縦に振った。


「いやだってさ、せっかく当たったのに捨てるのも悪いし。ちょうどトマトジュース好きな弟がいるから……ね?」

「ウィンクしてごまかすな。不要なもん俺に押し付けただけだろ」

「高級なんだからもう少し喜んでよ!」

「なら訊くけど、姉さんはいらないからあげるよって言われて木彫りの熊とか受け取るのか? たとて高価でも」

「……高価なら、ほら、ヤ●オクとかで売れるよね」

「転売ヤーかよ……」

「違うしっ! 拓弥が質問してきたんでしょ!?」


 訊ねたのは俺の方だが、ヤフ●クで売ろうという小売業憤慨の思考をしているのは玲亜姉さんだ。

 木彫りの熊に大金を出す物好きがいるかどうかは別だが。


「……じゃあメル●リは?」

「アプリを別にしてもやってること同じだろ」

「……直筆サイン書く」

「やってみろ、炎上すんぞ」

「……私以外の、みんなのサインも付ける」

「大炎上で済まないかもな」


 実際に書くかどうか、玲亜姉さん以外の姉たちをチラ見したが全員苦笑いだった。

 おそらくそういう良心は心の中にあるのだろう。


「……ま、冗談だよ、冗談!」

「ヤフオ●とメルカ●の名前出したキツい冗談だな」





 パーティー、というか適当に飲み食いして、適当に解散となって、今は夜だ。

 明日から本格的な高校生活が始まる。

 中等部から慣れ親しんだ顔が多いが、まったく知らない顔も少なくない。

 部屋は真っ暗。ベッドに背中を合わせ、なんとなくこれから約三年間の高校生活を想像してみる。

 どんな高校生活が幸せで、青春を謳歌していると言えるのだろう。

 俺の場合、今まで仲良く連んでいた連中とこれからも良い関係を続け、新しい出逢いにも期待し、やりたいことをやり、悔いの少ない学生生活ができれば、それで良い、その程度に思っている。

 我ながら特異な家庭環境、声優をしている姉たちの存在、このようにイレギュラーな要素はあるが、それらは学生生活と隔てて考えてゆく必要があると思う。


「ふぅ……」


 誰に聞こえるわけでもなく、わざとらしく息を吐いた。

 部屋は暗いが、次第に目が慣れる。

 瞼を閉じて、肩の力を抜いて、ゆっくりと意識が落ちるのを待つ。

 明日も、良い天気だと嬉しい……。

 ささやかな期待を心で呟き、意識が落ちるのを静かに待つのだ____。

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