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そうこうしている間に、美沙貴が注文したコーラは無事に届けられた。
配達員は俺らより少し上の、おそらく大学生くらいの若い男性だった。注文したのはデカいコーラ一本だけだが、嫌な顔一つ見せずにテキパキと我が家を後にした。
客の前ではプロだな。きっと今ごろは自転車の上で美沙貴のことを笑っているに違いない。実際に笑われるような女だから、身内としても憤りはないが。
そして不吉なゾロ目の容量は、やはり美沙貴一人の胃には入らない。
俺もコーラを口にしたが、それでも半分以上余ってしまっている。
「うぐっ……拓弥、助けて……ヘルプ」
「量を考えて注文しろよ。これの半分以下でも良かっただろ」
美沙貴は我が家で一番色が細い。
俺は多分平均的だ。
平均と平均に届かないのが二人揃っても、残念だが厳しい。
そもそも俺は弓野と一緒に昼食を済ませたから、ある意味平均以下の状態だ。
コーラも腹に溜まって、しばらくは飲み食いしたくない。
「せっかく注文してこのまま捨てるのもったいないよ!」
「自己責任だろ。なんとかしろ」
「うーん……他のみんなにお裾分けしたいけど、全員帰りが夕方って言ってたね」
「じゃあ気分転換にコーラぶっ込んで風呂でも入ったらどうだ?」
「シュワシュワしてて気持ち悪そう……。一応炭酸^_^けどさ」
確かに、イメージすると気持ち悪いな。色も黒だし、透明感がないから不気味だ。
「お風呂に入れるくらいなら庭に撒きたい。新しいコーラができたら今後買わなくて済むから経済的だね」
「その理論で言うなら俺はとっくにトマトジュース庭中に撒き散らしてるわ」
言うと「うげ!」とわかりやすい嫌悪の反応が返って来たが、コーラ撒き散らすより遥かに健康的で良いと思う。
何故トマトジュースかと言うと、俺の好物の一つだからだ。
「牛が来たら大変じゃん!」
「世田谷代田に住んでて闘牛見た経験は?」
「いや、ないけどさ」
「ちなみに闘牛って赤色に興奮してるんじゃなくて、ヒラヒラ動く布に反応してるだけだぞ」
「拓弥、物知りだね。でも庭中赤く染まったら殺人現場みたいで怖いよ」
「庭中コーラで染まった方が汚染だろ」
トマト、というよりトマトジュース愛好家として思うのだが、赤色の液体というだけで血を連想するのは本当に遺憾だ。たとえばバラエティのコントとかアニメの描写でトマトジュースを血痕と間違えて物騒な展開に持っていくことがあるが、全国のトマト農家とトマトジュース出してるメーカーはもっと血管沸騰させて抗議して良いはずだ。
この時代、些細なことで文句言う人間が多いと言うのに。
「ねぇ? コーラってお肌に塗ったから綺麗になるかな」
「やってみろ」
「ベタベタしそうだからやっぱやらない」
「そうか、もう寝てろ」
今の会話にも、何の意味もない。
時間の無駄、コーラも無駄、これから帰宅する前にどこかでぶらぶらと時間を潰せば良かったかもしれない。この辺りは住宅の草原だが今日は天気が良いし、散歩には最適だ。
「他のみんな、今ごろ収録とか撮影なんだろうなぁ……」
コーラから摂取したエネルギーがもう切れたらしい。美沙貴がこうして肩を丸めて細い身体を竦めるのは何度目だろう。
「新人声優ってほんと仕事ねぇんだな」
「そりゃ〜ね……みんな最初から売れっ子じゃないけどさ、私だけ売れなかったら稲本家にとって末代までの恥だよ」
「安心しろ、今の美沙貴は相当恥ずかしいぞ」
「どういう意味だしッ!?」
少し元気が出た。
何が恥ずかしいかは、言うまでもない。
「はぁ……。一応今週末に一つ仕事あるんだけどさ、なんかそれすら上手くできるか不安になってきたよ」
「ならそれを頑張ればいいだけの話だろ。他の姉さんたちだって小さな仕事からコツコ積み重ねて人気声優になったんだろ」
「その仕事、事務所の社長が飼ってるメダカの餌やりだけど」
「雑用だろ」
「ちなみに五万円くれるって。あとちゃんと餌やりできたら声優雑誌の取材があるって言われたよ」
「ちゃんとしたやつなのか……? 闇バイト顔負けだろ」
メダカに与える餌が高価なのか、社長の感覚がおかしいのか、疑いもせずに仕事を受ける美沙貴が悪いのか、一番可能性としてあるのはどれだろう。
「……不労所得が欲しいよ」
「頑張って稼げ。そしてこの家から出て行け」
「追い出すなしっ! こうして私たちがぐうたらしてる間にも他の声優はお金稼いでるし、世の中でもいろんな事件が起きてんだよ!?」
さり気なく一緒にされたのは腹が立つ。
俺は高等部の入学式から帰って来て、今日は授業もないから家にいるだけだ____そういえば、それは美沙貴も同じだ。
「広末●子、釈放されたんだね」※1
「面白いな。ついさっき逮捕って話してだろ」
「デ●ィ夫人が書類送検されたんだね」※2
「そうか、別に興味ないけど」
「……SM●P解散したんだね」
「だからいつの話だ! しかも一人は引退しただろ」
芸能界の薄汚さに胸を悪くしていると「ただいま」という声と共に人の気配が増えたことに気付く。
「あっ、玲亜姉さん」
いつの間にか玲亜姉さんが帰宅していた。
俺を見るなり「よっ!」と片手を挙げてフランクに接してくる。
「入学式どうだった?」
「どうもこうも普通だけど」
「友達はできた?」
「今日入学なんだよ。姉さんはもう仕事終わったんだな」
「うん。ちょっと寄り道してたんだよ」
濡羽色のジャケットはシミ一つなく、群青色に染まったタータンチェックのスカートに身を包んだ玲亜姉さん。黒く長い髪を靡かせ、外見だけは清楚だ。
大人しくしていれば清楚、という特徴なら美沙貴と共通している。
その美沙貴の姿を見て、
「あれ……美沙貴ちゃん、なんか元気ない?」
と心配する玲亜姉さん。
姉妹だからという理由ではなく、誰が見ても今の美沙貴は元気がないのだろう。
「おかえり、玲亜ちゃん……。入学式シーズンですね」
言葉とは裏腹に希望を感じさせる温かみがまるでないのが怖い。
声優なんだし、そういう役をやらせたらハマるんじゃないのか。
「そういえば美沙貴ちゃんが通う通信高校も入学式だったね」
「……三年生になっても、友達の概念が理解できない女……ここにおるでぇ……」
二年間もその概念に気付かないのならこの先も友達作りは不可能だろう。
今の美沙貴にそんなことを直接言うのほど、俺も鬼ではないが……。
※1
一つ前の話をご覧ください
※2
https://youtu.be/aSeeRGA7Ggs?si=DoBdQ_DZxjXMjY7M