2-5
弓野と別れを告げ歩くことほんの数分、我が家が目に飛び込む。
春の日差しの下改めて眺めると、家族六人で住むにしてもこの家は広い、デカすぎる。しかも代田という地域にこんなもんがあると嫌でも目立つ。
我が家は、おそらく都内でも五本の指に入る大豪邸だ。
裕福で何一つ不自由のない家庭だが、それは金銭的な話。
一つ一つの部屋も広いし、ここで衣食住を満たせることは一般的に考えれば羨ましいことなのだろう。
確かにそういう環境で生きているのだし、両親には感謝せねばならない。家事代行の人たちも親切だし。
問題はそこではない、姉たちにある。
俺には、この豪邸で生活を共にする姉が五人もいる。
一人でもブラコン女がいると弟が受ける被害は甚大だが、それが五倍だ。いや、五人いるなら五倍という単純な話ではない。五十倍にも五百倍にも感じる。
波のない海は荒れ狂い、青い空は曇天と化して稲妻が大地を砕き、平穏など如何に脆いかを思い知らされる。
とは言え、家族全員が揃うことはあまり多くない。
姉たちはいずれも声優業をしており、両親は海外で過ごすことが多い。
おそらく我が家の家庭環境は日本で最も人口の多い東京においても輪をかけて特殊だろう。
姉たちは嫌いではないが、いろいろと面倒だ。
そうこうしている間に自宅に着いた。
肺に溜め込んだ空気を、ズッシリと内側から重くのしかかるような苦しさを感じつつ吐き出して、玄関から入る。
「……誰もいねぇのか」
子猫がギリギリ通れる程度に扉を開け、泥棒でもないのに我が家の様子を慎重に伺った。
とても静かだ。物音一つしない。
人の気配が感じられない。
我が家は広いので仮に姉たち全員が奥の方にいてもそこまで進まなければわからないものだが、なんとなく気配でわかったりするのだ。おそらく長年住んでいるからだ。
それと、シューズクロースに姉たちの靴が見当たらない。つまり現在自宅にはいない。というより姉たちは今日も仕事だ。
夜には帰ってくるだろうが、それまでは顔を合わせることはない。
安心して休憩することができる。
このまま自分の部屋に直行するのも悪くないが、せっかくなのでリビングに向かいソファーに身を預けて身体を伸ばしてみたい____、そんな小さな贅沢を望んだ矢先の出来事だ。
「…………あ、おかえり、マイリトルブラザぁ……」
世田谷代田駅近くのコンビニは空調が効いていたからまあまあ快適な涼しさだった。
それとはまったく異質な、心臓と血管に悪い重たい冷気を発している女が一人、真っ白な顔をして侘しく身を丸めている。
「……春の木漏れ日どこ行った」
「……こんなときまで私じゃなくて季節の心配すんのぉ……」
美沙貴は随分と立体感のない顔で、虚脱状態に陥っている。
「なんか抜け殻みたいだな」
「抜け殻……? あはは、そう……かもね……」
お化け屋敷の幽霊顔負けの肌の白さ、これが世の女性が求める美しさというなら世の中は随分と不健康思考だ。
とりあえず生きてはいるが、血の巡りが著しく悪いことは美容治療で女から金巻き上げる医者ではない俺でもわかる。
◇
「____それで改めて己の無力さに打ちひしがれていたってわけかよ」
「…………うん」
成り行きで、ヤツの話を聞いた。聞いてやった。
事の起こりを簡単にまとめる。
美沙貴は本日より高校三年となるのだが、通信制の学校に通っている。毎日登校することはない。
それでも高校最後の年になるので、今さらながら調子に乗って"高校デビュー"なるものを試みようとしたらしい。
意味がわからないのだが、曰く、声優として駆け上がるためにも去年までの暗くてぼっちな自分にさよならを告げ、華やかな高校生活をと思い至り今日という日を迎えたのだと。
しかし、現実は上手くいかない。
「んで、実際には誰にも話しかけることも出来ず、話しかけられることもなく、相変わらずぼっちのままだったと……」
「うぅぅぅぅ…………私だって! もう、こんな悲しい高校生活は嫌なんだよぉーーーー!!」
「なんでそれを三年になって言うんだよ。デビューどころか折り返し地点とっくに過ぎてるけど」
通信制の高校でもまったく登校しないわけではなく、たとえば普通の高校と同じように入学式などには生徒は参加することになる。
今日がその日だった。
「なんで今日になってそんな決心しようと思ったんだ」
「私の高校ってちょっと変わっててさ、通信制だけど一応クラスってのがあってね。二年から三年になるタイミングでクラス替えがあるの。登校日に教室でほとんど喋らなかったしね」
「自慢できることじゃないだろ」
「……それでね、最後の年くらい少しはまともにならないとって思ってさ、私なりに勇気を出したんだよ!」
「……で、出したんだけど?」
「…………友達ができへん……うぅぅっ!!」
詳しくは語らない美沙貴だが、おそらくそんなに話をしたこともない相手に、どうでも良い会話を仕掛けて、その結果ぎこちない雰囲気になって自滅したんだろうな。
相手は「うわ、なんだコイツ」とか思ったんだろうな。
「……知らない人に話しかけるのってそんなに悪いこと?」
そう訊ねる美沙貴の瞳はしょっぱく潤んでいた。
「どうして知らないのに話しかけたよ?」
「ちょっ、話かけないと知らない人のまんまじゃん!? 世の中の全員が一見さんお断りじゃ全員ぼっちっよ、ぼっち!」
「誰かに紹介してもらうとかは?」
「その紹介してくれる人がおらへんのじゃッ!!」
そうか、コイツ学校で友達と呼べる存在がまったくいないのか。
通信制でも一人や二人、そういうのがいてもおかしくないと思うが。どうやら友達がいない人間は本当にいない、というより無理して作らないようだ。
美沙貴は勇気を出したようだが、多分作らない方が合っているんだろうな。
「声優やってますって言えば?」
「禁止カード! それだけはやっちゃダメなんだよ! 女性声優ってそりゃ人気ある人はチヤホヤされるけどさ、いくら私でもそんな禁止カード簡単に使いたくなんだよ!」
他の姉たちと比較すれば稲本美沙貴は人気も知名度も劣るが、声優という職業について最低限のプライドは捨ててはいないようだ。
「……今までの二年間で一切ないのかよ」
「……そりゃ、ちょっと言いかけたことならあるけどさ」
「あるんかい」
「……でもさ、私はまだキャリア浅い新人だしね。見た目だけなら清楚系なんだけど他人と話すとこうさ……キモい感じが出ちゃうか心配になるというか」
「そうか……美沙貴!」
少し、声色を強めた。
美沙貴は改まって目を開く。
「いいか、自分の言動がキモいかどうか、んなもん相手はまったく気にしてない。断言できるわ。誰も美沙貴のことなんて気にしちゃいないし、だから美沙貴も自分の言動を必要以上に気にして雁字搦めになる必要もない。高校最後の一年間、気にせず路傍の石としと謳歌しろよ」
「路傍の石の時点で青春謳歌とか夢のまた夢だよッ!?」
そもそも、自分で見た目は清楚とかほざいとる時点で、いざとなればビジュアル武器にして相手と距離縮められますよって言っているようなもんだろ。あざとい女め。
それでも学校で仲の良い人間を作れないのなら、せめて地味に平和に過ごしてストレスフルな環境下で高校生活を終えるしかない。
別に良いじゃないか、目立たない石ころでも。道を歩いていて最初から最後までずっと花だらけなんてことはないのだ。その辺の道には石や雑草があるからその辺の道として普通に歩けるのだ。
「はぁ……そりゃぼっちであることはとっくに慣れっこだよ。でもなんかいろんな物事が私のせいなんじゃって思えてきたよ」
思いため息して続けざまに面倒なことを神妙な面持ちで呟き、美沙貴は肩を落とした。
「いろんな物事?」
「たとえばオンラインカジノでお笑い芸人自粛とか、SM●P解散とかさ」
「いつの時代の話してんだよ……」
「……じゃあ、飲食店と共通の駐車場だと思って車停めて戻ってきたら罰金払ってお店から言われた件は?」※
「その店にいつ行ったんだ?」
「……違法ROM使ったとか言われてるVTuberは」※
「マジでそうならそのVTuberが悪いけど、お前だんだん」声が掠れてんぞ……」
世の中クソみたいなニュースがほぼ毎日絶え間なく流れるものだが、ネガティブ思考が強いとこんな感じで全部自分が悪いんだってなるんだな。
萎れてしまった美沙貴の眼差しから逃れるように距離を取る俺だが、だって怖いんだもん……。
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https://www.cosmospc.co.jp/notice/upload/266632afa1823f125ae8304690bc4f38cc2371a4.pdf
https://weblom.net/romillegal/