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【二〇XX年 四月八日 水曜 七時半】
東京都 世田谷区代田
本日は晴天なり、そんな表現がぴったりな空模様。
昨日も実に良い天気だったが、今日も朝早くから眩しい日差しが降り注ぐ。
春とは思えない。この空を初めて見上げる者に、初夏と言っても通用する程の天候だ。 暖かいというよりも、少々暑いかもしれない。だが、天気が良いのは悪いことではないだろう。
無限に広がる青の支配、実に心地が良い。
本日より始まる新たな高校生活のスタートを迎えるのだから、空からの祝福は明るい方が良い。
高等部の新しい制服に身を包み、期待と不安の両方を身に抱えて、俺は駅前に立っている。
昨日だが、本当に騒がしかった。
朝は美沙貴に叩き起こされた。
昼から夕方にかけ身内二名で構成されたストーカーコンビより被害を受け、自宅へたどり着けば勝手にパーティー。
新たな日の門出を迎える情熱的な太陽とは対照的に、俺は今眠い。少し、眠い。
「よっ、おはようさ〜〜ん!」
色々と考えている最中、後方より声がした。聞き馴染みのなる男子の声だ。
顔立ちは整ってはいるがどこか間抜けっぽい。それに加え、明らかにこちらをおちょくる意図が含まれた笑みを浮かべて近づいてくるのだ。
「グッモーニング! 我が心の友よ、今日から高校が始まるってのにテンション低いな」
名は槙坂洋。
初等部以来の付き合いだ。つまり、こいつも俺にとっては幼馴染となる。
「……お前はお気楽だな」
「お前は相変わらず表情が硬いな。今日からおんなじ高校生なんだぜ?」
「俺は真面目なんだよ、お前と違ってな。まあ、昨日色々あって疲れたってのもあるけど」
「あぁ……そういうことね」
槙坂も長年俺の幼馴染をしているので、「疲れた」という一言だけで色々と察してくれたようだ。
当然だが、コイツも我が家の特異さを把握している一人だ。
「賑やかなのは孤独よりマシってもんでしょ? それに俺だって真面目に考え耽ることくらいあるさ」
「お前が? たとえばどんなことでだよ」
「……副収入源が潰れたんよ」
「待てや、俺ら今日から高校生。主収入がねぇんだわ」
「いや実はさ、【Comicムラムラ】って誰でも無料で漫画が読めちゃうサイト運営してたんだけど、昨日閉鎖されちゃっんよぉ〜」※
「おい待て、あれお前だったのかよっ!?」
「……もちろん嘘やで」
「今の間はなんだっ!?」
槙坂洋、コイツはこんなヤツだ。
悪いヤツじゃないが、変なヤツだ。
変と言えば、俺も他人のことを偉そうに言える立場でない。
自己分析すると俺は変に真面目で何事も考え過ぎてしまうところがある。槙坂は真逆で、能天気というか楽天的というか、ストレートに言えばアホだが。
なんにせよ、俺にはないものを持っている。切っても切れぬ、いわば腐れ縁だ。
「まっ、冗談はさて置きまして。朝から不機嫌そうな顔を見たところ、昨日もあの美人で可愛いアイドル声優のお姉様方と何かあった感じだろ?」
幼馴染であるが故に、俺の素性をよく知っている。
だから俺に姉が五人もいることも、そのいずれもがブラコンで頭がおかしくて、そして声優業をしていることを知っている。
もっと言うと、コイツは玲亜姉さんのファンだ。クールな美人系が好みらしい。
「その通りだけど、顔見ただけでわかるのかよ」
訊ねると「なんとなくな」と笑って返された。
さすがは同じ時を長く過ごした友だ。
弓野とは幼稚園からの付き合いで、奇跡的にも初等部と中等部でもクラスが同じだった。血の繋がりのある姉たちを除くと、最も同じ時間を過ごした異性が弓野になる。
同性、つまり男ではこの槙坂になる。
「ま、世の中には女性声優と付き合いたいとか結婚したいとか思ってても実際にはできない男の方が多いんだぜ? 美人で可愛い女性声優が五人も家にいるんだから、その時点でお前は勝ち組だよ」
「女性声優と結婚できる男が氷山の一角だろ。あと身内のビジュアルを褒められても、なんか複雑だな……」
「そうか? じゃあ声優とか関係なくさ、周りに女子がたくさんいる時点で勝ち組だよ、勝ち組! 拓弥なら高等部でもモテるんだろうなぁ〜」
「そうでもねぇよ。だって俺、中等部時代彼女できたことないし」
「でも告白されたことは何度かあったろ?」
「そりゃ何回かは……」
中等部時代、確かに女子から話しかけられる機会は多かったと思う。
そして槙坂が茶化した通り、告白を受けた経験もある。贅沢な話だが、タイプじゃないという理由ですべて断ったが。
異性に興味がないわけではないが、誰かと付き合うという願望がそこまでなかったのだ。
それと一部の女子が俺の悪い噂話をしていたのを偶然だが目撃したことがある。不機嫌になったときの顔や雰囲気が怖い、という内容だ。
違うクラスのまったく交友のない女子たちの与太話だったが、それもあって彼女が欲しいという願望が薄かったのかもしれない。
「ま、俺ですら中等部時代に彼女いた経験あるんだし、お前も青春を謳歌したまえよ!」
槙坂が悪気のない笑顔でマウントを取ってきた。
確かにこんなヤツだが、一応彼女がいた経験があるんだった。
「……お前、彼女ができて最短でどのくらいで別れたんだっけ?」
「四時間!」
「それ付き合ったって言って良いのかよ」
「いや、そう言わないでくれよ。思い出して涙が出そうだわ……。お昼休みに告白してOKもらったけどその日の放課後にフラれたんたぜ、女子ってエグいことするよな……」
「ああ、悪い。ちなみに最長は?」
「二週間」
「長続きしないな、お前の恋愛」
「俺はアレだから、質より量の人間だから。付き合った期間より人数かと回数で己を高めるタイプだからさ……」
「涙目でカッコ悪いこと言うなよ。量より質を重視しろや」
「えぇー、でも俺らまだ学生じゃん? 中学高校のうちにいっぱい失敗して経験値を稼いでおくのもアリじゃない?」
「そんな考えだから長続きしないんだろ……」
やっぱりコイツ、俺とは色々と真逆だ。
彼女がいた経験があっても、まったく羨ましいと思えない。
高等部でもこんな感じで異性に対して当たって砕けろ的な姿勢を貫くなら、幼馴染として、竹馬の友として、諌めるべきか。
「拓弥くん、おはよう」
今度は女子の声がした。この声も聞き馴染みがある。
とても綺麗で、どこか安らぎすら感じる明るくて優しい声色。幼馴染の弓野鼓だった。
振り返ると弓野だけではなく、同じ制服に身包んだ女子がもう一人。
「オッス、拓弥!」
弓野とは対照的でさっぱりとした言動、そしてサバサバとした雰囲気。外側に向かっているハネが特徴的な短めのショートヘアー。
高一の女子にしては長身でノリの良い性格、弓野の親友である倉村奈美が白い歯をちらつかせながら歩み寄って来た。
「ああ、二人とも、おはよう」
「うん、おはよう。ところで槙坂くんが暗い表情をしているけど、何かあったの……」
朝早くから槙坂みたいな短命政権しか築けない男にも心配の眼差しを向けるなんて、本当に弓野は優しいな。
一方で倉村は呆れ顔だ。どちらかと言えば俺に近いリアクションだ。
ちなみにこの倉村奈美も槙坂同様、初等部時代からの付き合いになる。つまり幼馴染だ。
「鼓、洋の心配なんてしなくていいよ。どうせまた洋が変なこと言って拓弥が呆れたってパターンでしょ?」
「ああ、まったくその通りだ」
実際にその通りなので槙坂は返す言葉もない。
しかしキリッと表情を変えて倉村を見るや否や、
「奈美ちゃん、もしも俺が高等部から生まれ変わって一期一会を大切にする男になったら見直してくれる?」
とか言い出した。
何言ってんのコイツ。
「……アンタ、一期一会というより下手な鉄砲も数撃てば当たるって精神をどうにかしたら」
倉村から蔑まれると、槙坂は再び黙り込んだ。
だがその静寂は数秒程度で終わり、
「……狙い撃ちってこと?」
と、何故か納得して表情から翳りが消えていた。
「拓弥、奈美ちゃん、あと弓野も……俺、スナイパーを目指すわ」
カラッと晴れたその表情に、俺たち三人はかける言葉に迷わされる。
「えっと……槙坂くん、何かゲームでも始めるのかな?」
「鼓、いちいちコイツの言葉を気にしなくていいから」
「槙坂、お前はストーカーになりそうだな」
もしもコイツが人として道を踏み外したとき、脳天をぶち抜くのは他の二人ではなく、俺の役目だろう。
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