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俺の家も弓野の家も、世田谷代田駅を出てそこから徒歩で十分もかからない場所にある。
そしてお互いの家は隣同士ではないが、おそらく五分もあれば行き来できる距離だ。
世田谷代田駅には北口、そして南口がある。俺と弓野の家は世田谷区代田の二丁目にあるので、五丁目方面なら反対の北口を利用することが多いと思うが、俺たち二丁目住民は南口からの方が近いのだ。
南口近くにコンビニがあるのだがその場所がちょうど十字路になっていて、それを南の方にまっすぐ進み、最初の角を左折する。伸びる道を奥まで進むと右曲がりのカーブになっていて、さらに進むとまた道が分かれてるのだが、ここを左に曲がると俺の家、まっすぐ進むと弓野の家がある。
余談だがら、弓野の家も我が家には劣るが、この世田谷代田というエリアに馴染んでいないレベルの豪邸だ。
「それじゃ弓野、また明日な」
別れを告げると「うん、今日はありがとう」と静かな声で返された。
それに続けるように、
「……あのね、拓弥くん」
こちらをじっと見つめる弓野。
不思議なことに、その声は少し強張っているように聞こえる。
「どうかしたか……」
「え、えっとね……あ、明日からも、よろしくね!」
表情はほころんでいるが、妙なぎこちなさを感じる。
「なんだよ、改まって」
「あっ、ごめんね。その、私たちの高等部での生活が明日から始まるけ……明日からも仲良くしてくれると嬉しいかなって」
「そりゃ、俺たち付き合い長いんだし。進学したからって別に変わんないさ、明日からもよろしくな」
「う、うん。今日は楽しかったよ、それじゃまた明日ね!」
やや早足になった弓野の背中が少しずつ小さくなっていくのを見て、俺もつま先を進行方向に向けた。
改めてよろしくと言われても、どこか変な気分だ。幼稚園のころから一緒だったので、高等部に上がっても今日のように行動を共にしたり、学校で普通に話したりするのに変わりはない。
気を取り直して我が家に向かうが、今突っ立ってるこの位置からもその片影が見える。
代田二丁目は一般の住宅が所狭しと建ち並ふ。そもそも世田谷代田駅周辺は低層住宅地と言われているが、そこに馬鹿デカい豪邸があればそりゃ目立つ。悪目立ちする。
駅から少し離れているこの辺りには商業施設はなく、一般住宅が広がっているので近所の人たちも我が家は認知している。
なのでこの辺りで見かける通行人は基本的に代田二丁目の住民なのだが、たまに我が家に向けて我が物顔でスマホパシャパシャ決めるデリカシーのかけらもないのがいたりもする。
無論、我が家は観光地ではない。
〜美沙貴、玲亜サイド〜
「……玲亜ちゃん、拓弥にはバレてない、よね?」
「うん、たぶん……。もう家の前だし」
美沙貴と玲亜は、あれから細心の注意を払い弟の姿を追っていたが、ここまでバレずにいた。
二人も今、自宅前にいる。
代田二丁目に毛細血管の如く張り巡らされた通路は幅があるわけではないが、稲本家の面々が暮らす大豪邸はこの辺りでは異質なほど敷地が広く、それゆえに入口となる玄関が奥まった位置にある。
拓弥はちょうど玄関の前に立っていた。二人の姉が少し離れた位置から自信を観察しているとも知らずに。
「とりあえず普通に電車に乗って帰ってきただけだね。コンビニで変なものとか買ってもなかったね」
「変なものってナニよ……。とりあえず拓弥にはバレてないっぽいし、鼓ちゃんとも何もなさそうだし、なんか肩が軽くなったわ」
美沙貴と比較すれば慌てた様子ではない玲亜だったが、呼吸を整えるために大きく息をした。
涼しげな顔を保ち続げていたが、緊張から解き放たれた瞬間、
「何してやがんだよ、二人揃って……」
いつの間にか目の前まで迫ってきた弟の存在に、二人揃ってハッと声を上げた。
「「た、拓弥ッ!? いつの間に……」」
拓弥は二人の目の前で、心底不機嫌な顔をした。
「二人揃ってサングラスまでかけて、んなもんがジロジロ見てくるんだから気付くだろ!」
春の夕方は日中と比較すれば少し冷んやりする。
拓弥の声はよく響き、二人の視線は自然と横に逸れた。
「いやそれは……偶然、そう、偶然だから! そうだよね? 玲亜ちゃん!」
「……そうそう! 実は二人でお買い物でもしようって前から話してたんだよ! まさか偶然弟を見かけるなんて、世の中って狭いもんだね」
気不味そうな表情で二人の姉が必死に取り繕う様子は、拓弥の疑念をより大きくさせる。
「どっからストーキングしてたんだよ?」
すると美沙貴が一本踏み出して「人聞きが悪い!」と、食ってかかった。
「駅で偶然見かけてたのにストーカー扱いとかひどい! 謝れ、惨敗したときの野●佳彦みたく謝れ!」※1
「負けたのはバレたそっちだろ」
「じゃあ情報商材の社長みたく?」
「アイツら反省なんかしねぇだろ」
こほん、と咳払いを入れて美沙貴はさらに弁明を続ける。
「とにかく、駅で偶然見かけただけだし! それに同じ家に住んでるんだから、乗る電車も降りる駅も同じに決まってんじゃん!」
これに間髪を入れずに玲亜は同意した。
「そうよ! 新宿でお買い物して、その帰りに駅で、偶然駅のホームで見かけたんだよ! いくら可愛い弟でもストーカーなんかしないもんね」
それでも拓弥が怪訝な表情を緩めないのは、やたら"駅"という言葉を強調してくるからだ。
実際に拓弥は新宿駅前で幼馴染の弓野鼓から声をかけられたあのときには、まだ二人の存在に気付いていなかった。
より言うと、帰りの電車の中で怪しげな二人組の若い女を見かけ、それが美沙貴と玲亜であると気付いたのだが、鼓もいたためその場では平然を装っていたに過ぎなかったのだ。
「……じゃあ電車で偶然俺たちを見かけたとして、買い物したって言ってたけど二人して手ぶらじゃんかよ」
事実、二人の手に買い物袋など握られていなかった。それぞれデザインの違う女性もののバッグしか映らない。
「それは、えっと……買ったけどさ、後日自宅まで届けてもらえることになったんだよ。美沙貴ちゃんもそうしたよね?」
「んだんだ! その方が都合良くてさ」
すると拓弥は目を細めて、
「二人して何を買ったんだよ?」
と、声色を変えた。
「……自分用の冷蔵庫。大きいから持って帰るの無理だし」
「私はマ●クポテト」
「百歩譲って玲亜姉さんのはわかるけど、美沙貴のはその場で食えるやつだろ! わざわざ数日経たせて送られたの食うんかい!」
何故か美沙貴は少し強気に出て、
「マク●ナルドは冷めてても美味しいんだよ。あのしんなり感は中毒性があるよね!」
勝ち誇った顔をしながら腕を組む。
そんな美沙貴の表情に、拓弥はこれ以上は野暮だと悟った。
ため息を一つ、それから「もういいから入るぞ」と、踵を返した。
※https://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/20260209-GYT1T00349/




