幕開け
その昔、まだ人々が陰陽道とかを当てにしていた時代。地球は丸くなくて、天が動いていると思われていた頃、人々は悪しき戦いを繰り広げ、他の命の喪失を躊躇いませんでした。突然命を奪われた動物や植物たちは、死してなお人を恨んだといいます。彼らは死後、太古よりその姿を変えず、命を全て等しく裁くと言われる者のところへ集いました。そして言うのです。
「閻魔様、どうか彼奴らに罰を。」
「このままでは私らめの子孫までもが苦しみまする。」云々と。
閻魔様と呼ばれた男は悩みます。彼が動植物たちの尊い命を尊重すれば人々の命を無下にあしらうこととなります。人間という種族の発展を止めることになりえます。三日三晩悩んだ閻魔は、とうとう、人々を罰することを決断しました。
これが世に伝うキリスト伝説の始まりの始まり。この後閻魔は人々のした行為と対等な罰を与えていきます。しかしそこに1人の男が現れ、「私1人がその罰を受けよう」と言うのです。閻魔は驚きました。行為相当の罰を与える身としてそれはあまりにも辛いことだと言いました。しかし男は聞きません。男はさらに言います。
「罰をお与えになる前に、ここでの話を一切合切、人々に伝える時間をください。彼らの心は綺麗です。きっと事を理解し、同じ過ちを繰り返さないように何か考えるでしょう。人とは、考える種族なのです。」と。
閻魔はさらに三日三晩悩んだ挙句、やはりその男の旨を良しとしたのでした。この男こそ、後にキリスト教として語られるその最たる人物なのでした。
時は流れ現代。かくして人々はキリストの言う通り、その行いを更正し共存の未来へ向かったのでしょうか。いえ、全てがそうというわけではありません。中にはいました。平和と環境を考えるあの男と同じ思考を持つものが。しかし全員がそうというわけではもちろんありませんでした。また無念の死を遂げた命たちが騒ぎ始めます。しかしその頃、同時に閻魔に娘が生まれました。それはそれは可愛い娘で、かの地獄の主と伝えられる閻魔も親バカと表現すべき溺愛ぶりを見せたのです。そんなわけですから、仕事に差し支えたのでしょう。閻魔がなかなか罰をお与えにならないので、命らは怒り、閻魔を失脚させようとしました。その暴動とも言える一連の反乱に巻き込まれた閻魔の娘は、人間界に落ちてしまったのです。
堕ちた閻魔の娘。彼女はその後も災難に見舞われます。天国にも地獄にも導かれなかったならず者に目をつけられます。逃げ惑う少女は最後には命を落としそうになります。そこへ現れたのは、死神を名乗る1人の男でした。男は瀕死の彼女を背負い、歩きます。するとそこへ、図ったかのように1人の少年が倒れていました。死神と死神と少年は話します。彼女の耳にその会話は届いているようでそうでなかったので、これは少女が後に聞いた話となります。少年は死神と契約したといいます。「生き返らせてやる。その方法は彼女と血を混ぜることだ。やるか?」
これは少女を救うことでもあったのです。瀕死の少女、瀕死の少年。2人はその傷を互いに分け合い、互いに調和し、互いに生命を保ったのです。
それからも苦難は続きました。閻魔の長男が妹である少女の命を狙ったり、それはもう大変でした。少年と少女は生きるために立ち向かいます。半分となったはずの少女の血が覚醒したこともありました。全く無関係の人間の命が巻き込まれたこともありました。それでも2人は前へ進んだのです。しかしこの話はまた追い追いするとして、今はその後について語るとしましょう。
様々な事件が起こって半年後。少女はというと、人間と同じ生活をしていました。春から高校に通います。この半年で人間界について様々なことを、少年と少年の妹から教えてもらいました。元の世界に帰れなくなった身として、この世界で生きていかねばなりません。そのためにも少女は春から高校生になります。




