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エゴの怪物  作者: 徒労
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箱の中の影.2

 建物の中は空調が効いているらしく、空気がひんやりとしていた。窓の無い殺風景なエントランスを白色の蛍光灯が照らし、ゴウンゴウンと何か機械の動く音と振動が響いていた。この施設は生きていると確信したジェイルは、フードを脱ぐと内部を探索するべく奥の通路へと向かった。


 エントランスを過ぎた右手には階段があった。案内板をよれば下に機関室、上に居住区。同フロアには資料保管庫や娯楽室なるものがあるらしく、興味を惹かれたジェイルは通路をさらに進んだ。


 資料保管庫と書かれた部屋の扉を開けたジェイルは、おお、と感嘆の声を上げた。フロア2つぶんの広い吹き抜けのスペースにはずらりと鉄製の棚が並び、棚と床面に番号が振り分けられていた。棚には本や電子記録媒体が並び、フロアの一角には閲覧用であろうコンピュータが並べられていた。ジェイルは本を一冊取り出してパラパラとめくってみた。


 『今日から使えるレシピ本』と書かれたそれは色褪せても傷んでもおらず、載せられている料理の写真を見ると腹が鳴った。やけに庶民的な本の内容にあきれつつ、ジェイルは本を閉じて元の棚に戻した。この建物に食糧は残っているだろうかと考えながら出口の方を向いた時だった。


 すぐそこにこちらを見つめている人間がいて、目が合ったジェイルは驚いて飛び退いた。一体いつの間に現れたのか、まるで気配を感じさせない少女がそこにいた。長い黒髪に黒目、日に焼けてない肌と飾り気のない水色のワンピース。軽いパニック状態で口をぱくぱくさせているジェイルとは対照的に無表情な少女は、


「ようこそ」


 と一言だけ口にし、出入り口の扉へ向かうとジェイルを手招きした。そこでようやく我に返って、ジェイルは少女の後を追った。


 おもてなしですから、と言う少女に連れてこられたのは地下のシャワールームだった。何が何だか分からないまま、ジェイルは言われるままに服を脱ぎシャワーを浴びた。少女に渡された水色のシャツとズボンに着替えて更衣室を出ると、泥まみれになった衣類は大型の洗濯機に投げ込まれ、キャリーバッグの汚れは綺麗に拭き取られていた。


 このまま相手のペースに飲まれたままではいけないと、シャワールームを出たジェイルは入口近くに座り込んでいた少女に声をかけようとした。君は、と言いかけたところでピンポンパンポンとチャイムが鳴り、


『夕食の時間です、食堂に集まってください。夕食の時間です』


 と放送が流れた。すっと立ち上がった少女は歩き始め、少し先でジェイルを手招きした。


 食堂は地下一階、シャワールームからさほど離れていない場所にあった。かなりの人数を収容できるほどの広い部屋だったが、ジェイルと少女以外には誰も居なかった。少女は壁に設置された機械のパネルを操作すると、ポケットからカードを取り出して機械に差し込んだ。受け取り口からは二人分の食事とカップに入った水、カプセル型のサプリメントらしきものが出てきた。トレイに入った食事は白くドロドロの液体と見慣れた固形食糧で、あまり食欲のそそるものでは無かった。


 ジェイルと少女は向かい合わせに席に座った。頂きます、という少女にならって白いドロドロに口を付けたが、しっかりとトマトとコンソメの味がしてなんとも不気味だった。


「お味はいかがですか」


 少女に尋ねられたジェイルは精一杯の笑顔を作って、


「消化に良さそうだ」


 と答えた。ようやく調子が戻ってきたと感じたジェイルは、カップの水を飲むと咳払いをして話を切り出した。


「吾輩、名をジェイル・クロムウェルと言う。クロムウェル卿と呼んでくれたまえ。君の名は?」

「カナといいます」

「カナか。君はずっと一人でここに?」

「いいえ。今は一人ですけど皆一緒にいたんです、一緒に暮らして……でも誰?皆って、私……」


 何か思い出せない事情があるのか、カナは辛そうに顔を伏せて黙りこんでしまった。


「すまない、辛いことを聞いてしまったかな。無理に思い出さなくてもいいんだ」


 ジェイルがなだめると、カナはごめんなさいとつぶやいた。顔をあげると、だけど、と続けた。


「クロムウェル卿さんが一緒ですから、もう一人じゃないですね」

「え?」


 今度はジェイルが言葉をなくす番だった。この娘は大きな勘違いをしているのではないか、と思うとカナに出会ってからここまで言われるままにしていたことを悔やむしかなかった。侵入者ではなく、客としてもてなされる。この短時間で、重大な誤解が生じてしまったようだった。


「……カナ、君は吾輩が人間ではないことに気付いているかね?」


 カナはしばらくの間、口をあけてぽかんとしていた。が、納得したのかしていないのか「そうですか」と言うと食事を再開した。一人でいる時間が長かったために、感情表現が上手くできないのだろうとジェイルは考えた。不憫な子供だと思った。


 その語は会話もなく、食事が終わると食堂を出て居住区へ案内された。3階に上がって階段のすぐ右手の部屋を使うようにと言われたジェイルは、カナはどこで寝るのかと尋ねた。カナはその向かいにある部屋を指差し、話がしたいからとジェイルは同室する許可を求めた。カナはこくんと頷いた。


 部屋の中には二段ベッドと壁際に机、キャスター付のイスが二組。扉の横には懐中時計が掛けられていて、換気扇と空調機らしき穴も見受けられた。壁や床、天井と合わせてどれもが白かった。机の上にはカナの私物らしいノートと懐中時計があった。カナはベッドに腰掛け、それと向かい合うようにジェイルは椅子に腰かけた。カナはぼーっとしていて何も話さなかった。ジェイルが先に口を開いた。


「君はここから外に出たことがあるかい?」


 カナは首を横に振った。恐らくカナはこの建物の中で生まれ、育ってきたのだろう。だとすれば彼女の親や他の人間もここにいたのだろうが、その姿は見当たらない。どういう経緯で彼女一人だけがここに残されたのかは分からなかったが、たとえ孤独でもこうして生き残っているだけ奇跡的と言える。


「今、人類がどういう状況にあるかは知っているかな?」

「みんな死にました」

「そうだ、大勢が死んだ。だが皆ではないよ」


 人類の衰退期ともされる時代が始まってから半世紀。たったこれだけのあいだに人口は急減し、カナのような生き残りは貴重な存在になっていた。


 ところで彼女のこの知識は誰かに教わったものか、それとも資料保管庫にはそういう記録も残されているのか。ただ、こうして会話が出来ることからして天涯孤独というわけでは無かったのだろう。


「君のような生き残りは各地に散らばっている。が、そうやって散り散りに暮らしていても長くはもたない。君だって一人は寂しいだろう?」


 カナはこくこくと頷いてはいたが、相変わらず無表情だった。リアクションの物足りなさに不安を感じたが、ジェイルは話を続けた。


「そこでだ、我々は各地を旅して君のような人間を保護してまわっているのだ。保護した人間は一か所に集め、我々の庇護のもと安全な暮らしをおくってもらう。その名も人類再生計画。その計画を実行する我々こそ、誇り高き吸血鬼連盟である!」


 語りに熱が入ったジェイルは、バッと両手を上に掲げ天井を仰いだ。それでもカナは相変わらず黙ったままで、驚愕や感動を期待したジェイルは肩すかしをくらった。気恥ずかしくなって姿勢を正し、カナの反応をうかがった。ぽつりとカナがもらした。


「私の血を吸うんですか?」


 吸血鬼と聞くとどいつもこいつもこれである。


 人間の血を飲まずとも生きていける。とはいえ飲まないでいれば力が衰えていくのもまた事実。しかし現在、吸血鬼がその超常現象じみた力を発揮することはほとんどなかった。 敵対する勢力もなし。ジェイルのように各地を旅する吸血鬼は危険に巻き込まれることもあるが、本気を出すまでもなく強靭な肉体に物を言わせれば大抵の厄介事は片付いた。人間の居ない世界というのは吸血鬼にとって張り合いのないものだった。


 力を振るう必要が無くなるにつれ、吸血行為も不要なものになっていった。それで吸血鬼を名乗っても良いものかと考えることはあるが、少なくとも人類再生計画は食糧確保のために始めたものではなかった。絶滅に瀕した種に救いの手を差し伸べる、人間風にいえばエゴである。


 危害を加えるつもりはないと説明すると、カナはまた頷いてからベッドに横たわった。それからは沈黙が続いた。ジェイルはじっとカナを観察していた。カナの視線はこちらに向いていないように見えた。彼女は何を見ているのだろう。あるいは目を開いているだけで何も見ていないのかもしれない。


 どれくらい時間がたったか、ピンポンパンポンと夕食の時と同じチャイムが鳴り、


『消灯時間です、部屋に戻ってはやく寝ましょう』


 という放送が流れた。三分ほどするとブザーが鳴り、照明が切り替わった。弱いオレンジ色の光がぼんやりと室内を照らした。


「おやすみなさい」


 と、カナが。


「ああ、おやすみ」


 それにジェイルが返した。自分に向けて言ったのではなく、そういう習慣だったのかもしれないとも思った。ジェイルは椅子に座ったまま目を閉じて眠った。


 人間の生活時間に合わせているとはいえ、やはり吸血鬼。ジェイルは深夜に目を覚ましてしまった。窓もなく、時計も確認していないのに深夜だと分かるのは感覚としか言いようが無い。夜型の宿命か、夜は気がはやるのだった。


 生き残りの人間を見つけたこともあって、無意識の内に興奮していたのかもしれない。今からでも二段ベッドの上を使わせてもらえばぐっすり眠れるかも、と考えていた時だった。聞こえるのはカナの息遣いと、ほんのかすかにカチカチと懐中時計が時を刻む音のみ。しかしジェイルは室内から別の気配を感じていた。人間でも動物でもない、怪物特有のそれを。


 ジェイルは落ち着いて室内を見回した。床、天井、換気扇、机。気配を感じたのはベッドの方から、というよりカナからだった。嫌な予感がして、ジェイルは椅子から立ち上がった。


「カナ、起きなさい」


 カナは壁の方を向いて横向きに眠っている。揺り起こそうとして伸ばした手は空を切った。ジェイルの手はカナの体を通り抜け、触れることができない。見ればカナの影は明るい暗いに関係なく、はっきりとわかる黒だった。シェイドだ。


 カナはジェイルの呼びかけに答えてなんとか起きたものの、目はうつろで焦点が定まっていなかった。部屋の中央に持ってきた椅子に座るように言うとその通りにしたが、まるで生命力が感じられなかった。


 部屋を飛び出したジェイルは、居住区をまわって懐中電灯を集められるだけ集めた。どの部屋も同じ造形をしていて、同じように扉の横に懐中電灯が掛けてあった。途中、両手で持ちきれなくなった分はベッドから剥がしたシーツで包んだ。


 三階をくまなく漁って元の部屋へ戻った時には、カナの体が半透明になっていた。椅子から立つように促すとカナはその通りにし、ジェイルは椅子をどけて集めた懐中電灯を並べ始めた。カナを照らすように、周囲を円形に懐中電灯で囲う。持ってきたけど電池切れ、なんてことはなく全ての懐中電灯が強い光でカナを照らした。室内は明るくなり、カナの足元に真っ黒な影が浮かび上がった。


 早くしないと取り返しがつかなくなる。焦りながらも、ジェイルは待った。待ち続けると黒い影が蠢きだし、ぐねぐねと形を変えていく。まるで生きているかのように影は動き続け、やがて小刻みに震え始めたかと思うとピタッと動きが止まった。その直後、カナの足元から影が離れた。床を這ったかと思うと今度は壁を伝い換気扇の方へ。ジェイルはその一瞬を見逃さず、壁を這う影に向かって爪を突き立てた。爪の先が影に沈み込んで、ぶちっと何かがつぶれる感触があった。


 爪を引き抜くと影から黒い血のような物が噴き出し、同時に耳をつんざくような甲高い悲鳴が響き渡った。おおよそ十秒間。蓄えたエネルギーを放出しきったシェイドは壁に黒いシミを残して消滅した。


―――


 怪物の出現から一年も経たないうちにその戦いの勝敗は決していた。人類の敗北。攻撃されていることにすら気づかぬままに総人口は半減し、いつのまにやら権力を持つようになった霊媒師達の提案で人々はシェルターを作った。シェルターと言っても外観は白い箱。


 生活に必要な機関と保存すべき文化を詰め込み、結界で外界から遮断した。誰が中に入るかでもめることは無かった。シェルターが完成するころには人口の減少がさらに進んでいて、椅子取りゲームにあぶれる者も居なかったからだ。


 結界は完璧なものではなく、ほとんどが怪物に破られるか自然に効力を失った。シェルターを囲む結界だけが唯一にして最強の防御であったために、多くのシェルターは完成後まもなくして廃墟と化した。仮に結界が保たれたとしても、運悪く完成した時点で怪物が中に紛れ込んでいることがあった。


 そのシェルター内では、一人また一人と住民が消え続けた。分かるのは人数が減っているということだけであり、消えてしまった誰かのことは思い出すことが出来ず、それに危機感や疑問を抱くことすら出来なかった。時が経ち、シェルター内では新しい世代の子も生まれるようになった。それでも差し引きで言えばマイナスであり、人口の減少は止められなかった。


―――


『おはようございます、起きる時間です。今日も一日元気に過ごしましょう』


 館内放送が流れて、ジェイルとカナは同時に目を覚ました。ジェイルは椅子に座っていて、カナは二段ベッドの下段に。ぼけっとしているカナの頬をぺしぺし叩いたジェイルは、腕を組んで満足そうに頷いた。カナ自身も自分の頬を触って感触を確かめると、声を上げて泣き始めた。ジェイルはそれを見守った。偉そうにふんぞり返りながら。


「クロムウェル卿さん、助けてくれてありがとうございました」


 泣き止むと、カナはそう言った。昨日はあんな状態だったのに何が起きたかは覚えているらしい。泣いてケジメはつけたぞ、と言わんばかりにしっかり背筋を伸ばして礼をするカナを見て、歳の割にしっかりした子供だとジェイルは感心した。


 昨日ジェイルが受けた印象とは違い、カナはよく喋る子供だった。


 物心ついた頃にはシェルター内で人が消える怪現象が起こっていたこと。その対策に住民皆が日記を付けたが、読み返しても誰のことだか分からない名前がでてくること。生みの親も育ての親も思い出せないということ。一人きりなったのは割と最近であるということ。一人になってからは資料保管庫の本を読み漁って過ごしたが、だんだん何も考えずぼーっとしている時間が増えていったこと。


 カナは、自分自身が知っているシェルターでの出来事を矢継ぎ早に話した。今までずっと寂しくて、話し相手が欲しくて仕方なかったという風だった。


 カナがひとしきり話し終えた後は、ジェイルが昨日の怪物の事を教えた。


 シェイドは動物の影に憑りつき、その生命力を奪うこと。生命力を吸い尽くされると存在そのものが消え失せ、誰の記憶にも留まらないということ。たとえシェイドを倒しても思い出は戻らないということ。


 カナは俯き加減に話を聞いていた。やはり人の子となると親のことを忘れるのが寂しいか。そう考えると、なおさら彼女を孤独から救ってやらねばとジェイルは意気込んだ。もちろん、これも人間風に言えばエゴである。


 カナは黙り込んでしまって何も言わない。ここは吾輩が助け船をだしてやらねば、とジェイルが声をかけようとした時、


「あの!」


 がばっとカナが顔を上げた。ジェイルは驚いて身を引いていた。


「ここは設備が整ってるし、本当はもっとたくさん人が暮らす予定だったから食糧の貯えもあります。私一人なら十分ここで生きていけます」


 ジェイルは衝撃を受けた。助けはいらないというのか。ジェイルの肩ががっくりと落ちる、という寸前に「でも」とカナが続けた。


「やっぱり一人は寂しいです。だからお願いします。クロムウェル卿さん、私を人間の暮らすところへ連れて行ってください」


 今度は頭を下げず、カナは真っ直ぐジェイルの目を見て言った。それを聞いてぱっと顔を輝かせたジェイルは、ふんぞり返って答えた。


「任せたまえ!」


 その直後、ピンポンパンポンとチャイムが鳴った。


『朝食の時間です、食堂に集まってください。朝食の時間です』


 ジェイルとカナは目を合わせた。カナがにっと笑った。満面の笑みを浮かべるカナは歳相応に子供っぽかった。


「ですって、行きましょう!」


 駆け出して行ったカナに続いて、ジェイルも部屋を後にした。


 階段を下りながら、ジェイルは自分もシェイドもここに現れなかったらどうなっていたかを考えていた。死ぬまであの白いドロドロと固形食糧を食べ続けるカナと住人達。吸血鬼的観点で言えば、そういう人間の血は美味くないのだろうな、と。


初めての投稿でよく分からぬままに連載小説としてしまいましたが

続きを何も考えてないので完結ということにしときます

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