表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
エゴの怪物  作者: 徒労
1/2

箱の中の影.1

 フード付きのローブに革の手袋。真夏の陽気が射す中、まるで季節感のない恰好のジェイルは急ぎ足で歩いていた。雨上がりの山道にはあちこちぬかるみができ、地面からは蒸し暑い熱気が立ちのぼっていた。体質的に汗をかかずあまり暑さも感じないとはいえ、この湿気は苦手だった。


 ジェイルは日除けのフードを目深に被り直し、立ち止まって空を見上げた。西の方角にはどんよりとした雨雲が迫っていた。このままだと半日もしない内に追い付かれるだろう。木陰で丸くなって雨宿りをする自分を想像して、ジェイルは鼻でため息をついた。ローブの裾は泥水を吸って重たくなっているのに、これ以上水を浴びるのは嬉しくない。これまた泥を浴びたキャリーバッグを引きずり、ジェイルは再び歩き出した。ずるずる、べちゃべちゃと不快な行軍が続いた。


 歩き続けると道の勾配はきつくなり、木も増えて木漏れ日が射すようになった。ジェイルは相変わらずの急ぎ足で坂道をずんずんと上って行った。聴こえるのは虫の声と、自身が泥を跳ね上げる音だけ。ところどころ道をふさいでいる木の枝を掻き分けながら進むと、上り道の先が見えなくなり光の射す光景が見えてきた。もうすぐ峠を越えられるらしい。そう思って気が抜けたか、ジェイルは足元の木の根に気付かず躓いてバランスを崩した。


 踏みとどまった足で泥が大きく散った。どうにか転ぶことなく体勢を立て直したものの、よろめいたのをきっかけに空腹を感じたジェイルはじっとキャリーバッグを見つめた。鼻でため息をついたジェイルは諦めたようにキャリーバッグを引き寄せ、いじらしくカバンの口を少しだけ開けて中を覗き込んだが、またすぐに閉じた。どうせ栄養補給をするなら見晴らしの良い峠で休みながらにしたい。もうひと頑張りだと自分に言い聞かせて歩き出そうとした時、ジェイルは気配を感じて動きを止めた。


 途端に気怠さが吹き飛び、ジェイルの感覚が研ぎ澄まされた。ジェイルは視線を動かさず、音とにおいで気配を探った。虫の声、木々のざわめき、土と雨上がりのにおい。それらに混じって獣臭さとその息遣いを感じ取ったジェイルは姿勢を低くして構えた。気配は左手の茂みから。両者共に動かず、視線を交わさない睨み合いが続いた。張り詰めた空気の中、ジェイルは相手の出方を待った。緊張が高まる中、突然あらゆる音が止んだ。同時に気配が消えた瞬間、ジェイルの後方から雄叫びと同時に獣が飛び掛かってきた。一瞬で回り込まれたことにも慌てず、ジェイルは上半身を反らして攻撃をかわした。それと同時にやや小さめなシルエットを確認したジェイルは、左手で首根っこを掴んで獣を泥の上に叩きつけた。獣はぎゃあぎゃあと喚きながら暴れたが、ジェイルの力には敵わなかった。


「痛ぇって!離せ、離してくれよ!」

「話せるとなると、なるほど化け狸だったか」

「化け猫だよ!ニャアって鳴かなきゃ判んねえか!」


 意思疎通の出来る相手だと分かったところで、ジェイルは化け猫を離してやった。ああまったく、とかついてないぜ、とか言いながら化け猫は立ち上がり、泥だらけになった自分を見て悲しげな顔をした。服を着て二本足で立ち話す猫となると中々ファンシーな奴だとジェイルは思ったが、ついさっき襲われたことを思い出してその考えを頭から追いやった。


「まったく、一張羅が台無しだよ」

「そのぼろきれが一張羅か。貧しい暮らしをしているのだな」

「たった今あんたのせいでぼろきれになったんだがね」


 どの口がそれを言うか、とは言い返さない替わりにジェイルは化け猫を睨みつけた。居心地悪そうになった化け猫はかなり不器用な愛想笑いをすると、荷物お持ちしますよ、と頼んでもいないのにキャリーバッグを引いて坂を上り始めた。キャリーバッグと不釣り合いな大きさの化け猫の背を見ながら、ジェイルは後に続いた。それにしても、と化け猫が話し始めた。


「旦那はお強いお方だ。アタシ、かくれんぼは負け無しだったんですが」

「さっきのはかくれんぼか。プロレスだと思っていたよ」


 急に媚びへつらう態度を取り始めた化け猫は、皮肉に言い返すことも無く話し続けた。


「ところで旦那、どこかよその国から来なすったね?なあに隠すことは無いでさあ、アタシ位になれば一目見れば判るってもんです」

「一目見て実力差を判断するべきだったな」

「能ある鷹は爪を隠すと言いますぜ」

「コウモリにも隠す爪はあったかな」

「やや、旦那は化けコウモリですかい。通りでこの暑いのに外套なんてすっぽり被ってる訳です、陽射しは苦手ですもんね」


 化けコウモリという呼び方はジェイルのプライドを刺激したが、否定はしなかった。実際、コウモリに化けて空を飛ぶことも出来るのだから。


「それで旦那はどうしてこんな所へ?この田舎にゃ大した物はありませんよ」

「生き残りの人間を探しているのだよ。この辺りに住み家があると聞いたのだが知らないか」

「人間ですか。まあそりゃ、居ると言えば居るのかねえ」


 ジェイルの先を行っていた化け猫は峠を上りきると、ほらもう見えますよ、と手招きをした。それに続いて峠を上りきったジェイルは、麓を見下ろしてようやく目的地にたどり着いたことを確認した。あれですよ、と化け猫が指を差すまでもなく、人間の住み家は一目で分かった。山間にはコンクリートとアスファルトで出来た近代的な街並。廃墟と化したその中心に、白くて窓のない箱のような建物が鎮座していた。豆腐みたいでしょう、と化け猫は言った。


「あそこに人間が入っていったのを見たのは、もうずっと昔の話です。と言っても見たのはアタシじゃなくて別の奴で、アタシはそれを伝え聞いただけなんですがね?その時に陰陽師だか祈祷師だかが張り巡らせた結界が今でも残ってて、蟻の這い出る隙も無い。侵入して確かめた奴は誰もいませんが、今でも中で人間が生活を続けているかは怪しいもんですよ」

「きっと生きているさ。連中、しぶといものだよ」

「そんなもんですかね。って、中に入れないって話聞いてました?」

「なあに、問題ないよ」


 話がひと段落したところで、ジェイルは手近な岩に腰を下ろしてキャリーバッグを開いた。手探りで中をかき回すと手のひらサイズの包みを引っ張り出し、その中の固形食糧をかじった。それを見た化け猫は、あからさまにがっかりしていた。


「……何を期待していた」

「いやあ、コウモリっていうくらいですからね。血液パックみたいなのを持ち運んでて、それにチューブを刺して血を飲むのかと」

「コウモリ、イコール血を飲むという認識はどうかな。まあ確かに人間の血は飲むが、飲まないからと言って死ぬわけでは無いし、腹が空けば選り好みせず何でも食べる。血液パックを食糧として持ち運ぶなんて聞いたことないし、そもそも日持ちしなかろう。その点これは便利だぞ、腐らないし調理も必要ない。人の文明も捨てたものではないな」

「栄養さえ取れれば良いなんて、食べるのを楽しむことさえ忘れちまったから人間は滅びたんです。そういう味気ない食事は良くありませんぜ」

「そうだな、久しぶりに美味いものでも食べたいよ。猫のステーキとか」

「……アタシゃ美味くありませんよ」


 人類が地球の主役では無くなってからも、その遺産は現在まで受け継がれている。特に人の姿をとる者、とりわけ元々が人間だった者とかつての文明との親和性は高く、彼らが集まって街を作り生活を続けている場所も珍しくなかった。しかし、眼下に広がる廃墟からはそうした営みを感じることは出来ない。精々、この化け猫のような獣じみた連中がねぐらにしている程度だろう。


 空を見れば、雨雲が近づいてきていた。ジェイルは食糧を包みにしまうとキャリーバッグに戻し、立ち上がった。今度は自分でキャリーバッグを引き、町に向かって峠を下り始めた。ジェイルの急ぎ足に合わせて、ほとんど小走りに化け猫がついてきた。


「ところで旦那、なんでこんな山道を通って来なすったんですか?こんな泥だらけにならなくとも、道路を辿ってくれば良かったでしょうに」


 ジェイルは答えず黙って歩き続けた。近道だと思って山の中を突っ切ってきた、とは言えなかった。


 遠目で見る以上に街は荒れ果てていた。手入れのされていないアスファルトの道路はひび割れができ、その隙間から雑草が伸びていた。育ちすぎたものや根から倒れて朽ちた街路樹と、乗り捨てられた自動車が道をふさいでいた。建物の窓は割れ、壁面にはツタが這っていた。風化してコンクリートが崩れ落ち、鉄筋がむき出しになっているものもあった。


 そういった物陰に潜む何かの気配をジェイルは感じ取っていた。相変わらずジェイルについて来ている化け猫は身を屈め小声で話した。


「アタシと一緒に居れば連中も襲い掛かってくることはしませんよ。皆、よそ者が珍しいんです」

「そうやって恩を売ろうという魂胆か。見返りに何を求めるのかね?」

「いえいえとんでもない。もてなしの心をもってお客様を迎えるってのがアタシの信条なんで」


 こっちです、と先導する化け猫を後をジェイルは追いかけた。路地裏や住宅の敷地内を突っ切って進むにつれ、遠くに見えていた白い建物は近く、大きくなっていく。建物のある敷地に辿り付くころには、その白い壁は見上げるほど高くなっていた。


 ジェイルの目算で、白い壁の高さは30メートル、幅と奥行きは50メートル程。窓も入口も見当たらない。その敷地を等間隔に打たれた2メートル程の杭が囲み、杭自体にはびっしりとお札が貼られ、杭同士はしめ縄で繋がれていた。しめ縄についている紙垂しでや白い壁に劣化は見られず、ここだけが時間の流れに取り残されているかのように見えた。


「アタシらが言うのもなんですが不気味なもんですよ。今となっては誰も興味を示しませんがね」

「吾輩は興味津々だ。こういう建物は各地で見かけたが、どれも廃墟と化していたからな」


 そういうとジェイルは手袋を外し、建物の方へ右手を伸ばした。ゆっくりと近づけた手が敷地の境目に達したところで、指先が見えない壁にぶつかり激しい音を立てて火花が散った。ジェイルはすぐに手を引いたが、指先が黒く焦げていた。


「一筋縄ではいかないようだ」


 ジェイルはにやりと笑うと、焦げた指先に息を吹きかけた。黒く焼けた皮膚が飛び散り、あっというまに元の白い肌に戻った。手を握ったり開いたりして指先の感触を確かめたジェイルは、手袋をすると建物の敷地に沿って歩き始めた。あきらめましょうよ旦那、とぼやきながらも化け猫が後に続いた。


 白い建物はどの方角から見ても変わり映えせず、入口らしきものは一向に見当たらなかった。歩き続けるうちに空は曇り、風が吹きはじめた。敷地の角を3回曲がり、もうすぐ一周といったところでジェイルは足を止めた。目を凝らすと、敷地の向こう側がかすかに歪んで見える場所があった。その場所だけ結界が弱まっているのだとジェイルは確信したが、同時に疑問を抱いた。


「今までに誰も中に入っていないというのは本当なのか?」

「アタシの知ってる範囲ではそうですよ。この結界を破れるような奴がいれば、あっという間に噂になってるでしょうね」


 だとするとこの空間の歪みは何なのだろうか。単純に誰にも見られずに侵入したという可能性も多いにあったが、とにかく好都合だと考えることにした。


「今からこの街は吾輩の噂で持ちきりになるだろうな」


 えっ、と驚く化け猫を尻目にジェイルは結界に向き直った。目を閉じて深呼吸をすると、右手の人差し指と中指を立てて、空中に十字を切った。その瞬間、敷地の向こう側の景色がぐらりと揺れた。化け猫が驚いて声を上げたが、ジェイルは気にしなかった。目を開きもう一度深呼吸をすると、右手を結界へと近づけていく。結界と指先が触れ、空中に波紋ができた。なおも右手を伸ばすと、敷地を越えた先から右手が見えなくなった。そのまま歩き出したジェイルの姿は腕、肩と順に見えなくなり、ガラガラと引いていたキャリーバッグを最後にその姿は完全に消え失せてしまった。空中の波紋が収まり、口をぽかんと開けて立ち尽くす化け猫だけがその場に残された。


 結界の中はまるで別世界のように静かだった。振り返ると、すぐそこに居るはずの化け猫の姿が見当たらない。それどころか結界の向こう側からはあらゆる生き物の気配が感じられなかった。さきほどジェイルが通り抜けてきた場所は、外から中を見たとき以上に空間の歪みが大きい。これについてジェイルは、自分が結界を抜けた影響だと考えることにした。


 白い建物に向き直ったジェイルは、その様子も結界の外から見るのと違うことに気が付いた。壁面はところどころ塗装が剥げ、外からは見たときには無かった鉄扉や、通気口らしき穴があった。結界越しに見ると幻が見えるようになっていたのだろうか。これだけ強力な結界を張れるほど信心深い人間も居たのか、などと一人感心しながらジェイルは鉄扉を開けて建物に入って行った。空を雲が覆い、雨が降り始めた。


ファンタジーな世界だと思って多少おかしなところがあっても目を瞑って頂けると幸い

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ