94-ラストアタック
トンファーを『拐』という武器に変更。
形状はほぼ同じですが、厳密にいえば違うので。拐のほうが長く、武骨です。
実をいえば、ちょっとした名前などの都合です。
作者の都合ともいいます。ごめんなさい<(_ _)>
前話のトンファーも変更してあります<(_ _)>
嫌な客としての仕事を終え、いつもの夜店に蔵人たちと大星の姿があった。
アズロナが誘拐されたときに物騒な包丁を研いでいた夜店の老人は、蔵人たちに酒とつまみを適当に提供したのち、それっきりテーブルの上で愛嬌を振りまくアズロナとのんびりとした空気を醸し出していた。
そんなアズロナを、蔵人と大星が凝視していた。
「オスなのにメス……ん~~男色、なんだろうがそれとも少し感じが違うような気も……よくわからないな」
拒否感がないだけ大星は大物である。
この世界のこの時代、一般人の性的少数者について知識や理解など広まってはおらず、拒否感があってもおかしくはない。地球とて現代になってようやく社会認識が広まってきたのであり、決してこの世界がおかしいということでもない。
蔵人にとっては、アズロナがいわゆる男の娘であったとしても何ら困るようなことはない。よって、あまり拒否感はなかった。これから生きていくのが大変だな、とか、繁殖とかどうすんだ、とかそんなどうでもいいことをなんとなしに考えていた程度である。
「……単純に身体はオス、内面はメスというだけだろ。生まれる時にちょっと間違いが起こって、オスの身体にメスの脳が入ってしまったようなもんだと考えればいい。生まれつきこういうもんで、本人の意思じゃどうにもならない……はずだ」
蔵人はちらりと雪白を見た。
雪白はどこか気まずい様子で、誰とも視線を合わせずに黒酒をちびちびと舐めている。
アズロナにとって親とも姉ともいえる雪白は、その精神に深く影響を及ぼしている存在と見て間違いはない。子供など生んだことがない雪白がアズロナの性別を判別できないまま育児をしようと思えば、自らの経験を辿って育てるしかなく、当然それは自らの性のメスとしてということになる。
その結果、男の娘になってしまったのだと推察される。
そもそも、知能が人並みかそれ以上にある高位魔獣が子供をオスらしくとメスらしくといった区別をして育てているのかどうかすら分からず、オスメスの判断がつかなかった蔵人に雪白を責める気持ちはない。
ただなんとなく、どういう気持ちで育て、そして今はどういう気持ちなのかと気になって見ていたのだが、こっち見んな、と蔵人の顔にぼふぼふ尻尾をぶつけているあたり、雪白にとっても想定外の出来事だったのかもしれない。
「……肉体と精神が一致せずに生まれてきたということか。なるほど、そういうこともあるかもしれないな」
おおよそそういう理解で間違いはない。先天的に脳がどうとか言ったところで蔵人にも説明しきれるものではない。
「人にも似たような奴はいるだろ?」
その言葉に大星は難しい顔をして溜め息をついた。
「……確かにいるな。ただ少し違うような気もする。アズロナは尻なんか撫でてこないからな」
蔵人は事情を察し、同情した。実体験済みだったらしい。
生温かい蔵人の目つきに大星は慌てて話題をかえた。
「そ、それはともかくとして、次の日程なんだが美児たちに仕事が入ったんだ。七日後にして欲しい」
「七日後か、わかった」
なんてことを話している内に、わらわらと人が集まっていつものあり様となる。
衝撃的な事実がもたらされた翌朝。
蔵人は携帯食料を買い込み、遺跡にいた。
今日は長く潜るつもりだった。遺跡にも多少は慣れた。十分に休んだ。時間もできた、というわけで今度はより下へ、行くつもりだった。
遺跡がどんなものか、どんな場所か、知るために。
九層までの地図も買っており、目標は地図が販売されていない十層であった。探索者ギルドの公式発表している最高到達階層は二十一層であるが、白霧山遺跡の探索者は少なく、内部構造の変化周期に地図の作成が間に合っていないというのが現状であった。
龍華側でどうなっているのか、今のところ知る由もない。
蔵人たちは丸一日ほどであっさりと三層や四層を踏破していく。
罠は障壁任せに駆け抜け、魔獣は雪白が嬉々として一蹴し、討伐証明部位のみを剥ぎ取って先に進む。
そして蔵人たちは五層に足を踏み入れた。
五層に多い精霊は土精。罠魔に加え、遺跡に備わった罠もよく見られるようになる。
そして魔獣は。
――ぎぅいーーーーーーーーーーーーっ!
アズロナが目に涙を溜めながら、氷上でシロクマに追われるアザラシの如く、鶏に似た魔獣の群れから必死に逃げ回っていた。
その鶏は白色レグホンなどより一回り以上大きく、そして首から上がなかった。
無頭鶏と呼ばれる殺戮鶏である。自身は食事をとることができないが、アンデッドのため死ぬこともない。しかしそのせいで常に飢餓状態にあるらしく、非常に凶暴であった。
頭がないのに動いている。ましてや、猛然と襲いかかってくる。
アズロナは飛ぶことも忘れてパニックに陥っていた。
だが、鶏と足のない飛竜の仔では機動力が違い過ぎた。
ついに、追いつかれてしまう。
無頭鶏は十匹。その蹴爪が一斉にアズロナへと飛びかかった。
理解不能なものへの恐怖がアズロナの野生の血を呼び覚ます。
アズロナは野生の閃きのままに、羽ばたく。
開けば自分の体長よりも大きな両翼は、頼りないながらもアズロナを空中へ避難させた。
ほっと、空中で一息つくアズロナ。
だが鳴き声一つ上げず、仲間を土台に跳びかかってくる無頭鶏にぎょっとした。
通常の生物と違って脳の抑制などないアンデッドである。筋繊維をぶちぶちと切らせながらも全力で跳びかかってきた。
アズロナは拙い翼捌きでどうにかそれを避け、そして大きく息を吸って、吐き出した。
水の奔流が無頭鶏に襲いかかる。
が、ホースの口を絞ったような威力しかないそれは、空中にいた無頭鶏こそ少し遠くに弾き飛ばしたが、ほかの地面にいた無頭鶏を僅かに後退させるだけであった。
本来であれば、ウォーターカッターやレーザービームのように吐き出したいのだが、未だそこに至る気配はこれっぽっちもなかった。
無頭鶏が次から次へと跳びかかる。
いつまで経っても飛行のうまくならないアズロナはへろへろふらふらと避けるも、ついには力尽きてしまった。
ぼてっ
そんな気の抜けた音をさせて墜落したアズロナに無頭鶏が殺到した。
――ぎぅーーーーーーーーーっ
蹴爪による集団暴行。
関節技に持ち込もうにも数が多すぎて一匹にかけている間にやはり集団暴行は避けられない。
人の皮膚や肉程度ならば抉る蹴爪もアズロナのしっかりしてきた蒼鱗はどうにか防いでいる。だがその蹴りの衝撃はアズロナの体内へと届き、さらに頭のない鶏に殺到される恐怖も相まって、全身を丸めて防御しているアズロナを精神的に追い詰めていった。
――ぎ、ぎぅ……
アズロナの鳴き声が、消えた。
こんなものかとそこで雪白が割って入り、無頭鶏を蹴散らして事なきを得る。しかしえぐえぐと泣きつこうとするアズロナを雪白は慰めず、傷を舐めるに留めていた。あの誘拐事件から、雪白のスパルタが加速していた。
蔵人は自分もいつか通った道とアズロナに同情しつつも、命精魔法での治癒を施そうと身をかがめた。
背後をさっと何かが過ぎ去った。
その気配に蔵人は振り向くも、何もいない。
キョロキョロと当りを窺うと、洞窟の遥か先を子供にも似た罠魔らしき後ろ姿があり、その手にはくの字に曲がった物体が握られていた。
蔵人は直感的に腰に手を回して確認するも、ブーメランが一本ない。
罠魔が仕掛ける罠は下層に行くほど凶悪なものとなり、罠魔自体の早さも増す。どこまでいっても強さ自体は大したことはないが、手癖が悪くなる。遺跡の嫌われ者とはよくいったものであった。
数瞬呆気にとられていた蔵人は我に返るも、ふつふつと苛立ちが湧いてくる。
障壁で押し潰しているとはいえ罠は鬱陶しく、障壁を張り直すのも手間であった。このうえで武器まで奪うなど目障りにも程があった。
蔵人はアズロナを雪白に任せ、駆けだした。
地図と魔導書を片手に、障壁任せに罠魔の罠技を跳ね返しながら追う。
罠魔は速い。
しかしいつも雪白に追いかけられている、もとい一緒に駆けている蔵人もそれなりに速く、さらに薄暗い洞窟の中では闇精魔法の探知も効きやすい。
結果として追いつけはしないものの、着実に追いかけることが可能であった。
あの手この手で、罠が迫る。
時折道の先にちらりと見える罠魔のニヤけたようにも見える口が小憎らしい。
それでも、突きだされる矢や槍を跳ね返し、落石を受け切り、トラバサミを踏み越える。
罠魔を追いかけるほどに罠は密度を増した。
蔵人は追いかけることに専念しており、自律魔法の物理障壁の展開が間に合わず、革鎧や命精魔法の障壁にまで罠は接触したが、結局蔵人の肉体を傷つけるにはいたらなかった。
蔵人は終わりを感じる。
この先は、行き止まりであった。
駆けている間も闇精魔法で気配察知にも手は抜かなかった。追いかけていって、魔獣の巣だったなんていうオチは生死にかかわる。
そしてようやく、小さな小部屋で罠魔を追い詰める。
罠魔はいそいそとブーメランを小さな石棺らしき物に入れようとしていた。
そうはさせじと、蔵人は中級氷精魔法『氷波』で部屋ごと罠魔を凍てつかせた。
ほぼ同時に、最後の一撃だとばかりに罠魔も罠技を発動させていた。
蔵人の位置にしかけてあった罠が遅延発動し、背中を杭が強打するも、障壁と引き換えに杭は消滅する。
ほっと一息つく蔵人。
周囲に敵がいないことを確認し、罠魔の死骸から討伐証明部位を剥ぐ。この階層ならば対応できるとはいえ、雪白と随分離れている。早急に合流したかった。
――ドスッ
屈みこんだ蔵人の尻に、衝撃がめり込んだ。
罠魔の死骸をまたぐ形で前のめりに倒れ、尻を押さえて微動だにしなくなった蔵人。
突然出現した木槌が、展開していた命精魔法の障壁を貫通して蔵人の尻を強打したのだ。
罠魔の最後の一撃だった。
蔵人も資料では知っていた。ことのほか強力だった背中への杭の一撃がそれだと思い込んでしまっていた。
杭でなかったことが幸いであったか、そもそも局部でなかったことを喜ぶべきか。
この世界に来てから妙に尻が祟る、そんなやくたいもないことを考えながら蔵人は尻を押さえてどうにか立ち上がる。
――がぶっ
立ち上がるために何気なく手にした小さな石棺が、猛然と蔵人の手に噛みついた。
箱魔。
遺跡内の宝物を納める器に擬態した魔獣である。名前の由来は遥か昔に存在した不運な冒険者ジャックが、遺跡の宝箱にて百回連続で箱魔と遭遇して冒険者を引退したという笑劇やら事実やらにちなんだとか。
「くそっ!」
噛みつきこそ命精障壁で防いだが、蔵人は行き場のない苛立ちを吐き捨てた。
やられっぱなしである。
勝った気がしない。というよりも非常に腹が立つ。罠魔の赤い三日月のような口に嘲笑われるような錯覚さえ覚えた。
戦果はブーメランを取り戻しただけ。
罠魔も箱魔も僅かな討伐証明ポイントにしかならない。
そんなとき、雪白がへたばったアズロナを連れて小部屋の出入口に顔をのぞかせた。
そして、あの憐れみに満ちた表情を浮かべたのだ。屈辱に満ちた蔵人の顔と部屋のあり様に、またやったのかと雪白は呆れていた。
くそっ、蔵人は何度目かの悪罵を吐き出し、雪白はやれやれと嘆息するのだが――。
――ポコンッ
雪白の頭にタライが落ちて、気の抜けた音をさせた。
途端に、気まずい空気が漂う。
殺傷力のない、雪白からすればまるで意味が分からない攻撃であった。強いて言うなら蔵人のする悪戯のような、そんな無意味な避ける必要すらない攻撃である。
もし殺傷力のある攻撃ならば危機察知が働いたかもしれない。まさか罠魔がそんな意味不明な罠を用いるとは思わなかった。単純に蔵人の様子に油断した。
理由は色々あるが、もう遅い。
雪白は醜態を晒してしまった。
だが、当り散らすべき罠魔はもういない。
雪白の目はしばらく虚空を彷徨い、そして蔵人を捉える。
お前のせいだっ。
まるでそう言わんばかりに飛びかかる。
「それは濡れぎ――ブホッ」
あながち濡れ衣とも言い切れないが、雪白は蔵人の言葉など聞き入れず、その腹に頭から突撃した。
雪白の顔が赤くなっているかはふかふかの白毛で分からないが、完全に八つ当たりである。ついでに、黒陽を相手にするストレスの溜まる仕事の分も喰らえとぐりぐりと頭を擦りつけ、甘噛みする。
「――痛っ。肉に、食い込んでるっ、お、落ち着けっ」
甘噛みではなかったらしい。
蔵人はしばしの間、雪白の八つ当たりを受ける羽目になった。
ちなみにアズロナは完全にへたばっており、蔵人と雪白の過激なじゃれあいを悟ったような目つきで眺めていたとか。
過激なスキンシップのあと、蔵人は決めた。
十層のことは、すっぱりと忘れる。
まだどこか不機嫌な雪白を背後に置いて、蔵人は氷精魔法で長い氷柱を作成。
それを持って、コツコツやりなが洞窟を前進しはじめた。
まるで視覚障害者の使う白杖のような動きで地面や壁までも探りながら進む。
氷棒に反応して、罠が発動する。
蔵人の目の前を、矢が通過していった。
一つあれば、その十倍はあると思え、とは罠魔の罠のことである。
蔵人は神経を研ぎ澄ませながら、氷棒を操り、その気配を探っていた。
そう、蔵人はどうにかして罠魔が設置した罠技の兆候を察知する術を得ようとしていた。
地道である。
精霊魔法の習熟、全力の一撃を放つ正拳突きを身体に沁み込ませるときのような、愚直な方法であった。
当然、その間は雪白は暇になり。雪白が暇になるとアズロナを鍛えることになる。
蟻と鶏。
アズロナはしばらく夢にうなされるほどに戦わされることになる。蔵人が罠を察知する方法を見つけるまでの間、洞窟には雪白にしごかれるアズロナの悲鳴だけが響き渡っていたとか。
丸二日ほどが経過した。
そんなに簡単に罠の察知など覚えることはできず、さらには遺跡由来の罠まで混じる始末で蔵人の罠察知は難航していた。
さすがに飽きてきた蔵人は途中にあった水場で休憩する。
ただの休憩ではない。
この水場には毒性のある水草や魚が生息していた。処理すれば食べられるようになるが、そんな手間をかけてまで遺跡で食料を取る者はおらず、万が一のときの非常食扱いであった。しかし食べられるのならば食料リュックに入れられると蔵人はリュージとの戦いで失った毒を補充すべく、いそいそと魚を釣り、水草を採取していた。
このときばかりはアズロナもその力を十二分に発揮し、水場に潜っては魚や貝を捕えてきた。
「……携帯食を失くしたのか?」
蔵人の背中に声がかかった。
雪白の警戒がないところを見ると敵ではないのか、蔵人が不思議に思いながら振り向くと大星がいた。
いつもの肩留の合わせと詰め襟があるモンゴル風衣装の上から、鋲と肩当ての目立つ地味な色の革鎧を着込み、その背にはトンファーによく似ている拐が二本くくられていた。姿形でいうならトンファーとの違いは長さとその武骨さであろう。
いつ来たのか、まったく気付かなかった。常に闇精魔法で警戒できるくらいにしておかないと不味いなと思いながら蔵人は立ち上がる。
「ん? ああ、いや、ちょっとな。それより、なんであんたが?」
さすがに毒の採取をしてるとは言い難く、蔵人は強引に話題をかえた。
「ああ、下層から『妖獣の主』が来ているらしいんだ。そいつの素材が高く売れるのさ」
妖獣の主とは、魔主のことである。
遺跡とは階層ごとに生息する魔獣が違うが、その実態は一種の蟲毒のようなもので、遺跡を完全に縄張り下においた強力な魔獣、魔主が時折這い出てくる。当然、その登ってくる過程の魔主を特定できたのなら、それを討伐することも可能であった。とはいえ、なかなかそんな予兆は捉えられないのだが。
「……大丈夫なのか?」
「あまり大きな声で言いたくはないが、他の三人はおれより強い」
つまり近接戦闘技術に限っていえば、全員が蔵人より強いことになる。
あの路地裏での大星の動きで、蔵人は大星との力の差を感じていた。大星がどれくらい強いかまでは、定かではないが。
「……何層にいるんだ?」
「情報では十五層だな。もう少し登ってきていると考えて十三か、十二だろう」
四人で十五層まで下りて、魔主になりかけの魔獣と戦う。
相当な戦力だなと蔵人が他のメンバーに視線を巡らすと、アズロナが見知らぬ人種の女にかまわれて楽しげに鳴き声をあげていた。
女は肩ほどまで伸ばした焦げ茶色の髪を一つに編んで後ろに垂らしており、真ん中で分けられた前髪の下には垂れ目がちな柔和な顔がある。一見すると武芸者らしくないが、大星と同じ形の革鎧を着ており、その背には馬車の車輪のような形に円形の刃を持つ一対の『乾坤圏』が、両腰には投擲武器にも近接武器にもなる『鴛鴦鉞』という三日月が二つ組み合わさった形の武器がつるされている。見た目に騙されると痛い目に合いそうな女武芸者であった。
だんまりを決め込んでいる雪白に穏やかな顔で語りかけている閻老師は、師弟らしく大星と同じような格好をしている。その背後には大量の荷物を背負った閻老師の小者がひっそりと控えていた。
「妻の玉英だ。それと閻師父に、師父に仕えてる迂侭さん」
蔵人と大星の視線に気づいた玉英がアズロナの両翼の脇に手を入れてぷらーんとぶら下げながらこちらに近づき、あっけらかんとのたまった。
「――この子、里子に出さない?」
「……駄目に決まってるだろ」
蔵人が呆れたように即答する。
「そう、残念。じゃあ、しばらく一緒に行きましょう」
ぷらんぷらんとアズロナを揺すり、自らもくるくる回る玉英。ぎうぎうとアズロナも楽しげである。
「あっ、玉英っ。……すまん」
「いや、別にいいんだが」
あれだけあっさり引かれれば反感など抱きようもなく、心底楽しげにアズロナと遊んでいると咎めにくい。
「何層まで行く予定だった? 玉英もああ言ってるし、できれば途中まで一緒にいかないか?」
「十層だが、足手まといになるぞ。……俺が」
情けないことを臆面もなく言い放つ蔵人に大星が苦笑する。
「玉英がああ言いだしたらきかないんだ。それでも無理強いをさせる女じゃないし、ダメなら断ってくれていい」
罠魔におちょくられて忘却の彼方にあったが、蔵人の本来の目的は十層で、遺跡とはどういう場所なのかを探ることである。
よく考えればなかなかできない集団戦の経験を積むいい機会とも言える。
「……じゃあ、よろしく頼む。基本は後方で精霊魔法を放つだけだ。盾も十分にある。気にせず戦ってくれ。最悪、雪白に泣きつく」
蔵人の言葉を耳聡く聞きつけた玉英が歓喜した。
大星一行に動向した蔵人だったが、力量違いの者に同行しても経験など得にくいということに遅まきながら気づく。
移動速度こそどうにかついていけたが、こと戦闘となるとその速度にまったくついていけなかった。フレンドリーファイアの可能性もあって、精霊魔法をおいそれと放つこともできない。
おそらくは全員が修練の末に身につけた天然の命精強化者で、さらにはなにか特殊な武術を修めているようであった。
ただ、蔵人と行動を共にするともれなく雪白がついてくるため、大星たちにとって損ではなかった。
雪白は蔵人のかわりだと言わんばかりに道行く先にいる魔獣を露払いした。雪白にしても、心おきなく獲物を狩れるというのは苦ではない。
雪白を抜きにしても、蔵人が思うほど大星たちは蔵人を足手まといだとは思わなかった。移動速度に遅れず、戦闘では防御を固めているだけで援護も無いが、邪魔にもならない。
雪白の分を足せば、むしろプラスとなっていた。
そんなちぐはぐな、しかしどこか一体感のある一団はあっという間に先を進んだ。
鎧袖一触。
大星たちが駆け抜けたあとには、討伐証明部位を剥ぎ取られただけの魔獣が散乱していた。
だが八層の半ばの大部屋で、異変が起きた。
無数の妖獣と黒づくめの一団が待ち構えていたのだ。
闇精魔法を行使する蔵人はもとより、大星や雪白も敵の接近には気づいていたが、避けなかった。ここを迂回すれば大きく時間を取られてしまう。
大星たちは目配せもせず、散開した。
大星は矢を避けながら加速し、直進した。
正面から迫る魔犬と交錯する瞬間、背に交差して吊ってあった拐を引き抜く。
大星は加速したままさらに敵の一団に向かっていくも、すれ違った魔犬は大星の後方で首から血を吹きながら崩れ落ちた。
そう、大星が握っているのは二本の拐ではなく、拐という鞘に納まっていた拐刀とでもいうべき武器であった。
大星はすれ違いざまに魔犬の突進を受け流しながら、その首を切り裂いたのだ。
受け流し、斬り捨てる。
大星の戦闘はその一言に尽きるが、まるで大星自体が大きなうねりとなって敵を引き込み、斬り捨てているようでもあった。
体重を一切感じさせない動きで後方に跳んだのは玉英である。
踏み込んだ段階で捻りを加えたことでその身は回転しており、さらに両手に握った乾坤圏を放った。
おそらくは特殊な武具であろう乾坤圏はまるで玉英が操っているかのように、襲いくる猛禽を次々と切り裂いていった。
そこへ、空中に体を残している玉英へ矢が殺到する。
だが玉英の右手には飛ばしたはずの乾坤圏が戻ってきており、玉英はそれを横薙ぎにして矢を切り落とした。
そして再び跳び、回転する。
まるで体重を感じさせない動きで縦横無尽に跳び回る玉英。三つ編みにした髪が尻尾のようにその後を追っていた。
そのアクロバティックな動きはまるでアゲハ蝶のように美麗で、しかし突然目の前から消えるように動くさまは蠅のように奇妙で、驚異的な動きであった。
左右に別れた閻老師と小者の迂侭。
一番分かりやすいが、一番不可解である。
頭二つ分以上大きな襲撃者の大斧を拐で平然と受け止め、即座に拐を握った直拳を放つ。
一瞬のことである。ただそれだけで、大男は崩れ落ちた。
そして二人は即座に駆けだし、受けて、倒すを繰り返した。
その間も無数の矢だの飛剣などが二人の身体に突き刺さるも、まるで鉄の塊に当ったかのようにポロリと落ちる。
命精による強化だとしても、あの数を受け切るのは不可能に近かった。
何度か瞬きする間の出来事であった。そこに雪白の高速戦闘も加わり、蔵人には目で追うことも困難になる。精霊魔法で援護射撃することなど不可能に近い。
その間蔵人が出来たことといえば、アズロナを首に巻きつけたまま、氷土の球壁と四枚の障壁を全展開することだけである。これだけは反射的に行えるほど自らに叩きこんでいた。
この世界に召喚されてたかだが二年ちょい。
成長著しい十代ではなく、二十代も後半に差し掛かった戦闘経験などない男である。二年間鍛え、多少の修羅場を潜ったくらいで熟練のハンターや十数年鍛えた武芸者に届く訳もない。
だがそれでも生きていくために、蔵人は執拗に防御を重ねた。
短期間で一定の力を得ることができ、不意打ちも防ぐことができる。
強固な防壁は脅威から身を遠ざけ、混乱することなく事態の把握に動ける。
先手を取らせれば、相手への容赦がいらない。何があっても正当防衛が成立する。
高速戦闘の身体速度や思考速度に対応できなくても、どうにか戦闘がこなせる。
防御能力を高めることは支部蔵人が支部蔵人として、このエリプスという世界で生きるための方法であった。
防御を固めた。
今この時、他に出来ることは少ない。
それでも、蔵人は落ち着いた思考で状況を観察し、するべきことを探った。
障壁展開後に行っていた闇精魔法が、逐一敵の配置を知らせてくる。
敵味方の区別すらない大雑把な感覚的なものであったが、敵の数と居場所くらいははっきりする。そのほとんどは時間的には過去の情報であり、めまぐるしく変わる現在の状況ではあまり有用ではない。
しかしその中で、まったく動きのない不自然な存在がいた。
蔵人は規格外の雪白を連れているとはいえ、猟獣使いのはしくれである。
猟獣を扱うなら、ある程度は猟獣に戦闘を任せる。そのために猟獣の使役者は猟獣を操れる範囲で、ここを監視しているはずである。
つまりここから最も遠くにいて、動かないのは、猟獣使いということになる。
蔵人は視覚を強化し、僅かばかり上がった視力で目を凝らした。氷でレンズを作り、遠眼鏡を作ろうとしたがやはりすぐには出来ず、断念していた。
敵の猟獣使いは広間の四方にある通路、蔵人の真向かいにある出入口のさらに先にいた。
精霊魔法を放つには距離がある。
蔵人は氷土の球壁内で三連式魔銃を構える。
さらに魔銃内に、圧縮に圧縮を重ねた石弾を生成。
同時に魔銃を自分ごと氷土で厳重に固め、球壁の外に氷土でライフルのような銃身を伸ばし、球壁の隙間から狙いを微調整する。
自分が生成したとはいえ氷は冷たく、土は重い。
首に巻いたアズロナが温かいくらいで、その心臓の音すら聞こえてくる。
――ぎう?
アズロナはそれほど寒くないのか、蔵人の頬に顔を擦りつけた。
蔵人は軽く息を吹きかけておちょくってやり、そして銃身の先を見据えた。
そして、空気を最大威力で炸裂させた。
跳ねあがる銃身を身体強化と氷土が抑え込む。
石弾が通過した氷土の銃身は砕け、一直線に敵に向かった。
が、見当違いの場所に当って壁を抉る。
狙われた襲撃者は何が起こったのか分かっていないようで退くべきか、猟獣への指示を続けるべきかで迷いを見せていた。
蔵人は逸る気持ちを抑え、銃身を微調整する。
両肩を脱臼させた威力は身体強化と氷土が見事に抑え切っていた。
その間にも氷土の球壁に攻撃が加えられるが、蔵人は障壁の展開以外には意識を向けない。そのための防壁である。
石弾は一度に三発発射される。多少の狙いの甘さはどうにでもなると踏んでいた。
二発目を放ち、そして三発目のことだった。
はるか先にいた刺客の腹部に命中し、その身体を後方に吹き飛ばした。
猟獣使いとてそれなりの武の修練を行い、程度が低いとはいえ天然の命精強化者に至った者である。普通の人種よりは耐久力もあったはずだが、それでも一撃で腹部は吹き飛んで胴体が泣き別れとなり、即死した。
猟獣たちは飼い主の異常を察知し、統制が乱れた。
その隙を逃す大星たちではない。猟獣を無視し、一気に黒づくめの男たちへと襲いかかった。
不利を悟った黒づくめの男たち。リーダーらしき男の合図とともに、混乱する猟獣を盾にしながらあっさりと退いた。
黒づくめの男たちは仲間の死体を担いでいったのか、残っているのは猟獣たちの死骸だけである。
「まさか、こんなところまで来るとは。……蔵人、すまない」
球壁を解いた蔵人が答える。
「茶館絡みか。気にするな。ついてきたのは俺の判断だ。嫌なら尻尾巻いて逃げるさ」
「――アズちゃんは無事ッ?!」
玉英が蔵人の首からアズロナを回収してその身体を隅から隅まで見回す。
蔵人はまたかと思いながらも放置していたが、玉英の腕に傷を見つけた。
「大した傷じゃないよ」
それなりに深い。天然の命精強化者らしく自然治癒によって傷の治癒は加速しているようだが、すぐにふさがるような傷でもない。
「武芸者なら傷は当たり前だろうが、傷跡なんて残らなきゃ残らないに越したことはないだろ。どうせこれくらいしかやれることなんてないんだ、受け入れてくれ」
蔵人の言葉に玉英は頷いた。
「どこかにいた猟獣使いを倒したのはあなたでしょ? そう卑下したもんじゃないと思うよ」
蔵人は肩をすくめながら、治癒を続けた。
「――助かる」
妻の治療をしてくれたことに大星が礼を言うと、蔵人が質問した。
「なんで治癒魔法を覚えない? それとも命精魔法や精霊魔法は入ってきてないのか?」
大星が難しい顔をした。
「少し休憩しよう」
治癒を終えた玉英が蔵人に礼を言い、アズロナを掴んだまま雪白の元に駆けて行った。
一緒に食べようっと、玉英の声が聞こえた。
蔵人と大星、そして閻老師が車座に座って、食事をとっていた。迂侭は食事の支度などをしてくれていた。
「――おれたちの戦い方は見ただろ?」
大星がそう切り出した。
「ああ」
少しだけ見えたが、ただの体術というには不可解なことが多かった。
「あれは『流拳』といって、この国、いや大陸で生まれた戦い方だ。かつて英雄といわれた『天拳』の保持者はその多くが才ある者か、幾多の修練と修羅場を越えた者だけだった。もっと多くの者が妖獣と戦えるように、長い歴史の中で生まれたのが『流拳』だった。元々は倒すべき妖獣を観察して生まれたものだと言われている」
天拳とは、天然の命精強化者のことであり、精霊魔法が発見される前のミド大陸でも英雄と言われる者の多くが無意識のまま命精強化を極めた者であった。
「この『流拳』というのが『精霊魔法』との相性が極めて悪い」
閻老師が説明を引き継ぎ、さらに続ける。
「端的に言えば、精霊魔法を一度でも行使すれば流拳は失われてしまう。龍華側は皇帝が早い段階からそれを公表し、精霊魔法の習得に制限をかけ、習得した者は国家の管理下におかれておる。ミド大陸側ではそんな情報があるかの?」
「……ないな」
「やはりか。おそらくはわざとだろう。どこで気づいたのか知らんが、あわよくば流拳を喪失させようとしているのだろう」
「わざと?」
「これはあまり知られていないことじゃが、ミド大陸側は交流が始まってから何度か武力をちらつかせ、実際に攻撃してきたこともあったようじゃ。もちろん素性不明の私掠船という体をとっていたがの。
それを半竜皇子と武芸者たちが返り討ちにしてから、流拳を警戒し始めたというわけじゃ。そんな歴史もあっての、皇帝は命精魔法とやらの習得にもかなり警戒をしている、というのが真相じゃの」
敵対すれば精霊魔法も厄介だが、精霊魔法の扱いについてはミド大陸側に一日の長がある。
ミド大陸側が得体の知れない武術よりも、付け焼き刃の精霊魔法を使ってくれたほうが都合がいいと考えてもおかしくはなかった。
「ということは、俺も覚えることはできない、と」
戦闘中、球壁の隙間からどうにかしてその技を盗めないものかと目を凝らしていた蔵人。高速戦闘とは言え、一瞬、二瞬と見えない場面がないわけでもなかった。
閻老師が頷く。
「大星が言ったように『流拳』は妖獣の戦闘方法を模して作られておる。妖獣は周囲の流れを取り込み、炎や水そのものになると言っても過言ではない。儂らの流術もおおよその原理は似たようなものじゃ」
流拳には水洪拳、岩重拳、雷閃拳、灼猛拳、風舞拳、凍封拳があり、そこに使い手がほとんどいないと言われている陽拳と陰拳が加わり全部で八種と言われている。ただし、模した妖獣によっても同じ水洪拳でも違いがあるとか。
閻老師と大星の流派は『閻派岩水拳』といって、水洪拳と岩重拳を組み合わせたもので、玉英が用いるのは我流の風舞拳らしい。
「儂が推測するに精霊魔法とやらは、その流れを何らかの方法で操り、現象を引き起こすものだろう。なぜ相反する関係にあるのかはわからんがの」
『流れ』とは『精霊』もしくは『精霊の動き』のことである。
それを取り込むということはつまり、魔獣は精霊と融合することが可能なのである。かつて親魔獣が氷の化身となってマクシームと戦い、雪白もまだ完全ではないとはいえ氷精との融合をして氷を纏っていた。
だが、なぜ精霊魔法と流拳は相反するのか。
厳密に判明しているわけではないが、ミド大陸側はおおよその推論を立てていた。
流拳の目的を一言でいってしまえば、精霊との一体化である。精霊になると言っても過言ではない。
対して精霊魔法は魔力を対価に、精霊を行使する。
その関係性の違いが、流拳と精霊魔法の同時習得を拒んでいるのではないかと考えられていた。
閻老師のように硬くなれないかと考えていた蔵人にとっては残念な話である。リュージに敗北して攻撃に比重を置いたかと思えば、それでもまだまだ防御を忘れることはないらしい。
「――話は終わった?」
雪白たちと食事を終えた玉英がアズロナをぷらぷらさせてやってきた。
「ああ、そろそろ行くか」
そう言って大星は立ち上がったが、蔵人は腰を下ろしたまま言った。
「……俺はやめとく。正直、戦闘速度についていけん」
「そうか。だが、十分に対応できていたぞ? 役割が違うんだからあれで問題ないと思うがな。とはいえ、無理強いするのもあれだしな。じゃあ、また地上でな」
「ああ――」
蔵人の返事にかぶせるように、玉英が口を挟んだ。
「――騎乗しないの? せっかく大きい子がいるのに。あの子に乗れば戦闘速度の問題は解決するじゃない」
飛竜の双盾を作ってくれたエカイツも似たようなことを言っていた。
蔵人はそれもありかと思うものの、今すぐに出来ることではない。蔵人が騎乗することで雪白の戦闘能力が低下するならば意味はないのだから。
「今は無理だな」
「まあ、そうよね。じゃあ、名残惜しいけど返す」
玉英はぷらぷらさせていたアズロナを蔵人の首に戻した。
そして、じゃあね、と手を振って、大星たちとともにさらなる下層へと進んで行った。
大星と別れた蔵人は地上に引き返しながら再び罠の感知を始め、さらに騎乗を含めていろいろな戦闘方法を模索していくことになる。
だが、それが実を結ぶのはまだまだ先の話である。
雪白の最高速度に蔵人が耐えられるか。船酔いならぬ、雪白酔いはしないか。
課題はそれなりにあった。
一方で大星たちは下へ降りるたびに襲われていた。目的も告げず、ただ襲い掛かってくる。
だがその頃には大星たちも刺客の目的を推測し、情報の十三層、そして十五層まで下りた時に確信に変わった。
「やはり足止めか」
「そうじゃな。特別強力な妖獣の気配も感じない。先を越されたか」
しばらく探索を続けたものの、四人は名残惜しげに帰路についた。
「……主を討伐できなかったのは痛いですね」
その途中で悔しげな顔で大星が言うと、玉英が答える。
「報奨金と売却益で百か二百はいったよね」
「それでも溜めた額と足しても半分にも届かない」
「……ざっくり首でも落としてやれれば楽なんだけど」
背中に吊るした一対の宝具『風神圏』に手を回す玉英。
「やめておくことじゃ。奴等は表向き、法から逸脱してはおらん」
閻老師が物騒な玉英を窘める。
「そもそもあいつらが美児の馬鹿親父をハメたのが原因じゃない」
「これ、人の父親を貶してはならん。博打でつくったものとはいえ、借金は借金じゃ」
「だからって蹄金千枚はおかしい」
庶民どころか芸女が一生働いたところで返せる金額ではない。
「証文がある以上はどうにもならん」
玉英は唇を尖らせて子供のような顔をするものの、閻老師の言葉はしっかりと聞いているようであった。
「――もう時間がない。師父、以前言われていた依頼を受けようと思います」
閻老師は眉間に皺を寄せた。
「……あやつの依頼はきな臭いものばかりじゃ。報酬を偽ることはないが、困難な仕事になるぞ」
龍華国でも十指に入る大店の主でありながら、極めて胡散臭い。閻老師のいうあやつとはそんな者であった。
「――分かっています。しかし、そうでもしなければ美児の借金は返せません」
閻老師は大星を見つめ、さらに大星について行くであろう玉英を見つめる。
二人の目はすでに覚悟を決めていた。