表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
用務員さんは勇者じゃありませんので  作者: 棚花尋平
第四章 立ち寄った地で
95/144

93-背中

9月25日、用務員さんは勇者じゃありませんので3巻が発売されました。

発売日には少し遅れましたが、地方の書店の店頭に並ぶのはこれくらい、ということでどうかご勘弁を<(_ _)>

よろしくお願い致します<(_ _)>


遺跡から這い出てくるキングという存在。

書籍に準拠し、『魔主(キング)』に変更しています。

 干物にされるかもしれない。

 蔵人は一瞬、アズロナが天日干しにされている姿を想像してしまい、なぜかそれに気づいた雪白の尻尾にぺしんと顔をぶたれていた。


「――まずは岩奇街を探そう。みんなも協力してくれるとありがたい」

 酔っ払って転がっていた者たちに大星が声をかけた。

 白霧山遺跡はすでに閉門しており、誰も出入りはできない。アズロナが攫われたのが閉門前か後か分からず、今は遺跡の中を探すしかなかった。

「しゃーねーなぁ」

(ぼん)には倅が世話になったしのぉ」

「まったく、この間の貸しを返すんだからな? 勘違いすんなよ?」

「わしのアズロナを……」

 なんだかんだ言いながらも、快く探してくれるようであった。

 最後の呪詛めいた言葉はこの夜店の主である老人である。どうもアズロナを孫のように可愛がっていたらしく、三枚に下ろそうとでもいうのか野太い骨でも断ち切れそうな物騒な包丁を磨いていた。


 大星が協力者たちに指示をするなか、一人の老人が蔵人に尋ねる。

「焦らんでも大丈夫じゃ。生きたまま干さねばならんから、それなりに時間がかかる。それで、オスかメスかでまた違うんだが、どっちじゃ?」

 蔵人は逸る気持ちを落ち着かせる。

「……わからん」

「まああれは分かりづらいというしの。ふむオスならば二日、メスならば三日といったところか」

 絶食させて胃袋と糞袋を空にしてから、生きたまま干す。そして干しながら血を抜いたりと、それなりに煩雑な手順があるという。


 それを聞きつけた雪白の殺気がぶわりと膨張する。

 今までどうにか抑え込んでいたらしいが、あまりにも残酷な方法を聞いて限界に達したようであった。

 雪白は蔵人を尻尾で強引に確保すると、その背中に乗せて駆けだす。

「ちょ、待――」

「――蔵人は雪白の鼻で分かるところまで行ってくれ。くれぐれも門を突破しようなんて考えないでくれよ? 外には門が開き次第おれが行く。なに心配するな。これでもそれなりに顔は広いんだ」

 大星は雪白の鼻が誤魔化されたときのことを考え、遺跡内をしらみつぶしにあたるらしく、手始めに武芸者側の遺跡地下への門を確認するということのようだ。




 アズロナはすでに、門の外に連れ去られてしまったらしい。。

 雪白は岩奇街に意図的に散らされたらしい匂いを辿り尽くし、龍華国内陸につながる門の近くの物陰で悔しげに唸りを上げた。

 門には鈍く光る黒鎧を着込んだ門兵がいるのだが、単純な地力でいえば蔵人には手に負えない。この地の門兵は龍華人以外の入国を阻止する役目と共に、白霧山遺跡から『魔主(キング)』が出た場合、それに対処しなければならない。ゆえにそれなりの手練れが配置されていた。

 もちろん雪白ならば門兵を薙ぎ払うことも出来るだろうが、それをしてはこの国にいられなくなり、アズロナの奪還が難しくなることを雪白も理解していた。


「やっぱり外か……」

 いつのまにか背後に来ていた大星。

「どうにかならないか?」

「明日の早朝までは何があっても開かない。盗人もそれを見越して攫ったんだろう」

 苛立ちが募る。

「お、抑えてくれよ?」

 肌寒くすら感じる雪白の殺気に大星がぶるりと震えた。

「明日、いやもう今日か。今日の早朝におれが行く。これでもそれなりに顔が利くし、裏にも表にも伝手のある師父に頼めば必ず分かるはずだ」

「――頼む」

 蔵人にはそれしか言えない。いや――。

「雪白を、連れていってやってくれないか? 短絡的なことはするなと言い聞かせるし、犯人は半殺しで止めさせる」

 蔵人の言葉に大星は難しい顔をするも、すぐに何か気付いたような顔をしてニヤりと笑った。




 早朝。

 大星は雪白を連れて遺跡の外に出た。

 確かに外国人は遺跡の外に出ることは許されていない。

 だが、魔獣ならばどうかと蔵人は大星に提案し、大星もそれならいけると笑ったのだ。

 ただ雪白との話し合いは芳しくなく、半殺しではまったく納得せず、九割殺しとなったのが心配と言えば心配であった。


 ミド大陸とはまた違った風景が広がっていた。

 城壁に囲まれた街は、どちらかといえばアンクワール諸島にあるラッタナ王国に似ていた。アンクワール諸島が北部列強に植民地にされる以前に僅かな国交があったと伝わっており、どちらかといえばラッタナ王国が龍華国に影響されたといったほうがいいかもしれない。


 黒みがかった石で建てられた街並みは白や朱、緑青色の門や窓によって彩られていた。雑然とした人や食べ物の匂いが混じり、朝の喧騒もあってか酷く騒々しい。怒鳴り声がひっきりなしに響いていた。



 そんなもの珍しい光景にも雪白の心は躍らない。

 匂いの対策でもしたのか、それともこの雑多な匂いのせいか、アズロナの匂いはここで途切れていた。

 雪白の心は焦りと怒りとなにやらよくわからない感情が蠢いていた。

 蔵人が拾い、ぽんと頭に乗せた飛竜の仔。

 あんな弱々しい仔はすぐに死ぬだろうと思っていた。

 だからどうせ短い間のことだと思い、面倒を見てやる気になった。

 蔵人がどろりとした白い液体を食わせてやっているのを見て、おぼろげながら母を失くした直後、蔵人に面倒を見てもらったことを思い出した。


 それでも、哀れだとは思うが、弱い奴は死ぬ。

 この今にも掻き消えそうな気配の仔が生き残れるとは思えなかった。

 だが、その予想は裏切られた。

 飛竜の仔、アズロナは必死に生きて、生き残った。

 そのあともどうにかして生きようと種の違う自分に愛嬌を振りまき、生かしてもらおうとしていた。それしかできないアズロナなりの生存戦略であったのだから、それを責める気にはならなかった。

 アズロナの人懐っこさはこの辺りから来ているのかもしれない。

 生きるがゆえにそうするしかなかった。そう生きるしかなかった。

 それを利用する奴は決して許さない。決して。



 うまいこと雪白を門の外に連れ出せたのはいいが、大星はさっきから背筋が寒くて仕方がなかった。

 蔵人といるときも恐ろしい殺気を放っていたが、蔵人と別れたあとはまるで鞘から放たれた大刀である。見る者を慄かせ、触れてしまえば指が落ちる。

 恐ろしくて声もかけられない。

 



「――ほう、なかなかに面白い者を連れて来たな」

「朝早くからすみません」

 大星は大きな門の前で自らを拾ってくれた(エン)老師に、右手で拳を握り、左手でそれを包むように胸の前に示した。師弟の挨拶である包拳礼である。日本のお辞儀のように頭を深く下げず、相手の目をしっかりと見て、それに意思を込めるという。

「なに、殺気に当てられて目が覚めただけのことじゃ」

 閻老師も包拳礼で答えた。


 閻老師が姿を見せたときから、大星は雪白の殺気から多少なりとも解放されていた。閻老師の大らかだが強い気配が雪白の殺気を緩和したのだ。

「して、朝早くから何事じゃな? 珍しき妖獣を連れておるようじゃが」

「この雪白という名の妖獣の連れである、アズロナという飛竜の仔が攫われてしまいまして、師父に助けていただきたいのです。昨夜、岩奇街からこちら側にでているはずなのですが」

「仙薬の材料じゃな。……ふむ、少し待っておれ」

 閻老師が傍に控えていた家の細かな雑事を行う小者に一言二言を告げると、小者は音もなく立ち上がって家の奥に消えていった。

 

 小者を中々戻ってこない。

 雪白は苛立っていた。

「もうしばし待つのじゃ。ほれ、饅頭でも食わんか?」

 閻老師は雪白を恐れもせず、その口の前に饅頭を差し出した。

 雪白は一度はぷいっとそっぽを向くが、あることを思い出して、尻尾で饅頭を確保した。

――ぐるぅ

 雪白が礼のつもりで一声唸ると、閻老師はにこりと笑う。

「おや、優しい子じゃ。飛竜の仔は呑まず食わずで腹を減らしておるしの」

 雪白はふんっとそっぽを向く。

「素直じゃないのぉ。連れの人間の影響かの」

 大星ははらはらした様子で閻老師と雪白の交流を見つめていた。


 

 しばらくして小者が戻ってきて、閻老師の耳元で囁いた。

「……裏街の流民の仕業のようだの」

「――ありがとうございます」

 大星がすぐに行こうとするが、閻老師の言葉に立ち止まる。

「儂も行こう」

「え……」

「この小姑娘(お嬢ちゃん)を止めるにはお主ではちと辛かろう?」

 大星はなんともいえない顔で頷く。

 閻老師と雪白。両者が戦うようなことになれば、裏街などふっとびかねないのだから。そんなことにならないよう、祈るほかなかった。


 そこから先は、悲劇か。喜劇か。

 閻老師の情報と大星の顔馴染みの協力により、誰に察せられることなく犯人の元に辿りつく。

 街の表も裏も知る閻老師、交友関係の広い大星、そして凍てつくような殺気を漂わせる雪白がいるのだから、協力してくれと頼まれればたいがいの者は頷くほかない。


 繁華街の路地を抜け、朝だというのに後ろ暗い雰囲気の漂う裏街。

 外壁にほど近い場所にあり、石でできた建物もあるが、崩れかけの建物を布や木で覆っただけの家のほうが多く、ドブや糞尿の匂いも酷い。

 その一角に、さらにぼろぼろの家のようなものがある。

 閻老師と大星はドアのような物をノックした。

 返事はないが、ドアに近づいてくる気配があった。


 そこで、犯人の命運は尽きる。

 砲撃されたような轟音と衝撃波が、脆い家を揺らした。

 閻老師や大星よりも遥か頭上にいた雪白が足の間にある皮膜を広げて滑空し、空から急襲したのだ。

 人の気配のほとんどがドアに集中したの狙った。

 ボロ家に降り立つ雪白。

 そこにアズロナがいた。

 木の十字架モドキに首、両翼、尻尾と括られ、ぶら下がっていた。

――ギーーッ

 アズロナの元気な声。十字架の下には糞尿こそあるが、血は流れていない。

 雪白はそれを確認すると、十字架をへし折ってそのままアズロナを確保する。

 そして、犯人たちを睨みつける。

「なっ――!」

 男たちは声どころか、悲鳴すら上げることも許されずに、雪白の突撃を受けて壁にめり込んだ。

 吹き飛んだ入口をどうにか避けて閻老師や大星が入ってきたときには、犯人全員が揃って壁にめり込み、その前に陣取った雪白がどうしてくれようかと思案しながら、アズロナに饅頭を与えていたとか。



 アズロナを攫ったのは少年と青年の間のような若者だった。

 裏街の武芸者くずれのちんぴらに命じられ、生きるためにやむなく従った。

 流民であったがどうにか街に住みついた。だが金も仕事もなく、病がちな母と弟妹を養うために武芸者くずれと付き合うようになり、今回の犯行につながったとか。

 何も知らない妹にアズロナを餌付けさせ、食べ物で釣って引き離し、武芸者くずれから渡された無味無臭の睡眠毒で誘拐した。睡眠毒はアズロナくらいの大きさの妖獣に効く程度の弱いものであった。


 若者も例外なく壁にめり込んでいたが、今は閻老師の顔利きで岩奇街にいる蔵人の前で蹲っていた。

 他の武芸者くずれのちんぴらは雪白に九割方殺された後、閻老師の手の者に連れられていった。裏街には裏街なりのルールがあり、それに従って処分されるらしい。二度とお天道様を見ることはないという話であった。

 傷だらけで蹲る若者を蔵人と大星、閻老師が囲んでいた。アズロナを探してくれ、現状暇だった連中はそれを遠巻きに見つめている。




 そのさらに後ろでは、アズロナが泣きべそを掻いて雪白の足にへばりついていた。身体に傷はないらしいが、馬鹿でかい包丁や鉄の串といった物騒な器具を見て怯えたらしい。

 救出の直後は感動の再会があったが、雪白は甘くない。

 ぺしんとアズロナの頭を軽くひっぱたいた。

 泣いていたアズロナは目を白黒させる。

 お説教が始まった。

 見ず知らずの阿呆についていく阿呆はどこのどいつかと。あれだけ見ず知らずの人間についていくなと言い聞かせたはずだと。




 蔵人がぽつりと言った。

「……遺跡に放り込むか」

 若者はビクリと慄き、ごめんなさいと謝り続ける。蔵人のまえに突きだされたときからこうであった。

 雪白に身も心も九割方殺された。その飼い主である蔵人を侮るどころか恐怖していたのだ。その罪も認識していた。


 蔵人がぼそりと言った言葉を誰も否定はしない。

 他人の物を盗むというのは軽い犯罪ではない。

 龍華国ではどんな相手からいくら盗めばどんな罰が科せられる、というのが細かく決められている。

 今回の場合は初犯であることを加味されても、指をひと関節ずつ刻まれる。

 ちなみに、武芸者の武器や連れの魔獣に手を出した場合、報復として秘密裏に殺されることもある。蔵人が呟いた遺跡に放り込むとはそういうことである。


「――わしに預けてくれんか?」

 その言葉を聞くと、大星は僅かに動揺を見せた。

 蔵人はそれを無視して、閻老師を冷たく見つめる。手助けに感謝している。自分よりも強いだろう。だが、そんなことはどうでもいいくらいに頭に血が昇っていた。

「……俺を恨まず、更生するという保障は?」

「衣食足りて礼節を知る。流民とはいえこやつにも親や弟妹がおる。大星も似たようなもんじゃった。他の武芸者くずれと違って更生は可能じゃ。

 ――それに、もし道に外れるようなことがあれば、いや外れようとしたなら、儂が殺す。それは約束しよう」


 今回は雪白が私刑をしてしまった。

 この男を捕吏につきだせば事情を聞かれ、少しは面倒なことになってしまう。他の武芸者くずれと同じように扱ってもいいが、それではちと哀れだともいう。

「……本当に殺すのか?」

 閻老師がきっぱりと頷く。


「……師父はする。おれと同時期に拾われた奴は、昔の仲間の誘いに乗って……。過ちが許されるのは一度きり。一度目は再教育されるが、二度目は、ない」

 脂汗を額に浮かべていた大星がぽつりと零した。

「今回はすでに過ちを侵してるから、一度でも何か起こせば」

 大星は自らの首に手をやった。

 まずは山奥に放り込まれ、修行三昧らしい。修行といっても礼儀作法と体力作りだけで戦闘技術などは一切教えない。むろん弟妹も一緒である。

 親は動けるようになったら面接ののちに少しずつ職を与えて周囲の信用を作らせるらしい。どうにもならないような者ならば、余罪を暴いて突きだし、そのときに子供が親を庇うようなら、子供もまとめて捕吏に突きだすのだとか。


 逆を言えば、真っ当な性根となるならば、生きる術を与えられるということでもある。

「捕吏に突きだして指を落としても、その後は裏街に逆戻りじゃ。指を失った流民が働ける場所などない。まあ、そもそも街からは追放されるがの。だが、それでは幼い弟や妹、母親が哀れでの。

 しかし、これはお主次第じゃ。慈悲を与えられぬからといって非難もせぬ。罪は罪じゃからの」


 蔵人は頭を掻きながら雪白を見る。

 どうする? という蔵人の視線に一旦アズロナのお説教を中断し、雪白はのそりと若者の前に立った。

 雪白を見て、若者はごめんなさいとも言えずに喉を詰まらせた。


――グォンッッッ!


 男の顔に凍気混じりの殺気と暴力的な咆哮が叩きつけられる。

 同時に、その顔すれすれに雪白の前脚が振り降ろされ、短剣の如き爪が石床に突き刺さり、足の大きさに陥没する。若者の頭であればトマトを握りつぶしたよりも酷いことになったのは容易に想像できた。

 剣呑で獰猛な、野生を帯びた瞳で睨まれ、若者はそのまま気絶した。

 雪白はもう用はないとぷいと身を翻し、アズロナの元に向かう。お説教の再開である。

 涙目のアズロナに心中で手を合わせつつ、蔵人は閻老師に向き直る。

「あとは好きにしていいそうだ。俺がやるよりも効果的だったろう」

 どのみち、この国に長くいる予定はない。


「すまんの」

 師父はそういうと若者を担ぎあげた。

「いや、こちらこそ、助かった。ありがとう……ございます」

 蔵人は思い出したように年長者に対する礼をした。

「――みんな助かった。このお礼はいつもの店できっとする」

 大星が遠巻きに見ていた協力者たちに言い、蔵人も礼を言った。

「よっしゃ、大星の奢りだっ」

「呑むべ呑むべ。店を借りきって飲み尽くしてやる」

「借りを返しただけだ……まあ、どうしてもっていうなら、奢られてやる」

「今からかっ。ちょまっそんな金はっ」

 今すぐ奢れという声に、大星が慌てる。

「いや、俺が出そう」

 蔵人の言葉に、男たちの野太い歓声が上がった。



 現在は、昼間である。

 アズロナを夜通し探して全員がほとんで眠っていないはずであるが、酒の魔力とは恐ろしいもので、あの安夜店で男たちはどんちゃん騒ぎをしていた。

 夜店の老人は無事にアズロナが帰ってきたことを喜び、店を開けてくれたのだ。ことの顛末を聞くと、綺麗に研いで置いてあった物騒な包丁を残念そうにしまっていた。

 今は嬉しげに目を細めて、アズロナの鬣を撫でているが、どうするつもりだったのか。

「――今日は助かった。ありがとう」

 蔵人が大星に頭を下げた。

 大星は照れ笑いをする。

「気にするなよ。ほら、前に言っただろ。今日からは朋友だって」

 蔵人は記憶を探す。

 確かに、二度目の呑み、高級店に初めて行って呑んだ日に、乾杯のとき『二度目の酒宴は朋友のはじまりさ』と馴れ馴れしいことを言っていた。

 蔵人はそんなものは酒の席の繰り言でしかないと思っていた。

「それでも助か――」

 蔵人がもう一度礼を言おうとするが、大星は酔っ払いに攫われてしまった。

「ちょ、もう呑めない。って、無理やり、がぼがぼ」

 蔵人は酔っ払いたちの乱痴気騒ぎを眺める。

 大星に呑ませる酔っ払い、白目を向く大星、淡々と呑み続ける雪白。

 いつもの光景がそこにあった。

 


 

 翌朝。

 蔵人は岩奇街をぶらついていた。

 アズロナ干物未遂事件で一日が潰れ、これから潜っても半端になるということもあったが、魔銃で肩を外したり、アズロナが誘拐されたりと色々あったため、次の嫌な客としての仕事まで休養することにした。

 元々戦闘が好きというわけでもなければ、努力家というわけでもない。

 生きるために精霊魔法を覚え、生き残るために戦闘を覚えた。リュージという直近の危機に怯え、とりつかれたように戦力を強化し続けてきたに過ぎない。

 この間の過激な実験で自らのペースを思い出し、怠けることにしたのだ。


 雪白とアズロナの食欲に従って歩いていると、大星を見かけた。

 蔵人が遺跡を出るといつもいるため、何をしているのかと思っていたが本当に毎日ぶらついているようだ。

 大星は蔵人を見つけると軽く手を振り、蔵人の元に来た。

「……俺が言えたことじゃないんだが、仕事は大丈夫なのか?」

「この間、大きな仕事をしてな。今は休養中だ。一度回ると半年から一年はかかる。身体の調子を崩して妖獣のエサにならないように、しっかり休んでいるというわけだ」

 蔵人はへぇと相槌を打ちながら、雪白が尻尾でぺしぺしと要求する出店の串肉を注文して、金を払う。

 

「蔵人は何を?」

「俺も休養がてら散歩だ」

「最初に会ってからいつ休んでるのか不思議だったが、ちゃんと休んでるならいいさ。岩奇街とはいえ物騒だ。あんまり脇道には入るなよ?」

 蔵人がもの珍しげに路地の奥を覗き見ていると大星が忠告する。

 入る気は元々ない。

 怪しげな雰囲気の道などトラブルの宝庫であり、蔵人は今までの旅でも出来るだけそういうところは避けて通ってきた。いまさら首を突っ込む気も無い。

「治安が悪いのか? それなりに良さそうだが」

「比較する国がないから分からんが、全体としては年々良くはなってる。ただこの大陸は広くてな、まだまだ妖獣被害も多い。東と南の藩王も皇帝に従ってはいるが、統治は厳しいと聞く。妖獣と圧政で流民が発生し、治安が良いとは言い切れない。ましてやここは探索者と武芸者が集まる岩奇街だ」


 藩王とは百年ほど前に現在の皇帝に従ってこの東南大陸の統一に協力した有力者たちのことである。

 龍華国は元々、黄系人種の王族が治める小国だった。竜人族、ミド大陸風に言うと竜人種の血を引くという言い伝えだけがある、何もない国である。

 それが百数十年前、先祖返りで竜人種の王子が生まれた。

 当時は東南大陸の西にある大国が幾度か全国を統一していたが、時の皇帝が崩御して後継者争いが勃発、世は戦乱の時代を迎えていた。

 そんな時代に王子は成長して王位を継ぐとその才を発揮する。巧妙に生き残りながら力を蓄え、自らの血を引く四人の半竜皇子を得ると、攻勢に出た。そしてまたたくまに大陸を統一してしまった。

 竜人種の寿命はエルフを超えると言われ、統一を果たした初代皇帝は百年の治世を築き上げ、今なお君臨しているという


 竜人種とは鳥人種、蝙蝠系獣人種と並び自力飛行が可能である三種の内の一種であるが、その力はおそらく現在確認されている種族では最強といわれる種である。巨人種の筋力とエルフの魔力、獣人種の五感能力を備えるとされる。

 現在完全な竜人種はミド大陸にも、そして東南大陸にも現皇帝の一人しかいない。

 ミド大陸に残っている記録ではもう二百年以上前から姿を見た者はおらず、それは東南大陸でも同じであった。


「どこもかしこも物騒なのは変わらな――」

「――シッ」

 大星が蔵人を制し、とある路地の出入口に潜む。蔵人もそれに従った。


 大星の視線の先には、フランコがいた。すっぽりと粗末なローブを頭から被っているが、最初に遺跡を案内してくれたあのフランコである。

 フランコは武芸者くずれ風の男と一言二言話して、去っていく。何をしたのかは分からない。何もしていなかったようにも見える。

 大星はじっとそれを見つめ、フランコには目もくれず、武芸者くずれ風の男を見張っていた。

 しばらくすると武芸者くずれ風の男の元に、ボロといっても差し支えない服を着た少年が接触する。

 そして、貨幣と引き換えに何かを受け取った。金額はここからでは分からない。


「……あれはなにを」

 想像はつくが、小声で大星に聞いてみる。

「……酔仙薬の裏取引だ。蔵人は手を出すなよ、面倒なことになる」

 それだけ言うと大星は立ち上がって、路地に飛び込んだ。


 酔仙薬。

 現代風に言えばドラッグの一種である。

 元々は強力な麻酔薬で、ミド大陸北部の国から輸入されたものであった。もちろん北部の国は薬として輸出し、龍華国が買った合法品であった。

 しばらくすると龍華国でも栽培に成功し、流通し始めたのだが中毒性が発覚した。輸出国は中毒性など知らなかったと言う。

 しかし皇帝の鶴の一声で輸入は禁止となり、薬としての栽培や販売も国の厳重な管理下に置かれた。

 突然の輸入禁止措置に反発したのが輸出国で、東南大陸との貿易は酔仙薬がなければ輸入するばかりの大赤字であった。だが皇帝が譲ることはなく、微妙な緊迫を保ったまま、今に至るというわけであった。

 

「――酔仙薬だろ? 鑑札は持ってるのか?」

 突然飛び込んできた大星に薬を買おうとしていた少年は驚き怯え、武芸者くずれ風の男は無言で腰の中剣を抜いた。

 さらに周囲からも薄汚れた男たちがぞろぞろと出てくる。

 最初の男が、無言で大星を斬りつけた。

 大星は背中に手を回し、だぶついた服の内側から何かを抜く。

 

 振り降ろされた中剣がぬるりと大星の脇を抜けていった。


 大星が両手に握るのは肘よりも長いとはいえトンファーによく似た、(かい)という武器の仕業であった。

 受け流したにしては過剰に体勢崩れており、大星の追撃に男が吹き飛び、路地の壁に叩きつけられる。

 奇妙な、流れるような動きであった。

 大星はそのあとも、剣や打鞭、飛剣が飛び交う中を両手の拐で受け流し、打ち据える。

 まるで大星がその場の流れを全て支配しているようであった。



「――茶館の使いっぱしりか?」

 恐怖のあまり逃げるに逃げられなかった少年は俯いて答えない。

「あっ……」

 後ろ手に隠していた薬の袋を大星に奪われ、顔を青くしてまた俯いてしまう。

 大星は袋の匂いを嗅ぎ、やっぱりかと呟いた。

「捕吏に突きだされたいか?」

 少年は泣きそうな顔で首を横に振った。

「ならおれと来い。怖い老師がいるが、真っ当に生きるつもりがあるなら優しい人だ。面倒を見てくれる。もちろんきちんと働くのが条件だがな」

 少年は迷っていたようだが、大星に強引に手を握られると黙って従った。


「……いいのか」

 路地で呻く男たちを見て蔵人が言った。

「一応捕吏には連絡しておくが、どうせなにも知らない。フランコの名前を知っているのかも怪しい。そもそもフランコが奴等にそれを売っているのかどうかも分からない」

「違法じゃないのか?」

「そのあたりが微妙なところでな。フランコが所持する分については白霧山遺跡にいる限りは合法だ。もちろん、同国人であろうが売買は禁止されている」

「何か探ってフランコと?」

「何か分かればと思ったが、尻尾どころか影も踏ませやしない。……岩奇街はそんな街だ。外国の思惑と龍華国の思惑が複雑に入り組んでいる」

「……」

「おれにできるのはこうして末端を潰すことくらいさ。酔仙薬で見るも無残な廃人になった奴を何人も見てきた。そんな奴は見たくないんだ。師父も協力してくれてる。

 だが何もつかめない。まあ、気にするな。おれたちの国の問題さ。今日明日で解決できるようなものでもない」

 大星はそう言うと少年の手を引いて去っていった。



 蔵人は子供の手を引く大星の背を見えなくなるまで見つめていた。

「……宿に戻るか」

 蔵人は雪白達にそう言って踵を返すが、そこに声がかかった。

「――あっ、お久しぶりです」

 肉饅頭をくわえた、武芸者らしい黄系人種の若い男だった。

 武芸者という割に身体の線は細く、どことなく顔に見覚えがあったが、黄系人種の知り合いなど大星がらみの酔っ払い共しかいない。


 蔵人の不審そうな様子に男はしまったという顔をした。

「……ああ、やっちゃった。黙っとけばよかったよ。ヨシト・クドウ、あっ工藤良人です。えーと、よく学校の行き帰りに挨拶してたんですが、覚えてませんか?」

 男はあっけらかんと名乗った。

 蔵人の怪訝な顔が納得し、そして警戒する。

 随分と成長して大人びているが、確かに用務員をしていた頃に挨拶した覚えがあった。

「……ああ、覚えてる」

 蔵人の気配が神経質なものに変わると、雪白やアズロナも身構える。

 雪白にとって勇者は得体の知れない力を振るう面倒くさい相手で、アズロナは昨日誘拐され、ようやく野生の本能を思い出したところであった。


「……? 座りませんか」

 ヨシトは屋台の横にある長机と椅子へ向かう。

 今まで会った勇者とはどこかが違う反応である。学校にいた頃の延長のような、決しておかしくはないのだが、この世界での蔵人と勇者の関係においては異質である。

 

「用務員さんも一緒に召喚されていたんですね……あれ、でもアルバウムの学園にはいなかったような」

 負い目もなければ、敵意の欠片もないヨシトに蔵人は神の加護(プロヴィデンス)への拒否を心で唱えながら、向かい合うようにして座った。

「……ああ、俺だけ雪山に召喚されたんだ」

「ゆ、雪山ってマジすか。アルバウムも面倒くさいのばっかりでしたけど、雪山かぁ、雪山は無理ですねぇ。じゃあ、その格好いい魔獣は加護か何かで?」


 蔵人はどんな表情を作ればいいのか分からなかった。

 これでは蔵人が召喚されたことも、ハヤトに加護を盗まれたことも知らないということになる。

「あっ、すいません。加護は言いたくない人でしたか。僕の加護を先に教えますね。でも、用務員さんは教えてくれなくても大丈夫です」

「クランドだ。本名は支部蔵人(はせべくらんど)だが、こっちではその名で通してる」

「……用務員さんの名前、初めて知りましたよ」

 用務員の名など知る生徒のほうが少ない。逆をいえば用務員は生徒の名前もそれほど多くは知らない。

「じゃあ、見ててくださいね」

 警戒心の欠片もない様子でヨシトは加護を発動させる。

 身構えようとした蔵人、そして雪白やアズロナまでも、警戒を忘れて目を丸くした。


 ヨシトのどこにでもいるような青年としての顔がぐにゃりと歪み、一瞬にしてあの申し訳なさそうな中年教師であるアキカワとなったのだ。


「――これが僕の加護である『変身』です。基本的になんにでもまるっと変身できますが、背格好が近いほど長く変身出来て、元の姿に遠くなればなるほどその時間は短くなります」

 アキカワの声で行ってから、元の顔に戻るヨシト。

「……なんでわざわざ説明する」

「ようむ……蔵人さんに気づかれたと思って声をかけたんですが、覚えてなかったみたいで、なら全部話しちゃって、内緒にしてもらおうかなぁと。同じ日本人ですし、それに……自分の顔を覚えている人を出来る限り残しておきたかったんです」

「内緒?」

 ヨシトはあははと笑う。

「いやぁ、逃げてきたんですよ。なのでできれば他の召喚者とか国とかには内密にお願いします。僕の他にも何人かそういう奴がいると思いますよ。蔵人さんのことを知っているかどうかまではわかりませんが」


 召喚されてしばらくして、ヨシトはアルバウムの学園を訪れた他国の高官の誘いに乗って学園を出たという。その国で最低限の知識を得たあとはこっそりとそこを抜けだし、変身を駆使して龍華国に辿りついたとか。

 そういうこともあって、ヨシトはアルバウムに残っている召喚者からはおそらく行方不明者扱いになっているのではないかとどこか楽しげに話していた。


 ハヤトの所業については召喚直後のゴタゴタ、そのあとは誰も蔵人のことを公言しなかったことによりヨシトは知らないようだった。召喚直前のあの白い空間には七十九名もいたのだがら、盗んだ瞬間を見ていなかったとしてもおかしくはない。

 改めて考えれば、そんな召喚者がいないとは言い切れなかった。


「僕は日本に帰りたい。ミド大陸に帰還方法があるなら僕よりよっぽど頭の良い奴が見つけると思うんで、だったら僕は違う国や大陸で探そうかと。そっちのほうが面白そうですしね」

「……なるほどな。俺も面倒事は嫌いだからアルバウムや他の生徒、教師とは会いたくないんだ。俺のことも黙っていてくれないか。もちろん俺も秘密は守る」

 嘘である可能性はある。

 だが、それを証明する手段はない。ゆえに見送るしかないわけだが、八割ほどは本当に知らないと推測している。

「了解です。ではお互い内密にということで」

 ヨシトは肉饅頭をぱくつきながら何故か楽しげである。


「さっき言ってた自分の顔を覚えてる人とかいうのはどういうことだ?」

 蔵人は少し肩から力を抜く。

 完全に油断は出来ないが、思うところがなくなればお互いにただの日本人である。

 ヨシトは力なく笑った。

「少し不安なんですよ。今は加護の力で元の姿に戻れますが、いつか自分の顔を忘れてしまうかもしれない。そう考えると酷く不安になるんです。龍華国には他の召喚者はいません。僕の顔を知っている人は誰もいないんです。だから、最後に同じ召喚者に覚えておいてもらいたかったのかもしれません。……生きて帰れる保障はありませんから」


「……描いてやろうか」

「えっ?」

 もしかしたら恩を売るつもりであったのかもしれない。だがその言葉は、困っているから助けてやる。そんな蔵人の無意識の心から生じていた。男を描く気はなかったが、似顔絵くらいならば気を入れる必要もない。

 蔵人は懐から雑記帳を取り出し、最近描いていた美児と宵児、黒陽の絵を見せる。

「うはっ、超うまい。しかも美人さんが二人もっ」

 墨の濃淡だけで描かれた細密な人物画。芸術的であるかどうかは別として、一般人が見ればうまいと呼べる範囲にある。

「これは葉紙だから二年ほどで劣化する。長持ちする紙か布はもってないか?」

 全て言い終わる前に、ヨシトは荷物から布を引っ張りだした。真っ白ではないが、ベージュに近く、描くのになんの支障もない。

「ぜひ、お願いします」


 そういってヨシトはいそいそと髪を整え、顔を袖で拭い、表情を作る。 

 なんとも澄ました顔である。

 蔵人は出店の影でこっそり土精魔法を用いて木板のかわりとして、ヨシトから受け取った布地をキャンバスに仕立て、そこに描き始めた。

 三十分ほどで完成し、これまたこっそり風精魔法の風を火で炙って温風を作り、絵を乾かす。


 そうして完成した絵をヨシトに渡すと、ヨシトはじっと絵を見つめ、そして深々と蔵人に頭を下げた。

「ありがとうございます。これで、生き残れます」

「大げさだ」

「いえっ! 忘れることを気にせず、躊躇いなく変身できることは僕にとって生命線です。本当に、助かりました」

 

 蔵人に似顔絵を描いてもらったヨシトは、これから龍華国の内陸へ行くと言って雑踏に消えていった。

 蔵人は狐に化かされたような気分で、すでに龍華国の武芸者へと変じて見知らぬ者となったヨシトを見送った。


「今度こそ戻るか」

 蔵人はジッとヨシトの手元に視線を注いでいた雪白とアズロナに肉饅頭を袋一杯に買って渡し、宿に引き返す。

 尻尾の中ほどでくるりと掴んだ肉饅頭の袋を雪白が背中のアズロナに分け与えるのを眺めながら、蔵人は大星が子供を救おうと手を引いた背中を、帰還方法を探すために単身龍華国に向かおうとしてるヨシトの背中を思い出す。

 

 自分の立ち位置を改めて、実感していた。

 自分の街、国を守るために子供の手を引いた大星。

 日本に帰るために、顔を忘れる恐怖を押し殺して旅立ったヨシト。

 どちらも帰属すべき社会を決めていた。

 蔵人には、ない。

 幸か不幸か、日本に帰りたいとは思わなかった。

 帰属すべき社会も決めずに、ここまで流れてきた。ただ砂漠が見たいという漠然とした思いにとらわれて。

 自ら選んだことである、そこに後悔はない。

 ただ、なんとなく気づいた。

 胸の内に茫漠と広がる何かを満たすものを、自分はどこかで求めているようなが気がした。

 

 ずいと肉饅頭が突きだされる。

 雪白を見ると、腹が減ってるから変なことを考えるんだ、食え。とでも言ってるようであった。

 アズロナはすでに自分の顔よりも大きな肉饅頭に齧りついていた。

 蔵人は肉饅頭を受け取り、かぶりつく。

 口の中で肉汁がぶわりと溢れた。生姜とニンニク、ネギの香りもする。

「まあ、のんびり行くか」

 焦ったところで求めるものも、自分の感情も見つかるわけではない。日本にいた頃と同じように、この世界に来てからと同じように、模索し続ける他ないのだろう。

 蔵人はおもむろに雪白の尻尾をむんずと握り、雪白の鼻先をからかいながら歩きだした。

――か、かうんっ

 雪白が一つくしゃみをして、蔵人が一発殴られた。アズロナは頬をいっぱいに膨らませて肉饅頭を食べている。

 これが今のところの、蔵人の日常である。




 蔵人は盛大に遅刻してきた。

 あの高級店には迷惑をかけてしまったので、大星の伝手でとある小さな店の一室を借りきっていた。ボロ屋であるため格安だったらしい。


「――うるさいから曲も酌もいらん」

 蔵人は遅刻して入室するなり、美児や宵児を一度も一瞥すらせずに、ちくちくと何やら手仕事をし始めた。

 曲も酌もいらない。それはつまり、芸女などいてもいなくても変わらないと言っているに等しかった。

 こういう堅物も一定数いるらしい。

 こうして蔵人が毎回違ったタイプの客をこなせるのは、さまざまな客を知る美児の入れ知恵であった。

 そんな蔵人の態度に、宵児と黒陽は虚仮にされたと内心で憤るも、なんとか堪えていた。

 その理由は、仕事前に遡る。




 仕事前、宵児はついに美児へ抗議した。

「……なぜあのような男を客として遇せねばならないのです。期日までは関係ないじゃないですか」

 武芸者に恫喝されて逃げた、口だけの傲慢な客。

 それが蔵人に対する宵児の認識であった。そんな客を侠帯芸者は決して相手にしない。

 美児は宵児と向きあってから、窘める。

「貴女の客あしらいがちっとも上達しないからよ。黒陽も」

 美児にジロリと睨まれた黒陽はいつもの居丈高な表情はなりを潜め、耳を寝かせ、身体を伏せていた。宵児と共に拾われたとき、幼かった自分に食べ物を与えてくれ、お尻の世話までされている。たとえ美児を一撃で殺せる力があろうとも、母親のような美児に黒陽はまったくといっていいほど頭が上がらなかった。

「でもっ」

「何があろうと、貴女を一人前の侠帯芸女にすることが師であるわっちの役目です。もし耐えられないというなら弓を置くことです。それが嫌なら早く客あしらいをおぼえなさい」

 弓を置くとは、芸女を辞めるということである。

 そこまで言われては、宵児もはいと言うしかなかった。




 宵児は美児の厳しくも優しい言葉を思い出しながら、目の前のいけすかない礼儀知らずな所業をどうにか耐えていた。黒陽もまた、耐えていた。

 蔵人は手を止めて、顔を上げる。


「……鬱陶しい女だな。存在するだけで目障りだ」


 言いがかりにも近い言葉である。

 だが美児は、蔵人に何もするなと言われたあとも、不快な表情を見せず、背筋を伸ばし、その気配すらもその場に相応しいように佇んでいる。まるで一輪挿しに生けられた花のように、爽やかさすらあった。

 だが宵児は表情だけ取り繕い、その場にいるだけ。苛立たしげな雰囲気すら纏っている。

 二人の芸女は明確に違っていて、蔵人は感じるままにそれを指摘しただけだった。

 ただ宵児にそう指摘しながら、自分にもそんなことはできないがなと内心でつけ足していた。やれと言われても、きっと不服そうな顔をするに違いないと。

 そう、今の宵児のように。

 だがそれでも、宵児は耐えた。

 が、黒陽が耐えられなかった。

 

 飛びかかる黒陽。

 それを抑え込む雪白。

 額同士が衝突し、物騒な音を立て、剣舞のように尻尾が飛び交った。

 黒雲の中を轟く雷のような唸り声が威嚇し合う。


 こうなってはしばらく手がつけられず、美児は苦笑し、宵児が悔しそうな顔をし、大星が冷汗を流しながら雪白と黒陽の戦いを眺めていた。

 蔵人もよく飽きないものだと眺めていた。

 しかしふと、依頼とはいえ自分もなんだかんだで仕事の後に大星と必ず呑んでいることに気づく。

 そんなものか。

 意外に仲が良いのかもしれないなと、蔵人が雪白達を温かな目で見ていると――。


 ――燃え盛る黒炎が飛んできた。


 さすがにそれは不味いと蔵人が身構えるも、黒炎は雪白の尻尾に散らされる。

 だが何故か、尻尾は止まらなかった。

 尻尾はそのままあっさりと蔵人の障壁をぶち破り、蔵人の額を馬鹿でかいデコピンにでも弾かれたようにのけ反らせる。


 仲が良いなど虫唾が走る。


 雪白と黒陽はそうとでも言いたげに蔵人を鋭く一瞥してから、再び戦い始めた。




 しばらくして、荒れ狂う黒陽の怒りが多少治まった頃、宵児が何か囁き、撫でて、どうにか黒陽を宥めていた。

 雪白はやれやれと言った様子で、蔵人のそばに侍る。

 膝の上でアズロナを撫でていた美児が言った。

「……大星の旦那に聞きましたが、未だ雌雄の判別がついていないとか?」

 美児の言葉に蔵人は頷く。

「よろしければわっちが判別しましょうか?」

「……できるのか?」

「ええ、これでも黒陽の雌雄を判別したのはわっちですよ。鹿人族のちょっとした能力です」

 鹿人族、馴鹿系獣人種は直感的に対象の身体や心の在りようを察知するのだとか。なんとなく、というレベルであるらしいが。

 蔵人はトナカイにそんな種族特性がと考えるも、地球と同じなわけがない。ましてや相手は人に分類されるのだからと思い直す。


「できるなら頼む。分からなくてもさほど影響なないと思うが」

 では、と言いながら美児は膝の上にいたアズロナを顔の前まで持ちあげ、じっと見つめる。

 アズロナはぎぷ?と首を傾げて美児をまじまじと見つめ返した。


「――オスですね」


 そこで終わるかと思いきや、美児は驚くべき言葉を続けた。


「――えっ? ……内面はメス。女の子、でしょうか」


 オスなのにメス。

 少しばかり理解を超えた言語に、蔵人は無意識のうちに雪白を見ていた。

 アズロナを拾った当初、蔵人よりも雪白のほうが共にいた時間は長かったかもしれない。それに魔獣同士ということもあって雪白がなにくれとなくアズロナの面倒を見ていたのだ。育ての親と言っても過言ではない。

 蔵人の視線に気づく雪白。


 だが、そっと明後日の方向を向いて、視線を逸らしてしまった。

 



注:アズロナ事件の後、昼間から呑んでいる大星たちの部分、少し追加しました<(_ _)>申し訳ないです。


いつも感想ありがとうございます。

誤字報告ありがとうございます。

おいおい直させていただきたいと思います<(_ _)>



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ