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用務員さんは勇者じゃありませんので  作者: 棚花尋平
第四章 立ち寄った地で
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88-不愉快な道標

 予告より、遅くなってしまい、申し訳ありません<(_ _)>

 一つ、ご報告があります。

 昨日お陰さまで、『用務員さんは勇者じゃありませんので』の二巻が無事発売となりました。よろしければ、お手にとって読んでいただければ幸いです。

 なお一部書店様で5月22日より発売していたため、5月22日の活動報告に発売記念短編を掲載させていただきました。本編には関わりありませんが、こちらも読んでいただければ幸いです。

 

 冬の海は荒れる。

 日本にいた頃に故郷で聞いたことがあったはずだが、悩みの種であったリュージの問題が解決したことで気を抜いており、蔵人はすっかり忘れていた。

 さらには帆船である。自律魔法と魔法具、精霊魔法によって補助されているとはいえ、フェリーほどに安定性があるわけではない。

 つまり、船は酷く揺れた。

 普通の船酔いは覚悟していた蔵人だったが思いもよらぬ激しい揺れに重度の船酔いとなり、与えられた小さな船室で青白い顔をして蹲っていた。

 朝方に無理やり詰め込んだ胃の内容物などすでに空っぽで、吐き気で込み上げるのは酸っぱい液体と胃袋だけ。間断なく襲う吐き気は何も入っていない胃袋をなお引上げ、胃袋自体にダメージを与える。

 身体を横になどしようものなら、船の揺れがダイレクトに響くため日中は横になることも出来ない。前回の船のようにいつ船が沈没しないとも限らないため、安易に魔力を枯渇させて気絶することもできなかった。

 結果として蔵人は小さな船室の隅に体育座りし、耐え続けるはめになる。

 そんな蔵人の背を甲斐甲斐しく尻尾で撫でるのは雪白であり、心配そうに蔵人を見上げているのがアズロナであった。


 

 

 出航二日目、蔵人はすでに甲板の手摺から顔を出して撒き餌、もとい嘔吐していた。初日こそ波はなかったが、一夜明けると緩やかな波が間断なく船を揺すっており、蔵人は呆気なく敗北したのだった。

 雪白は呆れながらも尻尾で蔵人の背を撫で、アズロナは海を滑るように走る船が気に入ったのかご機嫌で海を見つめていた。ちなみに、アズロナがいつのまにか前のめりになって海に落ちそうになるのを、蔵人がなんとか尻尾を掴んで防いでいた。


「――あんた、先は長いんだ。そんなんで大丈夫か?」

 蔵人は水精魔法で口をゆすいでから振り返る。

「……ダメかもしれん」

 魂から絞り出したかのような低い声に中年の水夫は気の毒そうな顔をする。

 荒くれ者の多い水夫たちは雪白を恐れてはいても、周囲に臆病であると見られないためにそれを表に出すことをしなかった。そして中には長い経験と海で培った度胸からか雪白を必要以上に恐れない水夫もおり、こうして蔵人に声を掛ける者もいた。

「こればかりは慣れるしかないからな。……ああ、あんたもハンターなら身体強化は使えんだろ。使ってる間は船酔いは止まるはずだ……まあ、長時間強化しているわけにもいかないが」

 船酔いの特効薬はない。魔法のある世界にもないとはなんとも因果な病であるが、蔵人は水夫の言葉にぴくりと反応する。

「……本当か?」

 死んだ魚がぎょろりと睨んだかのような蔵人の目に少し腰を引かせながらも水夫は頷く。

「あ、ああ。ただ、頻繁に強化魔法を使えば船酔いに慣れるのが遅くなる。それに船の上で魔力を切らすのもあまり褒められたもんじゃないからな、船乗りはあまりやらねえんだ」

「そうか。それでも助かる」

 蔵人が礼を言うと水夫は気にするなと言って仕事に戻っていった。

 さっそく強化魔法を試す蔵人。

 船酔いに慣れるまで待ってなどいられない。船を生業とするわけではない、にっくき船酔いを葬るためならば手段を選ぶ気などなかった。

 まずはいつものような細かな強化ではなく、この世界の住人の多くが行っている全身を漠然と強化するイメージで魔法を使う。

 すると水夫の話通り、しばらくして吐き気が消え、全身の倦怠感が薄れていった。

 陸地にいるのと変わらない身体の調子に蔵人は感動し、ちょうど太いマストを登ろうとしている中年の水夫を見つけると、その背中を拝みたくなったほどである。

 

 それを見た雪白がやれやれといった顔をしながら、蔵人の背を撫でていた尻尾をアズロナに回す。蔵人が喜びのあまり思わず手を離してしまったため、海に落っこちそうになっていたアズロナを確保するためである。

 だがアズロナは海に飛び込みたかったのか、どこか不服そうな顔で頬を膨らませる。

 蔵人たちの乗るガレオン船にも似た大型帆船の甲板は海面までかなりの高さがあるのだが、おぼつかないとはいえ飛行することもできるようになったアズロナは恐怖を感じていないようだった。

 海中の魔獣をすっかり忘れているアズロナに雪白はこちらでもやれやれといった顔をし、アズロナの望み通り船の手摺の隙間から海面に降ろしてやる。

――ぎーっ

 アズロナは雪白の尻尾に成長して少し伸びた尾を確保されたまま、楽しげにばしゃばしゃと海面を泳ぎ始めた。



 一方の蔵人は最初の感動から冷め、どうすれば少ない魔力で船酔いを抑え込めるかを考える。

 漠然とした全身の強化はそう長くは続かない。

 全身の強化をぶっ通しで維持し続けるとなると、この世界の一般的な兵士で二時間ほど、魔力の多い蔵人が身体の筋肉の細部を意識して効率的な強化を行っても六時間ほどである。

 一日は二十四時間あるわけで、船酔いを恐れる蔵人としてはまったく足りないのである。

 蔵人は三半規管か? と人体解剖図をなんとなく思い出しながら部分強化してみるも、しばらくして船酔いはぶり返すのみ。

 どうやら三半規管だけではダメらしい。蔵人はそれでも諦めず、思いつく限りの部位強化を試し続けた。



 アズロナを海で遊ばせていた雪白の耳がぴくりと反応すると、瞬時に尻尾を引き上げる。

 遠のく海面にアズロナはぷくっと頬を膨らませるも、直下から迫る不気味な大目玉にギョッとする。

 すんでのところで救出されたアズロナ。飛べるようになって少しばかり調子に乗っていたがそんな浮ついた気分はすっかりと吹き飛び、ペタリと甲板にへたり込んだ。

 だがそこに、デロンと大目玉が現れ、アズロナを睨みつける。

 ぎぅーーーっ!

 あまりの恐怖にジタバタと甲板を這い、船酔いを防ぐ魔法の開発に躍起になっていた蔵人の脚にへばりつく。

「ん? ……大きいな」

 甲板にぴちぴちと跳ねることなく、ぐったりした様子でこちらを睨みつける魔魚を見て蔵人はそう呟く。そして雪白に視線をやり、事情を察すると苦笑した。


 雪白は海中からアズロナを狙う気配を察知し、まるで魚を釣り上げるように尻尾を操ってアズロナを救出すると、即座にアズロナを追って海中から飛び出た魔魚を横から尻尾でひっぱたいて甲板に打ちあげたのだ。

「――だが、それでも一匹だと足りないな」

 蔵人がそう言うと雪白も頷き、二人の目がアズロナに集まった。

 味方だと思っていた蔵人、そして雪白の酷な要求にアズロナは目に涙を溜める。

「おっ、猪魚か。脂がのっててうま――」

 いつのまにかマストから降りてきた中年水夫の足に、アズロナが助けてとばかりにひしと抱きつく。

 何が何だか分からない中年水夫は魔獣には懐かれたことがないんだがなと、どこか照れくさそうに頭をかくが、そっとアズロナを抱きあげ、首回りに生える鬣を節くれだった指でくすぐってやった。

 少し乱暴なそれは子犬や子猫ならば強すぎて逃げ出したかもしれないが、アズロナは子供とはいえ飛竜の亜種である。多少乱暴な撫で方だろうが気にしなかった。

 アズロナは蔵人と雪白に魚のエサとして扱われかけたことも忘れ、ぎゃっぎゃっと喜びだした。

 相変わらず、人見知りしない魔獣である。


「……とりあえず捌くか」

 実際のところ先程まで船酔いに悩まされていた蔵人に食欲はない。中年水夫とアズロナの心温まるほのぼのとした交流をぶち壊してまで悪ノリするつもりのなかった蔵人は、猪魚と呼ばれたマグロにも似た魔魚を見るが、魔魚の姿がどこにもない。

 周囲を見渡していると、雪白の口の端から尾鰭がぴょんと出ているのを見つける。

 蔵人の視線に気づいたのか、雪白は素知らぬ顔で尾鰭を噛み砕いた。

 なんとも言えずしばらく見つめあっていた蔵人と雪白だったが、雪白が捕まえたもんだしなと蔵人のほうから視線を外すと、再び船酔い防止の強化魔法を試し始めた。



 結局、蔵人は船酔いを防止する強化魔法を開発することが出来ず、一日の半分以上を船酔いに悩まされ、多くの時間を甲板か小さな物置のような船室の隅で体育座りしていることになった。

 

 朝食を幾許か胃袋に詰め込んだ蔵人はふらふらと甲板に向かう。

 夕方から夜にかけて強化魔法を施し船酔いを抑え込んでいるため、朝起きてから夕方までは半分死んでいるようなものであった。

 そもそも日本ほど衛生的に優れているわけでもないミド大陸はどこも匂いがキツイ。体臭や未熟な衛生管理が原因であるため諦めるほかないが、狭い船内はことさら匂いが酷く、蔵人の船酔いを加速させた。

 蔵人が狭い船内をよたよたと歩いていると、ふわりと甘い薔薇のような匂いに顔を上げる。


 そして、後悔した。

 顔を上げたことで香水の匂いが一層強くなったのも原因だが、その匂いの持ち主が原因である。

 化粧の濃い、きつい顔立ちの派手な女。マルノヴァのハンター協会にいた白系人種の女職員が不機嫌そうな顔で蔵人を見下ろしていた。

 蔵人は顔を顰めそうになるのをなんとか堪え、壁に寄って道を譲る。

 同じ船に乗っているのは遠目にして知っていた。鉢合わせしないように避けていたのだが、会ってしまったのなら付け入る隙を与えずに行動すると決めていた。船酔いのオプションに厄介な女などついてしまえば目も当てられない。

 道を譲った蔵人に女職員は何も言わず通り過ぎ、蔵人は強い香水の匂いに船酔いを悪化させながらもほっとして甲板に向かおうとした。


「――強制依頼、断ったそうね」

 

 蔵人の背に居丈高な女の声が突き刺さる。

 今にも吐きそうな蔵人は聞こえなかったふりをして先に進もうとした。

「後から受け直したそうだけど、そもそも流民の手を借りるほどマルノヴァは落ちぶれてないわ」

 なら強制依頼なんかするなよ、と内心で思いながらも蔵人はなお無視を決め込んだが――。

「でも、私は忘れない。あなたが一度は強制依頼を断って、マルノヴァを見捨てようとしたことを。マルノヴァに二度と足を踏み入れられるとは思わないことね」

 女の冷たい声。

 女職員の感情などどうでもいいが、結局のところ、受けても受けなくても気に入らないんだろうが、と言う気力は今の蔵人になかった。

 女は反論しない蔵人に気を良くしたのか、ぺらぺらと話しだす。

「そもそも流民がハンターをやるのが間違いなのよ。品性の欠片もない探索者にでもなって、一生遺跡に篭ってなさい。殺した魔獣の数と発掘品の多寡でちやほやされるんだから、責任感の欠片もない流民にはちょうどいいんじゃないかしら。化物みたいな猟獣や不気味な飛竜を連れ歩くあなたにはお似合いよ」


 ハンターになったのは身分証明と成り行きである。突然こんな世界に拉致されて連れてこられ、責任など知ったことではない。蔵人はそれよりもなぜこの女がここにいるのか、それが気になって振り返る。

「何か文句でもあるの?」 

 美人という範疇に入るだろうが、身分差別の激しい高慢ちきな女。蔵人が同僚ならば一緒に働きたくないどころか、お近づきにもなりたくない。せいぜいが遠目に見て、楽しむくらいであろう。動物園の蛇みたいなものであろうか。

 ……左遷か?

 まともに社会に馴染んでいない自分のことは棚に上げて蔵人はそんな感想を抱く。だがそれは、小さな呟きとなって女職員の耳に届いていた。

 キッと眦を釣り上げ、凄まじい形相で蔵人を睨みつける女職員。

 蔵人もじっと見返す。さんざん虚仮にしてくれた相手である。失言の罪悪感などあるわけもない。

 しばらく睨み合いが続いたが、ふんっと鼻を鳴らして踵を返す女職員。

 蔵人もきつい匂いから脱すべく、よろよろと甲板に上がっていった。

 甲板で待っていた雪白とアズロナが蔵人から漂う香水の匂いに顔を顰め、しばらく蔵人から距離を置いたのは言うまでも無い。

 そのせいで蔵人は背中をさすってもらえず、苦しい思いをすることになる。踏んだり蹴ったりである。あの女と関わっていいことなど何もないと、蔵人は内心で悪態をついていた。


 それから幾度か女職員と顔を合わせる機会があったが、攻撃的な視線と匂い以外は蔵人に実害はなかった。正直なところ、その香水の匂いが一番蔵人にとって辛かったのだが。



 蔵人は朝起きて、船酔いでへたばって、夕方頃に強化魔法で船酔いを抑え込み、雪白とアズロナのブラッシングを行って、強化魔法をかけたまま眠る。そんな日々を繰り返していた。完全に寝入ってしまえば強化魔法は途切れるが、眠ってしまえば船酔いに悩まされることもない。


 そんな日々を繰り返すこと三十日余り、蔵人がいつものように甲板でへたばっていると頬に柔らかな風を感じた。

 毎日のことで気づかなかったのかもしれないが、明らかに気候が変わっているようであった。

 蔵人が乗る大型帆船は東南大陸にある龍華ロンファ国外国人居留地に向かっている。地図的にいえばミド大陸南部にあるアンクワール諸島連合の遥か東に位置しており、気候も似ていた。

 

 距離的にはまだ随分遠いのだが、船酔いという地獄に突き落とされている蔵人にとって確かに近づいているという実感は何も変え難いものがある。

 雪白やアズロナも気候の変化を感じているのか、鼻をすぴすぴとさせていた。

 だが、突然雪白の目が真剣みを帯びる。


――カンカンカンカンカンカンカンカンッ


 甲高い鐘の音が広大な海に響き渡った。

 鐘の音は魔獣の襲来を示すと乗船するときに聞かされている。魔獣の対処は船に雇われている傭兵が行うため、邪魔にならないようにと蔵人はふらふらと立ち上がってアズロナを抱え、船内に向かうが――。


 矢のような何かが、蔵人の鼻先を掠めた。

 胴体に巻きついた雪白の尻尾が引きとめてくれなければ、障壁くらいは破られていたはずである。

 蔵人は瞬時に強化魔法を発動させると、マストを背に盾を構える。

「……助かった」

 のそりと蔵人の横に陣取った雪白をひと撫でしながら蔵人はそう言った。



「――『矢突魚(フレッペ)』だっ! 帆をやられるなっ、『雷壁』を切らすなよっ!」

「「「おうっ!」」」


 この船を守る傭兵団『鎖なき錨』の隊長の怒声が響き、それに続くように隊員たちの野太い返事が轟く。

 その直後、船を銀色の群れが襲いかかった。



 蔵人は咄嗟に飛竜の双盾に戯れる氷精を用いて氷の球壁を張ると、そこに何かが突き刺さる。

 氷の球壁を半ばまで貫通して止まった矢突魚と呼ばれた魔魚の姿は、まさしく矢のような形状をして、突き刺さった後もぴくぴくと蠢いていた。

 蔵人は突き刺さった矢突魚ごと氷の球壁を再形成するが、矢突魚の群れは狂ったように氷壁に突き刺さった。

 ふと雪白を見ると、氷の球壁内にはおらず、その外で尻尾を器用に操り高速で飛来する矢突魚を捕え、叩き落とし、たまにつまみ食いをしている。

 少し小骨が気になる素振りを見せているが、まんざら不味くもないらしい。

 アズロナが羨ましそうにそれを見ているため、蔵人は半ば貫通した矢突魚の一匹を氷から取り出してアズロナに与えた。

 凍っている矢突魚を咥えてご満悦なアズロナ。

 今なお氷の球壁には断続的に矢突魚が突き刺さっているが、雪白やアズロナを見ているとのんびりとした気持ちになってくるのだから不思議なものであった。




 『鎖なき錨』の傭兵隊長は逃げ遅れた乗客がいないかと目を光らせていたが、なんとも言えない光景を見つけるとポカンとしてしまった。

 マストの根元で氷壁を発動して矢突魚を防いでいるのは理解できるが、その横で矢突魚をオヤツ扱いしている大きな猟獣には呆れを通り越して感心する他なかった。

 逃げ遅れたようだがとりあえず邪魔にはならないと判断した傭兵隊長は名も知らぬハンターから視線を切り、狂ったように大型船を襲う、いや大型船には目もくれずに飛び去る矢突魚の群れを見つめる。

 矢突魚の対処は問題ない。今も隊員たちが帆を守るために放った雷壁が全ての矢突魚を撃墜している。船体にしても矢突魚の攻撃程度では掠り傷にしかならない。

 だが、そもそも矢突魚は大型船を襲うような魔魚ではない。せいぜいが小舟を襲うことがあるかないかという程度である。ということはと、傭兵隊長は矢突魚の来る遥か後方に目をやった。


「――……『鋸連貝(カパーガ)』か? ……群れの通過を確認後、『水雷波』用意っ!」

「「「「おうっ!」」」


 矢突魚の群れの後方には一抱えほどもある円盤状の貝が斜めに連なって移動し、まるで海面を水切りするように迫っていた。先頭の貝が水切りで低空を跳ねるとそれに連なる幾つもの貝が一つ目の貝を追い抜き、また次の先頭の貝が水切りで低空を跳ねる。それを繰り返して海面を高速で移動し、こちらに迫っていた。

 いかに丈夫な船体とて高速で回転している無数の鋸連貝の攻撃を受けては無事では済まない。


 矢突魚の群れが、途切れる。

 甲板には無数の矢突魚がぴちぴちと跳ねているが、傭兵たちはそれには目もくれない。

 彼らの目は水切り音をさせて迫る鋸連貝を見据えていた。


「――水雷波っ、放てえっ!」


 傭兵隊長の号令。

 その直後、大波が鋸連貝を押し返す。

 大波に呑み込まれた鋸連貝は大波の纏う雷撃に感電し、次々と海中へ沈んでいった。



 大波が帆立貝の群れを飲みこんでいるかのような光景を蔵人と雪白は思い思いに見つめていた。

 雪白は海中に沈んだ貝の群れを勿体ないと嘆き、蔵人はとある人物に重大なことを気づかされていた。

 その人物とは水雷波を放つ傭兵たちの中に混じる、女職員であった。気配から察するに初級の雷精魔法を放っているらしいが、下位ハンター程度の力は十分に感じられた。


 手伝ったほうがいいのか、蔵人がそう考えたとき、遅まきながら自分が海では無力だと気づく。

 海の上では土精もいなければ、氷精もいない。日中であるため、闇精も効果は薄い。海の上はもとより、不安定な船の上での白兵戦をうまくこなせると思えなければ、人前で自律魔法を使いたくもない。

 飛竜の双盾に戯れる氷精が出来るのは氷戦士の丸盾と同じく物を冷やすことと、盾の範疇に収まる氷を形成することのみで、遠隔攻撃が出来るわけでもない。

 唯一あるとすれば三連式魔銃だが、蔵人の理解している魔銃の性能はほぼ対人特化の火器であり、よしんば使えたとしても土精魔法で弾丸を生成できないためゴルバルド謹製の弾丸を撃ち尽くしてしまえば弾切れである。

 短期間で生きるための力をつけねばならなかった蔵人は、親和性の高い精霊魔法の習熟に集中し、短期間である程度の力を手に入れた。しかしそのために、攻撃手段が偏ってしまったとも言える。

「……本格的に雷精魔法でも覚えるか。というより、根本的に色々考え直さないとな」

 海の上では女職員以下かと蔵人は溜め息をついた。



「……やったか」

 だが、全ての鋸連貝の撃墜を確認した傭兵隊長の呟きは裏切られる。

 海面を水柱が突き破った。

 それは大きな口を動かしてバリバリと鋸連貝を噛み砕いていた。青と黒の横縞に長い胴体。

「……斑海蛇(モデラセディ)か。そうか、やつが鋸連貝を追いたてたのか。ちっ、大雷波用意っ! 白兵――」

 傭兵隊長が息を呑む。

 斑海蛇の双眸がギラリとこちらを向いた所為ではない。


 突然、斑海蛇の喉笛の一部が噛み切られたのだ。

 斑海蛇すらも気づいていないようでどこかきょとんとした顔で海面に長い胴体を立てたままであった。


 斑海蛇の脇を通り過ぎた白い影は馬鹿げたことに速度に任せて海面を一歩、二歩と駆けて反転すると、返す刀で海蛇の背後から首筋に噛みつく。

 傍目には大した力が篭っていないように見えたそれは、斑海蛇の骨を完全に噛み砕き、最初の噛み切った喉笛の傷もあってか斑海蛇は呆気なく息絶えた。しばらくうねうねと暴れていたようだが、しばらくするとそれもなくなりダランと海面に浮かんだ。

 雪白であった。

 雪白は尻尾を斑海蛇に巻きつけて確保するとその長い背を踏み台にして、一足飛びに船に降り立った。

 ぐらりと揺れる大型船。

 しばらくして揺れがおさまった後も、船は斑海蛇の重さで傾いたままであった。



 その日の夕方、斑海蛇の肉で船上パーティが行われることになった。

 一応討伐したのは雪白であるため斑海蛇の素材は蔵人に権利があったが、でろんと大型船に引っかかっている斑海蛇を解体するには傭兵たちの力を借りねばならず、さらに素材を持ち帰るのであれば船長と交渉し船に積んで運んでもらわねばならない。それに傭兵たちが船を守ったからこそ海に投げ出されずに済んだとも言える。

 蔵人は雪白の了承を得て、斑海蛇の肉を無料で振る舞うことを決め、残った皮や歯などの素材は『鎖なき錨』と分けることにした。


 これに水夫や乗客、そして傭兵たちが歓喜した。

 傭兵は利に聡い。

 斑海蛇ほどの大物が船にも自分たちにも損害なく倒され、素材も分けてくれるというならば文句はない。ましてや食べ物の限られている海の上のことである。新鮮な肉が食えるだけでも万々歳であった。

 傭兵たちは嬉々として斑海蛇の解体を始めた。


「いい猟獣だな」

 『鎖なき錨』の傭兵隊長が解体の指示を副隊長に任せて蔵人に話しかけた。

 蔵人は雪白を褒められたことに驚き、僅かに反応が遅れる。

「あ、ああ。おんぶにだっこだがな」

 猟獣頼りと侮られることはあっても、いい猟獣だと褒められたことなどないのだから蔵人が驚いたとしても無理はなかった。

「力か、信頼か。いずれにしてもお前が勝ち取ったものさ。おっと、名乗ってなかったな。『鎖なき錨』三番隊隊長のオヴィディオ・バッサーニだ」

七つ星(ルビニチア)、蔵人だ」

 オヴィディオが手を差し出す。

 蔵人は少し疑い深げに、しかししっかりとオヴィディオの手を握った。

 解体現場でどっと歓声が起こる。

 蔵人はすぐに雪白だと察すると手を離してオヴィディオに軽く頭を下げると、その歓声のほうに向かった。


 オヴィディオは蔵人の背を見ながら小さく笑う。

「……くっくっくっ、何が猟獣におんぶにだっこだ。猟獣頼りの腰抜けがそんな馬鹿げた握力をしているものか」

 オヴィディオは巨人種や獣人種より身体能力で劣る白系人種であるが、海の男として最後に頼れるのは自分の肉体であると確信していた。強化魔法以上に肉体自体の鍛錬を怠ったことはない。

 そのせいなのか、現実主義者の傭兵としての性なのか、たとえ強化魔法を発動していたとしても、実際に触れてしまえば相手の肉体のほどがなんとなく察することができた。

 いつも強力な雪白の影に埋もれて侮られやすい蔵人であるが、オヴィディオがただの猟獣持ちのハンターではないと確信したのはそのためであった。

 



 顔を血で真っ赤にした雪白が斑海蛇の腹に首を突っ込み内臓を貪り、すぐ横ではアズロナが小さな頭を力一杯を突っ込んで、内臓に齧りついていた。

 蔵人が聞いた歓声はそのあまりにも生々しい様子に一部の水夫や乗客が騒いだ声である。

 だが、それは雪白の権利であり、内臓は捨てるしかないのだから問題は無い。現に『鎖のない錨』の傭兵たちは気にした様子を見せずにせっせと皮を剥ぎ、肉を切り分けている。

 蔵人は周囲の目など気にせず、好きに食わせることにした。


 斑海蛇を貪る二匹の様子を見ていると、蔵人はふと視線を感じて首を巡らせる。

 マストを挟んでちょう反対側に女職員がいた。

 顔を顰め、蔵人に対して侮るような視線を向けている。

 魔獣の襲来になんの役にも立たなかった猟獣頼りの腰抜けハンターとでも言いたげで、蔵人の言った左遷という言葉がどうにも腹に据え兼ねているようでもあった。


 だが蔵人はその視線を鼻で笑って跳ね返す。

 役に立たなかったのも事実、雪白のヒモであるのも事実。だがそれの何が悪いというのか。当事者である雪白がそれを受け入れている以上、赤の他人がどんな評価を下そうとも蔵人は揺るがない。

 ましてや敵にも等しい女の言葉など、鬱陶しいだけである。

 蔵人はお前など眼中にないと言った様子で女職員から視線を切り、うまそうに内臓を貪る雪白とアズロナを見守った。

 後で顔を洗ってやらねば、そんなことを思いながら。

 


 マルノヴァアフターですが、四章のいずこかで差し込む予定です。

 しばしお待ちください<(_ _)>

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