76-悪魔の兵器
ある夜、昇格試験をすっぽかした蔵人はいっそもう試験なんか受けなくてもいいかと独り言のように呟いた。
エスティアは蔵人の横で裸のまま毛布を被りながら蔵人の言葉を聞いて、眠りもせずじっと蔵人を、蔵人を含めた遠くを見つめるような目をした。
「……力があれば、力を証明するものがあれば生きやすいよ。出身が不安定ならなおさら、ね」
小さな声でそう言った。
北バルーク出身でバルティスに戻ることもできず、かといってマルノヴァで職につくこともできず、娼婦になるしかなかったエスティアにとって昇格試験を受けることができる蔵人がどこか別世界にいるように見えたのかもしれない。
蔵人を説得しようとするわけでもない、まるで零れ落ちるように出た言葉だった。
絵を描き終え、船が来るまで特にやることもなかった蔵人は不意にそんなことを思い出し、なんとなくもう一度試験を受けてみようかという気になって竜山を降りることにした。
今回は雪白とアズロナも一緒である。
実地試験の一泊分だけは魔獣厩舎に泊まってもらうが、それ以外は蔵人も一緒に野営するつもりだった。用心してしすぎるということもない。
と、蔵人はそう思っていたのだが、月の女神の付き人たちはまったくと言っていいほどマルノヴァで見かけなかった。
白月の六十五日、前日に昇格試験の申し込みを済ませていた蔵人は二度目となる講習を受けに協会に向かっていた。
するといつかのように、協会の入口で以前蔵人から格安で朧黒馬の革を買い取ろうとした女職員と出くわすが、前とは違って蔵人がぶつかる前に一歩引いたため、ちょうど入口で鉢合わせする形になった。
チラと蔵人の顔を一瞥すると、女職員はふんっと鼻を鳴らし、当然よねという顔で先に行こうとするが、ああ、と言いながらピタリと足を止めた。
「――この間の試験、落ちたんですってね」
なんで知っているという言葉を蔵人はのみこんだ。この女と喋ると暗鬱とした気分になるだけである、そう考えていた。
だがそんな蔵人の様子もお構いなしに女職員は口を開く。
「流民が七つ星になろうとするなんて世も末よね。まあ、月の女神の付き人の後ろ盾も失くして、七つ星になったところで仕事があるなんて思えないけど」
協会で決闘をした。協会と月の女神の付き人と剣聖に誓約書を突きつけた。月の女神の付き人の後ろ盾を失くした。そんなことが重なり蔵人はマルノヴァ支部の職員の間で噂話になる程度には有名であった。
だがそんなことを知らない蔵人はこの女職員がこうも絡んでくるのは最初のことがいたくプライドを傷つけたんだろうななどと考えていた。
「――流民で何が悪い」
蔵人はつい言葉を発してしまった。
女職員はまあっと驚いたような声を出してから、口元を嘲笑うように歪めた。
「アハハハハッ、正気?本気で言ってる?アハハハハハハハッ」
酷く不快な笑みを浮かべながら、それ以上は何も言わずに女職員は協会に入っていった。
蔵人は朝っぱらからカラスに糞を落とされたような気分になりながら、協会に足を踏み入れた。
二度目の講習はつつがなく終わる。
前回のように講師であるベラ・マルケッティに噛みつくような者はいなかったが、人数は前回よりも多く、三十名以上もいた。これは一年の終わりが近づき、年内に養成所の卒業要件である七つ星合格を目指す者が殺到しているためであった。
ゾロゾロとどこか緊張感を持ったまま若い男女が部屋から出ていく姿は蔵人にとって日本にいた頃の受験会場を思い出させた。
蔵人はそんな彼らの後を追うように、協会を後にする。
女職員を除けば、不自然なほど何もなかった。
月の女神の付き人やジョゼフが姿を見せることも、協会側からの接触もなかった。
ファンフは蔵人が殺したため問題とはならないが、蔵人とファンフの決闘を邪魔しようとして雪白に阻まれたダウィは誓約書の一項に抵触していると言える。
蔵人としてはダウィがこれ以上、接触してこないならばどうでもよかった。今更ダウィを殺したところで何がどうなるということもない。
ただ誓約書にサインした協会が何も言ってこないということには不信感があった。
元は流民のハンターとの約束などどうでもいいのかもしれない。
蔵人は昇格試験が終わるまでに協会がなんらかの接触をしてこないようなら、こちらから接触するか、と気乗りしないことを考えながら、薄暗い街中を足早に雪白とアズロナの待つ魔獣厩舎に向かった。
雪白の自尊心は傷つき、屈辱と敗北感にまみれていた。
それは夕食の肉を食べ終え、いつものように蔵人が作った土小屋の前でねそべっていた時のことだった。
ちらちらと雪が舞い降りる、蔵人には少々寒いだろうが自分にとっては寒くもなんともない、むしろ快適な夜に、ソレが本性を、牙を剥いた。
雪白は何がなんだかわからない内に、翻弄された。
何度も何度も、弄ばれた。
火精に照らされたソレの影が、ちらちらと視界に入る。
何度視線を逸らしても気になって気になって、仕方がなかった。
耐えられなかった。
バネ仕掛けのおもちゃのように、雪白の大きく丸っこい白い前足が反応する。してしまう。
――たしっ
仕留めた感触は、ない。
するり、と標的が、濃緑色の塊が避けてしまった。
雪白は反応する気などなかった。
馬鹿馬鹿しいとすら思っている。
だが。
――たしっ
また避けられた。
反応する気などないのにつられてしまう。
つられてしまうのもシャクだが、逃げられるのもシャクだった。
本気ではないから逃げられるだけだ。
そう強がってみるも。
――たしっ
生意気にもそいつは再び、ひょいっと避けていった。
バカにされているようだった。
――たしっ
――たしっ
――たしっ
――たしっ
――たしっ
捕えたっ。
ついに捕えた。
もう放さない。
雪白は二度と逃さぬように両前足で濃緑色の塊を掴むと、かぶりついた。
雪白はふと何やらニヤニヤした視線が注がれていることに気づく。
ハッとして顔を上げる。
クックッと含み笑いを浮かべる蔵人、首を傾げてなにしてるの?とでも言いたげなアズロナのまん丸い目が雪白を見つめていた。
雪白は濃緑色の塊を口からポロりと零れ落とす。
穴があったら入りたい、まさにそんな心境であった。
雪白のくわえていた小型犬ほどもある濃緑色の塊は、蔵人の作った特大の猫じゃらしの先端であった。
蔵人は洗いブラシを作ったゴム木の低木の中から腕の長さほどのゴム木を見つけ、その先端に各種ブラシを作った残りである朧黒馬の鬣と尾、緑鬣飛竜の鬣をまとめて括りつけた。
蔵人が絵を描いている合間の気分転換に作ったそれは、普段は腰に差してあり、弱い人種程度なら殺さないで撃退できる、ほどよい護身用武器であった。
実際少しかわった武器にしか見えない。
雪白もこんなことがあるまでは新しい武器としか思っていなかった。
だがそれは、雪白にとってどうにも気になってしかたない、悪魔の兵器であった。
本気を出せば蔵人が振るう猫じゃらしなど容易に捕えることができる。だが、そんなものに付き合うなど馬鹿馬鹿しかった。
しかし、本能が反応してしまった。抗えなかった。
理性と本能がせめぎ合った結果、蔵人にも反応できるような速度で猫じゃらしを追ってしまって逃げられる始末。
捕えても蔵人の手の平の上で転がされているようで屈辱。
逃げられても蔵人に翻弄されているようで屈辱。
雪白は初めて、自らの本能を呪った。
雪白が苦悩している間に猫じゃらしを拾い上げた蔵人が、また特大の猫じゃらしを振ろうとする。
だが即座に、雪白の尻尾がそんなことは許さないとばかりに蔵人の腕を押さえつけた。
雪白が睨みつけるように蔵人を見る。
悪魔が、笑った。
いや、蔵人がニタァといやらしい笑みを口元に浮かべた。
そして手首だけでヒョイとねこじゃらしを反対の手にスイッチすると、悪魔の兵器を振るった。
振るってしまった。
我慢である。
だが、ひゅん、ひゅんと濃緑色の塊が左右に動くと、目が、耳が反応してしまう。
ならばと目を逸らしても、耳をペタリとふさいでみても、気配をしっかりと捉えてしまう。
この時ばかりは蔵人のわかりやすい気配が恨めしかった。
雪白は尻尾で蔵人の腕を押さえるのも忘れて、再び理性と本能の狭間で懊悩を始めた。
――べちっ
しかし、反応したのはアズロナだった。
雪白と蔵人が何やら遊んでいると勘違いしたらしく、自分も混ぜてーとばかりに猫じゃらしに飛びついたのだ。
そして蔵人が反射的に回避した結果、地面に顔から頭突きすることになった。
あれぇ?とばかり顔を傾げながら起き上がるアズロナ。
そこで蔵人と雪白の間の妙な緊張感ははれることになる。
蔵人もまあこれくらいにしてやろうと言ってアズロナを相手に遊びだし、雪白は後で締める、と言わんばかりに蔵人を一瞥してから、アズロナと猫じゃらしの死闘に尻尾で参戦した。
しばらくしてアズロナが遊び疲れて眠った後、雪白は尻尾を甘噛みして眠るアズロナをそっと土小屋に置き、蔵人の脱いだローブに包むと、ゆらりとこちらに背を向けている蔵人に近づく。
蔵人はハッとなって振り返り、猫じゃらしを探すが、すでに猫じゃらしは雪白の神速の尻尾に奪われていた。
蔵人は寒空の下で、背筋にたらりと汗が流れるのを感じた。
小雪がちらつく深夜、今まさに長い格闘を終え、雪白が頭からマルカジリにした蔵人をペイっと放り投げたところだった。
雪白はぴくぴくと痙攣しながら横たわる蔵人に二度とこんなことするなよとでもいいたげに鼻を鳴らす。
そしてちらりと投げ出された猫じゃらしを一瞥した。
しかし、これもふんっと鼻を鳴らすだけで、破壊することはなかった。
雪白はそのまま土小屋に向かい頭と翼と尾の位置が捩じれまくってどうしてこうなったのかわからないアズロナの姿勢をもとに戻して尻尾で包むと、そのまま横たわって目を閉じた。
一方地面に投げ出された蔵人は寒空の下でしばらくぴくぴくと痙攣して横たわっていたという。
――へっぶしっ
蔵人がくしゃみをした。
前夜の疲労を僅かに残しながら、魔獣車に揺られて前回と同じように実地試験が行われるマルノヴァの北にある森に向かっているのだが、蔵人は珍しく車酔いをしていない。
なぜなら蔵人の目は、ある人物に集中していた。
車酔いを忘れるほどに。
エルフ。
それは、一つの美の象徴であった。
映画、小説、漫画で幾度となく目にし、想像し、少なからず誰しもが憧れを抱く存在。それは蔵人にとっても例外ではなかった。
オーフィアもエルフだったがもう老婦人である。蔵人にとって若いエルフはこれが初めてだった。
そんな一種の憧れが、目の前にいる。
蔵人の興味を引かないわけがなかった。
魔獣車内には三組十二名の受験者と三名の試験官がいる。
蔵人の見つめるエルフはその試験官の内の一人であり、蔵人の組まされたパーティの試験官でレティーシャという名前だった。
白磁を思わせる肌に、切れ長のエメラルドグリーンの瞳、尖った長耳、光り輝く長い金髪、身長は蔵人ほどで極端な凹凸のない体型で、装備は新緑色の軽装に弓矢、腰には細剣が吊るされていた。
「――不愉快です」
蔵人のぶしつけな視線を感じていたレティーシャは不快そうに顔を歪めて、蔵人を睨みつけた。
その言葉に蔵人以外の男性ハンターは僅かな動揺を見せつつ視線を逸らし、女性ハンターはそんな男どもを冷やかな目で見ていた。
「すまんな」
特に他意もない蔵人は素直に謝って視線を外し、来るべく車酔いに備える。
いっそ自力で走らせてくれとも思うがそうはいかないし、これほど揺れる魔獣車では寝ることもままならない。そもそもこの世界で魔獣車に乗って寝るなど蔵人には考えられなかった。
そんな蔵人にも女性ハンターの冷ややかな目が向けられるが、好奇心を満たすことの出来た蔵人にとってはどうでもいいことであった。
魔獣車が北の森に到着し、蔵人はふらふらしながら魔獣車を降りる。
金色の森。
目の前の森は前回とは違って金色に、いや黄色に染まっていた。
よく考えれば竜山も一部の木は紅葉していたのだから何もおかしいことではないのだが、絵に没頭していた蔵人には改めて見たその景色が新鮮で、そしてどこか懐かしかった。
黄色い葉が地面に落ち、森全体が寂しく見えたせいであったのかもしれない。
蔵人はしばらく、ぼーとその風景を見つめていた。
しばらくそうしていると、魔獣車が全員を降ろして去っていくところだった。
蔵人を待つように、三人の視線が蔵人に注がれていた。
蔵人はすまんなと言いながら、三人が集まっているほうに向かった。
蔵人の組まされたパーティは三人とも総合養成所の卒業を控えた地元のハンターであった。
レティーシャによって四人の中から女性ハンターがリーダーに指名されると、女はなぜか蔵人を見た。
「じゃあ、一応知らない人もいるのであたしから自己紹介を。リズ・カリアーリ、基本的には後衛の魔法士で弓も使うわ。主に使う精霊は雷、水、土よ。命精魔法も使うけど、後衛だから治癒以外はあまりあてにしないでね」
肩ほどまであるライトブラウンの髪としっかり者そうな雰囲気のある大人と子供の中間辺り、日本でいえば十七、八歳というところだろう。スタイルはレティーシャよりも起伏があるという程度だった。
「ファビオ・バッカラだ。見ての通り盾と槍を使う前衛だ。精霊魔法は苦手だが雷と土はなんとか使える。どちらかといえば強化魔法のほうが得意だ」
非常に背が高く、腕の筋肉も太い。赤茶色の髪は短く切り揃えられており、スポーツマンといったほうがしっくりくる。
「カルロ・チャッフィ。斥候。ナイフ、鞭、弓、なんでも使う。精霊魔法は風、雷、氷、命精魔法もそれなりに」
無駄なく簡潔に話しているのは痩身で蔵人ほどの身長、茶髪、とりたてて特徴のない男だった。
そこに、あたしたちは同じ養成所の仲間なのよとリズが付け足し、三人は頷き合った。
蔵人は仲のよさそうな三人を見ながら、召喚される前の学校の生徒を見ているような気になっていた。もちろん八つ星ハンターとしてすでに狩猟経験があるであろう彼らと争いのない日本の高等学校の生徒たちとを単純に比べることなどできないが、なんとなく雰囲気が似ていた。
「蔵人だ。猟獣はいるが、基本的に一人だ。特に役割は決まっていない。どこでもやろうと思えば出来るが、後衛と考えてもらっていい。精霊魔法は闇、氷、土を使うが雷、火、光は生活魔法程度しか使えない。命精魔法も問題なく使える」
蔵人のなんともいえない姿を疑問に思っていた他の三人はそれで納得したという顔をし、次いでどう扱っていいかわからないとでも言いたげな微妙な顔をした。
蔵人は頭部までしっかりと保護する黒灰色の革鎧に腰にはおかしな形をした魔獣素材の片手剣を二本とふさふさのついた変な棒を一本さし、どこにでも売ってそうな真新しい丸盾を腕につけていた。さらに雷精魔法が使えず、使い勝手の悪い闇精魔法を使い、どちらかといえば防御的な傾向の強い氷精と土精の両方を使うともいう。
彼らには蔵人をどのポジションに置いていいか判断がつけられなかったが、一人、それも猟獣を使うハンターだというなら納得である。
戦闘は猟獣に分担できるが、それ以外は全て一人でやらなければならないのだから。
しかし納得と同時に、さらにどう扱えばいいか分からなくなっていた。
「……とりあえず、あなたは中衛ってことで。面倒かもしれないけど全員のサポートをお願いするわ」
そう言うしかないだろう。
前衛、斥候、後衛が揃っているのだから今回もやることはないんだろうなと蔵人は気楽に構えていた。
「基本的には雷精で獲物に極力傷をつけずに高評価を狙いたいから、土精や氷精で獲物に穴を開けないでね。できるだけ、足止めに専念して」
蔵人が頷くと、リズがレティーシャに一声かけてから、試験がスタートした。
彼らの連携は悪くなかった。
蔵人はしばらく彼らを観察していたが、前回のパーティほどじゃないが、悪くはなかった。
だが、前回のパーティほどじゃないということは、蔵人も忙しいということだ。
「……このまま進むとかなり先だが岩蜂の巣がある。回り道になるが引き返すべきだ」
パーティの少し先を行くカルロに近づき、蔵人は小さな声でそう言った。
「……どれだけ先のことを言ってる?」
「あと十五分も進めば」
「遠すぎ。それに石蜂程度なら倒したほうが早い」
「……そうか」
蔵人はそれだけいって、後方に戻る。
そして葉が減ってよく見えるようになった青空と黄色い葉のコントラストに目を向ける。
つまりは、天を仰いだ。
面倒だな、そんな思いであった。
「おいっ、抜かれるなっ。もう少し耐えろ」
「やってるっ」
「――まだ早い、止まってから撃っても間に合う。俺たちに、いや俺に当たる」
「早くどいてっ。いつも通りなら当たらないからっ」
「どけるかっ。どいたらあんたのところに突っ込むぞっ」
「だから撃つのっ。ファビオなら大丈夫よっ」
「俺が大丈夫じゃないっ」
蔵人はパーティの不意をついて土中から現れ、杭のような針を飛ばして突進してきた大山荒をギリギリで受け止めた前衛の盾を後ろから支えながら、今にも雷撃を飛ばしそうな気配のリズを声で制した。
だが今にも雷撃を放ちそうな気配のリズを見て、蔵人はすぐに大山荒の四足を一度に氷で固定すると身を地面に投げ出す。
するとちょうど蔵人がいたところを通過するように、雷撃が迸り、大山荒に直撃した。
すかさず大山荒を蔵人の支えもあって正面から受け止めていたファビオが大山荒の頭部をメイスで力任せに殴りつけると、大山荒はずしんと音を立てて横たわった。
と、万事が万事、こんなあり様であったがなんとか採取と討伐を終えて一日目の夜を迎えた。
食事を終えた蔵人はどこかぐったりした様子で、ぱちぱちと音をさせる焚き火を見つめていた。
「――ちょっと、聞いてるのっ?」
「ああ……一応、聞いてる」
今は明日の相談をしていた。
予定の課題は捕獲だけになっていたが、捕獲する魔獣の難易度を森林狼の捕獲から、森林大狼の捕獲へと上げようという話をしていた。
彼らの感触では、今のままでは昇格できないらしい。
今回の課題はそれぞれに難易度の違う課題が複数あり、それらの中から自分たちが選んで、それをこなしていくというものだった。難易度の高いものを選んで成功させれば高評価につながるし、逆に簡単すぎるものを選んだり、難易度の高いものに挑戦したが失敗したとなれば高評価を得られないということだ。
三人の表情は一様に蔵人のせいだ、と言っているようだった。
そもそもいつもの三人ならば大山荒こそ狩ったことはないが、上手くいっていたのだ。それが蔵人という異物が入ったことで上手くいかなくなった。
三人はそう思っているようだった。
蔵人はそんなこと言ってもなという気持ちである。
こういうルールなのだから、それを守って成果を上げるしかない。それが嫌なら最初から四人で参加すればいい。
連携が上手くいかないのも即席パーティなら当たり前のことで、その分余裕をもって連携するしかない。お互いに即席のパーティでシビアなタイミングに合わせられるような腕があるわけではないのだから、ひとつひとつ堅実にやっていくしかない。
その程度の連携をすぐに出来ないほうが悪いというならそれまでだった。
無謀な行動で自殺行為に巻き込まれるなど蔵人はごめんだった。
そういうわけで蔵人としては難易度の変更には反対だった。
蔵人がそう言うとファビオが威圧するように睨んでくる。
「あんたは流れのハンターで昇格試験を急がなくてもいいかもしれないが、オレたちはそんな悠長なことをしてる暇はないんだっ」
「だが、こんな調子じゃ難易度を上げるのは危険だろう」
「あんたが合わせないからだろっ。多少の危険はハンターなら当然だっ。そんなに怖いなら尻尾巻いて帰ったらどうだっ」
「合わせる気のない人間とどうやって合わせるんだ。それに、帰ってもいいが困るのはお前らだろう。少しは頭を冷やせ」
「――てめえっ!」
ファビオが蔵人の胸倉を掴もうとした。
しかしそれは蔵人によって阻まれる。
身長でいえば頭一つ以上違うが、蔵人とファビオの力は拮抗、いやむしろ蔵人の方に余裕があった。
「冗談でもパーティに手を上げるな。本当に落ちるぞ?」
ファビオは顔を真っ赤にして、さらに強化魔法を込めようとする。
「――やめてっ」
リズの声に、ファビオはちっと舌打ちして蔵人の腕を振り払う。
蔵人としてもいつまでも掴んでいても仕方ないのであっさりと手を放した。
そんな二人の様子を見てから、リズが蔵人を見てきっぱりと言った。
「難易度を上げます。リーダーとしての決定です。従ってください」
蔵人は眉間に皺を寄せるが、パーティ内多数決でも少数派、さらには即席パーティとはいえリーダーの決定とあってはこれ以上反対しても仕方がなかった。
リーダーの決定を無視してはパーティは崩壊してしまう。
「難易度を一つ上げて、森林狼の捕獲から、森林大狼の捕獲に変更します」
リズは蔵人たちの行動を黙って見ていたレティーシャにそう告げた。
「分かりました」
レティーシャはそれだけしか言わなかった。
翌日、蔵人たちのパーティは森の奥を進んでいた。
森林狼ならば森の浅いところで小さな群れを見つけてそれを捕まえればいいのだが、森林狼の統率者である森林大狼の多くは森の深くにいて、浅い場所には出てこないとされていた。
昨夜から蔵人と三人の雰囲気は、というよりも三人の蔵人を見る目は冷たかった。
だが蔵人はそんな視線を受けても顔色を変えなかった。
そんな視線などこの世界に来る前も、そして来てからも受けている。自身が間違っていないと思えば、なんの負い目もない。
むしろリーダーによる決定がなされた以上は一旦感情はどこかに捨て置いて従う気ですらあったのだが、そんな目で見られてはと彼らへの不信を募らせるばかりとなっていた。
しばらく森を進んだが、不思議なことに森林狼の小さな群れどころか、なんの生物もいない。
森は妙な静けさに包まれていた。
蔵人はハッと何かに気づくが、遅かった。
四人の頭上を、大きな翼の影が横切った。
――ギヤァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ
耳をつんざくような緑鬣飛竜の鳴き声が蔵人たちの鼓膜を打ち据えた。
「っ、隠れなさいっ」
一瞬にして蔵人たちのもとに駆け付けたレティーシャが焦った顔で言い放った。
四人は手近な大樹の影に飛び込むように駆け込み、そこにレティーシャも続く。
だが五人の頭上では飛竜がぐるぐると回り、五人を諦めるつもりがないのは明白だった。
夏と違って葉の少ない森では、飛竜には空からしっかりと蔵人たちが見えているのだから、諦めるわけもなかった。
「なんでこんなところに飛竜がいるんだよっ」
ファビオが小さな声で苛立ったように言葉を吐き出す。
長い歴史の中で、マルノヴァと竜山の中間に縦線を引き、飛竜と人はある意味で共存していた。マルノヴァにある北の森も人側にあり、飛竜が北の森に来ることなど境界線が認識されてからはほとんどなかった。
「……竜山の封鎖が解かれたことが原因でしょう」
レティーシャが小さな声でそう返した。
「そんな。でもこの辺りはそもそも飛竜の縄張りじゃ」
「おそらく、竜山を封鎖したことによって一時、飛竜たちの縄張りが曖昧になってしまったのでしょう。一匹しかいないところを見ると頭上の飛竜は『はぐれ』、縄張り争いに敗れて住む場所を失い、こちらに流れ着いたと考えられます。それもこれも竜山の封鎖などという愚かなことをするからです。まったくもって度し難い」
「そんなっ、だけどあれは飛竜の報復を」
「ならばバルーク自治区方面も封鎖するのが道理でしょう。まあ、そんなことは今更どうでもいいのです。これからどうしますか?」
「……どう、とは?緊急事態ということで、再試験ではないんですか?」
「それは帰ってみるまで私にもわかりません。私に言えることはまだ試験中だということだけです。私とて準備もなしに飛竜とは戦えませんよ。まあ、みなさんを逃がすことくらいは可能ですが、そのためには捕獲を諦め、完全に撤退を決断してもらわなければなりません」
「そ、そんなっ」
「くそったれっ!」
ファビオとリズは悔しそうに顔を顰めながら嘆きを上げ、カルロも珍しく悔しそうであった。
「――そんなことより、今ここを生きて帰ることができるかが問題だろう」
試験が始まってからずっとかわらない感情のこもっていない蔵人の言葉にファビオが怒りを露にする。
「ふざけるなっ!オレたちは今回の試験に受かってクランに入るんだっ、じゃないと……」
クランとはハンターが冒険者であった遥か昔、今よりも遥かに危険だったこの大陸で同じ志を持つ冒険者が集い、お互いを守り、物資を融通し合い、技術を継承するためのものであった。
冒険者がハンター、探索者、傭兵に分化した後も、彼らはクランを形成した。辺境や小さな街では十分な数のハンターが揃わずクランがそれほど大きな力を持つこともないが、大きな街ほどクランが幅を利かせ、ハンター協会側も一定の場所に留まるクランの安定した戦力をあてにして優遇した。
クランに所属できるかどうかが、ハンターとしての道をある程度決めるといっても過言ではなかった。
蔵人のように下位ハンターでありながら流れのハンターをしているほうが稀なのだ。
「飛竜避けの香りも効きませんね。縄張り争いで鼻が潰れたのかもしれません。ということは手負いですね」
そんなファビオの怒りを気にした様子もなく、レティーシャが独り言のように呟いた。
手負いの飛竜には近づくな。
その格言を知らないハンターなど蔵人くらいであろう。
悩みに悩んだ末、リズが絞り出すような声で言った。
「……撤退します。ご協力願えますか?」
レティーシャは頷く。
正直なところ、蔵人が全ての手を出し尽くせばおそらくは飛竜を撃退できた。
だが飛竜が一匹とも限らないし、原典や魔銃、影の魔法陣といった手の内を明かす気はなかった。
そもそも蔵人が飛竜を撃退できるといってどれだけ彼らが自分を信用するかわからない。最悪、囮にして逃げられるということも考えられる。
別に囮にされて逃げられたところであとは自力で逃げるか、どうにもならなければ雪白を呼ぶかすればいいのだが、それはやはり気分が悪いし、おそらく協会に戻った時に面倒事が起こる。
彼らにどんな事情があるのかは分からないが、その背景を慮るほどの信頼関係も、情もない。
上手いこと一緒に逃げる。そのサポートをしてやるくらいの気持ちしか蔵人にはなかった。
レティーシャは頭上の飛竜の様子を確かめながら言った。
「――撤退して正解です」
たったそれだけの言葉だったが、エルフであり、それなりの実力を持ったレティーシャに認められたようでリズは少し嬉しかったが、おそらく昇格できないことを考えると喜んでばかりもいられなかった。
レティーシャが腰の細剣を抜く。
すると、森がざわめいた。
頭上の木々がゆっくりと五人を覆い隠すように枝葉を動かして、さらには茂らせていく。
蔵人はかすかに、レティーシャが握る水晶のような刃を持った細剣から魔力がどこかに流れているのを感じていた。
「……樹精魔法」
リズが小さくそう呟いた。
樹精魔法とは精霊魔法が公になった今でもエルフにしか扱えない精霊魔法であった。
「鼻が効かないようですから、これでしばらくは時間を稼げるでしょう。行きますよ」
レティーシャの言葉に四人は頷き、駆けだした。
だが先頭を駆けたはずのカルロが急停止した。
――ギィヤァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ
二匹目の飛竜が咆哮を発しながら、上空から襲いかかってきた。
万が一何かあって連絡・更新できなくなった時の連絡用にツイッター、始めました。ホームからもいけますが、一応。
https://twitter.com/tanaka_zinpei