ラッタナ・アフター
蔵人の伝言をイライダから聞かされたヨビは、砂浜に座り込んで蔵人の残していった絵を見つめていた。
黒々とした雲が遠くに去り、雲の尾から月がようやく姿を見せ始めていた。
櫂のない小舟が、真夜中のアンクワールの海に浮かんでいる。
小舟の縁に擦り切れた白いワンピースを着た女が腰かけ、夜空を見上げていた。
儚げで、切なげで、哀しげな、美しい横顔をしていた。
一匹の小さな蝙蝠が月に向かって、ふらふらと飛んでいる。
女はその小さな蝙蝠をずっと見つめていた。
「――あの人は何を考えて、こんな絵を描いたんでしょうね」
ヨビは誰にともなく、ぽつりと呟いた。
砂浜に胡坐をかいて座っているイライダが蔵人の行動を思い返すように答える。
「あいつの考えてることはよくわかんないからねえ。単純に女好きだから女の絵を描いたって言われても納得しちまうよ」
「……櫂のない舟、どこにも居場所がないという意味でしょうか」
イライダは何を言っているんだ?という顔をする。
「――アンタだったらどこにでもいけるじゃないか。その腕は飾りかい?」
飛ぶ、ということすら蔵人に買われるまで忘れていたヨビは自分が飛べるということをすぐに思いつかなかった。
ヨビはまた蔵人の絵にじっと見入った。
どれくらいそうしていただろうか。
しかし日は中天にまでは達していない。
「あっ、すいません」
ヨビが心の整理をつけるまで、イライダは待っていた。
「さて一応、クランドの奴からアンタを鍛えてくれと頼まれているが、どうする?」
「……確か、クメジアで仕事をされるとか。足手まといになりませんか?」
ヨビはまだ心の整理がついていなかった。
だが、追うにしても追わないにしても生きていくには力が必要だった。借金をきちんと返すためにも。
「――蝙蝠系獣人種だけあって基本的な身体能力も高いし強化効率もいい、柔軟性もある。何より飛べる。それに昼も、おそらく夜も問題にしない。むしろ種族特性からいえば夜の方がいいかもしれないな。種族特性は陸上でも、たぶん水中でも使えるんじゃないか。それと闇精の大まかな使い方も教えておいた。
準備だけは整えておいたから、あとはイライダが仕込んでやってくれ。そうすればあっという間に俺なんか追い抜く。
ってアイツが言ってたよ」
イライダがニッと笑った。
「そんなことまで……」
「ぽんと放り出しておいて面倒見がいいんだか、悪いんだか。
まあキングと魔獣の暴走の同時発生とはいえ、今はまだ兆候段階だ。まずは調査だから、それをアンタの訓練に当てればちょうどいいさ」
ヨビはちらりと絵に目を落としてから、イライダをまっすぐに見る。
「改めまして、……ヨビと申します。九つ星の未熟者ですが、よろしくお願いします」
ヨビが頭を下げるとイライダが答える。
「かたっ苦しいのはいいよ。イライダ・バーギンだ、よろしく」
イライダはラッタナ王国の協会で用事を済ますと、そのまますぐにクメジア共和国行きの定期船に乗った。
この時、イライダがそばにいたためルワン家はヨビを襲撃することなく見逃さざるを得なかった。結果、王都から港、港から徒歩で北上した蔵人を狙うことになるのだが、それを監視させていたガルーダ王によってルワン家は蔵人を襲撃する寸前で粛清されることになる。
ちなみにルワン家の粛清直後、王都の協会で何かと蔵人の妨害をした受付責任者である鳥人種の職員はルワン家への情報漏洩などの罪で協会を解雇、奉仕労働行きとなっていた。
これはガルーダ王による見せしめとも言われ、非常に厳しい罰であった。
船でクメジア共和国に辿り着いたヨビは勇者が来るまでの間に行われる事前調査にイライダ、チャイ・カオサイと共に参加し、その間イライダにハンターとしての基礎知識などを叩きこまれていた。
海亀系獣人種と人種の混血種であるチャイは、信用できるハンターを知らないかというイライダに去る前の蔵人が紹介したものであった。
イライダはほうと感心したような息を漏らす。
予想よりも遥かに優秀で先を感じさせるヨビ、そしてチャイたち海亀系獣人種たちによってクメジア近郊のキング、スタンピードの詳細な情報を手に入れることが出来た。
ヨビは闇を纏いながら気配を殺し、音もなく森林を縫うようにして飛び回り、魔獣や、そしてキングにすら察知されずに調査を果たした。決して功を焦らなかった。
もちろん最初からそれが出来たわけではなく、イライダが基本的なことを教え、手近な魔獣から徐々に相手をかえていったのだが、古布がまたたくまに水を吸うようにヨビは教えられたことをものにし、いくつかの経験を重ねる内にその斥候としての能力は早くも開花の兆しを見せていた。
この斥候としての力こそが、蝙蝠系獣人種の本来の力なのかもしれない。
蝙蝠系獣人種の集落を知る者はほとんどいない。
そして蝙蝠系獣人種自体をアンクワールでもあまり見かけない。見かけるのはラッタナ王国のように奴隷制度が残る国か、その名残でアンクワールに散らばっている元奴隷階級の者たちだけだ。
なぜ奴隷階級ではない蝙蝠系獣人種が存在しないか。
正式なグシュティをもつ蝙蝠系獣人種は生来の力を後天的な訓練によって高め、決して他の獣人種に見つからないように息をひそめているせいだろう。それかもしくは蝙蝠系獣人種の集落など存在しないかのどちらかであろう。
もし前者なら、感覚の鋭い獣人種に見つからないほど蝙蝠系獣人種の隠密、索敵能力が高いという証明であり、ヨビを見ているとイライダは前者ではないかという気がしていた。
信用できて顔も広そうだと蔵人が言っていたチャイ・カオサイにしても海中や川中を純粋な海亀系獣人種に劣らぬ様子で調査してきた。
水中での自由度は純血種に一歩劣るが、人種の血の混じるチャイはそれを獣人種にはない多様な親和力でもって精霊魔法を使って補っている。
それに同じグシュティとはいえ自分よりも下位のハンターを扱うのが上手く、功を焦りがちな下位ハンターを上手くコントロールして陸地よりも遥かに広い海をくまなく調査させた。
そして何より、その性格がいい。蝙蝠系獣人種であるヨビを気にした様子はまるでないし、ハーフであるのに屈折した様子もない。
それどころかグシュティでもそれなりの立場にいるようで、純血の海亀系獣人種たちから自然な尊敬を勝ち取っていた。
そして予想外の成果を上げたのは、ヨビとチャイたちが組んで海中を調査したときのことであった。チャイたちが露払いしながら水の中での安全と機動を確保し、ヨビがその種族特性で海の隅々まで調査する。
そもそも空を飛ぶ蝙蝠系獣人種を海中の調査に投入するなど誰が考えるというのか。
そういう意味では蔵人の手柄であるとも言えた。
ひとまず、こと調査に限っていうならばこのメンバーはかなり優秀であった。
それによってイライダはラッタナ王国やイルメイシ共和国などアンクワール諸島連合の他の国で調査しているハンターにも決して劣らない調査報告を上げることができていた。
イライダとヨビ、チャイは今日、勇者が到着し、すぐに会議が開かれるということでクメジア共和国の協会ロビーにいた。
イライダはそもそも有名人であり、自然と視線を集め、必然的に三人が座るテーブルには興味、好奇、侮蔑、敵視など視線が集まってしまっていた。
イライダはもちろんのこと、ヨビの身につけるドワーフ謹製の装飾を施されたフレームの細長い楕円形サングラスに黒いチョーカー、大きな胸が横から見えている革鎧に腰から吊るした星球メイスと黒い透爪斧鎚、膝から下を覆うのはこれまたドワーフ謹製の革のガーターベルト付き鉄靴という姿は、長らくアンクワールの表舞台において奴隷や貧民、最下位ハンター以外でごく僅かにしか蝙蝠系獣人種を見たことのないクメジア共和国のハンターにとって衝撃的なものであった。
チャイ・カオサイにしても一見人種のようにみえるが、指の水かきでなんらかのハーフだということが一目で分かる。
ここクメジア共和国でもラッタナ王国ほどの差別はないとはいえ、そんな二人への偏見や差別は当然あったが、高位ハンターといっていい有名なイライダのツレに手を出すような輩はあまりおらず、こうして視線だけにとどまっていた。
だがやはり、ゼロではなかった。
「イライダ・バーギンさんですね?」
鳥人種と熊系獣人種の二人組ハンターがイライダに声をかけた。
「そうだが、何の用だ」
「ヌオン・ラナリットと申します」
「ビル・デム、だ」
二人が名乗ってから、ヌオンと名乗った鳥人種の男がイライダに話し出す。
「――蝙蝠系獣人種と半端者をなぜ貴方のような人が連れているのですか」
そんな言葉から始まりペラペラと話すヌオンはそれなりのランクのハンターらしく、今回の魔獣災害にも強制依頼がかかっているらしい。
長々と虚飾にまみれたヌオンの言葉を要約すると、そんな奴らを捨てて自分たちと組もう、ということらしい。
ヌオンの横にいるイライダに匹敵するほどの身長と膨れ上がった筋肉を持つビルも言いたいことは同じらしく、ヌオンを遮ることはなかった。
ヨビにしろチャイにしろ、そんな言葉は聞きなれているため気にも留めていなかったのだが、イライダは聞いているだけで気分が悪くなっていた。
「アタシは――」
「――聞き苦しいな。お前はほんの十日でクメジア共和国全域の魔獣災害の兆候や暴発の時期、キングやスタンピードの位置、分布、数、種別を調査し、その上で効果的かつ効率的な対策まで立てられるのか?」
ハヤト・イチハラが、そこいた。
イライダすらいつそこに来たのか察知できなかった。
唯一、反響定位の訓練を密かにしていたヨビだけが気づくことができたが、そもそもハヤトの存在を知らないのだから、何だか鼻っ柱の強そうな人種だなという感想しか抱いていなかった。
どこか以前よりも野性味を増したハヤトがイライダと他の国のハンターが調べた調査書を突きつけながら、ヌオンとビルを睨みつけていた。
「――はっ、群れねば何も出来ぬ人種如きが何を偉そうに。調査などアンクワールでは出来て当たり前だ。わざわざ人種のように斥候に特化させた者を使う必要などない。それにこの国は小国だ、出来ない方が笑いものになる」
ヌオンはハヤトを知らないようだった。
ヌオンの言う通り、鳥人種や獣人種は身体能力と五感に優れるためほとんどの種が人種の下手な斥候など相手にならないくらい斥候役をこなせる。
そんなことも蝙蝠系獣人種を役立たず呼ばわりして差別してきた原因ともいえた。
「――まず、読んでみろ」
ハヤトのただならぬ雰囲気に、ヌオンがひったくるようにして調査書を奪い目を通す。
そして、次第に顔が強張っていく。
それこそ一から十まで書かれた調査書は文句のつけようもなく、あとは予想外の事態さえ起こらず、調査書通りにするなら誰が指揮をしても同じ結果になるとさえいえるほどのものであった。
イライダに仕込まれたヨビとチャイたちが詳細に集めた情報をイライダが統合、そこにキングとスタンピードの魔獣の種類から推測される弱点とそこから導きだされる効果的な狩猟方法までが書かれているのだ。
鳥人種や獣人種たちは確かに身体能力と五感に優れているが、それはどうしても感覚的なものになってしまい、人種のように綿密な計画を立てたり、情報をわかりやすくまとめるということをしない。教える者も場所もほとんどない。
ヌオンもそうであったが、この調査書の意義が分からぬほどに愚かではなかった。確かにまとめたのはイライダ・バーギンだろうが、その前提の調査が密でなければここまで詳細な調査書は書けないのだ。
「――ハーフだの蝙蝠系獣人種だのと言っている暇などないだろ。一歩間違えれば今回の魔獣災害でアンクワールは滅ぶぞっ」
そう言い放ったハヤトは、何かを解放した。
目に見えない殺気にも似た威圧感は、高位魔獣にも匹敵するかのような圧迫をともなってヌオンたちを襲う。
ハヤトの言葉、そして何より力にヌオンとビルは無言で調査書をつっ返すと、何も言わず協会を出ていった。
ハヤトがついでとばかりにロビーを見回すと、ヨビやチャイに侮蔑の視線を向けていた鳥人種や獣人種も慌てて視線をそらしていった。
「余計なことだったか?」
「いや、助かった」
「そうか。久しぶりだな」
ハヤトとイライダが会ったのはサレハド以来のことであった。
「で、この調査書の情報は彼らが?」
ハヤトがイライダの後ろにいたヨビとチャイたちを見る。
「そうだ。アタシはその情報をまとめただけさ」
「この戦術を見てそれだけとはいえないだろ。さすが、『蜂撃』のイライダ・バーギンだな」
「『空落とし』にそう言われるとは光栄だ」
「その名は大げさなんだよ、勘弁してくれ」
アルバウムの王都の空を覆うと見紛うばかりの人食い鳥やドラゴン型の怪物を討伐したハヤトは王都の民から『空落とし』と呼ばれるようになり、それがハヤトのミド大陸各地での活躍により旧冒険者三種たちの口にものぼるようになっていた。
そんな風にイライダとハヤトが話しているとゾロゾロと協会に入ってくる一団があった。
この一団こそが、アルバウムから派遣された勇者であった。
ハヤトを入れて二十名の勇者とそのパーティとおぼしき仲間たち、それに数名のアルバウムの騎士や魔法士らしき者たちでクメジア共和国首都のハンター協会は急に騒がしくなってきた。
そこにさらに月の女神の付き人の各女官長たちを連れたオーフィアも現れ、いまだに心のどこかで大規模魔獣災害なんか本当に起こるのかと懐疑的だった者たちに現実を突きつけることになった。
しばらくすると主だった者たちとアンクワール諸島連合のハンター協会幹部により各調査書をもとに会議が開かれ、月の女神の付き人や勇者たちが各国に散らばっていく。
クメジア共和国にはハヤトたちの『暁の翼』と七名の勇者、アルバウムの魔法士と騎士、オーフィア率いる一番隊が残った。
計十一名もの勇者と『紅蓮のエルフ』と呼ばれるオーフィア、それにイライダとクメジア共和国の上位から下位までのハンターそして有志の探索者と傭兵すら投入されているが、それはイライダたちが作り上げた詳細な調査書をもとにいち早くここでの討伐を終え、即座に次の国に戦力を投下し、そして討伐の終えたこのクメジア共和国首都を今回の魔獣災害対策の拠点にするという狙いがあった。
クメジア共和国に残ったアルバウムから派遣された勇者は『聖剣』と『精霊の最愛』のハヤト、『朱雷のブーツ』のエリカ、『弁慶』のカエデ。
他に直接戦闘を行うものとして、かつてアンクワールで遺跡を完全踏破しまくった『飛行鎧』と『重装鎧』。
その他に後方支援として『有限収納』、『魔力譲渡』、『帆船創造』、『治癒の千手』、『魔獣使い』。
それに加え、月の女神の付き人である『不安定な地図と索敵』のアカリがいた。
有限収納は物資を運搬し、魔力譲渡はあまり多くはないとはいえ魔力を供給し、帆船創造はここまでの足であり、これからはクメジア共和国の海で戦うための足場と戦力であり、治癒の千手は一度に多くを治し、魔獣使いは短期使役している鳥系と魚系の魔獣により広範囲の伝達と索敵を行う。
ちなみに魔獣使いの頭に乗っている六枚翼の小さな緑鬣飛竜の変異種は孵化したばかりのため戦闘に参加できず、魔獣使いは今回前線に出る予定はなかった。
後方支援とはいえこれらを全て勇者以外でまかなうとなると膨大な時間、物資、人員が必要となってしまい、この魔獣災害は手遅れになっていたかもしれず、各国の反発を抑えて早期に勇者の派遣要請を行ったアンクワール諸島連合の決断は正解であった。
これだけの力を持った者たちが一か所に集まるのは、世界戦争以来のことである。
空も海も陸も、勇者や月の女神の付き人、アルバウムの騎士、魔法士、そして旧冒険者三種たちによって一つ一つ制圧されていくことになる。
そんな中イライダもまた、地元のハンターを率いて万色岩蟹の対処に当たっていた。
首都に向かっていると思われる万色岩蟹の進撃予想経路である、海とジャングルに挟まれた砂浜には、畝のような砂の凸凹をいくつも精霊魔法で作らせ、ジャングルにある岩を持ってこれるだけ砂浜に置かせた。
首都の街壁の前方、腕力自慢の旧冒険者三種たちが控える前には以前からクメジア共和国の人間に作らせていた幾重にも連なる柵があり、その柵の終わりにいる前衛のハンターには大盾を準備させた。
これらの障害で精霊魔法の効かない万色岩蟹の侵攻速度を緩めつつ、大盾の後ろに配置した旧冒険者三種に、街中から集めさせた鎖の長い鎖付き鉄球で、大盾越しに万色岩蟹を攻撃させる予定であった。
街壁の上にいるイライダの目には、まるで統率された軍隊のように万色岩蟹がこちらに向かっているようであった。
畝のような砂の凸凹と大小さまざまな岩は万色岩蟹の行進を鈍らせたが、時折その岩を爪でもって砕く個体がいた。
五百をゆうに超える大群である。
まばらに、しかし次々と万色岩蟹は柵に取りついてきた。
そこに、号令とともに鎖付き鉄球が一斉に振り下ろされる。
様々な色の甲殻が砕け飛ぶ。
だが何かに命令されているかのように、万色岩蟹の歩みは止まらない。
柵に取りつき、鉄球に倒され、しかしまた柵に取りつき、一つ目の柵を破壊し、また歩き出し、柵に取りつき、また鉄球に倒される。
そんな繰り返しを経て、どんどんと迫る万色岩蟹はついに最後の柵を突破し、ついに大盾持ちに取りつく。
しかしそこにまた号令とともに大盾持ちの後ろから鎖付き鉄球が振り下ろされる。
そんな繰り返しが、首都の目前で繰り広げられていた。
そんな中、ヨビは大群で押し寄せる万色岩蟹を次々に一人で葬っていく。
飛んで、回転して、叩きつける。
その繰り返しである。
これには一緒にいたチャイも、そして周囲のハンターも驚いた。
身体能力に優れた獣人種のハンターでさえも一人が囮になり、一人が背後から攻撃するという方法で狩るものを、空中から一人で、ときには二体まとめて両足につけた鈍器で叩きつぶしているのだ。
蝙蝠系獣人種はこんなことができたのか。
曲刀や弓矢を主用武器にする鳥人種のハンターだけは自由に空を飛ぶヨビを忌々しそうな顔で見ているが、ほかのハンターたちはろくに飛べもしない、精霊魔法も使えない、種族特性もない、役に立たない種族という蝙蝠系獣人種への生来の見方をかえようとしていた。
イライダはそんな様子をみてほくそ笑んでいた。
獣人種は強い者を認める。
それが旧冒険者三種であればなおさらだ。
生まれた時から蝙蝠系獣人種を見下すように育ち、同じ空を飛ぶものとしてその存在を容易に認めることの出来ない鳥人種の意識はなかなか変わらないだろうが、それ以外の者ならばヨビの性格、そして強さを知れば粗略に扱うことはなくなっていくはずだ。
そうなれば蝙蝠系人種が狩りで空を飛んだとしても、好意的な他のハンターの目があれば問答無用で鳥人種に撃墜されるということも減るだろう。この先、アンクワールで活動するとしてもラッタナ王国以外なら十分にやっていけるはずである。
「――さて」
イライダは思考を切り替え、万色岩蟹の大群の後方に陣取る、ヤシガニにも似た、だが大きさは小さな城ほどもある砦蟹を街壁の上から睨みつけるように見据えた。
海中から姿を現したこいつが、この万色岩蟹のスタンピードを統率するキングであった。
イライダは蔵人からもらった棍の両端に大小の爪のある二爪斧鎚を握る。
いつものように赤黒いコルセット型の革鎧を身につけ、背中には槍を四本背負っていた。
「――道をあけなっ!」
そう叫んで、イライダは街壁から飛び降り、二爪斧鎚を力任せに振り回しながら万色岩蟹の中に突撃する。
前後左右に振り回され、薙ぎ払われる二爪斧鎚はまるで砂像を破壊するかのように、万色岩蟹を砕いていく。
そもそもイライダはハンターの少ない辺境を回り、下位ハンターを指揮して狩猟することが多い。そのため狩猟の成果をイライダ個人の手柄とされることが少なく、ランクも四つ星のままであった。
三つ星から上の上位ハンターは指揮能力に加え人格と交渉能力、何より個としての力を協会に示す必要があったが、イライダはその機会に恵まれなかったのだ。
だが本来の力からいえば三つ星、もしかすると二つ星にも手が届くかもしれない力を有していた。
まるで雑草を刈るように万色岩蟹を倒しながら進むイライダを上空から見ていたヨビは、巨人種とはいえ同じ女であれほどまでになれるのかと驚嘆していた。
とはいえ、一人で砦蟹に向かわせるわけにはいかない。
ヨビはイライダを追った。
前進し続ける万色岩蟹を背に、イライダは砦蟹の爪の射程圏ギリギリにいた。
露出した胸元や肩から湯気を上げながら、イライダは二爪斧鎚をその場に置くと、背の槍を両手に一本ずつ構え、それらを立て続けに全力で投擲した。
投げられたと同時に直撃する。
そうとしか見えないほどの速度で飛来した二本の槍は砦蟹の両目を潰していた。
イライダはさらに二本の槍を構え、正面から砦蟹に突っ込んだ。
万色岩蟹では小さすぎて狙えないが、砦蟹の甲殻の隙間ならば狙うことができる。
無論それはイライダの馬鹿げた腕力と精密な槍捌きがあってこそであった。
目を潰されて暴れる砦蟹を時に避け、時に巨爪を受け止め、イライダは甲殻の隙間に槍を通していった。
さらに、砦蟹を不幸が襲う。
砦蟹の頭上から隙をみて背の甲殻に飛び降りたヨビが、両手のメイスで重連撃を繰りだしたのだ。
一撃一撃がキツツキのように同じ甲殻を叩き続け、いつしか甲殻を砕き、肉を潰す。
下からはイライダ、上からはヨビと砦蟹にとっては天敵ともいえる物理攻撃に特化した二人に、絶え間なく数十分も袋叩きにされ、しばらくは闇雲に暴れていた砦蟹もついには動かなくなった。
統率者を失った万色岩蟹のスタンピードはその侵攻速度を緩め、統率が乱れる。
そうなれば、ただの八つ星相当の獲物に過ぎず、万色岩蟹はまたたくまにハンターに狩られ、イライダの担当する場は一日にして鎮圧されることになった。
一方でアカリはというと。
目の前で発生した火炎豪雨としか表現できないような上級火精魔法に、クメジア共和国の南にある街の街壁の上で、乾いた笑みを浮かべていた。
かなり遠くで、キングであるプラントマンに率いられた植物系の魔草たちが火の雨を受け、断末魔の叫びを上げて燃やされているのが見える、ような気がしていた。
実際は火炎豪雨が見えているだけである。
「――まあ、こんなものでしょう」
オーフィアがさも害虫駆除は終わったとでも言うようにあっさりした口調で言った。
アカリはサレハド以来、オーフィアと行動を共にしてきたが、その温和な口調から信じられないほど行動は過激である。
今もほとんど一人でとある密林の一角に向かって、かなり離れた街壁から火炎豪雨を降らしていた。
実際にはその一角を遠巻きに包囲して、延焼しないように水を撒いている月の女神の付き人と旧冒険者三種がいるのだが。
水精を扱えず、アカリと同じように観戦するハメになったマーニャがその光景をきらきらした目で見つめていた。
今この時ならば、幼かったマーニャをオーフィアが拾って育てたのだというのは納得できた。
オーフィアが育てたからこそ、マーニャがファイア・ハッピーになったのだろう。
「――アカリさんがいたからこそできたことです。もう他の勇者に対して負い目に感じる必要はありませんよ」
アカリの加護はオーフィアとの検証、鍛錬により、僅かにグレードアップしていた。
以前までは自身しか見ることのできなかった脳内ビジョンを、一人に限り、相手の脳内にリアルタイムで投射できるようになった。
それが意味するところは、実に恐ろしい結果になった。
加護とは、勇者にとって感覚の一つであり、アカリは精霊に意思を伝える際、加護の感覚を反映させることができた。
つまり投射された相手も加護の感覚を頼りに、精霊に意思を伝えることが可能となり、今のオーフィアのように通常よりも大幅に魔力消費を抑えつつ、かなり離れた場所からピンポイントで上級火精魔法を、まるで遠隔爆撃のように放つことができた。
本来であればいかにオーフィアとはいえ、目視もできない遠く離れた対象に対し、ここまでの威力の火精魔法は発揮できないのだ。
とはいえ、誰でもアカリの支援を受ければこんな芸当が可能ということではなく、アカリの加護への絶対の信頼と新しい感覚ともいえる脳内ビジョンを身体に慣らす訓練をしなければならなかった。
それに対象の目視確認を事前に行わず、脳内ビジョンだけで精霊魔法を放つとなるとそれこそ盛大なフレンドリーファイアをしかねなかった。
脳内ビジョンでは敵意の有無は確認できても、それが自分に対して嫉妬した人間なのか、それとも魔獣の害意なのかわからないのだから。
アカリはオーフィアの言葉に少しはにかみながらも言った。
「わたしはもっと強くなりたいです」
オーフィアはそんなアカリを見つめ、微笑んだ。
「ならもっと厳しく鍛えて上げましょう。――マーニャ、貴女もです。獣人種とはいえ水精魔法も嗜む程度にはできないといけませんよ」
アカリはえ゛っという声を上げてしまう。
横から、い゛や゛に゛や゛~という悲鳴も聞こえた気もするが、これから行われるであろう新しい地獄に、アカリは早くも前言を撤回したくなっていた。
「――特例措置としてヨビ、さまは八つ星となります。おめでとうございます。報酬は二万パミットとなりますが口座に振り込むということでよろしいですか?」
クメジア共和国首都の協会の受付でヨビは職員にそう言われた。
十日あまりでクメジア共和国のキング、スタンピードは鎮圧されていた。
ヨビは突然の昇格に戸惑いながらも頷く。
綿密な事前調査を行い、斥候として動き、何十匹もの万色岩蟹や魔獣を倒し、イライダと一緒とはいえ砦蟹まで倒したのだから昇格は当然ともいえた。
「全額口座にということで、お預かり金額は四万パミットとなっております」
「――四万、ですか?」
「はい。記録ではクランドという方が二万パミットを振り込んでいます」
「えっ、あ、はい」
ヨビは咄嗟にそう返事をしていた。
「――そんな風には見えないんだけど、ホントに細かい男だね」
蔵人がヨビにお金を置いていったことを聞いてイライダが感心したような、呆れたような声で言う。
ヨビとしては二十五万パミットもの借金があるのだからこれ以上何かしてもらうのは心苦しかった。
その後、チャイは妻が心配だといってラッタナ王国に戻り、イライダとヨビはアンクワール諸島各地を転戦していくことになる。
ヨビにとって濃密なひと月、百一日があっという間に過ぎていった。
およそひと月で主だったキングとスタンピードが鎮圧された頃、ヨビは特例処置によって既に七つ星になっていた。
さすがにクメジア共和国のときのように相性のいいキングが都合よくいるわけでもなく、ヨビはやれること、斥候に徹した。
だがそれは指揮と近接戦闘に優れるイライダをちょうど補う形となり、今回の魔獣災害が終わるころにはイライダとヨビの組み合わせはかなり有名なものとなっていた。
イライダとともにクメジア共和国に戻ってきたヨビはこのひと月、ずっと頭の隅で考えていた。
これからのことを。
蔵人のことを。
だがヨビがそんなことを考えていると、突然ハヤトが声をかけてきた。
ヨビはこのひと月の間、何度かハヤトと共闘し、顔を合わせていた。
「その力が欲しい。一緒に来てくれないか?
――俺ならお前を守ってやれる。誰にも何も言わせない」
突然、そういって手を差し出した。
ハヤトの後方に集まっているパーティの女たちはまたかという顔をするが、止める気配はない。
共闘している時、ハヤトはヨビの隠密性、索敵能力、奇襲能力を高く評価していた。
さらにヨビはハヤトと一緒にいるとき何度か他のハンターから奴隷にならないかという侮蔑混じりの誘いを受けたり、直接的な強姦に及ぼうとする輩に襲われもした。
そんなヨビを見て、ハヤトはこんなところにヨビがいるのはもったいないと思っていたのだ。
ヨビは差し出されたハヤトの手を見つめる。
そういえば、あの人は最後に手を差し伸べなかった。
守ってやる、なんて間違っても言えない人だ。
ほんの僅かな迷いを感じ取って、逃げ出すような人でもある。
そう。二万パミットにしても二十五万パミットもの借金があることを考えれば、これからハンターとして生きていくための必要最低限の金額ともいえる。
きっとハヤトならば全額免除して、十万パミットくらい置いて行くかもしれない。それくらいに目の前の勇者は力があった。
だが、ヨビはそんなことをされたいわけではなかった。
守られたいわけではない。
ナバーと肩を並べることができなかったから、ナバーは潰れてしまった。
自分が弱かったから、ダーオとナバーが死んだ。
二度とあんなことが起こらないように、強くなりたかった。守りたかった。
何より、恩を返さなくてはならない。
死んだ二人に、月の女神の御許にきっといるだろう二人に、きちんと顔向けできるように。
「――死んだ元夫は勇者が遺跡を完全踏破したために探索者としての道を閉ざされ、さらにカジノで身を持ち崩しました。
恨んではいませんが、亡き元夫の気持ちを考えると軽々にその手は取れません。
祖国で死んだ息子の弔いをして、それから自らの道を考えます」
やんわりとハヤトの誘いを断ったヨビは、首の黒いチョーカーを無意識の内に指で撫でていた。
周囲にはファッションに見えるチョーカーだったが、ヨビにとっては首輪であり、受けた恩の証明だった。
「……そうか」
ハヤトは手を引っ込めて、身を翻し、パーティを率いて協会を出ていった。
「嘘でもないが、本当でもないっていう感じだな」
同じテーブルにいたイライダの言葉にヨビはしれっとした表情で答える。
「嘘ですよ。勇者とは距離をおきたいみたいですからね、私のご主人さまは」
ヨビはハヤトとのやり取りで、自分の本心に気づくことができた。
自分が出来なかったことを、あの人がしてくれた。
その結果、あの人はナバーを殺すことになった。
つまりそれは、自分がナバーを殺したということだ。
こうしてくれれば、ああしてくれればなどと自分が出来もしないことを押し付け、あまつさえその結果を背負わせるなど責任転嫁でしかない。
ダーオ、そしてナバーの命を背負うのは自分なのだ。
そして自分とダーオを救ってくれたあの人には、恩を返すべきだ。
自分がするべきことはそれだけなのだ。
ヨビの目から、完全に迷いが消えた。
その目を見て、イライダは言った。
「――アタシと組まないかい?」
今までパーティを組まなかったイライダがヨビを誘った。
「もちろんアタシはいつかサウランにいくからそれまででもいいし、一緒にサウランにいくならそれでもいい」
「ランクがかなり違いますが、それでもいいのですか?」
イライダは今回の魔獣災害の活躍で三つ星になっていた。
「そんなもん、アンタならすぐにどうにでもなるさ」
イライダはヨビの力ならばすぐにでもランクアップするだろうと考えていた。現に六つ星に手がかかっているのだ。これからスタンピードの残党を狩れば上がるかもしれない。
それくらいヨビの力はこの魔獣災害で飛躍的に伸びていた。
「……わかりました。私もサウランにいくつもりですので、よろしくお願いします」
「ああ、よろしく。じゃあ、そろそろ残りの魔獣共を掃除するか」
こうしてイライダとヨビはパーティを組むことになった。
帆船創造によって作られた大型船の中に、勇者たちがいた。
アンクワールの未曾有の魔獣災害はなんとか最悪の事態を免れ、勇者たちはアルバウムへの帰路についていた。
「今回はなかなか骨が折れたな」
「ああ、遺跡のほうが楽だったぜ」
『ラプター』と『レオパルト』が言葉とは裏腹に、楽しげに話していた。
「――ったく、センセイたちはほんと役に立たねえな。生徒を戦わせてなに考えてるんだか」
この場に体育教師とアキカワはいない。
唯一いたタジマが答える。
「戦闘において役に立たないのは承知ですが、何度か私の幻術に助けられたのを忘れているようですね。物事は正確に語りなさい」
ピシッとしたタジマの言葉に『ラプター』と『レオパルト』は怖っと言いながら肩をすくめた。
「ゴンダはともかくとして、アキカワがどうしようもねえのは事実だろ」
「こっちに来て早々にアルバウムに尻尾を振って、とっとと結婚しやがったんだぜ。たく、本当に教師かよ」
このようにアキカワのことを多くの生徒は頼りない、どっちの味方かわからない、果ては裏切り者と呼ぶものさえいた。
今も多くの生徒はそうそうと口々にアキカワの悪口をいい、ハヤトも何も言わないが、その眉間の皺が全てを物語っていた。
「――お黙りなさい。いい機会です、話しておきましょう」
静かに、しかし厳しい声でタジマが続けた。
「彼は私たちのために、真っ先にアルバウムに恭順したのです。結婚もそのためです。
召喚初期の混乱期、私を含めてアルバウムに反発するものも多かったですが、彼が方々に頭を下げ、こちらとあちらの違いを説明し、説得し、アルバウムの上層部にしばらく我慢してもらっていたのです」
「はんっ、どこぞの王子に騙されて連れていかれそうになった奴や役立たずと放り出されそうになった奴もいなかったか?」
『ラプター』がエリカ、カエデを見た。
「彼とてただの教師です。全て上手くいったわけではありません。それでも彼のやったことはムダではなかったはずです」
「……辺境に飛ばされた奴もいなかったか?まあそれもしょうがないな。ちっぽけな精霊の一匹しか召喚できない、役立たずなんだからよ。精霊なんぞそのへんに腐るほどいるからな」
『レオパルト』がちらりと『魔力譲渡』、『有限収納』、『帆船創造』の三人を見る。
三人の友人である『精霊召喚』はレシハームに一人飛ばされていた。
しかし、三人は『レオパルト』の言葉を気にした様子はない。
「あいつは望んで行ったんだ。飛ばされたわけじゃない」
「そうだよっ」「そうだよっ」
『帆船創造』の言葉に、双子らしく揃って同意する小柄な二人。
「とにかくっ、彼を役立たずというのは正確ではありません。以後、気をつけるように」
タジマが強引に話をまとめた。
『ラプター』と『レオパルト』もそれ以上はなにも言わず、へいへいと言いながら肩を竦めて外に出ていった。
行きとは違い、のんびり十数日船に揺られ、勇者たちはアルバウムに帰還する。
彼らを、否、彼を、ハヤトを真っ先に出迎えたのは、アオイだった。
ひっつめた髪のコメカミに青筋すら浮かべたアオイは、ハヤトが降りてくるなり詰め寄った。
顔をギリギリまで近づけ、小声で、しかし強い口調で言った。
「――卑怯者め」
アオイが気を使ったせいか、他の勇者には聞こえなかったが。
「……落ちつけ」
「政治的な力を用いて私のいない時に永久監獄から囚人を連れ出す者を卑怯者という以外になんと呼べばいい」
「……緊急事態だ」
「緊急事態なら他の囚人を連れだせるとでも?そんなことあるわけがない。現に解放されたのはそこのクーだけだ」
「俺は――」
「――君は、君とは関わりのない者が作り上げた物を蔑ろにしすぎだ」
なおもハヤトが反論しようとするが、そこにハヤトにアンクワールでの討伐を依頼した将軍、そして議員が現れる。
「もうよろしいかな、神官勇者殿」
構いませんとアオイは答え、船から降りてくるアカリに声をかけに向かった。
ハヤトはそれをなんともいえない顔で見送るが、すぐに将軍と議員に向き直る。
「何かあったか?」
「ああ、実は……」
こうしてハヤトはまた別のところに派遣されることになった。
ちなみにクーは再び永久監獄に戻ったが、何かあればハヤトの要請で再び出てくることになるのは明らかであった。
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