67-試験、そして
「ランクが上がるほどに臨時パーティや合同パーティで狩りをすることが増える。
慣れない即席の集団でもパーティを乱さず、それでいて力を十全に発揮すること。それがハンターとしての基本的な能力に加えて、中位ハンターに求められることだ。
身体能力に劣る人種にとって連携と精霊魔法は生命線といってもいい、よく考えて行動しろ」
蔵人たちを担当する生粋のマルノヴァ人の中年試験官は、自分も元ハンターであったらしく、言葉にその経験をにじませて言い放った。
ユーリフランツ人はそれぞれの都市色が強く、都市それぞれに市民の特徴とでも呼べるものがある。マルノヴァ女は高慢で我儘だが、マルノヴァ男は女性に優しいが見栄っ張りでケチという。
この試験官もそういう気質はあり、それに加えて北部人の持つ人種への誇りというものが態度にありありと表われていた
試験官がリーダーに指名したのは革鎧を着た、身の丈ほどの杖を持った魔法士だった。
杖は精霊への伝達能力を僅かばかり向上させ、精霊魔法の行使を補助する役割があった。持つ持たないは人の好みというレベルの問題であるが、杖を持ったハンターというのは魔法を中心に狩りをする魔法士ということになる。
しかしハンターの魔法士の杖の多くは杖としての役割だけでなく、多くは補強してあり、この魔法士の杖も両端の片方が鈍器、片方が刺突具として使えるようになっていた。
その他のメンバーは弓を背負った斥候らしき女と身体の四分の一が隠れる程度の盾と片手斧を持ったいかにも前衛といった大柄な男で、三人はいずれも白系人種だった。
そこに蔵人がいた。
蔵人以外の三人は地元の顔見知りという程度らしく、ほとんど初対面のような自己紹介をして、試験官が引っ込んだ後、リーダーが隊の方針を話し始めた。
「――わかっていると思いますが、雷精魔法を中心にハントを組み立てます」
その一言に蔵人以外の二人は当たり前だなという顔をする。
蔵人が、ん?と首を傾げているとリーダーは懇切丁寧に解説しだした。
他の二人は若干あきれ顔である。
ハンターにとって一番有用な精霊魔法は雷精魔法だという。
特にマルノヴァ近郊は飛竜がいることもあって、飛竜に効果的な雷精魔法は重宝するらしい。
精霊魔法の中で一番速度があり、魔力を込めれば必殺の威力を持ち、弱めれば捕獲にも使えて、さらに上手くすれば獲物の損傷も少ない。精霊の数が少ないのが欠点だが、まったくいないということもなく、七つ星が狩る程度の魔獣なら問題はなかった。
感電によるフレンドリーファイアも考えられるが、距離を取るか、注意して雷精魔法で相殺すればいいだけのことだった。
親和力が絶望的でない限り、攻撃には雷精魔法を使った方がいいのだという。
勿論ケースバイケースですけどとリーダーは言って、そのためにメインで使う精霊以外に二つほどサブの属性を鍛えるのだという。
リーダーは雷がメインで、サブに水と土。
斥候の女は風がメインで、サブが雷と土。
前衛の男は土がメインで、サブに雷。
前衛の男は精霊魔法が不得意らしい。
防御に秀でる土と氷、場合によっては水のどれかを取るのも常識だという。
そして斥候のほとんどは風、親和力や環境によっては場合は土ということもある。光の探査能力も非常に、というよりも風よりも高いが光の親和力が高い者は少なく、親和力はほとんどが並で、それならば風を探査に使った方が魔力効率が良いらしい。例外は勇者や特殊な少数民族程度とのこと。
そういうわけで雷精魔法を中心に部隊を運用していくとリーダーの魔法士は言った。
そのほうが獲物の状態が良いと言われれば、文句のつけようはなかった。
だが蔵人は雷撃に対する雪白のトラウマの関係もあって、イライダに先導役として教えられていた時に人種の集団狩猟は雷精魔法をよく使うとまで言われても、雷撃を使うことは今までほとんどなかった
そもそも闇・氷・土の親和力に特化していて、水と風こそ並みであるが、光・火・雷は極端に低く、その中でも雷精は、火精や光精と違って日常的に使うこともないため、習熟すらしていない。せいぜいが川に雷を流して無差別に魚をとったくらいである。
大きな川でないため弱い雷撃でも魚は獲れたが、それほど大きくない魚は小骨が鬱陶しいのか雪白があまり食べなかった。
そんな人種の中では珍しく偏った親和力を持つ蔵人は、魔獣に効果的な精霊を選んで使うより、その常人よりも多い魔力で力押しし、足りない攻撃力の分を物理的な武器や搦め手、そして雪白が補っていた。
やることがないかもしれないなと思いながらも蔵人はしかし、雪白のトラウマ解消ついでに電気マッサージでもするかなとのんきに考えていた。
人種のハンターにとって、奇襲によって遠距離から魔獣を仕留めるのが基本的な狩りの形である。
リーダーも基本的にはその形でいくと言った。
弓使いの女が斥候を務め、獲物を感知したら遠距離から雷精で攻撃する。
次にそれで仕留められない場合、中型の盾を持った前衛の男が獲物を食い止め、その間に仕留める。
そこで蔵人はというと、役目としては遊撃や阻害ということになった。
雷精が役に立たないのだから、獲物の足止めや攻撃の合間の隙を補って獲物の気を逸らす役割であった。
だが役者が揃い過ぎていて、森の奥に行き過ぎでもしない限りはやることがなかった。
採取の課題であった飛竜毒の毒消しである魔草はそもそも場所がある程度知れているためリーダーの知識と斥候の女の探査能力で探し当てたし、大猪ほどもある体躯で鋭い針山を背負い、その針を飛ばしてくる大山荒の討伐も危なげなく終わった。
リーダーである魔法士はこの森を熟知し、しっかりと安全策をとって進んでいるため奥に行きすぎることも、手に負えない魔獣に手を出すこともなかった。
うぬぼれて馬鹿なことをしでかさない限り、近寄ってくる魔獣も斥候が察知して、遠距離からの魔法で仕留めるか、前衛が受け止めてからの一撃で十分事足りた。獲物を高く売る=評価を高くする、そのためにも蔵人の土の杭や氷柱で無駄な傷を負わせるわけにいかなかった。
やることのない蔵人だったが、それでも出来ることをやっていく。
木の影にじっと隠れて斥候の女の感知をやり過ごし、その脚を刺そうとした拳大の岩に擬態した岩蜂を、闇精魔法でその影を感知し、強化した脚でゴリッと踏みつぶしたり。
大山荒の大飛針とほとんど着弾差のない突進によって突破されそうになった前衛の男が直前に作り出した土壁を土精魔法で補強しながら、ようやく止まった大山荒の短い脚を土精魔法でロックし、それとほぼ同時に水精魔法で大山荒に水を振りかけて、直後に迸った雷撃の威力増幅に貢献したり。
剥ぎ取った素材の運搬も受け持ち、野営食もそこそこ美味しく作り、夜の見張りの半分以上を請け負ったりと隊の調整役のようなことをしていた。
人間関係の調整こそ出来るはずもなかったが、彼らはコミュニケーション能力もきちんと持ち合わせており、お互いに地元の顔見知り程度の関係であるにも関わらず、それぞれが自分たちの仕事をきっちりとこなす意識を持って、試験官の目を意識して功に焦るようなこともなかった。
そんな彼らだ。
最初こそ蔵人の能力に疑いの目を向けていた。
大したこともしないで寄生している奴。それが共通意識だった。
しかし時間が経つに連れて、彼らは蔵人の行動と能力に気づいていった。
安全策を取る限り、この三人がいれば大なり小なり怪我はあるだろうが課題はこなせる。
だが蔵人のちょっとした行動により、その怪我がなく、狩りもスムーズに進んだ。
怪我をすればその回復に魔力と時間を要する。まかり間違えばこの後のハンターとしての活動自体に支障をきたし、その間の生活費に頭を悩ませることにもなりかねない。
狩りがスムーズにいけばそれだけ危険性も低下する。
食べ物にしても美味ければそれだけストレスを解消するし、夜の見張りの負担が減れば翌日の行動がより楽になる。
かなり良いコンディションで実地試験二日目を迎えた彼らは、弱めた雷精魔法を使って森林狼の捕獲をあっさりと終える。
しかしその頃には、最初は蔵人を侮っていたパーティメンバーも蔵人のことを最低でも自分たちと同じ程度の実力は備えていると評価し直していた。
「おう、助かったぜっ」
と前衛の男が蔵人の背中をばしばしと叩き、
「男のくせに随分細かいのね……でも、色々助かったわ。野営の準備がいつも適当でガサツで、まったく男どもときたら……」
と斥候の女が毒を混ぜつつも、礼を言って、さらにはぶちぶちと愚痴を言ってきたり、
「色々と引き受けてもらって随分と助かりました。ありがとうございます。それでですね、さっきの場合だとこうだと思うんですが、この場合だと……」
とリーダーの魔法士が馬鹿丁寧に礼を言いながら、精霊魔法について意見を求めてきたりもした。
蔵人とてそういう風に言われれば、嬉しい。
いつものように表情を極端に変えることこそなかったが、気分良く実地試験を終えることができた。
夕方には街に戻り、それぞれが宿や家に戻っていった。
試験の課題依頼は協会からそれぞれの口座に報酬が振り込まれることになっている。
朱月の九十八日。
午前中に筆記試験があり、夕方には結果が発表される。
蔵人にとっては筆記試験はそれほど難しいものではなかった。
講習で教えられたことが出題される丸バツテストに加えて、簡単な足し算、引き算があったが普通の小学生でも出来るようなレベルのものであるのだから蔵人が間違えるはずもない。
筆記試験を終えるとあとは解散である。
結果発表は各自が今日の夕方以降に受付にてタグを提出すれば分かるようになっていた。
蔵人は試験を終え、宿に戻って昼寝でもしようかと思っていたときのことだ。
講習の教官も務めた女性職員が試験室を出ようとした蔵人に声をかけた。
「クランドさん、支部長がお呼びですので、支部長室まで来て下さい」
蔵人は促されるままに、女性職員について支部長室にいった。
支部長の大きな机の上に誓約書が置かれていた。
机の向こうには支部長とジョゼフ、そして女官長のアガサがいた。
「文面はこれでいいか?」
支部長が蔵人に聞いてくる。
文面は簡素な物だ。
【一、クランド又はクランドの関係者に対し、クンドラップ・ノクル・ルワン・ファンフ及びその関係者が決闘を含めて危害を加えた場合、ファンフの生死についてはクランドの裁量によるものとし、ジョゼフ・バスター、アガサ・イゼット、ハンター協会、またはその関係機関や関係者は直接、間接を問わず、いかなる介入、妨害も行わないことを誓う。
二、ジョゼフ、アガサの両名はファンフがクランドに対して今後危害を加えることがないように徹底することを誓う。
一項の誓約が破られた場合、ハンター協会は破約者とファンフに対し、制裁として死を求めることとし、破約者とファンフが逃亡した場合、クランドと相談の元、公の罪に求めることとする。
クランドが死亡した場合は、全てを公にし、制裁を課しながら、積極的に罪を求めていくこととする。
二項の誓約が破られた場合、破約者は百万ルッツを蔵人に支払わねばならない】
ファンフが蔵人に危害を加えないという誓約書は、ファンフが決してサインをしないから無理である。
そもそもがファンフの逆恨みであり、決闘の生死を覆したゆえの誓約なのだからファンフの立場が多少不利であっても、それについてファンフ側が何を言ったところで蔵人がそれをのむことはない。
となるとここが落とし所といえた。
そして文面を見る限り、ハンター協会もそれなりに本腰を入れて誓約書を作ったのだということがわかる。
「こんなもんだろうな。あとはこの誓約書が作成されるに至った経緯を、前文、いやこのスペースなら後文として入れてくれ」
蔵人は誓約書を隙なく製作する技術などないし、その知識もない。
ゆえに何故この誓約書が書かれなくてはならなかったのかを書けと言った。それが当たり前かどうかはわからないが、蔵人はそうしておきたかった。
そして万が一を考えて、余白を埋めておきたかった。それがどれほどの予防策になるかはわからないが。
支部長は苦笑しながらも、強化すら使った恐ろしい速度でペンを操り、外見に似合わぬ綺麗な文字で三枚の誓約書に後文を書きあげた。
蔵人もその内容を確かめたが、事態の経過に間違いはなかった。
「これでいい」
蔵人がそういうと支部長がまずサインした。
次いで後文を確認したジョゼフ、そしてアガサもサインをした。
そして蔵人がサインをし、おもむろにナイフで指を切って血を出すと切ってないほうの親指に血をつけて、三枚に拇印をした。
支部長やジョゼフ、アガサが驚いた顔をし、蔵人を未知の生物か何かを見たような目で見る。
北部人にとっては血判を知ってはいたが、その習慣はなかった。
「……指紋は本人の証明に役立つし、血はいくら魔法でも複製できないだろ。こうすれば書き換え防止にもなる。サインもあるが、念には念を入れたい」
かなり無礼な発言であったが、蔵人の立場を思えば仕方ないか、と支部長も同じように自分の名前の隣に拇印をした。
そしてジョゼフ、アガサも同じようにした。
「一枚を協会、一枚をジョゼフ殿、そして一枚を君がもつということでいいんだな」
蔵人は頷いて自分の分の誓約書を取り、かわりに深緑の環を腰の小袋から取り出して支部長の机に置いた。
「確かに返却した」
アガサのほうを見ることすらなく、そしてそれ以上何も言わず支部長室を出て行った。
もう言うことなどなかった。
蔵人は宿に戻って昼寝をし、夕方頃に協会を訪れた。
「昇格試験の結果を教えてくれ」
蔵人はタグを受付に渡した。
周囲を見てみれば、パーティメンバーとともに喜んでいる奴も、どんよりと落ち込んでリーダーらしき年嵩の男に慰められている者もいる。講習の時に試験官に食ってかかった若い男も落ちたらしく、空元気を振りまいてはいるものの悔しそうなのは隠し切れていなかった。
「――クランドさん」
受付の女性職員の声に蔵人はカウンターに向き直った。
そして女性職員の次の言葉を待つ。
「……残念ですが」
不合格らしい。
聞いてみると十二人中七人が合格したとのこと。
蔵人はいつものように表情も変えずにタグを受け取って、しかしどことなく重い足取りで協会を出て行った。
蔵人が実地試験を終え、宿に戻った頃、蔵人たちを受け持った試験官は実地試験の評価を下していた。
前評判通り、優秀だった三人の資料には早々に合格の印を押し、最後の一人の資料に目を通していた。
正直なところ、拍子抜けもいいところだった。
狩った獲物の素材を受け持ち、野営の準備を整え、見張りを余分に受け持つ。
それが自分の力を考慮した上で行ったパーティへの貢献と考えれば評価に値した。
しかし、それだけだ。
それだけなら優秀な運び屋でも雇えばいい。野営など出来て当たり前で、評価するようなことでもない。狩りのメシは食えるものであればいい。美味い物は狩りで稼いで街で食うものだ。
そしてこれらの行動は貢献ではなく、能力不足を誤魔化すための取り入り、と考えることもできた。不穏な輩ではなさそうだが、元は流民ともいう、注意するべきだった。
なにより。
ハンターは狩りの腕とパーティの連携こそが重要なのだ。
そういう意味では、取り入るようなことをしなくても、彼の狩りの腕自体はそれほど悪くない。
だが、余計な行動が多い。
斥候の周りをうろうろする必要などない。信用していないのか、それとも場違いにも口説くつもりだったのか、どちらにしろまともな行動ではない。
弱々しい精霊魔法の発動気配を何度も感じたが、なぜそんな魔法として形にもなっていない無駄なことをしたのか。労力の無駄であり、魔獣に察知される危険性もあった。
そして雷精魔法をまるで使えないというのも問題だ。
人種のハンターの常識として、親和力の問題もあるが、それでも多少なりとも使えて当然で、親和力が低いのなら鍛えておくべきものだ。前衛になれそうもない体格なのだから、余計そうしなくてはならない。
そんな欠点の多い彼がいたにも関わらず、チームの内の和こそ乱れなかったが、それは彼が周囲に取り入るような行動をし、その上周囲が優秀だっただけである。
試験官は自然と眉間に皺を寄せていた。
手心を加えようにも及第点にすら届かないのだから仕方ない。
筆記試験は合格だったようだが、実地試験がこのあり様では合格に出来なかった。
期待していた分だけ、がっかりしてしまった。
試験官は蔵人の資料に不合格の印を躊躇なく押した
蔵人は、間が悪かった、といえた。
まず、将来有望といわれる者たちと多かれ少なかれ比較され、評価のハードル自体が上がってしまった。試験には基準となるラインがおおよそあるが、判断するのは人であり、試験官も無意識の内に、僅かとはいえ比較評価してしまった。
雷精魔法を中心にすることで獲物の状態が良くなったが、蔵人の役割も減ってしまい、目立たなかった。
致命的なのは、蔵人の行使した精霊魔法の全てを試験官が感知出来ていなかったことだ。
前衛の男の崩壊しつつあった土壁を強化しつつ、同時に蔵人が大山荒の脚を四つまとめてロックし、水精魔法で水をばらまいたことを、試験官は感知出来ていなかった。
試験官には蔵人が水を振りまいたようにしか見えず、そんなことは雷精魔法を使えないのだから誰にでも出来る当たり前の行為として特別評価されることではない判断された。
その理由としてはエルフでもないハンターが精霊魔法を六つ同時に行使することなどできるわけがない、という人種としての一般的な先入観があった。
威力を重視して精霊魔法を行使していた魔法士の大きな発動気配と視覚的にも派手な雷精魔法によって、蔵人の細かな精霊魔法が試験官には感知出来なかったということもあった。
そもそも蔵人がよく使う闇精や土精は、火精や雷精に比べると気配が薄く、それが利点でもあるのだが、今回はそれが裏目に出た。
これが『七つ星』の試験ではなく、もっと上の昇格試験ならば、蔵人のやっていたことを感知できるレベルの試験官がついたのだろうが、『七つ星』は中位ハンターの入口であり、ハンターランクによる優遇を悪用しようとする輩の振り落としも兼ねている。
試験官はハンターとしての力を判断する能力と、それ以上にハンターの性格や考え方、狩り以外の行動などを見る能力が必要だった。
現にこの試験官も現役時代は『六つ星』であり、試験官を務めるのは二年目、三十年以上昔のハンター感覚のまま、評価を下していた。
しかし職員歴は二十年以上で、多くのハンターを見てきた経験を買われていた。
無意識の内に昔の感覚で評価を下していることは、他の多くの職員にいえることであり、多少この試験官の頭が固かったとしても、それについて責めるのは酷ともいえた。
その上で、蔵人も狩りにおいて自己アピールが薄く、ハンターとしてのスタイルがパーティ向きではないという問題もあった。
岩蜂を踏みつぶした時に和を乱さない程度に感知力をアピールするなり、精霊魔法の同時複数行使を誰の目にも分かるようにすればよかった。
ハンターランクを、街での活動で不利にならないための身分保障、という程度にしか考えていなかったのだから自己アピールが少ないのも仕方がないともいえたが。
そして最大の原因としては、ハンターとしての常識や情報が欠けている、という一語に尽きた。
それがわかっていれば、試験の対処も出来ていただろう。
蔵人が僅かにだが肩を落としながら協会を出ると、見知らぬ男が近寄ってくる。
どことなく胡散臭い雰囲気をした痩せた男である。
チンピラ、といえば分かりやすい。
「そのご様子だと、昇格できなかったようですね」
意外と穏やかな口調である。
蔵人が警戒と不快感を込めてチンピラを見る。
「おっと、怒らないでくださいよ。昇格試験はおおよそ三十日間隔であるんですから、次ですよ、次」
妙に憎めない男である。
しかし蔵人はチンピラというものとは日本にいた頃から関わらないようにしていた。単純に、怖いという感覚があった。
蔵人はチンピラの横を通り抜けようとする。
チンピラは通せんぼなどすることなく、蔵人の横を歩いて喋りだした。
「ですけど次があったとしても、今は多少なりとも落ち込むでしょう?ですから、ね?」
チンピラが何を示唆しているのか蔵人にはわからない。
無視して進もうとするとチンピラはおやという顔をする。
「……なるほど、行ったことがないようですね。まあ早い話、オンナですよ」
蔵人はピクリと反応する。
女の絵を描くくらいである。蔵人は、女が嫌いではない。
しかし、日本では女を買ったことはなかった。
主に金銭的な理由で。
蔵人の反応に手ごたえを感じたのか、チンピラは畳みかける。
「随分と警戒しているようですが、ハンターを嵌める阿呆はいません。まあ借金やなんやがあれば別ですが、美人局でも仕掛けようものなら、後でどうなるかわかりませんからね。それにハンターは金払いもいいですから、上客ですよ」
いつだったかヨビにもいったが、蔵人は女を買うことに抵抗はなかった。
ただ、裏社会というものに抵抗があった。
「ここだけの話ですが、この場所でする客引きも本当は違法なんですよ。ただ色々と声をかけないと新規客がつきませんから、組合に所属している娼婦に雇われてこっそり客引きをしてるわけです。ですのであまり警戒しないでくれるとありがたいですね。というか何かあれば、あっしをばっさりやってくださって結構ですよ」
チンピラは割と真剣な顔でそういった。
だがいささかも胡散臭い雰囲気が拭えない辺り、損なのか得なのか。
「……わかった。高くてもいいから、病気の心配のない、身辺の確かな女を紹介してくれ」
蔵人はしばらく考えてからそう言った。
病気をもらうなど論外であったし、余計なヒモがついているのも御免だった。
正直に言うかどうかは分からないが、碌でもないことをするようならそれこそ暴れてやるという気であった。
よく考えれば、今の自分は自衛程度なら出来るし、法律も日本ほど暴力に潔癖ではない。
そういう意味では日本にいた頃よりも心理的なハードルが色々と下がっているように感じた。
それに野営をしていれば家賃や食費の心配をすることもなく、娯楽と呼べるようなものもなく、今のところは金の使いどころは少ない。
いろんな意味で、いい機会だった。
チンピラは少し考えた風な顔をした。
「……一晩貸切で二千ルッツの娼婦がいます。組合所属で、健康診断も受けています。なかなか器量もいいですよ。時間で割れば半額ほどになりますが」
「貸切でいい。案内してくれ」
「こちらもお聞きしますが、病気なんかはありませんよね?」
ない、と思いたい蔵人。
「女を買ったことはない。おそらく、ないはずだ」
「それなら大丈夫です。まあ、娼婦のほうでも確認しますがね。それと種族を気にしたりは……」
「ないな。基本形が女で、美人であるに越したことはないがな」
基本形が人ならば、尻尾があろうが、獣耳があろうが、問題などあるわけもなく、ディアンティアの美しさを知っている蔵人としては、そういうことが可能なら地人種でも問題はなかった。
ようするに節操無しなのである。
しかし女を描く蔵人としては、ようは慣れと好みの問題なのだと言い切ることができた。
見慣れれば、そしてそれが好みの顔であればいいのだ。
どこか本物の勇者を見るような目で蔵人を見るチンピラ。
「……あ、あと、女を痛めつけるような趣味はありますか?それならそっちを紹介するので」
「ない、と思う。少なくとも女を傷だらけにしたいとは思わない。……随分と厳重だな」
「一応、高級娼婦ですからね。相手を選びます。ちなみに金は」
蔵人が食料リュックの中の魔法教本から金を引き抜き、見せてやる。
チンピラはそれ以上何もいわず、蔵人を案内しはじめた。
チンピラに案内され、蔵人は小舟に乗った。
そして酔う間もなく小舟が止まり、案内されるままに蔵人はチンピラの後をついていくと、不意に視界が開けて、明るくなる。
淡いオレンジの光が、石造りの建物に挟まれた小路の両脇にいくつも灯っていた。
両脇の建物の一階と二階部分のそれぞれ一室の前面に大きな窓があり、それがいくつも連なっていた。そこから煽情的な格好をした女たちが媚びた声で通路を歩く男たちに声をかけ、窓の前を通る男たちもその声に立ち止まって女たちと話しながら、条件や容姿を吟味しているようであった。
風俗街が、男と女の猥雑さがそこにあった。
蔵人は初めての風俗街を興味深げに眺めていた。
とある大きな窓の前に、チンピラは足を止めた。
そして、窓の中にいる女に声を掛けると、蔵人を指差して、あっさりと去っていった。
蔵人がその窓に近づくと、細身の女が見えた。
「ハンターね。マルノヴァ人?」
耳にいつまでも残るような、気だるげな声である。
窓から見えた顔は、彫りが深く、唇の厚い、蜂蜜色の髪をした白い肌の女だった。
身ぎれいにしているようだが、どこか擦れた印象だった。
「流れのハンターだ。元は流民で、どこの人種かはわからない」
「……そう。一晩貸切で二千ルッツ、それでもいいのね?」
蔵人が構わないというと部屋番号と二つの鍵を渡され、建物の脇にある小道の入口を教えられた。
一本目の鍵で建物に入ると入口の脇にいた少年が入口の鍵を閉め、蔵人に部屋の番号を聞き、案内し始めた。
部屋の前につくと少年は蔵人を見上げる。
一般的な額が分からないためとりあえず十ルッツ渡すと、少年はそれを受け取り、ニパッと笑って去っていった。
ドアを開けると、蔵人は一瞬、日本にいるのかと錯覚した。
カンテラに入った火精が、ゆらりと揺れ、淡い橙色の明かりが作りだした女の影も揺れた。
胸元の大きく開いた細いシルエットの黒いドレスには、深いスリットがあった。
そこには、黒いストッキングにガーターベルト、そして僅かに太ももの白い肌が見えていた。
蔵人は目を見開いた。
ストッキングなどこの世界にきて見たことがなかった。
もちろんストッキングとはいっても日本にあったような薄いものではないが、それでも肌の透ける黒いストッキングにはなまめかしさと同時に、懐かしさがあった。
おそらくはブラジャーなどの下着を発案した勇者が流通させたものだろうが、この時ばかりは蔵人も勇者をけなす気にはなれなかった。
黒いストッキングで郷愁を感じるのもあれだが、事実そうなのだから仕方ない。
「なにかあった?」
女くさい声に蔵人は現実に引き戻される。
「あ、ああ、なんでもない。いや、案内の少年にチップをやったんだが相場がわからなくてな。聞こうにも、適当に渡した額でどっかにいっちまった」
「あの子は生まれつき喋れないの。もし失礼があったならあたしが謝るから、勘弁してあげて。チップは一ルッツ、多くても十ルッツくらいでいいのよ。
それとあたしの名前はエスティア。一晩だけとはいえ、よろしくね」
「そうか。俺は蔵人だ。こういうところは初めてなんでな、まあよろしく頼む」
蔵人は興味深げに部屋を見渡した。
六畳ほどの石造りの部屋に大きめのベッドが一つ、窓にはカーテンが掛けられ、それが夜風にゆらゆらと揺れていた。
部屋の端にはもう一つ部屋があるようでドアがあった。それに視線を移したところで、蔵人の身体に確かな重みがかかる。
嗅ぎなれない、バニラにも似た甘い香りがした。部屋のかすかに漂う香りはエスティアの香水だとそのときになって蔵人はようやく気づいた。
「あれは水場よ。すぐにベッド?それとも先に汗を流す?」
蔵人は風呂に入れない日は、出来る限り毎日身体を洗っている。
とはいっても魔法でだ。
大きな水球を作り、それを火精で温め、適温になったらそれを自分の身体に纏い、洗濯機のように乱回転させる。石鹸があれば石鹸を投入し、おおよそ洗い終えれば、それを外に捨て、温風で全身を乾かすのだ。
しかし、そんなことは普通できない。
この辺りだと風呂に入る習慣はないらしく、よくて水で身体を流すか、水に濡らした布で拭く程度で、風呂がないのだから仕方ない。
「身体はいつも洗ってる。ベッドで、いい」
あら、珍しいと小さく囁きながら、エスティアは撫でるような手つきで蔵人の服を脱がしにかかった。
身長はほとんど同じで、ハイヒールの分だけエスティアのほうが高い。武器こそ蔵人が部屋の脇に置いたが、それ以外はされるがままであった。
エスティアは蔵人を脱がし終ると、自らが脱ぎだす。
しゅるりとドレスが足元に落ちた。
ショーツはつけておらず、白い裸身に黒いハーフカップのブラジャー、ガーターベルトと黒いストッキング、ハイヒールだけが残された。
戦いには縁のない白く柔らかなラインの身体に残された黒い下着は、エスティアのもつどこか擦れた印象を際立たせ、いっそう淫猥なものにした。
さすがはプロの娼婦ということだろうか。
異文化のデザインであるはずの近代的な下着を、男の劣情を誘うように着こなしていた。
蔵人がエスティアの裸身に様々な想いを巡らせている内に、蔵人はエスティアの柔らかな肢体に包まれ、ベッドにいざなわれた。
柔らかな女の身体は、蔵人に溜まっていた色々なものを癒した。
無理解への苛立ちも、鬱屈も、無力感も、正しい感情も、ねじ曲がった感情も、一時だけ蔵人から解放された。
娼婦の技術は恐ろしいもので、蔵人は持ち前の体力だけでエスティアに対抗したが、抵抗むなしく、敗北した。
明け方前のまだ薄暗い頃、蔵人は目を覚ました。
心地よい疲労感があった。
僅かにあった心のしこりなど、消え去っていた。
なんとなしに見ると、武器も服もある。
横にはエスティアも眠っていたが、蔵人が身を起こしたことで目を開いた。
「……底なしなのね」
「それほど経験がないからな。みっともなかったな」
「ハンターにしては珍しいのね」
稼いだ金で、酒と女を買う。旧冒険者三種に共通する行動である。
「まあ、色々あってな」
日本では金がなく、金がなければ風俗はもとより、子が出来ても育てる経済力がないのだから、そんな男と付き合う女はいない。
召喚されてからはそんな余裕もなかった。
そうなの、そんなエスティアの声を背にして、食料リュックから金を取りだしてエスティアに渡す蔵人。
「……一つ、お願いがあるのだけど」
エスティアは蔵人から二千ルッツを受け取りながら、身を起こした。
ようやく朝日が小路を照らしだし、娼婦街はシンと静まり返っていた。
男たちは娼婦に抱かれて、眠っているのだろう。
蔵人はエスティアの部屋から去り、試験に落ちたことなどすっきり忘れて清々しい気持ちで小路を歩き、気分良く小舟に乗った。
エスティアからの願いを頭の隅に置きながら、今日はお土産でも買って竜山に帰るかと、小舟に揺られていたときのことだ。
「支部さんではないですか?」
その声に、清々しい気持ちは吹き飛んだ。
2014.9.10.21:35
蔵人が雷精魔法を使ってこなかった理由を少し追記。
イライダの先導を受けて、雷精魔法を無視しているように見える理由。
ラストの「支部さん~」にルビを振りました。