サレハド・アフター
ちょっと短いです。
暴走③、のその後です。
三章までのつなぎと思ってカンベンしてください(笑
森の闇に溶け込むように去っていく後ろ姿が、月の女神の最期を見ているようだった。
いや、そんな哀しくも幻想的なものではない。
オーフィアにとって、歴史の影に何度も見た背中だった。
国の権威のためだけに踏み躙られ、国に背を向けた者。
耐えがたい理不尽を受け、人に背を向けた者。
四五〇年も生きていれば、見慣れてしまうほどに見た背中。
そしてオーフィアとて、苦い思いの一つや二つあった。
それを思い出し、オーフィアは天を仰ぎそうになるが、蔵人の背から目を逸らすわけにはいかなかった。この背中の原因の一端は、やむを得ないとはいえ自分にもあるのだから。
オーフィアだけでなく、アカリ、マクシーム、アオイも森に消えていった蔵人の背中を見つめていた。
マクシームは奥歯を噛締め、アカリは泣きそうな顔をして、アオイは無力な己を悔やんでいた。
「――さあ、ハヤト。早く治療させてください。傷を塞いで、痛みを緩和しているだけなのですから」
なんともいえない表情で呆然と蔵人の背を見ているしかなかったハヤトにアリスが駆け寄る。
しかしハヤトはアリスを見ず、オーフィアたちに顔を向ける。
「……俺は、監獄に行く。クーとエリカにも約束は守らせる」
それを聞いたクー、エリカはしょぼんとしているが、反対することはなかった。
「もう遅いと思いますよ」
「……遅い?」
ええ、貴方にとって取るに足らぬ相手なのかもしれませんが、一人の人間を完全に敵にしてしまった。
オーフィアは感傷的になって、そう言ってしまいそうになるのをなんとか自制した。
あえてこの勇者に警告してやる必要もない。
「もう去ってしまいましたから。償いの機会とは、当たり前のようにあるものではありません。私もまた、人のことはいえないのですがね」
オーフィアの言葉に、ハヤトはそれ以上何を言えばいいかわからなくなった。
「……さて、各国の使者もいます。後始末が大変ですよ。――そして、アリス・キングストン」
ハヤトの後ろにいたアリスは、オーフィアをキッと睨んでいた。
「貴女には失望しました」
「……ふんっ、貴女に失望された――」
「陛下にはきっちりと話をしておきます」
「なっ、何を話すというのです。あの男のことをばらされて困るのは――」
「――それ以上、余計なことは口にしないほうがいいでしょう」
オーフィアはもう微笑んではいなかった。
幼いとはいえ、この王女にも少しはものを考えてもらわねばならない。
「クランドさんのことを言わずとも、貴女の所業を伝えるのは難しくありません。召喚のこともありますし、普段の行いが悪すぎましたね。厳しく罰して……いえ、うちで預かることにしましょう」
「い、いやですわ。私はハヤトと――」
「イチハラさんは監獄に行きますからね。さすがに王族が監獄に行くことは許されないでしょう」
「は、ハヤトが監獄に行く必要なんてっ」
アリスは縋るようにハヤトを見上げるが、ハヤトは首を横に振った。
そ、そんなと言いながら、アリスは崩れ落ちるように膝をつく。
「陛下には、貴女の花嫁修業ということで承知してもらいます」
それからは二日間、オーフィアは事態の収拾に動いた。
各国の使者たちには、あの落雷は残っていた怪物をハヤトのパーティが発見し戦闘になり、それに気づいたハヤトが仲間の元に駆け付けたということにした。
ハヤトたちもそれを否定しなかった。
ハヤトの評判がまた一段と上がったが、ハヤト自身は終始渋い顔をしていたという。
そしてオーフィアは加護のない勇者である蔵人のことは完全に秘匿し、流民であったクランドという人物があたかも以前からエリプスで生きていたように情報を操作した。
とはいっても大国はともかく、小さな国ではそれほど正確に人民が国家によって把握されているわけではない。少し細工をすれば、協会の情報から蔵人が召喚者であると知られることはないだろう。
オーフィアは各国の使者が全員帰路につくとハヤトたち『暁の翼』とともに『月の女神の付き人』を連れ、アルバウムの旧王都に向かった。
事前にギルドを通じて連絡しておいたとはいえ、オーフィアの提案をアルバウムの王はあっさりと承諾した。
末っ子の第三王女として我儘を許しすぎたという自覚がアルバウムの王にもあったらしい。
むしろ王のほうがアリスをよろしく頼むと頭を下げたという。
オーフィアは微笑み、アリスは力なくへたり込んだという。
そのあとアリスはハヤトとエリカの監獄入り、クーの永久監獄入りを見届け、オーフィアのいび……花嫁修業を受けることになった。
一切の魔法の使用・接触を禁じる。
そのオーフィアの一言に、アリスは食ってかかる。
「このアリス・キングストンに――」
「貴女はただのアリスです」
「だから――」
「貴女は、ただの、アリスです」
オーフィアの無言の圧力に、アリスは反論することができなかった。
ぷいとそっぽを向くアリスを見て、オーフィアがいう。
「貴女は、花嫁になる気はないのですか?」
アリスはこの化石のようなエルフの言葉が最初理解できなかった。
しかし、その言葉を反芻する内に、一つのことに思い至る。
ハヤトのお嫁さんになる。
それがアリスのやる気を起こした。
「し、仕方ないですわ。ハヤトが出てくるまで、そ、その花嫁修業とやらをやってみせましょう。ええ、このアリス・キングストンに不可能はありません」
それからアリスは魔法技術を一切学ぶ機会などなく、『月の女神の付き人』の下っ端として炊事洗濯、野営の支度などをオーフィアに仕込まれていった。
あとでアリスがこの時のことを聞かれると、数秒ほど身体を硬直させたが、表情を変えることなく何も語らなかった。
しかし手だけはぷるぷると小刻みに震えていたという。
マクシームは宣言通り、『白槍』の隊長を辞めた。
引き止めなども勿論あったが、それと同じくらいマクシームを嫌っている者もおり、マクシームの除隊は割りとスムーズにいったといってよかった。
ただそのマクシームを追うように副隊長を含めた四人の高ランクハンターが『白槍』を辞め、マクシームとパーティを組むことになったのはエルロドリアナ王国にとって誤算だった。
エルロドリアナのハンター統括部門は頭を抱えた。
腕のいい高ランクハンターはおいそれと見つからないのだ。
さらに各国から勇者であるアカリを切り捨てようとした行為を責められた。特に勇者を派遣したアルバウムからは強く責められ、他の勇者を引き上げることも仄めかしてきた。
自業自得とはいえ、エルロドリアナ連合王国はしばらく国際社会での影響力を減じたという。
そのあまりの悪影響に中央議会はようやく調査に乗り出した。
遅ればせながら大棘地蜘蛛との戦いで生き残ったハンターたちを尋問した。
裁判では狂言、勇者襲撃による殺人教唆、国際審問妨害等が確定し、ザウル・ドミトール・ブラゴイは終身刑となり、エルロドリアナで最も質の悪い監獄に送られることになった。
議会も当初の決定を覆し、ブラゴイ家の名誉貴族としての称号を剥奪し、ブラゴイ家には勇者であるアカリ・フジシロに対して百万ロドの賠償を命じた。
異例のことであった。
当初はドルガンの反発をおそれ、原因であったザウルはブラゴイ家から追放されて存在しなかったことになり、ブラゴイ家の当主は引退、長男が当主になるという決定であった。
ザウルはともかくとして、この類の事案としては名誉貴族位が剥奪されることは今までなかった。
エルロドリアナ連合王国としては、国際社会、いやアルバウムに対して明確な処分を示す必要があった。
しかし当然、ドルガンは反発する。
ドルガンの反発により、エルロドリアナ連合王国は混迷の度合いを深めていくことになった。
森に消えていく蔵人の背が瞼の裏に焼きついて、離れなかった。
アカリは蔵人にもらった絵を、宿のベッドに腰かけながら見つめていた。
彼はヒーローじゃない。
かといって、悪党ともいえない。
カテゴリーとしては、自分と同じく普通なのだ。
それだけに、蔵人が傷だらけに見えた。
加護を盗まれ、召喚者には無視され、流民であるためにこの世界の人たちからも疎まれる。
それでもなお、生きねばならないのだ。
生きたいのだ。
一歩間違えば、アカリも蔵人と同じような立場になったかもしれない。
事実の審判を受けられなければ、犯罪者として追われていたかもしれない。
勇者は酷く不安定な立場にある。
だから、召喚直後から蔵人の存在をなかったことにして、ハヤトの醜聞を公にしなかった。
生きるために。
生きていくために。
だが、もうそれに甘えていられない。
いつか蔵人の存在が明らかになる、かもしれない。
それを利用されれば、勇者は一枚岩ではいられないかもしれない。
今のところほとんどの勇者は、エリプスに順応しながら帰還手段を探す、ハヤトの『暁の翼』を中心とした最大派閥に従っている。
しかし、そのハヤトに反発する者、召喚したアルバウムを憎む者、何を犠牲にしても帰還を望む者、他国に帰属を求める者、成り上がりを狙う野心家などがいるのは否定できない事実だった。
同じ召喚者と争いたくはなかったが、そうも言っていられない。
それが、今回のことで嫌というほど思い知らされた。
しっかりと生きていかなければならない。
アカリは絵を仕舞い、オーフィアにもらった深緑のローブに腕を通す。
その上から『白槍』の紋章を削った白い胸甲板を着込み、氷戦士の棍棒と荷物を背負う。
そしてアカリは宿の部屋から出た。
『月の女神の付き人』として、生きていく。
そんな決意を胸に、オーフィアの待つ階下に向かった。
ハヤトはアルバウムの監獄にいた。
エリカも同じ場所にある女子監獄に収監されている。
快適ではなかった。
それでも他の囚人に比べて待遇が良いのだから、文句などいえるはずもない。
自分から監獄に入ったのだからなおさらだ。
そのことで他の囚人と諍いになったが、殴り合いを制すると驚くほど大人しくなった。
意外といい奴もいた。
尻を熱い目でじっと見つめてくる奴には辟易したが。
片方が潰れたとはいえ、そんな趣味はない。
今日も強制労働を終えて、監房に戻ろうとすると監守が面会だと言った。
またか、と思いつつも断るわけにもいかず、監守のあとをついていくハヤト。
貴族などが用いる特別な面会室のソファーには、左目に大きな傷のある将軍がでんと座っていた。
監守はハヤトを通すと、キビキビとした動作で将軍に一礼して退室していった。
「またか、随分と暇なんだな」
「そう邪険にするな。居心地はどうだ?」
「まあ、それほど悪いものじゃないな。飯がマズイのだけはいただけないがな」
「ハッハッハッ、相変わらずだな」
「で、何の用だ。俺はまだここから出る気はないぞ」
将軍は笑いを引っ込める。
「いや、出てもらうぞ」
「――あん?」
ハヤトは将軍を睨みつけるが、意外なことに将軍は深々と頭を下げた。
「アンクワールで魔獣の暴走が起こる恐れがある」
「魔獣の暴走くらいで――」
「――同時多発的な魔獣の暴走の兆候に、いくつかの遺跡から『キング』が出たというは報告もある」
そんな話は聞いたこともないし、歴史上もなかったはずだとハヤトは考え込む。
『キング』とは遺跡自体が蟲毒の器となり、そこで生き残った魔物のことだ。『キング』は強力な統率者となって遺跡から這い出て、周囲の魔獣などを従えながら群れを大きくしていく。
ことさら人のコミュニティを襲うわけではないが、進む先にコミュニティがあれば避けることはない。まるで人のように統率された群れは街一つを容易に蹂躙した。
ただ外部からの遺跡の出入りが多いほど『キング』は生まれ辛くなり、完全踏破された遺跡からは『キング』が生まれることもなくなると言われていた。
頻繁に『キング』が生まれることもなく、十年に一度、それも一匹程度で同時に何匹も出てきたことなどなかった。
まして複数の『キング』と同時多発的な『魔獣の暴走』が重なることなど、歴史上記録になかった。
もし統率者である『キング』たちがそれぞれ『魔獣の暴走』を従えたなんてことになれば、未曾有の災害になるだろう。
多くの人が死ぬ。
それは避けたかった。
「……わかった。エリカとクーを出してくれ」
「それは……」
「クーの方は限定的で構わない。終わればまた永久監獄に戻してくれていい」
全力で当たらなければ、こちらがのまれかねない。
一月、およそ百日ちょっとの監獄生活でしかなかったが、仕方ない。
この世界に来てからこんなことばかりだ。
考える暇もなく、決断を迫られる。
何かを選ばなければ、何かを失う。
なら、罪などいくらでも背負ってやる。
それで守れるなら、安いものだ。
百日ちょっととはいえ、酷くやつれたエリカが飛び付いてきた。
「へ、へんな女が夜な夜な迫ってくるし、コワイ女監守が嬉しそうに鞭を振るってくるし、地面に黒い奴がカサカサって、ぇええええええええん」
よほどストレスがたまっていたのかエリカはそのまま泣きだしてしまった。
監房を出る時には他の囚人たちが一斉に頭を下げたのには驚いた。
一名ほど、じっと尻を見つめてきたが、見なかったことにした。
なかなか骨のある奴がいたので、出所したらスカウトに行くのも悪くないと考えながら、監獄を後にした。
ハヤトたちが監獄に入った後、一緒に修行していたフォンとカエデと合流し、冷たい砂漠にクーを迎えにいった。
その場にアオイはおらず、これ幸いとアルバウムからの許可証を示してクーを仮出所させる。
闇の世界にいたクーにとって永久監獄など過酷とも感じないらしく、おおよそ百日ぶりの再会ではあったが、いつもと変わらない無表情だった。
しかし、黒い兎耳がピコピコと嬉しそうに動いていた。
問題はアリスだが、と思いながら一度アルバウムの王都に向かうと、アリスがいた。
オーフィアに連れられて、瞳に光がない。
しかし、ハヤトを見つけると瞳に光が戻り、駆け寄ろうとする。
「コホン」
オーフィアの咳一つで、アリスがビクッと足を止め、ゆっくりとハヤトたちに合流した。
こうしてハヤトたち『暁の翼』はおおよそ百日ぶりに合流し、一路アンクワールを目指した。