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用務員さんは勇者じゃありませんので  作者: 棚花尋平
第二章 灼熱の国で、奴隷を買う。
62/144

62-恩と情

 

 遥か上空から語りかけるガルーダ王の宣言を聞いたコニー・カーゾンは、複雑な表情を浮かべていた。

 民主制への段階的移行。

 階級名の廃止。

 奴隷制の段階的廃止。

 義務教育、高等教育の実施。

 時間をかけて行うとはいえ、英断であると評価できた。ほとんどの北部の国もミス・タジマが勇者として召喚される以前から実施している、実施しようとしていることだ。

 だが、ミス・タジマは人は生まれながらに平等で、差別はもとより、人民を搾取する特権階級などあってはならないとも説いた。

 魔法革命と世界大戦以後、北部の国の多くが王族や貴族を形骸化するか、廃止して民主制に移行していたことからもその正当性がわかるように、ミス・タジマの言葉に間違いはないはずだが、ガルーダ王は今後も、そして民主制に移行した後も限定的にとはいえ王として君臨し、王として武力も振るうという。

 さらに、性差別や売春について言及することもなかった。

 同じように素晴らしい教育を受けたはずなのに、なぜそれを行わないのか。

 それがわからず、コニーは知らず知らずのうちに顔を顰めていた。

 コニーは知らない、もしくは知ろうとはしていないが、ガルーダ王はアルバウムの思想的侵略をミス・タジマの教育から感じ取り、先王にメリットだけを吹き込んでカジノを建設させ、賄賂によってさまざまな分野に食い込もうとしていた商人からは経済的侵略を感じ取っていた。

 このままではアルバウムに文化も思想も経済も何もかも食い散らかされ、最後には国を割る事態にもなりかねない。

 そうならないために、北部の国々にいいようにされないために、決断したのだ。

 思想浸食の少ない今ならば王の権威を用いることもできるし、降りかかる火の粉を払うこともできる。アンクワール内での融通もきく。ガルーダ王はそう考えた。

 その決断が最善かどうか、結末は後世の歴史のみが語る、と。

 ただ、コニーはそんなことはわからない。

 真意を聞くために、宣言の後、コニーは王城へ足を向けた。

 だが、コニーは門前払いを食らう。

 宣言の直後だから仕方ないと思いつつ、面会の予約を取る。

 しかし予約日に会ったガルーダ王は再会を喜ぶだけで、コニーの言葉に耳を貸すことはなかった。

「我はラッタナ人で、そなたはアルバウム人だ」

 王はそれだけしか言わず、コニーは王の変貌ぶりに愕然とした様子で王城を後にした。




 ガルーダ王の宣言が続く中、蔵人は疲労困憊のヨビを担ぎ、雪白と共にひっそりと王都から抜け出して、いつもの砂浜で野営していた。

 すでにとっぷりと日は暮れ、月明かりに照らされた砂浜には蔵人が具象化した小さな火精だけが浮かんでいた。

 蔵人はそこで雪白を背にして、絵の続きを描いていた。

 殺しに慣れていないせいか、神経が鋭敏になったままで、眠れそうになかった。

 慣れようとも思わないが、過剰な自己嫌悪に陥る気もなかった。

 生きていくために、殺した。

 それだけだ。

 そして、蔵人は絵を描き上げた。

 皮肉なことに鋭敏になった感覚は描こうとしたことを正確にイメージとして完成させ、指はそれを絵に反映させた。命精の影響も無意識の魔法発動という形であったのかもしれない。

 蔵人がかすかに伸びをすると、目を瞑っていた雪白が絵をのぞき込む。

 しばらくジッと見ていたようだが、蔵人の頬を尻尾でひと撫ですると、また目を瞑った。

 蔵人は苦笑しながら、雪白の身体に体重を預けた。

 雪白が蔵人の絵をどう思っているのか、聞いてみたくもあり、怖くもあった。

 ちらりとヨビを見る。

 その様子を微妙な距離を保って座るヨビが、顔を向けずに蔵人を窺っていることに気づいていた。

 まだ情を残していた元夫であるナバーを、蔵人が殺したのだ。

 仇を取れました。

 ありがとうございます。

 満面の笑みでそう言われたら、蔵人のほうが不審に思っただろう。

 人の心がそんなに簡単に割り切れるはずがない。

 勿論、ヨビから礼はすでに受けていた。

 もちろん、満面の笑みや満足げな表情ではない。

 それでも、責めるような調子はなかった。

 自分でも自分の感情をどうしたらいいかわからないようだった。

 用が終われば、はい、さようなら。

 そんなこともなかった。

 持てあました感情を押し殺し、何も言わず、蔵人のそばにいた。

 約束を果たそうとしているのだ。

 蔵人はうなじに雪白の柔らかな白毛を感じながら目を瞑った。

 思いつきから、奴隷を買った。

 絶対に裏切らない者も欲しい。

 そんな日本でも不可能なものを欲しがった自分が、今更ながら滑稽だった。

 加護を盗まれ、勇者に殺されかけ、思考が相当歪んでいたらしい。

 だが、そんな自分を否定する気もなかった。

 絶対に裏切らない者も欲しい。

 今でもその想いは変わらない。

 ただ冷静になって考えれば、それは、一朝一夕にいくものではない。

 そんなことにも気付かなかった自分を笑うしかなかった。


「……よろしいですか」


 躊躇うようなヨビの声に、蔵人が目蓋を開く。

 何か用かという目をしてヨビを見る蔵人。

 ヨビは少し躊躇っていたが、意を決して口を開いた。

「……絵を、見せていただけませんか?」

「なんだ、そんなことか」

 蔵人は雑記帳から絵を切り取り、ヨビに渡す。

 ヨビは絵を見ながら、ポツリとこぼす。

「……小さな蝙蝠は、ダーオですか?」

「ああ、すまん。他意はないが、不快だったか」

 人に猿といえば馬鹿にしていると感じるように、蝙蝠系獣人種を蝙蝠と表せば不快と感じるかもしれないと蔵人は気づいて、頭を下げる。

「いえ、馬鹿にする意図は感じられませんから、気になりません。むしろ……」

 それだけ言って、ヨビは蔵人の絵を見つめた。

 墨の濃淡だけで描かれた絵。

 細密に描かれた女と淡くぼかされた風景が描かれていた。

 

 黒々とした雲が遠くに去り、雲の尾から月がようやく姿を見せ始めていた。

 櫂のない小舟が、真夜中のアンクワールの海に浮かんでいた。

 小舟の縁に擦り切れた白いワンピースを着た女が腰かけ、夜空を見上げていた。

 儚げで、切なげで、哀しげな、美しい横顔をしていた。

 一匹の小さな蝙蝠が月に向かって、ふらふらと飛んでいた。

 女はその小さな蝙蝠をずっと見つめていた。


 ヨビは時間を忘れて、蔵人の絵を見つめていた。

 ダーオは女神に拾われただろうか。

 アンクワールの宗教観は『父祖神霊』や『死魔の問いクワンサーク・タムーム』、『寄る辺なき迷い子』のような土着信仰、月の女神、北部人が持ちこんだサンドラ教が国によって混じり合っている。ラッタナ王国は北部に支配されたことがなかったためサンドラ教の影響は少ないが、過去に周囲の国を支配していた北部の国々から国境を封鎖されたことがあり、ハンターの減少とともに魔獣被害が増え、一時的に『月の女神の付き人(マルゥナ・ニュゥム)』がいた時期があった。

 ラッタナ王国の社会生活を深く改善することはなかったが、奴隷制度を利用した女からの離婚は『月の女神の付き人(マルゥナ・ニュゥム)』が王国に押し込んだ結果だとも言われ、月の女神の信仰をラッタナ王国に残していった。

 そうして土着信仰と月の女神の信仰が混じり合った結果、グシュティを知らずにこの世を旅立った子は、月の女神(マルゥナ)が保護すると言われるようになった。

 『士』階級や『従者』階級の一部は頑なに月の女神の信仰を取り入れることはなかったが、『民』階級や『奴隷』階級、『従者』階級の一部は月の女神の慈悲を信じていた。

 ヨビも両親の影響で月の女神の慈悲を信じ、ダーオを拾ってくれるように願っていた。


 ふとヨビが顔を上げて、水平線に目をやると、空が白み始めていた。

 蔵人は雪白の白毛に埋もれて、眠っていた。 

 北部人や獣人種と比べると少し童顔な蔵人が顔を顰めて眠る様子は、怖い夢にうなされる子供のようにも見えた。

 仇討ちを手伝ってくれた人。

 そして、ナバーを殺した人。

 ナバーが戦っている時に話していたことは、なぜか聞こえなかった。

 耳はいいはずなのに、風か何かに妨害されているようだった。

 なぜ、ナバーは笑っていたのか。

 推測するしかないが、父の罪を暴露し、ヨビを被害者のように扱った。

 そしてナバーが蔵人に殺されたことで、敵意が全て蔵人に向かった。

 よく考えるとナバーが死んだことで、ルワン家との縁も完全に切れた。本来はナバーと復縁するのが、絶対の慣習なのだ。

 つまりナバーは、今後ヨビが生きていきやすいように、死んだともいえた。

 それならば笑ったことも、わからないでもなかった。

 勝手な人だとヨビは思った。

 ダーオを見捨て、私を売り払った。

 それなのに自分を犠牲にして、私の道を切り拓いた。

 なぜ最後まで憎ませてくれないのか。

 いや、わかっている。

 ナバーが私を庇ったとしても、反対に悪党のように振る舞って全てを被ったとしても、ナバーの思うような未来はない。

 社会が、慣習が、差別がそれを許さない。かならずしこりが残る。

 ナバーにとってはそれでは駄目だったのだろう。

 私が生きていく上で、障害となるものを可能な限り、全て排除したかったのだろう。

 だからなりふり構わず、やれることをやったのだ。

 例え、誰かを巻き込んだとしても。

 ヨビはまた、蔵人を見た。

 雪白が顔を顰めて眠る蔵人を尻尾で撫でていた。

 仇討ちを手伝ってくれた人。

 そして、ナバーを殺した人。

 返せないほどの恩があった。

 約束通り、いや約束などなくても、裏切らない。

 例え両親の教えに背こうとも、裏切ることはない。

 だけど……。

 ヨビは撫でられたせいか幾分表情の和らいだ蔵人の顔をじっと見つめた。


 

「なんだ、寝てるのかい」

 ハスキーな女の声にヨビがハッとなって顔を上げる。

 朝日を背にして褐色の肌を持った巨人種の女が腰に手をやって呆れたような顔で蔵人を見ていた。

「どちらさまでしょうか」

 ヨビが身構えようとするが、雪白が蔵人とともに眠ったままであることに気づく。

「ん?ああ、イライダ・バーギン、ハンターだ。クランドから聞いてないかい?」

 イライダと名乗った女性は胸元からハンタータグを取り出して、見せる。

 サウラン行きの船に一緒に乗り、精霊の悪戯によって遭難し、バラバラになったツレ、ヨビは蔵人から聞いていた。

「失礼いたしました。私はクン……いえ、ヨビといいます」

「なんだかよくわからないが、まあいいさ。……ここでも描いてんのかい」

 そういってイライダは呆れたような目でヨビの手元にある蔵人の絵を見てから、雪白の元にいく。

 鼻先にイライダが屈みこむと雪白が目を開き、蔵人を尻尾でペシペシと叩いた。

「……ん、ああ、おはよう」

 蔵人が目を覚まし、いつもの調子で突然現れたイライダに声をかけた。

「おはよう」

「……ああ、イライダか。早かったな」

「今朝方ね。ラッタナの協会にいた嫌味な鳥人種が外で寝てるんじゃないかと言っていたから、まさかと思いながら来てみたが、本当に寝てるときたもんだ。まったく。まあいい、少し話があるんだ」

 そういってイライダは砂浜に胡坐をかいた。

 蔵人は身を起こし、水精魔法で顔を洗い、喉を潤した。

「――すまない」

 唐突にイライダが頭を下げた。

「まあ、とりあえず話を聞かせてくれ。こっちも色々あったしな」

 イライダは頭を上げて、話し始めた。

 要約すると、しばらくサウランにはいけなくなった、ということだ。

 勇者である女教師からはなんとか逃げることができたのだが、どうもアンクワール全体で魔獣の暴走(スタンピード)の兆候があるという。

 尋常ではない開拓速度と遺跡の連続完全踏破という前例のない出来事が重なった結果、起こったと考えられ、こればかりは世界中の誰もが予想できなかった。

 それだけに高ランクのイライダに準強制依頼とでもいうべき調査・討伐が依頼され、イライダとしても魔獣の暴走(スタンピード)の犠牲者を少なくしたいためにそれを受けた。

「準強制依頼が課せられているのは高ランクだけだ、アンタはどこかにいっていたほうがいいかもしれない。なんせかなりの数の勇者が投入されるらしいからね。あのハヤトも来るという噂さ」

 ハヤトが出てくる。

 その一言に蔵人の気分は朝から最悪なものになった。

「イライダがそう決めたんなら、それでいいさ。で、どこに行くんだ」

「すぐにクメジアに戻る」

 蔵人は思案気な顔をしながら、ならいいかと呟いた。

「で、アンタはいったいこの国で何をやらかしたんだ。アンタの名前を出しただけで、職員の雰囲気が変わったよ」

「……まあ、大したことじゃない」

 蔵人はラッタナ王国に流れ着いた後のことをイライダに話し出した。

 ヨビのこと、鳥人種のこと、ルワン家のこと、仇討ちのこと、ナバーのこと。

 蔵人の話を最後まで口を挟むことなく聞いたイライダは大きくため息をついた。

「何が大したことないだ。どうしてたった三、四日で奴隷を買って、旧家に喧嘩を売って、即位パレードに乱入して、仇討ちを手伝って、決闘をして、王都中から嫌われることができるんだ」

「……成り行きだ」

「どんな成り行きだい」

 イライダは呆れてしまって、それ以上言う言葉が見つからなかった。

「でだ、ヨビのことなんだが――」

 蔵人はイライダとさらに話し込む。

 その中で、ゴルバルドに作ってもらったくすんだ銀色の大爪と小爪を長い棒の両端に付けたポールウエポンを渡す。

「作り変えたいならゴルバルドの鍛冶屋に、使わないようなら糸だけ回収してくれ」

「へえ、面白いね」

 イライダは立ち上がり、二爪斧鎚をぶんぶんと振るう。

 鎚として、爪を開いて斧として、そして両端の爪を同時に用いたモーニングスターとして。

 初めて使う武器であったが、イライダはすぐに手足のように振るうようになった。

「有り難くもらっておくよ」

 またしばらく話しこみ、今度は蔵人が立ち上がる。

「じゃあ、よろしくな」

「……いいのかい?」

「さっきも言っただろ」

 そういって蔵人は身支度を整えるとジャングルに足を向けた。

 ヨビがそれを見て立ち上がるが、それを蔵人が制する。

「ちょっと協会に行って、金が振り込まれているかどうか確認してくるだけだ。ああ、ついでだからイライダに訓練でもしてもらえ。今のままじゃ、足手まといだ」

 蔵人はそれだけいって、砂浜を歩いていった。

 動こうとしない雪白を見て、ヨビは蔵人についていくのを諦めた。

「話はクランドから聞いたよ、大変だったね」

 イライダが立ち上がったままのヨビに話しかける。

「……結局、私は何もできませんでしたけれど」

「自分を売り、直訴してまで正々堂々仇討ちしようなんて奴は、そういないよ。……後悔してるのかい」

「それだけはありません」

 ヨビはきっぱりとそう言った。

 ただ、無力な自分が苛立たしかっただけだ。

 イライダと色々話しながら、ヨビがふと周囲を見回すと、いつのまにか雪白がいなくなっていた。

 まるで気配も音もなかった。

 ヨビはハッとなって、イライダを見る。

「……クランドはサウランに向かったよ」

 ヨビは追いかけようとした。

「まあ、待ちなよ」

 イライダがヨビを止めた。

 ヨビは自分でも意外なほどあっさりと足を止め、イライダの話を聞いた。


 蔵人はイライダにヨビを頼んだ。

「……アンタ、随分と細かく気を回すね」

「躊躇いのある奴にそばにいられても、面倒事しかないからな。それに絶対に裏切らない人間なんて、戯言だ。そんなのいるわけないだろ。恩だけでそんなものを要求するのは頭のイカレた奴だけだ」

 血迷ってたんだよと苦笑しながら言う、蔵人。

 内心では、一パーセントの不信が気になるような臆病者なだけだ、と自嘲してもいた。

 蔵人は気づいていた。

 ヨビがナバーを殺した蔵人に、何かを感じていることに。

 それは憎しみだとか、不信感ではない。

 迷いのようなものだと、蔵人は感じた。

 もし本当に裏切ることがないなら、力をつけていつか追いかけてくるだろう。

 そうでないなら、ハンターとして勝手に生きていくだろう。

 律儀だから借金も返すだろうし、蔵人としてはどちらでもよかった。

 前者であって欲しいと思うが、期待はしない。

 出来るはずもない。

 蔵人自身が絶対に裏切らない者というものを信じていないのだから。

 だが信じていないくせに、絶対に裏切らない者を欲している自分を否定もできないのだ。


 ヨビはイライダの説明を聞き終えるとポツリと呟いた。

「……戯言を、本気にする女だっているんですよ」

 ようするに蔵人は、元とはいえ夫を殺した自分が一緒にいるといろいろ考えにくいだろうと気を遣ったのだ。

 勝手なものだ。

 そんなこと気にしてないのに。

 そのはずだった。

 だが、すぐに追いかけられない自分がいた。

 あんな人だが、いいところもあった。

 昔は輝いていた。

 救ってくれた。

 ダーオを抱いて嬉しそうにしていた。

 最後は昔のようだった。

 殺すことはなかった。

 ナバーの真意が推測でしかわからない以上、そんな風に思ってしまう自分が微かに、ほんの僅かにだが、いた。

 その微かな想いが、蔵人の言葉を受けて、足を止めさせた。

 おそらく蔵人は自分のこの僅かな躊躇いや迷いを嫌ったのだ。

 ばかばかしい。

 いつぞや言ったように傍から見ればばかばかしいほどに潔癖過ぎる。

 だが蔵人はそのばかばかしいことをはっきり条件として提示した。

 あとはそれを自分が守れるかどうかに過ぎない。

 それが約束なのだから。

 迷いがある限り、迷惑にしかならない。

 敵には一切容赦をしない苛烈さの一方で、意外と繊細で臆病な人だから。

 迷いのある人間をそばに置いておけないのだろう。

 自分のためにも、相手のためにも。

 迷いのある自分が、苛立たしかった。

 迷いなく恩を返せない自分が腹立たしかった。

 ヨビは途方にくれたように、返しそびれてしまった蔵人の絵を見つめることしかできなかった。



 蔵人から一方的にヨビを頼まれてしまったイライダの顔には若干青筋が立っていた。

 それもそうだろう。

 たった三、四日、目を離した隙に奴隷を買い、仇討ちに加勢し、決闘を受け、殺し、王都中で嫌われ、女を預けていくなんて思いもしない。

 目を離すと何をするかわからない奴だった。

 ただ、頼まれれば嫌といえないのがイライダだった。

 自分から言い出したサウランに一緒に行くという約束を反故にしたという負い目もあった。

 そして、蔵人がある程度仕込んだという蝙蝠系獣人も気になった。

 ヨビは傷痕がいくつかあるとはいえ儚い、自分とは正反対の女だ。

 一見すると争いとは縁のないように見えるが、蔵人から経緯を聞くと相当芯の強い女なのがわかる。

 蔵人の選んだという格好も、脇から白い胸の一部が見えていて、明け透けに自分の胸を見てくる蔵人らしい選び方といえた。

 しかし、それも含めて実に理にかなった装備だともいえた。

 鍛えてみたい、そう思ってしまった。

「……あれは自分勝手な男だよ。独りよがりに勝手に結論をだしちまう」

 イライダの言葉にヨビが顔を上げる。

「だから、アンタ次第だ。追いかけて一発ぶん殴るのも、ここでハンターをやって生きていくのも。

 アンクワールで仕事を終えるまではアタシがアンタを鍛えてやる。

 アタシはアンクワールの仕事が終われば、サウランに行く。それまでにアンタはアイツを追うかどうか決めればいい」

 サウランは母の出身地だった。

 色々と事情があって行きたかったのだが、政治的問題で渡航が難しく、言葉や風習の問題もあった。

 せっかく政治的問題が解決し渡航が可能になり、通訳も見つけたと言うのに魔獣の暴走(スタンピード)ごときに阻まれてはたまらなかった。

 イライダは不敵に笑った。

「どうせ奴はどこか抜けてる。まっすぐにサウランなんて行けないだろう。あっちをふらふら、こっちをふらふらしてるはずさ。追いつくのはそう難しいことじゃない」

 ヨビは、自分の中の迷いを見つめながら、イライダに頷いた。



 蔵人は雪白とともに王都の協会にいた。 

 少しおどおどしている協会職員に口座の残高を聞く。

 雪白はカフェにいたミルと何やらやり取りをしているようだった。別れの挨拶でもしているのかもしれない。

 ルワン家から二十五万パミットは既に振り込まれていた。

 それを全てロドに両替し、三万パミットを手数料として取られ、二万パミットをヨビの口座に振り込んでおいた。

 残高はおおよそ四万五千ロド。

 あとは手持ちの一万パミットでカフェで食べたグアイカーオの米なんかを途中で買う予定だった。

 例の鳥人種の職員が憎々しげに蔵人を睨んでいたが、絡んでくるようなことはなかった。

 少なくとも王の決定に逆らう気はないらしい。

 蔵人は雪白の元に向かう。

「あっ、おはようございまふ」

 雪白に埋もれながらミルが蔵人に挨拶した。

 雪白はモグモグといつものように鳥の脚をもらって食べていた。

「色々世話になった。助かった」

「いえっ、こちらこそ何もできずに申し訳ないです」

 蔵人たちの噂と仇討ちを知ってなお、蔵人を、いや雪白を信じているらしい。

「ところで、グアイカーオの粒状のものはなんていうんだ?」

「カーオといいます。よろしければお譲りしましょうか」

 王都で買えるかどうかわからない。蔵人は多少高くついても、ここで買う方が良さそうだと思った。

「そうか?五千パミットでそのカーオを」

「ご、五千パミットですか。保存は効きますが、すごい量になりますよ」

「むっ。そうか、なら調味料やお茶の葉なんかもくれ。そうだな、三カ月分の米と残ったらそれで他の物をくれ。適正価格なら問題ない」

 ミルは雪白の白毛から身を起こすと、蔵人が差し出した五千パミットを受け取るとタタタッと厨房に走って行った。

 肉は、ねぇ肉はという雪白の表情に蔵人は苦笑する。

「お前、肉なんていつでも獲れるだろうが。それに肉はまだ山ほどリュックに入ってる」

 そうだったっけ?と雪白は首をひねりながら、起き上がって一つ伸びをした。

 しばらくしてミルが猫耳スキンヘッドの料理人とともにカーオや他の調味料を運んできた。

「カーオが欲しいんだってな。他は調味料やなんやかんやだが、持てるか?」

 カーオがおそらく五十キロほど、他に塩や醤のようなもの、お茶などがあった。

「金は足りるか?」

「多すぎるくらいだ」

「ならいい」

 蔵人は塩や醤などを纏めた麻袋を担ぎ、雪白が尻尾で米の麻袋を全て持ちあげる。

「いろいろ、助かったよ」

「いや、何も出来なくてすまんな」

 猫耳スキンヘッドは申し訳なさそうに猫耳をかいた。

「俺が好き勝手やっただけだ」

 そういって蔵人は協会の出入口に足を向けた。

 朝から協会にいたハンターや商人たちが、腫れものでも触るように蔵人たちに視線を向ける。

 蔵人はそんなものを気にすることなく、協会から出て行った。

 雪白は最後にミルと抱擁し、蔵人の後に続いて協会を出て行った。

 ミルは協会の出入口から飛び出て、雪白の姿が見えなくなるまで手を振った。

 その目尻には涙が溜まっていたが、流れ落ちる前にミルによって拭われる。

 雪白の姿が見えなくなった。

 ミルはまた会えたらいいなと思いながら、これからもがんばろうと気持ちを新たに、自分の仕事に戻っていった。

 



 蔵人と雪白が王都の陸側門から出て、近くの港に向かっていた頃。

 蔵人が遭難したときに失くしたトランクはとある国に流れ着いていた。

 トランクは拾い上げた者たちに荒らされ、中身のほとんどが売られ、トランクもまた売られた。

 蔵人がとっておいたぼろきれのような作業着もまた、二束三文で売られた。

 ぼろきれのような作業着はしかし、その奇異な素材に目をつけた者たちによって転売されていった。

 

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― 新着の感想 ―
繋いでいた手を離す際に惜しみながら最後まで指を伸ばして相手の手が逃そうとせずに伸びてくるのを期待する、そんな情景が浮かびました。
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