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用務員さんは勇者じゃありませんので  作者: 棚花尋平
第二章 灼熱の国で、奴隷を買う。
61/144

61-仇討ち②

 ナバーの一言に、場は静まりかえる。

「仇討ちの報復行為を禁じておるのは知っているな」

 ナバーは新王に向かって跪く。

「はっ。ゆえにスックではなく、我が一門の当主を討った北部人と決闘を致したく」

「実態としては仇討ちの報復に限りなく近いな」

「はっ。しかし、ルワン家にも武門の意地というものがあります。当主がどこの馬の骨とも知れぬ北部人に、毒という卑劣な手段を用いられたとはいえ、こうして大衆の面前で破れたとあっては武門の恥。恥は雪がねばなりません。

 それにそこの北部人は、酒におぼれて心身の弱った私につけ込んで妻を金で奪い、奪った妻には協力せねば弱っている私を殺すと脅迫していたのです。何卒、お許し願います」

「その方の元妻は脅迫されていたというのに、仇討ちの助太刀を受け入れたと申すか」

「そこがその北部人の狡猾なところです。我が父が妻の仇であったのは事実、申し開きも御座いません。ですがそこの北部人は、助太刀を受け入れねば勝てないことを盾にとり、どうしても仇をとってやりたいという子を想う妻の気持ちを利用したのです。

 確かに私は妻を奴隷にすることを許可いたしました。しかし、今は後悔し、やり直したいと思っております。そんなことをいえる立場ではないのはわかっております。私は妻と子を見捨てたのですから。ですが、それでもやり直しが聞くなら、そしてそれが叶わずともせめて妻を北部人から解放してやりたいのです」

「すでに奴隷からは解放されているようだが」

「そこの北部人は自らを借金取りといいました。つまり建前として奴隷からは解放しておいて、実態は法外な借金で妻を縛りつけているのだと思います」

「ふむ」

 新王は何も言わなかったが、ナバーの言葉に周囲の大衆は同情した。

 酒に溺れてしまったことにつけ込まれて妻を奴隷として売らされ、妻は夫を殺すと脅迫され、子供の仇討ちをしたいがために助太刀を理由に協力させられていた。

 奴隷からは解放したが、法外な借金で縛られている。

 せめて解放してやりたいと言った。

 ナバーのその言葉を大衆は信じた。

 蝙蝠系獣人種(タンマイ)が孔雀系鳥人種の『士』階級に対し、北部人の助太刀を得て、仇討ちを成功させた。

 その事実は生来、蝙蝠系獣人種(タンマイ)を自分たちよりも下の存在だと思っていた大衆にとって苦い物でしかなかった。

 蝙蝠系獣人種(タンマイ)が自身を奴隷として買った北部人のハンターに非はないと言ったという噂はあったが蝙蝠系獣人種(タンマイ)の言葉など信じるに値しなかった。

 そして今も、それを信じるわけにはいかなかった。

 突如として現れた階級が上の蝙蝠系獣人種(タンマイ)が、毒という卑劣な手段を使う冷酷な北部人と結託して、今まで受けた迫害の報復を行うのではないかと無意識下で不安になったのだ。

 そこに蝙蝠系獣人種(タンマイ)の元夫が、真実らしきものを告げた。

 父親の不正を暴き、自らの恥をも暴露するナバーの言葉は、ある意味で大衆がのぞんでいるものだった。

 蝙蝠系獣人種(タンマイ)は北部人に脅迫されているに過ぎず、北部人こそが全ての元凶なのだ、と。

 周囲を取り囲んだ大衆は保身から、蔵人へ敵意の視線を向けた。

 イグシデハーンは確かにやり過ぎた。だがそこに己の欲を満たすことしか考えない、部外者である北部人が介入するな、と。 

 その様子を大狼車の上から見ていた新王は、大衆を諫めるように言葉を発した。暴動が起こったとしても力で鎮圧するのは可能だったが、出来うるならそれをしたくはなかった。

「真実がどうであるか、なんの調査もしていない我が決めるわけにはいかぬ。よって、この決闘が成立したとしても、真実の証明にはならないとする。

 そして慣習上、当事者ではない助太刀者を対象にした決闘ゆえに、仇討ちの報復にはならぬが明らかに無理を押しているのはルワン家である、決闘を拒否してもなんら問題はない」

 そして蔵人を見る。

「ゆえに、この決闘を受けるのも、受けないのもその方の自由だ」

 手を自己治癒しながら、蔵人が答える。

「……その決闘を受ければ、俺が勝とうが負けようが、今後一切なにがあろうと、ルワン家が俺とヨビに関わらないと約束できるか?」

 蔵人の問いに、新王はナバーを見る。

「無論、恥を重ねる行いはしないと誓おう」

 ナバーは澱みなく答えるが、蔵人の求めていた答えは違った。

「お前じゃない、ルワン家の全てだ」

 蔵人が自身の背後を見ていることに気づき、ナバーは振り返る。

 孔雀系鳥人種のルワン家一門は各々跪いてはいるもののイグシデハーンを討った蔵人に対して憎悪や敵意が滲み出ているのが見て取れた。

 仇討ちが成立した以上、ヨビに対しての報復は許されない。ならば事実上イグシデハーンを討った北部人に憎悪が集まるのは当然の流れだった。北部人というだけで憎悪を集めやすいという理由もあった。

「それに、お前が一門の代表で納得するのか?まあ、他のは有象無象だろうが」

 蔵人の挑発するような言い方に、先頭で跪いていたシンチャイが顔を上げる。

「陛下が許しはしたが、貴様のその無礼な物言いは許し難い。それにナバーよ、昨日まで醜態を晒していたお前がぬけぬけと何を言っている。ここにいる全員が、貴様を次期当主などと思ってはおらぬ」

 シンチャイの言葉を否定する者は誰一人としていない。

「そうか」

 ナバーがすっと立ち上がり、陛下に一礼する。

「――許す」

 ナバーは振り返ると、片腕で曲刀を抜く。

 ナバーの纏う雰囲気が変わり、圧力が増した。

「おれより強いと思う者は来るがいい。ルワン家は武門である。強者こそが当主に相応しい」

 ナバーは曲刀を一振りした。

 シンチャイとその背後の一門全員の間を、颶風が吹き抜けた。

 その風に傷つけられたわけではなかったが、片腕ながら見事というしかない鋭い斬撃と風精に込められた魔力の大きさの意味するところがわからないものは、ルワン家に一人としていなかった。

 イグシデハーンにあらゆる意味で頼りきりだったルワン家の面々は到底太刀打ちできるものではないと肌で感じさせられたのだ。

 実際には空を飛ぶことが出来ないナバーに対して空から攻撃し続ければ、引き分けくらいには持って行けただろうが、そんなみっともない真似をする人間が当主として認められるはずもなかった。

「――シンチャイ、誰も立ち上がらないようだがどうなんだ」

 シンチャイは拳を白くなるまで握り締めながら、しかしがっくりと無言で頭を垂れた。

 ナバーが蔵人を見る。

「これでいいだろう」

「この国もそれを保障できるか?」

 蔵人の物言いに新王の周囲が色めき立つ。

 そもそも決闘は当事者の間で始末をつける問題である。仇討ちと違い、規則さえ守っていれば、国が、王が何かを保障することはない。

 ゆえに蔵人の物言いは、他国人であったとしても無礼以外の何者でもなかった。

 だが新王は周囲を手で制す。

「よかろう。我が国の官位持ちがしでかしたこともある。この決闘以後、スック、クランド両名に報復を行った者は厳罰に処する。これでよいか」

 蔵人が頷くと、新王が続ける。

「クランドよ、連戦となるその方は不利である。日を改めることもできるが、どういたす」

「日をかえればどこの誰に何をされるかわからない。とっとと終わらせたい」

 蔵人の言葉はもっともであるが、それだけにルワン家や大衆を逆撫でし、ざわつかせる。

「よかろう。ではお互いの要求を告げよ」

 ナバーは迷いなく告げる。

「ルワン家の誇りとスックの借金を賭けて」

 蔵人は少し考えた風だったが、はっきりと言った。

「俺たちの恒久的な安全とヨ、スックの借金と同額の二十五万パミットを賭けてもらおうか」

 蔵人の要求を聞いてルワン家の面々が蔵人を睨みつける。

 払えない額ではないが、それを払ってしまうと一門が困窮しかねない。

 だが蔵人にとってはそれこそが狙いだった。規則が報復を禁止していようと、新王が報復を禁止しようと、安全を決闘の報酬としようと、報復する奴は必ずでてくる。ならば今の内にあらゆる方向から力を削いでおこうと考えた。

「それでいい」

「そっちがいいなら、俺は問題ない」

 蔵人とナバーが向かい合う。

「待って――」

「――もうあんたには関係のないことだ」

「――スックは黙っていろ」

 ボロボロになりながらもどうにか仇を討ってダーオに祈っていたところに、新王とナバー、蔵人のやり取りが始まり、どうにも介入できないでいたヨビがそこでなんとか声を上げたが、それは二人にはっきりと拒まれてしまった。

 既にヨビに止められるような事態ではなくなっていた。

 なぜ二人が決闘しなくてはならないのかと心中で嘆きつつ、ヨビは後ずさるようにして二人から離れていくことしかできなかった。 

「クランドと申したか、腕は治ったか」

 新王の言葉に蔵人は手を開いたり閉じたりしながら、巨人の手袋をはめる。

「問題ない」

 新王はナバーを見る。

 ナバーが鳥人種の儀礼服を脱ぎ捨てると、その下からはルワン家の鎧が姿を見せた。

 双方の準備は整っていた。


「――では始めよ」


 蔵人はククリ刀を抜いた。

 ナバーは蔵人がククリ刀を抜くのを待ってから、地面を蹴った。

 蔵人は無造作とでもいえる所作でククリ刀を横薙ぎに振るった。

 ナバーはそれをわずかに速度を緩めることで簡単にやり過ごし、蔵人に肉薄すると曲刀を下から切り上げる。

 蔵人はいつものようにそれを丸盾で受ける。

 さらなる追撃にうつろうとしたナバーは、ハッとしたように身体を大きく反らして飛びのく。

 ナバーの鼻先を大爪がぶぅんと音をさせて通り過ぎて行った。

「親子仲良く頭をつぶせると思ったんだがな」

 蔵人はククリ刀を振ると同時に、転がっていた大爪を引き戻した。大爪自体も透明であるが、それを操る大棘地蜘蛛(アトラバシク)の糸も透明だった。それゆえにナバーはギリギリまで大爪の動きを察知できなかった。

 蔵人はククリ刀を腰にしまい、大爪を腕にはめる。剣術でやり合う気など毛頭なかった。

 魔力を流して大爪をカパカパと開閉する蔵人。

「……厄介な武器を」

 巨大な鈍器であり、爪の先端を使えば刺突もでき、開けば手斧やソードブレイカーにもなる。そしてその硬い甲殻は盾にもなるのだ。どんな仕掛けかわからないが爪が開閉するだけで、想像以上に厄介な武器になったといえた。

 だが、重いはずだ。本来、万色岩蟹(ムーシヒンプ)の大爪は鎚として使うものなのだから。

 それを考えるとクランドというハンターは身体能力の低さを精霊魔法でカバーして戦う普通の人種と侮ってはいけなかった。

 そもそも毒を用いたとはいえイグシデハーンを倒したのだから、ただの卑怯者と油断していい相手ではなかった。

 だがナバーは、そう思いながらも笑みを浮かべていた。



 全ては自身の弱さが招いたことだった。

 遺跡が完全踏破されるまではパーティを率いて遺跡にもぐり、誰かを助けたことも、面倒を見たこともあった。スックもそんな一人だった。

 だが遺跡が完全攻略され、役に立たなくなるとパーティも人も離れていった。

 そして片翼を失い、自暴自棄になって酒と博打に溺れた。

 あれほど嫌だった実家に金をせびり、スックとダーオを見捨てた。

 それでも、何を感じることもなかった。

 遺跡を失った時、片翼を失った時、誰も助けてはくれなかったのだから、もう誰かを助ける必要なんてないと思っていた。

 スックすらも信じられなくなっていた。

 確かにスックだけは離れていかなかったが、赤子であったダーオもおり、蔑まれる蝙蝠系獣人種一人では生きていくことが出来ないせいだと思った。

 だが信じられないくせに、別れられなかった。今思えば、最後に残ったスックを捨てることができなかったのだ。

 捨てることもできないのに、信じることもできなかった。

 だから信じていいのか、試した。

 罵倒した。

 殴った。

 身を売ってでも金を稼いで来いとも言った。

 スックはその全てを言われた通りにした。最後は奴隷にまでなった。

 スックが身を売った大金を手にした時、ようやく気がついた。

 ただ、自分が弱かっただけなのだと。

 信じて、裏切られることを恐れていただけなのだと。

 だが、もう遅かった。

 ダーオは殺され、スックは奴隷となった。

 もう何もない。

 そう思っていたときにスックとスックを買った北部人が現れた。

 随分とまともな扱いを受けているようだった。 

 スックが聞いてきたので親父のことを話してやった。隠す気はなかった。

 だが、告発の手伝いはできないと言った。

 告発などすればもみ消されて、二人揃って殺されるだけだ。親父は一門のためにはそのくらいのことは平気でする。それにそもそもこんな呑んだくれの言葉では証拠として乏しい。

 スックは無言で去っていった。

 ダーオを見捨てたおれが憎いはずだが、どうにも憎み切れてないようだった。

 そういう女だとわかっていたはずなのに。

 そのあと、スックを買った北部人に絡んでしまった。だがその北部人は恥ずかしげもなく、逃げると言った。その口で、原因もろとも死んでやるとも言い切った。

 自分の命などどうでもよかったが、自分の命を使って何かをしようなどとは考えたもしなかった。ことここに至ってまだ自分の命のことを考えている自分に気づき、苦笑するしかなかった。

 何もできないと思っていたが、そうでもなかった。

 スックのために、命を使うことができるではないか。

 そう決めると、次の動きは簡単だった。

 親父の近くにいればいい。そうすればスックは現れる。

 そしてスックは、大胆にも新王パレードを遮り、新王に直訴して親父に仇討ちを仕掛けた。

 だが、証拠がない。証拠がなければどうするか。

 決闘を仕掛けるしかない。闇討ちでは闇から闇に葬られてしまう。

 だが、決闘では加勢することができない。

 だから、親父を告発してやった。

 証拠として乏しくとも、王と大衆の面前で糾弾され、仇討ちを仕掛けられれば、武門としては逃げるわけにはいかない。その上で、利益をちらつかせれば親父なら食いつく。

 そして案の定、親父は食いつき、仇討ちは成立した。

 すぐにでも助太刀として参加したかったが、ここで助太刀として名乗りを上げるわけにはいかなかった。

 万が一にもスックが親父に勝ったなら、スックの前に立たなければならないのだから。

 だが、おそらくスックが親父に勝つことはない。

 そうなったらスックに加勢し、親父を相討ちででも殺すつもりだった。できれば親父を殺したあとスックを他国に逃がして、ルワン家から守ってやりたかったが親父は相討ち覚悟でも勝てるかどうかわからない相手だ。それは難しいだろう、と覚悟していた。

 スックと親父の戦いが始まり、スックが炎に包まれた。

 加勢しようとしたが、そこに北部人が加勢した。

 そして、勝利した。 

 思いがけない加勢に最善の道が見えた。

 完全にスックを自由にしてやれる。

 だから、北部人に決闘を挑んだ。 

 ルワン家の跡継ぎである自分が、親父を殺した北部人に決闘を挑めば、とりあえずルワン家の武門としてメンツは保たれる。 

 そして自らの恥とともに真実を告げることでスックは被害者、自分は酒におぼれていた弱い夫となり、北部人こそが夫を騙し、スックを脅迫していた悪党なのだと衆目に知らしめることができる。王は騙されないだろうが、証拠などない。大衆が何を信じようとも、その場ですぐに真実を告げられるはずもない。

 北部人の無礼な要求であったが、予想外にも決闘後の保障を王がしてくれたために、印象操作は万が一の保険になったが、それで構わなかった。

 あと一手が済めば、スックは完全に自由となる。

 蝙蝠系獣人種としての差別はどうにもならないが、悪名を被ることなく、ルワン家から完全に解き放たれることになる。

 クランドという北部人には悪いが、盛大に悪役を演じてもらうことにしよう。



 ナバーは蔵人に向かって、一振りする。

 間合いが遠いその行為に蔵人は眉をひそめるが、すぐに氷戦士の丸盾を構えた。

 その瞬間、炎が大波となって蔵人を襲った。

 蔵人は瞬時に展開した氷と土の盾で炎を遮るが、風に煽られた炎は津波のように押し寄せてくる。

 押し寄せる炎に背後がおろそかになった。

 球壁を展開する余裕がなかったのだ。

 蔵人の背に曲刀の連撃が叩きこまれ、自律物理障壁である第一障壁があっけなく破壊されるが、蔵人は炎を防ぎながら、背後も見ずに土の杭を発動した。

 地面から突き出た土の杭はナバーの命精魔法障壁を削り取るが、瞬時に身体を反転して間合いを空けるナバーに致命傷は与えられなかった。

 蔵人も転がり出るように、炎の津波から逃れる。

 炎の津波は標的を失い、消えていった。

 それを横目にしていた蔵人の立ち上がり際を、間合いを詰めたナバーが曲刀を振り下ろす。

 蔵人は中腰のまま反射的に大爪で受け、爪を閉じて曲刀をとらえる。

「やれやれ、親父との戦闘も見ていたが、獣みたいに力任せな動きのくせして、精霊魔法は曲芸のように器用にこなす。どんな師に鍛えられたんだか」

 曲刀をギリギリと押し込んでくるナバー。

 片腕とは思えぬ膂力だった。

 ちらりと師といえそうな雪白を見る蔵人。雪白はくわぁと欠伸をしていたが、タシンタシンと尻尾で地面を叩いていた。

 蔵人は背中に冷やりとしたものを感じる。

「文字通りスパルタの獣に鍛えられたんだがな」 

 そういってゴリゴリと押し返す。

「……まあいい。さあ、おれを殺せ」

 ナバーはそう言いながらもギリギリと曲刀を押し込んでくる。

「言ってることとやってることが違うんだよ」

 力任せに押し返す蔵人。

 暗黙のうちに、押し負けた方の負けというどこか子どもじみた、意地の張り合いになっていた。

「スックをお前に託す――なんて誰がいうか。あいつは理不尽すぎる障害さえなければ生きていける女だ。お前はその糧となるがいい」

「殺せだの、糧となれだの何が言いたいんだ」

 笑みすら見せて蔵人に曲刀を押し込んでくるナバーの考えは、蔵人にはまったく理解できなかった。

「お前がここでおれを殺せば、おまえはルワン家や大衆にとって悪になる。ルワン家も大衆も、矛先さえあればそれでいいんだからな。そしてヨビは俺が死ぬことで完全にルワン家から解放され、北部人と名家に翻弄された哀れな未亡人になる」

 ナバーが蔵人に殺される。

 その一手で、ヨビは完全に自由になる。

 解放された奴隷は元の素性に戻るが、夫のいる女が奴隷になった場合、解放されると夫の元に帰らなければならないという風潮があった。圧倒的な男社会は男に都合のいいように風潮が作られる。

 ゆえにナバーが離婚するか、死なない限り、奴隷に落ちることで女から離婚して夫の家の名誉に泥を塗り、さらには義父に対して仇討ちを成功させたヨビは、たとえ王の保障があったとしても、ルワン家に敵対視されることは避けられなかった。

 だが離婚ではもうヨビを救うことはできない。

 ナバーが蔵人に殺されることで、ヨビは全てから解放される。

 蔵人がナバーを殺せばヨビは復縁義務がなくなり、本当の意味でルワン家とはなんの縁もないことになる。そのままでは報復される恐れもあるが、その矛先はナバーがヨビにとって都合のいい物語を作った上で決闘を仕掛けたことによって蔵人に向けられている。

 実質的にイグシデハーンとナバーを殺したのは蔵人なのだから、その蔵人と敵対したほうが、ナバーが死んだことで縁もゆかりもなくなった無力なヨビを狙うよりは武門のメンツも保たれる。

 王が決闘の後の保障をする以上これは保険であったが、北部人をかばい、義父を殺し、夫を捨てて北部人に乗り換えた毒婦として国中から迫害されるよりは、酒に溺れた夫に売られ、北部人に脅迫されながらも、仇を討った母親というほうがこれからを生きていく上でよほどいいはずだ。

 そんなヨビをルワン家が狙うのは外聞が悪く、それよりも武門として建前が成立する蔵人をルワン家が狙うは自然の流れである。

 この国の人間は蝙蝠系獣人種(タンマイ)の言葉など信じないし、北部人の言葉など聞く耳も持たない。

 だがナバーにとって、今回はそうでなければならなかった。

 蔵人はナバーの言わんとすることをようやく、なんとなくだが理解した。

 この国の事情を知らない以上、細かいことはわからないが、ナバーが殺されてまでヨビを生かそうとし、そのためには蔵人の評判など気にしないということはわかった。

 だが、蔵人にとってもこの国での評判などどうでもよかった。

 いや、本来ならどうでもよくないが、忠実な奴隷を得られ、その身の安全が担保されるならば評判など二の次だった。どうせこの国に長くいるつもりはないのだ。

「なら、黙って殺されろ」

 蔵人がぐいと押し返す。

「そうなんだが、お前を見ていると一発殴りたくなってな」

「殴るんじゃなくて、もう斬ってんだろうが」

「まあ、それはそれだ。手を抜いて、芝居がばれてもあれだしな」

 蔵人はぐいっとさらに押し込みながら、ナバーの背を土の杭で襲う。

 それを無防備に受けるナバー。

 炎で、障壁で防げたはずだが、それをしなかった。

 勘が鈍っていた、ブランクがあった、捨て身だった。色々理由はあった。

 だがナバーは土の杭を受けながらも気にした様子も見せずに、なおもぐいぐいと押し込み、ついに蔵人の首筋にまで曲刀を押し込んだ。

「さあ、殺れ」

 それは笑みを浮かべて曲刀を力の限り押しつけながらいうセリフではなかった。

「だから、それらしい表情かおをして言えっ」

 蔵人は障壁の魔力も精霊魔法に回す魔力も全て引っ込めて、身体強化のみに魔力を注いだ。

 絵を描くために学んだ程度の人体構造でも、この世界の人間よりよほど効率的かつ強力に身体強化魔法を発動させることができた。

 前身のバネを使い首筋の曲刀を一気にはねのけると、がら空きになったナバーの腹部へ、蔵人は拳を叩きこんだ。

 鉄のように固まった拳を受け、ナバーの身体がくの字に折れる。

 蔵人は大爪を脱ぎ捨ててククリ刀を抜き、それをナバーの首筋めがけて振るった。

 ナバーは目を瞑り、笑みを浮かべていた。


 ヨビは二人の戦いをジッと見つめていた。見つめることしかできなかった。

 ナバーは探索者時代を彷彿とさせるほど本気であったが、何か様子が違った。

 戦闘中であるにも関わらず、何かを語っているようでもあった。

 なにより、ひどく楽しそうだった。

 昔のナバーを見ているようだった。

 幸せだった頃を思い出した。

 だが、それは蔵人のククリ刀がナバーの首に吸い込まれるように振るわれることで、現実に引き戻される。

 ヨビは何かを掴むように、空に手を伸ばしていた。

 だが蔵人のククリ刀が、ナバーの首を一瞬にして落とした。

 ヨビはごろりと転がるナバーの首を茫然と見つめるしかなかった。

 ナバーはなぜ、微笑んでいるのだろうか。

 こみ上げる様々な感情が処理できず、それだけが妙に気になった。


 ナバーは何より、自分が死すべきだと決めていた。

 自らの弱さに気づいたとき、自らの罪も自覚した。

 生きて償えるようなものではない。

 子を、妻を見捨てたのだから。

 妻を試して、道に外れた行いをさせたのだから。

 死して、出来うるならば迷っているだろうダーオの行き先を探してやりたかった。

 そんな資格はないかもしれないが、父親としてそれくらいのことしかしてやれそうになかった。

 ナバーはククリ刀が自分の首を落としたのを意識しながら、それだけを願った。


 蔵人がナバーの首を落とした瞬間、場は静まり返った。

「それまで。勝者、クランドっ」

 新王の声が場に響き渡ると、見物していた人々が蔵人を責めるように騒ぎ出す。

 鳥人種や獣人種が一対一の戦いで人種に負けるなどあってはならなかった。先刻の戦いで毒という卑怯な手段を使ったのだから、今回も何か汚い手段を使ったはずだと言いがかりのような理由をつけて、蔵人を敵視した。

 そんな中でルワン家の面々も蔵人を憎悪のこもった目で睨みつけていた。新王の手前何かするわけではないが、新王がいなければ襲いかかりかねない雰囲気だった。

 全て、ナバーの思惑通りになったといってよかった。

 実質的にイグシデハーンとナバーの両方を殺したといっても過言ではないのだからいたしかたないともいえた。

 石が、飛ぶ。

 蔵人は大爪を拾い上げているところだった。

 石は蔵人の障壁に弾かれ、蔵人は石が飛んできた方向を見る。

 その目は民衆を『物』としか見ていない、敵対者へ向ける目であった。

 だが、そんなことのわからない民衆は真似をするように石を投げようとする。


――グォオオン


 いつのまにか蔵人の横にいた雪白が大気を震わせるほどの咆哮を上げて、威嚇する。

 それだけで、民衆はもとより、ルワン家も、武官も、三将すらも心臓を鷲掴みにされたように、身体を硬直させた。

 蔵人はいきり立つ雪白を気にした様子もなく、撫でた。

 ふんわりとした白毛が妙に心地よかった。


「勝敗は決した。これ以後ルワン家は、スック、クランドの両名に関わることを禁じ、即日中にクランドに対して二十五万パミットの支払いを命じる」


「……はっ」

 シンチャイはそう答えるが、ルワン家の面々が納得した様子はなかった。

 当然、大衆も納得していない。

 新王はそんなシンチャイやルワン家、そして大衆を見て、三将三官に目を向けた。

 彼らは新王を見上げてから、再び頭を深く下げる。

 新王が大狼車の上で立ち上がる。

 そして、羽ばたきを一つすると、澄み切った青空に飛び立った。

 それだけで、澄んだ風がその場を吹き抜けた。

 その風を感じ、誰もが糾弾を忘れ、空を見上げた。

 それだけの力が吹き抜けた風に込められていた。


 蒼空で、新王が『化身』する。

 

 頭部は雄々しい鷲のように。

 靴を脱ぎ捨てた脚は猛禽類にも似た鋭く、力強いものに。

 そして、朱金の翼は周辺を覆うほど大きく、神々しい。

 まさにガルーダというに相応しかった。

 北部人が『獣化』や『半獣半人』と蔑むそれは、鳥人種や獣人種の一部の者だけが扱える『化身』であった。

 この姿のガルーダ王は風、炎、雷を自由自在に操り、歴代の王は何度も北部人の侵略を拒んだという。

 父祖神霊を憑依させて強大な力を得るといわれるそれを衆目に晒すのは、新王として即位し、ガルーダを名乗るための儀式だった。

 本来はパレード後、王城の真上で行われるはずだったのだが、新王はここでそれを行った。

 その理由は様々あったが、これから新王が告げることを考えればここでの前例破りなどほんの序の口に過ぎず、決闘の結果うんぬんなど吹き飛ぶような事態になる。

 そんなことで血を流すなという意味でもあった。


【我が、第五十六代ガルーダ王である】


 その声は風に乗って文字通り、王国の隅々にまで響いた。

 王国中の人々が、王の翼と声に跪いた。

 蔵人の周囲で騒いでいた民衆も、ルワン家も、驚くほどすんなりと跪いた。

 蔵人も空気を読んで跪く。片膝をつくだけならば土下座ではないから抵抗はそれほどなかった。


【今、ラッタナ王国は大戦期以上の、危険な状態にある。新しい思想が流れ込み、経済という大きな流れが生まれようとしている】

 

 その言葉に民衆は動揺する。


【ゆえに王政を廃止し、民主制を導入するとここに宣言する】


 動揺しているのは民衆だけで、三将三官、武官文官は微塵の動揺もなく、ガルーダ王に跪いていた。


【だが、我は決して民を見捨てはしない。王国の影となって、王国を永久に見守ろう】


 その言葉に、全てのラッタナ国民が安堵した。


 ようするにガルーダ王は、自身を国の最終兵器として残して君臨するが、統治はしないと告げたのだ。

 その後も、淡々とラッタナ王国の方針を話していくガルーダ王。


 王政を廃し、完全な民主制に移行するのは十年、二十年、三十年をかけて段階的にじっくりと行う。その間は暫定的に今までの統治機構を用いながら、市井の優れたものを登用していく。

 階級の廃止にともなって、階級名を廃止する。すぐに階級意識がなくなりはしないが、それは長い目で見ていくことにする。

 民主制に移行する間に、奴隷制を廃止する。カジノの利益を利用して国が奴隷を買い上げ、開墾作業などに従事させ、十年二十年かけて借金を返済するとともに、農業や漁業などの技術を付けさせる。

 段階的に義務教育を行い、優秀な者には高度な教育を施す。

 ガルーダ王は様々な方針を語っていった。

 

 ガルーダ王は王子であったころ勇者の教育を受けていた頃、カジノ、遺跡の完全踏破、勇者教育の片鱗が王国に与える影響から、アルバウムの思惑を感じ取っていた。

 王政をこのまま続ければ、いつか新たな思想、経済によって血が流れる。

 革命が起こる。

 そうすれば裏で糸を引く北部の、アルバウムの思う壺だ。

 ラッタナ王国はさんざんに食いものにされるだろう。

 ただでさえ先王の行った悪政によってラッタナ王国が食いものにされているというのにこれ以上、アルバウムの好きなようにさせるわけにはいかなかった。

 ゆえに即位と同時に先王に従っていた三将三官を挿げ替え、軍と行政を掌握した。

 昨夜の葬儀から新王パレードの間も、王子時代に密かに組織した『影』によって証拠を掴んだ先王時代の奸臣たちを粛清していた。

 仇討ちも決闘もある意味で目くらましであり、粛清の対象にはなっていない官職をもたない名誉官位持ちへの見せしめでもあった。

 道理に外れた行為は、決して許さない、と。

 もしルワン家が報復に走れば、ルワン家はラッタナ王国から完全に消えることになるだろう。すでに当主とその息子を失っており、それほどの力は残っていないだろうが。

 しばらくの間は血が流れるだろうが、奸臣の血ならば痛まない。

 その後もそれなりの抵抗はあるだろうが、退くわけにはいかなかった。 



 ガルーダ王の宣言が続く中、蔵人と雪白、ヨビはその場から姿を消していた。

 


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― 新着の感想 ―
賛否両論あるようですが、読後感はすっきりしています。離婚に関する伏線の回収、一本筋が通らない人生こそ真に人生と呼ぶべきものであり物語でありました。
[良い点] 主人公と国王だけがまともな点。 [一言] アホらしい。 元夫の心情の吐露は徹頭徹尾自己弁護でしかない。 元妻を追い込んだのは自らの弱さと実家、ひいてはこの国の選民主義。 主人公にも元妻にも…
[良い点] 無い [気になる点] ガバガバ過ぎて投げたくなった [一言] 前の章までは、まあまあ面白く読めてたのに、この章からは、読むのが苦痛になりだした。ガバガバ過ぎる、ご都合ですら無い、はっきり言…
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