57-鳥人種③
金色の尖塔が輝く白い王城とは離れた王都の陸側の一角に、よく言えば趣のある古い屋敷、悪く言えばただの幽霊屋敷があった。
赤い煉瓦の壁に、黒っぽい石を細工した装飾が随所にみられるが、造りは随分と古い。現役の官職についている官位持ちのように家の外観に金色を許されておらず、屋敷を所有する一門の現在の力の程度が知れた。
だがその屋敷の主であるイグシデハーンは、その没落した古き一門を再興させるべく一生を捧げてきた。
官位と官職を授かった中興の祖の再来と呼ばれ、自他共にこの百五十年で最も力を盛り返してきた。
そして新王が立つかもしれないという、千載一遇の機会がやってきた。
英邁と謳われる王子が新王に立てば、暗愚な現王に取り入り官職についている愚物共を排し、自身が官職につくことも十分に可能だった。
だが、そんな時に限って些事に煩わされる。
「……素直に街の外に出たか。噂のほうはどうだ。未だ北部人が蝙蝠系獣人種を返しにきた様子はないようだが」
イグシデハーンが傅くシンチャイに問いかける。重々しい声にはかすかに苛立ちが混じっていた。
「はっ、蝙蝠系獣人種を買った北部のハンターは、協会で堂々と我らにたてつき、厚顔無恥にも程がある嘘を並べたてる始末。ですが、愚かな一部の民は疑心暗鬼になり、噂の信憑性がわずかに鈍ってしまいました。ですが、ほんのわずかです。王都は一般人からハンターまで例の北部人を排除する方向に動いております」
「ならば蝙蝠系獣人種を手放すのも時間の問題か」
「……いえ」
イグシデハーンが眉間に皺を寄せる。
醜聞は早めに処理しておきたかった。今のところはこちらの流した噂が広がり、ナバーの評判もマイナスではない。
今ならば処分に困ることもない。
「件のハンターは協会において、蝙蝠系獣人種が自分の意思で帰りたいと言わない限り、手放すことはないと言い放ちました。
その上で、すんなりと街の外に出たことから察して、野営を苦にしていないのではないかと。野卑なハンターならば当然なのかもしれませんが」
「王都からは離れていないのか」
「はい。理由はわかりませんが、王都の海側の門を出て、しばらくいったところに野営しているようで、王都を離れる気配はないとのことです」
「今、おかしな噂がわずかにでも流れるのはまずい。
……北部人か。ならば心中でもしてもらおうか。ナバーは妻を奪われ、さらには妻にまで裏切られた哀れな男となって同情をひける。民衆は真実などどうでもよいのだ、都合のいい事実さえあればな。シンチャイ、わかっているな」
「はっ、問題ないかと。ただ問題ないとは思いますが、北部のハンターが猟獣を登録しました」
「……猟獣か」
「たかだか『八つ星』の連れている猟獣です。見たことのない魔獣らしいですが、しょせん海狼程度かと」
「任せる。奴隷どもには念を押しておけ。証拠は決して残すなとな」
「はっ」
奴隷は所有者が手繰られぬように命令遂行を条件に、借金を棒引きして解放してあった。
任務に成功すればそのまま家族の元に帰れるが、逃げたり、捕まったりすれば家族諸共どうなるかわからないと伝えてある。
そもそも十人で一万パミットもしない生来の奴隷階級の者たちだ、反抗などしようものならどうなるか骨の髄まで知っている。逃げたり、反抗したりすることはない。
だが、もし奴隷どもが失敗すれば一門の者を使わねばならなくなる。
これから金はいくらあっても足りなくなる。口が硬く、腕のいい裏の者を雇うような金はなかった。
法に則っている北部人を強引に捕える事のできる権力はない。
官職にさえついていればどうにかなるものを。
イグシデハーンはたかだか『八つ星』のハンターと蝙蝠系獣人種の女ごときに手こずる我が身の力のなさが歯痒かった。
「……背に腹はかえられんか」
手段は選んでいられなかった。
奴隷だろうが、くだらない思想に染まった外北部人だろうが使えるものは使わねばなるまい。
いつ新王が立ってもおかしくないのだ。
砂浜に一メートルほどの赤と黒のまだら模様の小さな恐竜がひょこひょこと必死な様子で飛び出てきた。
細みの体躯、前傾姿勢の二足歩行、俊敏そうな脚、頭部には一直線に伸びる一本角が生えていた。
北部人はホーンラプトル、地元では一角小竜と呼ばれ、夜になると家畜や畑を群れで襲う嫌われ者で、昼間はジャングルに群れで固まって眠り、夜になると活発に活動しだす。
その群れで眠る休息時を雪白に狙われた。
すやすやとのんびり眠っているところに、見たこともない格上の魔獣である雪白が急襲したものだが、一角小竜たちは慌てて飛び起きる。
そこを雪白が一匹に狙いを定めて、追い込んでいく。
本来なら雪白のみで片づけられるものを、蔵人とヨビの訓練のために雪白がまず一匹だけを砂浜に追い出したのだ。
それを蔵人とヨビが待ち構えていた。
だがその瞬間、急降下してきた何かが一角小竜の頭を切り落とし、かっさらっていく。
凄まじい速度だった。
蔵人とヨビは舞い上がった砂に視界を奪われ、気づいたときには頭部のない一角小竜だけが砂浜に横たわっていた。
一角小竜の討伐証明部位は頭部の角だ、それを奪われては残された身体になんの価値もなかった。
蔵人は急上昇していく鳥人種を睨みつけるが、すでに空の彼方だ。
蔵人は舌打ちくらいしかできることがない。
雪白がのそりとジャングルから姿を現し、首のない一角小竜を見つける。
事情を察したのか、かすかな苛立ちを見せながらも蔵人に尻尾でジャングルを指す。
「ジャングル、か」
蔵人をヨビを連れて、ジャングルに足を踏み入れた。
鬱蒼としたジャングルでも雪白の歩みは変わらなかった。道なき道をまったく苦にすることなく進む。アレルドゥリア山脈にいた頃と比べても、なんら遜色はなかった。
一方で蔵人は苦戦していた。
地面を波打つ太い木の根、曲がりくねった太く高い木に野放図に伸びる枝、どこからか垂れさがる蔦と蛇。太古の森の入りこんだようだった。
あまりにアレルドゥリア山脈と勝手が違い過ぎた。
まだヨビのほうがスムーズに歩けているくらいだ。
たまに雪白が立ち止まると、アレルドゥリア山脈の初期の頃のように憐れみの視線を向けてくる。
蔵人は久しぶりの視線に苛立つも、自分が不甲斐ないのだから仕方ないとぐっと我慢する。
いつかあの尻尾を固結びにしてやる。
親魔獣にそんな感想を抱いて後悔したのを忘れて、蔵人はそんな怨念を滾らせていた。
そんな蔵人と雪白の姿をヨビは後ろから見つめていた。
雪白という魔獣は規格外だった。
非常に賢く、強い。
ヨビは一夜にして雪白を一つの人格として尊重することにしていた。自らの主がそうしているのだから、ヨビもそうするほかない。
強く、人並みに賢いのだからヨビとしても異論はなかった。
獣人種や鳥人種は強い者を認める傾向にあった。もちろん賢いことも必要だが、まずは強さだった。ゆえに王も強い。強いから王として慕われていた。
ならば副支部長をあしらうほど強く、そして十分に賢い雪白の人格を否定するはずもない。
だが、そんな強い魔獣とじゃれあうのが蔵人という自分の主だった。
奴隷に対して一般人の十年分の年収に等しい額をぽんと出し買い、さらに同額で装備を整えるようなかわった主だ。
その上で、探索者十級でしかなかった自分に一人で万色岩蟹を狩らせ、『九つ星』にしてしまったり、種族特性や戦い方まで教えてしまう。
万色岩蟹に苦戦して見たり、街中や協会で絡まれたりしても平然としていたり、かと思えばジャングルで四苦八苦していたりと強さのよくわからない主でもある。
少なくとも獣人種が求めるような強さは感じないのだが、ヨビの勘は侮ってはいけないといっていた。
まったく訳がわからなかった。
雪白が身を低くして、立ち止まる。
憐れみの視線を蔵人に向けるためではない。
蔵人は身を低くしながら雪白の視線を先を辿ると、倒木の折り重なった場所に大小様々な十数匹の一角小竜が集まって眠っていた。
ヨビを見ると既に身を低くし、蔵人の合図を待っていた。
一角小竜は単体で『九つ星』、数にもよるが群れだと『八つ星』以上が適正だ。
それほど強いわけではない。夜行性で雑食、好戦的ではないが弱った獲物や家畜は容赦なく襲う。
魔獣に分類されるため精霊魔法にも敏感だが、眠っているところにドカンと落とすならばそれほど難易度は高くない。
十体で五十パミットと安いが、数が見込める魔獣だった。
蔵人が九本の土の杭、ヨビが空気を圧縮した風の塊を一斉に放つ予定だ。
それで十匹。
だが、急襲しようとする蔵人の目の前で一角小竜の巣に大きな岩が細い枝などをへし折って落下した。
ただ落ちただけだ。精霊魔法の気配がなかったところを見ると物理的に落としたものだろう。
いかに雪白といえど獲物からは距離のある状態で、さらにその遥か上空から、精霊魔法ではないただの落石となると察知は難しかった。
現に悔しげな表情でぴょんと高い枝に飛び乗り、何もない上空を睨みつけている。
巣を直撃した大岩に、蜘蛛の子を散らしたように飛び出ながら走り去る一角小竜。
雪白ならともかく、このジャングルの中では蔵人もヨビも追いつくことはできそうになかった。
余程慌てていたのか、一匹が蔵人の目の前に飛び出てくる。
ククリ刀を振り被る蔵人。
だが、蔵人の目の前で一角小竜の頭部に矢が突き刺さった。
地面に倒れ込む一角小竜。
蔵人は振りあげたククリ刀をゆっくりと降ろしながら、一角小竜の頭部を貫通した白い矢羽根のついた矢を憎々しげに見つめていた。
「ふむ、大丈夫だったか?」
種類のわからない鳥人種が三人、上空から舞い降りてそんなことを言い放つ。
弓矢を背負っているが、飛んでいる時に射ることができない以上は枝の上から射たのだろうと蔵人は推測した。
そんな風に観察しながらも、蔵人の苛立ちはピークに来ていた。
明らかに自分たちの獲物を狙っているのだ。
砂浜、ジャングル。状況の違う両方で、偶然獲物を横取りするなど偶然では済まされなかった。
ハンターが同じハンターの獲物を横取りする。偶然ならともかく、故意の横取りは許されなかった。ハンターとしてのプライドがあるならば、しない行為だった。
あのサレハドでさえ、色々妨害はあったが現地での横取りだけはなかった。
精霊魔法に巻きこんだり、流れ矢があたってしまったりと危険な行為であるし、獲物の横取りは最悪殺し合いにも発展しかねないからだ。
「人の獲物を横からぶんどっておいて、随分と恩着せがましいな」
「そうか、どう見ても追い詰められていたようにしか思えなかったがな。見たところそんなにランクも高くないだろう?この辺はあまり低ランクの者がくる場所ではないのでな」
「低ランクの者が来てはいけないという規則でもあるのか」
「まあ、ないな」
「なら、その判断は間違いだ」
「……ハンターは助け合いだ。危ないと思えば助けにも入る」
蔵人はギリッと奥歯を噛み締める。
殺しに来たならともかく、それ以外では鳥人種に手を出すわけにはいかなかった。
下手に手を出して、それを他の仲間が見ていれば圧倒的多数の証言でもって罪をかぶされる。
それがたとえ相手の致命的な、ハンター同士の殺し合いに発展しかねない規則違反だとしても、皆殺しにして完全に証拠を残さない方法でなければ殺せない。下手な暴力の行使も当然できない。
三人の鳥人種はうすら笑いを浮かべていた。
「これはもらっていくぞ。お前らを助けたんだからな、当然の権利だ」
そこに雪白が音もなく降り立つ。
木の枝の上にいてなお、鳥人種のハンターたちは気配すら気付かなかった。
白幻と呼ばれるのは伊達ではない。
「――なっ」
「俺の猟獣だ。敵対しなければ絶対に手は出さない。敵対しなければ、な」
雪白は威嚇するように牙を剥いている。
雪白とて状況は知っている。ただの脅しだ。
だが、脅しておかなければ二度目がある。それは許せることではなかった。
鳥人種たちはイルニークを知らなかった。
知らなかったが、その尋常ではない雰囲気に自分たちの手に負える相手ではないことはすぐにわかる。
三人の鳥人種たちは冷や汗を浮かべながら、一角小竜の角を引き抜いて、逃げるように枝から枝に飛び上がり、空高くに消えていった。
「……」
「辛気臭い顔をするな。どの道こうなるのはわかっていたんだ」
「……ですが」
「ほっとけ。こっちは平然としていればいいんだ。王都の近くにいるだけで、相手にとっては目障りなんだろ。なら、すぐにでも来る」
蔵人は不機嫌な雪白の頭をぐりぐりと撫でながら、ヨビにそう言った。
「とはいえ依頼を失敗するのもシャクに障るからな」
蔵人は雪白を見る。
ちょっとだけ機嫌の良くなった雪白が蔵人を見上げる。
いつかあの翼を食いちぎってやるとでも言いたげな雪白に苦笑しながら、蔵人は雪白に頼む。
普通のハンターであればかなり情けない行為であるが、そもそも蔵人は自他共に認める雪白のヒモである。
開き直る気もないが、それが原点であることは間違いない。
どうしようもなければ雪白に頼ることに躊躇いはなかった。
その後もやはり蔵人たちの邪魔をする鳥人種のハンターたち。
ただジャングルで最初に遭遇したハンターたちは見かけなかった。余程、雪白が恐ろしかったと見えるが、今回はいい判断だ。
結局、蔵人とヨビでは鳥人種たちより先に一角小竜を狩ることができなかった。
蔵人とヨビ、雪白は協会にいた。
蔵人は受付のカウンターに一角小竜の角を十本置く。
奥にいた鳥人種の職員の顔がわずかに歪んだ。
蔵人はタグを二枚、受付に渡して報酬である五十パミットを受け取る。
奥にいる鳥人種の職員を見もしない。
それが余計に鳥人種の職員の癇に障ったらしく額に青筋を立てて、蔵人を睨みつけていた。
「ちょっと、いいか?」
蔵人は受付を終えず、犬耳の女性職員に話しかける。
「はい、なんでしょうか」
蔵人の噂も、昨日の出来事も知っているのだろう。かすかに強張った表情をするがそれ以上はなにもない。
「一角小竜を追っていたら、鳥人種のハンターが横取りしたり、先回りして巣だけ破壊したりするんだが、ラッタナ王国の協会ではそういう行為は許されてるのか?」
蔵人の横で受付をしていた牛系獣人種がぎょっとし、そのさらに横で受付をしていた鳥人種が剣呑な目をする。
だが、蔵人の後ろに雪白がいるせいか、何かをしてくる気配はない。
「あ、あの偶然ではないのですか?」
「ジャングルから俺たちが追い出した一角小竜を急降下で偶然横取りしたり、近づいていた巣に偶然直接岩をぶちこんだり、俺たちが行く先々の一角小竜の巣だけを偶然破壊したり、偶然ってもんがそれだけ続くもんならな。それに偶然なら獲物は均等割りだろ。それもしないで空に逃げられるからな」
「あ、あの――」
「――証拠はあるのか」
昨日も雪白の件で絡んできた鳥人種の職員が横から割り込んでくる。
「あるわけないだろ。どうせヨビの証言じゃ聞かないんだろうしな」
「ふんっ、証拠がないならただの言いがかりに過ぎんな」
「だろうな。俺は報告しただけだ。いいか、俺は報告したからな、きちんと記録しておけよ。あとは調査するもしないもあんたら次第だ。じゃあな」
どうせ不毛な言い合いになるに決まっている。
蔵人は次の依頼も受けずに話を切り上げて、カフェに向かった。
これからは依頼を受けずに獲物を討伐し、後受けで依頼を達成するしかない。
依頼がなければ無駄になるが、協会で依頼を受けてから討伐に向かっても邪魔され続けるだけだ。なんせあの鳥人種の職員か、もしくは他の職員が他のハンターに自分たちの依頼受注情報を流しているのだから。
それでもなければ、一か所にあれほどハンターを集めることなどできはしない。
今日はなんとかなったが、できれば同じ方法を使いたくなかった。
蔵人は一角小竜の討伐を全て雪白に任せた。
雪白の速度で一匹ずつ確実に狩れば、邪魔することなど不可能だ。
そうして角を十本だけは確保した。
普段ならこんなことはしないだろうが、こうも邪魔をされるならば仕方がなかった。
報告したのは一種の予防策だ。万が一、鳥人種のハンターを間違って殺してしまったとき、いきなりそういう事件が起きるのと、一度はきちんと苦情を上げているのでは多少は扱いが違うはずだ。効くか効かないかわからない予防線だが、しないよりましだった。
ヨビの目的を考えれば、無理をしてまでこんな国で依頼を受ける必要もないのだが、嫌がらせを苦にせず、平気な顔をして生活していたほうがルワン家も焦れてくるだろうとの考えもあった。
それでも邪魔されっぱなしというのは気持ちのいいものではなかったが、ヨビの子どもの真相が知れるまでの我慢だった。
蔵人はギック鳥の丸焼きをカフェにいるいつもの猫系獣人の娘に頼む。
報酬の五十パミットが全て吹っ飛ぶがこれは雪白が稼いだものなのだから、惜しくはなかった。
昨日と同じように、厨房に注文を伝えた猫系獣人の娘が鳥の脚をちらつかせて雪白と交渉を始めた。
雪白は二度目で警戒する必要もないと知ったのか、猫系獣人の娘の手を丸ごとかじるように鳥の脚に食いつく。むろん、手は齧っていない。
猫系獣人の娘も怒るどころか、驚きながらも喜んでいた。
鳥の脚をバリバリ噛んでいる雪白と嬉しそうに雪白に抱きついている猫系獣人の娘。
猫系獣人にとって雪白はなんなのだろうなと思いながらカウンターの椅子に座る蔵人。
「ちょっと聞いていいか?」
至福の時を楽しむ猫系獣人の娘には悪いが、どうしても気になった。
「……はひ?」
寝起きのようなだらしのない顔である。
「……猫系獣人や豹系獣人にとって、雪白はなんなんだ?他の獣人と違ってまったく雪白を警戒しないようだが」
蔵人の生温かい視線に自分の醜態に気づいたのか、慌てて顔を直す猫系獣人の娘。
「……アハハハ、えーとですね。これだけ大きな、そして白い魔獣はわたしたち猫系獣人の父祖神霊の姿に似ているんです」
「父祖神霊?」
「ええ、なんといえばいいか。わたしたちの始祖と呼ばれ伝えられる姿をもった魂にわたしたちの死んだ先祖の魂が寄り集まってできた集合体とでもいいましょうか」
「……なぜに抱きつく」
「なんていうか神さまなんですけど、ちょっと違うといいますか。猫系獣人にとっての父祖神霊はわたしたちを見守ってくれる父親というか母親というか、兄様というか姉様というか、そんな感じなんです。他の獣人種の父祖神霊の性格も様々ですから同じということではないでしょうが、豹系獣人もそれに似た何かがあると思いますよ」
わたしにはもう両親も兄弟もいませんしといってかすかに微笑む猫系獣人の娘。
「……そうか」
――ぐぅあう
短い耳をピクピクとさせながらバリバリと鳥の脚を食べていた雪白が、長い尻尾で猫系獣人の娘の頭を撫でる。
猫系獣人の娘はえへへと笑いながら、雪白のふかふかした身体に顔をうずめた。
厨房にいた料理人が直接ギック鳥の丸焼きを運んでくる。
スキンヘッドに猫耳のおっさんだ。
色々と違和感があるが、そういうものなのだろう。
「ミルはどこに……あー、しかたねえな」
雪白と猫系獣人の娘を見てかすかに笑みを浮かべ、料理人はギック鳥の丸焼きの解体を始める。
「ああ、脚を外してくれればそれでいい。あとは雪白が食うから」
「あいよ」
「……ごっ、ごめんなさいっ」
雪白の身体から飛び起きるミル。
「気にするな。おかげでおれも噂の白い魔獣を見れた」
ギック鳥を解体していなければ拝んでいそうなほど和やかな表情である。スキンヘッドなせいか、坊さんにも見えてくるが、やはりスキンヘッドに猫耳というのが違和感たっぷりだった。
あっという間に脚を二本と胴体に分かれるギック鳥。
だが胴体だけでも一抱えはある。それを料理人がミルに渡す。
「ほれ、渡してこい」
ミルは嬉しそうに自分の身体が隠れるほどの大きさのギック鳥を受け取るが、体勢を崩すことすらない。さすがは獣人種である。
そのまま雪白の元までギック鳥の丸焼きを運んでしまった。
差し出された丸焼きをモグモグと食べ始める雪白。それを楽しそうに眺めているミル。
「あれも早くに両親を亡くしたからな。熱心に父祖神霊に祈ってたんだ」
「猫系獣人がみんなああなるわけじゃないんだな」
「まあ、そこは人それぞれだな。だが、あまり熱心じゃねえ俺でさえ拝みたくなるくらいだ。たいがいの猫系獣人は好みこそすれ、嫌うってことはねえだろうな」
蔵人とヨビに残った脚を渡す料理人。
なるほどなといって鳥の脚を受け取る蔵人。一つをヨビに回す。
しばらくして食事を終えた蔵人たちは支払いを終え、協会をあとにする。
ミルが手を振るのを、雪白が軽く尻尾を揺すって答えていた。
蔵人、ヨビ、雪白は海側の門に向かって王都のメインストリートを歩いていた。
その途中のことだ。
今度は十数名の人種に囲まれる。
女が多いが、男もおり、武装はしておらず、服装からするとそれなりに裕福そうだった。
どんな理由があるか知らないが、雪白を前にして声をかけられるのだからそれはそれで肝が太いといえるが、蔵人には嫌な予感しかしない。
どこかの女教師に雰囲気が酷似しているのだ。
威嚇するのではなく、目的に一直線というところが。
「――貴方ね、人の奥さんを奴隷に落として、脅迫していうことを聞かせているというのは。同じ人種として恥ずかしいわ。解放しなさい」
同じであった。多嶋女史がいれば同じことを言っただろう。むしろ、この女の後ろに多嶋女史の影が見えるようだった。
「……まずは名乗れよ。誰だあんた」
うんざりした蔵人の無遠慮な指摘に女はかすかに顔を紅潮させるが、取り乱すようなことはなかった。
金髪碧眼でやせぎすの女はコホンと一つ咳払いをする。
「……失礼しました。私はコニー・カーゾンといいます。私たちはある勇者さまの薫陶を受け、この国は、いえこの世界はこのままではいけないと気づき、何か出来ないかとの想いから立ち上がりました」
蔵人は眩暈がしてくる。
勇者に影響されて、こういう行動に至ったことが問題なのではない。むしろ、この世界ならこういう団体ができるのは間違いじゃないし、大いに頑張ってくれとも思う。
ただ、それがなぜ自分に降りかかるのか。
勇者とは目の前にいなくても自分にとっての災難でしかないのか。
「……で、何かようか?」
「っ。ですから、貴方も北部人ならば、そのような恥ずべき行為をするべきではないと言っているのです」
「だから、何が恥ずべき行為なんだ?」
「奴隷に決まっているじゃないですかっ!」
「俺は別におかしなことはしてないが。普通に金を払って雇っているようなもんだ」
「詭弁です。人をお金で買い、その身を自由にする。男性が性処理のために買っているのは明白な事実です。借金を盾に取り、他者を思いのままにすることが罪悪でなくてなんだというのです」
「まず俺はヨビを性処理に使っていない。知らないことまで十把一絡げにするな。それだけだな」
蔵人はさっさと先を急ぐ。
「貴女、酷いことされてないっ。無理しなくてもいいのよ、私たちは貴女の味方です。貴女が助けてといえば私たちも貴女を助けることができます」
ヨビの手を取るコニー。
ヨビは戸惑いながらも、やんわりとコニーの手を解く。
そしていつもの儚げな微笑を浮かべた。
「ご主人さまには良くしてもらっていますので」
その微笑に全員が心を打たれる。
ああ、この女性はあの男に利用されているのだと勝手に誤解する。
差別されてきた蝙蝠系獣人種ということもヨビの被害者像に一役買っていた。
「お待ちなさいっ」
コニーの声に武装した人種が蔵人の前に回り込む。
「急いでいるんだが」
「この女性を解放なさいっ」
「ヨビに聞け。ヨビが解放してくれと頼んだら解放してやる。借金も無利息でゆっくり返してくれればいい」
コニーは我がことのように嬉しそうな顔をする。
「いえ、結構です。解放されては困ります」
だが、ヨビの一言を聞いてコニーは顔を顰め、蔵人に詰め寄る。
「貴方、脅迫してそんなことを言わせているのでしょう?だからこの女性はこう言うしかない。卑怯よっ!」
この連中に法の話を持ち出したところで聞く耳は持たない。法ではなく、人道で語っているからだ。
「そもそも奴隷売買を持ちこんだのは北部人だろ。それが支配地じゃなくなった途端、人道を振りかざして解放すべきだなんだと介入しておかしくないか。それも法に従っている善良なハンターを相手に振りかざすほうがおかしいだろ。いくなら王政府にいけ。法が撤廃されれば俺も従う」
元々この国には生来の階級制度があった。アンクワールの国々が支配され、制度が変わっていくとラッタナ王国もある程度それに対応を迫られることになる。軋轢が生まれるからだ。その結果、奴隷売買制度がラッタナ王国でも導入された。
ある意味で、北部人が売買制度としての奴隷を押し付けたともいえた。
「何を偉そうに言っているのです、貴方だって北部人じゃ――」
「俺は北部人じゃない。山に捨てられた流民の子が運よくハンターになれただけだ」
流民という言葉にコニーがわずかに反応する。
それがいいものか、それとも蔑みかはわからない。
「……確かに過去に北部人はこの国に災禍をもたらしました。ですがだからこそ、今私たちが立ち上がらなくてはならないのです。いまアルバウムがこの国でしていることもきっと同じです。アルバウムがそう明言したわけではありませんが、きっと過去の災禍の償いをしているのです。
勇者が考案したといわれるカジノは雇用を生み、莫大な利益をもたらします。遺跡の完全踏破もアンクワール諸島連合が勇者派遣の報酬として用意したものと聞いています。そんな不確かな報酬で勇者派遣を許可したアルバウムを称えこそすれ、責める方がおかしいです。そして勇者が派遣された結果、アンクワール諸島連合はミス多嶋の素晴らしい教育を受けることができ、他の勇者によって開拓が進む。償いだと思っていなければここまでできません」
「……そうだな、アルバウムは素晴らしい。じゃあな」
蔵人は先を急ぐ。
「……ま、待ちなさいっ」
蔵人は急に立ち止まって振り返ると、コニーに詰め寄る。
「なっ、暴力で――」
「――俺は法に則っている、うしろ暗いことは一切ない。
勇者が何を教えたか知らないが、戦うなら弱い市民じゃなく、大本の政府と戦え。立場の弱い者としか戦えないならそれこそ卑怯者だ。それにヨビと俺の関係は奴隷法だけじゃない。くだらない噂に踊らされて、人の事情に首を突っ込むな。社会から弾かれた俺はあんたらの主張なんてどうでもいいことだ。俺の社会じゃないからな、勝手にやってくれ、邪魔はしない」
蔵人はそれだけいって、その場を去る。
まだ追いかけようとしていたコニーの進路をヨビが身をもって遮る。
男連中が追おうとするのは、雪白が無言の威嚇でしり込みさせた。
人種の集団に追う気配がなくなると、ヨビと雪白も蔵人の後を追う。
コニーたちはなんともいえない表情で、それを見送るしかなかった。
蔵人たちが海側の門から出ると、外は夕暮れに染まり始めていた。遠くの空に雨雲が見えている。
今夜は雨になるかもしれない。
野営地に向かって進む蔵人たち。
「めんどうなのに捕まったな」
「あの方たちは外北部人ですね」
「外北部人?」
「ラッタナ王国以外がアンクワールの支配地になっていたころから住むようになって世代を重ねた人種を内北部人、北部に住んだままこの国に訪れる北部人を外北部人と呼んでいます。外部の人はほとんどが富裕層です。商売で来ているか、カジノに関わっているか、遊びに来ているか。彼らと獣人とのトラブルが今みたいに起こったり、反対に差別的に扱うことで起こったりしています」
つまりイライダがメモで知らせてきた多嶋女史が言っていたという、王子や富裕層への教育というのは奴らのことだったのだろう。
そうなると王子というのがどうなっているのか、蔵人は若干不安になった。
「そういやあんたは俺に対して思うところはないのか?俺も人種だろ」
「私は蝙蝠系獣人種ですから、人種からも、獣人種、鳥人種からもよく思われていません。なのであまり区別して考えることはありません。みんな同じです」
みんな差別するのだから同じだと、ヨビは淡々とそう答えた。
「そんなもんかね」
そう言いながら一時間ほどで野営地につく。
食事の用意をしている間に、訓練をする。
今回は雪白先生が参加だ。
当然、蔵人とヨビは二人がかりでも尻尾であしらわれるが、雪白ほどの高位魔獣との訓練はそれだけで大きな経験値になる。
現にヨビは十級の肉壁ではあったが探索者としての経験があった。
それが蔵人に渡された装備と導かれるような蔵人と雪白との戦闘経験で、メキメキと実力をつけていった。
魔法や装備をのぞいた単純な戦闘能力だけでいえばすでに蔵人を凌駕しているかもしれなかった。
蔵人は獣人種の身体能力に舌を巻くばかりだった。
夜半から雨が降り始めた。
木と木の枝に絡ませて蔵人が土精魔法で作り上げた土の小屋に叩きつけるような雨が降り注いでいた。
この辺りでは夕方から翌日の朝までのどこかで、短い集中豪雨がよくある。
見張りは雪白で、この雨の中でも蔵人とヨビはすでに眠っていた。
雪白も目を瞑っているが、嗅覚、触覚、聴覚、精霊知覚は効かせ、油断は微塵もない。
雪白の小ぶりの耳がぴくりと動く。
――グォン
雪白が鳴き声とともに、蔵人とヨビを尻尾で叩き起こす。
蔵人もヨビも、即座に起き上がり、武器を取る。
轟音とともに、小屋の前面が破壊された。