54-奴隷③
ゴルバルドとの相談を終え、蔵人が店内に戻るときっちりと服を着込んだヨビがいた。
先程、古着屋で買ったのはごく普通の麻のシャツとズボンだったはずだ。
しかし今はシャツの袖を肩口でバッサリと切って繕い、さらに両脇の下から裾までを全て縦に切り、裾の端に紐を縫いつけて結んであった。
そうすることで皮膜を外に出し、服の中で皮膜が動作の邪魔になることを防いでいた。
確かに、皮膜は十分に余裕がありそうで動作の邪魔はしないだろうが、ヨビの胸が大きいために胸元は窮屈そうで、空いた脇から白い胸の一部がちらりと見えていた。
ズボンも肌に密着するかしないかギリギリのサイズの布のズボンで、お尻の形が綺麗に出ていた。
ヨビはそれを恥ずかしそうにすることなく、堂々としていた。
「……まったく男ってやつは。まあ、きちんとした服だからいいんだけどさ。ああ、ついでに服は全部作り変えておいたよっ。あんたも意外とマメだね。ヒモはともかくボタンまで買うなんてさ。あんたが縫うつもりだったのかい?」
ヨビの後ろからおばさんがひょっこりでてくる。
「まあ、な。ヨビのほうが上手いならヨビにやらせる気だったけどな。だけど、助かった。いくらだ?」
縫い目、切り口の補強、ボタンのつけ方、どれも売っているものと遜色がないどころか、それ以上である。
バシンとケツを叩かれる蔵人。
「そんなもんいらないよ、ドワーフの女の嗜みさ。それより、奴隷はあんたの鏡なんだからしっかり扱いなっ」
蔵人はわかったというしかなく、苦笑する。
「――おう、お嬢ちゃん、ちょっとこれもってくれ」
今度はゴルバルドがヨビに声をかける。
ヨビは蔵人を見るが、蔵人は頷くだけで何も言わず、ヨビはゴルバルドに言われるままにそれを受け取る。
「昔はなにを使っていたか知らねえが、まあちょっと振ってみてくれ。使えそうか?」
ゴルバルドがヨビに渡したのは鉄球にトゲのついたメイス、星球メイスだった。
トゲの付いた鉄球部分が両手の手の平を合わせたほどの大きさがあり、ずしりと重い。
ヨビは両手で星球メイスを握ると、ブンっと振るう。
何度振っても身体が泳がないのはさすが基礎体力の高い獣人だといえたが、動作はやはりぎこちない。
「強化はしてるか?」
「してません。以前は盾と片手剣を使ってましたが、こちらのほうがしっくりします」
よしよしとゴルバルドは頷く。
「これはベルトだ、腰につけろ。星球メイスはここに差し込んでおけばいい」
それもまたぴったりとヨビの腰にはまる。
それを見て、ドワーフの鍛冶能力は有名だが実は採寸能力のほうがすごいのではないだろうか、などと蔵人は馬鹿げたことを考えていた。
「じゃあ、今度はコイツをつけてくれ」
そういってゴトリと置いたのは膝から下に付ける鉄靴で、フルプレートアーマーの一部だ。ただこの鉄靴の膝と踝部分には外側にコップの口ほどの輪が一つずつ、計四つあり、さらに膝の表側と裏側に革のベルトがついていた。
ヨビはゴルバルドに教えてもらいながら、鉄靴を履くとズボンが引っかかったり、内側でズボンが邪魔になることなく鉄靴を履くことができた。
ヨビはようやく、なぜ蔵人がこんなにぴっちりとしたズボンを履かせたのか気づいた。
蔵人の趣味だと思っていたが、そうではないらしいとヨビは小さく苦笑する。
「……どうだ?きつかったり、歩きにくかったりしないか?」
「いえ、金属とは思えないくらい軽いですし、きついこともありません」
ヨビの膝から下を鉄靴がすっぽりと覆っていた。
鉄靴の上部についた革ベルトが腰にまわされた革ベルトに連結され、形としては鉄靴をガーターベルトで吊るしているといった感じに仕上がっていた。
「そうだろう。こいつがうるさいから軽量化したんだ。まあその分耐久力は下がったが、何かを蹴飛ばしたくらいで壊れるなんてチャチな作りはしてねえ。
――おう坊主、あとのもんはもう少しかかるぞ。これは元々あったやつに少し手を加えるだけでよかったが、他のは一から作らなきゃならねえ。それにおめえの持ってくる素材も必要だしな。ていうか本当にもってこれんのか?」
「そっちは近いうちにもってくる。で、いくらだい」
「――注文したやつも全部ひっくるめて十万パミットだよっ」
ゴルバルドではなく、おばさんが口を挟む。
「……おめぇ」
ゴルバルドがおばさんを睨むが、
「あんたに任せたらうちは干上がっちまうよ」
そう言われてしまえば、ゴルバルドは言葉につまってしまう。
「いや、そんな価格でいいのか?北部だともっとするだろ?」
ロドで計算すれば一万ロド、およそ百万円だ。安い買い物ではないが、価格的にいえば安い。星球メイス、鉄靴、注文した品を考えれば安すぎるくらいかもしれない。
ヨビの飛んでいるところを見てからおぼろげに想像した武具を、ゴルバルドと話し合いながら形にしていったわけで、そういう時間や技術料も含めるとやはり安いといえる。
「品質はいいが、特殊な金属を使ってるわけでもねえ。それにうちはラッタナ王国に依頼されて鍛冶師ギルドから派遣されてきたんだ。それほど商売を気にする必要もねえんだ」
ゴルバルドは胸を張っていうが、おばさんの目はどことなく呆れているように見えた。
鍛冶師ギルドはドワーフの国にあって、各国の依頼に応じて均等に鍛冶師を派遣する。どの国にも肩入れすることなく、どの国にも従属することはない。
派遣された国が戦争状態になっても引き上げることなく、鍛冶を続ける。
仮にもしそこで戦争に巻き込まれて派遣された鍛冶師が殺された場合、理由しだいでは二度とその国に鍛冶師を派遣することはないという。
以前、戦争相手国の鍛冶師を殺してしまった国がそれを知って去っていった鍛冶師のかわりに新たな鍛冶師の派遣を依頼したが、ドワーフの国はそれを断ったという。
そこから話がこじれ、その国とドワーフの国は戦争状態に入ったが、倍以上の戦力を持った国を相手にドワーフの国はまったく引かなかった。
諸国に派遣されていた鍛冶師は自国に撤収し、さらに流れの鍛冶師やハンター、探索者、傭兵をやっていたドワーフも自主的に国へ戻り、全滅覚悟で徹底抗戦の構えをとったという。
最初はドワーフの国が折れるだろうと考えていた周辺諸国も、両国にかなりの被害が広がってなお引かないドワーフの国を見て、その覚悟にようやく気付いた。
周辺諸国は危機感を覚えた。ドワーフにしか扱えない金属や素材、何より国で随一の鍛冶技術が途絶えてしまうと。
結局、周辺諸国の説得に応じた相手国が引いて、その戦争は終結した。ただ、その国には二度と鍛冶師が派遣されることはなく、随分前に怪物の襲撃で滅んだという。
蔵人はゴルバルドではなく、おばさんを見る。
この店の財布はおばさんが握っているのだ。
「いいんだよ。この国は鉄の品質がいい割に北部よりずっと安いんだ。それに金属鎧はあまり人気がなくてね。うちの人が手慰みにつくった奴が処分できてこっちもありがたいくらいだよ」
「そうか。今は五千ロドしかない。あとで持ってくるがいいか?」
「あら、ロドかい。いいよ、いいよ。そのかわり残りもロドで持ってきな。うちは北部から仕入れてるものもあるからさ」
「悪いな」
そういって蔵人は五千ロドを支払って、ゴルバルドの鍛冶屋を後にした。
ヨビは律儀にお聞きしてもよろしいですかと蔵人に伺いを立ててから話し始める。
「ご主人様、いくらなんでも十万パミットはかけ過ぎです。わたしの値段と同じです。お返しできません」
「気にすんなといってもするんだろうから、借金につけとけばいい。気になるならいつか返してくれればいい。こっちもまったく利益がないわけじゃないからな」
「ですが――」
「お人よしの道楽だとでも思えよ。よし、万色岩蟹を狩りにいくぞ」
「……えっ?ご主人様が討伐されるのですか?」
「あんたに決まってるだろ」
「――無理です。探索者十級に何を期待してるんですか」
「いいから、いくぞ」
そういって蔵人はさっさと歩きだす。
ラッタナ王国ハンター協会本部の資料による記録では万色岩蟹は魔獣の暴走を過去百年で三度も起こしている。
その理由は万色岩蟹の爆発的な繁殖力にあった。
一匹の万色岩蟹は一年で二度、数え切れないほどの卵を産卵し、孵化した卵は一年で産卵可能な成体になる。
当然成体だけでなく、その卵や孵化した子どもの『ヒンプ』の駆除を国中で行っているが、成体、幼体、卵の全てをハンター協会の常時依頼とし、年に二度の大規模を駆除を行ってなお、油断できなかった。
万色岩蟹の成体は刃物と精霊魔法が一切通じない。鈍器で甲殻を叩いて破壊するしかないのだ。
だが鈍器で叩くことさえできれば、『八つ星』でも余裕を持って倒すことができた。
それほど固ければ武器や防具に使えそうなものだが、死んだあとは一日も立たずに全身が腐り、軟化してしまって使い物にならなかった。唯一死んでも堅いままなのは両方の爪だったが、こちらは堅過ぎて加工すらできず、爪の形状のままピッケルやハンマーにするくらいしか使い道がなかった。
今、蔵人の視線の先にはちょっとした岩のようなヤシガニが闊歩していた。
蔵人よりわずかに低い丸みを帯びた洗濯機に、人の顔の二倍ほどの大きさの爪と人の顔より小さな爪がくっついている。
「緑か……あっちは青、そして赤。地味に気味が悪いな」
海側の門を出て一時間ほど歩いたところで蔵人は万色岩蟹を見つけるが、体色は全て違っていた。
それが万色岩蟹の名前の由来なのだが、エメラルドグリーンの海と白い砂浜の中に原色の生物が闊歩しているのは、違和感しかなかった。
「じゃあ、さっきやったようにな」
だが、珍しく返事はなかった。
後ろにいるはずのヨビを見ると、非常に冷たい表情で蔵人を見ていた。
「まだ怒ってるのか?」
「……だれでも怒ると思います」
「そのかわり、効率が良くなっただろ?」
「……行ってきます」
そういってヨビは灰色の長い髪を紐でひとくくりにしてから、音もなく飛び立った。
青い万色岩蟹の頭上高くでホバリングするヨビ。
鉄靴を履いたヨビの右足には細く長い鎖があり、その先には星球がぶら下がっていた。先刻買った星球メイスが鉄靴の膝と踝部分の輪に通され、そこから柄の中に隠されていた鎖と星球がぶら下がっているのだ。
鳥人種も蝙蝠系獣人も腕を使い翼を動かして飛行している関係上、武器を持つだけなら可能だったが、地上と同じように自由自在に武器を振るうことはできなかった。ゆえに鳥人種は基本的には両手に曲刀を持ち、場合によっては両足にも曲刀をつけて、斬り裂くように戦うという。
だが飛行速度で鳥人種に劣る蝙蝠系獣人のヨビではそれは難しかった。
そこで、蔵人が考案したのが、この鎖付き星球だった。
万色岩蟹は頭上高くホバリングするヨビに気づかず、なにやら砂を掘っていた。
左の爪が異様に大きく、右の爪はそれに比べてかなり小さいがそれでも手首くらいは切り落とせそうなほど鋭く、器用に動いている。
ヨビは空中で回転を始める。
最初は振り子のように星球を振り、そして徐々に回転を縦に近付けていく。
縦回転に近づくほど、星球の速度は増していった。
それにともないヨビの脚には引き抜かれるような負荷がかかるが、強化魔法を施した脚はしっかりとその負荷に耐える。
そして回転しながらも蔵人が反響定位と呼んだ、感覚的に位置がわかる能力を頼りに、万色岩蟹の位置を把握しつづけていた。
ヨビは星球に十分な威力が得られたと感じていた。
未だ、半信半疑だった。
だが、奴隷である。やれといわれればやるしかない。
ヨビはその勢いを殺さないままに、青い万色岩蟹の背中に叩きつけた。
星球は流星のような曲線を描き、万色岩蟹の甲殻を一気に破壊して深く突き刺ささり、ヨビに確かな手応えを与えた。
背の破壊された甲殻から、青い血が流れ出ていた。
一瞬にして甲殻を破壊された万色岩蟹は、何が起きたか分からないうちに、致命傷を負った。
未だぴくぴくと爪や脚が動いているが、絶命するのは時間の問題だった。
「爪を斬り落とせっ」
自分のやったことが信じられず、空中で呆然としていたヨビは蔵人の声に慌てて青い万色岩蟹の右側に降り立つと、蔵人から借り受けたククリ刀で右の爪を斬り落とした。
放っておくと爪まで腐ってしまうのだ。
ヨビは万色岩蟹の甲殻に食い込んだ星球も取り出し、爪を抱えて飛びたつ。
残った万色岩蟹の死体は放置してかまわなかった。一昼夜で海の掃除屋が綺麗にしてくれる。
「いけただろ?」
青くゴツゴツした星球ほどの大きさの小爪を持ったまま、ヨビはいまだに信じられずにいた。
万色岩蟹を倒す前に、蔵人に言われて鎖付き星球を回し続け、ついには脚の関節が外れたときは奴隷であるとはいえ理不尽を感じた。
こうして思いだすだけでも、若干苛立ちを覚える。
だが、こうして万色岩蟹を一撃で仕留めることができた。
蔵人の所有者命令で鎖付き星球を回し続けた結果、脚の関節が外れ、激痛に脂汗を浮かべて呻くヨビ。
それをのぞき込みながら蔵人は言った。
――自分の限界がわかっただろ?それにどこに負荷がかかって、どこをどう強化すれば効率がいいかわかりやすくなったはずだ。漠然と身体全体を強化するより、筋肉を細かく意識して強化したほうがいいからな。
脚の関節が外れたヨビに向かって自己治癒を禁止して蔵人はそういった。
動かずとも痛いのに、脚の付け根や膝に触れてくる蔵人。
あまりの激痛にこのときばかりはヨビも蔵人への敵意が芽生えるが、同時に自分の身体の構造、負荷のかかり方が分かった気がした。
痛い筋肉や関節が、負担のかかる部分なのだ。蔵人はそこに触れていた。
――座学で教えるのが一番いいんだが、時間がかかる。すまんな、こんなやり方で。
だがそう言われてしまったら、怒りづらかった。
実際、命精魔法での強化は魔力効率、最大威力共に向上した。
おそらく地上に降りて星球メイスを持ち、一人で万色岩蟹とやり合ったなら、こうはいかなかったはずだ。
万色岩蟹の爪と脚は単調で直線的だが、速く強力だ。
本来は一人が距離を保てる長い柄の武器で万色岩蟹の気を引き、もう一人が背後から攻撃する。それを繰り返して倒すのだ。
ヨビ一人ではおそらく怪我に怪我を重ねて、なんとか討伐できるかどうかというところだろう。
それがこうもあっさり倒せてしまうのだから、ヨビとしてはいまだに信じられなかった。
「あと九匹だな。さっきの一撃の震動を感知したせいか、いないな」
蔵人は少し離れた場所に目をやる。
するとすぐに、見つけられた。
「……いた。次はあの赤いのだ」
蔵人は次の獲物を指差した。
それから九度、同じようにして万色岩蟹を狩り、めでたく目標の十匹を狩り終える。
「なかなかいないもんだな」
ヨビもすでに戸惑いを捨て、作業的に万色岩蟹を狩っていたが、蔵人には何か目当ての獲物がいるらしいのは五度目の討伐くらいでわかった。
ちなみにヨビの星球より少し小さいくらいの爪は布の袋に入っており、ヨビがもっている。
「何を探してるんですか?」
蔵人は遠くに目を向けながら、ヨビに答える。
「ああ、透明な――いたっ」
蔵人が指差す先、そこには透明な殻の万色岩蟹がいた。だがそのすぐ隣にくすんだ銀色の万色岩蟹もいた。
なぜ透明なのに見えるか。
殻は透明なのに、内部の筋肉や内臓が丸見えなのだ。
殻が見えづらいため内臓や筋肉が直接歩いているように見える。
「今回は俺もやる。透明なほうは先に仕留めてくれ。銀色のほうは俺が引きつけるから、その間に仕留めてくれ」
ヨビはこくりと頷いて、飛び立った。
「間違っても俺の頭に落とすなよ」
蔵人の冗談めかした言葉を背に受けながら、ヨビは万色岩蟹の頭上に向かった。
透明な万色岩蟹とくすんだ銀色の万色岩蟹は向かい合うようにして、砂を掘っていた。
ヨビは空中で蔵人のいるほうを見ると、万色岩蟹に感知されない離れた場所で、ブーメランを構えていた。
気を引くくらいならあれで十分だ。
ヨビは透明な万色岩蟹の頭上で、回転を始める。
そして一撃。
星球は見事に透明な万色岩蟹の甲殻を破壊して、めり込んでいた。
だが、ヨビが銀色の万色岩蟹に目を向けると、蔵人のブーメランなど気にも止めず、頭上でホバリングするヨビ自身を待ち構えていた。
口らしき部分をぎちぎちとさせ、爪をせわしなく動かす。
興奮しているようだ。
そしてさらに、星球の鎖を切ろうと爪を向ける。
まるで透明な万色岩蟹を助けようとしているようだった。
ガチン、ガチンと爪が鎖を断ち切らんとする。
ヨビはその都度、鎖を伝って尋常じゃない力を感じていた。
粗悪な剣程度ならばっさりと切ってしまうらしいが、この鎖をつくったドワーフは腕がいいのか、切れる様子はなかった。
このままではどうにもならず、ヨビが離脱すべきかと考えたときだ。
くすんだ銀色の万色岩蟹の背中を蔵人が両手を組んで、まるで鉄槌のように振り下ろした。
無茶だ。
ヨビはそう思ったが、予想に反して蔵人の両拳はくすんだ銀色の甲殻を貫いた。
「……えっ?」
ついそんな声を出してしまった。
獣人種でもないただの人種が、何やら手甲をしているとはいえ拳で甲殻を貫くなどありえなかった。
ヨビは知らないが、蔵人のはめる手甲は巨人の手袋である。魔力を込めて拳を握れば鉄のハンマーのようになる。
さらに蔵人は一撃に限り、全力で殴ることができた。
本来、人の肉体は自身の身体の損傷を避けるために、全力で殴ることや蹴ることができないように無意識下で力をセーブしている。それは純粋な肉体だけを考えれば、この世界のどんな種でも同じだ。無論、例外はあるが。
それを蔵人は皮膚の損傷や骨折を厭わずに渾身の力で何度も岩を殴っては治療を繰り返し、身体はいつでも修復できるから気にする必要はないと脳に強引に刷り込んで、肉体的な全力の一撃を実現した。
そして、そもそも蔵人は一撃に賭けた格闘技術と肉体を修練していた。基礎的な拳による一撃に過ぎないが、体重の全てを拳に乗せる方法、踵から拳までの捻りの連動、筋肉の形そのものまで一撃に特化していた。
その上からさらに強化魔法を歪な形で施していた。
本来は皮膚、骨、筋力、血管などまんべんなく強化するものを筋力や骨の強化に重きを置き、それ以外は致命傷を負わないぎりぎりの強化にとどめ、魔法的にも全力の一撃を実現した。
強化魔法は掛け算である。元々の肉体か魔力、どちらかを増やせば威力は増す。
ならば両方を極限まで研ぎ澄まし、条件を限定してしまえばさらに威力が増すだろうと、蔵人は無謀にもそう考えた。
元々蔵人は一撃に特化しようと考えていたのだから、この『全力の一撃』の発想に行きついたとしてもおかしくはない。
結果として蔵人は肉体、魔法、技術の全てを合わせた『全力の一撃』を手に入れたが、『全力の一撃』のあとは傷を治さない限り、激痛と肉体的損傷のせいで標準以下の一撃しか打てなくなるという欠点もあった。
あくまでも凡人が、歪な技術を修練する時間と肉体そのものを犠牲にした捨て身の一撃でしかなかった。
蔵人が全力を出せるのは拳による一撃のみで、移動速度が速くなったわけではない。そのため、動きの止まっているものや遅いものにしか当てられないが、その条件はヨビが引きつけてクリアしていた。
――ギヂギチギヂギヂ、ヂィイイイイイイイイイイイイイイッ
万色岩蟹は泡を吹いて、鎖を離す。
だが、致命傷に至っていないのか、蔵人のほうを振り向こうとする。
万色岩蟹の動きを察した蔵人は拳を引き抜き、ヨビに目配せをしてから、後方に飛びのいた。
引き抜いた部分の甲殻からは紫色の体液が流れているが、万色岩蟹は動きを止めず、蔵人に迫ろうとしていた。
蔵人は退きながら咄嗟に土精魔法で砂を使い、万色岩蟹を拘束して足止めしようとする。
蔵人の目配せに、ヨビは強引に星球を引き抜いて飛びたつ。
その、一瞬だった。
ヨビが飛び立ってホバリングをした時には既に万色岩蟹は脚に纏わりついた砂の拘束を一瞬で引きちぎって蔵人に迫り、大爪を振り下ろそうとしていた。
万色岩蟹には精霊魔法が効かないというのはこういうことだった。正確にいえば、精霊魔法を無効化してしまうのだった。
ヨビは回転をはじめる。
蔵人の実力はまったく知らないが、信じるしかない。
蔵人はさらに氷の盾を形成し地面に突き刺して衝撃に備える。
回避の訓練をあまり行っていないことが、蔵人に受けるという行動をとらせた。なまじ氷の盾に巨人の手袋、障壁を二枚展開しているため、防御に自信があったともいえた。
だが、振り下ろされる銀色の巨大な爪は、それなりの厚みがある氷の盾を脆いガラスのように破壊し、一枚目の物理障壁を傷つけてからようやく止まる。
蔵人が選択ミスを嘆く暇もなく、二撃目の小爪が目に見えないほどの速度で打ち込まれ、一枚目の物理障壁を完全に砕いて、二枚目の物理障壁に到達する。
大爪は強く、重い。小爪は射程こそないが、早く、強力だった。
蔵人はさらに退く。
小爪で連打されては障壁などひとたまりもない。
だが、蔵人は万色岩蟹の脚を、咄嗟のことで忘れていた。
短い間に二度も同じミスを犯す。ここに雪白でもいれば、尻尾でひっぱたかれることは間違いなかった。
蔵人との距離を、一気に詰める万色岩蟹。
本来は長柄の武器をつっかえ棒にしてやれば簡単に距離をとれるのだが、蔵人は持って来ていない。これもイライダ辺りがいれば、情報不足、準備不足だと怒られるに違いない。
明らかな準備不足を感じながら、蔵人は咄嗟に氷戦士の丸盾で直接受ける。
そこに大爪が振り下ろされた。
ズシンと、大爪を受けた蔵人の腕を軋ませる。
命精の物理障壁はその一撃で貫通しかかり、蔵人の全身には崖から降ってきた落石を受け止めたような衝撃が伝わった。
全身が軋む。
先刻の一撃を放った拳が回復していないところにこの一撃である。
蔵人は激痛を耐えながら、次の小爪の一撃に備え、全力で命精の物理障壁を展開していたが、防ぎきるほどの厚みではない。
来る。
二度目だ、見えはしないがタイミングだけはわかった。
だだ、避けられそうにはない。
いつも精霊魔法で相手を阻害し、妨害し、動きが鈍ったところを攻撃していたツケがこんなところで来た。
蔵人がここまでかと思った、その瞬間。
くすんだ銀色の万色岩蟹に衝撃が襲う。
蔵人に向けて放たれた小爪は、蔵人の顔面にわずかな衝撃を与えただけで、力なく垂れ下がった。
わずかな障壁とはいえ、必死に展開していた二枚目の物理障壁がなければ重傷を負っていたかもしれない。
蔵人は砂浜を転がるようにして倒れてくる万色岩蟹を避けた。
「――爪を外せっ」
万色岩蟹に一撃を食らわせ、蔵人に駆け寄ろうとしたヨビを止める。
ヨビは慌てて、爪の取り外しに向かった。
蔵人は砂浜でごろりと仰向けになり、蒼空を見上げながら、全身の治療を開始する。
『八つ星』の依頼だと油断した。情報収集を怠った。準備不足だった。精霊魔法に頼り過ぎていた。ケチらないで魔銃も試すべきだった。ヨビが上手くいって、相性も考えずに自分も問題ないと勘違いした。雪白のいない、今の自分の実力を計り間違っていた。
反省することは山ほどあった。
だが、生きている。
ならば、次がある。
次があるなら、修正すればいいだけだ。
「……大丈夫ですか」
ヨビが大の字で寝転ぶ蔵人をのぞきこむ。
「……行くか」
蔵人はのそりと起き上がり、置いてあった大爪を一つ抱え上げる。
「それは――」
「――どうやって持つ気だ。奴隷だって腕は二本しかないだろ。小爪ともう一つの大爪は頼んだ」
そういって蔵人はさっさと歩きだし、ヨビも爪をもってついていった。
協会の職員は不審そうな目で蔵人を見ていた。
「ちゃんと十個あるだろ」
受付カウンターに置いた十個の小爪を前に、悪びれもなく蔵人がいった。
「確かにあります。……わかりました。これから監査員を同行して討伐してもらいます」
蔵人は面倒くさそうな顔をするが、職員がこういうのでは仕方ない。
「わかった。ちょっと鍛冶屋に寄ってくるから、それからでいいか?」
「……一時間くらいは待ってもらうつもりでしたから大丈夫です。戻ってきたら、受付にご連絡ください」
蔵人は頷きながら、自分のタグを取り出す。
「ああ、ついでにロドで五千とパミットで二万おろしてくれ」
タグを受け取った職員はしばらくお待ちくださいといって作業に入った。
数分で戻ってきて蔵人に金を渡す職員。
「五千ロドと二万パミットです」
金を受け取ると、蔵人はゴルバルドの鍛冶屋に向かった。
「……おめえ、本当に見つけてくるたぁな。いや、それほど難しいこっちゃねえが、お前さんまだ『八つ星』だろ、そんなホイホイ狩れるとは思ってなかったぜ」
透明とくすんだ銀色の爪が大小二つずつ、ゴルバルドの前に置かれていた。
「……実はあと十匹ほど討伐して、ヨビのランクアップに使った」
「おめえ……手伝ったのか?」
鋭い視線で見上げてくる、ゴルバルド。
「まさか。この二匹だけは二体まとめてだったから、俺も手を出したがな。他はヨビだ。協会の職員も疑って、これから監査員とまた討伐にいってくる」
「……てことはおめえが言ってたやつは、出来たんだな?」
「ああ、空を飛べる奴はそれだけで有利だな。鳥人種の連中が駆除すれば、万色岩蟹に限っていえば、魔獣の暴走は起こらないんじゃないか?」
ゴルバルドは首を横に振る。
「いや、あの連中はこんなシロモノを脚に縛りつけて空を飛ぶなんて真似は絶対にしねえな。それより、例のものをいい加減に見せやがれ」
そういってドワーフが蔵人をジロリと睨む。
わかったよといって蔵人がゴルバルドとまた話し込もうとした時だ。
ズバンという衝撃が蔵人の尻を襲った。
「鎧も着せずになにをやらせてんだいっ」
振り返った蔵人が見たのは、目を怒らせたエーリルおばさんだった。
蔵人はケツを抱えて、転がり回りたい衝動をなんとか堪える。
「……わ、忘れてた」
つい言ってしまったそのひと言におばさんはさらに目を細める。
「ま、待ってくれ。必要だと思わなかったんだ」
「どうだかね。ちゃんとつけてやりなよっ。まあ、確かにこの娘の鎧はなかなか見つけられないだろうけどさ。うちも特注ならつくるけど、それだと値段があれだしね。それじゃあ、困るだろ」
「ああ、監査員のところに行く前に買っていく」
「――ほれ、早く出さんか」
ゴルバルドの叱声に蔵人は苦笑する。
そしてククリ刀を背中から抜いた。
「珍しいものを使ってるな。三剣角鹿の角か……おお、それか」
蔵人がククリ刀の持ち手に巻いていたものをくるくると外すのを見て、ゴルバルドは嬉しそうにする。
ほとんど見えない糸のようなもの、大棘地蜘蛛の糸だった。
雪白が怪物の襲撃の時に大棘地蜘蛛をけしかけるために引っ張ってきた糸を回収したものだ。滑り止め代わりにククリ刀とブーメランに巻いていたため、流されずに無事だった。
「これを、なるほどな……」
そういって蔵人とゴルバルドは話し込む。
それを後ろで眺めていたおばさんとヨビは顔を見合わせ、仕方ないねというような顔をし合った。
三十分ほど話し込んだところで、蔵人は防具屋と監査員のことを思い出し、おばさんに残りの五千ロドを渡してから鍛冶屋を後にした。
防具屋へいくと、やはり鳥人種用の防具は売れないという店主。
そんなことは承知している蔵人は店内を見回し、一揃いの革鎧を見つける。
「よし、じゃあ、これと、これとこれを売ってくれ」
「……わかりました」
店主は少し困り顔で、だが人種相手に面倒を起こせば何があるかわからないと、ひきつった顔で蔵人の求めに応じた。
値段は一万パミット。
蔵人が買ったのは一揃いの革鎧、ではなく革鎧のパーツをヨビに合うようにバラで買ったのだ。店主が若干涙目だったのもこのせいだ。
そもそも鳥人種用の防具を売ればそれで済む話だったのだから、自業自得だ。
ヨビは店での着替えを拒否され、蔵人は一度宿に戻ってからヨビに着替えてもらう。
しばらくして現れたヨビは、革の胸甲板と手甲、股関節部分を保護する草摺、それにぴったりとした革のズボンとガーターベルトのついた鉄靴を履いて、腰には星球メイスがぶら下がっていた。
だがやはり胸甲板の脇から白い胸の一部がのぞいていた。肌着として布の服を着ているのだが、隠せていなかった。
蔵人とヨビはそのまま協会に向かった。
協会に到着するとすぐに監査員が来て、街の外に向かうことになった。
砂浜を闊歩する万色岩蟹はすぐに見つけられた。
蔵人は手を出さず、ヨビが飛んで、回転して、万色岩蟹を破壊する。
ただ、それだけだ。
監査員はその方法に納得し、賛辞を贈るも顔つきは渋い。
おそらく鳥人種と蝙蝠系獣人の関係を知っているのだろう。
「……事情はどうであれ、最低限の武器防具又は武力の確認と依頼の達成を認めます。昇格おめでとう。それにこれで『八つ星の先導』も完了だ。昇格はまだ先だが、とりあえずおめでとう」
人種の中年の監査員はヨビと蔵人にそう声をかけた。
「それにしても、こんな方法があるとはな。力の強い巨人種や獣人種も鎖付き星球は使うが、どうしても歩く震動なんかを察知されて一撃という訳にはいかないんだ。
その点、空なら察知されない上に、一人で討伐できる。本来は二人一組で狩るんだが、ただでさえ安い報酬が二人だとさらに分割されて労力に見合わなくてな、受け手が少ない。報酬は少ないがこれからも討伐してもらえると助かる」
監査員に差別や蔑視の感情など感じられなかった。
「あんたはヨビを差別しないんだな」
蔵人があけすけに尋ねると、監査員は苦笑する。
「そういう輩が職員にもいるが、ハンターは魔獣や怪物を倒せるならそれでいいんだ。それ以外は不利益でしかない。……まあ、そう簡単にいかないのが現実でもあるがな」
協会に戻ってきた時には、日が暮れ始めていた。
協会に戻った蔵人は監査員にヨビと自分のタグを渡して、カフェのカウンターに座って待つことにする。
ヨビは座らず、蔵人の後ろに立っていた。
監査員は受付に何事かを話しながら作業を始め、数分もせずに監査員が蔵人たちのほうに戻ってくる。
「手間をかけてすまないな。昇格と義務達成を記録しておいた。おめでとう。これは十一体討伐の報酬だ。一匹あたり二十パミットで合計二百二十パミットだ……国が報酬を支払う常時依頼だとこんなものだ、我慢してくれ」
蔵人は二百二十パミットとタグを受け取り、ヨビにもタグを渡す。
ヨビはおそるおそる受け取ると、タグをじっと見つめた。
「まだ『九つ星』でしかない。ようやくハンターの入り口にたったようなものだ。君は普通の人以上に難しいだろうがそれにめげず、これからも精進してくれ。じゃあ、私はこれで」
監査員はそういって去っていった。
ヨビはタグを手にしたまま、しばらく動かなかった。
蔵人はヨビを放っておいて、カウンターの猫耳娘にティンとグァイカーオを二つずつ頼む。
猫耳娘はハンター協会の職員なのかヨビを見ても、美人ですねっというくらいであっけらかんとしたものだった。
だが、これは例外だ。
宿と協会、ゴルバルドの鍛冶屋以外では良い顔をされたことがなかった。
蔵人が注文したティンとグァイカーオを猫耳娘から受け取って食べ始めた頃、ようやくヨビは動き出した。
「おっ、ようやく動き出したか。まあ、食え」
ヨビは座ることを拒絶する。理由は、
「奴隷ですから」
である。
蔵人が猫耳娘に聞くと、ハンターなら問題ありませんよと言うが、それでも迷うヨビを蔵人が強引に座らせた。
ヨビは申し訳なさそうにしながら、ティンとグァイカーオを食べ始めた。
蔵人は食べながら、ヨビの前に二百二十パミットを置く。
「お前が稼いだもんだ。少ないがな」
ヨビはスプーンを置いて、二百二十パミットを蔵人に押し返す。
「服や食べ物、武具まで用意してもらったのです。それは受け取れません」
「……だが、生理とか困るだろ。俺はわからないから買えないぞ」
躊躇いながら小声でいう蔵人。
ヨビはかすかに微笑む。
「出血はコントロールできますのでお構いなく。万が一のために柔らかい布を用意しておきますが、そもそも奴隷では買えませんので布でも買っていただければそれで大丈夫です」
蔵人はそうかとだけ言ってグァイカーオを口に放り込んだ。
宿に戻ると、偉そうで、派手な鳥人種が食堂に陣取っていた。
食事時にも関わらず、食堂が使えないようで、おかみさんも困ったような顔でそれをみていた。
「そこのタンマイを奴隷として買ったそうだが、それはうちのものだ。返してもらおう」
蔵人を見るなり、なよっとした体型の壮年の孔雀系鳥人種が、忌々しげにそう言い放った。
6月28日、白い胸に変更。
脳内リミッターに関する記述の追記。といってもそれほどかわりはなく、拳の一撃に限ってのみという部分をわかりやすくしたつもりです。……たぶん。
6月29日。
●万色岩蟹の大きさを明確化。
●「何も言われずに脚の関節を外されたら」を削除。「だれでも怒ると思います」のみにしました。
●脳内リミッターの表現をかなり変更。
感想の指摘をもとに、さらに改良しました<(_ _)>
……また改稿病ががが(泣)