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用務員さんは勇者じゃありませんので  作者: 棚花尋平
第二章 灼熱の国で、奴隷を買う。
51/144

51-アンクワール諸島

 

 蔵人は瞼に突き刺さる太陽の光を感じ、目を覚ます。

 服はすでに乾きつつあり、服に入り込んだ砂が気持ち悪い。

 そんなことをのんびり感じていると、猛烈な喉の渇きを感じた。

 蔵人はのそりと起き上がりながら、水精に頼んで水を出してもらい、顔を上げて、水を流し込む。

 空は青く、雲一つない。

 首に水が流れるのもお構いなしに、蔵人は乾いたスポンジが水が吸うように、ごくごくと喉を鳴らし続けた。


 渇きも癒え、ようやく一息ついて周囲を見渡す。

 砂浜だった。

 誰もいない。

 目の前に海があり、その向こうにはいくつもの島が見えた。

 イライダたちは、別の島に流されたのかもしれない。

 後ろを見ると、背の高い曲がりくねった木々と縦横無尽に伸びる太い蔦、さらには陸と海の際から生える木が組み合わさって、鬱蒼としたジャングルになっていた。

 ギラギラと照りつける太陽も暑いが、肌にジメジメと感じるほど湿度も高く、気温自体も高い。

「……日数的にサウランってこともないだろうな」

 蔵人の独り言に当然答える相手はいない。

 とりあえず、自分の持ち物を点検しだす蔵人。

 身につけていた武器はとりあえず無事だが、トランクはなかった。

 食料リュックはほとんど空のリュックのような形態のため、腕に巻きつけておくことができたが、それが功を奏したらしく無事だった。

「絵は全滅か……魔導書もか」

 また書きなおさなくてはならないと蔵人はため息をつく。

 蔵人は原典(オリジン)の全てを記憶しているわけではない。

 食料リュックに入っている魔法教本にメモを挟んでいるのだ。これは以前に蔵人が偶然みつけた抜け道のようなもので、メモ程度なら、魔法教本に挟んでおいて食料リュックに入れられるのだった。

 つまり、同じ紙である紙幣もだ。

 二人分の船賃の半分である一万ロドは船長に前払いしていたため、蔵人の所持する現金はイライダと分けて残った五千ロドと足して、一万五千ロドだった。

 協会がどこにあるかもわからない以上、重要な資金源となる。

 最もそれは、紙幣が使えればの話ではあるが。

「とはいえ、紙も筆もないんだから、どうにもならないな」

 いい加減ここにいては天日干しになると、蔵人は立ち上がった。

 自分よりも遥かに強いイライダと雪白を心配して探すより、街を探したほうが早いだろう。

 蔵人はそう考えて砂浜を歩き出した。

 とりあえず、ここがどこなのか知りたかった。


 いけどもいけども砂浜と海と熱帯雨林である。

 自らの足と風精を用いた探索の結果は、一日で一周できるような小さな島でないということだけで、人らしい影はなかった。


 

 蔵人は立ち止まって、ククリ刀と魔銃を抜く。

 すでに囲まれていた。

 魔力が無限にない以上、風精で常に警戒することなどできない。


――ウォーーーーン


 海とジャングル、その両方から遠吠えが聞こえた。

 それに合わせて、ジャングル、そして海中から何かが飛び出してくる。

 狼のような魔獣である。

 顔や身体つきは全体的に鋭く流線型、犬でいえばボルゾイに近いがそれよりも野性的、青と緑の混じった体毛とカモノハシのように平べったい尻尾、脚の先は狼のようであるが短い毛におおわれた水かきがあった。


 それが十数匹、蔵人を見事に取り囲んでいた。

 海側にいる狼魔獣に至っては、そのすらりとした四肢で陸と同じように海面を歩き、ジリジリと蔵人を取り囲む輪を狭めている。

 ようやくファンタジーになれてきたかなと思っている蔵人もこれには面食らった。

 

 蔵人を取り囲む小型、中型の狼魔獣の後ろに、体高だけでいえば雪白を上回る大きな狼魔獣が二匹いた。

 家族だろうか。

「見逃す気は……ないか?」

 蔵人は試しに話かけてみるも、反応はない。

 ちっと舌打ちをしてから、蔵人は先手必勝とばかりに盛大に砂を巻きあげて駆けだした。

 進むのは、海側だ。

 よもや人間が海に逃げてくるとは考えていなかったのか、狼魔獣はわずかに反応が遅れる。

 ジャングル側の狼魔獣たちが、巻きあげられた砂をモノともせずに突っ込んでくるが、それに合わせたように銃声が轟く。


――ギャンッ

 

 砂煙に飛び込んだ小型の狼魔獣が二匹、砂煙に仕込んだ砂の杭に貫かれ、蔵人が後ろ手に狙いもつけずに撃った三連式魔銃をもろに浴びた。

 魔銃はアリスがやったように空気で撃ちだすこともできれば、火精の爆発で撃ちだすこともできた。威力は魔力次第でかなり上がるが、最大で三発までしか連射できなかった。一度に撃ってしまえば、それで弾切れだ。装填には時間がかかる。


 蔵人は魔銃を腰にしまいながら、強化を最大にして一気に海を走る。

 蔵人が海面を一歩踏み込むごとに、そこには氷の板があった。

 海に浮かぶ畳み一枚ほどの氷の板は、蔵人が走り去った直後に次々と割れていく。

 それほど丈夫なものは必要ない。

 しかし、そこに飛びかかった狼魔獣はそんなことは知らず、その割れた氷の板の浮かぶ海に落ちていく。

 すると泳げるはずの狼魔獣が、溺れていた。

 割れた氷の板が狼魔獣の四肢にはり付いて、凍らせていた。南国に氷などはなく、初めての体験に狼魔獣は完全に混乱してしまったようだ。

 

 蔵人は半円を描くように、波打ち際に戻ってくる。

 そこにジャングル側から中型の狼魔獣が飛びかかるが、蔵人は盾で力任せにぶん殴る。

――ギャン

 鼻面が衝撃とともに凍り、冷たいのに熱いという凍結現象を身をもって知った狼魔獣は、きゃいんきゃいんと地面を転がりまわる。

 蔵人はその狼魔獣を、力任せにククリ刀で斬り裂く。


 仕留めたのは三匹ほどだろうか。

 蔵人は駆けながら、そんなことを考える。

 だがそれがいけなかった。

 ククリ刀を持ったほうの腕に、後ろから中型の狼魔獣が噛みついた。

 巨人の手袋を貫通するほどではないが、身体の自由が奪われて蔵人の足が鈍る。

 その途端、殺到する狼魔獣。

 今度は右脚が噛みつかれる。

 皮のズボンを貫通して、ふくらはぎに突き刺さる牙の感触は、あまり気持ちのいいものでない。激痛が走った。

 さらに、左腕、左脚と狼魔獣が牙を突きたてた。

 強化のおかげか倒れることこそないが、動きは完全に封じられていた。


 ひときわ大きな狼魔獣が子どもたちによくやったとでもいうように、ゆったりと尻尾を振りながら近づいてきた。

 だが蔵人は、ニヤリと笑ってやる。

 氷を扱う人間に対して、それは悪手だと。


 蔵人は一瞬で、自分ごと狼魔獣を凍らせた。


 波打ち際に、大きな氷の彫像が出来上がる。

 彫像のタイトルは、狩人と狼といったところか。

 中型の狼魔獣が果敢に氷の彫像に飛びかかるが、牙は氷を傷つけるくらいでびくともしない。

 残った狼魔獣も大きな狼魔獣も、どうすればいいかわからず動けなくなった。


 蔵人だけが、氷の中で動き出す。

 四匹を凍らせたまま、噛みついた部分だけを引きはがす。

 まだ生きているようで牙はしっかりと喰い込んでいるが、ナイフで鼻さきを刺してやれば、それも次第に弱まった。

 狼魔獣を剥がし終えた蔵人は、自分だけ氷から脱出する。残った魔獣はいずれ窒息か、凍死するはずだ。

 

 二匹の大きな狼魔獣の目の色がかわったように感じたのは、蔵人の気のせいではなかった。

 残りの狼魔獣を退かせ、二匹が蔵人を挟むように位置どる。

 二匹なら大棘地蜘蛛(アトラバシク)にも匹敵しそうな迫力だった。

 実際はそれほど強くないかもしれないが、蔵人にとっては同じことだ。

「……まいったね」

 蔵人は知らぬうちに、呟いていた。


 その時である。

 二匹の狼魔獣に槍、矢、魔法が飛来した。

 二匹は咄嗟に退くと新たな敵対者をちらりと見て、遠吠えをした。

――ウオォーーーーーーン

 その咆哮を聞いた残った四匹はジャングルの中に消え、それを確認した二匹もすぐに身を翻して森に消えていった。


 狼魔獣を追い払ったのは、海に浮かぶ小舟だった。

 小舟に乗った三人がこちらに向けて、手を振っていた。

 蔵人はそこでようやくほっと力を抜いて、ククリ刀をおさめた。

 

「助かった、ありがとう」

 蔵人は砂浜に小舟で乗り上げ、下りてきた男に礼をいった。

 男は外見上は浅黒い肌の人種のようだった。

「爆発音が聞こえたから来てみただけさ、君は?」

 どうやら銃声を聞いて駆けつけてくれたらしい。

「ハンター、『八つ星(コンバジラ)』だ」

 男は少し驚いたような顔をする。

「なるほど、同業者だったか。このへんでは純粋な人種のハンターは珍しくてね。一応確認のためタグを見せてくれ。ああすまない、私はチャイという。後の二人はパンとクン」

 男は名乗りながら自分のタグを見せた。

 タグには協会の紋章と星が七つ、そして名乗った通りのチャイ・カオサイという名が刻まれていた。

 蔵人も言われた通り、首にかけていたタグをひっぱりだして見せる。

「蔵人だ。呼び捨てで構わない」

「本当に『八つ星(コンバジラ)』だったのか。いや、もっと上かと思ったよ。で、こんなところで何してるんだ?このへんは海狼(ターレマーパ)の縄張りだ。漁師どころかハンターでも討伐以外では近づかないんだが」

「ああ、オスロンからのサウラン行きの船が精霊の悪戯で沈んで、な」

 チャイは気の毒そうな顔をする。

「そうか。連れはいないのか……っとここに長居もしたくないな」

「……さっきの魔獣か?」

 チャイは真剣な顔で頷いた。

「もう襲ってはこないと思うが、念には念をいれておきたい」

「わかった。俺も乗っていいか?できれば近くの協会まで連れていってもらいたい」

「ああ、問題ないよ、そのつもりさ。ところで、君の倒した海狼(ターレマーパ)はどうする?」

 浅黒い肌をして甲羅を背負った二人の亀系獣人が死んだ海狼(ターレマーパ)を集めてくれていた。

「もしそれなりにでも価値があるなら、もらってくれ」

 蔵人は敬語を辞めていた。それでばれる可能性もあると考えたのだ。

 雪山にいればそんな心配もなかったが、人と関わる以上、日本人らしいことはできるだけしないほうがいい。

 蔵人の言葉をきいたチャイが驚いたような顔をする。

海狼(ターレマーパ)の群れは|七つ星≪ルビニチア≫以上が集まって狩るような相手だ、一年目と二年目の子どもしかないが、それでもそれなりの価値はある。いいのかい?」

 蔵人は頷いた。これから面倒をかけるのだ、これくらいは問題なかった。

 それを見た残りの二人が嬉しそうに剥ぎ取りを始める。

 死体は七体ほどあったが、さすがは地元のハンター、瞬く間に一体、また一体と剥ぎ取られていく。

 それを見て、チャイは苦笑する。

「すまないね。彼らは私が面倒を見ている『八つ星(コンバジラ)』なんだ。今日の獲物が空振りでね、それほど生活も楽じゃないから、助かるよ」

「いや、助けられたのは俺だ。何か礼でもできればいいのだが」

「いやいや、本当に海狼(ターレマーパ)で十分だ。それにハンターがハンターを助けるのは当り前さ。明日は我が身ってね」

 彼らは基本的に人が良いのかもしれない。三人とも本当にそれで十分らしく、不満そうには見えなかった。

「それにしても君も『八つ星(コンバジラ)』だろ。家族クラスの群れだったとはいえ、ひとりで七体も返り討ちにするとは、すごいじゃないか」

「このへんの魔獣は氷に慣れていないからな、それで助かったようなものさ」

「氷?このへんの日中は氷精なんていないぞ?」

 チャイが不思議そうな顔をする。

「ああ、怪物(モンスター)の盾があるからな」

 蔵人は腕を上げて盾を見せる。

 チャイが納得だと頷いた。


「じゃあ、行こうか」

 テキパキと剥ぎ取りを終えた二人はすでに剥ぎ取った毛皮を積んだ小舟の前で待っていた。

 小舟は木製で、それも木をくりぬいて、作ったもののようだった。

 不安そうな蔵人の顔を見たチャイが笑って言った。

「大丈夫だよ。万が一落ちても、全員泳ぎが得意な種だ、助けられる」

「泳げないわけじゃないんだが、舟はなれなくてな」

 蔵人はそう言いながら、小舟に乗りこむ。

 ぐらっと不安定さを感じた。

 感じた不安をぐっと押し殺し、蔵人は小舟に腰を下ろした。

「全員が泳ぎが得意な種というのはどういうことだ?獣人には見えないが」

「ああ、私は亀系獣人と人種のハーフなんだよ。甲羅はないが、ほら」

 そういって手の平を見せるチャイ。

 指の間にしっかりと水かきがあった。

 亀に何故、水かきがあるのかはわからないが、そういうものなのだろうと蔵人は疑問をのみ込んだ。

「さあ、いくよ」

 そういって、二人の亀系獣人が舟を沖に向かって押しだした。


 海面を滑るように走る小舟。

 走りだしてしまえば、蔵人が心配していた不安など感じさせないほど安定していた。

「ここはどこなんだ?」

「ここはアンクワール諸島連合の一つでラッタナ王国だ。これから行くのはヤーラカンチャナ。王都の次に大きな街さ」

 ずいぶんと南に流れたものだと、蔵人は地図を思い出していた。

 記憶違いでなければ、エルロドリアナ、アルバウムのある大陸の南端のはずだった。この大陸は斧のような形をしていて、南に長くなっており、その南端ともなればアルバウムから随分離れられたことになる。

 チャイが遠慮がちに聞いてくる。

「……連れはいなかったのかい?」

「たぶん、どこかに流れついてる。氷の舟で流されてきたんだが、魔力が切れるギリギリで陸が見えたからな」

「そうか。きっと協会に伝言があるさ」



 一時間ほど舟に揺られて、蔵人の船酔いが再発しそうになる頃、ヤーラカンチャナに到着した。

 ヤーラカンチャナは舟での移動が発達しているらしく、街の中、それも協会まで舟で乗り付けることができた。

 雑然としながらも活気にあふれる街の様子も気になったが、蔵人はチャイに礼をいうと急いで協会に向かった。

 ヤーラカンチャナの協会はどちらかといえばオスロンよりサレハドに近いが、木造の高床式建物で、雑然としてはいるが開放的だった。

 蔵人はタグを取り出しながら、受付の職員に聞く。

「クランドという。ここにイライダ・バーギンからの伝言はないか?」

 突然現れた人種に驚きながらも、職員はその犬耳をピコピコさせながらお待ちくださいと言って、どこかに確認に向かった。

「――仲間が心配なのはわかるが、そう焦るな。海で陸が見えたなら、必ずどこかの島にいるはずだ」

 後ろから追いかけてきたチャイがそう言った。

 見ると、パンとクンは海狼(ターレマーパ)から剥ぎ取ったものを持って、買取受付のほうに並んでいた。

「……すまんな」

「――クランドさん、ありましたよ」

 職員の声に蔵人は振り返る。

「ちょうど連絡があったばかりだそうで、イライダ・バーギンさんは無事とのこと。あと、雪白という猟獣も一緒で無事。協会でこの連絡を受けたら、場所を伝言してくれ、こちらから向かう、とのことです」

 蔵人は大きく安堵した。

「よかったな」

 チャイの言葉に蔵人は頷いた。

「イライダはどこにいるんだ?」

「これは、クメジア共和国の首都からですね」

「そうか、なら――」

「いや、ちょっと待ってくれ。クメジアの首都から来るなら、王都の協会で待ち合わせるといい。これも何かの縁だ、私が送ろう」

 横からチャイがそう言った。

 蔵人は訝しげにチャイを見る。

「ああ、私の家は王都にあるんだ。そろそろ帰らないと嫁さんが、な。そのついでだ」

「……そういうことか。ならお願いする」

 よもや同じハンターを、ハンター職員の目の前で騙すこともあるまいと蔵人は判断した。

「ということで、王都で待ち合わせと連絡しておいてくれ。いくらかかる?」

 職員は首を振る。

「緊急時ですから、規定通り無料で問題ありません」

「そうか。ありがとう。ところで今日は何日だ?」

「今日は朱月の二十六日ですね」

 蔵人はどうもと言いながら物事が何の抵抗もなく進んでいくことに、妙な気味の悪さを感じる。

 サレハドの経験はいつのまにか蔵人をかなり蝕んでいたらしい、そう思うと蔵人は苦笑してしまう。

「王都はここから近い、今日の内にいってしま……ん、なんだいきなり笑って」

「いや、なに。この前までサレハドっていう辺境にいてな」

 そういって蔵人はサレハドのことを話しながら、チャイの舟に向かった。


「それはひどいな。まあ、アンクワールでもそういうところがないとはいえないから、なんともいえないけどな」

 舟の櫓をこぎながら、チャイは苦笑した。

 パンとクンは地元の人間で、協会で別れたようだ。

「そうか?協会にしてもおかしなところはなかったようだが」

「ヤーラカンチャナと王都は、な。それ以外はどこもあまりかわらんよ。ああ、最前線は別だ。あそこは来るものは拒まずだからな」

「行きたいとは思わないな」

「最前線は五つ星(べガーラ)以上じゃないとまず、生きて帰ってはこれないそうだ」

「……誰が行くんだ、そんなところ」

「たいていは金、名誉、ランク、土地が目当てだな。あとはあぶれ者とかな」

「他はわかるが、土地?」

「ああ、切り開いた土地をいくらかもらえるんだ。功績が必要だけどな」

 蔵人はへぇと感心するが、

「ただ最近は勇者が開拓に参加したらしくてな。みるみる内に開拓されているそうだ」

 蔵人はそれを聞くと忘れていた船酔いが再発したような気がした。

「……うぇぷ」

「おいおい、舟の中はやめてくれよ。海に流してくれ」

 チャイは海でゲロゲロやっている蔵人を見て、単独で海狼(ターレマーパ)を退けた男には見えないなと、苦笑した。

 

 

 三時間ほどで、何事もなく、王都ラチャサムットの協会本部の裏手にたどり着く。

 蔵人の船酔いは緊張していたせいか、それほど酷くはならなかった。

「クメジアの首都からだと、三日、四日かかる。それまでどこか宿でも取らないといけないが、金はあるかい?」

 遠慮のないチャイの言葉に蔵人は頷く。

「ロドしかないが」

「協会で両替してもいいが、大きなものを買う予定があるならそのままのほうがいい場合もある。まあ、ケースバイケースで考えるといい」

「……オスロンより物価が低いのか?」

「ああ、エルロドリアナと比べると物価は十分の一くらいだな。あと、スリや置引きにも気をつけたほうがいい。それと門番には出入りのたびに小額でいいから握らせるんだ。多少のことは目をつぶってくれる」

 チャイはそういって協会まで蔵人を送り届けると、最後まで蔵人に忠告してくれた。

「それとこの国には奴隷がいる。ちょっと特殊な制度になっているから協会で確認するといい。北のほうの人には慣れない制度だろうからな」

「色々とすまないな」

「何、気にするな。ハンターは相身互いだ。この国にいる内なら、何かあれば言ってくれ。ああ、そうだ。協会から少し距離はあるが、幸福な夜明け(スコータイ)という宿に泊まるといい。なに、うちの親戚がやってるんだ、チャイに教えてもらったといえばわかる」

 そういってチャイは手を振ると、舟で去っていった。

 蔵人は何事もなく協会に到着したことに、どこか疑いがあったといってもいい。

 ここは本当に協会なのかと入り口の看板を確認したほどだ。

 だがここは間違いなく、ラッタナ王国ハンター協会本部だった。


 協会に入り、職員に事情を話す。

「わかりました。どちらに宿をとるご予定ですか?」

「チャイに幸福な夜明け(スコータイ)という宿を紹介されたんだがどこにあるかわかるか?」

「そちらなら問題ありません。イライダさんが到着しだい宿にご連絡差し上げます。場所は協会の前の一本道を歩いていけば看板が見えてくると思います。昼間はいいですが、夜は誘い道になりますのでご注意を」

「誘い道?」

「ああ、外国の方でしたね。誘い道っていうのは夜に娼婦や奴隷が声をかける道ということです」

「なるほどな。あと奴隷……いや、奴隷も含めてこの国の法律的なものがわかる本はないか?ついでにこの国の魔獣関連の本も」

「協会の二階資料室にありますが、持ち出し禁止になっておりますのでご注意ください」

「ありがとう」

 蔵人はそういって二階に行こうとしたが、メモも何もないことに気づく。

 そう焦ることもないかと蔵人はここでようやく一息ついた。

 そうするとイライダたちのことを考えて、まるで見えてなかった景色が見えてくる。

 ヤーラカンチャナの協会と同じで、この本部も高床式の木造建築だった。

 窓が大きく、開放感があり、建物の中に風が吹きこんでくる。

 建物の外にぐるりとせり出したバルコニーはカフェになっており、そこにはハンターたちが座っていた。

 蔵人も、建物内にある、カフェのカウンターに座る。

 陽気そうな茶トラの猫系獣人の女の子が朗らかな笑みを向ける。

「いらっしゃいませ。なににします?」

「ああ、あっ。……ここの支払いは――」

「タグで構いませんよ。協会内ですからね」

「そうか」

 蔵人はふと腹が減っていることに気づく。そういえばしばらく何も食べていない。

 といってもメニューもなにもないのだから、何を頼めばいいのかもわからない。

「腹にたまるものと、アルコールのない飲み物を」

「何か体質的に食べられないものはありますか?」

 ないなと蔵人がいうと猫系獣人の女の子はニコッと笑って、奥の厨房に声をかけ、自分も作業を始めた。

 すぐに飲み物が出てくる。

 飲んでみると、甘いウーロン茶だった。

 蔵人はぬるいなと盾の氷精でジョッキのような木のコップごとお茶を冷やす。

 なんせ、この国は暑い。今も汗が流れてくる。

 キンキンに冷えたそれを、蔵人を喉に流し込む。

 ふと視線を感じて顔を上げると、猫系獣人の女の子が興味津々といった様子で蔵人のコップを見ていた。

「……飲むなら、冷やすか?」

 えっという顔をしながらもおずおずと蔵人と同じコップを差し出す猫系獣人の女の子。背後で尻尾がゆらゆらと揺れているのが見て取れる。

 雪白と同じだなと蔵人は思いながら、差し出されたコップの中身を冷やした。

 遠慮がちに、それを口に含む猫系獣人の女の子。

 予想外の冷たさに、尻尾がピーンとなっている。

「冷たいとこんなに美味しいんですね。ありがとうございますっ」

 またニコっと笑って、蔵人は礼を言われた。

 どうもこの国の人間は基本的に素直で、お人好しのようだ。

 チャイとこの女の子限定かもしれないが。


 注文した品を待つ間、蔵人はカウンターに背を向けて、周囲を見渡す。

 注意して見ていると、協会にいるのはほとんどが獣人種であり、まれに人種がいるが、彼らはお互いにあまり干渉しないようにしているのが見て取れた。

 蔵人自身、この国に来てから差別らしい差別を受けたという意識はない。

 蔵人はくるりとカウンターに顔を向ける。

「この国の獣人種と人種はなにかあるのか?ああ、言いづらかったらいいんだ」

 猫系獣人の女の子はちょっと困ったような顔をして、茶色の猫耳をペタリとさせ、小声で話し出す。

「……えーとですね、二百年前に世界大戦があったのはご存じだと思うんですけど、世界大戦末期までアンクワール諸島はアルバウムに代表される大陸北部の国々に支配されていました。ですから、この国に定住している人種の方とはあまり仲がよくありません。それでもこの国はまだいいほうですね、唯一支配を受けなかった国ですから」

 そういうことか、と納得する蔵人。

「あっ、おまちどうさまです」

 そういって猫系獣人の女の子が差し出したのは、コメ料理である。

 蔵人はそれを受け取り、スプーンを持つ。

 不意の遭遇である。

 だが、蔵人は自然と手を合わせそうになるのを堪えた。

 そうやって食べている人間を見たことがないからだ。

 料理は山盛りのチャーハンのようなコメ料理に、焼いた鳥の足がでんと鎮座している。

 蔵人は無言で料理に取り掛かる。

 米は大粒でパラパラしているが、スパイシーであっさりしていた。鳥肉はスパイシーでこってりしている。どちらも辛いが、口が辛くなったときに甘いウーロン茶を飲むとちょうど良くなるのだから、絶妙である。

 

 満腹である。

 蔵人は久しぶりの米に心身ともに、充足していた。

「うまかった」

 そういってタグを渡す蔵人。

「ありがとうございました。ティンが一パミット、グァイカーオが五パミットになります」

 猫系獣人の女の子は受け取ったタグをさっと何かにかざし、すぐに蔵人に返した。

 あのコメ料理はグァイカーオ、蔵人はそれをしっかりと記憶した。


 蔵人は再び協会の受付にいって、両替を頼む。

「宿で数日、普通に暮らす程度だとどれくらい必要だ?」

「そうですね。宿のグレードによります」

幸福な夜明け(スコータイ)という宿を予定している」

「それでしたら一泊で二十パミットから五十パミットですので。大目に換算しても一日二百パミットで問題ないと思います」

「タグから両替できるか」

「できますよ」

 リュックから現金を出すのも面倒だと蔵人はタグを渡す。

「ロドですね。一ロドで十パミットです」

「……とりあえず二千パミット両替してくれ」

「二百ロド両替ですね。手数料として百パミットいただきますので、口座からは二百十ロドが引かれます」

「それでいい」

 そういうと職員は作業に取り掛かかるが、蔵人をそれほど待たせることはなかった。

「……こちらですね」

 大小さまざまな紙幣を差し出す職員。

「小額紙幣を使う機会のほうが多いと思いますので、崩しておきました」

 蔵人は礼をいって紙幣を懐にしまうと、協会を出る。

 まだ日は高い。まずは宿にいって、筆と紙、そして鍛冶屋に行き、それから協会で調べ物をすると決めていた。



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