43-ザウル
アカリたちは大事をとって、山の中の野営地に一泊した。
強行すれば深夜には村に到着できたが、そこまで急ぐ必要はなかった。
そして早朝。
鳥の鳴き声もしない森を抜けた。
森を抜け、荒野にでると、サレハドがようやく見えてくる。
「――来るぞっ!」
マクシームが飛んできた矢を払い、飛んできた火球を右拳で撃墜する。その手には巨人の手袋がはめられていた。
マクシームの声に『月の女神の付き人』の女たちは即座に反応した。
アカリを守るように背中合わせに取り囲む。
≪風巻く壁≫
≪≪風巻く壁≫≫
ディアンティアの声に一斉行使が一瞬で形成される。
いくつかの矢や土弾は風壁の発動前に通ったが、それ以外は次々と反れていく。
通った矢や魔法も、マクシームやディアンティアが斬り払い、迎撃する。
四方から、馬の蹄の音が響く。
「ちぃ、馬賊までいるのかよ」
マクシームは背負っていた大盾と長柄のハンマーアックスを取り出す。
「オレが前にでる。近寄るなよっ」
ディアンティアはマクシームに頷いてみせ、もう一つ唱える。
≪土杭の轍≫
≪≪土杭の轍≫≫
女たちの一斉行使はマクシームを避けて、膝下ほどの長さに固められた土の杭を円陣と風壁をさらに取り囲むように、地面から突き出る。
馬を用いた突撃への対策だった。
そしてマクシームが風壁をものともせずに、とび出していく。
マクシームが持った武器は、巨大なハンマーアックスであった。ギロチンのような分厚く大きな刃と鉄の塊が背中合わせにされているだけのものだ。
酷くアンバランスで、強靭な筋力を誇る巨人種以外は持つことはできたとしても、バランスの悪さから振るってもまともに扱えない。
マクシームは円陣を組んだアカリたちを後方に置くように突出する。
戦闘馬に跨った黒づくめの者たちが二人、飛びだしたマクシームに向かうが、ほかはその背後を狙っている。
「狙いはアカリか。まったくわかりやすいことをしてくれるなっ」
マクシームは片腕で異形のポールウエポンを横に薙ぎ払う。
鈍い轟音。
マクシームに向かって駆けてきた馬賊が、一瞬で馬ごと横になぎ倒された。
「オレがマクシーム・ダールと知ってのことだろうなっ!」
マクシームの野太い大音声が荒野に轟いた。
黒づくめの男たちは無言で、次々にマクシームの横を抜ける。
だが、マクシームがそれを許すはずもなく、ハンマーアックスを小枝のように振り回す。
一振りするごとに、馬から落とされる襲撃者。
マクシームはそのままハンマーアックスを振るいながら、アカリ達を中心に円を描くように襲撃者を掃討していく。
土杭で下馬を余儀なくされた黒づくめの襲撃者たちが、冗談のように吹き飛んでいく。
夏の熱気とマクシームの発する熱気で、マクシームの周辺はゆらゆらと揺らいでみえるほどだった。
マクシームの反対側でも、ディアンティアたちが奮戦していた。
風壁、土杭に守られてはいるが、それを突破してくるものもいる。
それを各自が弓や投擲武器で仕留めていく。
びんっとディアンティアの弓の弦がまた、解き放たれる。
風壁を突破しかけていた襲撃者が顔を射抜かれ、昏倒する。
時折その矢すらもかいくぐって肉迫するものもいるが、すべてマーニャの炎や他の女たちの斧や槍に阻まれた。
目の前で倒れていく、襲撃者たち。
アカリは歯を食いしばって、それを見つめる。
自分の命を狙って、人が死ぬ。
自業自得とはいえ、現代日本にいたアカリには堪える光景だった。
連合王国専属狩猟者『白槍』を襲う盗賊はいない。アカリにとって、人間に直接襲われるのは初めてだった。
それでも、アカリは生きるために、死ぬわけにはいかなかった。
アカリは蔵人と分け合った、氷戦士の棍棒を強く握った。
円陣の一瞬の隙を突き、アカリに一人の襲撃者が突進する。
「っ、アカリさん!」
アカリは棍棒を両手で握り、頭上高く構えていた。
棍棒を手に入れた時、アカリは蔵人に棍棒の扱い方を聞いた。すると。
――知らん。
そう言われて、がっくりきた。しかし、その後、
――ただ、まあ、一つだけ。自分に敵が向かって来ると想像しながら、『上に構えて、振り下ろす』。それを毎日、千本くらいやればいいんじゃないか。基本をやっておいて損はないだろ。
そう言われて、それを続けた。
一日千本を百日で十万本、振るってきた。
だから、大丈夫だ。
そしてアカリはオーフィアに教えてもらった通りに、氷戦士の棍棒に纏わりついている精霊に魔力を渡す。
氷精との親和力は高くない。高くないが、この棍棒限定ならば、親和力はそれほど関係ないとオーフィアは教えてくれた。
目の前に襲撃者がショートソードを突きだしてくる。
その瞬間、アカリはいつものように棍棒を振り下ろし、氷精に意思を伝えた。
――ゴンっ
ショートソードが届く寸前で、アカリが放ったとは思えないような一撃が、一瞬で襲撃者の意識を刈り取った。
ディアンティアも『月の女神の付き人』の女たちも驚いたようにアカリを見る。
そこには氷を纏った棍棒を地面に叩きつけた状態のアカリ。息は荒い。
アカリは振り下ろしたその瞬間に棍棒を氷によって大きく、重くした。振り下ろす速度と氷の加重が襲撃者の速度を上回ったのだ。
「アカリさんに負けてはいられまセンヨっ!」
ディアンティアの声に、『月の女神の付き人』の女たちの士気は上がる。
マクシームの剛腕と『月の女神の付き人』の円陣防御は、あっという間に襲撃者を撃退した。
「息があるのはこれで全部だな。まあ身元がわかるような奴はいねえから、どっかの雇われ暗殺者ってところだな。まあ二流もいいとこだがな」
マクシームがどさっと襲撃者たちを並べる。
逃走したのが十名ほど、死体を含めて四十名の襲撃者がその場に残り、生き残っているのは五名ほどだ。
ディアンティアは生き残った五名を地べたに並べさせる。目隠しをして、猿轡を噛ませているので、自害のおそれはない。
それゆえ尋問もできないのだが。
五名のちょうど足元には、魔法陣があった。
「デハ、アカリさんに一人ずつ、顔を確認してもらいまショウカ。知っている顔がいるかもしれまセンシ」
そして目隠しが外される。その瞬間だ。
襲撃者が無言で火球を炸裂させようとし、精霊に魔力を渡す。
≪解放せよ≫
同時にディアンティアが小声で唱える。
襲撃者が望んだような火球は発生せず、わけもわからないまま襲撃者は昏倒する。
それが都合、四度繰り返された。
無論、アカリが目隠しを外そうとする、なんてことはしていない。全て、ディアンティアが行った。
「……どうなってるんですか?」
アカリがその光景を見て疑問を口にする。
「これは『魔力解放』という自律魔法デス。正確にいえバ、精霊魔法を組み合わせた自律魔法というべきですガネ。今、彼らの魔力は枯渇寸前ですよ」
アカリはまだハテナマークである。
「戦闘馬が残っていたのが幸いデシタネ」
そういって生き残りの五名を動けないように縛り上げて、馬に積む。
「まずは先を急ぎまショウカ」
そして一行は村に向かって歩き出した。
「『魔力解放』とは対象が精霊に魔力を渡すその瞬間を利用シテ、対象の魔力を精霊が吸い上げてしまうものデス。今みたいな対象の無力化などに使うために女官長が開発しました」
「吸い上げる?命精の抵抗はないんですか?」
「自身の意思がトリガーになってますカラネ。誰でも初心者の頃に経験があると思いますガ、初めて精霊魔法を使うトキ、命令がまったく精霊に伝わらズニ、魔力だけ吸われテ、昏倒することがありマス。あれと同じデス」
「あ、あれですか。一瞬で意識が飛びましたね」
アカリは最初の頃を思い出して、苦笑する。
「精霊魔法を使う者は必ずこれを経験させるように、カリキュラムがそうなってますカラ。もちろん指導者がいるところでという前提――」
一団の動きが止まり、ディアンティアが説明をやめて、前に視線を向ける。
前方に、自分たちと同じような集団が駆けてきた。
今度は揃いの金属鎧を身に付けた、屈強な男たちである。
そこにはザウルも見える。
先頭のマクシームが集団に立ちはだかるようにして、前にたつ。
「私はタンスクの憲兵長、アレクセイ・イヴァール・ブラゴイだ。村の外で不穏な行動をしている集団がいると報告を受けて参った。指名手配中のアカリ・フジシロの姿を見た、ともな」
マクシームには及ばないまでも、一人だけ完全なプレートアーマーを着込んだ偉丈夫が兜を脱ぎながら、マクシームに対峙する。
兜をとると、金髪のゴツイ、ゴリラのような中年であった。
憲兵とは街や村の治安維持を目的とした、警察官のようなものである。
「村に来る途中で、こいつらに襲われただけだ」
マクシームが戦闘馬に乗せられた襲撃者たちを顎で指した。
「そうであったか、御苦労である。してその後ろにいるアカリ・フジシロも捕えたのか?」
アレクセイはニヤリと笑う。
「ああん?アカリは事実の審判を受けるのが決まってんだ。それからにしろ」
「事実の審判だがなんだか知らぬが、指名手配されている。さあ、引き渡してもらおう」
マクシームはアレクセイの視線からアカリを遮るように動く。
顔は仁王のようになっていた。
「渡すわけねえだろうが」
「『白槍』の隊長とあろうものが、犯罪者をかばうというのかね?問題になるぞ?」
マクシームはそれを聞いて鼻で笑う。
「『白槍』の隊長ねえ……そんなもんたった今、辞めたっ!」
アレクセイは眉間にしわを寄せる。
「そんな子ども染みた真似でどうにかなるとでも」
「前から思ってたんだよ、面倒くせえなあって。ちょうどいいぜ、これで心おきなくお前らをぶちのめしても、誰からもぐちぐちいわれる筋合いはねえなっ」
それを聞いたアレクセイが今度はいかにも楽しげな笑みを浮かべる。
「……そうか。手向かうのだな。全員ひっとらえろっ!」
マクシームはちっと舌打ちして、身構える。
銀色の胸甲板を揃って着込んでいる憲兵たちが槍を構えて、マクシームたちを取り囲む。
アレクセイはちゃっかりと入れ替わるようにして、その憲兵たちの背後に回っていた。
「なるほどな、このオレとやりあうつもりか」
いまだ湯気を上げる身体を隆起させ、バトルハンマーを両手で構えるマクシーム。
それだけで、憲兵は威圧されたように、ジリジリと後退する。
「なにをしておるっ!そやつは反逆者だ!」
「――お待ちなさい」
女の声はアレクセイの背後から聞こえた。
全員の視線が、アレクセイの背後の集中した。
オーフィアだ。その後ろには一人の中年男性もいた。
「これはオーフィア殿。しかし今は任務中。ご遠慮くだされ」
言葉だけは丁寧に、されどオーフィアの介入を拒絶しているのは明らかだった。
「アカリさんの身柄は私の預かりとなっています。そちらこそ、ご遠慮願いますか?」
オーフィアの眼光にアレクセイはたじろぐ。
『月の女神の付き人』の女官長と街の憲兵長程度では貫録が違った。
「知らんな、そんなことは。ここはドルガンだ。ドルガンの法に従ってもらう。それに『月の女神の付き人』はいつからそのような無法を行うようになったのだ?そのような権限をいつからもった」
憲兵長をかばうように前に進み出るザウル。
「アカリさんは審判を受ける身です。事の真偽がわかってからでも遅くはないでしょう?」
オーフィアが諭すようにいう。
「事実の審判だがなんだか知らないが、そんな胡散臭いものをどこの国が認める。バカバカしい。こっちは子どものお遊戯に付き合うほどヒマではないっ」
「貴方のいう子どものお遊戯に、プロヴン西方市国はもとより、アルバウム、インステカ、ユーリフランツ、アンクワール諸島連合も同意し、使者を送ってきていますよ」
「――わがエルロドリアナ連合王国も正式に国際審判条約の批准を決めました」
オーフィアの後ろにいた中年男性が初めて言葉を発した。
「誰だ、貴様。いい加減なことをいうと――」
「――これは申し遅れました。エルロドリアナ中央議会より見届け人として参りました中央政府・内務調査官ボリス・エゴール・グリンカと申します」
ザウルは害虫でも見つけてしまったような顔をする。
「ローラナの奴らか。ドルガンの議員は中央議会でその条約の批准に反対していたはず――」
「――はい。しかし、勇者であるアカリ・フジシロに対して事実の審判が決まった後、中央議会は賛成多数で、条約の批准を決めました」
「くそったれめっ。だがドルガン議会にそんな通達は来てない以上、まだ国内で条約は施行されてな――」
「――はい、おっしゃる通り、法は施行されていないので、ドルガン議会にも通達はしていません。ゆえに超法規的処置として、アカリ・フジシロは事実の審判終了まで拘束を許さずと中央議会で決定いたしました。逃亡でも企てれば別ですが、事実の審判はそもそも自己申告制ですので、その心配もございません。念のため、監視員はつけさせてもらいますが」
にこりともせずに淡々とザウルの主張を潰していくボリス。
ザウルの顔は憎々しげに歪んでいた。
「くそっ。ローラナの腰抜けどもがっ!――その襲撃者はこっちで引き取るぞっ。よもやドルガンの治安維持権限にまで首を突っ込んでくる気じゃないだろうなっ!」
「いえ、そのような権限は与えられておりませんので」
その言葉に、憲兵長は憲兵たちに命じる。
馬ごと引っ立てていく憲兵たち。
マクシームはオーフィアを見る。
オーフィアはいかせなさいとでもいうように首を振った。
「ちっ。おい、戦闘馬はおいていけ、それはオレたちのもんだ」
「これは襲撃者の物だろう。こちらが押収す――」
「村や街の外で盗賊等を返り討ちにした場合、その所持品は撃退者に与える。冒険者全盛の時代の名残だが、まだ有効だ。それくらい知っているだろう?わざとやってるのか」
マクシームの言葉にザウルが舌打ちをする。
「……担いでいけ」
ザウルの言葉に憲兵たちは馬から襲撃者を下ろし、二人一組で五人を運んでいく。
「貴様ら、覚えておけよ」
憎しみの籠った捨て台詞を残してザウルは去っていった。
「おせえよ、オーフィア」
「すみません、各国の使者が次々と到着しましてね。その対応に回っていたら、ザウルが憲兵を連れて外に向かったとアリーにいわれて、すっとんできましたよ。彼らは村の掘り周辺で警備に当たっていますから、どうしても先を越されることになってしまいました」
「申し訳ない、マクシームさん。我々が村に到着するのが遅れたためにザウル氏に連絡がつかず、不愉快な思いをさせてしまった」
内務調査官のボリスも頭を下げる。
それより、とオーフィアがずいっとマクシームに身を寄せる。
「さきほど叫んでいるのが聞こえたのですが、本当に『白槍』を辞めるつもりですか?」
マクシームがニヤリと笑う。
「本気だ。オレが誘ったせいでアカリがこんなくだらないことに巻き込まれちまった。その上、ろくに守ってもやれねえ。これから先、どの面さげて隊長なんてよばれりゃいいんだよ。そんな情けねえことするくらいなら、そのへんのハンターとしてやっていく。元々、そのほうが性にあってるしな」
「マクシームさんがっ――」
「――これはオレが決めたことだ。それに宮仕えはめんどくせえしな」
駆け寄ったアカリの頭をぐりぐりと撫でるマクシーム。
「やはり本気でしたか」
「これは、困りましたね」
表情とは裏腹に深刻そうな声の内務調査官。
「考え直すことは――」
「――ねえな。そもそもこんなくだらねえ茶番しやがったのはてめらだろうがっ。ろくに調べる気もなかったくせになにいってやがるっ」
マクシームの怒気にたじろいで反論できない内務調査官。
「おやめなさい。ボリス内務調査官に言ったところでどうしようもないことでしょう」
マクシームはチッと舌打ちしながらも怒気をおさめて引きさがる。
オーフィアはアカリを見る。
「さあ、これで準備は整いましたよ。明日の十五時に、貴女の潔白が証明されるはずです」
「色々とありがとうございます」
アカリは深々と頭を下げた。
「ふふ、いいのですよ。傷ついた女を救うのは『月の女神の付き人』にとっていつものことですから。さあ、疲れたでしょう、ゆっくりと休んで、明日に備えてください」