37-月の女神の付き人③
18時にもう一本アップしますm(__)m
翌朝、朝日も昇りきらぬ頃、オーフィアが約束の魔法を教えにやってきた。
夜遅くまで起きていた眠たげな蔵人は、オーフィアにどうやって魔法を勉強してきたのかをきかれ、捨てられたときに食料とともに持たされた魔法教本で勉強したというと、オーフィアはその魔法教本を見せて欲しいと頼んできた。
蔵人が本を見せると、オーフィアは懐かしいですねと表紙を撫でていた。
「初版にはすぐに改訂が入ってしまって、現存する初版は少ないんですよ」
蔵人は眠気を振り払いながら、疑問を口にする。
「なぜ初版ですぐ改訂が?重版というわけじゃないんだろ?本をつくるのもそれほど楽なことじゃないだろ」
蔵人の口調はあの夜からそのままであった。
オーフィアが珍しく恥ずかしそうな顔をする。
「……一五〇年ほど前に、ある学園の創立にともなってこの本の作成を依頼されたんですけど、当時の私は血気盛んでして、少々やりすぎてしまいました。そのせいで、初版以降の改訂版からは著者を外されまして……お恥ずかしい」
「やりすぎ?」
「自律魔法の基礎構成理論から魔法具の基礎構築理論、精霊魔法のイロハ、命精魔法と身体構造の関係性、魔法使い育成論、当時公開されてない理論や技法もありました。当時はまだ世界大戦の直後でしたから、秘匿魔法を抱える王族や貴族、たとえわずかだとしても精霊魔法の技法の流出を恐れたエルフの抗議ですぐに改訂されてしまいました。作られた本自体も少なく、あまりにつめこみすぎて難解だということで禁書扱いにはならなかったんですが、ほとんど全てが国の倉庫で眠ることに。……周りが見えていなかった、若気の至りです」
「若気って……」
「あら、女性に対して年齢のこというものではありませんよ……といいたいところですが、エルフは五百年を超える寿命をもちますから、それほど年齢を気にしません。ちなみに私は四五〇歳です。はあ、すっかりお婆ちゃんになってしまいました」
そういって魔法教本の表紙をいとおしそうに見ていた。
エリプスでの人間の寿命は最長で一五〇年、エルフは五〇〇年以上、系統にもよるが獣人は八〇年~一六〇年、巨人種は一六〇年以上、地人種は少々特殊で不死ではないが寿命が存在しない。
「二版からはエリプス魔法教書という名前にかわってしまって。……エリプス魔法大全、この名前を見るのも久しぶりですね。しかし、これを見て、勉強したと……出所も気になりますが、これで勉強ですか」
蔵人の知的レベルが貴族や王族クラスであることがそれだけでわかってしまう。この本から魔法を始めるというのはそれだけの理解力を必要とするからだ。
だがオーフィアは蔵人の出自を探るのをもう、やめた。
この青年はここで生きている。それでいいではないか。
「では並列起動や供給維持、自律魔法の基礎構築論まではおおよそ理解していると?」
「そこに書いてあることなら一応は。時間だけはあったからな。魔法具は道具がないから諦めた」
山に捨てられてから一冊の本の理解だけに努めたなら、この本で魔法を習得するのは可能なのかもしれない。
オーフィアはそれでも驚異的なことだと思いながら話を続ける。
「では原典は知らないということでよろしいですか?」
山に籠っていた人間がほとんどが秘匿されている原典を手にする機会はないとの前提でオーフィアは話していた。
それに自律魔法基礎構築論が仮にわかったとしても、原典を作れるわけではない。エリプス魔法大全はあくまで、自律魔法の共通的な組成や要素、特徴、公開されている簡単な自律魔法を網羅しているに過ぎない。
新しい原典を作るのは膨大な試行錯誤と、なによりも、『偶然』が必要だった。
『世界を誤魔化す』のはそんなに容易いことではなかった。
「いや、『魔力の矢』の原典がある」
だから、そう聞いてオーフィアが驚いたのも無理はなかった。
「……それも、この本と一緒に?」
「いや、これはある旧貴族から教えてもらった」
蔵人の持つ原典、それはポタペンコ男爵と取引した自律魔法である。
「魔力の矢ですか、ハンターには使い勝手がいいではないですか。いい貴族に出会ったのですね」
蔵人は苦笑する。いろんな意味で。
「いや、これがそうでもないんだ」
『魔力の矢』は、魔法発動体・詠唱・魔法媒体によって発動し、対象に向かって飛んでいく。
ただし、出しておける矢は一本限りだ。
まったく役に立たないわけではないが、これだけなら協会で販売されているらしい汎用魔法具の『魔力の矢』とかわらないどころか、劣っているかもしれない。
「そ、それはまたある意味珍しいですね」
汎用の魔法具と違う点は確かにある。
造形は人種が使う平均的な矢の範疇に入る大きさならばある程度いじることは可能だった。
特徴としては一度発動してしまえば魔力供給を必要としないかわりに、破壊されれば魔法が維持できなくなる自律魔法の特徴に加えて、魔力供給を途切らせなければ魔力の矢が存在しつづける、ということだろうか。
「まあ、ハンターには確かに微妙だな、矢なんてもっていけばいいだけだ」
魔法媒体をもっていかなければならないこと考えればそれほど手間はかわらない。『魔力の矢』の魔法媒体は箸状の畜魔力性物質で、蔵人は親魔獣が狩った魔獣の骨を研いで使っていた。
「まあ、それはともかく、一度でも原典を用いたことがあるなら、魔法式さえわかれば使うのは問題ないでしょう。では、『幻影』の魔法式はお詫びとして、他に三つ、何にいたしますか?」
蔵人が顎に手を当てて、しかしすぐに三つを提案する。
「……さすがに『自爆』はないです。命精の抵抗が極大まで跳ね上がるので今のところそれは無理です。そんな物騒な魔法より、流行りの派手な奴や玄人好みの――」
「――」
「……陰険なものを選びますね。『障壁』は当然といえば当然でしょうけども、『魔法毒』、そして『魔力解放』ですか。『障壁』以外はどれも相手が魔法陣の上にいなければならないなど条件がありますけどよろしいのですか?」
蔵人は一片の躊躇いも見せずに頷いた。
オーフィアは珍しく大きなため息をついた。一気に老けこんだようである。
「約束ですからお教えしますが、絶対に悪用しないでください。そして誰にも教えないでください。これは貴方が昨日、私に求めた約束と同じだと思ってください」
そういってオーフィアは小指を蔵人に差しだす。
「アカリさんに聞きました。小指と小指を組ませて約束したことを破ったら、相手を一万回殴打して、針を千本飲ませてもいいのだと。そして、約束を破らざるを得なくなった時は、死んで詫びるから許してくれという約束だと」
アカリはいったい何を教えているのかと内心で思いながら、蔵人は指をだす。
自分が求める以上、相手が求めたなら応じるべきだ。
そして白く細い小指とがさついて硬質化した小指が組み合わさる。
≪指切りげんまん嘘ついたら、針千本の~ます、死んだら御免、指切った≫
異国の言語でありながらも、オーフィアは歌うように唱え、指を放す。
オーフィアはニコリと笑い、さあやりましょうか、と蔵人に魔法を教えだした。
大棘地蜘蛛が一時的にでもいないというのはアレルドゥリア山脈を往復する時間を一気に短縮した。
昨日の昼前に出発したマクシームが翌日の夕方には到着したのだから相当なものだろう。
上半身裸で身体から湯気を上げていたが、荷物を置いたらすぐにでも村に戻るという。討伐した大棘地蜘蛛の縄張りに新しい個体が入ってきてないのだという。
マクシームはディアンティアや他の女たちに荷物を渡すと洞窟の前でオーフィアにしごかれていた蔵人に近づいてきた。
「……玩具にされてんな」
「……ほっとけ」
「まあ、玩具なんて人聞きが悪いですよ。予想より随分器用なんでびっくりしていたんですよ。エルフでも無精をしてこの煩わしい訓練をしたがらないのに、人種が独学でここまでできるんですもの、ついどこまでできるか試してしまっただけですよ」
蔵人は自律魔法の伝授を終え、オーフィアと精霊魔法の訓練を行っていた。
頭の上で拳大の水球を回転させ、左肩で氷で剣をつくり、右肩で小さな竜巻を発生させる。さらに右足のつま先のすぐそばで青い炎を踊らせ、その反対では静電気のような雷がパチパチと迸る。夕日の当たる背中では光精が駆けまわり、反対の胸の陰で小さな影がおどり、蔵人の大きな影のある地面がぽこぽこと沸騰でもするように隆起していた。
「どうしても手を意識してしまいますからね。精霊魔法は『意思』さえ伝わればあとは精霊がやってくれるのですから、手を意識する必要はまったくありません。視覚と手を、無意識に頼ってしまうのが人種ですからね、それをとっぱらうのですよ」
そういってオーフィアは楽しげに微笑んだ。
頭がこんがらがりそうなことやってんな、と呟きながらマクシームは背後の荷を下ろす。
「イライダ・バーギンから預かってきた」
そういってマクシームはダークグレーの革鎧を蔵人の邪魔にならないところにおく。
しかし、それを心当たりがないといった様子で見る蔵人。
「おいおい、巻角大蜥蜴の革鎧だぞ?イライダが渡せばわかるっていってたが」
蔵人はなるほどと納得する。
いつかの依頼の後でイライダに頼んだものだった。
「……金を払ってないんだが」
「それはオレが払っておいた。まあ、約束を破った詫びだ。で、これもそのつもりだ」
そういって巻角大蜥蜴の革鎧の隣に、同じような色をした手甲を置いた。
「巨人種の伝統的な手袋だ」
「……手袋?」
「まあ、これが。なかなかお目にかかれないのですよ?」
そういってオーフィアが興味深げに手甲を見つめる。
「特殊な金属と魔獣の皮でできた、まあ簡単にいったら鉄の手袋だな」
オーフィアが呆れた顔をして話をつなぐ。
「いい年をして、そのいい加減なところは直っていないようですね。この手袋は他の人種のいう『巨人の手袋』というもので、魔力を通すと鉄のように固くなり、それでいて指はスムーズに動くという珍しいものです。魔力を扱うのが得意ではない巨人種でも魔力を通せるほど微細な魔力で使用できますよ。それにしてもいつのまにこんなものを用意していたのですか、店に並んでいるようなものではないでしょうに」
「まあ、ちょっと里まで走って」
「走って……相変わらずですね」
マクシームは蔵人の腕を見る。
「その前腕部、人種にしちゃ異常に鍛えこまれてるから、ちょうどいいだろう。いまどき強化じゃなくて、肉体自体をそこまで極端に鍛える人種も少ないからな、普通の奴じゃ使っても、ただ固いだけの手甲だろうよ。お前なら違うんだろ?」
前腕部から蔵人の硬質化した指先に視線を動かすマクシーム。
「じゃあな」
そういって去ったマクシーム。
「気にしているんですよ。あれでも面倒見がよく、義理堅い巨人種ですからね。どうか許してあげてください」
蔵人は精霊魔法を維持したままぽつりとつぶやく。
「俺がこの山で死ななければ、許すさ。死ななきゃ、むしろ感謝しても、し足りないだろうな」
そういって、ぷっつりと意識をなくして、蔵人は倒れこんだ。
蔵人が気絶して、翌朝。
雪白のふさふさした肉球がぺたぺたと蔵人の顔を踏む。
蔵人は起きていたが、二度寝を試みる。
すると次第に肉球の勢いが強くなる。
ペタペタから、ポンポン、そしてベシベシと蔵人の顔を踏み続ける。
「ぐう」
それでもなお寝たふりを強行する蔵人を見て、雪白の顔に青筋がたったかどうかは目をつむっていた蔵人にはあいにく確認できなかったが、その怒り具合は、即座にかつ物理的に理解させられる。
顔面マルカジリ。
蔵人は起き上がることもできず、手足をばたばたとさせる。
それが鬱陶しかったのか、雪白は蔵人をくわえたまま、ずるずると運んで行った。
そして外にペイっと放り投げられる蔵人。
草の香りと土の香り、太陽に熱せられきっていない朝のひんやりとした風を感じて、目を開いた。
朝が、ひどく眩しかった。
雪白に起こされたあと、改めて狩りにいく準備を終えた蔵人が外に出て、しばらく歩くと腕にある小盾をみて、オーフィアが声をかけてきた。
「その小盾、どこで手にいれましたか?聖霊による浄化は済んでいるようですが」
オーフィアの声は厳格な女官長のものだった
怪物自体を忘れていた蔵人は氷戦士の怪物の一件をオーフィアに告げる。
話しを聞いたオーフィアは俯いて考え込む。
その後の山では怪物を見ていないらしいが、その時期の群棲発生は氷系ならもっと山脈の奥だ。
ならば、雪解け時期の偶発発生か。
発生から九〇日以上も経っている、考え過ぎだろうか。
そう考えながらも、支部長の罪を一つ増やす。
協会規則、怪物発生の報告は理由の如何に因らず、すぐに調査に移ること。
それを怠ったためだ。
オーフィアはなにもなかったように顔を上げていつも通り微笑むと、小盾についてなにも知らなそうな蔵人に説明をする。
「その小盾は小盾の延伸上に氷の盾が作れます。そして周囲の氷の精が集まってきて遊んでいますので、盾生成の魔力消費もかなり減らすことができるでしょうね」
「へぇ、ならアカリの棍棒もそうか」
「まあ、棍棒まで残ったのですか。ならアカリさんにも教えておかなければいけませんね」
「って、氷精が見えるのか?」
オーフィアはまさか、と笑う
「なんとなくそこに精霊がいると感じられる程度です。エルフならたいていわかりますよ」
お引き留めして申し訳ありません、彼女が待っていますよ、とオーフィアは視線を斜面に向ける。
オーフィアの視線の先には、はやくはやくと雪白が待ち構えていた。
蔵人と雪白が狩りから帰ってくると、再びマクシームが戻ってきており、オーフィアと何か話しこんでいるようだった。
蔵人は特に用事もないので、そのまま洞窟にもどり、昨日オーフィアにしてもらった訓練を始めた。
再び気絶して、翌日。
オーフィアが村に降りるという。
審判団はまだ到着していないが、準備が整ったという。
ディアンティア、他九名はアカリの護衛として残り、マクシームとオーフィアだけが山を下りていった。
アリーや残りの女たちは降りてから一度も山に戻ってきていなかった。
オーフィアが出発する前に、いつものように微笑んで、言った。
「権力の座に座って勘違いしている愚か者に、きっちりと地獄を見せて差し上げます」
声だけは厳格な女官長だった。