33-勇者①
三〇日、六〇日、九十日と日が経ち、暦が蒼月から黄月へとかわる。
アレルドゥリア山脈の上層付近は一年の中で最も温暖な、繁殖の盛りを迎えた。
当然、中層以下の亜高山帯や森林帯、荒野も山頂以上温かく、暑くなり、サレハド村は最も忙しい時期を迎える。短い夏が、始まった。
蔵人の日常はかわらず、日々、山と村を行き来し、塩漬け依頼をこなしていた。
地元のハンターには、陰で『野良犬』と呼ばれているが、村人との関係はおおむね良好である。
『野良犬』とは腕を掴まれたチンピラハンターが犬に噛まれたと嘲笑し、ザウルや支部長に逆らって噛みつく姿が何度も協会で目撃され、他のハンターの残飯のような塩漬け依頼をこなす流民出身のハンターとして、いつからか他のハンターに言われるようになった仇名である。
地元のハンターにとって自分たちの縄張りであるアレルドゥリア山脈を、自分たち以上に自分の庭の如く行き来する蔵人に対してやっかみもあり、そんな仇名がうまれた。
蔵人はザウルや支部長にだけ特別噛みついているつもりなどはなかった。相手が絡んでくるのだからどうにかするしかなかった。
塩漬け依頼は主にアレルドゥリア山脈中層から上層にかけてのものがほとんどで、住んでいるついでにという意識でしかない。塩漬け依頼しか回されないのだから仕方ないといえた。
蔵人はそんな日々の合間にも自律魔法の研究や魔法の練習は欠かさず、イライダには小剣やナイフ、盾の使い方を教わり、たまにポタペンコ男爵のところへ珍味を持っていった。
枯渇させて増える魔力の量が微々たるものになったのもちょうどその頃である。微々たる量でも増えるのだから続けているが。
そして、ようやく生活に余裕ができたのもこの頃であり、自作の墨モドキで絵を描いたり、楽器を探したり、作ったりと蔵人の生活に潤いというものが混じり始めた。
蔵人が日々を充実させていく中、マクシームは、まだ来ない。
あの夜。
蔵人は発言の真意を探るようにイライダを見る。
「そんな群れからはぐれた仔狼のような顔をするな。たくっ、普段は何考えてるかわかんない顔してるくせに。……なに、先導者がいらないというだけさ」
機嫌良さそうに椅子の背もたれに身体を預ける。
「外に狩りにいったわけじゃないが、一人でやっていける力はありそうだ。精霊魔法に関しちゃアタシよりも器用、というかあれは曲芸だな。まあ、巨人種と比べるのもおかしな話か。まあとりあえず、一人前の男になったというわけさ」
イライダはニッと笑いながら、蒸留酒の瓶を蔵人に向かって掲げた。
二十六の男を捕まえてなにをいうのか、蔵人はジトリとイライダを見る。
「……一人前の男とか、イライダがいうと卑猥だよな」
「ああん?アンタこそチラチラ、チラチラ、人の胸を見てるじゃないか」
「そりゃ見るだろう、そんだけ自慢げに出してるんだ」
「体質だよ、体質。ちょっと動くと熱くって仕方ないったらありゃしない」
「なんだ、趣味かと思った」
「まったく、アタシをなんだとおもってるんだい」
「…………露出狂?」
マクシームを思いだしながら、蔵人は巨人種がみな露出狂なのかと疑っていた。
イライダの頬がヒクリとひきつる。
「……そんな風に思ってたとはねえ」
イライダがどんっと蔵人の前に瓶を置く。
「ウマイ酒なら飲むんだろ?よもやアタシの酒がマズイとはいわないよな?」
「……飲んでもいいが」
そう言い置いて、蔵人は立ち上がった。
「逃げるのかい?」
イライダが挑戦的にいう。
「ちょっと、な」
そういって蔵人は酒場の主人のいるカウンターに行く。
二言、三言話し、何かを受け取った蔵人がもどってくる。
空の瓶、赤みがかった液体、黄色い果汁。
イライダが何かを言う前に、蔵人は空の瓶に蒸留酒を半分ほど注ぎ、赤みがかった液体、黄色い果汁をそれぞれ蒸留酒の半分ずつ注ぐ。最後に瓶の中に鶏卵サイズの氷を発生させた。
そして瓶の蓋を閉めて、適当に細かく振った。さっきの氷精で、外側からもキンキンに冷やすのも忘れない。
振り方など知らないのだから、適当なのは仕方がない。
そうしてできたカクテルをコップに注いで、イライダを見た。
「飲むか?」
イライダは半信半疑でコップに注いだカクテルを受け取った。
そして口に含む。
イライダはおや、という顔をする。
かんきつ類の酸味と香り、甘みはなく、キツイわりに、口当たりがよかった。
何より、冷たいのだ。
「……これがアンタのうまい酒か」
蔵人はそれをうまそうにちびちびとやっている。
「バラライカ、というカクテルだ」
まあ、モドキだけどなと笑った。
イライダは薄赤いカクテルに目を落とす。
カクテル自体はそれぞれの地方にいけばいくつかあるが、どれも常温か温かいものだ。冷たいカクテルというのはみたことがなかった。カクテルをつくるごとに氷精を呼ぶのでは、バーテンダーがいつか倒れてしまうのだ、普及するのは難しいかもしれない。
視線をコップに向けたまま、何を入れたんだとイライダが呟くようにきく。
「蒸留酒に、女神の気まぐれの熟した実の皮を漬けた酒、女神の気まぐれの時期狂いの黄色い実の果汁を混ぜたもんだ」
「ありゃ薬だろう。それに時期狂いか」
「この蒸留酒を他の酒にかえれば、違う酒になるが、これしかないようだしな」
他の客は蒸留酒をストレートで、または水で薄めたりして飲んでいるようだ。
「まあ、悪くない。元の酒よりキツイくせに飲みやすいな」
「ああ、女神の気まぐれの熟した実の皮を漬けた酒が妙にキツイんだ」
「ありゃ本来、薬だからな。風邪とか傷とかに使うんだ」
蔵人がへぇと頷いた。
それから二人は飲んだ。蔵人は自分のペースを守って飲んでいたが、夕方からの長丁場である。
日を跨いで少し頑張ったところで、蔵人は眠いといってテーブルに撃沈した。
それを楽しげに見ながら、あのカクテルを自ら作ろうとしたイライダが、女神の気まぐれの熟した実の皮を漬けた酒の分量を、明らかに酔った勢いで間違え、それをまた飲み続けたことにより、イライダも珍しく撃沈しそうになる。
ちゃんぽん、気づかないで飲んだ高アルコールの大量摂取、いかな巨人種とて酔い潰れる。
寝入りそうなイライダの肩がふっと軽くなる。
寝ぼけ眼で据わった目をした蔵人であった。
「帰る」
それだけいって強引にイライダを立たせ、そのまま店を後にする。金は最初に一括でイライダが払っていた。
ほとんど月明かりのない道を、二人はふらふらしながら宿に帰って行った。
朝、というかもう昼であった。
眩しいくらいの日の光が窓から差し込み、蔵人の目をゆっくりと開かせる。
気だるげに身を起こすと、まず頭痛が蔵人を襲った。そして尿意。
蔵人は痛む頭を押さえながら、上着をひっかけてふらふらとトイレに向かった。尿意、そして嘔吐。
口をゆすいで、部屋に戻った蔵人は見慣れた人物を、見慣れない風景で見つける。
日の光のそそぐベッドの上には女。
褐色の肌を晒した巨人種が、眠っていた。
蔵人は再び頭を押さえる。痛む頭でいくら考えようとも、記憶はない。
女が、いや、イライダが毛布を手繰り寄せて、身を起こした。
「おや、二日酔いかい?」
普段と変わらなぬイライダであった。
そしてうっとりと顔を崩す。
「なに考えてるかわかんない顔して、ヤるときはヤるもんだね」
蔵人は眩暈を覚える。二日酔いのせい、そう思うことにした。
「ああ、なんだ、覚えてないわけだが、それはまあいいとして。……結婚とかしたい人?」
「そう見えるかい?」
「そうか、それは良かった、のか?まあ、じゃあ、適当で」
そういって再びトイレに向かう蔵人。嘔吐。
蔵人が部屋に戻ると、やはりそこにはイライダがいた。夢でも幻でもなかったようだ。
「まったく、女の扱いがなっちゃいないね。……安心しな、何もなかったよ……多分ね」
「あんたもたいがい、男の扱いがなってないような気がするけどな。……多分とか、まあそっちがいいならいいんだが」
イライダは心外だとでもいうように、
「たかだか一回寝たくらいで、恋人がどうだ、結婚がどうだなんていうほどおぼこじゃないさ」
「まあ、確かに、おぼこではないだろうけど」
「ああん?」
「いやまあ、おぼことか面倒だしな」
「そりゃアンタの腕が悪いんだ」
蔵人が微かに顔をしかめる。
「それをいわれちゃあね。今度、教えてくれ」
それだけ言い残して、蔵人は再びトイレに向かった。
残されたイライダは毛布をもったまま、ごろりと横になった。
ふと、蔵人とは短い付き合いのはずであったが、妙に長く付き合ってるような気分になる。
「……今度、ねぇ。あるのかね、そんなこと。くくくっ」
そんな気分を楽しみながら、イライダはまどろみに落ちて行った。
この日、蔵人はこの世界初めての二日酔いを経験した。
トイレとの親密度が増した。
この世界にきて初めて、神に救済を求めた。
トイレがなくては生きていけないと悟った。
その半日後、もう神はいないと悪態をついた。
二日酔いの翌日、蔵人はまた食料や雑貨を買いこんで山に戻った。
しばらく家を空けていた蔵人が山をなんとか昇りきると、超不機嫌な雪白がでんと岩の上に座って蔵人を見下ろしていた。
口笛で呼んでもこなかったのでどうしたのかと、蔵人は半ば雪白の機嫌の悪さを予想しながらも、それを考えないようにして登ってきたが、やはりそれは予想通りであった。
雪白のご機嫌取りには二日ほどを要した。
羽毛の枕はアカリに喜ばれ、あまり洞窟にいない蔵人よりもアカリが使っている。
なんとなく単身赴任のサラリーマンはこんな気持ちなのかね、とやくたいもないことを思う蔵人であった。
そんな日から九〇日がすぎ、普段は一人で塩漬け依頼をこなしつつ、依頼がなくなった時やイライダに頼まれたときなど、たまにイライダと組むようになる。
イライダがお情けで組んでくれているとしか周囲には見えないことが、さらに蔵人の悪評を高めていたが、蔵人にとってはどうでもいいことだった。
実際、そういう面も半分ほどはあったのだろうから。
今日もそんな日だった。
イライダと蔵人の二人は協会で依頼を物色していた。
イライダの『巡国の義務』もそろそろ次の国に移る時期になっていた。蔵人は気づいていないことだが、自分の庭以上にアレルドゥリア山脈に精通した蔵人がいたからこそ、イライダはこれほど早く高レベル依頼をこなしこの国の『巡国の義務』を終えることができたのだ。
周囲や蔵人が思うように、決してお情けで組んでいたわけではなかった。
あと一つか、二つ、依頼を終えれば、イライダは次の国に行く、それは蔵人も承知のことだった。
「六瘤バッファローか、もうそんな時期なんだねえ」
蔵人はんっ?とイライダを見る。
「ああ、この六瘤バッファローって奴は草を求めて大陸を横断するんだが、この時期になるとトラボックしかないようなそこの荒野で子どもを産むんだよ。この時期は月に一度のトラボック狩りをしなくていい、奴らが食べてくれるからね」
「へぇ~」
「いや、アンタも少しは情報をだね……ああ、まあ、この村じゃあ無理か」
「まあ、おいおいな。で、この依頼を?」
飄々とした蔵人にイライダのほうが苦笑する。
「二人ではな。なんせでかくて、しぶとい」
「――ちょっといい?」
それは不幸で、幸運な偶然だった。
無職になって地元に戻り、最寄りのスーパーで仕事帰りの元同級生に、不意に遭遇したような。
蔵人にとってはそのくらいの不幸な偶然だった。
しかし、相手にとってそんなことはなかったらしく、蔵人にまったく気づかない様子で隣のイライダに話しかけ始めた。
そのことは蔵人にとって、幸運な偶然であった。
「イライダ・バーギンさんですよね?その依頼受けるんなら、一緒にどうですか?」
ふんわりした黒髪の巻き毛がピョンと反応し、気の強そうな目つきが、感激だとでもいうようにキラキラしていた。
「突然だな。名前くらい名乗れ」
「ご、ごめんなさい。バーギンさんに会って、つい感動してしまって。エリカ・キリタニ、六つ星です。エリカって呼んでください」
日本人らしく、ペコリと頭を下げた。
そう日本人、つまり勇者である。
エリカと名乗った勇者は、用務員であった蔵人の顔など覚えていないようで、まったく反応した様子もない。
「そうか、イライダ・バーギン、四つ星だ。イライダでいい。で、その依頼だが、アンタのランクじゃ星が足りなくはないか?」
「いえ、わたしは『暁の翼』のメンバーなんです。リーダーは一つ星なんですよ」
誇らしげにするエリカ。
「ほう、一つ星とはな。それならば名前くらいはきいたことあると思うんだが」
「この間なったばかりですしね。ふふふ、なんせ一年で一つ星になりましたから。名前はハヤト・イチハラといいます」
この時ばかりは、蔵人もわずかに反応したが、やはり相手に気づかれた様子はない。用務員など眼中にないタイプであろう。
「なるほどな。しかしな、こっちには十つ星がいるんだ。それは大丈夫か?」
エリカは今、初めてイライダの背後にいた蔵人の存在に気づいたようで、少し首をかしげたあと、キツイ目で蔵人を見始めた。
「なんで十つ星が、四つ星のイライダさんと組んでるんですか?協会のルールじゃ、パーティは前後の星二つまでって推奨されてましたよね」
「それは暗黙のルールだ。それにパーティ登録はしてないしな。それをいうならアンタもじゃないか?」
「ふふふ、わたしたちはいいんですよ。運命共同体なんです」
蔵人を睨んでいたかと思うと今度は含み笑いをする。エリカという女はずいぶんと気分屋なようだ。
そこに蔵人が口を挟む。
「すまん、急用を思い出した。依頼はできそうにない」
そういってイライダと一瞬だけ目を合わせ、さっさと協会を後にした。
「寄生だったんじゃないですかぁ。ダメですよ、イライダさんは美人なんですから」
エリカがそう言ってペラペラと話を続けた。
イライダは蔵人の出て行って揺れるスイングドアを見つめていた。
「あっ、ハヤトさん、遅いですよ~」
イライダがエリカにつかまってしばらくして、エリカが怒ったような、甘えるような声をだして、協会に入ってきた男を呼んだ。
ハヤトと呼ばれた男は、なめらかな光沢のある黒い革鎧を着こみ、長剣を二本、背中に差している。腰にまわした革のベルトには構造のわからない鉄の塊を二つ吊るしていた。
エリカの声に答えもしない男が、次第に近づき、顔がはっきりとしてくる。
さっぱりと切られた黒髪に、強気な黒瞳、頬には一本の太い爪痕、まだ十代であろう顔には光と危うさがないまぜになった表情があった。
イライダはふと、蔵人とハヤトの顔つきが似ていることに気づく。そう思うとエリカも似ているような気がしてくる。蔵人が席を外したのは、このせいかと思ってみるも、その理由がわからない。
蔵人が次に降りてきたら聞いてみようと、もうしばらくイライダはこの国にいることにする。
少々、気になることもあったのだ。
「大きな声で呼ぶな。で、依頼は決めたのか」
偉そうな、それでいて落ちついた声色である。ザウルのような肥大した尊大さはない。
「この依頼にしようかと。それで、こちらのイライダさんと一緒にって誘ってたんです」
ハヤトは六瘤バッファローの依頼書をちらりと見てから、イライダに向き直る。
「ハヤト・イチハラだ。『蜂撃』と名高いイライダ・バーギンと一緒に依頼が出来るとは光栄だ」
姿勢と礼儀は正しく、しかし口調は変えない。
それが妙にはまっている男だった。