30-依頼③
その皮を見たとたん、イライダは顔色を変える。
ゴツゴツとしてはいるが存外細長い指が荷物から皮を取り出そうとした蔵人の手を握って止めた。
「そんな皮、どこで手に入れたんだ」
腕を握ったまま、イライダは真剣な顔で言う。
「出所はいえない」
蔵人はイライダから目をそらさずにいう。やましいところはない、と。
イライダはハァと一つため息をついて、腕を離す。
「別に盗んだとは思っちゃいないよ。ただ、そんな皮を仮の十つ星が持ちこむっていうのがまずい。見たところ、あんまり歓迎されていないようだし、最悪、出所を疑われて、盗品扱いされるよ」
蔵人が皮袋から取り出そうとしたのは、親魔獣が残してくれた巻角大蜥蜴の皮である。
大怪我のあと、アカリが提案し、雪白が了承し、蔵人に与えられたものだ。
完全に雪白の下に蔵人がいるような位置関係をしているが、気にしてはいない。そんなものである。
もちろん蔵人は剥ぐことなどできないので、巻角大蜥蜴を解凍するだけして、アカリが剥いだ。その時に色々剥ぎ方や解体の仕方を習ったりもしたが、なかなかにグロく、慣れるまでは時間がかかりそうである。
解体の後、当然のように雪白提案の焼き肉パーティになったのはいうまでもない。
巻角大蜥蜴は少し羊肉のような癖があったが鶏肉のように淡白で美味であった。
「それに、そもそもこの辺には生息してないからね。目立つったらありゃしない」
「そうなのか」
「ここからアレルドゥリア山脈沿いに、ずっと西へいった砂漠にね」
「へぇ、砂漠があるのか」
蔵人のロマンが、再び掻き立てられる。
砂嵐、オアシス、ラクダ、密かに生きる遊牧民、踊り子……。
「現状のエリプス最北の砂漠といわれてる、冷たい砂漠らしいが、アタシはいったことないねえ。次はそっちにいってみるのもいいかもし――」
ロマンが音を立てて崩れ落ちた。
「そ、そんな傷ついたような顔することかい、わかんない奴だね。……とはいえ、なめしもしてない皮を放置しておくのはもったいないねえ」
「なら、凍らせておく」
「ああ、ダメダメ。剥いだあとに冷凍したら、すぐ劣化しちまうよ。そうだ、アンタがよければだけど、アタシが預かって大きな街でなめして鎧にしてやろうか?」
皮をダメにしてしまうのも勿体ない。
それならば、あとは単純にイライダが信用できるかどうかの問題だ。
まだ依頼は受けてないが、先導者を買ってでてくれた恩はあった。
「どのみち、明日は依頼なんだ、ついてきてくれるんだろ?ならその後でいいじゃないか」
イライダは意味深に笑う。
「ふふ、アンタがそれでいいならアタシはかまわないよ。どうせ、タンスクまわりの依頼ついでにいくつもりだったしね。じゃあ、まずは当面の防具を買うかい?」
そうだな、と蔵人がいって、二人は立ち上がる。
ふらっと蔵人の足がもつれて、倒れこんだ。
ぽふ。
蔵人は顔からしっかりとはまっていた。
イライダの深い谷間のある胸元に。
「ああ、わるい。酔いが回ってるな」
そういって、身体を離す。
無造作に身体を離されたイライダは少し拍子抜けする。
ちらちらと自分の胸や尻を見ているのだから何がしかの反応はするとイライダは思っていた。
赤くでもなったらからかってやろうとイライダは考えていたのだが、完全に当てが外れた。
「弱いんならあんな飲み方しないことだね」
「それほど弱いわけでもないんだが、このありさまじゃなんもいえないな」
「ほらほら、いくよ」
蔵人とイライダはそういって協会を後にした。
その後、防具屋ではありきたりな革鎧を買って、その日は宿に帰った。
イライダとは同じ宿だったが、この村のまともな宿はこの一軒なのだから当然のことだった。
白幻討伐の時期などは民家がそれぞれ宿の代わりをするらしい。
朝日が協会前の一本道に差し込んだ頃、協会のロビーに蔵人とイライダはいた。
蔵人はいつもの格好に茶色い簡素な革鎧をきて、ようやくハンターらしい格好になっていた。
イライダはチリチリしたライオンのような髪を後ろで一つに括っていた。コルセット型の革鎧に、革のズボンを着こみ、背中には大弓と矢筒、二本の槍を背負い、腰には大振りの手斧が差しこまれていた。
胸は大きく谷間をつくり、肩から腕にかけては露出していた。
早朝の協会は、依頼を求めるハンターたちで賑わっていた。
蔵人が協会の奥から出てくるザウルを見かける。
蔵人の視線を辿ったイライダは、しかし別のことを口にした。
「あれは……中央政府の調査官か?ふむ、そうするとあの話か」
ザウルの後ろから出てきた、黒染めのロープの男たちの胸元には槍をくわえた赤と白の双頭馬が刺繍されていた。
「あの話って?」
「ん、ああ、連合王国の勇者が白幻討伐で功を焦り、手柄を独り占めするために地元のハンターを陥れた。その勇者自身も罠に使った大棘地蜘蛛に襲われて行方がわからず、生死不明だとな。なんだ、少し前にあれだけ話題になったのに知らないのか」
綺麗なストーリーになったようだ。蔵人がマクシームから聞いて時は、もう少し漠然としていた。
「普段は山に住んでるからな。そういう噂には疎いんだ」
「……山って、アンタ」
「話のしっかりした噂の割りに、今頃になって調査官が出張ってくるんだな」
「あれは最近できた中央政府の広域調査官さ。ドルガン議会の調査官じゃないから、多少は遅くなる。まあ、それにしても随分と遅い気もするが。……この話の黒い噂もあながちバカにしたもんじゃないかもな」
「黒い噂?」
「アンタも普段から情報拾うようにしときな。ハンターには必要なことさ。まあ、黒い噂っていっても漠然としてるんだが、中央政府とドルガン議会に嵌められたのは勇者じゃないかってな。まあ、負けた狼に餌づけする物好きな連中の話さ」
「なるほどな」
それだけいって、二人は当初の予定通り、掲示板に向かった。
「――ないな」
「見事にないねえ。十つ星の依頼が、トラボック狩りしかないとかどうなってる?」
二人はそのまま空いている受付にいく。
そこにいたのは、またしても鉄面皮の職員である。この職員のところがいつも空いてるのは、ハンターに避けられてのことではないかと蔵人は邪推する。
「そのことですか。イライダさんは昨日来たばかりでわからないのも当然ですが、この村は辺境でして、トラボック狩り以外、十つ星に該当する依頼がほとんどないのです」
そんなことがあるものか。イライダはサレハドクラスの辺境をいくつか、それ以上の辺境も知っていたが、新人の依頼がないということはなかった。もし本当に外部からの依頼がなかったら、協会が依頼を作るものだ。
イライダが無表情になって職員に問う。
「それならこの村に住んでる新人はどうするんだい?」
「知り合いや縁者のパーティに混じって星を上げていきます」
「つまり、クランド一人なら受けられる依頼はないと?」
「そうなりますね。どうしてもパーティを組む相手がいないなら、余所へいくことをオススメします。ここは確かに辺境ですが、辺境ゆえに実力が欠かせません。協調性のない足手まといは他のハンターを害してしまいますから」
酷薄な鉄面皮はやはり健在である。
蔵人としては余所にいってもまるで構わないのだが、そうなると山を空ける期間が長くなり、雪白が尻尾を乱舞させ、マルカジリにしてくるのはわかりきっていた。
イライダは少し思案した後に何気なくいう
「わかった。そういうことならアタシがクランドとパーティを組もう」
「い、イライダさんがですか?」
「アタシではダメか?まあ、星が上がるまでのことだがな」
「そ、そういうことは」
「協会規則に違反するのかい?」
「……いえ、問題ありま――」
「――『蜂撃』ことイライダ・バーギンとお見受けする。少しよろしいかな?」
妙に格式ばった物言いで職員を遮ったのは、ザウルだ。
イライダの返答も待たずにザウルは馴れ馴れしく言葉を崩し、自己紹介を始める。
「おれはザウル・ドミトリー・ブラゴイ、四つ星、この辺りの筆頭パーティである『巨狼』のリーダーをしている」
イライダはわずかに顔をしかめた。
「その仇名はあまり好きじゃないんだが。で、なんのようだ」
そっけないイライダの言葉にザウルは頬をぴくりとさせる。
「いやなに、三つ星になるための『巡国の義務』中だときいてな。早く終えるにはでかい依頼をこなすのが一番だ。一つ、おれ達と大棘地蜘蛛を狩りにいかないか?」
「アタシの記憶に間違いがなければ、それは三つ星の依頼だったはずだが?」
「なに、塩漬け依頼扱いにしちまえばいいのさ。この協会には融通がきく」
ザウルはちらりと蔵人を見て、薄く笑う。
おそらくは塩漬け依頼受注の明確化はザウルの差し金なのだと蔵人は気づいた。正確にいえばドルガン議会議員である親に頼んで圧力をかけたということだろう。
イライダは興味もなさそうにいう。
「他を当たれ。今は先導者をやってる最中だ」
「おいおい、その流民だか難民だかの先導者を引き受けたのか。時間の無駄だぜ」
「流民だろうが難民だろうが協会のハンターになったからには、先達の務めを果たすのはハンターとして当然のことじゃないか。アンタは先導者に面倒見てもらわなかったのかい?」
「はんっ、この国の人間でもねえ奴に誰がそんなことするか。こいつらだって生活があるんだぜ」
ザウルはそういって後の仲間たちに視線をやった。
ザウルの背後にいたハンターたちは一様に目を伏せながらも、ザウルの言ったことを否定はしない。
自分たちの狩れない魔獣や怪物を狩猟するイライダのような高ランクハンターは歓迎の対象となるが、それが自分たちと獲物が競合するようなランクのハンターの場合、彼らの生活を脅かす存在となりうるため、歓迎はされない。
協会も当然、地元のハンターに肩入れをする。どんな時でも常にいて、いざ事があったときに融通が効くのは地元のハンターだからだ。
「そうか。なら、アタシもよそ者さ、問題ないだろう」
「あんたは別さ。三つ星間近の『蜂撃』がサレハドに来たとあっては、一度は酒を酌み交わしたいと思うのが当然ってもんだ」
イライダ・バーギンは立ち寄った街や村で多くのハンターの先導者を務め、地元のハンターたちと酒を酌み交わし、時には助言や狩りの手伝いまでするなど面倒見がよかった。
そして、いざ狩りとなると先陣を切ってその豪槍を振り回し、その一突きは人食い鳥を落とすという。それでいて統率、指揮には一切の乱れはない。
集団での狩りを得意とし、殺人蜂のような一撃をもつ、そんなところから『蜂撃』といわれていた。
その『蜂撃』がいるのだからと、とザウルはいっているのだ。
「先導者の務めを怠っては先達に、ご先祖に申し訳が立たない。他を当たるんだね」
巨人種の先祖への崇拝は有名である。
それをもちだされては誰もイライダに文句をつけられなかった。
「チッ、勝手にしろ。『女王蜂』と流民でちょうどいいだろうさ。……どけっ」
そういってザウルはハンターを押しのけると、協会の二階に上がっていった。
それを慌てて追いかける他のハンターたち。
『女王蜂』とは、他のハンターをはべらして、悦に浸っているという意味で、元々は男を差し置いて活躍するイライダを妬んだハンターが言いだした陰口であった。
イライダは何事もなかったかのように職員に向き直る。
「じゃあ、登録してくれ」
気に入らない。
ザウルは二階の支部長室のソファーに乱暴に腰を下ろす。
別にあんな男はどうでもよかったが、マクシームの推薦だというのがザウルには気に入らなかった。
勇者をかばうマクシームが気に入らないし、さも善人面で真相を究明しようとしているのも気に入らない。ローラナ人だというだけで、何よりも気に入らない。
先刻も中央政府の調査官に不審人物としてあの男のことを告げてやったが、推薦人である後見がマクシームだとわかると、あっさりと問題ないで片付けた。
まあ、勇者の醜聞のほうは中央政府の意をくんでいるようで、簡単な取り調べだけして帰って行ったが。
こっちにとっては都合はいいが、バカな連中である。
そうなると、当面の問題はあの男である。
取るに足らぬハエだが、それゆえに鬱陶しく、目障りだ。
獲物を素直に譲らない上に、四つ星の塩漬け依頼を当てつけのように受けたり、イライダ・バーギンにうまく取り入ったりと、卑しい根性を隠そうともしない。
くそ忌々しい。
ザウルは何度目かの舌打ちをした。
「御機嫌が悪そうですな、ザウル様。ふむ、ではこのような依頼はどうですかな?」
黙ってザウルを見ていた支部長がニヤリと笑った。