29-依頼②
強い酒を、コップ一杯奢る。
先導者が一番初めに新人ハンターにする、一種の慣わしである。
随分と廃れてしまったが、今でも先導者が最初にナイフを贈るという形で残っているという。
イライダは一気に蒸留酒を呷った蔵人を興味深げに見ていた。
この辺りの農民が飲む土地の酒で、非常に強い。
確かにドワーフ連中なら苦もなく呑む。同族である巨人たちも呑む。エルフどもは呑まないだろうが、獣人と人間はまあさまざまだ。
さまざまだが、一気に呑んで、また別の形なら呑んでやるといった新人は初めてだ。新人ハンターなら目上に遠慮して呑むかもしれないが、それだけだ。
それでいて、傲慢な鼻持ちならない奴というようには見えない。
何ものか。先導者がいないとなると、村のものではないし、縁故のものがいるわけでもない。
そもそも村人とは顔つきが違いすぎる。
流民か難民か。いや、そんな悲壮感はない。
そもそもいくつだ。
年齢が読みづらい。二〇は越えてるだろうが、細かくはわからん。
三剣角鹿の角とか、よくわからん丸盾とか、そのくせ防具はろくにつけてないとか、巨人種でもあるまいし、いったいいつの時代のハンターだ?
その丸盾も、ちらときこえていたが氷戦士型の怪物がでたとか。
本当ならば調査にいかなければならないのだが、どうにもこの新人は支部長に睨まれているようで、信用してもらえていない。
そんな新人ハンターの面倒をみれば、確実に厄介事があるんだろうが、先導は先達のハンターの務めだ。
連綿と受け継いできたハンター義務ともいえる。誰でも鼻たれの頃は先導役に教えられるのだ。
まあ、コイツはただの鼻たれではなさそうだが。
「で、今日は依頼受けるのかい?」
太陽はまだ真上にはほど遠い。
「今日は無理だ、明日にしてくれ。さすがにすきっぱらにこの酒は効く」
蔵人の顔色は若干、悪い。
「なんだい、情けないね。……とはいうものの人種にはキツイだろうね」
なら呑ますなよ、と蔵人がいうとイライダはアハハハハと豪快に笑うだけだ。
「まあなら先に説明しとこうか。基本的に受注から仕事の仕方まで、何も口は出さない。あくまでもアンタの狩りのお守りだからね。ランク外の依頼も、個人受注と塩漬け依頼以外は受けられないしね」
国よって協会の規則は違うようだ。
「塩漬け依頼はランクが二つ下までと決まったらしい」
「そりゃ、暗黙のルールじゃないか」
「いや、協会規則に明記されたみたいだ。先日な。それで俺の受けた依頼も無効になった」
「協会規則になったのはまあ、国ごとに若干違うんだ、そういうこともあるだろうが。無効なんてきいたことないねぇ」
イライダは腕を組んで、少し思案顔である。
腕を組むと胸の谷間がよりいっそう深くなる。
「まあ、終わっちまったことはしょうがない。それよりも」
イライダはジロリと蔵人の上から下までを見る。
「荷物はそれで全部かい?」
「あ、ああ」
「これからハンターやってくのにその格好じゃあね。それとも金がないのかい?」
「そのことか。村で買うか、作ってもらうつもりだ」
「持ち込みかい?」
「ああ、これを――」
蔵人が背中の荷物を降ろそうとしたとき。
ババーンとスイングドアが勢いよく開かれた。
そして勢いよく跳ね返るスイングドア。
ポーンと弾かれる何か。
協会のロビーは静かな沈黙に包まれた。
今度こそゆっくりと開かれるスイングドア。
そこにいたのは。
「え、オーク?」
誰が言ったかは分からないが、確かにオークであった。
いや豚の獣人である。
否、人種である。
オーク似の人種の目がキラりと光る。
「トラモラ草採取の依頼を受けてくれた者がいると連絡を受け、参ったっ!」
なかなかのイイ声、バリトンボイスである。
「これはこれはポタペンコ男爵、このようなところまでわざわざおいでいただきまして――」
鉄面皮の職員である。鉄面皮だが、妙にモミ手が板についていた。
男爵とは敬称である。この国では貴族制が廃されはしたが、旧貴族の当主には敬称をつけるのが慣わしになっていた。
「しかし、その連絡はこちらの新人のミスでして。大変、申し訳ない」
鉄面皮がペコペコと頭を下げる。
ポタペンコ男爵とよばれた男は思案顔になった。
周囲からは、
「おい、豚男爵だぜ」
「あの道楽貴族の、か」
「食いもんで身代食いつぶしたって話だぜ」
「トラモラ草って、いまどきなぁ。そんなもんスパイスのほうがよっぽど上等だぜ」
というようなかすかな小声が聞こえてきた。
貴族性が廃れて久しいとはいえ、いまだ旧貴族に面と向かって罵倒するものはいない。
「ふむ、しかしね、トラモラ草の匂いがするのはどういうわけだね?」
鼻をヒクヒクとさせるポタペンコ男爵。
お前は豚かっ、とロビーにいる全員の心中が一致したのではないだろうか。
ポタペンコ男爵はあれこれいう職員を無視し、鼻をより一層ヒクヒクさせる。
そして、そっぽを向いていた蔵人を見て、大股でズカ、ズカ、ズカ、と迫った。
隣にいる美女ともいえるイライダには見向きもしない。イライダが支部長室からロビーに戻ってきたときからずっと好色な視線が注がれているというのに、ポタペンコ男爵は一瞥もしない。
「貴殿はトラモラ草をお持ちかな?お持ちだね。協会の事情はわからないが、ぜひ譲ってくれないか」
存外に腰が低い。
低いが、のしかかるようなポタペンコ男爵に蔵人は気圧され、バーカウンターにのけ反った姿勢になる。
「ま、待ってくれ。あの塩漬け依頼の依頼主なのか?」
「そうだとも。この日を一年も待ったのだ」
蔵人はイライダに顔を向ける。
「……こういう場合はいいのか?」
「まあ、個人受注という形になるが、問題はない。トラモラ草をお前がもっているなら、だが」
蔵人は今にも、さあ、さあ、さあ、と迫るポタペンコ男爵を見る。
キラキラした目、ぷっくりとした顔、ボヨヨンとした身体つきはまさしく品のいいブタのようであったが、どこか愛嬌があり、憎めない。
「わ、わかったから、落ちついてくれ」
蔵人がそういうとポタペンコ男爵は鼻からフンスと息を吐いて、より興奮気味に、しかし待てと言われた犬のようにピタリとその場で止まった。
蔵人は食料リュックからトラモラ草の塊を三つ取り出す。
「これ――」
――パクリ
どこかの誰かと同じような食いつき方で、ポタペンコ男爵は蔵人の持った一塊分を一口にしてしまった。
「おいっ」
――もしゃもしゃ、モシャシャ。
至高の頂を目指す哲学者のように、真剣な面持ちで味わうポタペンコ男爵。
何度も、何度も咀嚼する。
そして、惜しむように呑みこむと――。
涙をこぼした。
「これこそ、これこそが遥か幼少の折、祖父にわずか一片頂いた、思い出の味。まさしくトラモラ草であるっ!」
馬鹿馬鹿しい貴族の道楽であったが、自然とポタペンコ男爵の一挙手一投足に視線が集まっていた。
「ありがとう、ありがとう」
「あ、ああ。ところで、依頼料のことなんだが」
お礼をいうためにさらに迫ってきたポタペンコ男爵に蔵人がそういうと、ポタペンコ男爵はピタリと止まる。
目に見えて顔を青くしている。
「そ、それはだな、先月の食料品の支払いで、その、なんだ、手元不如意というか、な」
ジトッとした蔵人の目に晒されてポタペンコ男爵はその太い身体を小さくする。
「……な、なんでもしよう。のぞむことがあらばいうがよい」
そして絞り出した言葉がこれであった。
蔵人は呆れかえるしかない。横のイライダなどは腹を抱えて笑っていた。
「なんでもっていったってなぁ、金は無理なんだろ。そうすると、貴族ったってなぁ……貴族?」
「おほん。これでもポタペンコ男爵家当主である」
空威張りである。男爵というだけでは今の貴族に力はほとんどない。議員だったり、魔法具を卸していたり、そういう付加価値がなければ男爵というのはただの敬称でしかない。
食料品の支払いで手元不如意になる当たり、貧乏貴族なのだろう。
蔵人はポタペンコ男爵の耳元で囁く。
ポタペンコ男爵は驚き、目を丸くする。
蔵人は怒るかな、と考えていた。それでダメならもう無担保無保証の借金でいいやとも考えていた。正直、トラモラ草なら探せばあるのだ。
「その手があったか、しかし、いやでも、なるほど」
ポタペンコ男爵は俯いて何やら呟いていたが、しばらくすると蔵人を見た。
「……ハンターにとって、それほど役に立つものでもないぞ?」
「なんでもいいんだ。興味本位って奴かな」
「ふむ、しかしな、いくら貧乏男爵家とはいえ、家宝でもあるのだ…」
そういってチラ、チラとバーカウンターに乗った残りのトラモラ草を見る。
「これしかないが、それでもいいのか?」
「なっ、いや、しかしな、それでもな。いや、よし。――今後、何かうまいものがあればそれを私にもってくる、というのではどうだな?貴殿もハンターだ、できないこともあるまい?」
「……それでいいならいいが」
「――よしよし、それならばよい。では」
そういってキョロキョロすると、猛然と協会のカウンターにいき、しばらくするとまた猛然と戻ってきて、今度は蔵人の耳元に何事かを囁いた。
そして蔵人の手に紙を握らした。
「一応、家宝である。余所にもらさんでくれよ」
蔵人は頷いて、残りのトラモラ草を手渡した。
「うむ、確かに。私の家はここから、タンスクのあるほうにしばらく行ったところにある。よしなにな」
タンスクとはドルガン議会のある、ドルガンの中心都市である。
受け取ったトラモラ草を割れモノでも扱うかのように自らの布袋にいれると、ポタペンコ男爵は来たときとは違った、優雅な貴族らしい仕草で帰っていった。
背中もやはりオークにそっくりではあったが。
ポタペンコ男爵が台風のようにあらわれ、去っていったあと、妙な静けさだけが残っていた。
ちらとロビーにいる鉄面皮の職員を見ると、どことなく苦虫を噛潰したような顔をしているように見えた。
蔵人はふと思いつき、鼻で笑ってやる。
すると職員は、くるりと踵を返し、協会の受付にもどってしまった。
しかし、歩く風情にはどことなく苛立ちが紛れていた。
おそらくは蔵人の持つトラモラ草を狸の皮算用していたのだろうが、蔵人が協会に売らず、直接取引してしまったものだから、当てが外れたのだろう。
そんな人知れなず行われた蔵人と職員のやり取りの直後、笑い疲れて腹を押さえていたイライダが蔵人に話しかけた。
「まさか本当にトラモラ草をもってるとはね。で、何をぶんどったんだい?あんななりでも青い血の持ち主だ、よもや手玉にとったわけでもないだろ」
蔵人はふっと笑って、イライダの耳元に口を近づけた。
――ポタペンコ男爵家に伝わる自律魔法を一つばかり。
そう小さく囁いた。
イライダはポカンとした表情をする。そしてすぐにクックッと笑いだした。
「くくくっ、よ、よかったのかい?」
蔵人は楽しげに頷いた。
損をしたか、得をしたか、まったくわからないが後悔はまるでなかった。
イライダが言いたいことも、もちろんわかっている。
ポタペンコ男爵が蔵人に渡した自律魔法が本物である保障はない。その場で試した訳でもないのだから。
だが、と蔵人は思う。
蔵人がうまいものを携えてポタペンコ男爵のもとにいく保障もない、と。
別にトラモラ草をタダ同然で渡したとしても損はないのだ。採取など苦にもならない。
蔵人とポタペンコ男爵、お互いに保障のない約束をしたわけである。
ポタペンコ男爵は人生を賭けた食い道楽のために、自身にとって何の必要もないと思われる家伝の自律魔法を蔵人に渡し、トラモラ草を得た。自律魔法とて失ったわけではない。
蔵人はいつでも手に入る街中のパンのようなトラモラ草を渡して、期限のある魔法具ではない、原典の自律魔法の魔法式を得ることができた。最悪、偽物でもかまわないのだ。
基礎理論以外未だに貴族が秘匿して公開しない、それぐらい原典は希少で、それ一般人が手にするという機会は滅多にない。賭ける価値はあった。
なぜポタペンコ男爵は、見も知らぬハンターである蔵人相手にこんな空手形をきったのか、蔵人にはわからない。
ただの食い道楽狂いなのかもしれないし、魔法式が偽物で陰で笑っているような奴なのかもしれない。
蔵人には後者のようには見えなかったが。
だが自分は、腹芸ができるほど頭は回らない。
それなら最悪騙されてもいい、くらいの取引をする。
気分の悪い思いをして協会にトラモラ草を買い取ってもらうことを考えれば、よっぽどポタペンコ男爵との取引のほうが気持ちがよかった。
「で、結局、防具はどうするんだい?」
イライダが話をかえる。
蔵人が得た魔法式が本物かどうか、それは関与するものではない。
何があろうと全て蔵人が享受するべきものだ。
ああ、そうだったと蔵人は荷物を漁りだした。