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用務員さんは勇者じゃありませんので  作者: 棚花尋平
第八章 とある王国にて
144/144

135-女傑は拳で語る


大変遅くなりました<(_ _)>



===========


『前話までのあらすじ』


 アルワラ族の乱を切り抜けたものの、重傷を負った蔵人はしばらくイライダたちの世話になっていた。

 身体が治ると、今後のため、活路を見いだすために魔人大陸へと渡る。

 無事に魔人大陸へと渡った蔵人たちであったが、現地の魔獣を食べ、食中毒?になってしまった。

 そこへちょうど通りかかった第一村人に助けられ、入国のために村で巡察官が来るまで待つことになったのだが、その夜。

 アズロナが不審な誘いに乗り、廃遺跡の中へと入ってしまい、そして、落下した。

 蔵人たちは新たな忘神と出会い、いつもと同じように何事もなく地上に戻る、が--。

 赤い髪の女が待ち受けていた。

 



 無断でざっと二日ほども地上から消えていたのだから、面倒なことになるのも当然かと、蔵人たちは注意深く出入り口に向かう。

 そして出入り口の脇から、そっと外を窺った。


 ――赤い、竜がいた。


 いや、人である。無造作に伸びた真っ赤な髪から曲刀のような角が後ろに突き出ており、背には飛竜のごとき翼、臀部には太い尻尾がうねっている。彫りの深い顔立ちで人であれば四十手前と少しばかり薹は立っているが、見事な女偉丈夫であった。

「……竜人種か?」

 両腕の他に、背に翼を持つ種族は現在ほとんど確認されていないが、その特徴は古い記録にだけ残されている竜人種のものであった。


「――そこにいるのはわかっているっ。ゆっくりと姿を見せるがよいっ」


 威厳に満ちた声の持ち主は、暗がりから様子を窺っている蔵人たちをはっきりと認識しているようであった。

 さてどうするかと蔵人が考えようとするが、直後に雪白の獰猛な笑顔を見てしまっては答えなど決まったようなもの。

 最悪戦ってしまえばいい、いや、むしろそうなったほうがいい、とでも言いたげな雪白の笑みに押され、蔵人は抵抗などしないと両手を顔の横まで持ち上げ、ひらひらと手の平を見せながら、ゆっくりと洞窟の外に歩み出た。

 途端、差し込んできた陽光に、ズキリと頭が痛んで蔵人は顔を顰めてしまう。

 だが、それで警戒されるようなこともなった。

 後ろに続くアズロナも小さな後翼でぷるぷる半立ちになりながら蔵人の真似をして両翼をバッサバッサとさせ、雪白は最後方からのそりと外に出る。


 蔵人はおやっと周囲を見渡した。

 竜人種の女と狩人のガンボ、そしてさらに後ろにローブを着た人物が一人いるだけで、待ち構えている官憲はいない。


「――我が名はサーシル・ウルカグア。見てのとおり竜人種で、巡察官だ。そなたらを害す気はない。ただ、外からの入国ということで防疫や事情聴取を行う。我が国の法に従い、そなたらに危害は加えない」

 

 その言葉に、雪白がつまらないとばかりに戦意を萎ませたことで、わずかばかり残っていた緊張感も霧散した。

 戦いたくない、というのが蔵人の本音であった。

 およそ人類という括りの範疇で最強の種族と言われる竜人種。

 精霊竜を単独で狩ったなどというミド大陸に残っていたでたらめな記録と、近年龍華国(ロンファ)を率いて東南大陸を統一した皇帝が竜人種の先祖返りだと知っていて、抵抗しようなどとは思いもしない。

 非常に残念そうにしている馬鹿でかい雪豹は見ないようにしながら、蔵人はサーシルの言葉に応えるように頭を軽く下げ、近づいた。




 サーシルの髪は朝日を受けて輝いていたようで、本来の髪色は銅色、新品の十円玉のような鮮やかな色であった。

 蔵人はサーシルから簡単な事情聴取を受けたあと何故か放置され、今はぼやーとサーシルの後ろ姿を眺めている。

「……高位魔獣の特異固体か。で、こちらは飛竜の変異種と。水中への変異は珍しい。海岸部近くに住む魔獣にはそういう傾向があるとも聞くが……」

 検疫という名の元に、サーシルは雪白とアズロナを隅から隅まで調べていた。

 まったく物怖じしないのか、雪白の口に手をかけて、覗き込むように牙の数や口中の様子を調べていたりもする。

 初めは面倒そうにしていた雪白であったが、サーシルが耳元で何かを囁いた途端に協力的になった。

 人懐っこいアズロナは言わずもがな、むしろ竜人種のサーシルに飛竜として何か感じるものがあるのか、あっという間に馴染んでしまっていた。

――ぎゃうっ

「うむ。良好な関係を築いているようでなによりだ。……大丈夫だ。そなたはまだまだ強くなれるぞ」

 サーシルにぐりぐりと撫でられ、アズロナはご機嫌であった。

 

「――無事だったが。いきなり消えちまって驚いたでや」

 雪白たちとサーシルの楽しげな様子をぼんやり眺めていた蔵人に声をかけたのは、狩人のガンボであった。足元には魔犬が大人しく座っている。

 蔵人たちが小屋を抜け出し、巨岩に入ったところまではガンボも確認していたのだが、いつまで経っても出てこない。それで中を調べたが、蔵人たちはいない。

 慌てて廃遺跡の中を隅々まで調べたが、ただの洞窟で、蔵人たちの姿は影も形もない。

 そこに、巡察官のサーシルが来たというわけであった。

「すまん。面倒をかけた」

 蔵人がそう言うと、ガンボはなんもなんもと蔵人の肩を叩いた。

「サーシル様は優しいお方だ。罰せられるわけでもねえから、大丈夫だ」

「……様?」

「あんだらは余所から来たんだったな。あの方は皇族でな。ああっ、心配すんでねえ。無体をなさるような方ではねえ」

 皇族という単語に、蔵人は少々警戒した。

「皇族が、巡察官なんてしてるのか」

「普通の巡察官とは組織が違うんだで。竜皇様直属の巡察官で、他の巡察官のお目付役でもあるんだ。普通の巡察官じゃここまであんだらを自由にさせられねえよ」

 通常の巡察官を監査する権限を持つ特別な巡察官で、皇族。

 それが良いか悪いか、と蔵人は少し考え込む。


「――皇族といっても、さほど重要な立場ではない」

 雪白たちを検査していたはずのサーシルが、ローブの男を連れ、いや、正確にはその男の角を乱暴に掴んで引きずってきた。

「国政に直接関わらない皇族は専門分野を一つ以上修める。それがこの国のルールでな、こうして巡察官をしながら魔獣医もやっているというわけだ」

「……それは私に対する皮肉か? 私はしっかりとやるべきことを――」

 角を粗雑に掴まれていたローブの男が抗議するも、サーシルはばっさりと遮った。

「――やってないから、こうして妾の仕事を手伝っているのだろう。文句があるなら、借金を返してからにしろ。――こやつはホルカン・ウルカグア。妾の甥っ子だ。そなたの聴取はこやつがやる。なに、気を張る必要はない。こやつは妾以上に国政とは縁遠い」

 そう言って、サーシルは再び雪白たちのほうに行ってしまった。

「……ふんっ」

 それをホルカンが忌々しげに一瞥した。


 丸っきりやる気のなさそうな男。それがホルカンであった。

 砂色の長い髪は後ろに適当にくくってなおぼさぼさで、その目は常に半眼。背は高いが、身体は細身で、サーシルのように戦えそうな気配は微塵もない。蔵人をして弱そうと思ってしまうほどである。ただ身なりをきちんとすれば皇族らしくなりそうという程度には育ちの良さを感じさせる男であった。

「で、外海から来たらしいが、こんな国に何しに来たんだ。商売か。それならやめておけ。この国で稼ぐのは無理だ。北の魔都へ行け」

 そうすれば聴取もこれで終わりだと言わんばかりのホルカン。

「いや」

 蔵人が端的に否定すると、ホルカンは面倒臭そうな顔をした。

「研究か。基本的に閉鎖的な場所だ。やはり魔都へ行け」

「それはあるが、それだけじゃない」

「観光か。よもや武者修行とはいうまい」

「……商売以外は全部、だな」

 どうすれば砂漠で暮らしていけるようになるのか、蔵人はそれを模索していた。

 エルロドリアナ連行王国から始まり、ラッタナ王国、ユーリフランツ共和国、龍華国、精霊教国レシハームを巡り、ついには砂漠に辿り着いた。

 どの国も良いところと悪いところはあったが、そもそも国というものは雪白たちと生きる蔵人にとっては窮屈過ぎた。不自由であった。

 だが、砂漠は、どこまでも自由であった。

 自由ゆえに倫理など吹けば飛ぶような地域であったが、力さえ示せば、人だろうが魔獣だろうが、認められる。

 それに知り合いもできた。砂漠の風景も気に入っている。

 だから雪白たちと相談して決めた。

 砂漠に住む。

 だがそのためには因縁をどうにかする必要がある。

 『勇者を殺した』、『加護なし勇者』という風評をどうにかしなければ、砂漠に住んでも身近な者に迷惑がかかり、いつ面倒が降りかかるかとおちおち寝てもいられない。

 

「具体的には?」

「自律魔法の研究、自力の向上、それにちょっとした情報収集。その魔都とかな」

「そんな(なり)でか?」

 指と耳が欠け、顔から傷に大きな傷痕がある。ホルカンが見ても、蔵人はお世辞にも強そうには見えなかったらしい。

「仕方ない。やらなきゃ死ぬだけだからな」

 とはいえ三十路も近い。肉体は維持するのが精一杯で、魔力ももう増えなくなった。怪我や毒の後遺症もある。身体的にも魔力的にも今がピークで、あとは落ちるのみであろう。

 それでも、やらなければどこかでの垂れ死ぬのだから、やれることはやるほかない。

「あとは……絵か。ちなみに、皇族とか描いたら打ち首か?」

「いくらこの国が骨董品とはいえ、さすがにそこまでじゃない。芸術関係は比較的自由だ。皇族、特に竜皇陛下を露骨に侮辱するようなもの以外は政治批判も問題ない。……しかし絵か。まさかあの女を描く気じ――」

 そう言ってホルカンがサーシルのほうを見たとき。


 ――衝撃が迸った。

 同時に、大岩と大岩をぶつけたような、鈍い音が短く響く。


 ホルカンの長い髪が大きく靡き、蔵人の顔を直撃した。

 何が起こったのか。

 蔵人は衝撃の元に目をやって、再び目を瞑りたくなった。


 雪白とサーシルが、がっぷり両手を組んで向かい合い、額同士をぶつけて、睨み合っていた。


 相手は皇族。本当に首が飛ぶ。

 衝撃をもろに受けたらしいアズロナがゴロゴロと転がっていたが、その程度で怪我はすまいと判断して、今は自分の首が心配で、蔵人はそろりとホルカンを窺った。

 なぜか、うんざりした顔をしていた。蔵人としては心底同意したい心持ちである。

「……ほっとけ。あの女の病気だ」

 それでなんとなく、何があったのかを蔵人は察した。

 戦いたがっていた雪白とサーシルが、戦い始めただけ。

 現に雪白は、そしてサーシルは非常に楽しそうに、獰猛に笑い合っている。

「私に期待するな。あんな化け物は止められない。というより、あれを止められるのはこの国でも人種の指の数ほどしかいない」

 ホルカンは聴取をする気も失せたらしく、木々の上に作られた家へと行ってしまう。

 蔵人は衝撃で目を回しているアズロナの尻尾を引きずって遠ざけ、その場に座り込んだ。そしてそのまま懐の雑記帳を取り出して、二人の戦い、正確にはサーシルを見つめて、絵を描き始めた。

 だが次第に、戦闘そのものに目を奪われていく。


 頭突きで力を確認し合ったサーシルと雪白は互いにニヤリと笑い、ほんの僅かに間合いを取る。

 それは、ほんの一瞬のこと。

 サーシルは鮮やかな銅色の鱗を全身に纏い、まさしく竜人といった姿となる。

 対して雪白も、氷精と融合して氷と凍気を纏い、砂の蛇を循環させる。

 一瞬で本気を出した二人であったが、より早かったのは雪白であった。

 ほぼ一足でサーシルの喉元に食らいつく。

 だが噛んだのは、竜のごとき厳つい腕。

 首を噛まれるすんでのところで腕を突っ込んだサーシルは、砂鎖鋸と凍気、さらには雪白の噛みつきでさえもその鱗で受け止めた。あの炎と雷を操る大獅子、ジャムシドの身体でさえ削り取った雪白の攻撃をである。

 

 しかも、そのまま腕を噛ませて、そのまま雪白を地面に叩きつけてしまう。

 あまりに強引で力任せの投げに、地面に叩きつけられた雪白は一瞬唖然として、すぐに飛び退いた。

 雪白の頭があった場所に、まるで銅剣のような手刀が深々と突き立つ。

 雪白も仕返しとばかりに飛び退きながら尻尾で痛打してやったが、サーシルはまるで効いた様子もなくぺろりと唇を舐めた。

「いいねえ、いい。竜種以外でここまでやるとはね。高位魔獣とはここまでのそうはいないよ」

――グルァッ

 雪白も楽しそうに、いっそう凶暴な笑みを浮かべて唸った。

 

 世界は広い。いや、広すぎる。よもや成獣となり、現代知識をも理解する雪白と一対一で戦える人類がいるとは思いもしなかった。

「……まあ、楽しそうだからいいか」

 現地の国家権力、それも階級社会の上層部とあって警戒していたが、ここまで強ければもはや警戒したところで無意味である。

 蔵人は開き直って、絵に没頭した。


 女傑たちの戦闘は三十分ほども続いた。

 蔵人は絵に没頭していたせいで決着がどうであったのかはわからなかったが、二人の様子は極めて友好的であることから、引き分けか、もしくは有意義なものであったことだけは理解できた。


「……そんな熱い目で見られても、私には夫がいる。その気持ちには応えられない」


 いつの間にか蔵人の絵を覗き込んでいたサーシルが、そんなことを言った。

 戦闘中に感じていた蔵人の視線。そして蔵人の描いた絵から、蔵人の感情を読み取ったらしい。

 絵の対象にした時点で好意を抱いている。

 蔵人の悪癖であるが、こうも早々と、否定するでも嫌悪するでもなく、かといって受け入れることもない、毅然とした答えを言われてしまっては、蔵人の中に湧き上がっていた感情は引っ込んだ。

「すまん」

 蔵人がどうにかそう言うと、サーシルは責めることもなく、絵を描くなと言うこともなく、肩をぽんと叩くだけだった。

「……ところで、あやつはどこに?」

 蔵人がちらとホルカンの行き先に目をやると、サーシルは戦いの最中ともいわんばかりの凶相を浮かべ、そちらに向かってしまった。


「で、信用できそうか?」

 蔵人が尋ねると、いまだ戦いの余韻を漂わせた雪白が躊躇いなく頷いた。

 拳を合わせれば相手を理解できる。

 などと蔵人は思わないが、雪白が信用できそうというならば、現状で蔵人もそれを否定する材料はない。

 アズロナを見ても、嫌がる様子はない。

「――ならば皇都に行くということでいいな。我が国に滞在するには正式な入国許可証と滞在許可証が必要になるからな」

 朝寝をしていたホルカンを引きずって戻ってきたサーシルがそう言った。

「……カネ、かかりそうか?」

 蔵人は現金も貴金属もほとんど持ち合わせていなかった。

「入国審査の間は出入国管理局に泊まり込みになるだろうから、その間に聴取や研究に協力してくれれば協力費も出せるだろう。最も早くて三日、長くても十日ほどで終わる」

「聴取は協力する。研究は……雪白たちが嫌がらない範囲で」

「こちらが知りたいのは外海のことだ。この大陸も最近随分と騒がしくなってきたからな。あとは、民俗学者や神学者あたりがそなたに色々と聞きたがるだろう。それと、雪白やアズロナが嫌がることはしない。仮にも高位魔獣とその高位魔獣に鍛えられた飛竜の変異種だ。無礼な学者たちが混じっていれば、適当にあしらってくれればそれでいい」

 基本的人権と知能ある猟獣の権利なども確立されているらしい。

 思いのほか発達している、もしかするとミド大陸よりも発達しているかもしれない、と蔵人は少しほっとしていた。



 村人たちは心の底から楽しげであった。

 蔵人が見つかり、サーシルはさっそく皇都に蔵人たちを連れて行こうとしたのだが、村人たちがせめて今夜一晩おもてなしさせてくれと、サーシルを引き留めた。

「未処理の首長を食べているからそれほど心配はしていないが、もしかしたら疫病を保持している可能性もある。できるだけ早く出発したい」

 未処理の首長竜を一定量食べると、体内に蓄えられた雷精によって生物は麻痺してしまうが、それは病原体も例外ではない。人と同じように麻痺した病原体は体内の免疫作用によってほとんどが撲滅されると言われている。

 それでも念のため、早いところ正式な検査をしたい。

 皇族にそう言われてしまえば村人も止められず、ならばせめて朝食だけでもと、朝っぱらからの宴会が決まった。

 村人たちは自分たちの朝食を持ち合い、さらに追加で料理を作り、酒まで振る舞った。

 あまりの歓迎ぶりに、蔵人は王制というものへの偏見ががらがらと崩れ落ちていくのを感じていた。


「ほんとにええだが? 半分以上も残ってるぞ?」

 盛大すぎる朝食を終えると、慌ただしい出発となった。

「持てるだけは持った。必要な素材も取った。あとは、足りないかもしれないが迷惑料だとでも思ってくれ」

 雪白が到着するなり狩った首長背雷竜である。食料リュックに詰めるだけ詰めた。素材も十分に貰った。換金できるまで待つというのも面倒だったし、ガンボには色々と面倒もかけている。

「わがっだ。遠慮なく貰う。んだば、あとで皇都に野菜ば送るだでよ」

 蔵人はガンボと握手すると、サーシルたちが載ってきた竜車に乗り込み、木の上に建てられた田舎の村をあとにした。

 雪白は竜車を並走し、アズロナは箱馬車のような竜車の天井にぺたりとへばりついている。

「……おや?」

 ガンボは村人たちと共に竜車が見えなくなるまで見送っていたが、その竜車のあとを小柄な何かがひっそりとおいかけていくのをちらっと見た、ような気がしたが、瞬きの間に、それは消えてしまった。

「……まんだやれると思ってたんだがなぁ」

 徹夜続きが目に来るようになったか、と壮年の狩人はがっくりと肩を落としたのであった。

 




 竜車を引くのは、地甲竜(シェルドラ)であった。

 地甲竜は岩にも似たキチン質の甲殻を全身に持つ角のないトリケラトプスで、地竜の変異種といわれている。

 ただ、ミド大陸の地竜は飛竜と同じく人に使役されることがあるが、地竜はこの魔人大陸にはもう存在していなかった。過酷な生存闘争の果てに地竜は全滅し、その変異種である地甲竜が生き残り、亜種といわれるまでに繁栄したのだという。

 巨大なテーブルマウンテンと広大な草原の中をドスドスと地甲竜が進む姿は、蔵人にとって原始の世界にいると錯覚させるような雄大な光景であった。

「野生に存在する地甲竜の甲殻は分厚く、亜竜すらもかみ砕けない。が、その分が動きが遅い」

「こいつはけっこう早いぞ?」

「使役している地甲竜は血統的に足が早く、なにより甲殻が削ってある。年に一度甲殻を削るが、その重さは五百キロ近いからな。その分だけ足が速くなる」

 魔獣に詳しいサーシルの説明に蔵人は興味深く頷いた。

 ちなみにホルカンは御者をやらされ、たまにぶちぶちと独り言の文句が竜車の内部に聞こえていた。


 途中、いくつかの村をめぐる。

 ほとんどがガンボの村と同じような田舎の村であった。蔵人たちがいるため、大きな街を避けたらしい。

 ただ、田舎の村ほど皇族という存在を尊敬しているらしく、行く先々で歓迎され、ささやかな宴が開かれた。

「……この国の王族はずいぶんと人気なんだな」

 アイドルの握手会か何かのようにサーシルの周りには村人が集っていた。

 王族なんてものは表向き歓迎されようとも、実際は鬱陶しく思っている者も多いんだろうなと蔵人は思っていたが、どの村でもそんな感じはまったくない。

「……ふん。十字帯に近い田舎ほど皇族頼りだからな」

 村人を避け、頭からローブを被ってちびりちびりと酒を呷っていたホルカンが呟いた。

 蔵人が詳しく尋ねると、ホルカンは面倒そうにしながらも説明してくれた。

 魔人大陸は広大で、その形はおおよそ四角形であるという。

 そして主要な国はそれぞれ四隅に存在し、それ以外は強力な魔獣や亜竜、竜種の生息地になっている。大陸の中央から十字に広がる巨大な生息地を十字帯と呼び、人々は近づかないという。

「それでも十字帯から出てくる魔獣もいる。あの高位魔獣が倒した首長背雷竜みたいにな。もう少し村に近づけば皇族が派遣され、討伐したはずだ。それがこの国の皇族の義務だからな――」

 義務というあたりは吐き捨てるような物言いであった。

「――こんな国にいてもつまらんだろうよ。自ら皇族を認め、階級社会を受け入れた連中の集まりだからな。出て行くなら早いほうがいいぞ」

 それだけ言って、ホルカンは席を立ってしまう。

 ガンボや村人の柔和な表情とは正反対の、まるで反抗期のようなホルカンの苛立った様子に、蔵人はこの国に姿が掴みきれず、しばらくの間、ぼんやりと宴を眺めていた。


 するとしばらくして、不思議な事件が目の前で起こった。

「おや、ここにあった酒はどうした?」

「もう酔っ払ったのか? おいっ、おれの肉を食うなっ」

「酔ってねえし、食ってねえっ!」

 若い酔っ払い同士の揉め事。だがすぐに――。

「サーシル様の前でなにやってやがるっ、酒も肉も山ほどあるだろうがっ」

 取りまとめ役らしい壮年の男がその頭に拳骨を堕とし、若い酔っぱらいがのたうち回ることで、周囲の笑いを誘った。

 ただ、それをじっと見ていた蔵人は首を傾げていた。

 飲み干してしまったような気もするが、こつぜんと酒や肉が消えたようにも見えた。

 気のせいか。

 そんな気もして、まあ宴会だしなとすぐにそのことは忘れたのであった。

 

 その夜更け。

――カッカッカッカッカッカツ

 という規則的な音に蔵人は目を覚まし、立ち上がった。

 宴から少し離れたところでたらふく酒と肉を振る舞われて満足して居眠りしていた雪白は薄目を開けるも、腹をパンパンに膨らませて仰向けで眠るアズロナの腹に尻尾を置いて、そのまま目を瞑った。

 蔵人は地上に設置された納屋を出て、音のほうへ向かい、とある木の上の小屋に行き当たる。

 音も立てずに木を登った蔵人が開け放たれたドアから覗き見たのは、一心不乱に何かを削るホルカンであった。

 それはまさに鬼気迫るという表情で、昼間の人物と同一人物なのか不安になるほどの変貌であった。

「……ぼんくらだが、あれでも彫刻家だ。まったく売れてはいないが。妾にもよくわからん」

 音も立てずに蔵人の背後に潜んでいたサーシルが、小声でそう言った。

 ただそこに侮蔑のようなものはなく、尊敬すら滲んでいた。

「そなたも絵を描くなら、気が合うかもしれんな」

 サーシルはそれだけ言って、去っていった。


 ホルカンは一時間以上も経った頃に、ようやく蔵人の存在に気づいた。

「……ふんっ、お前には理解できないだろうな」

 そう言って、なんとも不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 その彫刻は、男か女か、それとも動物かもわからなかった。あえて蔵人が見たことのあるものに当てはめれば、キュビズムとシュールレアリスムを足したような、とにもかくにも奇怪な彫刻である。

 ただ、その技術は極めて高い。

「知識としては知っているような気はするが……よく、わからん」

 絵を嗜んではいるものの、彫刻となるとわからない。しかもそれがなんなのかもわからないとなると、完全にお手上げであった。

「ふんっ、お前の絵は即物的過ぎる。見る者に媚びているだけだ」

「好きなもん描いてるだけだからな」

 蔵人の反応が気に入らなかった、ということもあったが、ホルカンは実のところ蔵人の描いている絵が気になっていた。

 そして、趣味という言葉が、癇に障った。

「違うな。好きなものを即物的な欲望のままに描いているだけなら自動筆記で事足りる。だが、お前の絵は自動筆記では描けないし、見る者の目を意識している。それを意識していないなど、ただの誤魔化しだ」

 蔵人は、その指摘を否定しきれなかった。自分でも意識していない部分を、剥き出しにされた気がした。

 確かに蔵人の絵には極めてリアルな女性の姿と、その内面や意志を描き出したような、抽象的な背景や小物、ポーズで構成され、全体にテーマがあった。

 趣味という前置きで、他者の評価から無意識的に身を守っていたのかもしれない。

「……いいんだよ、趣味だからな。だがあんたのは趣味じゃないんだろ? 見てわからないようなものに意味はないだろ。深い教養や特別な感性がなければ理解できない芸術ほどつまらないものはない」

 だが蔵人にも、絵に対してそれなりにプライドというものがあったようで、つい言い返していた。

「それは自分に教養がない、感性がないと開き直っているだけだ」

「……万人にそんなものがあると思っているあたりが、人を過大評価している。存外、ロマンティストか」

「うるさい。お前こそもっと突き詰めろよ。人が隠し、見て見ぬふりをしている本性を描き出せ。突きつけてやれ。結果論を描いてどうする。評価されろ。誤魔化すな」

 いつの間にか、睨み合うようにして言葉を叩きつけ合っていた蔵人とホルカン。

 先に我に返ったのはホルカンであった。

「……ちっ、もう寝る。出て行け」

 蔵人も無言で、地上の納屋に戻った。


 翌朝、蔵人たちは何事もなく村を出発し、七日ほどで皇都に到着する。

 皇都はテーブルマウンテンの裾野に広がる広大な城下町で、見上げるような石壁と巨大な門がそびえ立っていた。

 その門に並ぶ少し前、門のあるか手前でサーシルは竜車から降り、元来た道の方向へ言い放った。

「――ここで大人しくでてくるならば殺しはせぬ。出てこい」

 蔵人とホルカンも降り、いったい誰にと思っていると、それはひょっこりと姿を現わした。

 蔵人は驚き、ホルカンは怪訝な顔をし、アズロナがぶんぶんと翼を振る。

 それはアズロナに応えるように、小さく手を振った。

「ふむ、あれはそなたが廃遺跡に導かれたという罠魔と箱魔ではないか?」

「……まあ、そうだな」

 それは確かに、あの忘神に仕えていた箱魔を背負った罠魔であった。

「あれはな、妾たちをずっと追いかけて来ておった。ときおり、盗む食いなどしておったようだが、宴の最中のことと大目に見たが、皇都の中でそれをされてしまえば、ただの食い逃げで討伐するしかなくなってしまう。仮にも忘神とやらと関わりがあるのなら、そうはしたくないであろう?」

 どことなく、お前の関係者なのだからどうにかしろ、と言われているようで、蔵人は目眩がした。いや、実際にずきずきと頭が痛んだ。

 

 ちらとアズロナを見れば、キラキラした単眼で蔵人を見上げている。

――げぴ

 罠魔の表情はまるでわからないが、その鳴き声に蔵人はなんとなくある言葉を思い出していた。


『今頃気づいたかっ、神を愚弄した罰じゃっ。そやつの食料が果てるまで食ろうてやるがよいっ』


 あの廃遺跡の地下で、悪ぶった悪神が発した、罠魔への命令であった。

 だからついてきたし、盗み食いもしたのだろう、と。

「……俺が言ったことを守れるなら、一緒に来い。それが守れないなら、とっとと帰れ。もし、俺についてきて、俺が言ったことを守れず、人に迷惑をかけたら殺す。それでもいいなら、来い」

 アズロナの友達ということで、無下にはしづらかった。

 蔵人の条件に、罠魔はどこか虚空を見上げるようにしてから、てってと近づいてきた。

――ぐるるぅっ

 が、雪白の大きな前脚が、罠魔の頭にがっしりと乗せられる。

 従わなくば殺す。

 そう言いたげな威圧に、罠魔は勢いよく頷き、背負っていた箱魔までもがカパカパと宝箱の蓋を上下させた。

「決まったようじゃな。猟獣としてしっかりと躾するようにな。まあ、妾も協力する」

 魔獣医として、遺跡外に罠魔と箱魔がいるのは珍しいらしく、さっそく検査とばかりにサーシルは二匹を調べ始めた。



 新作です。

 かなり軽めに仕上がっていると思います。お手すきのときにでも読んで頂ければ幸いです。


『異世界列車の車窓から――用済み勇者の身の振り方――』

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 第1巻が8月25日に発売されております。

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― 新着の感想 ―
ここまでの物語大変面白く読ませていただきました。今後も続編の執筆を楽しみにしております。
続編を、切に願っております。m(_ _)m
1年に一回思い出して読み返してます。 残してくれて、ありがとうございます
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