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用務員さんは勇者じゃありませんので  作者: 棚花尋平
第七章 舞い上がる砂塵
139/144

131-多重連結式

 

 遭難船かと思われた浮艦であったが、二番舟船頭が異変に気づいた。

「――回避用意っ! 加速してるぞっ」

 突然の事態にも男衆は即座に対応を始めるが、予想外の事態に舟団の空気は一気に張り詰めた。


 だが、警告は間に合わなかった。

 浮艦の速度が、砂流に逆らってそれを回避する舟団よりも遥かに早かった。

 確かにバーイェグ族の腕を持ってすればある程度は砂流に逆らって進むことはできるが、その速度は砂流に乗ったときとは比べものにならない。

 浮艦はあっという間に、舟団の橫腹に突き刺さった。

 その衝撃に舟団は大きく揺れ、船体を軋ませた。

 だがそれで終わりではなく、浮艦は舟団をぐいぐいと押し込んでいく。

「分離――」

「――ウォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ」

 総船頭代理の命令は蛮声にかき消される。

 命令が聞こえなくとも、いまこの状況で何をすればいいか男衆にもわかっていたが、浮艦から雪崩れ込んできたアルワラ族の戦士にそれどころではなかった。

「――ウォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ」

 さらにはガズランの周囲に張っていた天幕から瘤蜥蜴に乗った戦士たちが猛然と飛びだした。

 舟団は分離することもできず、そのまま浮艦に押し込まれ、ついには接岸を許してしまう。


「――二番は浮艦を。三番、四番、八番は砂漠側で迎撃しろっ」

 総船頭代理の声を追い越し、船頭たちが命令に従う。総船頭代理が遅いのではなく、船頭たちが早かった。

 浮艦側は二番舟の男衆と舟団に篭もる女衆が、砂漠側は三番舟と四番舟、八番舟の男衆が舟団の外舟を利用しながら籠城戦の構えを見せる。

 だがすでに、浮艦からは二百を優に越える砂漠の戦士たちが、砂漠からは無数の騎兵が押し寄せていた。

「アルワラ族、いやあれは、くそっ、嵌められたかっ」

「ハジズにブフト、ちっ、四兄弟が出張ってやがるっ」

 瘤蜥蜴の突撃に櫂剣と曲剣、櫂剣と棍棒が不快な音を鳴り散らす。

 それでもバーイェグ族は浮艦側と砂漠側、そのどちらもどうにか受け止めきった。

 

 戦線はしばらく膠着すると思われた瞬間、砂漠側より舟団に向って一斉に何かが放たれる。

 それは矢や投石だけではなかった。

「――嘘だろっ」

 雷撃や砂槍、風塊といった精霊魔法であった。

 蔵人が使っているのは知っているし、呪術も知っている。アルワラ族にも数名の呪術師はいるが、これほどの数ではない。騎兵の後ろに立つアルワラ族のすべて、女子供年寄りまでもが、呪術を放っていた。

 ニルーファルや船頭たちはまるで火山弾のように降り注ぐ攻撃を三つ、四つと斬り払うが、まるで手が足りない。

 砂舟の連結が破壊され、舟床に穴が空く。直撃する者こそいなかったが、手傷を負う者が続出した。


 青天の霹靂とはこのことか。

 しかもさらに、蒼い流星が轟音を立てて舟団に突っ込んだ。

 さらなる不可視の攻撃にニルーファルは歯を食いしばり、目の前の瘤蜥蜴を戦士ごと叩き斬る。

「――ちょっといいか?」

 ここにいるはずのない声に、ニルーファルは蒼い流星がなんであったかを即座に察した。

「大会合はどうなったっ」

 振り返りもせず、次の戦士と剣をまじえながら、ニルーファルは蒼色の流星、アズロナに跨がって舟団に突っ込んだ蔵人に問う。


 蔵人はアズロナに跨がり、大会合の天幕をぶち抜いて、舟団まで『一直線』に突っ込んだ。

 それはマルヤムやアカリが体験したようなどこに飛ぶかわからないようなものでこそなかったが、ただただ一直線に加速するだけの、止まることすらマトモにできないミサイルのようなものであった。

 それでも、一直線にならばどうにか飛べるようになったのはアズロナの頑張りである。

「――アルワラ族とガズランを含んだ半分以上の部族が敵に回った。マルヤムが人質にされていたが、俺はファルードに頼まれてこっちへ来た。そっちは?」

「……そうか。こっちも同じようなものだ。アルバウムから見つけたら救助しておいて欲しいと言われた浮艦が現れて追突し、砂漠まで押し込まれた。浮艦の中からアルワラ族の戦士が現れ、陸からはアルワラ族と幾多の部族が押し寄せ、なぜか呪術、いや精霊魔法を使ってきている」

「舟団は動けないのか?」

「月が中天にっ、届けばっ、砂流の流れが変わる。そうなればやりようもある」

 どこぞの部族をまた一人吹き飛ばしながら、ニルーファルが答えた。


 あと一時間くらいかと蔵人はあたりをつける。

「ファルードたちはどうすんだ」

「……掟だ。アナヒタ様が、すべてに優先される」

 ニルーファルの表情はいつもと同じように見えた。だが、その泣きそうな顔は刺青だけではないのだと、いつもと変わらぬように見えて違うのだと、蔵人にもようやくわかるようになった。

 蔵人はニルーファルに背を向ける。

 それを見ずとも感じたニルーファルであったが、喉まで出かかった言葉を呑み込んだ。いまなお雪白がジャムシドと戦っている。蔵人はそちらに行くべきなのだ。


 だが、蔵人が向ったのは舟団の中心にある大舟であった。

 大舟以外は至る所で戦闘が行われ、今なお断続的に矢や投石、精霊魔法が降り注いでいる。

 蔵人は食料リュックから取り出した『飢渇丸』を飲み下し、大舟の天辺に立った。

 そしてそこから、迎え撃った。

 矢と投石に精霊魔法を加えればほぼ百を超える攻撃を砂で受け止め、打ち落とす。

 今の蔵人が放てる同時行使は三十五。

 巨大な舟団のすべてを守ることはできないが、致命的なものは防ぐことができた。無論、すべての攻撃を器用に打ち落としているのではなく、おおよその軌道を予測して砂の盾を用いているだけであった。


 初めての戦争に怯えがないと言えば嘘になる。

 憎む相手との殺し合いではなく、お互いにお互いをはっきりと認識していない殺し合い。誰を狙ったかわからないような攻撃で、あっさり死ぬことすらある。まるで一つの生き物のように押し寄せる無数の殺意は、狩りや少数でのいざこざとはまったく違っていた。

 まして雪白はジャムシドにかかりきりで、この場にいない。

 気は昂ぶるが、背中は妙に冷えて、指先は震えていた。

 できることを、などと思ってここに立っているのではなく、戦場のただ中に突っ込む度胸も技術もなかったからという意味でしかない。

 だが、それでもここに立っていた。

 あの大会合を見ていなければ、もしかすると今でも迷っていたかもしれない。

 略奪を黙認せざるを得ないバーイェグ族と略奪を妨害する蔵人ではそもそも考え方が違う。いきなり戦争が起きて、即座にバーイェグ族を信じるなどおそらくは出来なかった。せいぜい中立を保つことくらいでああろう。


 物事の善悪というのは蔵人にとってとても重要な判断基準である。でなければ人を殺すことなどできるはずもない。もし己のルールから逸脱した状態で人を殺せば、精神を病んでしまうだろう。

 大会合を見て、己のルールと照らし合わせ、さらにファルードから頼まれ、マルヤムの決意を目にし、ニルーファルの忍従を見て来たからこそ、こうして戦うことを選べた。

 この砂漠で生きていこうと考えたからこそ、こうして戦うことにした。

 大局から見れば、戦争に善悪を見いだすというのは愚かな行為であるかもしれない。

 だがそれを無くして、蔵人は人を殺せない。

 そしてそれがあるからこそ、震えていようが、怯んでいようが、ここに立つことができた。


 幾多の精霊魔法を放って、矢や投石、精霊魔法を阻んだ。

 蔵人めがけて飛んでくる攻撃は黒布が弾き、障壁が阻む。

 偏執的なほどの防御はここでも蔵人の命を救っていた。

 そうして、飢渇丸の効力によって無限に湧き出る魔力任せに放ち続けたことで少しだけ戦場に慣れ、戦場に立ち続けたことでほんの少し余裕が生まれた。

 だからこそ、戦場の異変に気づけた。

 

 戦い敗れた男衆を、氷漬けにして連れ去ろうとしているローブの者たちに。


 蔵人は大舟から飛び降り、即座にニルーファルに告げた。

 ニルーファルは一旦引きつつ、蔵人の指差す先を目視する。

 戦場での奴隷狩りというには少し早く、その挙動は明らかに異常であった。

 だが、今持ち場を離れるわけにはいかなかった。

 船頭も副船頭もバスイットの強力な兄弟たちに抑えられている。蔵人のお陰で精霊魔法や矢の攻撃は随分と減ったが、ここを離れれば元の木阿弥になるだろう。

 また、奪われるのか。ニルーファルは強く拳を握りしめた。

「ギャァアッ」

 異質な叫びが上がる。

 突然喉を押さえ、苦しみのたうち回るアルワラ族の戦士。

「――お行きなさい」

 アズロナに腰掛けたアナヒタが、大舟から舞い降りる。

 その周囲には赤い水、いや強い酒精の赤い酒が漂っていた。

 アルワラ族の男はこの赤い酒を口に流し込まれ、口から鼻、目へと浸透させられたようである。


「アナヒタ様っ、お下がりください」

 アナヒタは微笑む。

「あなたは誰よりもバーイェグ族であろうとしました。そして実際にそうであった」

 アナヒタを見つけた部族の戦士たちが襲いかかる。

 だが、アナヒタは赤い酒を操り、寄せ付けない。

「くそっ、夜は操れないんじゃなかったのかよっ」

 話が違うとばかりに戸惑う戦士を、ニルーファルは即座に屠った。

「私も戦えます。それに私が死んでも、バーイェグ族が生き残れば水の御子は再び現れます。ですから今は、彼らを救いなさい」

「……わかりました。すぐに戻ります」

 ニルーファルは右手に櫂剣、そして左手には鎖付きの錨を握る。

「……頼む。手を貸してくれ」

 蔵人は頷いて、救出の手筈を相談した。

 


「――我らの同胞を返してもらおうかっ」

 蔵人の石精魔法を踏み台にして高く跳び上がったニルーファルは、氷漬けにした男衆を運ぶローブの者たちの前に立ちはだかった。

 ローブの者たちはニルーファルに答えることなく、無言で襲いかかる。

 それを予期していたニルーファルは、櫂剣を下から切り上げ、砂を盛大に巻き上げた。

 ローブの者たちの足が一瞬止まり、視界が遮られる。そこに――。


 ――蔵人が突撃した。


 アズロナに跨がった蔵人はニルーファルに合わせて低空で一気に加速し、巻き上げられた砂を突き破って一直線にローブの男たちを急襲する。

 直線にしか飛ぶことの出来ないアズロナに跨がっての低空突撃であった。

 蔵人が狙うは指揮官らしき立ち位置にいる二人。

 それを理解したのか、一人は身構え、一人は反応が遅れた。

 怯みすら感じるその動きに、蔵人はターゲットを決める。

 その目は既に相手を人として見ていない。物を見ているように、なんの感情も見られなかった。

 だが、それに反応した敵の一人が、アズロナの超高速突撃に合わせて槍杖を突き出す。

 蔵人は障壁任せでそれを無視したが、槍杖は障壁をあっさりと貫通。

 障壁が破壊された感覚に、蔵人は咄嗟に身体を傾ける。

 直後、槍杖は蔵人の革兜を貫いた。

 血が噴き出す。

 革兜と命精障壁を貫通した槍杖は、蔵人の革兜をひっぺがしながら、耳を貫いた。


 だが、アズロナに跨がって加速を続ける蔵人は止まらず。

 そのままターゲットを不可視の『大鋏(シザース)』で捕え、反対の盾で顔面を殴りつける。

 体勢の悪さから『全力の一撃』は不完全なものとなってしまったが、アズロナの速度がその威力を補った。

 氷鵺の双盾の表面に出した鋭いスパイクが、相手の障壁を削る。

 盾を押しつけたまま、アズロナはさらに加速。

 すると蔵人の盾から、溜めていた空気を押し出すような発射音。間断なく三発ずつ、高速で連射される。

 蔵人は敵を突撃に巻き込み、盾を押しつけたまま、盾に組み込まれた三連式魔銃を放っていた。

 ドゥオフ謹製の先端を刃物のように鋭くした徹甲弾三発が全力の一撃で削れていた障壁を完全に破壊。間髪入れずに放たれ続けている石弾が敵の顔面を穿ち続けた。


 当然そんなことをして騎乗バランスを保つことはできず、蔵人はアズロナの上から落ちるが、落ちながらもなお捕らえた敵を放すことなく、執拗に撃ち続けた。

 アズロナも砂に激突してようやく止まるも、そこで怯むことなく、すぐに天高く飛び上がって離脱した。

 敵を捕らえ、アズロナから落ちてもなお魔銃を撃ち続け、砂地に転がりながらも撃ちまくった蔵人であったが、盾で砂地に押さえつけた敵の身体が脱力していることに気づき、撃つのを止めた。

 そこでようやく敵の顔を拝むことになったのだが、蔵人は顔を顰める。

 だが、それも一瞬のことですぐに立ち上がると、まだ戦っているであろうニルーファルの下へ駆けていった。

 蔵人は殺した相手を知っていた。

 リサ・ハヤカワ。

 顔の半分が石の弾丸により抉れていたが、たしかにかつてコースケ引き取っていったその女である。

 どこからか男の絶叫が聞こえた気がして、蔵人は顔を顰めたのであった。




*****




「――う、嘘だろ。リサ、リサぁああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 奇しくも、黒竜の断崖の頂上で、コースケが絶叫していた。

 なぜそこにリサがいるのか、なぜそこに蔵人がいるのか。なぜそこにラファルが、なぜそこにアルバウムの精鋭部隊がいるのか。なにより。

 なにより、なぜ蔵人が、リサを殺してしまったのか。

 何一つわからなかった。


「ガズランで部族間衝突が予想される。それに乗じて、バーイェグ族の男衆を拉致しろ」

 ラファルの部屋でそんな命令を受けたコースケであったが、明確に拒絶した。

「本国からの命令だ。拒否権はない。軍は子供の遊び場じゃない」

「――仮にそれが本国の命令だとしても従えません。特務官の権利を行使させていただきます。特務官は戦時でない限り、命令の拒否が認められています」

 他にも戦争への参加の可否を判断する権利も特務官には許されていた。無論、コースケはアルバウム人になった限りはこの権利を濫用する気はなかったが、この命令は承服しかねた。

 特務官の権利という当たりで、ラファルはうんざりした表情になる。

 特務監察官はその特務官の権利を停止させることができるが、この場合は本人がどうしても動かないとなれば、動かす術はない。

「命令拒否は重罪だ。それにこの作戦を知ったお前を放置しておくことはできない。いかに特務官であろうとも軍の機密を漏らすことは禁じられている。七日間の懲罰房入りを命じる。そのあとは覚悟しておけ」

 だから軍規を乱す特務官などという役職は反対だったのだとラファルは呟きながら、衛兵にコースケの連行を命じた。

「了解致しました」

 コースケは軍規どおりにきっちりと浅く頭を下げ、命令を承諾した。


 命令どおりに七日間を懲罰房で過ごすつもりであったコースケだが、六日目に事情が変わった。

「……ラファル監察官とリサさんが、砂漠へ調査に向いました」

 懲罰房の小さな格子窓から顔をのぞかせたのは、『業火の弓』という神の加護を持つ、タクヤ・シンドーであった。サンドラ教からの出向という形でタクヤは横断に参加していた。

「それは……というか、なんでこんなところにいるんだ」

 タクヤは何故か懲罰房の鍵を持っており、今まさに解錠しようとしていた。

「見張りの兵士が熱心なサンドラ教徒でね。とにかく、ここから出すから急いでリサさんを探すんだ。早朝に出発したようだから、少し遅くなってしまったけど許してほしい。私もそれを知ったのはついさっきなんだ」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。調査なら何もおかしくないだろ」

「五日前から南北の迂回路は封鎖されてる。どうも砂漠で紛争が起こるらしいんだけど、そんな中でラファル監察官と決して調査に向いているとはいえないリサさんが調査に行くなんてありえない」

「いや、しかし――」

「それにね、実は私もラファル監察官に呼ばれたんだよ。もちろん命令は断ったさ。君のように懲罰房入りになりそうだったけど、私は神官だからね。さすがに彼もサンドラ教を敵に回したくはなかったらしい。だけど、リサさんは断れるだろうか? だから、早く行った方がいい。ラファル監察官は新任の東部統督に権限を奪われて焦っている。何をするかわからない」


 なぜそんなにアルバウムの内部構造に詳しいのか、そんな疑問が浮かんだが、それ以上にタクヤに対して申し訳さを感じていた。

「……僕は何も出来なかったのに、何故ここまでしてくれるんだ」

「あのときはみんな大変だったし、みんな自分のことで手一杯だった。ただ私が情けなかっただけ。だから気にしないで。それに好きなんだろ、リサさんのこと。それなら行くべきだ。あとのことは私に任せてくれ」

「……この恩はいつか返す」

 『大地の眼』を発動し、コースケは駆けだす。

「――太陽に導かれし勇者に幸運を」

 タクヤはコースケの後ろ姿を満足げに見送りながら、その背に向けて指で十字剣を切った。


 コースケは誰にも遭遇しないルートで自分の部屋へ行き、武装を掴み、外へ飛びだした。

 浮艇(フローター)に乗り込み、一直線に黒竜の断崖の麓まで行くと、そこで浮艇を乗り捨て、岩山を全速力で登った。

 魔力が切れてもかまわないつもりで、身体強化を最大限まで高め、駆け抜けた。

 黒竜の断崖の天辺に辿り着いたときにはもう日は落ちきっていたが、コースケの『眼』は月明かりでも十分にその力を発揮する。

 黒竜の断崖を南から北へ移動しながら、目を皿のようにしてリサを探すと、何かを見つけた。

「……あれはガズランか?」

 遥か先にある街に砂塵が舞い上がっていた。

 なぜか遭難したはずの浮艦がバーイェグ族の舟団に追突し、そこではアルワラ族が精霊魔法を用いていた。他にも、コースケの動体視力を持ってしても見えない白と赤の何かが縦横無尽に戦っていた。

 なぜそこに浮艦が、なぜ精霊魔法が、という疑問はとある違和感を『眼』の端に捉えたことで、どこかへ消えた。


 夜に氷。しかも氷の中にはバーイェグ族の男がいた。

 ミド大陸ではなんら不思議なことではないが、ここは水精のいない砂漠である。夜に氷を作るには水を別に用意する必要がある。

 それが違和感だった。

 だからこそ、水精が存在しなくとも氷を生み出すことができるリサがいるのではないかと。

「……リサっ」

 そして、見つけた。深々とローブを被っているが、確かに骨格はリサのものだった。

 リサの近くにはこの『眼』を持ってしても正体のよくわからないラファルと、その動き方の癖からアルバウムの精鋭部隊らしき者たちがいることがわかった。

 急いでリサの下へ向おうとするが、状況はすぐに悪化する。

 リサたちが相対している女戦士、ニルーファルが何かを叫ぶが、アルバウムの精鋭部隊はそれを無視して攻撃を仕掛けた。

 ニルーファルは砂を巻き上げるように櫂剣を振るうと、そこにアズロナに跨がった蔵人が突撃して、リサを強襲した。

 リサは突撃を正面から受けてそのまま押し込まれ、投げ捨てられた。

 いかに『大地の眼』といえど、音までは拾えない。

 何が起こったかはわからなかったが、砂漠に倒れたリサの傷が致命傷であることは容易に見えた。

「う、嘘だろ。リサ、リサぁああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 だが、リサはピクリとも動かなかった。




*****




 刺々しい何かで殴られた。

 リサはそれを感じた直後に何かで撃たれ、魔法具の障壁は呆気なく破壊された。

 そこからさらに撃たれ続け、命精障壁に穴が空き、そしてリサの顔面を抉った。

 加護を使う間もなかった。

 痛みはあったが、怯えて足が竦んでから、顔面に痛みを感じるまではほとんど一瞬で、走馬燈など見る暇はなく、目の前が真っ暗になった。

 遠のく意識の中、リサはラファルの、いやゴウダの不敵な笑みを思い出して、死んだ。

 タクヤが予想したように、リサはラファルの頼みを断れなかった。

 酷いことはしないと約束した。

 それを信じた。

 いや、信じるしかなかった。

 ゴウダに捨てられてしまったら、どう生きたらいいかわからなかった。




******




 アルバウムの精鋭部隊を三人も相手取り、ニルーファルは互角に戦っていた。

 相手は精霊魔法を駆使しているが、何を感じているのか精霊魔法をあっさりと避け、近接戦では精鋭部隊を凌駕すらしていた。

 急襲でリサを殺した蔵人はいつものように砂の球壁に篭もり、ニルーファルを後方から援護する。球壁が破壊されようとも即座に修復し、強固な固定砲台として戦い続ける。

 そんないつもの蔵人の戦い方に、敵はすぐに対応してみせた。

 闇を引き裂くように、球壁の真上に紫電が落ちた。

 集束式中級雷精魔法『雷鎚』を三つも『同時行使』した上で、一人で『一斉行使』して見せた。かつてリュージの部下が数人で放ったそれを精鋭は一人で行ったのである。

 精鋭の攻撃はそこで途切れず、破壊された球壁へと肉薄すると、猛然と槍杖を突き出した。

 だが、手応えはない。

 槍杖が貫いたのは影で作っただけの人であった。


「――後ろッ」

 すぐに蔵人の居場所を察知した精鋭はラファルへ警告するが、すでに蔵人はラファルの後ろ、その足元にいた。

 蔵人は雷精の気配を察した瞬間に砂へ潜り、ラファルの背後に回っていた。

 無言でククリ鉈を切り上げる蔵人に、ラファルは咄嗟に横へと転がり、身を躱す。

「グッ――」

 蔵人のククリ鉈はラファルの腕に掠り、あっさりとへし折った。

 あまりの手応えの無さを疑問に思いながらも、蔵人は距離を取り、再び球壁の形成を始める。


 だが、精鋭はそんな隙を与えなかった。

 蔵人がラファルを攻撃しようとしていた瞬間から動きだしていた精鋭の放った槍杖を、蔵人は辛うじてククリ鉈で受け止めるが、翻った槍杖の柄の部分が鳩尾に突き刺さる。

 革鎧越しにもはっきりとわかるほどの衝撃に、蔵人の息が完全に詰まる。柄は障壁をあっさりと砕き、命精障壁をも貫通していた。

 障壁破壊。

 そうとしかいいようのない攻撃を二度も受けて、蔵人はそれを確信する。

 強固な肉体を誇る英雄対策であろうが、それを三人も相手に互角に渡り合うニルーファルはやはり別格であろうだが、蔵人にはたった一人でさえも手に負えなかった。

「――やるぞっ」

 ニルーファルへ合図すると同時に、砂の薄布を放つ。

 目潰し程度の意味合いしか持たない砂の薄布であるが、それにニルーファルが呼応した。

「邪魔をするなぁあああっ!」

 ニルーファルの目が充血していた。

 血わずらい。ミド大陸では狂戦士とも言われる、歴戦の砂漠の勇士が持つ驚異的な力である。

 櫂剣を片手で振るい、鎖付きの錨を軽々と振り回す。

「……『英雄』の『狂戦士』とは」

 砂塵が漂う中で、櫂剣の一振りは精鋭の槍杖を一撃でへし折り、鎖の先端についた巨大な錨に二人がまとめて吹き飛ばされる。

 それに驚いたラファルと蔵人の相手をしていた精鋭は、蔵人を一瞬見失った。


 精鋭はすぐに蔵人を見つけるが、そのときには蔵人は目的を達し、撤退しようとしていた。

 戦闘中も少しずつ砂で倒れた男衆を包み込んでいた蔵人は、ニルーファルへの合図と同時に男衆を確保、そのまま逃走を始めていた

 蔵人とニルーファルの目的は、拉致されそうになっていた男衆の救出。それが終われば、アルバウムの兵士と戦う意味も勝つ意味すらもなかった。

 撤退ついでに倒れ伏す他の男衆を回収しつつ、蔵人とニルーファルは舟団に戻った。



 そうして息のある男衆を回収して舟団に戻ってきたが、情勢は悪化の一途を辿っていた。

 ニルーファルはアナヒタの無事を確認し、舟団の戦いに加わった。

 救出された男衆たちも蔵人が傷を治すと、すぐにまた戻っていく。

 だが、蔵人の治療ではすぐに復帰できない者や、すでにどこかで息絶えた男衆がいて、多少男衆が戻ったところで焼け石に水であった。

 それでもバーイェグ族は抗い続ける。

 蔵人が理不尽に抗い続けるように、彼らもこの砂漠で戦い続けてきた。

 ここで降伏すれば、バーイェグ族は奴隷となる。女衆は慰み者となり、男衆は過酷な労働に従事させられる。

 そうなれば砂流の知識と水をアルワラ族が独占することとなり、ひっそりと生きる骨人種のような者たちまで争いに巻き込まれ、アルワラ族に従わない者たちは渇いて死ぬしかない。

 そうして増長したアルワラ族は西の国とも戦い、最初こそ勝つかもしれないが、十分に戦争の準備を整えた西の国々に敗北するは必定。砂漠は西の国々の植民地となり、搾取され続けることになる。


 だからこそ、バーイェグ族は退けなかった。最悪の事態を想定しているがゆえに。

 そんなバーイェグ族の姿に蔵人は自らの肩を見つめた。

 今もまだ、ファルードの手の重い感触が肩にあるような気がした。

 人質となりながらも、命乞いをしなかったマルヤムの目が脳裏から離れなかった。

 穏やかな日常を送る二人の姿を知るだけに、それは余計に強く心に残っていた。

 ここで生きて、ここで死ぬのも悪くない。

 そんな思いは、大会合という理不尽で砕け散りそうになっていた。

 だが、砕け散りそうになった思いはファルードとマルヤムの決意が、この砂漠の景色が、耐え続けるニルーファルが繕ってくれた。


 何があろうとも手放すことができない。

 砕け散らせることもできない。

 それはかつて蔵人が日本にいた頃に感じていた気持ちによく似ていた。

 どんなにうだつの上がらない人生であったとしても、日本を離れる気にはならなかった。出来る限り、日本でやっていきたいと思っていた。

 英語もできず、自信を持てるような能力もない。だから外国には行けない。

 そんな気持ちがなかったといえば嘘になるが、それでも、出来る限り日本でやっていきたいという部分に嘘偽りはなかった。

 かつてあった日本への気持ちは今でもあるが、それをハヤトたち日本人に感じていなかった。同じ日本人という意味での親しみはもちろんあるが、それが帰属意識に繋がっているわけではない。

 そういう意味では、ハヤトに加護を盗まれ、召喚者たちからいないものとして放置され、ハヤトやエリカ、リュージに殺されかけ、利用されそうになったことは大きく影響していた。


 知人程度の繋がりであった召喚者たちと、短いながら濃密な時を共有したバーイェグ族ではその重みが違っていた。

 出来る限り、この砂漠で生きていきたい。

 それが今の蔵人の思いであった。だから――。


 蔵人は呟くように、詠唱を始めた。

 

 じりじりと追い込まれ、ニルーファルはすぐ後ろに舟団を感じながら、戦っていた。

 ここを抜かれれば、砂漠側から舟団への侵入を許すことになる。そうなればもうひとたまりもない。

 だが男衆の多くが倒れ、もはや限界が近かった。

「……少しだけっ、時間を稼いでくれっ」

 蔵人の叫ぶような声が聞こえた気がしたが、戦場の怒声にかき消えた。

 傷ついていく戦士たちをこれ以上見ていたくなくて、ニルーファルは蔵人の声を信じた。おそらく初めて、ニルーファルは無謀な賭けに出た。なんの根拠もなく、蔵人を信じた。

 それはこれまでの信頼の積み重ねであり、蔵人が裏切ることのないという確信であった。

 もしかしたら、雪白が動けるようになったのかもしれない。


「――誰か、一騎打ちを受ける者はいないかっ」


 一振りで三人を吹き飛ばし、ニルーファルは前へ出て叫んだ。

「そうかっ、いないか。所詮は群れることしかできぬ魔虫にも劣る連中だったか」

 そこにこれまで指揮に徹していたバスイットの兄弟が一人立ちはだかる。

「――我が名はハジズ! 女だてらに船頭を任された者がいると聞いてたが……悪くないな」

 女としての自分を舐めるような視線を、ニルーファルは嘲笑ってやった。

「まだクランドのほうがマシだな。気色が悪いにもほどがある」

「クランド? 貴様の情夫か。よしやよしや、奴隷に落とした女を前の男の前で犯すのも一興か」

 バジズは櫂剣よりも巨大なグレイブを頭上で旋回させ、振り下ろした。

 来ることがわかっていて、受けることしかできなかった。

 空気を押しつぶすかのような一振りを、櫂剣で受け止めたニルーファルの足が砂に埋もれる。

「ほうっ、よくぞ受け止めた」

 バジズは手を緩めることなく、グレイブを振るう。

 ニルーファルは避けようとするが、それを遮るようにグレイブが襲いかかった。

 バジズの戦士としての勘が、ニルーファルの行動をことごとく読み切っていた。


 ――キシッ

 何度もグレイブを受け止めた櫂剣から致命的な感触が伝わってくる。

「剣芯がイカれたようだな。アルワラ族随一の我が力に、最も硬き我が剣があれば無敵よ」

 今の状態で受け止めることができるだろうかと、一瞬疑った。

 その僅かな隙をバジズは見逃さずにグレイブを叩きつけた。

 一瞬の疑いは、刹那の反応の遅れを生み出し、その遅れによってニルーファルはまともに櫂剣でグレイブを受け止める結果となった。

 真っ二つに折れる櫂剣。

 そこへ間髪入れずに翻ったグレイブの峰が、ニルーファルの胴体に吸い込まれる。

 終わりだ、そう確信したバジズであったが、手応えがない。

 何が、そう思った瞬間に顔が裂けた。

「ぐぅっ」

 ニルーファルが握っていたのは蔵人が贈ったブーメランソード。元は三剣角鹿の角であるが、特殊な能力などないただの曲剣だった。

 だが、紅蓮飛竜の骨で出来た柄と組み合わされ、最上級の英雄であるニルーファルが握ったことで、その斬撃強化とでもいうべき力を発揮した。かつて蔵人が持っていた大爪が大棘地蜘蛛の糸と組み合わさったことで、遠隔で自由に開閉できたのと同じ現象である。

 だがこれはすでに英雄のいないミド大陸では喪失してしまった組み合わせであった。

 

「その程度かっ」

 バジズは顔の傷をものともせず、グレイブを振るいながら回転し、背後のニルーファルを薙ぎ払う。

 だがそれも、するりといなされた。

 それはまるで雪白の尻尾の動きのようでもあり、イライダの槍が剣を受け流すかのようでもあった。それにバジズの顔を傷つけた一撃、バジズを飛び越しながら切りつけたアクロバットな動きもヨビによく似ていた。

「……我は、頼ってばかりだな」

 そう呟きながらもニルーファルはグレイブをいなし、柔らかくもアクロバティックな動きでバジズを翻弄する。

 ニルーファルの力は男とも遜色ないが、女である。男と同じ戦い方でここまで腕を上げたのは才能と執念、そして五十年以上の長い年月を修練に費やしたためであるが、それはあくまでも男として修練にほかならない。バーイェグ族に女としての戦い方があるわけではないのだからそれも致し方なかった。

 だが、雪白、そしてイライダやヨビという近しい存在の戦い方を吸収することで、ニルーファルの力は開花した。

 

 バジズにとっては理解不能、未知の動きだった。

 それでも、その動きの欠点に即座に気づいたのはその勘良さ、洞察力ゆえだろう。

「かすり傷でいい気になりっ――」

 こんな軟弱な力など何ほどのものかと罵ろうとしたバジズであったが、そもそもニルーファルはこの砂漠の戦い方を熟知している。怪力がなくなかったわけではなかった。

 ニルーファルは地面に転がしておいた鎖を握ると、それを轟然と叩きつけ、そのままバジズを雁字搦めにする。

「ぐぅっ、こんなものっ」

 ほんの一瞬の拘束。

 だが、ニルーファルにはそれで十分だった。

 そのまま渾身の力でバジズの首を薙いだ。英雄特有の硬い身体をものともせず、強引に切り払う。

 『全力の一撃』。

 雪白がジャムシドとの戦いで用いたそれを、ニルーファルは修練の果てに会得していた。雪白、蔵人、イライダ、ヨビとの出会いをニルーファルは決して無駄にしなかった。


「――バスイットが兄弟バジズは、このニルーファルが討ち取ったっ!」


 バジズのグレイブを頭上に掲げ、ニルーファルは仲間を鼓舞するように大声を上げた。

 それに他の船頭たちも呼応する。

 倒せないまでも、それぞれが相対していたバスイットの兄弟たちを退ける。

 突出した戦力に気圧され、足の止まる軍勢。その間に男衆たちは一旦退き態勢を整えていた。

 そこへ、軍勢と舟団のちょうど間に、氷砂の球壁を纏った蔵人が乱入した。

 さながら隕石のように大地に突き刺さった球壁。


「――全式(オペレイション)解放(スタート)


 蔵人の解放詠唱は球壁内に響き、誰に聞かれることなく消えていく。

 だが、その爆発的な魔力の蠢動に、ニールファルや船頭が総毛立った。


 夜の砂漠に黒い女の手が、扇状の闇が広がった。


 その得体の知れぬ闇に部族連合は、僅かに怯んだ。

 精霊魔法を覚えたとはいえ、初球程度のものしか知らないアルワラ族、そしてそれすら知らない部族連合は闇を操る呪術師の存在など知らなかった。

 だがそれで終わりではなかった。


 鼓膜を貫き、心臓にまで届かんとするような爆音が轟き――。

 砂槍が針山のように隆起し――。

 眼球が一瞬で凍りつくような冷気が広がり――。

 得体の知れない赤い雪が吹きつけた。


 舟団を背にした蔵人から、次から次へと女が手招きするように、扇状の巨大な波が生まれた。

 闇による視覚と心理への攻撃、冷気による触覚、爆音による聴覚、砂槍による機動力、赤い雪に混じる雪毒。

 目まぐるしく変わる感覚への攻撃に、砂漠側の軍勢は一歩二歩と魔法の影響がないところまで退いていく。どうにか恐慌に陥らなかったのは指揮官の力であろう。

 だが、バーイェグ族はこの隙を逃さず、全戦力を浮艦側に注ぎ込んで一気に制圧していく。

「――この機会、決して逃すなっ」

 もし蔵人が失敗したとしても、浮艦側からの攻撃がなくなれば、それだけ有利になる。

 蔵人が作り出した好機を逃すまいと、ニルーファルは蔵人から視線を剥がして、浮艦の甲板に躍り出た。


――多重連結式。

 それは蔵人がかつて半分はったり、半分本気でハヤトに用いようとした自爆じみた魔法式の完成版であった。

 『魔力解放(レイスダム)』で自分の魔力を根こそぎ精霊に渡し、命令がないまま魔力を受け取った精霊に対して『依頼変更(タリルダーン)』で命令なき命令を変更して命令を下し、すべての『精霊魔法』に『千変の毒』を付与し、放つ。

 

 『魔力解放』はかつてオーフィアに貰ったもので、精霊魔法覚醒の際に行われる儀式を強制的に引き起こすものである。命令の判然としない精霊への命令に、精霊が根こそぎ魔力を持っていってしまうアレである。

 『依頼変更』はかつて怪盗スケルトンのジーバに貰った三つの魔法式の一つであるが、『対象』又は『対象の精霊魔法』への直接接触という厳しい条件を蔵人ではクリアすることができず、死蔵されていたものであった。だがそれも、自分への『接触』ならばクリアするのも容易い。

 『千変の毒』は対象に注入し続けなければ、すぐに効力が切れてしまう毒であるが、嫌がらせとしては十分であった。本命の雪毒は予め用意しておいた毒水を凍らせて用いていた。


 かつて岩穴の前で試して気絶したように、本来は身体にある生命力を含めた全力魔力を絞り出して行うたった一度きりのまさしく自爆じみた術式であるが、一昼夜戦い続ける力を与える『飢渇丸』によってそれは克服された。


 闇が鎮座し、心臓を鷲づかみにするような爆音が轟き、砂槍が突き出ている。砂漠の冷気を越える極低温が満ち、毒の雪が降る。それらすべてに魔法毒が付与されていた。

 それはある意味で地獄のような光景であった。

 未知の攻撃に弱い戦士たちは怯え、強き戦士もまるで毒で身を守る魔獣のような存在感に二の足を踏んだ。、軍勢が動かないならば潜入しているアルバウムの精鋭部隊も目立つのを避けて動けない。


 軍勢はせいぜい遠くから弓矢か投石、精霊魔法で攻撃するだけ。

 蔵人が自爆を想定して作りあげた多重連結式は、見事に足止めを成功させていた。

 しかし、枯渇と回復を繰り返す魔法の発動が、身体に負担をかけないわけがない。

 というよりも蔵人はすでに球壁の内部で壁に背中を預けて、倒れかかっていた。

 飢渇丸により魔力が供給され続けているせいか気絶こそしていない。

 だが、枯渇の症状はあった。

 絶え間ない頭痛、腹痛、関節痛、吐き気に目眩に鼓膜の痛み。そのすべてに絶え間なく苛まれていた。

 これを想定していたわけではなかった。

 しかも外部からの攻撃によって球壁が破壊されていくが、多重連結式で限界まで同時行使を使っているため修復もできない。自爆を想定して障壁の修復を組み込まなかったことが仇となっていた。

 それでもどうにかそれを耐えて多重連結式を起動させ続けていたが、ついに気力が限界を迎え、多重連結式の発動を止めた。


 次々と手招きを続けていた精霊魔法がついに途切れるが、地獄はそこにあり続けた。

 蔵人はまだ、軍勢の足を止めていた。

 だが同時に、その環境は蔵人の身体をも蝕んでいく。

 軍勢からの散発的な遠距離攻撃と極低温、そして毒に障壁が破壊され、命精の抵抗ともいうべき命精障壁も冷気と毒にじわじわと侵されていった。

 

 浮艦側の戦力を一掃したニルーファルは、今もあの地獄のような場所で倒れ伏す蔵人の姿と、一向に変わらない砂流の流れを、歯を食いしばって睨みつけていた。

 早く、早く、早く変わってくれと願い続けた。

 そして。

「――始めろっ」

 ニルーファルは砂流の流れが変わった瞬間に叫び、そして倒れた蔵人の下へと跳んだ――。



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[良い点] 蔵人の覚悟 [気になる点] 続きが気になる [一言] 現在、公開されているものを最後まで読みました。 とても続きが気になります。 書籍の1、2巻を読んで一気に惹き込まれ、なろうで 読みまし…
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