123-尊重
遅れて申し訳ありません<(_ _)>
イライダは全身から湯気をあげて戻ってきた。玉のような汗を浮かべ、その深い谷間のある胸元には汗が滴り、汗だまりをつくっている。
入れ替わりにヨビが出ていったが、さすがにイライダのような勝負になるわけもなく、本来の力試しの儀が行われた。
どことなく湯上がりっぽいイライダを眺めながら、蔵人はタオルを手渡す。タオルは勇者の商売人から買ったものであった。
タオルを受け取ったイライダは、ヨビの戦いを眺めながら呟く。
「世界は広いね。まさかアタシと真正面から殴り合える種族がいるとはね……これを聞いたら、若い奴らが殺到するよ」
巨人種は正面からの純粋な力試しを好むが、ミド大陸でそれが出来るのは同じ巨人種以外だと獣人種、それも熊や虎といった系統に限られていた。
「ニルーファルは特別だ。ファルに聞いたが、バーイェグ族の船頭たちは他の部族だと族長に匹敵するらしい」
ニルーファルやファルードなどバーイェグ族の船頭、そして族長は天然の命精強化者、英雄であり、バーイェグ族の中でも際だった強さを持つ。ダークエルフのすべてがそこまで強いわけではない。
ただ、巨人種とて全てが『蜂撃』と名高いイライダや元白槍の隊長であったマクシームほど強いわけではないことを考えると、やはりバーイェグ族は巨人種の興味を惹くことは間違いなかった。
「まあ、それはそうだろうね。……というか、アンタは相変わらずだね」
戦闘するヨビとニルーファル、そして湯上がり風のイライダをまったく遠慮なしにじっと見つめる蔵人に、イライダは呆れ顔であった。
「……性分だしな」
「真顔で性分って言い張るんじゃないよ、まったく」
もっともイライダにとっては男の視線など慣れてしまったもので、気にもしていない。今さら生娘のように隠す気にもならなかった。
「――これにて力試しの儀を終わるっ」
ヨビの戦いも終わり、族長が宣言した。
バーイェグ族も勇者たちも、それを機に宴を終え、それぞれが船に戻っていく。
蔵人はこれから夜警である。砂漠へ遊びに行く雪白を見送り、蔵人はアズロナと共に毛皮を被って、舟団
の最後尾に陣取った。
いつものように闇精魔法をメインに精霊魔法で索敵をしながら、絵を描いたり、アズロナに日本にいた頃の話や知識を話す。
かつての雪白のように、アズロナもときおりぎぅぎぅと歓声を上げながら、それを楽しんでいるようであった。
だが不意に、闇精と砂精が何者かの接近を伝えてきた。
方向は勇者たちの船。人数は五、いや六人。
隠すことのない気配は敵では無いらしいと判断して良さそうだが、と蔵人はじっと闇に目をこらす。
すると、そこに現れたのはハヤト、そしてそのパーティである『暁の翼』であった。
「今、良いだろうか?」
ここまで接近できたということはバーイェグ族に話を通しているということである。
蔵人は宴でハヤトの言い残した言葉を思い出し、頷いた。
「――サレハドでは本当にすまなかった」
ハヤトが頭を下げると、『朱雷のブーツ』のエリカ、女武士然としたカエデ、白虎系獣人種のフォンもそれに続く。そしてアルバウムの第三王女であるアリス、黒兎系獣人種のクーもぎこちなく、浅い下げ方ではあるが、頭を下げた。
エリカとクーが引き起こした蔵人暗殺未遂やアリスの決闘妨害、それに監獄に収容された期間の短縮など、公に謝罪出来なかったことに対して、ハヤトたちは謝罪していた。
サレハドで出会った当時はまだ女子高生っぽさを残していたエリカとカエデは少し大人びていたが、成長期であろうはずのアリスとクーはなぜかあまり成長していない。
一斉に頭を下げられた蔵人といえば、じっと無言でそれを見つめているだけ。
いつのまに戻ってきたのか、雪白もその背後にいて、勇者たちを睨むように見据えていた。
「――いいんじゃないか、もう。そんなに頭下げなくても」
じっと頭を下げたままのハヤトたちに、蔵人は告げた。
蔵人の言葉を聞いたハヤトたちがしばらくして頭を上げるが、どこか不思議そうな顔で蔵人のことを見つめている。
存外に穏やかな声と表情であったのを奇妙に感じているらしい。
実際のところ、勝手にしてくれ、というのが蔵人の内心であった。
サレハドでの襲撃や決闘妨害を鑑みて、ハヤトたちとは根本的に相容れないことはわかっている。もはや別の国同士、この砂漠でいえば部族同士の関係と考えたほうが近いと理解するに至っていた。
国同士、部族同士では戦争が罪とはならず、誘拐も略奪も罪にはならない。国や部族を罰する法律などなく、当然罰を与えるような存在もいない。両者の力関係においてのみ勝者と敗者が存在し、敗者に罰を与えることができるのである。そこには罰の正当性などはあってないようなものである。
『暁の翼』は、ハヤトのためならなんでもやるだろう。多少はハヤトのブレーキが効くようではあるが、最終的にはどんな手段でもとることはサレハドで証明されていた。国、いやハヤトを守るために。
であれば、蔵人もそう認識しなければならない。
だから、何も言わない。説得もしないし、敵対を匂わすこともしない。
彼らとの関係はすべて曖昧にしておく。そのほうが敵と認識されず、いざというときには不意もつける。味方のふりをする、というところまではさすがに蔵人の性格上できなかった。最初から味方ではないとはいえ、裏切りには違いないのだから。
無害な第三者と認識されれば儲け物。実際には被害者と加害者の話が絡むためにそうはいかないだろうが、敵と認識されないだけでも取れる手段は増える。戦うにしろ、逃げるにしろ。
ただ、蔵人の凡庸な演技では、『物』を見るような目は隠せていなかったらしく、エリカなどは怯えてハヤトの影に隠れてしまった。完全にトラウマになっているようだ。
反対にアリスやクーなどはまったく意に介していなかった。が――。
突如、二人の指や足がカタカタと震える。
アリスとクーはまるで竜の顎に放り込まれたかのような絶望感を味わっていた。
雪白である。
まるで血晶獅子のジャムシドと戦っていたときのように、本気の威嚇を向けていた。
さすがの二人も、いや直接殺気を向けられていないハヤトでさえも、本能的に恐怖を感じたのか顔が強ばっている。
蔵人は関係を曖昧にすると決めたが、雪白はそうではない。
威嚇し、力の差を痛感させる。そうすれば、襲撃など考えない。二度とあんなことをさせる気はなかった。
だからこそ、本気で威嚇した。いやいっそ殺すつもりですらあった。
「俺がいいと言ってるんだ、気にしなくていい」
殺気だつ雪白の顎下を蔵人が掻き撫でる。
すると、雪白の威圧は僅かばかり薄れ、ハヤトたちもほっと一息ついた。
だが、雪白の狙いはそれであった。
蔵人が抑えている限り、雪白は襲わない。
蔵人が敵対しない限り、雪白も行動には起こさない。
そう認識させれば、最低でも蔵人を襲撃するようなことはしないだろう、というのが雪白の思惑であった。一度敵対したなら、二度目も三度目もある。釘は刺しておかなくてはならない。何もせずに曖昧にしていれば、つけ込まれるだけである。
もちろん、蔵人はそんなことに思い至ってなどおらず、すべて雪白の独断であった。
当の蔵人は呑気に顎下を撫でてくるのだから、雪白としてはやれやれとため息をつきたくなる。しかしそれよりも、妙にツボを心得た蔵人の撫で方に、喉奥を鳴らしそうになるのを堪える方が大変であった。
「……そうか。感謝する」
ただハヤトだけはそのあたりを直感したらしく、もう一度頭を下げた。
そして頭を上げると、雪白の視線が少しばかりズレていることに気づいて言った。
「……ああ、すまない。来ていないと思っていたんだが、勝手についてきてしまったようだ。――出てきてくれ、ベアトリクス」
すると、闇から生まれ出でるように女が一人姿を見せた。
長い銀髪は白月に照らされて微光を漂わせている。病的なまでに青白い肌に、黒々とした瞳が炯々と輝く。畏怖を感じさせるほどの怜悧な美貌であるが、生命感というものに乏しかった。
ベアトリクスと呼ばれた女は呼んだハヤトに目もくれず、雪白の前まで近づき、跪く。
「――白き君よ、不作法をお詫びしたい」
雪白の前に片膝をつき、まるで首を差し出すかのように跪くベアトリクス。
戦意など欠片もなく、無断で覗き見していたことについて、真摯に許しを乞うていた。
雪白もそれを理解していたか、長い尻尾でベアトリクスの頭を一つ撫で、許す。
ベアトリクスは跪いたまま顔を上げた。
「ベアトリクス・ファム・カンテミールと申します。女王の寛大な御心に感謝致します」
それだけ言うと、羽織っている黒いクラシカルな外套を翻し、再び闇に消えていった。
ベアトリクスが立ち去ったことを機に、ハヤトたちも一礼してから立ち去っていく。
アリスとクーは特に強く雪白の殺気に当てられたせいか、独力で立てないほどになっており、二人ともハヤトに抱えられてその場をあとにした。
「――まるで獣ね」
船に戻ってくるハヤトと合流したベアトリクスは、その青白い顔を珍しく色濃く染めて、そう呟いた。
言葉はあれであるが、雪白に対して白き君と跪いたことに嘘はなく、その声色に侮蔑の色は一切ない。むしろ畏怖すら感じているようであった。
強大な聖獣に寄り添う、不気味な毒獣。
それが蔵人のイメージであった。
「以前最悪の場合は殺すしかないと言ったけど、訂正するわ。あれは関わらないで放っておくのが一番よ。竜種の、精霊竜のようなものだと考えなさい。もしあの男に何かあれば、白き君は一生呪うでしょう。生きているときも、そして死んでからも。そうなれば手に負えないわ」
生息圏を脅かさない限り、精霊竜は人を襲わない。食性が重ならないのだから、人を襲う必要もなければ、眼中にもない。
「以前も言ったが、あの人を害する気はない」
ハヤトはいまだに震える二人を抱えながら、そう告げた。
他のメンバーにも異論はないらしく、アリスもクーもハヤトに直接的な危機が生じない限りは、それに従うつもりであった。
「……千客万来だな」
ハヤトたちが去ったあと、再度遊びに行かずに残っていた雪白を加えて、夜警に戻った蔵人であったが、空が白んできた頃、夜警終わりにもう一人、客を迎えた。
トール。レシハームで賢者と謳われていた男である。
「お仕事終わりに申し訳ありません。少しだけお時間をいただいてもよろしいですか?」
なんとも丁寧に頼まれ、蔵人も思わず頷いていた。
「――ファルシャという獣人種の子供、いえハンターについてお話しさせていただきたいと思います」
ファルシャという名に、蔵人、そして雪白とアズロナもトールに視線を注いだ。
トールの雇っている諜報員の部下が、仕事中に下手を打った。
だが、旧ケイグバードの民を弾圧する黒幕といっても過言ではないギディオンを失脚させるためには、死ぬわけにはいかなかったその部下は、ファルシャに高位魔獣をなすりつけ、その場を脱出。
その後、見事ギディオン一派の不正の証拠を掴み、ギディオンをとりあえず表舞台から引きずり下ろすことに成功した。
しかし部下はなすりつけたことを責任に感じ、自ら自害。上司である諜報員も事情をトールに説明しときにはすでに陰腹、いや大腿部の動脈を切って自害をはかっていた。
それがトールが説明したファルシャの事件の全貌であった。
「それをなぜ俺に?」
「蔵人さんが先導を務めたことは調べればすぐにわかりましたので。それにリヴカさんとも話し合ってますよね? いえ、リヴカさんは何もおっしゃいませんでした。すべて、こちらで調べたことです」
蔵人はそれで納得した。
色々と調べられたことを不快に思いつつも、レシハームで賢者と呼ばれるくらいならそれも当然かと、思い直す。
「……そう、か」
話を聞いている内に、釈然としない苛立ちが込み上げてきた。
勝手に謀略に巻き込んで、というトールの責任であると責める気持ちもあった。
だが、すでになすりつけの張本人は死んでいる。トールが言うとおりならば、トールがそうしろと命令したわけでもない。ある意味でトールにとっては事故とも言える。派遣社員のミスで責任を取る社長はいない。組織が大きくなればなるほど、そういうものであるということは蔵人もわかっていた。
ただ、ただそれでも、形容しがたい釈然としないものは確かにあった。
「ファルシャというハンターには本当に申し訳ないことをしました」
「……公にはするのか?」
「出来ません。ギディオン一派に隙を見せれば、さらなる悲劇を招きます。賠償というわけではないですが、ファルシャさんの関係者である所属パーティと孤児院には陰ながら援助をさせていただきます」
ファルシャに親族はいない。賠償を支払うとすればパーティか孤児院となる。ただ、公に援助すれば融和派の一派と見られてしまうため、陰ながらの援助となったのである。
そしてトールは許してくれとも、理解してくれとも言わなかった。そして、公にするなとも言わなかった。
そもそも証拠などないのだから、蔵人が公にしたところで、信じる者はリヴカくらいしかいない。
「……あんたはどこに向ってる。なぜギディオンとやらと戦った。その意味はあったか? いまここにいるということは横断、アルバウム絡みだろう? であれば、レシハームは関係ないんじゃないか? そもそも日本に帰りたくはないのか?」
ファルシャの死以外に、なぜ苛立っているのかわからないまま、蔵人は疑問だけをぶつけた。
「……詳細は言えませんが、僕は日本に帰りません。もちろん帰りたい仲間もいますので、最終目的は日本に帰ることです。ですが、僕はこの世界で生きていくと決めました。
ギディオンと対立したのは自分の身を守るためです。彼らは僕たちをいつでも使い捨てられる道具という程度にしか見ていませんでしたから。ただ、その過程で同じようにギディオン一派に弾圧されている自治区や融和派と手を結び、情を交わしました。
ここにいるのは……強いていうのならレシハームやアルバウムという枠を超えて生きていくためです」
「――その過程で、なんら関係のない者を巻き込んでもか?」
そう言われてもなお、トールは表情を変えなかった。ただ、拳だけが強く握りしめられていた。
「ファルシャさんには本当に申し訳ないと思っています。ただ、だからこそここで全てを無駄にするわけにはいかないのです」
ここでようやく、蔵人はこの釈然としない気持ちの正体に気づいた。
「そうか。わかった」
そう答えると、トールは一礼して去っていった。
蔵人はその背を睨むように見つめていた。
トールもまた別の部族の男である。
ファルシャがそうであったように、トールは何か大義があるならば蔵人も善意の犠牲者にすることを躊躇わない。
穿ち過ぎかもしれない。この砂漠に毒されてしまったのかもしれない。
だが、トールを見ていると、そう思わずにはいられなかった。あらゆる意味で能力が違い、立場が違い、背負っているものが違っていた。
ふと見ると、アズロナがファルシャを思い出して、しょんぼりし、その頬を雪白が舐めて慰めていた。
そして日が昇り、東端への分岐点にあたる小さな集落に到着した。
ハヤトとトールはバーイェグ族との交渉に、何人かの勇者たちは集落にある小さな交易所を見に行く。蔵人もアルワラ族の影響下にない集落と聞いて興味が湧き、暑い最中に舟団を出た。
何事もなく静かな昼が終わる、かと思いきや、夕暮れに染まる集落から戻ってくる蔵人とニルーファルが怒鳴り合っていた。
それは舟団の前に到着しても、なお続いていた。
「――女の意思を確認した後の誘拐婚妨害はいい。だが、相手を必要以上に侮辱するなと何度言えばわかるっ」
「相手が言ったから言ったまでだ」
この時点で、ああいつものやつか、とバーイェグ族は苦笑を浮かべ、雪白は飽きないなと呆れた顔をしている。アズロナはいつも仲良いねーとなぜか嬉しげである。
「それでもだ。あとが拗れるんだ。どうしてそうなんでも首を突っ込む」
「知るかよ。誘拐婚なんぞが横行しているせいだろうが」
どうやら街で誘拐婚が発生し、いつものように蔵人が乱入し、そこへニルーファルが間に入って治めたということらしい。
もっともこれまでと違うところは、蔵人が完全に独立勢力扱いされており、ニルーファルは相手部族との仲介のみを行ったというところか。
ジャムシドを正面から打ち破った白い魔獣と西外人の噂はここまで轟いていた。
そこに水の御子を擁するバーイェグ族が仲介に入ったのだから、誘拐者たちも矛を収めるしかない。誘拐されそうになった女が誘拐婚など認めていないと言っているのだから、相手部族としてはほとんど正当性がない状態だったのだから致し方ない。
「――他国の文化を尊重するべきだ」
誰かが言った。
舟団の近くにいた者たちが蔵人とニルーファルの様子を見て、なにやら噂し合い、集落に行っていた他の勇者たちが戻ってきたことで、真実が伝わり、噂は事実となってさらに加速した。
東端で国を造るという決意によって、それぞれがこの砂漠の風習に耐えていた。元々、日本でも他国の文化は尊重すべきだという風潮や教育があったことで、蔵人が文化を蹂躙しているようにしか見えなかった。
勇者の影響を受け、無意識の内にある宗教的忌避感を押し殺していた勇者のパーティメンバーも同じであった。いや、余計に強く反発した。
砂流を熟知しているバーイェグ族の協力が得られないことに不満が高まっていた。同じ日本人である蔵人がいるにも関わらず、その蔵人に協力する気が見えないことにも苛立ちがあった。
美しく、強く、頼もしかったイライダやヨビがここで離脱することに、不安があった。
もちろん日本に帰りたいのに帰れない、という根源的な不安、不満も。
いくつもの不満が積み重なっていた中で、蔵人の文化無視という不正を見つけたことで、蔵人への負い目が裏返る。自らを正しいとする根拠を得て、不満は噴出した。
蔵人とニルーファルが怒鳴り合っている間に、他国の文化を尊重すべきだという蔵人への批判が高まっていく。
するとさすがに敵意混じりの視線に気づいたニルーファルが不審そうな顔で周囲を見回す。
それで蔵人も気づいたのか、周囲を見渡すが、どうでもいいとばかりに、ニルーファルに向き直った。
暴動というほどではない。
だが、こんな状態になってはバーイェグ族との交渉にも悪影響が出かねない。
今はトールもハヤトもそれぞれが交渉に出向いており、この場にはいなかった。
だが、誰かがおさめなければならない。
そう考えたとある勇者が、蔵人の前に立った。
『結界師』の加護を持つ香坂護である。
中肉中背で一般的な眼鏡をかけている。それ以外はこれといって特徴はないが、自身の加護の特性からか鎧ではなく、灰色のローブを着込み、周囲よりも身軽な印象がある。
マモルはとりあえずこの場をおさめなければという気で出てきたが、蔵人に対して多少の憤りがないわけではない。
マモルは蔵人のことを知らないまま、この世界に順応すべく地道に活動してきた。それゆえに派手な功績もないが、悪い話もない、そんな勇者であった。だが、アオイの永久牢獄を協力したりと、決して世の中に対して無関心ではない、むしろよりよくしたいという意思は強かった。
だが、より良くしたいのに他人に迷惑をかけてはならないと、慎重に行動してきたのである。
マモルが蔵人に話し掛ける。
「すみません、みんなもこの横断で気が立っていまして。ただ、他国の文化は尊重したほうがいいと思うんですが……」
だからこそ、そう言った。これで蔵人が適当に頭を下げて、いやいやこちらも言い過ぎたと言えば、それで終わりである。あとはハヤトやトールたちが話せば、おさまるだろう。
永久監獄を有名無実化したハヤトに思うところはあれど、マモルもその求心力は認めていた。
「ん、ああ、そうだな」
あしらうかのような蔵人の様子に、マモルは少しだけ口調を強くした。
「人の話を聞く気があるんですか? きちんと目を見て話してください」
蔵人はそう言われ、マモルに向き直り、まっすぐに見る。
「――尊重したいなら好きにしろ。あんたはあんた、俺は俺の好きにする。それでいいだろ」
蔵人はまるで反省しているようには見えなかった。まっすぐに見返してくる目も、自分にはなんの負い目もないと物語っている。
「その国、土地にはそれぞれの文化があります。安易に正義をふりかざすべきじゃないでしょう」
「この砂漠には奴隷がいる。力さえあるなら略奪も殺人も容易に許容される。それも文化といって尊重するか? なら今すぐ奴隷にでもなってこい。それとも、誘拐婚は他人事だからいいか?」
「ですから、どうしてその善悪をあなたが判断するんですか。奴隷だってそうしなければならない社会的理由があるはずです」
「だろうな。だから、奴隷に関しては何もしてないし、できない。だが、誘拐婚はどうだ? 本人の意思を尊重した上で、阻止して困るのは誰だ?」
困るのは、誘拐しようとした者だけである。場合によっては社会構造上の力関係によって嫌々誘拐婚されている場合もあるかもしれないが、今回はそうではない。
「……だけど、それをあなたが勝手に判断してはだめでしょう。あなたは神にでもなったつもりですか?」
「自分がそうなりたくないから、止める。他に何がある? お前だって目の前でひったくりがあって、それを捕まえる力があれば捕まえるだろ? というか自分以外に誰が判断するんだ? 自分で判断して、その結果は自分の責任だろ?」
かつて蔵人は略奪を妨害し、バーイェグ族に迷惑をかけた。だからこそ、自分で責任を負えない次の略奪を見過ごすしかなかった。
だが今は、ほぼ独立勢力と認められている。
蔵人自身にもその自覚が芽生え始め、いつものようにいくつかのルールを定め、雪白とも相談した。
本人の意思を無視した誘拐婚が目の前で行われれば、阻止する。
蔵人はそう決めていた。
別にだからといって、この砂漠をすべて変えるために戦争をふっかけるようなこともする気もなければ、勇者たちが誘拐婚を阻止しなかったからといって責める気もない。目の前のひったくりを捕まえられなかったからといって、誰かを責める事がないように。
誰が困ると言われてマモルは沈黙したが、今度は別の勇者がニヤニヤと口を挟んできた。
「――ん~、確か誘拐婚で結婚した女で最終的には納得して、幸せになったって聞いたことがあるんだが?」
日本にいた頃に、テレビかネットで見たらしい知識をのたまう。
「そもそもお前は誰だ?」
マモルは先日の謝罪にて、何も知らないながらも調べようとすらしなかったことを謝ったときに名乗っていたが、この口を挟んできた男はその場におらず、蔵人は当然名前を知らない。
「カズマ・ウツギだ。いくつか遺跡を完全踏破してるから名前くらいは知られてると思ったが、まあ、こんな世界じゃそんなもんか。もっとも、オレも用務員の名前なんぞ知らないがな」
『飛行鎧』の空木数馬。軽薄そうな口調と表情。天然パーマ。だが背は高く、針金のように細く、鍛えられた身体をしていた。
「蔵人だ。――それはただの結果論だろう。逆に問うが、それがストックホルム症候群とやらではないと誰が言える? それが判別できない以上、誘拐される前の本人の意思が尊重されるべきだ」
ストックホルム症候群とは、誘拐され、死の危機の感じる状況下で、犯人の許可が無ければ飲食も、トイレも、会話もできない状態となり、その中で犯人から食べ物をもらったり、トイレに行く許可をもらったりする。そんな小さな親切に対して、感謝の念が生じ、人質が犯人に好意を抱くというものである。
蔵人はそれと誘拐婚が似たようなもの、いや誘拐されたあとに、同じ誘拐婚で結婚した誘拐者の親族からも私は今幸せだなんだと、あの手この手で説得されるのを考えれば、もはや洗脳にも等しいと考えていた。
カズマは肩を竦めた。
「なあ、あんたはなんでそんなに俺たちを嫌う? 同じ日本人だろ? 恨んでるのか? いや、あんただって俺たちの恩恵は受けてるだろ? それはちょっと都合が良すぎるだろう?」
何を言っているのか分らず、蔵人は少し考えるが、やがて思い至った。
「そっちの商売人が売ってたあれか?」
カズマが薄ら笑いを浮かべながら頷く。
蔵人も勇者の商売人が売っていた物、特に自分の下着や調味料関係などは買っておいた。こればかりはこの砂漠で手に入りようがない。
「商売じゃないのか? ああ、いや、いい。気に入らないんなら返すが?」
蔵人はなんら気負うことなく、あっさりそう言い返した。売っていたから買っただけで、無いなら無いで別にかまわない。
日本での切り詰めた生活とこの世界に来てからの山暮らしで物欲は薄れ、文明の利器ごときで行動を制御できるなどと思われるのは心外であった。
「強がんなよ」
「何か勘違いしているようだが、俺はお前らを恨んでなんかいない。まあ、好きでもない、それは当然だろ? そもそも日本にいた頃からほとんど接点なんてなかったんだからな」
契約社員二年目の用務員である。基本的には顔見知りという程度の認識でしかなかった。
蔵人と対峙するマモルとカズマ。
その蔵人に批判的な視線を向ける何人かの勇者とその面々。
両者の間には埋まらない溝が深々と刻まれようと――。
――ゴンッ
蔵人の頭に投石を受けたかのような衝撃が走る。その音は至近距離にいたカズマやマモルどころか、勇者の船まで轟いていた。
敵かっと蔵人が慌てて振り返ると、そこにいたのはイライダであった。
どうりで、雪白が反応しないわけである。
「――好きにやるんなら、あんまりニルに手間をかけさせるんじゃないよ」
蔵人はぬっと押し黙る。それは、自覚していた。
そしてふと、なぜイライダがニルと呼んでいるのかと考えるが、すぐに肉体コミュニケーションで仲良くなったらしいと察して、唖然とする。
どこかでファルードがウンウンと頷いているようで、いらっとくる。人間には言葉というものがあるはずだ。
ふとイライダの横にいるヨビを見ると、「困った人ですね」とでもいいたげな目をし、まるで子供相手に叱るかのようですらあった。
こんな女だったか、と蔵人がその視線に居心地悪そうな顔をする。
だが、思い出した。ヨビはそもそも年増の元人妻で子供もいた。若い頃は探索者として泥水を啜り、結婚してからも夫の暴力に耐えていた女である。その経験値は蔵人どころではない。
さらに今は、貞淑さと奥ゆかしさの求められる鳥人種の妻スックではなく、ハンターのヨビである。
これは分が悪いと、蔵人はそそくさと撤退を決めた。
そんなある意味で潔い蔵人に苦笑しながらも、イライダは勇者たちに目を向ける。
「まあ、だけど。アタシを誘拐なんぞしようとしたら、きっちり返り討ちにしてやるけどね」
己の身を守れないやつが悪い、と言っているわけではない。イライダも誘拐婚など認めないと言っているのである。
「アンタらも、何かやるんだろ? 深い事情は知らないけど、こんなことで我慢できなくて、成し遂げられるような事なのかい?」
イライダの指摘に勇者やそのパーティメンバーがハッとし、ばつの悪そうな顔をした。
壮大な目的を遂行するという使命感と横断という高ストレス環境下で、思いの他、視野が狭まっていたと気づいたようである。
そもそも日本人という異物の勇者とやっていける者たちである。それなりに異文化への理解はある。だが、だからこそ蔵人の行動を批判してしまった。
イライダの仲立ちで、どうにか蔵人と勇者たちの対立は治まった。
そんな中で、アカリは蔵人を見つめていた。
反感などなく、蔵人らしいと苦笑し、そして安堵していた。
蔵人には雪白とアズロナがいる。さらに今はイライダやヨビ、そしてバーイェグ族がいる。
アカリはサレハドの森に消えていった蔵人の背中が気になっていた。オーフィアも気にしていた。
だがそれが杞憂だとわかり、安堵したのである。
と、そんな真面目な事を考えてはいるが、アカリの手はアズロナのさらさらした鬣を楽しむように、その顔を両手で挟み込むようにしてもにゅもにゅしていた。
翼腕を除いた大きさならば、アカリとほとんど同じほどの大きさであるが、アズロナは今なお無邪気である。
小柄なアカリをまるでお姉さんのように慕うのだから、アカリとしては可愛くて仕方がなかった。
アカリが初めてアズロナと遭遇したのは、宴の最中のことである。
イライダが戦い終わり、ヨビがアズロナの傍を離れた。
一人になったアズロナが興味津々で宴を這い回っているとき、アカリと出会った。
蔵人から聞いていたため、アカリはアズロナの存在を知っていたが、正直に言えば、不気味だった。
普通の生物とはあまりにもかけ離れた単眼、蜥蜴かイモリにも似た体表、足はなく翼腕と後翼のみで、なんとも不気味に鳴く。
見たこともない生物ではあるが、アカリの中の根源的な恐れのゆうなものが込み上げた。蛇や何かに感じるものに近い。
警戒感からアカリは立ち止まり、アズロナをじっと見つめた。
するとアズロナも見知らぬアカリをその大きな単眼でじっと見つめた。
しばらくすると、アズロナが小さく首を傾げる。
その頃にはアカリもアズロナの容姿に見慣れてきた。不気味さというのは見慣れる。蛇も緑魔もそうやって慣れた。伊達にオーフィアの虐待、いや調教、いや修行を受けてきたわけではない。
アカリはそーっと指を伸ばしていく。
するとアズロナもその指にそーっと鼻先を近づけていく。
雪白に育てられたアズロナは飛竜らしいというよりは猫科に近かった。
アカリの指先をすんすんと嗅ぐ。そしてぺろりと舐めた。
びくんっと驚いて指を引くアカリ。
その動きに、アズロナもびくんっと鼻を引いた。
「……ぷっ」
そこでアカリの警戒感は霧散した。
なんだってこんな可愛らしい飛竜の変異種を警戒しなければならないのか。
「食べる?」
アカリがムカデを差し出すと、またすんすんと匂いを嗅いでから、ぱくんと食いついた。
――ぎゃあぅ
まるでありがとうとでも言うように、アズロナが小さく鳴く。
それで二人は仲良くなった。
そんなわけで別れも差し迫った中、時を惜しむようにアカリはアズロナとじゃれていたのである。
「……なんか似てるな」
同じような大きさをしているせいか、性格故か、勇者との諍いを終えた二人を見た蔵人がそう呟く。なんとも毒気が抜かれるような光景であった。
「えっ、そうですか? それより蔵人さんっ、この仔はもう飛べますか?」
「ああ、飛べる」
「私を乗せることも?」
それは場の空気を軽くしようとするアカリなりの気遣いであり、空を飛んでみたいというアカリの興味でもあった。
「……アズロナが問題ないようだったらな」
蔵人がそう言うと、アカリは喜んで、アズロナに問いかけた。
だが、それゆえに、蔵人の顔に浮かぶ悪だくみを見抜けなかった。
「――いゃぁあああああああああああああああああああああああああああああああっ」
――ぎぃうぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ
アカリとアズロナの絶叫が砂漠に響き渡ったのは、その十数分後であった。
「――な、なんでふか、これはっ」
まだ若干絶叫の名残があるのか、かすれた声で蔵人に詰め寄るアカリ。
いまだ鎧の骨たちを制御し切れていないアズロナが、かつてマルヤムを乗せたときのように、ぶっ飛んだのである。当然着陸など上手くいくわけもなく、蔵人の砂精魔法で砂まみれとなった。
「飛んだろ?」
「こ、これは飛んだって言わないです。私が想像してたのは、こう遊覧飛行みたいなので、す……」
だが、アカリの抗議は、アズロナがしょぼんとした様子でごめんなさいと頭を下げているのを見ると、語尾が弱々しくなった。
「ア、アズはいいんですよっ。諸悪の根源はこのニヤニヤしたイヤラシい笑いを浮かべた人です」
アカリはおろおろとアズロナを慰めながら、蔵人を糾弾する。
しかし、素直で人の役に立つことをしたいアズロナは、飛べなくてごめんなさいするばかり。
「く、蔵人さんのせいですからねっ」
とだけ言うと、アカリはアズロナを慰めにかかった。
用務員さんは勇者じゃありませんので、第6巻発売中です<(_ _)>
6巻、もしくは1巻から6巻までをクリスマスプレゼントなどにいかがでしょうか……って、さすがにちょっと趣味悪いですね(笑