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用務員さんは勇者じゃありませんので  作者: 棚花尋平
第六章 砂塵の向こうで
121/144

116-砂舟は巡る

アナヒタの戦闘能力について変更。大筋には変更なし。

 



 ついに客人を丁重に歓待するという態度を脱ぎ捨てたニルーファルの管理下で、蔵人は働きながら掟を仕込まれることになった。

 蔵人としても上げ膳据え膳の客人生活は心苦しく、働くことそのものはまったく問題ない。こうして寒風どころか、肌が切れそうになるような風が吹き付ける中で夜間警戒をするのも警備の仕事と似たようなものである。

 だが、暇であった。

 砂舟は砂流に乗って進んでいる。新月の真夜中で進行方向が見えていなくとも、乗る砂流さえ間違えなければ座礁することもない。蔵人には操船技術などないのだから、やることと言えば襲いかかってくる魔獣やたまに現れる蛮族を警戒すればいいだけであった。

「……」

 蔵人は闇精魔法と石精魔法、それにあまり得意ではない風精魔法で砂舟の周囲を索敵している。その片手間に絵を描いていた。

 ただそれは他者から見るとサボって絵を描いているようにしか見えないのが難点で、ニルーファルも事前に蔵人から説明されていなければ、叱り飛ばしていたかもしれない。

 蔵人からしてみれば、バーイェグ族のように月明かりくらいしかない砂漠の闇を平然と見とおすような夜目を持ち合わせていないのだから、仕方ない。

 もっとも、暇だからといってニルーファルの横顔をちらちらと盗み見しているのだから、仕事熱心な者にも決して見えない。


「……なんで俺をとっとと追い出さない?」

 蔵人は少し興味があって聞いてみた。

 自分が爆弾というほどではないにしろ、アナヒタを守るバーイェグ族にとっては厄介な存在であることは自覚していた。

「……一度目の過ちは許すと約束した。略奪を見て見ぬふりしろとも確かに約束したが、約束を破るという過ちも一度目は許さねばならん。……それに、略奪を見て見ぬふりをしろというのも、端から見れば非道といえば非道だ、決して胸を張ることはできん。汝を見ていればわかる。汝が生活していた西外の地には高い倫理観があったのだとな。ここはさぞ野蛮に見えることだろう」

 一度目の過ちを許すとはいえ、叱らないということではない。二度同じことをさせないためにも、ニルーファルは蔵人に当たりを強くしていた。

 それが正しい言い方だったかどうかなど、ニルーファルは知らない。同じバーイェグ族の男衆にも人前で公然と叱らないという違いはあれど、他の男衆や父親を真似するように強い口調で言っている。男相手に舐められないために。

 蔵人はニルーファルの言葉に、苦虫を噛みつぶしたような顔をした。

「……一皮めくればそれほど違いはないと思うがな。あまり、西の土地を美化しなくていい」

「そうか」


 蔵人はもう一つ、気になっていたことを尋ねる。

「なんでそんなにぴりぴりしてるんだ? 」

 蔵人が無断で釣りをしたときもそうであったが、バーイェグ族は夜になると特に警戒を強めている。もちろん人が夜を警戒する意味はわかるが、これだけの手練れが揃っていて少し不自然だった。

「……二千年以上も昔、我らは遊牧民であった。略奪もすれば、奴隷も扱っていたらしい。アナヒタ様を担ぎ出して、今のアルワラ族のようにこの砂漠を支配しようとしたことも、逆にまったく他の部族と関わらずに生きたこともあったようだ。だが、いつの時代も事が起こるのは『夜』であった。日中は多少なりとも自衛できるアナヒタ様であるが、夜はその力が凍りついてしまう。無力だ。そのときを狙って、他の部族や蛮族、魔獣に襲われた。この間、ジャムシドが襲ってきたのも夜であっただろう」

 水が凍ってしまうように、アナヒタは夜になると水を出すことができなかった。


「だから我らは、夜を恐れる。――少し巡回してくる。怠けるなよ? 」 

 蔵人はそういうことか、と納得してニルーファルを見送る。

 そしてまた暗闇をときおり見つめながら、船首で警戒しつつ絵を描いていると、いつのまにやら背後に数人、男衆が立っていた。

 しかし何も言わず、目深に被ったローブの下からその独特の強い目で蔵人を見つめるばかり。

「――何か用か? 」

 たまらず蔵人が尋ねると、意を決したように男衆の一人が口を開いた。

「――え、絵を描いてほしい」

 掟を破りがちなことに腹が立ったか、警戒の仕方が悪いから絡まれるかと思っていた蔵人は内心でほっとしながら、絵を見せた。

「こんな絵がほしいのか? 」

「――ぶっ、ち、違うっ」

 男同士だからそっちのことかと早合点し、少しばかり肌の露出の多い架空の女の絵を見せたのだが、それをちらりと見ただけで男衆たちは揃って鼻血を垂らして、目を逸らしてしまう。しかも出した鼻血が凍りついてむせてしまうものがいるのだから、大惨事である。


「……い、許嫁の絵を描いてほしいんだ。普通に生活してるときのでいい」

 少しばかり胸が見えているだけの絵でこんな反応をされては、蔵人は自分が色狂いにでもなったかのような気分になる。

「……許嫁の名前を教えてくれ。あとで見ておく。何か掟に触れそうなことはないか?」

 蔵人が早々と巡回から戻ってきたニルーファルに気づいてちらりとそちらへ視線をやると、男衆たちは家事をしている姿を遠くから見てくれれば問題ない、と慌てて答え、去っていった。

「――おいっ、あんたの名前は……まあ、いいか。許嫁の絵を見せればわかるだろ。……で、何か問題あるか?」

 するとニルーファルはあっさりと首を横に振った。

「描いてやってくれ。あいつらの気持ちはわかる」

 ニルーファルも許嫁と両親を亡くしている。明日死ぬかもしれないという思いは、心のどこかにいつもあるものであった。


「――だが、いかがわしい絵は許さんからな」

「掟か?」

 蔵人が苦笑して聞き返すと、ニルーファルは眉間に皺を寄せて答えた。

「品性の問題だ。否定するものではないが、公にしていいものでもない。第一、人の許嫁をなんだと思っている」

 蔵人がへいへいと生返事を返すと、ニルーファルはさらに何か言おうとしたが、蔵人が遮った。

「――そういや、アナヒタ、様は夜に水が出せなくなるんだよな? 出しておいた水は操れるのか?」

「アナヒタ様が出した水ならばな。ゆえに夜の間は常に熱湯が準備されている」

 その水量は決して多くないし、熱湯も砂漠の夜気に触れればすぐに冷えて、凍ってしまう。

「酒はどうだ?」

「……酒も凍る」

「いや、もっとアルコール、酒精の強い酒だ。呑んだら喉が焼けるどころかむせるような、傷の消毒にも使えるやつ。蒸留を繰り返したらできる、はずだ」

 アルコール度数が高くなればなるほど、凍る温度もまた低くなる。ウォッカなどは冷凍庫にいれてどろりとした状態にして飲むのもうまいとされていた。

「……蒸留?……本当か? だが、酒精の強い酒か。操れるなど聞いたことが……いや、アナヒタ様の水で造ればあるいは……」

 ニルーファルはいつしか真剣に蔵人の提案を検討し始めていた。


 それからアナヒタの夜間戦闘能力が向上したかどうかは蔵人の知るところではなかったが、男衆のほとんどが蔵人の描いた許嫁の絵を持つようになっていた。

 最近では女衆からも頼まれて許婚の絵を、男の絵を描き始めている。男を描く気はなかったが、美しいダークエルフが頬を羞恥に染めて懇願するのだから、断れるわけもない。なにより迷惑をかけた分、なにかで返したいという思いがあった。高アルコールを提案したのもそのためだった。

「へぇ、上手いね。ていうか、オアシスならそれで食べていけそうだよ?」

 そんな中、一名ほど、頬を染める気配もなく、あっけらかんとをのぞき込むマルヤムがいたわけだが。

「あんたはいいのか?」

「わたし? わたしは許婚がいないからね」

「へぇ。嫁の貰い手がいないわけだ」

 マルヤムやファルードとは軽口をたたき合うような関係になっていた。蔵人が少しばかり失礼なことなど言っても気にはしない。

「ふっふっふっ、わたしはいざというときの切り札だからね」

 蔵人が顔を上げて不思議そうな顔でマルヤムを見るが、マルヤムはそれ以上何も言わず、いつものようにアズロナと遊び始めてしまった。


 蔵人は不思議に思いながらも、再び血反吐を吐きそうになりながら男の絵を描き始めると、突如、砂塵混じりの突風に甲殻が浚われそうになる。それどころか、舟団自体も大きく横に揺さぶられた。

 手のひらの半分ほどに削り出された甲殻にそれぞれの許婚の姿を描いているのだが、せっかく描いたそれを浚われてはたまらないと、舟が揺れている中で蔵人が慌ててしまっていると、

「……ああ、砂王(ビヤーシャ)砂竜(ビハク)だね。遠いから大丈夫」

 アズロナの顔を手で挟んでもにゅもにゅしていたマルヤムがそう言って、遠くを見る。

 精巧な砂でできた巨大な戦士が、退化した小さな翼を持つ黄土色の西洋竜の突進を受け止めていた。周囲には津波のような砂が生まれ、咆哮混じりの砂嵐が暴れ回っている。

 蔵人には米粒ほどの何かにしか見えないが、ふと見ると雪白の尻尾が逆立ち、膨らんでいた。

 よく考えれば米粒ほどにしか見えない距離でこれほどの影響力があるのだから、高位魔獣などというくくりを超えた天災級の魔獣たちの強大さは推して知るべしである。


 何度も何度も突風が吹きつけ、その中に混じった砂を掠めていく。

 すると障壁を破り、蔵人の頬に一筋の傷が走った。

 ふと見るとマルヤムはすでにローブを目深に被り、アズロナをローブの中に匿っている。

 蔵人は傷の治癒も忘れて慌てて外套を羽織るが、そんな蔵人の頬を雪白がじっと見つめてから、ひと舐めした。

 不可思議な行動に首を傾げるも、蔵人は手のつけられない魔獣たちの激突が終わるのをじっと耐えて待ち続けた。

 

 そんな中、舟団は横薙ぎの砂嵐を耐えながら、巨大な杭にも似た岩が隆起する場所へと入り込み、男衆は周囲の岩へと鎖付きの錨を投擲。突き刺さったそれで舟を固定し、砂嵐を耐える。

 突風が吹くたびに、舟団が斜めに揺れる。

 何度もそれを繰り返している内に、蔵人は船酔いを発症しそうになるが、その頃には砂嵐もやんでいた。


 そうして人知を超えた魔獣たちの戦いが終わると、男衆は鎖の上を走り、岩肌から錨を引き抜いて肩に担ぎ、そこから大きく跳躍し、舟団に戻ってくる。

 さらに、船頭の号令の下に舟を操り、ときに分離をも駆使して、砂流に隆起する峻険な岩石地帯を乗り越えていく。

 その見事な様子に、蔵人は絵を描くのも忘れて、見入ってしまった。

 その横では同じようにアズロナが目を丸くし、雪白がやるじゃないとでもいうような目をする。


 しばらくすると、舟団はとある岩壁に横着けした。

 巨大な岩壁には、ところどころ穴が空いており、舟団が横着けしたのもその一つであった。

「……行くぞ」

 蔵人の舟にファルードが迎えに来た。

「ここは?」

「……ドゥオフの隠れ里だ」

 ドゥオフとは鍛冶や細工ものを得意とする一族だとか。

 珍しく一緒に来ていたニルーファルが話を続けた。

「酒を作ってもらうために来た」

「酒ってことは、アナヒタ様の?」

「そうだ」

 いかに生まれてから死ぬまで砂舟で生活していようとも、バーイェグ族がなんでもこなせるわけではなく、しかも酒精の高い酒という未知のものならばその道の専門家を頼るしかない。

「それとこれを」

 ニルーファルが、蔵人に溶けた髑髏の模様がある大斧を差し出す。蔵人たちが遺跡から持ち帰り、ニルーファルに助ける対価として渡したものであった。

「いや、それは――」

「この舟を降りるなら過分だ。それに、ちょうどドゥオフのところに来たのだ。見てもらえ」

 蔵人は少し考えてから、雪白に斧を受け取ってもらい、そして金粒の入った小袋をニルーファルに押しつけた。

「なんだこれは……っ」

 小袋の中身を見たニルーファルがなぜか息を呑む。隣のファルードも驚いているようだった。

 蔵人としては面倒になった分の対価として、残っていたの金粒をすべて渡した、というだけのことである。こちらには紙幣どころか正式な貨幣もなく、物々交換か、金や銀、胴、命精石、財宝といったもので取引が行われているため、せめて大斧の代わりに、というつもりであった。


「……わかった。だが、半分でいい」

「いや、それじゃあ、大した額にならないだろ」

「これは純金(タラ)だ。琥珀金(サェラ)じゃない」

 聞き慣れない言葉にきょとんとする蔵人に、ニルーファルが説明した。

「この地の金のほとんどにうっすら色が入っている。瑠璃色混じりや、琥珀色混じり、純粋な金は神々の試練でしか得られない。財宝としての扱われるだけではなく、魔法具にも利用されるほどのものだ。これでも十分過ぎる」

 神々の試練とは蔵人の知るところの遺跡である。

「へぇ」

 蔵人は返却された純金をちらりと見てから、また無造作に懐へ入れた。

「それではな。ここにしばらく滞在することになる。兄者が親しくしているドゥオフに武器を見てもらうといい。……あまり手入れが行き届いているようには見えんからな。まだ先のことになるが、海近くの地は鍛冶師などいない。できる準備は今のうちにしておけ」

 素人といっても過言ではない蔵人が手入れをした大爪のハンマーやブーメランソードをちらりと見てからニルーファルはそう言って、去っていった。


 蔵人とファルードはひんやりした岩壁の中へと入っていく。今回は雪白とアズロナも同行しているが、岩壁の穴から漏れるひんやりとした風が目当てである。

 岩壁の中は複雑に入り組んでおり、明かりもない。夜目の利く雪白に手を置いてるからこそ蔵人は前に進めていた。

 しばらく歩くと開けた場所に出る。そこもほとんど明かりはないが、たった一つだけあるランプ型の魔法具が、仄かに青い光を放ち、広々とした作業台を照らしていた。


「――久しぶりじゃな、ファルよ。櫂剣の調子はどうじゃ、ほれ、早く見せんかっ」

 奥の方にあった穴から、屈強な老人が姿を見せ、挨拶もそこそこにファルードを急かした。

 肌は灰色で、もはや一体化している髪と髭は白い。身長は蔵人の胸ほどまでしかなく、一見すると緑魔(ゴブリン)のようにも見える凶相だが、緑魔とは違って身体は鉄の塊のようにがっしりとしており、目にはファルへの親しみがありありと見て取れた。

 ファルードは背負っていた櫂剣を老人に渡し、蔵人を紹介する。

「……客人のクランドだ。西外の流れ人、らしい。そっちは雪白とアズロナ」

 さらにファルードが続けようとしたが、軽々と櫂剣を預かったドゥオフの老人がそれを遮った。

「――ヌシに任せたら炉の火が落ちてしまうわ。ワシはドグラスじゃ。……ヌシもなかなかおもしろいものを持っているようじゃな。どれ見せてみよ、ああ、そこの飛竜の鎧と大きな猫の腕輪もじゃ」

 挨拶もそこそこに蔵人たちの装備を要求するドグラスに、蔵人はどうすればいいとばかりにファルードを見るが、ファルードは好きにしろ、という目をするのみ。

 諦めろ、ということらしい。

 とりあえず盗まれることはなさそうだと、蔵人たちは装備をドグラスに渡した。雪白などはでかい猫などと言われて不機嫌そうであったが、ひんやりした岩肌から身体を離すことを嫌って、大人しく腕輪を外し、大斧を作業台に置いた。

「……ファルード、腕を上げたな。こっちは、ほう、氷の不死者……いや、誰ぞの作か? これは試練のものじゃな、うむ見事だ。こっちは……ただの鎧か。だが、質は良いな。腕輪のこれは……赤、いや混色の魂石か。豪儀よの」

 ドグラスは作業台の奥に引っ込むと、受け取った武具をためつすがめつ眺めては、独り言を漏らしている。

 ちなみに、氷の不死者とは怪物(モンスター)のことを指しており、この地ではまだアンデッドと怪物が区別されていなかった。怪物を倒すことのできる聖願魔法は存在しており、怪物にしろアンデッドにしろ、聖願魔法を用いて物理的に破壊する、というのが主な対抗手段であった。


「……腕は良い。心配するな」

 よほど心配そうに見えたのかファルードがそう言ってくれるが、蔵人が気になっていたのは別のことであった。

「――西外にはワシとよく似た者がおったか? 」

 武器から顔を上げぬまま、まるで蔵人の心を読み取ったかのようなことを言うドグラス。

「まあ、な。あっちではドワーフっていう種族なんだが、結構世話になったんだ」

 ラッタナ王国のゴルバルド夫妻やマルノヴァにいたドワーフの鍛冶屋など、世話になったり、門前払いされたりと色々あったが、ドグラスは彼らに似ているような気がしていた。

「我らの遠い祖先は黒賢王様に導かれて、西の果てより流れてきたというからな。バーイェグ族やアルワラ族もそうであったはずじゃ」

 蔵人は黒賢王という名前に心当たりはなかったが、以前ミド大陸で調べたこの世界の『神話』と『歴史』に思いをはせた。


 一万年前、太陽神サンドラに導かれた勇者ミドは魔王を倒し、その後大陸を統一して、王となった。

 ともに魔王を倒した賢者は国を作り、魔王が復活しないように監視した。

 ここまでは『神話』であった。

 だがもしかすると真実は、黒賢王と勇者たちが戦争し、それに破れたのが黒賢王であった。黒賢王は東へ敗走して、砂漠を越え、ついにここまで辿り着いたのではないか。

 当時のミド大陸の王は自らの正当性を高めるために、黒賢王を魔王と貶め、黒賢王に従った一部のエルフやドワーフも同じようにダークエルフ、ダークドワーフという汚名を着せた。

 ダークドワーフなど蔵人は聞いたことがなかったが、勝者が歴史を作ったのだとしたら、そういうこともあったのかもしれないと、蔵人は妄想を膨らませた。


「で、その黒賢王様とやらはどこへ行ったんだ? ここに王朝でも築いたか? 」

「いや、さらに東へ行ったと伝わっておる。我らは落伍者よ。ある日突然力を失い、黒賢王様の重荷になってはまずいと自らこの地に残ったそうな」

「力?」

「バーイェグ族は呪術を、アルワラ族は巨躯を、そして我らは光と耳を失った」

 ドゥオフは太陽の光を浴びると火傷してしまうらしい。ドグラスを見ているとドワーフのアルビノ、と言う風にも見えなくはないが、事実は歴史の闇の中である。

「もっとも、耳のかわりにもう一つの目を得たがの」

 耳というのはおそらくドワーフの種族特性である『鉱物の囁き』のことである。

「――よし、ファルのほうは問題ない。だが、ヌシには少し話がある。まずはこの大斧じゃ。どうしたい?」

 蔵人は何を言っているかわからない。

「なんじゃ。この大斧をいじって欲しいんじゃないのか?」

 詳しく聞くと、どうやらドゥオフは魔法具を改造できるということらしい。

 ミド大陸では天然魔法具の改造は不可能とされている。天然魔法具を解析し、それを自律魔法に起こし、それをさらに魔法具にすることはできるかもしれないが、改造はまったくもって不可能だと言われていた。

 どうやらドゥオフたちは『鉱物の囁き』を失ったかわりに、魔法具を改造する技術を開発した、ということらしく蔵人はよもやの事態に言葉を失った。


「なんじゃ、西のやつらは魔法具もいじれんのか。……そういえば、このへんの技術はこの五千年くらいで発見されたらしいの」

 ドグラスはふふんと胸を張る。やはりドワーフ、技術へのプライドは人一倍高いらしい。

「で、どうするつもりじゃ」

「……この大斧はどんな力があるんだ?」

「うむ。これは狂戦士の斧じゃ。この表面の骸骨どもが死ぬまで、いや死んでもなお使用者の身体を動かす。そして振るうほどにその威力が増していく。安心せい、呪われてはおらん」

「……本当か?」

「呪われておったら今頃儂は正気を失って、お主らにこの斧を叩きつけておるよ」

 すでに自分で発動していたらしい。

 蔵人はしばらく考えてから、提案した。

「アズロナの鎧をどうにかできないか?」

 さすがに大斧を鎧にという発想はなかったのか、ドグラスは目を丸くする。

「この鎧か……なんじゃこれは?」

 アズロナの腹鎧についた車輪を外付けする部分にドグラスが首を傾げる。

「見てのとおり足がない。だから歩くにしても腹を擦るんだよ。それで腹鎧を作って、ついでに車輪をつけた。それとアズロナは飛ぶのが苦手で、泳ぐのが得意だ。毒にも強くて、組み技を使う」

 蔵人がそう言うと、ドグラスはきりっと表情を引き締め、じっとアズロナを見つめた。

 怖ろしげな顔と強烈な視線に、アズロナは及び腰になるが、いつのまに背後に忍び寄っていた雪白の尻尾が後退を許してくれない。

 ドグラスがつかつかと歩み寄り、腰が引けているアズロナをその節くれ立った太い指でまさぐる。

 変異種であろうとも飛竜は飛竜。多少強引な指使いであっても痛くはなく、むしろドグラスの硬質化した指はゴム質のブラシにも似てくすぐったいようで、ぎゃうぎゃうと身を捩る。

「これっ、大人しくせんか」

 だがドグラスの手はアズロナにとって妙にもぞもぞするもので、アズロナはまるでウナギのように逃げ惑う。

 ドグラスはぬぅっと唸りながら、ウナギと化したアズロナとしばらく格闘するはめになっていた。


「……飛ぶのが苦手で、泳ぐの得意、さらには組み技とはね。くそったれ、ご先祖様はワシを試そうというのか。……だが、おもしろい。やってやる。多少もげてもかまうまいな」

 どうにか触診を終えたドグラスがマッドサイエンティストじみた笑みを浮かべてそう言うと、最後の言葉にさすがの蔵人も不安を覚えた。

「いや、もげるのは困る」

「言葉の綾じゃ……多分の。しかし飛竜が飛行下手いうのも憐れじゃ、飛行の補助は必須じゃろう? だがそうすると加減がな……」

 それでもげてはたまったものではない。だが、飛行を補助という着眼点は良いような気がした蔵人もアイデアを出す。

「過剰な分は車輪のほうに回せないか?」

「おお、それなら骸骨どもの力も分散されるな。だが、それでは直進しか……」

 まるで宇宙へ飛び立つロケットか、直線のスピードを突き詰めたドラッグカーのようである。

「……まあ、まずは直進だけってことでいいか」

 そんな蔵人の呟きを聞いて、なんですとっ、と驚くアズロナだったが、蔵人そして雪白までもが同意してしまって、逃げ場はなかった。


「――でだ、もう一つ。これは、誰が作った? 」

 ドグラスが飛竜の双盾を指差した。

「盾は革防具の職人に頼んだが、その職人が作り上げたその夜に、精霊に手を出されたらしい。ほかのは普通の職人が作った」

「精霊?……ようするに偶然ってことじゃな?」

 蔵人が頷くと、ドグラスは満足そうに髭をしごく。

「これほど素直な物を作った者がいるなら、ワシは廃業せねばならんところじゃったわ。でだ、これはまだ余裕があるぞ?」

 余裕という意味がわからない。いや、そもそも怪物の盾は人の手では作り出せないと言われている。もちろん、手を加えることもできない。

「ワシらには『目』があるからの。確かに作り出すことはできないが、手を加えることはできる。ほう、もしやこれも西外ではできないのか?」

 ドグラスは愉快げに笑った。

 ドゥオフは怪物の盾を怪物の盾のままに、改造できた。文化が未発達のこの地であるが、過酷であるからこそ、今ある物だけでどうにかしようとして、改造という手法を極めたのである。


「で、どうする? 質の良い魔獣の素材と少しばかり金属があればどうにでもできる。ただ、予定どおりに改造できるかどうかはわからんがな」

 蔵人は少し考えてから、大爪のハンマー、三連式魔銃を抜いて渡した。他にも龍華国で手に入れた双頭鉄亀の分解した甲羅や雪白の爪、アズロナの生え替わった鱗や紅蓮飛竜の素材も出す。

 ハンマーはそもそも振り下ろすくらいにしか扱えていないし、大爪を腕に嵌めて用いるのも上手く扱えているわけではない。三連式魔銃にしたところでいつまでもぶら下げて、勇者との関わりを示す必要もない。

「これで……ああ、あと」

 それに加えて、金粒の小袋を取り出した。

 途端、ドグラスの目がくわっと見開かれる。その反応に蔵人が尋ねる。

「なあ、琥珀金ってなんだ? 」

「琥珀金というのは琥珀色、ようするに雷の性質が混じった金のことで、他にも氷の性質が混じった水晶金(ビッラ)や風の性質が混じった翡翠金(ヤシュラ)なんていうのもある。お主の反応を見るに西外では違うようじゃが、このあたりでは純金がもっとも少なく、貴重なんじゃ。それこそこれだけあれば、血統の良い瘤蜥蜴や毛長大鳥の雌を十は買えるじゃろう」

 ニルーファルに半分渡し、それ以前に少しばかり使っていることを考えれば、ジーバからもらった金粒はこちらではそれなりの金額であったことになる。


「純金はツナギの触媒としてはこれ以上のものはない。腕輪の混色の魂石も少し使わせてもらう。あとはこの大斧も使えるな」

 魂石とはミド大陸でいう命精石のことである。

「大斧はアズロナに使うだろ」

「内部の力はな。だが、外側は余っとる。無駄にしてはいかんぞ」

 そうしてすべてを混ぜたときにできあがる完成予想図をドグラスが話し、そこに蔵人が希望を加える。

「……とはいってもな、最後はこの盾次第じゃ。不死人は人を食らうが、不死人の武具もまた同じだ。素材を食らい、勝手に取り込む。儂はそれに少しばかり手を貸すだけじゃ」

 蔵人の盾はすでに一度食らっているため、次が最後の改造になるという。


「で、いくらくらいだ?」

「純金の残った分をくれ」

 蔵人がわかったと即答すると、ドグラスは少し目を細めた。

 言い値で買うなど馬鹿のすること、それがこの砂漠の常識である。ドゥオフの矜持として法外な値段をつける気もなかったが、その常識の分だけ値を上げていた。ゆえにドグラスのほうが動揺しそうになって、睨むような形になった。

 そんなドグラスの反応にまたなにかしでかしたかと、蔵人は言い繕う。

「……どうせあっちじゃ魔法具の改造も怪物の盾の改造もできないからな。それでできるなら問題ない……できるなら、一粒くらい残してくれると助かる」

 これから何か必要になるかもしれない、程度の思惑があっただけで、駆け引きのつもりはまったくなかった。

「わかった」


 十数日ほどで蔵人の新しい盾とアズロナの鎧が完成した。

 できあがった新しい鎧はドグラスにより『紅骨の(メテオール)突撃鎧(・ゲレット)』と名付けられ、早速それを着たアズロナは、砂舟の上で蔵人たちが見守る中、よたよたと飛び始める。

 アズロナが拙く羽ばたき続けると、にょきりにょきりと半透明の骸骨が現れ、にっこり笑う。

――ぎぁうっ?

 ジーバで骸骨は見慣れていたアズロナは首を傾げるが、骸骨は微笑むのみ。

 そして、蔵人の合図とともに、アズロナがその機能を発動させ、何度か羽ばたくと――。


 ――星になった。


 雪白が慌てて追いかけて回収するまで、アズロナは『紅骨の突撃鎧』の加速に耐えきれず、ぎゃばばばばと涙や涎を垂れ流していたとか。

 紅骨の突撃鎧は、アズロナが羽ばたくと骸骨がそれを補助し、さらには無意識でアズロナが利用している風精への意思伝達も補助した。ここまでよかった。

 だが、まるで振り下ろすたびに威力が増す大斧の能力のように、羽ばたくほどに倍々に加速。止めようにも、アズロナは鎧の機能を止めずに羽ばたきだけを止めようとしてしまったため、骸骨の補助は止められず、制御不能に陥った、というのがアズロナの悲劇の原因だったとか。

 

 帰ってきたアズロナは珍しく涙目で蔵人を睨む。

 それがまた怒っているようには見えないのだから、蔵人としては苦笑するほかない。

「すまん。ただ、それを操れたら、俺を乗せられるかもしれないな」

 そんな蔵人の言葉にアズロナはころりと機嫌を良くし、ふんすと鼻から息を吐いて、張り切り始めた。

「……おめえ、悪党だな」

「生きるためさ」

 ドグラスは蔵人の言葉に納得し、ちげえねぇと笑った。

 ちなみに、車輪のほうも同じでドラッグカーばりに加速する。ただし、こちらも直進のみであるが。


 


 翌朝、蒸留酒の算段のついたバーイェグ族は岩壁のドゥオフの里を出て、また砂流を巡り始める。

 ちょうど朱月も半ばを過ぎて、砂漠の寒暖差はピークに達していた。

 さすがにそこまで寒暖差が激しいとバーイェグ族も近くの砂漠に停泊し、暑さと寒さをやり過ごすようにひっそりと、そしてまったりと生活していたが、そんな舟団で不景気な咳を何度も零している者がいた。

 蔵人である。額に汗を浮かべ、熱に浮かされた苦しそうな顔で毛皮を被って横になっている。

 文化の違いから、離脱を決めた。

 それでようやくうっすらと立ち位置がはっきりした。さらに、男衆や女衆に絵を描いたり、アナヒタの夜間戦力向上にも貢献、ニルーファルの管理下に置かれることで掟破りも減ったことで、名実ともにバーイェグ族に受け入れられつつあった。

 蔵人はそれでようやく、心身共にほっとひと息つくことができた。


 だが、それ張り詰めていた気が緩んだらしく、極端すぎる気温差に身体が負けてしまった、というわけである。

 実のところ、蔵人は雪山を降りた後は思いつきで免疫力、もっと細かくいえば白血球を強化するイメージで強化魔法をうっすらとかけていたのだが、それが功を奏したかどうか、今回の病気でなんともいえなくなっていた。

 もっとも、今までなんの病気にも罹らなかったことが奇跡であり、そういう意味では白血球への強化魔法が効果的だったと言えなくもないのだが。

「よく子供が罹るんだ。まあ、クランドは流れ人だし、そういうこともあるよ」

 まるで水疱瘡やおたふく風邪であるが、現に立ち上がることもできず、意識も朦朧としているのだから、蔵人としてはぐうの音も出ない。

「アズに病魔がとりついたら大変だからね」

 マルヤムは迷信くさいことを言いながら、その両腕にはがっしりとアズロナを抱えている。

 最近ますます大きくなってきたアズロナであるが、マルヤムはダークエルフ特有の怪力を発揮して抱え、部屋の外へと連行してしまった。蔵人の病が治るまでは一緒に寝ようということらしいが、実際には雪白やアズロナに圧迫されて蔵人が休めないだろうという配慮である、はずだった。


 そして雪白もいつもの手合わせをするために外で待っていたニルーファルと行ってしまい、残されたのはファルードと蔵人だけ。

 未婚の男女を一緒の部屋にするわけにはいかないという倫理観からファルードが看病することになったのは理解できるが、朦朧とする意識の中でもなんとなく損をしたような気分の蔵人であった。

「……着替えろ」

「……水だ」

「……寒いか?」

 看病とはいえ常に一緒というわけではなかったが、ファルードは蔵人が何かして欲しいと思うときを遠くから察知したかのように、その都度顔を出した。

「……母親、みたいだな」

 蔵人がそう呟くと、ファルードは何かを思い出すように零した。

「……ニルの看病をしたことがある」

 ファルードとニルーファルは両親を亡くしており、妹であるニルーファルが病に罹った事があったのだろうと蔵人は察した。


 それからファルードが部屋から立ち去ってしばらくすると、ニルーファルと雪白が帰ってきた。

「食べるといい。精がつく」

 蔵人は力の入らない身体をどうにか起こし、ニルーファルが置いた器を持ち上げようとして硬直する。どろっとした液体の、赤黒い色に見覚えがあった。

「……千年万足か? 」

 蔵人が何気ない風を装って尋ねると、雪白が得意げに頷いた。

「ユキシロに感謝するんだな。以前に汝が釣り上げたものより遙かに大きく、これだけのものはアナヒタ様も長老衆も見たことがないとおっしゃっていた」

 前回蔵人が釣ったのは小舟ほど、今回雪白が仕留めてきたのはその小舟を十艘ほどもつなげたような大物であったという。

「――でもニルがスープにしたんだよねっ? 」

 ニルーファルの背後からにゅっと顔を出したマルヤムがそう言った。

「……わざわざ一人分をスープにするのは女衆に申し訳ないからな」

 千年万足は祝い事にも饗されるが、すり潰してスープにしたものは蔵人の病にもよく効くという。

 蔵人はニルーファルが作ったと聞いて、かつてニルーファルは女衆だったというマルヤムの言葉を思い出し、まじまじとニルーファルを見上げた。

「こんなものは兄者も作れる。我も作ってもらったしな」

 真顔でそう答えるニルーファルの顔に羞恥など微塵もなかったが、兄であるファルードが誇らしいという気持ちは強く伝わってきた。


「そうか、ありがとう」

 蔵人は雪白の頬を撫でて、ニルーファルに礼を言ってからスープの入った器を持ち上げようとしたが、腕が震えて力も入らず、持てそうにない。

 強引に身体強化を使って持ち上げようとすると、雪白がそれを制して尻尾で匙を持とうとする。

 いつものように、しょうがないやつだという風を装ってかいがいしく世話を焼こうとするが、雪白は愕然とした。

 匙が、持てないのだ。

 尻尾で匙を握ると匙が尻尾に埋没してしまい、スープが掬えない。

 どうしたらいい、と困り果てる雪白。

 それを見てニルーファルは後ろにいたはずのマルヤムを探すが、なぜかいない。ならばと舟の外に出て兄、ファルードを探すが、やはりいない。

 このとき、蔵人とニルーファルは部屋に二人きり、つまりは未婚の男女が密室にいる、という少し掟に厳しい者なら烈火のごとく怒り、普通の者でも眉根を顰めるような事態になっていた。

 が、ニルーファルは常日頃船頭として男衆と共に働いており、本人の強力な武力もあって男女二人となっても不問とされていた。


 ニルーファルは仕方ないと小さくため息をついてから、蔵人の部屋に戻ると雪白が困り果てたまま握っていた匙を受け取り、スープを掬って蔵人の口元に運ぶ。

 厚意を無駄にするのも悪いかと、蔵人は黙ってそれを口に含んだ。

「――あつっ」

 大きくむせてしまった。

 ニルーファルはなぜ自分で冷まさないのか、と非難するように蔵人を睨んでから、もう一度匙でスープを掬い、今度は息を吹きかけてスープを冷ましてから、蔵人の口元に運んだ。

 なぜかいつものように叱られている気がしたが、蔵人は黙ってスープを呑み込んだ。

 ニルーファルはさらにスープを掬おうとして、雪白が尻尾でスープの入った器を持ち上げて蔵人に近づけ、スープを運ぶときにこぼれにくいようにしてくれたことに気づく。

 お互いに面倒くさいやつの面倒を見ているな、とニルーファルが目で語りかけると、雪白もわかる?、と同意するような目を返す。

 そんな二人に挟まれた蔵人は、なぜか看病のされ方(・・・)を仕込まれているような気になっていたが、だるい身体では逆らう気もおきず、黙ってスープを飲み続けるしかなかった。


 それから数日、蔵人の病が治らないまま、砂舟は再びゆっくりと動きだした。

 途中、魔虫の群れに遭遇するも、船頭の指揮の下でバーイェグ族の男衆らは縦横無尽に舟団を駆け抜け、ときに分離させ、その身体能力と櫂剣でもって魔虫を次々に屠っていく。

「――そっちいったぞっ」

「任せろっ」

 女衆もショートソードほどもある解体用の刃物や料理用というには長すぎる長串を用い、男衆が討ち漏らした魔虫をあっさりと倒していく。拳二つ分ほどもあるバッタにも似た魔虫をあっさり切り払い、射落とすさまは勇ましいというほかない。

 バーイェグ族はたったこれだけの武器で、砂漠を巡っていた。過剰な武装で野心を疑われぬように。


「――右舷後方、半蠍(セルクト)っ! 」

 魔虫の掃討を終えたその瞬間に、見張り役の切迫した声が響き渡った。

 半蠍という単語に誰もが顔を引き締め、油断なく武器を持ち直す。

 すると、見張り役の言ったとおり、右舷後方の砂が立て続けに隆起した。

 同時に、シィシィという歯の隙間から勢いよく空気が漏れるような音と、鞭の先端が空気を弾くような音が聞こえてくる。

 舞い上がる砂、砂舟にとりつく砂色の化物。

 上半身は女、下半身は大蠍という異形を持つ、蛮族と名高い半蠍であった。

 ただ蛮族というには意思疎通ができず、極めて好戦的、人すらも食らうということもあって魔獣という者もいた。


「――女衆は中から援護、男衆は深追いするなっ! ――出るぞっ!」

 ニルーファルは男衆や女衆を鼓舞するように叫び、櫂剣を肩に担いで最前線に飛び込んだ。

 影のように付き従っていたファルードも躊躇なく続く。

 ニルーファルは飛び降りるように右舷の小舟に到達するなり、半蠍の頭上から櫂剣を振り下ろしながら着地する。小舟には一切の傷はなく、揺れもしないが、半蠍だけは真っ二つになっていた。

 隣の小舟ではファルードも同じように半蠍を屠っているが、僅かばかり小舟に傷がついてしまった。

 ニルーファルとファルードは切り伏せるなり次の小舟へと飛び移り、半蠍を蹴散らしていく。

 他の船頭や副船頭も出張ってきた族長を指揮に残して、全員が最前線で櫂剣を振るっていた。

 それでも半蠍の数が多い。

 次から次へと砂流から飛びだし、奇怪な鳴き声で連携し合う。

 いかに怪力を誇るバーイェグ族とはいえ、数匹に集られては身動きができなくなる。

「――くそっ、こいつっ、ぶっ」

 男衆の一人が半蠍に引きずり込まれるように砂流に落ちる。

 それに気づいたニルーファルとファルードが駆けつけるも、すでに姿はない。

「――サハドぉっ、……根絶やしにしてくれるっ!」

 今でこそ平和を志向しているが、かつては最強の遊牧民として、この砂漠に覇を唱えた事もあるバーイェグ族である。言葉も通じず、問答無用で襲ってくる相手にまで慈悲をかけることはない。

 まして仲間が死んだのならなおさらで、彼らの中に眠る砂漠の民の獰猛な気質は、ニルーファルの怒号に呼応して理性を捨て、その獣じみた残虐性を露わにした。

「――死ねぇぇええっ」

「――サハドぉぉおおおおおおおおおっ」

 全員が無意識の内に身体強化の度合いを高め、目が血走っていく。

 砂漠の男には恋わずらいにも似た、『血わずらい』とでも呼べるような不治の病がある。ひとたび仲間を失えば、復讐せずにはいられない。相手を地の果てまで追い詰めて殺さなければ気が済まない。

 それが砂漠の男、いや砂漠の民であった。

 そんな本能を普段はアナヒタを守るという信念でもって押さえ込んでいるバーイェグ族であるが、ひとたびその箍が外れたなら、彼らはさながら狂戦士のように猛り、戦う。


 ニルーファルにも当然それはあり、すでに目は血走っていた。

 船頭という立場から、ほんの僅かに残った理性は病に動けぬ蔵人の小舟を見やるが、その入り口には鎧を着込んだアズロナが立ち塞がり、自由になった雪白が近づく半蠍を片っ端から蹴散らしている。

 後方は雪白に任せてしまっていい。

 もはや憂いはなく、ニルーファルは衝動に身を任せた。

 手近な二匹の半蠍の胴を一振りで両断すると、雪白もかくやという速度で船縁を疾駆し、砂舟に這い上がろうとしていた半蠍を串刺しにする。

「――オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ」

 串刺しにした半蠍をそのままに、櫂剣を振り回し、次なる半蠍を押しつぶし、吹き飛ばす。

 頭部に巻きつけた髪が櫂剣を振るうたびに乱れるも、ニルーファルは止まらない。

 まるで泣きながら半蠍を殺しているようにも見えるその目は、ひときわ大きな半蠍に襲いかかった。


 戦闘は激化の一途を辿っていた。

 半蠍とて愚かではなく、弱くもない。

 今も各船頭をひときわ強力な半蠍が抑え、最後尾の小舟から何故か動かない雪白には勝てないと理解してか牽制しながら数で押している。

 半蠍にも指揮系統があるという証明であった。


 そんなとき、雪白の討ち漏らした半蠍を翼腕で引っぱたいていたアズロナの後ろに、動きがあった。本来の用途とは違うため僅かばかりという程度の補助であったが、『紅骨の突撃鎧』の骸骨たちの後押しを受けた一撃は大人の飛竜並みの一撃となっていた。

――ギウッ!

 まだダメっ、とばかりにアズロナは後ろへ押し返そうとするが、蔵人はふらふらになりながらアズロナを押し返して外に顔を出し、怒鳴り声を上げた。

「――うるさいっ!」

 ふらふらする頭と寒気のひどい身体では、言葉を選んでいる暇などなかった。

 そんな言葉で黙るはずはないのだが、なぜか半蠍たちが動きを止め、その隙にバーイェグ族も体勢を立て直さんと一旦退く。

 それを見て、蔵人がさらに叫ぶ。


「――水をやれっ!」


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