12-ハンター③
初めからあの蜘蛛をけしかければよかったのだ。
ナワバリを放棄し雪山のさらに奥への逃走という完全なる敗走か、姿を見せながら逃走しつつ各個撃破又は離脱を目指すべきか。
アカリという存在のために、この二択を迫られることになった。
前者は雪白が嫌がり、後者は蔵人が心配した。
どのような魔法が存在しているかわからない。捕獲専用魔法や速度にすぐれた魔法などもあるかもしれない。
一般汎用性や単純火力に優れた精霊魔法であるが、精霊魔法が認知される以前、世界を支配していた力が現在において自律魔法と呼ばれているものであった。
精霊魔法が精霊の力でもって世界に『干渉』するものであるのに対して、自律魔法は自身の力で世界を一時的に『誤魔化す』ものであるといわれる。
非常に煩雑で複雑な方法を用いて魔力を魔法とする。
精霊などは魔力と意思さえきちんと伝えられれば詠唱などいらなくなるが、自律魔法では詠唱はほぼ必須であり、杖や指輪などの装備も必要である。
魔力効率も精霊魔法が一の魔力でやれることを、自律魔法は百の魔力を必要とするため、魔法を使う者の魔力の多寡がその能力の差となって現れることも多い。
精霊魔法は基本的には習得しやすく、適性の差はあれど万人が用いることができるが、自律魔法は儀式や装備に非常に金銭がかかり習得にも時間がかかるため限られた人間にしか使えない。
精霊魔法が水そのものを呼び出して使えることに対して、自律魔法が生み出した『水の矢』などは使用後に消失してしまう。水が先か、水精が先か。という議論もあるが、実際の物質を扱えるというのは色々な方面で有用である。
あらゆる点で精霊魔法のほうが優位にたつのは二百年以上前に世の支配層を変えたことからもわかるが、それでも自律魔法が優れ、今もなお脈々と受け継がれ、簡易な自律魔法が開発されるまでにいたり、近年に一般社会へ浸透しつつある理由は一つである。
自律魔法は世界を『誤魔化す』ことができる。
自身の世界への認識、世界の法則に沿ったことが精霊魔法のできることであるのに対して、自律魔法は方法さえ確立していれば世界の法則を一時的に無視することができた。
一例をあげれば、蔵人の世界でも有名な『魔力の矢』というものは精霊魔法ではできない。
魔力を食べて存在する精霊にはそれが理解できないのだ。
その超常的な力は、精霊魔法が確立する以前のこの世界で貴族や王族の力となり、地位を確立させた。
現在も存在する旧貴族たちや一部の魔法使いはそれを秘匿し、子孫に伝えている。
それゆえにどんな魔法が存在するかわからないといっても過言ではなかった。
それを魔法教本で知っていた蔵人が姿を見せての戦闘を心配して止めたのだった。
二択が潰れてしまった。
一人と一匹は戻ってきた洞窟の中で沈黙した。
奇策など思いつくはずもない。
蔵人は取り留めもなく考える。
自分たちが動けないなら、自分たち以外を用いればいい。
しかし、それではコントロールを失ってしまう。
無暗やたらと殺すわけには……。
罠は……生粋のハンターが引っかからないだろう。それ以前に自らの存在がばれる。
いや、ばれても問題ではないが、効果的ではないだろう。
存在がばれてもいい、のか?
いや、しかし……。
蔵人の思考が堂々巡りをはじめかけたとき、ふと、ひっかかる。
ひっかかって、途端に『それ』は融解していった。
コントロール、無暗に殺す。
それはいけない。
蔵人の無意識の制限であった。
二択が潰れたとき、なぜこんな簡単な方法を思いつかなかったのか。
赤の他人の命など考えなければいい。
蔵人はどこかで地球の人間側、という倫理を守ろうとしていた。
そこから逃げてきたというのに。その社会になじめなかったのに。そこの倫理に首をかしげていたのに。
そもそも襲ってきているのだ、襲われるのもハンターの覚悟の内であろう。過剰防衛などとはいうまい。
蔵人は一宿一飯、ではないにしろ恩とでもいうべきものを親魔獣と雪白に感じている。
自分でのぞんだこととはいえ、雪山に一人きり。
やることがあったとはいえ、その孤独を紛らわすことができ、そして生活をともにするようになった。
存外、それが悪くない。
相手が人ではないところに自身の欠落を垣間見たような気がしたが、それはどうにもならないことだ。
人間嫌いとかいうつもりもない。なによりも自身が人間なのだ。ゆえに、
人間と魔獣を天秤にかけるのではない。
魔獣の側に立つのでもない。
『雪白』の側にいることをただ忘れないだけだ。
「蜘蛛をけしかけてやろう」
そろそろお腹がすいてきたんだけどといわんばかりに不機嫌そうであった雪白はきょとんとした。
蜘蛛はおそらく雪白、イルニークという種にとって獲物を争う相手だ。
この地のピラミッドの頂点同士として何かあるかなとも蔵人は思ったが、別段ないらしい。
雪白はゴハンゴハンと尻尾でペシペシと蔵人の胡坐を叩くだけだった。
そして翌日、雪白はあっさりとアカリをさらってきた。
出発前に傷つかずに出来るなら、そして雪白がやってもいいと思うならさらってきてくれと蔵人が頼んだのだったが、どうやら連れてきてくれたらしい。
「助かったよ」
蔵人がアカリを受け取って肩に担ぎながら雪白の頭をガシガシと撫でると、雪白はするりと抜け出してしまった。
それでいて尻尾をピンと立てたまま上機嫌に洞窟に向かっていくのだから素直じゃない。
アカリが目を覚まし、身をおこした。
日はすでに落ち切り、囲炉裏に火精が浮いて揺らめいていた。
蔵人は火精越しにアカリの対面に陣取り、いつものように雪白にブラッシングをしていた。
「……生きてるのかな?」
「ん?ああ、生きてるな」
突然の声にアカリは顔を向け、
「……あれ?なんでここに、大棘地蜘蛛は…ていうかそれイルニーク……。だれ?」
混乱していた。
雪白はアカリの声にピクリと反応して一瞥したきり、蔵人のブラッシングにぐで~と地面に伸びきってしまっていた。アカリなどまるで眼中にないといった様子である。
「あっ……よ、用務員さん?」
意外にもアカリは蔵人を覚えてるようだった。
風呂にも入っているし、髭もナイフで剃っていた。髪も適当にナイフで切りそろえていたが、どうしても日本にいた頃より長くなってしまっていたから蔵人は気付かないと踏んでいた。
蔵人はもちろん覚えていた。朝と帰り、見かけると挨拶をする、そんな間柄だ。お互い名前なんて知らない、新入生と用務員、ただそれだけの関係だ。
だが、そんなことでも覚えているものだ。
アカリが大棘地蜘蛛に殺されなかったのも、顔見知りを見捨てるのは忍びないという蔵人なりの理由の一つであったのだから挨拶も馬鹿にしたものじゃない。
そんな蔵人と召喚者の初対面なんてブラッシングほどの価値もないと雪白が大きく欠伸をした。