なくしもの、探しもの。
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大きな河が流れている。川幅は、十メートルは優に越す。二十メートルも越えているかもしれない。流れも穏やかな大河で、中洲はまるで島のようになっている。
その河の両岸、堤防を下ったところは整備されており、ちょっとした自然公園や、テニスコート、休日には自前の焼き肉、バーベキューで人々が盛り上がる広場などになっている。
そしてもちろん、河に沿ってランニングコース・サイクリングロードが舗装されており、この道は多くの犬の散歩コースにもなっている。
今もこの道を、少年とその飼い犬が歩いていた。
この一人と一匹は、毎日この道を歩いているのだが、毎日人々の注目を集めていた。
まず、犬がでかい。
犬種は一見ゴールデンレトリーバーであるが、尺が倍以上あって、誰もが思わず二度見し目をこすった。何せその犬、小学生程度なら二、三人は背中に乗せられそうなサイズだったからだ。
首輪こそ巻いてはいるが、リードは繋がれていない。
それから、飼い主である少年も同じく人々の注目を集めている。
年の頃は、恐らく中学生くらいだろう。身長はそれ程高くもなく、かといって低いというわけでもない。隣を歩く犬のお陰で感覚が狂うのだが、まあ平均身長だろう。
少年は、まるで西洋人の顔立ちをしていた。薄い金髪や鼻の高さ、彫りの深さなどだ。そしてとても端正なのである。将来が恐ろしい少年だった。
紺色のパーカーに青いジーパンと、特に服装にこだわりの感じられない少年は、何だかぼんやりした表情で歩いていた。
どうしても自然と集まる視線は、毎日受けていればもう慣れたもので大して気にしていない。
ふと、少年の横を歩く犬がすんすんと鼻を鳴らした。
「んー………いや、別に何でもないよ」
少年が口を開いて、自然な口調で犬に返事をした。それから、ふわあ、と大きな欠伸をした。
「ただ、最近ちょっと寝不足でさ。………ふあ」
ふわふわと欠伸をする少年は、西洋人な容姿の割に流暢な日本語だった。
むにゃむにゃと眠たげな目をこすりながら歩いていると、向こう側から女性が一人歩いてきた。女性も犬を連れている。雑種らしい柴犬だ。こちらも首輪のみで、紐は繋がれていない。
女性は道端に視線を走らせながら割合にゆっくりと歩いていたが、ふと顔を上げて見た先に少年と犬の姿を見てぱっと笑顔になった。
ふりふりと手を振りながら近付いてくる女性に、少年も笑みで会釈を返した。
「こんにちは、桜井さん」
「ユウタ君こんにちは。眠そうだね」
「ええ、はい。最近寝不足で」
「寝不足はいけないよー。弱くなっちゃうからね………ゴエモン君もこんにちはー。相変わらずおっきいねえ。一体何を食べればこんなにおっきくなるんだい?」
「んー、別に特別なものはあげてないんですけどね………何か探し物ですか?」
うりうりーとゴエモンの頭を撫でていた桜井は、うん? と顔を上げた。
「何だかきょろきょろされてましたから」
ああ、うん、と桜井は困った表情になって頷いた。
「何日か前にね。ケータイのストラップ落としたんだ。まあそんなに大事なものでもないんだけど、結構気に入ってたからさ」
「ケータイのストラップというと………確か、何かのキャラクターの」
「そうそう。あのご当地キャラの………ゴエモンくーん、私あれ落としちゃったのよー」
うりうりと喉を撫で回されて、ゴエモンは目を細めて気持ちよさそうだ。
「この通りでですか?」
「うん。いつ落としたのかはわかんないんだけど、ここ以外じゃ落としてないと思うのよねー」
ゴエモンばかり撫で回しているので、足元の桜井の犬が切なげに鳴き始めた。
「おお、よしよし。ケンちゃんのことも忘れてないぞー」
桜井はよいしょと柴犬を抱き上げた。
「まあ見つかりっこないと思うけど、もし見かけたら拾ってくれないかな?」
「ええ。拾ったらお知らせしますよ」
ユウタは朗らかに頷く。よろしくねー、と桜井はケンちゃんの前脚を振って、ケンちゃんを抱いたまま歩いていった。
その背をしばらく眺めた後で、ユウタは何気なく首を傾け、隣で同じく桜井を見送るゴエモンへ、
「覚えてる? 桜井さんのストラップ」
ゴエモンは黙ったままユウタを見上げた。
「近くにありそう?」
ゴエモンは特に反応せずにユウタを見上げている。少しの間ゴエモンを見ていたユウタは、やがて苦笑して、
「まあわかんないよね。なんか気づいたら教えてよ」
ゴエモンはすんすんと鼻を鳴らし、ユウタは頷いて再び歩き始めた。
「そういえば、僕桜井さんの連絡先知らないなあ」
呟く。ゴエモンは特に答えない。ユウタは少しの間を空けて、
「ま、それもそうか。でも最近すれ違わないんだよねえ」
呑気に呟いて、ゆっくりと歩く。
しばらくはそのままぷらぷらと歩き続けていたが、不意にゴエモンが立ち止まった。
「ん、どうしたの?」
ゴエモンは答えず、じっと道の脇の方を見つめている。
ユウタがその先を見ると、烏が一羽でそこにいた。そちらもじっとゴエモンを見つめている。
んー、とユウタは何か考えていたが、ゴエモンが一度首だけ振り返り烏に視線を戻したところで、そうだね、と呟いた。
「あのさー」
何の気なしに烏へ声を放る。烏はとっさに身をかがめてあからさまに警戒の様子だが、ユウタは構わず、
「この辺でちっちゃいストラップ見なかったー?」
烏は動かない。ゴエモンがまた一度首だけ振り返った。
「あ、そか。えっとね。これくらいの大きさで、色は青いの。で、紐が伸びてる」
どう? と首を傾げて見ると、烏も首をひねってみせた。それから一度だけカーと鳴く。
ふんふんと頷いていた少年は、えーと疑いの声を上げた。
「なんでそっち? え? あ、そっか。じゃあまあ、とりあえず河に落ちてなくてよかったってとこかなあ」
頭を掻いて半身振り返り、河の向こう岸を見やる。うん、とユウタは頷いて烏へ向き直った。
「まあとりあえず見てくるよ。まだあるといいんだけど。ありがとう」
手を振ると、とうとう烏は飛び立って行った。その姿をしばらく見送り、ユウタはゴエモンと顔を見合わせて、
「んじゃまあ、行ってみようか」
ぶふ、とゴエモンは鼻息を吹いた。
うんうんと頷きながらユウタは散歩コースから外れ、堤防の土手から上に上がっていった。やや急な上り坂で、ユウタは二度ほど滑りかけた。
先に難なく登りきって見下ろしていたゴエモンに、ひいひいとユウタは肩で息をする。
「ちゃんと運動しなきゃだめだねえ」
全く全く、と息を整え、ユウタはゴエモンと一緒に歩き始めた。大河に跨がる橋の方だ。
一人と一匹は特に急ぐでもなくぶらぶらと歩き、橋を渡り、橋の横の階段から下りていく。下りはゴエモンの方がやや手こずっていた。
下まで下りると、ユウタは左右をきょろきょろ見る。
「んで、どっちだっけ」
ゴエモンがひょいひょいと道を外れて歩いていく。ユウタもその後ろを付いていった。
ゴエモンはずんずん進んでいって、背の高い草むらへ躊躇なく分け入っていった。ユウタは一瞬、うぇ、という表情になったが、何も言わずに付いていく。
が、さすがにゴエモンがさらに奥の木立まで進んでいったときには、
「えー、ほんとにこんなに奥にあるの? もう河じゃない?」
ふん、とゴエモンは鼻を鳴らし取り合わず、さらに進んだ。
途中で踏み外しゃしなかろうかと半ばどきどきしながら歩き続けると、不意に木立を抜けた。
河の音が大きく聞こえる。
中洲だった。
振り返ると、たった今抜けてきた木立があり、その向こうに岸が見えた。
「繋がってたんだねー………」
ゴエモンに向き直ると、ゴエモンは中洲のちょうど真ん中でユウタを待っていた。
砂利を踏みしめながらそこまで行くと、ゴエモンは自分の足元を示した。
見れば、そこには例のストラップが落ちていた。
「おわー、あの烏が言ってたのよりもっと移動してたわけか。よく河に落ちずに………凄いなあ」
ひょいと拾い上げた。かなり汚れているが、洗えば取れるだろう。
ユウタも見覚えがあるそれは、確かに桜井のなくしたというストラップだった。
「ほんとに運のいい………いや、運がいいのは桜井さんかな。ま、ありがとう」
わしわしとゴエモンの頭を撫でる。
ふんふんとゴエモンは鼻を鳴らした。
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「ええ!? あったの!? どこに?」
数日後に会った桜井に拾ったストラップを渡すと、桜井は本気で仰天していた。
「えーっと………道からちょっと離れたとこに落ちてました」
ちょっと困った後で、ユウタはそう答えた。
ほー、と桜井は目の高さまでストラップを持ち上げた。
「全くラッキーだねえ………ありがとうユウタ君! ゴエモン君も!」
うりゃうりゃ、とゴエモンを撫で回す。あはは、とユウタは苦笑した。
「今後はよくよく気をつけるよ。見つかるなんて思わなかったわ。ほんとにありがとね、ユウタ君」
にこ、と笑み、またケンちゃんを抱いたまま歩いていった。
またしばらくその後ろ姿を見送った後で、ユウタはぽつりと呟いた。
「綺麗な人だよねえ、桜井さん。でも未だに下の名前知らないんだよなあ」
ぎゅむ、とゴエモンに足を踏まれた。
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