一
第二王女が、祝宴に訪れた魔女から呪いを受けた。この事実はすぐに国中へ、さらに近隣諸国へと知れ渡った。結果、シエロは『オルキデアの呪われた王女』という、不名誉な二つ名で呼ばれている。
とにかく人目に触れないように。そう育てられたシエロは、公的な場にも姿を現したことがない。まだ生存しているのかも、大多数の人間は知らない。いつかひっそり死んでしまっても、大半が興味も関心も抱かないだろう。
「シエロ様!」
四十に手が届くかどうかといった年齢の女性が、シエロに呼びかける。
絵画も飾られていない壁は真っ白だ。室内の調度品は女性向けで、化粧台にはささやかに化粧品が並ぶ。チェストの上には、愛らしい人形が数体並べらている。部屋のほぼ中央には、白いクロスのかかったテーブルとソファ。左手側に薪を置いた暖炉の中では、パチパチと薪が爆ぜている。
「セルカ、私はここよ」
一人の少女が、暖炉がある側の壁の隅に開いた穴からヒョイと顔を出す。
宝石をはめ込んだように、キラキラと輝くエメラルドグリーンの瞳。癖のある長い亜麻色の髪が、楽しげにフワフワと揺れ遊ぶ。花が咲きほころぶ様に似た笑みは、人形のように愛くるしい顔を彩っていた。襟元の開いたドレスから覗く肌は白く、ほっそりした首はちょっと力を込めただけで簡単に折れてしまいそうだ。
「ああ、またそのようなところへ入り込んで……」
「ここは私の秘密の場所なの。外には出ていないから安心してちょうだい」
クスクスと小さく声を立てて笑うシエロは、これが隠し通路の入り口と知っている。どこをどう通ればどこに出るか。ここ以外に遊び場がなかったため、それらもほぼすべて把握している。
「外に出て、私を知らない人に驚かれても、困るもの」
シエロが知っている人間といえば、両親と三人の兄と、嫁いでしまった姉。そして、乳母のセルカと、彼女の娘で身の回りの世話をしてくれる二人の侍女だけ。
食事のために食堂へ行けば、料理はすでに並べられているのが当たり前だ。王女として必要なことは、両親と兄姉が教えてくれた。遊び場は限られているが、これまで退屈した覚えはない。
彼ら以外の顔を見たことがなく、それを疑問に思うこともなかった。周囲から十二分に注がれる愛情を元に、シエロの世界は狭い中で回っている。
そんなある日、世界が広がりを見せる日が訪れた。一番上の兄ルスが、隣国の王女を妻として迎えたのだ。
兄嫁となった王女ノルテは、美貌もさることながら、容姿に負けず劣らず美しい心根の女性。そう聞かされていたシエロは、彼女と顔を合わせる日を心待ちにしていた。
「……退屈ね」
歓声が聞こえてくる。きっと、結婚式が終わったのだ。これからお披露目で、兄と兄嫁は街へ出て行く。ついていく家族たちも含め、戻ってくるのは夜になってからだ。
それまでは、シエロはセルカや侍女たちと遊んで、ジッと待っていなければならない。
「お義姉様に早くお会いしたいわ……」
オルキデアの風習として、嫁いできた者は婚家の全員に挨拶をする。どんなに遅くなろうと、どれほど疲れていようと、結婚したその日に、全員へ。これができなければ、家族として認められないのだ。
(いつ、見えるのかしら?)
ひたすらに待ち焦がれていたというのに。大人しく待っていたというのに。結局、その日のうちに会うことはなかった。
翌朝の食事の席に、見覚えのない少女が座っていた。オルキデアでは着る者の少ない、襟を立てて首も見せないドレス姿だ。淡い金茶色の長い髪は、シエロと違って真っ直ぐ落ちている。
シエロは初めて見た兄嫁に礼をした。しかし、彼女からの反応はない。それどころか、食事が始まっても、彼女はシエロを見ようとしないのだ。
(私、顔も合わせないうちから、お義姉様の気に障るようなことをしてしまったのかしら?)
そんな疑問が、時間を持て余すシエロの中で堂々巡りをする。
食事の席でしか見かけないノルテは、徹底的にシエロを無視し続けた。その場にいて声を発したというのに、いないものとして扱われたことも数え切れない。
それ以前に、ノルテから嫁いできたことを伝えてもらった覚えさえないのだ。
「……ねえ、セルカ。私はまだ、生きているでしょう?」
「はい」
すべてを承知の上で肯定したセルカに、シエロは緩やかな微笑を向ける。
「嫁ぎ先では家族全員に挨拶する習わしが、ここオルキデア王国にはあるはずよね?」
「はい。他国から嫁がれた場合でも、こちらの慣習に従っていただいております」
フッと、シエロの笑みが消えた。心なしか、空気が冷えた気がする。
「私はオルキデアの王女であり、ルスお兄様の妹よ。挨拶に来ないあの女は、ただの礼儀知らず。もしくは、嫁ぎ先のことを学んでいない能なし。仮に習っていても実行できない愚か者には、こちらも相応でかまわないのでしょう?」
「そのとおりです」
セルカは無表情で淡々と答えた。
シエロが報復に出たのは、決意した次の食事の場だ。
頑なに態度を変えない、ノルテの薄青色の瞳を真っ直ぐ見つめる。それから視線を長兄に向け、やわらかく微笑んでから口を開く。
「ねえ、ルスお兄様。お兄様はご結婚なさらないの?」
ピシッと、空気にヒビが入った音がした。
青ざめて震えるノルテを気に留めず、シエロの視線は次兄へと向けられる。彼は先頃、ノルテとは別の国の王女と婚約したばかりだ。
「セレアルお兄様はご婚約なさったでしょう? ですから私、ルスお兄様が選ばれる方はどのような方なのでしょうと、ずっと楽しみにしていますの」
顔をルスに向け直したシエロの視界には、当然隣に座っているノルテも入っている。だが、シエロはにこやかな笑みを崩さず言い放った。
「お兄様のお心を奪うような素晴らしい方は、まだいらっしゃらないの?」
「……シ、シエロ?」
チラリと隣に視線を向けて、かなり戸惑っている。兄に悪いと思いながらも、シエロにも譲れないものがあるのだ。
好き好んで『呪われた王女』として人前に出ず、生死不明の状態に甘んじているわけではない。
十七歳までに死んでしまわないように。
魔女たちが必死に呪いを弱めるため、祝福をしてくれたことも。焦がれるほどの恋をしないよう、他人とのかかわりを極力断たれていることも。
すべて、聞いて知っている。
ただ、それを完全に信じているわけではない。自分が生き延びられるなどと、お気楽に考えていないだけだ。
いつ、うっかり死んでしまってもいいように。けれど、王女としての矜持は捨ててしまわないように。シエロはずっと、王女らしく生きて死ぬことだけを考え続けてきた。
存在を無視するということは、シエロの過去を残さず否定することに他ならない。
ならば、ノルテを徹底的に無視してあげよう。それがいかに非道な行いか、教えてやろうと思いついただけだ。
「私は、このまま結婚できないかもしれませんもの。ですから、せめてお兄様の選ぶ方にぜひお会いしたいと願うことは、それほどにいけないことなのでしょうか?」
首を軽く傾げて問えば、自分に甘い兄たちは何も言えなくなる。それを知っているシエロは、すぐに悲しげな表情で目を伏せた。
「でも、ルスお兄様はまだご結婚されないようですし、セレアルお兄様のご結婚もまだ先のことでしょう?」
セレアルの婚約者は、シエロより数ヶ月早く年上になる少女だ。二人の挙式は、どんなに早くても数年後だろう。
呪いが呪いとして効力を発揮すれば。シエロは、セレアルの結婚式当日には、すでにこの世にいないかもしれない。それどころか、自分の死によって式が延期されてしまう可能性さえある。
どんな言葉をかけていいのか。悩んでいる様子の兄たちに、シエロは悲しみを宿しながらも穏やかな微笑を向けた。
「ああ、ごめんなさい、お兄様方。私の些細なわがままと、どうぞ聞き流してくださいませ」
無理の見える笑顔で謝罪を述べた口に、シエロは食事を運ぶ。それっきり、食事を終えた挨拶以外でシエロが声を発することはなかった。
一度は部屋へ戻ったシエロは、しばらくして両親に呼び出された。
話の内容はわかっている。ただ、両親がどう判断しているのかを純粋に知りたい。自分をどう想ってくれているか、確かめたい。
期待が半分、残りは覚悟。
そんな心持ちで、両親の部屋へと赴いたのだ。
「シエロです」
「入りなさい」
軽くドアを叩いて名を告げると、父の静かな声が答えた。
そっとドアを開けて室内へ滑り込んだシエロは、両親の鋭い視線にさらされる。その瞬間の軽い絶望感は、やっぱり、という言葉で簡単に表現できた。
自然と、顔に笑みが浮かばなくなる。
「お前はどうして、ノルテをいないものと扱うのだ。彼女の何が不満なんだ?」
「ノルテがあなたに何をしたというの? 不満があるならばおっしゃいなさい。ね?」
(あの女が何をしたか、ですって? お父様もお母様も、ご存じないのね……猫かぶりもお上手ですこと)
先に無視をしたのはノルテだ。シエロではない。
ノルテがどんな言葉で周囲を言いくるめたか。シエロにはわからないし、想像もしたくない。ただ、舌先ばかり達者で悪賢い女であることは、十二分に理解できた。
「彼女のような素晴らしい女性は、そういるものではない」
その言葉がカチンとくる。それどころか、どこかで何かが切れるブツッという音が、シエロの耳には届いた。
彼らは何も知らないのだ。だが、知らないことは罪であり、知ろうとしないこともまた大罪だと、シエロは思う。だから彼らも、ノルテの同類でしかない。
シエロの視線は、両親を滑る。
「……ここは、死者のいるべき場所ではないのね。そう、私の居場所は、私の部屋だけ。生者の世界に出歩いたことが、そもそもの間違いだったのだわ」
辞する際の礼も取らず、シエロはドアを開けて颯爽と退室した。もちろん、ドアは開け放したままだ。
「シエロ!?」
両親が名を呼んでも、今の彼女は聞く耳を持っていない。
あれは風の音だ。そうでなければ、この命を奪おうとする悪しき何かが呼んでいるのだろう。
絶対に、耳を貸してはいけない。
この世に、自分の味方は三人だけ。彼女たち以外はもう、誰も信用できない。
†
それからシエロは、部屋から一歩も出ない生活を送っていた。昼食以外は家族と取っていた食堂へも、行っていない。
今は、家族とは、何があっても会いたくない。その一心からだ。
しびれを切らしたのか。ある日、セルカが王に呼び出されたが、いつもと変わりない表情で戻ってきた。
部屋に戻った彼女に、シエロは笑みを向ける。
セルカは、重大な事実に関しては何も話していない。それを固く信じているからだ。
このところのシエロは、毎日の遊び場にしていた隠し通路にも入り込んでいない。日がな一日、気だるげにソファに座って窓の外を眺めている。
必死に呼びかけなくてもいい反面、シエロらしくない。そんな日々に、セルカは心を痛めていた。
「私は、あとどれだけ、こうして生きなくてはいけないのかしらね」
物憂げに呟いてため息をつく。そうしているうちに、日が暮れる生活。変化はない。単調すぎて、けれど出歩こうという気にもなれなくて。
漫然と、シエロは時間を消費していた。
「……いっそ、呪いのとおり、恋焦がれて死んでしまう人生も悪くないかもしれないわ。少なくとも、退屈はしないでしょう?」
「シエロ様……」
「冗談よ。恋焦がれても、死んでやるものですか。何としても生き延びて、『呪われた王女』という不名誉な名を返上してみせるわ」
不安げに名を呼んだセルカに、不敵な微笑を見せる。
生まれて十四年。あと三年と経たずに、シエロは魔女の呪いに打ち勝てるのだ。
どれほど退屈な日々に心が挫けそうになろうとも。勝利を叫ぶ日を心の支えに、呪いを現実にしてやろうとは思わない。
十七歳の誕生日を迎える。そして、呪いに勝って生きていることを世界中に証明してやりたい。そんな一心で、シエロは生きているのだ。
「私はまだ、生きているわ」
胸に手を当てれば鼓動が伝わる。この手で触れられないものはない。誰かが触れられないということもない。自分の体温はもちろん、他人の体温も温かく感じられる。
「生きているのよ……」
そっと、セルカが抱き締めてくれた。
たとえ家族がノルテの味方をするとしても、シエロにはセルカたちがいてくれる。だから、心細いとか寂しいと思ったことはない。
「エリセとリネアは食事の支度を。私はお茶を淹れてまいります」
二人の侍女とセルカが部屋を出てしばらくすると、ドアをノックする音がした。
エリセたちはもちろん、セルカもまだ戻ってくる時間ではない。訝しみながらも、シエロは少しだけドアを開けた。
(……どうして)
すぐさま閉めてしまいたい。けれど、それでは彼らがまた来るかもしれない。そこで、もう二度と顔を見ないで済むように、ひと芝居打つことにした。
「あら? ノックが聞こえた気がしたのだけれど……風かしら? そうね。この部屋へ遊びに来てくれるのは、今は風だけだもの。そうに決まっているわ」
目の前に立っている二人の人間は、視界に入っていない。そんな態度で、シエロはさりげなくドアを閉めようとした。それを、大きな手が阻む。
「ふふ、風さん。これからお昼なの。食べ終わったら遊びましょうね」
「あの! わたくしは、ラファガ王国の第一王女ノルテです。こちらへ嫁いでまいりましたので、ご挨拶に……」
ルスが阻止している間に、とノルテが少々口早に言葉を並べた。だが、シエロの耳には一切聞こえない。聞こえてこない。
「困った風さんね」
閉まらないドアにクスクスと笑い、閉めることを諦めてソファへ戻る。誰かが戻ってくれば閉めてくれるのだから、今シエロが頑張る理由はない。
「シエロ!」
自慢の兄だった。女を見る目がない、残念な兄だと知るまでは。
気だるげにソファへ体を沈めたシエロは、焦点の合わない目で天井を見る。長い亜麻色の髪が、ソファと絨毯の上で緩やかに広がった。
「シエロ様、お食事をお持ちしましたよ!」
二人の少女の重なった、元気な声。同時に、二人の少女はトレーを一つずつ、軽々と持って部屋に入ってくる。どちらのトレーも二人分ずつ、食事がのせられていた。
「あら、エリセにリネア。早かったのね」
シエロは視線を向けて声をかける。それが、ルスの落胆と悲しみを加速させた。
「今日はシエロ様のお好きな豆のスープです。たっくさん食べてくださいね!」
「パンはライ麦パンですよぉ。シエロ様、お好きでしょう?」
「ええ。どちらも私の好きなものよ。ふふ、嬉しいわ」
どうあっても、自分を見てくれそうにない。そんな妹にがっくりと肩を落とし、ルスはノルテを伴って部屋へと帰っていく。
彼らの後ろ姿を、ワゴンにティーセットを乗せて戻ってきたセルカは、感情のこもらない瞳で見送る。
ワゴンを押して部屋に入ると、セルカはドアを閉めた。
「まったく、風のいたずらには困ったものですね」
程よく冷めた茶を、カップに注ぎ入れる。まずはシエロに、それから三人分を淹れ、それぞれの座る位置に並べた。その間に、エリセとリネアは食事をトレーから下ろし、セルカのようにそれぞれの位置へ置いていく。
「いいのよ。ここへは風しか来ないのだから、たまのいたずらは大目に見るわ」
静かに、悲しいくらい静かに微笑んで、起き上がったシエロは食事を口へ運んだ。
†
シエロは頑なだった。両親や長兄夫婦はもちろん、今回の件に直接関係のない兄たちの訪問も受け入れない。
なぜ、これほどに怒っているのか。その理由を、彼らが正確に理解しているようには見えなかったからだ。
「ねえ、セルカ。エリセとリネアも聞いて。もし、私のことを聞かれたら、すべて話してしまって。私は十七になるまでこの部屋から出ないことも、みんなの顔を二度と見たくないということも、きちんと伝えてちょうだい」
頷いて承諾を示したセルカたちに、早々に機会が訪れた。
連日無視を決め込んでいたシエロを、一刻も早くどうにかしたい。家族は、再びセルカを呼んで話を聞くことにしたのだ。
「どうしてシエロは、ノルテの話を聞こうとしないんだ?」
シエロの実父である王の口から飛び出した言葉に、落胆を隠せなかった。セルカはため息をついて、緩やかに首を横に振る。
「それはこちらの台詞です」
言葉を返し、それっきりセルカは口をつぐむ。同じ問いを重ねられても、口を真一文字に結んだまま開こうとはしなかった。
「国王命令だ、話を聞かせろ!」
「お断りします」
「お前をここから追い出してもいいんだぞ!」
「どうぞご自由に。シエロ様はご自身の意思で行っています。私がいようがいまいが、何も変わりませんよ」
セルカが城外へ追い出されたら。きっとシエロは、エリセたちを連れて隠し通路から外へ出てしまうだろう。ここから出れば、呪いが効果を発揮するのは時間の問題だ。
それだけは、何が何でも避けたい。
だが、片方の言い分だけを鵜呑みにしている人間に、知っている事実をすんなり話すのは嫌だ。
「……どうして、話してくれないんだ? 私たちは、シエロがこうなってしまった理由が知りたいだけなんだ……」
うなだれている王たちを見ても、セルカの心には何の感情も湧かなかった。彼らのささやかな悲しみより、シエロが受けた傷の方がずっとずっと深いのだから。
「陛下は知りたいとおっしゃっていますが、それは口先だけ。本心は違います。シエロ様のお心を知りたいと、心の底からお思いになられていらっしゃる方は、この場にはおりません」
「何だと!」
自分たちがシエロのことを知ろうとしていない。
そう断言され、家族はいきり立つ。中でも、十二歳も離れているせいか、シエロを特に可愛がっていたルスの怒り様はまさに怒髪天を衝くといった有様だ。
だが、その様子さえ、セルカには空々しいものと映った。
「……なぜ、シエロ様にも非があると決めつけた聞き方をされたのですか? シエロ様はルス様の縁談を聞かれてからずっと、お相手の王女様にお会いできる日を楽しみにしていらっしゃいました。婚礼の日も、食事中に王女様が訪ねてこられては失礼だからと、朝から食事も取らず、最後は待ち疲れてソファで眠ってしまわれたほどです。けれど、翌朝の食事前にもおとないがなかったばかりか、食事の席でシエロ様をいないものと扱い……」
昂った感情から込み上げた涙で、セルカは声を詰まらせる。気分を落ち着かせるため、浅い呼吸を何度か繰り返した。徐々に息を長くし、最後に大きく息を吐き出して吸う。そうまでしてようやく落ち着いたセルカは、シエロの家族を一瞥する。
その視線は氷よりも冷たく、凍てついて。
「シエロ様は、十七になるまでお部屋で過ごされるそうです。みなさまのお顔は、二度と見たくないとおっしゃいました」
誰もが、呼吸を忘れていた。
ノルテは美しく、そして優しい娘だ。平気で他者を傷つける真似を、するはずがない。
そう信じ込んで、事実を見ようとしていなかった。シエロに原因の一端があると、強固に信じてしまっていた。
それを、セルカに言われるまで気づけなかった己に恥じ入る。同時に、自分たちがシエロから受ける扱いもまた、当然のことなのだと思い知らされた絶望感。
ラファガ王国に、ノルテ王女に、騙された。
今さらわかったところで、手遅れには変わりない。
対外的にノルテはルスの妻だ。そして、彼女を深く信じたばかりに、シエロを失ってしまった。
「……許しては、もらえないのか?」
「手のひらを返したのはそちらですよ」
問いかけた王に、短いが突き刺さる言葉を残し、セルカは退室する。
後に残された者たちが失意のどん底に陥ろうと。過去の言動を深く悔いようと。それらは、セルカの知ったことではなかった。