徒歩
これは小説ではないですね。
ジャンルも詩としました。
思ったことを、書いただけのものです。
歩きます、歩きます。
先は見えません。見えるのは、足元だけ。一歩一歩、踏みしめる地面にだけ、明かりが灯ります。幾度となく転び、その度に傷を増やしてきました。最近の傷はまだ癒えず、鮮血が流れています。
それでも、歩きます、歩きます。
足を止めることは許されないのです。もし足を止めたとしても、そのとき地面は、ベルトコンベアーのように動き出すのです。足を止めれば、流されてしまいます。自分の意思で道を選ぶことが、できなくなるのです。
ですから、歩きます、歩きます。
ひたすらに、真っ直ぐに彷徨います。歩いた先に、答えがあるのだと、祈りながら。
歩きます、歩きます。
意味は未だわかりません。この世に生を受けたから、とにもかくにも歩くのです。ときには凸凹道があり、体力を消耗するでしょう。ときには途方もない壁が立ち塞がり、違う道を模索しなければならない。ときには崖に追いやられ、引き返すこともあるでしょう。
だけれど、歩きます、歩きます。
それしか、できることはないのです。道すがら、色々な人に出会ます。別れもします。それを受け入れながら、歩きます。悲しいことは多々あります。嬉しいことも、多々あります。この道程の間に、いくつもの経験をしながら、歩くのです。
そして行き着いた先が、もし、行き止まりの壁でしかないなら。
登ってみようと思うのです。フリークライマーのように、体を鍛え、心を鍛え、壁を乗り越えてみようと思うのです。
違う道を模索してきました。けれど、自分が行きたいと願うその道に、壁が立ち塞がるのなら。
今ではもう、ベルトコンベアーですら、壁を避ける術を知りません。いつの間にやら、その終着地点すらも、この壁になっていたのです。流されることもできなくなりました。可能であることと言えば、零れ落ちること。それは祈った結果ではないのです。引き返すにも、今まで歩いた道程は余りに長い。壁の前で、胡坐をかき、居座ることはできるでしょう。ですが、それは望みとは程遠い。
ですから、登ります、登ります。
行く道に障害があるなら、それを乗り越え、歩くのです。指先は壁に裂かれ、血が滴ります。消耗した体力では、壁にすがりつくのがやっと。足がすべり、今にも落ちてしまいそうです。
それでも、必死でしがみつきます。
この壁を越えた向こうに、道はあるのだと、信じているのです。限界だなどと言うのはまだ早い。壁があるなら、乗り越えればいい。
本当の限界は、壁ではないのです。壁ならば乗り越えることもできるでしょう。ならば、限界とは何か。きっと、道そのものを失うことなのです。歩き出す一歩を失うことなのです。
道は続きます。行けども行けども、道は続きます。それを失ったとき、初めて、限界と成り得るのでしょう。
ですから、登ります。そして、歩きます。
道を失う限界まで、歩きます、歩きます。