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真宵ノ二 ナツの夕暮れ、雨一粒

 

 精緻に取り揃えられた、椅子、椅子、椅子、イス……列をなす、けれど人々もまた同じ様に据え付けられて、曲がった背もたれに安堵している。


 ――――――狭霧台中央総合病院、総合受付案内窓口――――――


 ナツはそんな人々の表情を片目に捉え、機械音に閉口する自動扉を置き去りに……夕暮れの街並みをひた歩く。



‘どうして’、頭に幾百幾千と廻らすその言葉を……じっと抑えきれない胸の内を曝け出すように、駆られる足が、無意識が、‘その場所’へとナツを運ぶ。拒まれ、無骨なまでに白い扉の冷たさを、肌身に感じて、‘ふと’ナツの眼は覚めるのだ。佇む足、躊躇いの思いに後ろ髪を引かれ、……ものの隙間の影から覗く、そんな誘惑の堪え難きに忍んで、しばしのやるせなさへと踵を返す……日常。日常に居ついてしまった闇の深さにナツの瞳は陰り、俯く。こんなことをいつまで……、続く言葉は虚空をなぞり、寂寥の淵はこんなにも暗い……。


 鬱鬱とした気分の裏を返すように、子供の影が通路にまぶしく、やんちゃに忙しなく身を急かしたりと……しきりにせがむ声も聞こえる。


『……おまえらの手に婦女子は渡さねぇ、……』

 よく耳にと馴染み深い、あんなフレーズも聞こえてきた。『げんきんだまぁぁぁあア』……。そんな調子に身を委ねていると、一角ひとかど大きな人物と眼が合う。

 佳境を迎える背景音楽、いつの間にかと目の前に来ていて、一声ぼそりと話しかけるやすぐに、お決まりの悪そうな頬を‘ぽりぽり’、横向ける。

「岬くん……」

「……お、おう」

「よう」に「おう」とくぐもった声で意志疎通を試みる彼は、はっきりとしない具合のていに、力む拍子とため息づける。そんな一間ひとまの前置きで、視界の隅っこ窓口の方、受付表札に意識を向けると、子供がうーうー背伸びして、かかとを吊り上げ手を伸ばす。‘ずでん’と表札横に居座る、アヒル口のぬいぐるみがあった。あと少しと触れそうな指に、意地悪くも見下ろす目……つぶらな瞳に闇を見た。

『ペンタゴー』、子供の呟きに唇を揃え、うっかりと口に漏らしてしまうと、気を悪くしたようでもない彼が、ちゃかちゃか‘ガマ口’のそれを持ち上げる。‘そいやぁぁ’、ブラウン管の彼が叫ぶ。声に惹かれて受付の子供も、‘それ’から目を放しあちらに向ける……つぶらな瞳に哀愁を見た。金にまみれた亡者共がへこへこへりくだってひれ伏す様を、子供達は一心に見つめている。……。

「……、…………おえん。………いをひける。……んもこういうの、好きか?」

 いつも話を聞くだけの彼が、今は雄弁に物語る。かれの真摯な眼差しを見て、聞いていなかったと答えるのも考えもの、ナツは奇しくもこう答える。『次回、ヌグウ禁断の如意棒、折れる』。

 ……。

 目眩めくるめく映像運びに一喜一憂していた子供たち、‘わぁ’と駆けだし母親の許へ。あたりに再び賑やかさが戻ると、首を振りむけ彼は言う。

「いよいよ……ムグウの出番か」。


 安堵とため息と……若干の疑問符を浮かべてナツは問いかける。『頭の方はもう大丈夫?』。ぐるぐる巻きにした包帯を掻き上げ、その乱れを調えるように、具合を確かめるそぶりに応じる……岬。言葉の上では少しあれだが、決して言外に……他意はない。ただ純粋に、その後の経過を聞きたかっただけだ。彼に残された爪痕、痕跡に……。

「ああ、大丈夫だ。怪我の内にも入らんしな。それより……」

 再び、映像の中へと入り込む岬。淡々と事実を唱える放送員アナウンサーの姿。皮肉が売りの口上に、ただ事実を並べ立てる報道機関としての……徹底された鋭さが見受けられる。

「……、……せない」

 目の色が変わる、視界が黒く色付いたみたいだ、ナツは陰りゆく思考の際でただそれだけを考えている。岬の厳しい視線の先もナツを認めると大きくたじろぐ。

「ナツノさん……」 

 耳に入らなかった。今は他のことなんて考えられない、ナツの心のあぎとは囁く。白く冷え込んだ夏乃の表情、岬の姿を視界から消し去り、揺れる足どりで彼をすり抜ける。肩にあてられた違和感に、動じることなく振り払う。羽虫を振り払うごとくして、羽虫にひかれる者などいない。

「ちょっと用事思い出しちゃった」

「ぉ……ナツノさん」

 岬の堅い言葉が続く。握りしめられた左の手には、容貌かたちを変えた縫い包み……目を飛び出させ、怨嗟に詰まらせた顔が覗く。


『今は……、またね』

 

 伝えられたかどうか……分からない。


     ※*※


 暁に包まれた街の色は、どこか寂れた気配を滲ませて、行き交う人々の背中を押す。道なりに植えつけられたポプラの木を見て、今は風がないのかと口惜しく感じる。黒く濁った胸の内を、一瞬で吹き散らす風の声が…… 


‘お嬢さん’ 


 聞こえる。それはすぐ後ろの方から……


 寂寥の天を音にした、きっとそれはそんな声。


 掠れて……摩擦音だけが空を震わし……


 ポプラの葉々の微かな揺り合い、声がする……


「おジョウさん、ご機嫌麗しゅう?」


 まっ黒な帽子を胸に留め置き、腰をかがめる外人さん。

 少しだけ訛りの目立つ日本語だが、ただ……その優美な佇まいが先に立ち、隠れて気にする程でもない。

 装いを正すと再び……ナツの方へと語りかけてくる。


「ォウ、オオ、スイマセン。少しビックリさせてしまいましたか……。私、ただ、道をお尋ねしたかっただけデス」


 おどけた様子に……帽子をかぶり直すと、虫も殺さぬ晴れやかな笑顔でナツに応対する外人さん。片目を閉じて開いてお星様と目配せ。‘パチっ’と音が聞こえてきそうだ。お星様の流れを目で追っていると、額に手を当て悩んでいる様。‘どうしたんですか’と尋ね返すのも、なんだか悪いような気がして……、


「アァー、ウゥー……どうやら忘れてしまったようデス。そちらには昔に一度、うかがったばかりなのですが。いったい何といったでしょうか……。ホワッツ……」


‘ほわっッつ’と言われてもどうしたらいいのか……そうなんですかと相槌を打つも、「とりあえずは、」と紙とペン、‘何でショウ’と目を見開く外人さんの掌に握らせる。


「そちらに建物の外観など、何か特徴を書いていただけると……」


『ォウ、ソウネ』と手を打つ外人さん、何やら‘つかつか’文字を走らせる。言葉だけでも事足りただろうか……そう思うのもつかの間に、肘を開いた外人さんは書かれた文字を指に示すと、息もつかずにこう言った。


「まず、私……こういうものネ」


 どういうものだろうか……文字が色々と丸まっていて、何が書かれているのか全然分からない。……相槌を打つ。


「オゥ、そして私が行きたいのこういうところデス……」


 もう一度と顔を伏せ、筆を走らせる外人さんは……文字通りに走らせたペン先を上げると、ナツに見せるよう‘それ’を指差した。絵画的センスを疑うような、黒い線の塊ができている。いったい何のお化けだろうか、「まっくらくらすけ?」と答えたくなる。


「マックラクラ……ホワッツ?」


 ナツの呟きを真に受けた外人さんが眉をひそめて唸っているので、あたふたと訂正の言葉をかける。取も直したその後で、もう一度尋ねられたらどうしようか……思うナツは怖々俯く。仰ぎ見てそして、黒の塊に吸い寄せられる。方向線を持たない黒の内側に、どういう訳なのか……ピンときた。


「ここ……隣町にある神ノ宮在中狭霧町統合メンタルクリニック……じゃないでしょうか」


 何と言えば何なのだろう……まっくらくらすけのすぼめた口にのエントランスの独創性を見たからなのか、そうして一つの視点から『くらすけ』を見ると、纏まりのなかった線の塊がしっかりとした景色に展開して見えてくる。「不思議……」、『魔法』にでもかかったみたいだ……ナツは思う。


「素直な子デス……。ォオウ、どういたしまして……おかげで目的の場所に辿りつけそうデス」


 ぺこりとお辞儀に、お礼の言葉を添える外人さん。‘こちらこそどういたしまして’、対するナツにいつぞやの笑顔をして惜別のはなむけとする外人さんは、‘閉じて開いて’の手のひらの上に、一瞬の隙を見るや否や、‘紙’の端を二つに括ったかわいらしい飴玉……、空にと生じたその一粒を……掴み取る。


「お嬢さん、これはちょっとしたお礼に……です」


 白い包み紙に、ペロッと舌を巻く女の子のしるし。


「オォウ、あなたに似て、とってもかわいらしいデス……」


 外人さんは言う。伸ばした指に、おどけた表情……


「これで、どうにか……我慢してください」


 「イケナイぃ、もう私、行かなくては……」


  「お嬢さん……またどこかで会えますよう」

 

 外人さんの後ろ姿に、ポプラの木々のさわやかな佇まい……ナツは道なり夕暮れを歩く。


     ※*※


 ころころ転がした飴一粒、‘口にと運ぶか’迷い道、十字に示された横断歩道……越えていく、足並み。

 ……さすがというのかこの時間、道往く人の足並みは速い。揃いも揃って並べられた足に、負けないようにと追い縋る、足……。けれども、一人の人物は、そんな様子をはみ出す様に白髪痩躯の少年が通る。


「……アキ」


 遠目に白の服装で、誰にと寄り掛かることもなく、割かれて生じた人々の隙間を……我が道と歩いて、呑み込まれる。


「ちょ……ちょっと、ごめんなさい、アキ……アキ……」

 

 人波に揉まれて辿り着いた先に、彼の姿はもうなかった。



     真宵ノ二 §ナツの夕暮れ、雨一粒§


   

 

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