第二夜ノ子刻 リコリス
うっすらと閉じられた瞼……に七線の光。秋分は夢を見ていた。悪夢だった。‘そいつ’は襲ってきた、突然。なりふり構わずアキは逃げた。捕まる。『食べられる』と、『お助けぇ』と、アキは叫ぶ、咽の奥から……普段ならそこで目が覚める。冷汗にぐっしょり、掌を握り。『あぁ危なかったな』と。朝飯過ぎれば怖さも忘れる……と。けれど、食べられた。喰われた。飲み込まれた。……。ゴクン。一思いに手を伸ばした、闇の彼方へ、何ものにも届かず……、腕先はそこで絶たれた。希望も。閉じられる顎にとって代わられる。浅はかな悲鳴と、底のない空虚な闇の狭間にアキは吸い込まれた……‘霧’の霞みを突き抜けて。今がある。
「ん…………」
眩しいと感じた。覚醒してゆく瞳には、まだまだ強過ぎる光と感じる。すかした瞼を‘フ’とこじ開けて。……木漏れ日が差し掛かる。七条の光の末端が瞳を……。『なんて艶やかな朝の日差し』、ぼやけた頭の端の際で純粋に感情を燻らせる。『ちゅんちゅん』と小鳥の囀りが聞こえてきそうだ。昨日にも増してちゅんちゅんと。そう思うのも感慨深いことであろうと、昨日までなら思ったかもしれない。嘴が見えた、なにやら天上をせっついて、一体なんのこっちゃと目を疑う。後ろ髪が引っ張られる感じ……。世界が逆を向いているのだ。
あちらこちら、痛くあるのも気にかかる。……。ザリザリッと音がした。目を瞑りたい。ザリザリと……音が返ってくる。ぽっぽさんも一緒だった。身をよじらせようとひとえ、肩に力を加えると、ぽっぽさんの方でもツンツン、髪の毛をついばみ、返事を返す。『ピンピン、ぷちんぷちん』と見るのにつけて、‘まさか’とは思うが、『いけません!!』と悲鳴を上げそうになる。さわやかな朝になりそうだ、頭が……と、『断じて否』、眼をいからせ険しくさせる。細めた向こうに女の子。脇立つ幹から‘ひょっこり’顔を覗かせる女の子がいた。
『ククル、クルピー』、小鳥は白きに羽ばたきをあげ、女の子は小顔を近付けピタリと止まり、正面に、ふんふんと確認するよう目線で頷く。
「…………、…………」
少女を透して木漏れ日の光。肩まで伸びたショートヘアー、髪先を向けて眼前を揺らす。光に透り、つやつやはじく、滴り落ちて……目があった。
‘こんにちは、おはようございます、そしておやすみなさい’……、どれをとっても不自然で、「とっても綺麗な御髪をお持ちで」と口にする。すると、ただ顔をしかめて腰を持ち上げ、幹の向こうへと姿を隠す。女の子。『あら、失敗だったかな』と下がる白髪を右手に捏ねくり回し、根っこに手をかけ体を起こす、上を見上げれば同じ風景、緑の若葉が諸手を揺らす。「おっ」と拍子に、木の実が額に落ちてきた。赤い果実、りんごである。
‘ぽんぽん’と、宙にくぐらせる林檎を見ている……足音が近付き目線を逸らす。女の子だ。片手に赤いそれを持ち、顔をしかめて立っている。今にも泣き出してしまいそうだ。空を舞う林檎を右手に放ち、『ぽん』と少女の胸にほうると、顔を持ち上げとててと走る。
『あげる』とばかりに差し出してきた、少女の手の包みからそろり受け取ると、大きく顔を綻ばせて微笑んだ。『なにか表情の少ない子ね』と思ってはいたのだが、その笑顔はなにより豊か、アキはつられて嬉しくなった。……。
興味を失ったように去っていく少女を見て、その後ろ姿に導かれると、小道の傍ら、大きな荷台が見えてくる。そよそよと髪に寄り添う赤いリボン。少女は今かと荷台を寄せる。荷台にはたくさんの赤い果実。どれもみずみずしくて新鮮だ。それを味わった舌先が証明してくれる。必至の思いで取っ手につかみ掛かり、於いては荷車を押し引く少女の姿。その小さな身体にはどうにも似つかわしくない代物だった。
「ん……、いっッつ」
何故だか頭に締め付けるような鈍痛。と同時に一つの答えが……。ここは夢かと思いきや、流るに流れて流されることに、ついぞや違うと痛みが教える。であるなら、果たしてここはいったい……。住み慣れた我が家はどこへとぞ消えたのか……はたまた。
隣を見れば、遅れて少女が‘ニコッ’と笑いかける。やれやれと思うのもつかの間に、足場の悪い坂道を越えて、一軒の古びた屋根先が現れた。少女は無言で駆けていく。いったいどんな体力をしているのか、ここまで手のかかる重量を毎回たった一人で道すがら‘えいこら’運んでいるのか、首を回して肩を解す。いつの間にか頭の痛みはおさまっている。あと一息、二の腕に気合いを煮えたぎらせ、ノンストップで荷車に挑みかかるのだった。
関門らしき造りの構造物だ。頼りなく、用を果たしているとは思えない。黙ってその場を通り抜けると、そこには小さな村があった。お伽話の風景なのか、草の匂いに溢れかえっている。住民と思わしき人々の、いそいそとした暮らしの表情がある。木々草々に囲まれて、自然との営みを育む中、各々の担うところを全うしているのだろう。少女は道の真ん中をゆく。少女の背中の後を追う。ただひたすらに。向かい端に同じ造り、先とは別の関門が……くぐり抜ける。
……少なからずショックを受ける。なんとまだ道は続いているのだ、どこか恨めしく少女の後ろ姿に目をやると、『ズキン』と一刺し痛みが襲った。頭痛だ……。頭痛の痛みが熱を伴い、再びアキの頭を苛み始めた。茨道とまでは言わないが、一つの課された試練を乗り越え、今ようやくレンガ造りが一軒、目の前に。金属性の突飛な棒の端が少女にくるり回されて、‘カチャン’と扉を開かせる。小さな村のさなかで見た、一軒一軒と異なる造り、少女の家。つられて何となく中へお呼ばれしてしまったのだけれども、本人に確たる了承を得ていない。『大丈夫か』と不安になる。身構えていると、さらに奥へと誘われる。裾を引く手が弱々しい。本人も少し躊躇っているのだろうか。……。『リコリス』、そう聞こえた。鈴の音を思わせる可愛いらしい声だ。少女の第一声だった。『少女の名前』なのであろうか、しかして彼女は背を向けている。はてさてと思うアキは一先ず声をかける。否、声をかける前に肩を叩いた。‘ビクン’と思いきり肩を驚かせ、信じられないという目で振り返る。出鼻をくじかれる思いだ。そう凹んでばかりはいられないので、少女に向かって問いかけた。
「きみ……名前は、リコリスっていうの?」
出来る限り優しく尋ねたつもりだ。抜かりない手際で肩にも手を乗せ目線をしっかり合わせてみる。いい感じだ。意思疎通の始まりは相手の目線に立ってみて。我が家の鉄の教訓だ。鉄とは血液の成分である。
「……リコリス」
少女は呟くと、怪しげな影が降ってきた。天井から、奇っ怪な姿で少女の肩に、すなわちアキの手の甲へ着地すると、秋分目掛けて突撃してくる。よよよというまに、肩を巡り、耳のすぐ後ろでぴたり、止まる。
……!?。
耳がキーンと痛い。鼓膜がいらぬ方向にねじまがりそうだ。抵抗不能の襲撃を受けて、のけ反るアキは床板に『ガツンっ』、腰を打たせる。続けて頭を角にやられた。涙を堪えてうずくまる。見れば硬そうな壷が置いてあった。
「リコリス……」
少女は悲しそうな表情を見せる。肩に留まっているのは悪魔の姿だ。駆られる思いで睨みつける。食っちまうぞと脅しをかけた。代わりに少女が怯んだ。可哀相に目を『ウルっ』と潤ませている。『くじけそうだ』、アキは思った。……。
少女の肩の上、屈伸運動に勤しむリス一匹。こちらの小動物はつい先程、耳穴に大声を叩きつけてくれた輩だ。大声である……リスは言う、『リコリスはこのオレのことだ』。歯を剥き出して威嚇を見せる、小動物がただ一匹。頬を抓る。
痛いのだ。夢ではない。頭も打った。それはリス一匹宣う以前のこと。……。
目の前の珍妙奇天烈なこの生き物、じろじろ目頭でねめつけていると、‘あら不思議’、まことしやかなその反応、返ってくる。『まぁ、かわいい』、栗色の毛皮をぴくぴくさせる。諸手で『ギュッ』と、してみたくなるところ。ギュギュっと泡を口から吹き出させるまで。
『……ぉ、おい、やめろ、なんだその目……やるのか……やる気なのか……』
珍獣が何を言っても聞く耳持たぬ。もふもふとした栗毛の感触に、引き寄せられる掌もわくわくだ。『ワキワキ』、指先を這い回せるとリスが何やら大きく叫ぶ。
「に……逃げろ、エルザ!! こいつ変だ、完全にイっちまってる……野郎ぅ、このアタシをなめんな!!」
リスが飛び上がった。奇っ怪な姿だった。大風呂敷を広げた忍者のように大滑空、目の前にて強烈な一撃を見舞う。反射に思わず手が出るアキ、しまったと気付いた時には裏手でこねずみを打ち払っていた。木棚が大きく跳ね上がり、大惨事に眼がつぶれる思い。調度の品の数々が今もまだ安定を求めてふらふらしている。
とんでもない、しでかしを……あるいは絶句の表情で固まるアキだが、ふと首筋に冷たいものが走る。警鐘だ、僅かに腰を屈めて下を見ると、大きな丸い影が通り過ぎた。視線をその方に合わせて見れば、先程とは比べものにならない衝突音、破砕音に崩れ落ちるあらゆる残骸、破片。使い古した櫃、陶器と思わしき厳格な品々も、頭の方のすうすうとしたすき具合を見て、やるせなさに消沈しているではないか。ぽろり、と……。
「ぉ、おいおい……」「ッ、避けやがったかい……。素直にはいつくばってりゃ楽なものを……。次はないよ……血まみれにしてやる」
『なによ、この子……本気!?』……アキは怖気立った。それにこのリス公、どうやら普通ではない。普通ではないことは百も承知である、すでに、からくも。一体全体どうなっているのだ、アキは思う。
「リス公……さっきぶっとんだはずじゃぁ……」
「あん? おまえのような変態にぶっ飛ばされる程、アタシゃ……ヤワじゃねぇ。見てみな……おまえが吹っ飛ばしたのは、あれさあれ。……なんだいあれは。見慣れない物だね。ひょっとしてあんた……旅商のもの?」
あれとは何だろうか……残骸に沈む板敷きの辺りを見ても、奇妙な物は何も……落ちてはいない。
「最近多いんだよねぇ、あんたみたいな輩。この家見て寄ってくる不届きものが……」
リスは悩ましげによちよちよちよち、二つの脚でくるりと一周。石造りの卓の上でたたらを踏む。
「なんだっけ、あれ……お隣りさんの……ボン……、ン……。ぁあ、んなことどうでもいい、あんたをこれから、崖下へ‘ぽいっ’。それで終わりさ。運がよければ……そうね、骨ぐらいは拾ってもらえるんじゃない? 残ってればの話だけど」
おちゃめな調子でしめのポーズ、見てくれは愛らしいが、実際はどうだろう……。アキは‘それ’を片手で拾いつつ、戦闘開始と言わんばかりの小さな毛色猛獣に姿勢をただして身構えた。
……‘コトン’。
卓に置かれた、カップが面打つ……音。無表情に卓を調え、まかないのカップに息つく少女、何とも言わず椅子を引く。……。
「……あー、ん、それ、ハチミツりんごのホットミルク。あたしの大好物……」
少女はカップに手を触れさせる。アキの方に向かって頷き、目配せ。‘コクン’ともう一つ。緊張の拭えない空気だ。咽は確かに……渇いている。
「……まぁ、座りなよ。ほら……冷めちまうぜ」
相対してリスは言う。毛色滑らか。カップにおちょぼな口をつけ、ふうふうミルクを掻き回せながら頬を朱に染めている……よう。アキは何も言えず、ただそのカッブを見つめていた。
「ほら……あれさ」
リスは満足そうに頬を擦る。
「な、勘違いってやつ? でも、よかったじゃない。森に捨てられなくて、一人は怖いょ~。魔物がそこらにわんさかさ。人間じゃ、一夜ともたずにこの世とお別れ、胃袋の中でこんにちは。エルザに感謝しておくんだね」
尻尾でカップを回しつつ、一息に‘ほぉぅ’、そう告げる。
「リコリス、そうアタクシの名前、そっちはエルザ。ん、あたしはエルザの親代わりみたいなもん、あの子を傷つける輩は許さない。誰であろうとね。あんたはたぶん……、違ったようだけど……」
アキは不思議な様相でそれを眺める。やっぱり奇妙だ。その声がリスの喉元から出ているとは思えない。眉を潜めて‘ジっ’と……観察する。
「……で……あんた、名は」
よく動く、リスの口元は大変よく動く。胡桃を頬ばるあの姿、囓歯類‘リス’のその様相。
「どうした……言えないのかい?」
リスの表情がちょっと危ないものへと変わる、‘イっ’と驚くアキ、慌てて答える、「アキフミ」と。『このリス公、なんか苦手だ』、そう心に思うアキである。
「……アキフミ? 変わった名だね。東の方の‘あっち’の出? やっぱり」
『あっちとは……』、何かと答えあぐねていると少女が袖を引っ張った。学らんである。
「……アキ、来て……」
少女が口を開く。何かしてほしいのだろうか、懇願の仕草。
「ん……あぁ、どこへ?」
咄嗟に口をつき出た言葉だが、ふと考えて見れば……ただ黙ってついていけばいいこと。アキはすぐさま立ち上がり、少女の背中の後を追った。
『ちょこん』とリコリスの脚が肩を踏む。「働け、少年」、リスは囁いた。
この辺りに民家は一軒、あとは森、そんな印象を抱いていたアキだが、エルザの背中は教えてくれる。それは早急、間違いだったと。高台の方へ歩いて行けば、これまた一つの小規模な村があり。それでもというのか……エルザの家とは隔たりがあり、いかに少女が辺境に住んでいるのか分かるというもの。
やがて、とある民家に辿り着く。
『コンコン』、ノックを挨拶に戸口の内へと姿を消す少女。苔の息づく木造の作り扉がアキの前へと立ちふさがる。『またしてもか』と、二の足を踏むアキだったが、リコリスの‘じたんだ’で中へと誘われる。肩こりの苦悩にはまだ早い、そう思うアキではある。
粗末と言う他はない民家のその入口を、一足、恐縮にくぐり抜けると、エルザの張った背中が見える。顔を突き出すと、少年がいた。そして、もう一人、横になっている女の姿。頬は痩せこけ、土気色の顔でこちらへ振り向く。そんな動きであれども無理をしているのが傍目に分かる、それ程に彼女は弱々しい。薄暗い、土蔵にいるような心地がした。
「あら、新しいお友達……?」
枯れた声を張り上げる。少年も驚いて、こちらの顔を凝視した。
「……アキフミ」
エルザが答える。重々しい中にあって彼女はしっかり前を向いている。
「アキフミ……? 誰だお前。薬師様か?」
少年は膝立ち、勢いに乗り出す。口に苦く‘違う’と告げると、力を無くして背を向けた。
「なんだよ……なんでだょ、……母さん、薬師様じゃ……もうだめだよ。薬師様じゃだめなんだ……。俺、俺……」
悲愴に胸暗す少年がいる、病で寝たきりの母がいる。エルザは一体どうしたいのか……アキは疑問で頭が割れそうだった。
ココル、少年の名である。少年の母、トリナ、は魔性の森にて芯を侵され、明日をも知れぬ命という。ココルは母を助けるため、村の薬師をあてにしたが、『治ることはない、諦めなさい』の一点張りで、その他村の人々も彼女の方から視線を反けたという。ココルはそんな村人達を許せずに、母の‘嘆願’にも耳をかさず、一人で森へと出かけてしまう。先へ、先へ、その先へ……村に伝わる一つの伝説、母の命を助けたいがために、森のその最奥へとココルは目指した。しかれど森は生易しいものではない、蔓延る草々に足を掬われ、大地の亀裂に転がり込み、気を失っていたところを現れたのがこのエルザ。少年は村へと連れ戻され、今は母の側にあって歯をくいしばることしかできない現状である。
「みんな、みんな……偽善者だ」
ココルは手に掴んだ、それを投げつける。近くで陶器の割れる音がした。
「母さんは薬師だった……みんなから頼られる薬師だった。俺達のために森へ通い、薬草を摘んではみんなに尽くした……」
アキの肩にはリコリスが乗る。この時ばかりはリコリスも大人しく、目を見開いては瞑想を繰り返している。頭の痛みに堪えかねて、こめかみを強くもみほぐした。拍子にリスは背中へと押しやられ、ぱちりと目を開け丸くすると、前足でしきりにもがき寄せ、なんとかといった具合に持ちこたえる。「寝てただろ」、問い詰めてやりたい……アキは思った。「んなわけあるかよ」、そしらぬ風にて呟くリコリス。
「……その時だけだ、みんな感謝するのは。母さんが倒れて動けなくなったら、それで終わり。気休めの言葉だけ言って去っていく……。みんなのために、みんなのせいで倒れた母さんなのに……」
「あ、痛っ」、突如肩をえぐられる痛み。のけ反る。リコリスの爪が皮膚に食い込み、痛みが悲鳴を上げたのだ。
「……ココル、それは違うだろ。おまえ、お母さんを侮辱する気か? それじゃ、お前の母さんも報われねぇな。……息子だろ? お母さんのこと一番近くで見てきた母さんの子供なんだろ? 悲しいね……」
リコリスの勢いがココルを貫いた。ココルは目を剥いて、息を呑んでいる。このちっこいリスにびびってしまうのは、きっと『自分だけじゃない』、内心そう思っていただけに、アキはホッとため息をつく。実際今のは不意打ちだったけど。リコリスも思うところがあるのか、それきりだ。目を見開いたまま崩れ落ちる少年……。その母は何も言うまいと背けている。魂の抜けた少年の表情、『ぽん』と掌を振り下ろす。掌は頭上にて、新しい芽吹きを与えるため、アキは一つ決意する。
「ようするに、その伝説って奴に縋るしかないんだろ? なら俺がいってとってきてやる。エルザ、それでいいんだよな?」
少女は立ち上がる、『ニコッ』と微笑んで、少年を促す。どこからともなく打ち寄せるのは、今は澄んだ風の声。
芽吹きを上げる爽やかな響きがアキの身体を透り抜ける。晴れやかな気分だ。……少年の涙が薄明かりに溶け出す。隠れた日差しも舞い込んできた。風の囁きに耳を傾けて、
『―――母さんを、助けて―――』
アキは大きく一歩を踏み出す。
※*※
「おい、あたしも一緒に行くぜ……」
リコリスがエルザの頭で思い切り跳ねる。‘すとん’と宙から舞い戻ると、壁の染みにでも話し掛けるように、‘ぽつり’一言、口にもらす。
「あの餓鬼、大切なことを忘れてやがる。母さんからきっと受け取った大切なこと……。なくしておくにはもったいねぇ」
「……そうだな」
「あん?」
「まぁ、エルザの方はお留守晩な……」
「そんなの、当然ってもんさ。魔性の森は危険だからね……一つ覚悟は、しときなよ……」
尻尾は輪っかを描いて、リコリス、お尻を弾ませ、アキへと激励、ビンタを『ぎゃふん』……後頭部へ直と。
「ぉ、……おぉ、いつのまに!?」
肩には一見、普通のリス。
「おまえ……本当に普通のリスかよ?」
大地の鳴動、不意の暗転。
違う、激震音は背中の方から。
「!? 痛って……てめ、なにしやがる……」
どうやら天地を一周したよう。……目の前‘どあっぷ’に羅刹親王、羅刹親王のちっさい御身体。
‘リス’がいる。
「アキ……オレぁ、リスじゃねえ、肝に命じろ……」
―――吠える―――
「……は、……はィ」
『‘モモンガ’だ』。
第二夜ノ子刻 §リコリス§




