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真宵ノ一 小石の行方

 

 百代は河の流れにして……でんでん。今日も今日とて川は流れる。海へと帰るその日を夢みて、絶えず止まることなきが如く。時も同じで……進むしかない。逆戻ることなどできないのだ。岬は考える、川の流れはなぜかくありかし。制服下、ワイシャツある前留めを全てはだけさせてみても分からない。冷えきった風が流れ込むばかりだ。ひとつかむ小石をただなげやりに投じる。三度跳ね上がって最後に没落する。人生などこんなものか、物思いに一人沈み込む。

「……岬さん。岬さんじゃないっすか」

 ふと拳を縦に振り、見上げた先に一人の姿、テツである。

「ああ……テツか。どうした……女なら……他をあたってくれ」

 ポチャンと、ただ河底へと消えていく。

「何いってんすか岬さん、はい……コーヒーでもいかがです」

『コーヒーだと……、コーヒーか……つらいな』などと、多少口の端を斜めに傾けつつ、手のひらをつと上に差し出す。……暖かい。

「いいのか……」

 それだけを代わりに告げるとテツの奴はまたとこう言う。

「いいんですよ……、それ俺の分なんで。にしても、なんすかその恰好。また喧嘩ですか」

『ッ、……苦いな』と声に出しては言わないが、舌に関しては少しうるさい、そして奴もまた同じだ……ただぞんざいに「あぁ……」とだけ答える。

「はは、岬さんに挑もうだなんて、命知らずな奴もいるもんすね。かわいそうに……、今頃お家で泣き寝入りだ……」

 誤解がある、今にして『俺が泣き寝入りだ』、そうとは言えず、ただ「……そうだな」と気もそぞろに頷き返す。『なぜにこいつはかく思うのか』、返し難き信頼が根付いている。

「ぁ、コージ……」

 斜面転がるように駆けてくるのはコージと呼ばれた少年だ。何やら慌ただしい気配を連れている。


「テ、テテテ、テツ……えらい、えらいこっちゃ……。やつらが、赤目あかめのやつらが……囲まれた……」

 テツは緊迫した表情で「ほんとか?」と尋ねる。


 要約してつまり、‘赤目’と呼ばれるカラーコンタクト集団、その幹部と連れ複数が突然殴り込んできたとそういう訳だ。確かにというのか、遠目に橋の上で乱痴気騒ぎが起こっていると見えなくもない。血相を変えたコージの方は『あわわ』と今にも倒れそうだ。テツは「待ってろ」と一人、架橋の方へと駆けて行った。 コージは未だおどおどと動揺を隠せずいられない。河の流れは見えずとも、『これは何かあったな』と俺でなくてもそう思う、岬は水面に投じた石の行方に今しの彼方に思いを馳せる。年月としつきを経て、丸みを帯びていくのだろう。そしてころころ転がり流れて、どこへと好きに消えていく。そんなこともまた良いのだと……コージに向かって一言告げる。

「俺は……あまり喧嘩は好まん、見てろ……」

 岬の戦いが今始まる。


 喧嘩の行方は二分と八分。どうやら旗色が悪いらしい、赤目の親玉にして、面白くもないと口にする。

「ンだょ、こんなもんか。わざわざ俺が足を運んだってのによ。ヒトサマの女に手を出すからよぉ、ちっとはやる奴だと思ったんだがなぁ。てんで期待外れのゴミカスだなぁ? ぁ? 西校のクズども、俺を止めたきゃ、魔帝の奴でも呼んでこい。てめぇらは逃がしてやらぁ。ママンのおっぱいでも吸いついてろ。二度と他の女に手をだすんじゃねぇ……よ、わかったんか?」

 いびつな音をたてて踏み付ける。絶叫を上げて悶え苦しむのは地べたを這う虫の特権か……。悔しさと眉間に寄せたシワの深さが、その痛みを壮絶に物語る。ただ彼らはそこにあって近付いてくる希望を見つめていた。

「ミサキさん……」

 誰かが苦悶にそう呟く。まったく都合の悪いことこの上ない、岬は‘苦虫’を噛み潰した。

‘―――カツン’、赤目の面前に仁王立つ。

「呼んだか……」

 低く唸る声で、しかれど反して涼しげに。言った。

「ぁあん……だれだてめぇ」

 赤目が吠える。理解していない。二度目の名乗りが必要だった……恰好がつかん。

「呼んだかと言っている……俺が魔帝だ」

「てめぇが魔帝ぃ……」

「あぁ……」

「……ぁあ? 白髪じゃねぇじゃねえか。染めたんか?」

 ……そうだ、確かに。ついぞ相対した‘魔帝’の髪は白い。ほんの数刻前の話だ。仕方ないと……でっちあげる。

「イメチェンだ……チュン子の希望だった」

 チュン子というのは家の九官鳥のことだ。すずめに憧れてチュン子と名付けられた、不遇なペットの名前である。そしてチュン子、チュン子とさえずるようになった。

「ッ、女かよ。まぁいい、ちと面貸せや。遊んで貰うぜ……」

 岬を前にして、いっそう血気づく赤目の群れ。岬の額に汗が伝う。のっぴきならない現状だ。

「待て……その前に、そいつらから手を引け」

 引き下げられぬ交渉条件。でないと一切無駄になる。ここは断固押し通す。

「ぁあ?……んなことどうでもいいだろ。気にすんじゃねぇ」

「そうだ。どうでもいいが、俺の連れだ。体面に関わる」

「……ッ、拾ってけや……でもいいのか? おめぇ一人の一対四だぜ」

 まぁ、そういうことになる、のだが数字のお勉強は苦手ではない。最初からそのつもりだった。

「一人で十分だ……おまえらは」

 そうだ、交渉など一人で十分進められる。うまくいくかの問題に相違ない。

「おぉ、おお、おもしれぇ。よう言ったは……。魔帝ぃ……ここらでぱっと散ってくれや、俺らのために。んなら、あのお人も、目ぇ覚ましてくれるやろ」

 カラーコンタクトの朱い虹彩、血に飢えた猛獣の如きにして。―――岬を射抜く。橋の上には五人と一匹。仲間に肩貸すテツを横目に、見送ること七ツ時。時は来たれり。

 閑散とした空気に一丁、お目通りを願う時。岬は蹴った、地を、『やらいでか』と、気迫だけがそこに。飛んだ。―――――――。

「ごめんなさい」

 絶叫が駆け抜けた。魂を刈り取る一声だった。頭に地をつけ土下座、フライング土下座と人は言いけり。荒れ狂いの面々に囲まれて、岬はきつく目を閉じた。『いったか?』と薄目で確認するも、時が止まって動かない。それは勝手な思い込みで、赤目の奴らは痙攣している。ピクピクと眉の端を震わせ、こめかみに血流を漲らせて。意表はついた、壷には入らなかったようす。むしろ、余計な所を刺激したらしい。破裂しそうだ、今にも。冷や汗と、苦笑いがその場を凍らせる。


「て……てめぇ……」

「すいませんでしたぁ!!」

「!?…………」

 ここでもう一押し。中には笑いを堪えているものもいる。『そうだ……笑え、笑えぇ』と目尻に力をねじり込める……が、『クッ』堪えた……、万策ここにて尽き果てぬ。風前の灯が、ふぅっと消えた……。

 カツ、カツンと音が迫る。『おい……立て』と、引っ張り上げられる。よた、よたと吊られた先は、清流の流れがすぐ傍に。……青緑な色の賑わい。豊かな緑の萌木色だ。

「飛べ……飛んで詫びろ」

 なんと御無体なことをおっしゃるのか、岬は眉間に力を込める……『うっ』と。坦々とした口調に、本気の様相が顕われる。まず、冗談とはいかないだろう……。走馬灯だ。手摺りにうなだれるも、駆け抜ける幾重のニャンコの姿が。


「……にゃん子!?」

 とめどなく集団ニャンコが姿を見せる。タッタッタッタと足を踏み鳴らし。七八九十と、白黒茶の集団が空を舞う。『にゃん、にゃん』と、不良達は大慌てだ、天変地位にでもかられたように。奇跡が今具現する。裾を掴んでいた手が離れ、『せいや』と一本ラリアットをかます。よろけた赤目、ネコ達が寄りなす足場に掬われて……よよよと一人音頭を奏でる。見ている間に大きく反り返り、宙を返りながら落ちていった。

「お……おい」と誰かが叫んだ。「イチさんが……そんな」と、眼下橋下に乗り出して、金髪のその姿を捜し、流されていくのが小さく見え……。一瞬の決断が、己の血を煮沸させる。岬大好。いかにして岬大好となりしかは。『ぬおぉお』、気が体内を駆け巡り、掛け声一声、こだました――――――


『―――ソイヤぁ!!―――』


 荒びた学ランが風にゆれ、次なる覚醒を呼び起こす。高らかに―――曇りのない暁天に響き渡る。


『―――そそソ、ソイヤぁあァアアあアーーッサ』


 シャツがぶわわっと風に巻かれて飛んでいく、渦に、夕日に焼かれて吸い込まれる。


『そぉいッ』河下目掛けて虚空を抜ける。ヒュオォと風の囁きが、素肌を透し臨界へと突き抜け大空へ。岬は羽ばたいた。……。


『ガシッ』、赤目へと辿り着いた岬は肩を背負う。赤目は赤目の殻を破り、混じり気のない瞳を曝している。憑き物の落ちた生来の瞳。細めた瞼からきらりと覗いている。口をへの字に曲げて、訴えかける、『何故だ……おまえ、どうして……』。


 むせ返る藻の匂いにほだされて、ようやく岸へと辿り着く。濃密な時間が過ぎてしまえば、あっというまの殺風景。滴り、跡を残す水滴だけがその場を露としめらせる。―――すなわち、『これにてしめ』、の幕引きなり。


 赤目は無言だ。赤目ではない、肌に張り付いた髪の滴りが未だ少年であったことを匂わせる。奴は『名は?』とだけ、そらに呟く。『……岬大好みさきだいすけ』と、……擦り切れた化けの皮など無用の長物、一重に自分をさらけ出す。『やっぱりな』‘ふっ’と引き締めた顔を緩ませると、もう一度だけ口を開いた。


『高藤修司……、……』


 そんな奴は最後まで、一人恰好だけを連れて歩き去った……恰好の付かぬ、水草一本尻に付けて。…………。


『……てんで弱っちい魔帝さんよ……この借り高くつけさせて貰うぜ……』


 小石を一つ掌に掴み、ぽんと高く弄ぶ。握り閉めた、その一粒を他愛のないと渦中へ放る。今度は四度、面を打ち、五度目に‘ぽちゃん’と音を立てる。いつかは対岸へ辿り着くと、馳せる思いで遠くを見つめる。夕日は照らし楕円を映す、水面に、ポチャンと真円を描く。ただ一人、忘れちゃいけない小石が一人。


「逃がさんぞ……」


 この手にお尻ぺんぺんを誓う、岬だった。



     真宵ノ一 §小石の行方§



     

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