第二十章:逃げ帰る家族と遠くの煙
間一髪で逃げ出した伊坂家と、遠くの黒煙を見つめる友人たち。それぞれの夜が交差します。
すっかり日の落ちたキャンプ場。周囲が静寂に包まれる中、伊坂家の車がある駐車スペースだけは慌ただしい空気に満ちていた。
車のトランクをあけ、夏生が大きな黒いスーツケースを抱え上げて悪戦苦闘している。
「あー重いなー。何入ってんだこれ。よいしょ」
なんとかトランクに荷物を押し込む夏生の傍らで、奈美は腕を組み、苛立ちを隠そうともせずに急かした。
「あなた早くして。こんなとこちょっとだって居たくない。さっさと帰るわよ」
狐巫女に襲われた恐怖がまだ冷めやらないのだろう。彼女の視線は落ち着きなく周囲をさまよっている。奈美は後部座席の方へと声をかけた。
「さくらちゃんも、早くして」
「ママ、ちょっと待って」
車に乗り込もうとするさくらに、夏生が確認をとる。
「閉めるぞさくら」
さくらが後部座席に乗り込んだのを見て、夏生はドアに手をかけた。
「よし、はいドア閉めるよ」
「はーい」
ドアをバタンと閉めると、夏生自身も運転席へと回った。
「よいしょ。よっこらしょっと」
エンジンがかかり、ヘッドライトが暗い木々を照らし出す。車は急発進し、逃げるようにキャンプ場から走り去っていった。 暗い山道を走りながら、ハンドルを握る夏生がふと安堵したような声で呟く。
「いやー、意外に楽しかったなー」
緊迫した状況にまったくそぐわないその呑気な感想に、助手席の奈美が鋭い声で凄んだ。
「はぁ?」
妻の怒気を含んだ声に、夏生は慌てて前言を撤回する。
「ううん、安全運転で帰る」
そう言うと、夏生は黙々と前だけを見てハンドルを握り直した。
一方、同じキャンプ場の川辺。 暗い河原では、良一、真菜、美紅の三人が水切りをして遊んでいた。
「せーの、よい!」
良一が手首のスナップを効かせて石を投げる。水面を石が跳ねる音を楽しむ彼らのもとへ、翔太が血相を変えて駆け寄ってきた。
「みんなー」
ただならぬ声のトーンに、三人が一斉に振り返る。
「ん?」 「遠くで煙上がってる。火事かもしれない」
翔太が指さす方向を見ると、確かに遠くの山の向こう、真っ暗な夜空に不気味な黒煙が立ち昇っているのが見えた。
「え?」 「ほら」
良一が驚きの声を漏らし、翔太が煙の出所を改めて示す。
「え?何、火事なの?」
不安そうに尋ねる真菜に、良一も首を傾げる。
「いや、山火事?わかんないけど」
不穏な空気が漂う中、美紅がハッとして辺りを見回した。
「大和たちは?」
「まだ戻ってきてない」
真菜の答えに、翔太の顔にさらに焦りの色が浮かぶ。大和、雛、そして七海の三人は、あの煙が上がる方面に向かったまま戻っていないのだ。
「知らせたほうがよくないか」
「手分けして探すか」
良一と翔太が顔を見合わせ、すぐさま行動を起こす。
「うん。ねえ、あっち行こう」
真菜が美紅を促し、四人は二手に分かれて暗いキャンプ場を駆け出した。 煙の上がる不気味な夜空に向かって、翔太が大声で友の名を呼ぶ。
「やまとー!」
彼の声は、静かな山の暗闇にどこまでも吸い込まれていった。
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