*6.告白
**
食堂へ移動する途中、さわやかな秋風が過ぎ去っていく。
講義を受ける教室と食堂は建物が違うため、一旦外へ出なくてはいけないのだった。
青空が高い。秋晴れの今日。
勇二くんに『仕切りなおす』と言われてから時間だけが過ぎていき、季節はいつの間にか秋本番。
今度の土曜日に行われる保育園の運動会に向けて忙しくなってしまった勇二くんとはすれ違いの日々が続いている。
たまに、メッセージや電話はあるけれど。
もともと、あまり会うことのなかった私たち。
会わないことが普通だったのに、と思い返して苦笑いをする。
いつの間にか私の中で、勇二くんの存在が大きくなっていたらしい。
少し会えないだけで寂しいなんて……
運動会の小物製作を手伝う約束だったけど、ちゃんと計画通りに仕事をする勇二くんには無用だったみたい。
あの日、メダルのデザイン決めを手伝って以降、お手伝いの要請はなかった。
代わりに、公輝先生からは何度かあって、その度に美紀と手伝いに行ってあげた。
「今日、何食べる?」
食堂の券売機の前で美紀に聞かれる。
「ん~、日替わりランチかな」
「私も同じにしよう」
ポチッと発券ボタンを押す。
無機質に出てくる食券を取り、ランチを待つのも今では当たり前になってしまった。
学科内で、ももちゃん、梓ちゃん、きーちゃんと話すことはなくなり、美紀と一緒にお昼を食べることが当たり前になった日常。
時々、お昼ご飯忘れた~、と言う上村さんと一緒にお昼を食べることはあるけど。
梓ちゃん、きーちゃんは、この前のももちゃんとのやり取りをどう思ったのか。
ももちゃんの行動は許せないし、梓ちゃん・きーちゃんともまた前みたいに笑えるかは分からないけど、時間薬に期待することにした。
寿も同じだった。
勇二くんが追い返してくれたあの日以降、家に来ることもなくなったし、連絡もなかった。
「湯木さん、ノート。
……講師から頼まれたから」
私の解剖学のノートが差し出された。
にっこり笑って受け取る。
「ありがとう」
胸の奥が微かに痛むが、普通に会話もできる。
寿の後ろ姿に、以前の感情は消えていた。
**
空高く音が響く。
園児たちの作った可愛い国旗が空を泳いでいた。
保育園の園庭には所狭しと、たくさんの保護者が集まっていた。
シートを広げて座る人、立ち見の人。
私はもちろん最前列で、ビデオカメラとスマホの2台持ち。
今日は、保育園の運動会。
めいちゃんの勇姿を撮影すべく参戦したのだ。
後ろでは、父と母、お義兄さんがめいちゃんの入場を待っている。
ざわざわする園庭の裏では、あわただしく動く先生たち。
いつもと違う雰囲気に泣いてしまう子もいれば、全然平気な子もいて。
それでも、園児たちはお利口に整列をしていた。
開始時間丁度。
園長先生の開会宣言で幕を開けた運動会。
この日のために練習をしてきた子どもたち。
入場門をくぐる姿を見て、グッとくるものがある。
年中さんまでが入場し、応援席へ座る。
いよいよ年長さん、めいちゃんの入場。
みんなでお揃いの旗を持ち、開会のパフォーマンスを行う。
たくさん練習したんだろうな。
しっかりと動く姿に、今までとは違う堂々としたものを感じ、感極まってしまう。
私は、鼻をすする音が入らないように気を付けてカメラを回し、スマホでめいちゃんの勇姿を撮影する。
年長さんと向かい合うように、隅で勇二くんもみんなと同じ動きをしていた。
真剣な顔もこっそり撮っておく。
先生たちも、この日のためにたくさん準備をしてくれているのを知ってるよ。
ありがとうございます。
思わず、保護者代表でお礼を言いたくなってしまう。
子どもたちの頑張りのおかげか、
先生たちの努力の賜物か、
運動会は大きな事故もトラブルもなく進行され、最後の閉会式を迎えようとしていた。
いよいよ保育園の2大行事のうちの1つが終ってしまう。
そう思うと、園児でも保護者でもないけど、感慨深いものがある。
ちなみにもう1つの行事は冬に行われる、生活発表会。
めいちゃんは、2年前のお義兄さんの転勤でこっちに引っ越してきてからこの保育園に通園している。
私もあの頃は免許取り立てで、お姉ちゃんに頼まれて保育園の送り迎えを手伝い始めたんだよね。
思い出して懐かしくなる。
そういえば、何度目かのお迎えのとき、転んで泣いている男の子をめいちゃんが助けてあげてたな。
あの男の子はあの後どうなったんだっけ?
泣き止んだんだったかな?
いつの間にか、園長先生が最後に運動会を頑張った年長さん組のみんなの首にメダルをかけていた。
園長先生の後ろでは、メダルを用意する勇二くんの姿。
公輝先生は、真面目に年少さん組の子どもたちとその様子を見守っていた。
運動会が終われば、少しは会える時間もでてくるかな。
淡い期待を胸に、運動会最後の拍手を贈った。
自転車でコンビニまで行った帰り。
駐輪場で思い出して、
めいちゃんの勇姿を納めた画像をお姉ちゃんへ。
公輝先生の勇姿を納めた画像を美紀へ、それぞれ送った。
運動会での私の役目、カメラマンが終わり完全燃焼した気分。
頑張ったな、自分。
と自分を褒めたたえ見上げた空は、キレイな夕焼け空だった。
ぼんやりと空を見上げていると、あの時のように勇二くんがバイクを押して帰ってきた。
久しぶりのシチュエーションにドキン、と鼓動がした。
ヘルメットを脱いだ勇二くんと目が合う。
「おかえりなさい」
「……ただいま」
ヘルメットを持ったままの勇二くんにふわりと抱きしめられる。
「……ようやく会えた。」
うん、と頷く。
「……運動会、感動した。
お疲れ様でした」
今度は、勇二くんが頷く。
「中、入ろう?
……ごはん作ったの。一緒に食べよう」
もう一度、勇二くんが大きく頷いた。
久しぶりに会った勇二くんは、いつもと変わらなかった。
ごはんを食べながら、運動会のことや最近の出来事を報告する。
勇二くんは静かに聞いてくれていた。
穏やかな空気が流れて、なんだか幸せな気持ちになる。
ほどよくお腹が満たされたころ。
勇二くんが一枚のタオルハンカチを取り出した。
ピンクのチェックに、キャラクターのワンポイント。
洗濯されたであろうそれは、袋に入れてあった。
「今更だけど、さーちゃんに返しておくね」
どこか見覚えのあるそれは、いつの間にかなくしたと思っていたものだった。
「ありがとう。
……何で勇二くんが?」
確かこのタオルハンカチは。
「去年の夏頃かな、めいちゃんのお迎えに来たことがあったでしょ?
その時、転んで泣いた子に貸してくれたものだよ。
返しそびれてて、ごめん。」
「勇二くんが持っててくれたんだね。
ありがとう」
「いや、
もっと早く返そうと思ってたんだけど……」
「……去年の夏?って、私、ここに引っ越してきてるんだけど……
保育園で会ってたってことだよね?気づかなかったよ」
「……俺は知ってたけど」
タオルハンカチを引き出しにしまう手が止まる。
「え?どういうこと?」
「……秘密」
そう言うと、食べ終わった食器を持ってキッチンへ行ってしまった。
**
公立の保育園で働く保育士は、市内の他の園へ移動がある。
俺の移動が決まったのはちょうど去年の春。
タイミングが良かったのか、悪かったのか。
結婚観の違いから、当時の彼女と同棲を解消した頃だった。
結婚願望が強すぎた彼女は、なかなか結婚に踏み切れない俺にしびれを切らし、積極的に婚活パーティーへ出向き何人もの男と付き合っていた。
俺は彼女の知らない顔を見てしまい、ひどく落ち込んだ。
俺が彼女の価値観に合わせていれば、こんなことにはならなかったのだろうか。
勤務先の変更、彼女との別れ、引っ越し、、
全ての環境が変わり、疲れていた頃、さわこと出会った。
それが、去年の夏。
夕方の外遊びの時間。
その日は雨上がりで、普段ならぬかるみ部分にすのこを置いたりするのだが、忘れてしまった。
完全に俺のミスだった。
運の悪いことに、元気に走り回る男の子がぬかるみに足をとられ転んでしまった。
気付いたときには、泥だらけで泣く男の子を気づかう女の子と、泥汚れを払っている女性がいた。
慌ててお礼を言う。
「ありがとうございます。」
「いえ、この子見た感じケガはなさそうですよ。
ボク、転んでビックリしちゃったんだよね。
大丈夫だよ。」
優しく微笑む彼女が“大丈夫”と言ったのは男の子に向けての言葉だと分かっているけれど。
なぜか俺の胸にも響いた。
随分若い母親だな
それが第一印象だった。
その一件から彼女のことを意識するようになった。
いつも笑顔でお迎えに来る彼女に、どこか惹かれている自分がいた。
だが、付き合おうとかそういうことは思わなかった。
園児の母親と恋愛ごとなんて面倒臭いだけだ。
後に彼女が母親ではない、と知っても同じだった。
ましてや同じアパートに住んでいるなんて、やっかいごとでしかない。
引っ越そうかな……
そう考えたけれど、幸い向こうは気づいてないらしい。
家への出入りの時間を意識してずらすようにした。
そうしていくうちに、別れた彼女とのことは薄れ、新しい保育園での仕事にも慣れていった。
大学を卒業して以来、公輝とは飲むことが度々あり、ある日酔っ払って話してしまうという失態を晒した。
気づいたのは公輝が俺の勤務先の保育園に赴任して来てからだった。
彼氏と仲良く歩いている姿を見かけていた俺は、密かに彼女の恋が幸せなものであるように祈るようになっていた。
それだけだったのに……
お皿をキッチンへ片付けに行った手が止まっている勇二くん。
「……勇二くん?」
控えめに声をかける。
「運動会で疲れた?
甘いのもあるよ、食べる?」
疲れた時には甘いものが一番だよね、と冷凍庫からカップアイスを取り出す。
「早く食べよう」
部屋の定位置に座り、勇二くんを呼ぶ。
「バニラとチョコ、どっちがいい?」
「バニラかな」
勇二くんにバニラアイスを渡す。
テレビでは、バラエティ番組が始まっていて、ゲストの芸人やタレントが賑やかにしゃべっていた。
さっきまでの穏やかな空気とは一変。
勇二くんの沈黙に、左半身が緊張してしまう。
久しぶりに会えて嬉しくなり、さっきしゃべり過ぎた?
ちょうど番組がCMに切り替わったとき。
「さーちゃん」
「……はいっ」
名前を呼ばれ、声が裏返る。
「緊張してるの?」
「そ、それは……
今まで普通にしゃべってたのに急に静かにアイス食べてるんだもん。
どうしたかと思ったよ」
慌てる私に、フッと笑う勇二くん。
「好きだよ」
「……」
急な言葉に反応できないでいると、今度はゆっくりはっきりと言われる。
「さわこが、好き」
勇二くんの瞳に私が映っていた。
「さわこは?」
勇二くんの手が頬に触れる。
じんわりと伝わる暖かさ。
「……好き」
言葉にすると甘いものが胸に広がっていくのを感じた。
勇二くんの手に自分の手を重ねる。
瞳に映るのは幸せそうに微笑む私たち。
そのままキスをされる。
「……勇二くん」
囁く私に、勇二くんはさらにキスをしてーーー。
**
「……ん、」
目が覚めると、そこには勇二くんがいた。
向こうを向いて寝ている勇二くんの天パの髪には寝癖がついていた。
その寝癖を少し弄る。
愛おしい。
胸のなかがいっぱいになって、その広い背中にぎゅぅ、と抱き付く。
と、身動きをして勇二くんがこちらを向いた。
「……おはよう」
昨夜のこともあり、恥ずかしくて目が合わせられずに俯いてしまう。
すると、勇二くんの優しい手が私の頭を撫でる。
その手はそのまま眉毛、頬、顎と順番になぞったかと思ったら私を愛おしそうに抱いた。
それが妙に心地よくて、いつの間にか再び眠りについていた。
カーテンの隙間から光が漏れていた。
今日は青空の予感。




